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2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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私には妹が一人居る。

幼い頃から強い個性を持ち繊細な心ゆえに強い劣等感を私に対して抱き、苦しい幼年期〜青春時代を送った妹。
彼女は青年期から自分自身の逞しさで自分を改革し、人生を探求し、私の知らない彼女の経験も含め一生懸命に生きてきた人だ。そんな彼女を誇りに思い、尊敬している。

けれど私たちの間には、いつもお互いの真意が伝わらないというもどかしさが長年あったように思う。

ささいな行き違いが原因で 彼女と私はメールで言い争いになってしまった。
彼女は私が言う忠告はすべて上から押し付けるように聞こえると言う。
私は彼女の言葉の一つ一つを細かく検証してしまう。しかしそれを全部言うと追い込む事になると分かっているのでどういおうかと手加減をしながら文字を紡ぐ。

そして「あなたは少しも私の話をきいていない。言葉通りに分かろうとはしない。これまで一度もちゃんと聞いてもらえたと思った事はない」と私が正直に告げると彼女は激高し、「一人で生きてきたつもりか。何様か。迷惑掛けた事も無いというのか。もう顔も見たくない。家に来るな」と絶交を宣言してきた。

在る意味、そのような率直な反応は、何を言っても縁の切れない肉親ゆえの甘えだとも思っている。なので腹も立たないし、私はいたって冷静だった。

「私の言葉のどこからそのような攻撃が生み出されるのか理解に苦しむが それでも私の主張は変わらない。今もあなたは私の言葉を聞こうとはしていない」と告げた。
「今はなんともないが10年前ならこの状況でそのあなたの言葉を聞けば自殺していたよ。あなたを恨んで、わからせようとして」と真実を告げた。

妹に、この言葉がダメージであろうことは薄々わかっていた。
それでもこのような真実を伝えようとしたのは、やはり「私を分かって欲しい」という気持ちからだった。

娘の遊びにつきあうため、外に出て遊びながら、何時間かこのことを考えてたどり着いた結論があった。これは私の我(エゴ)に過ぎない、と。
もともと、彼女には私の事を理解するなどとは、無理な事だとわかっていた。

私の家族には、相手の気持ちをきちんと汲み取ろうとする忍耐力が存在しない。
相手の言葉を、解釈も一般化も単純化もせずに、ただそのままに受け止めて理解してみようという習慣が、まったくない。

それぞれが勝手に、自分の分かりたいように分かる。
思いたいように、思う。
きめつけ、図々しく踏み込み、本人がどれほど違和感を感じていようとも「あなたはこうである」とレッテルを貼って、鼻歌でも歌いながら去っていく。
それが私の出身家庭の常だった。
私はその中で、自分の魂を破壊され、何度も心が死んでしまったのだ。
妹の言葉は、ちょうどその体験と重なったのだった。

家に帰ってメールを開くと、妹から「あなたが怖い。メールも見る事が出来ない。電話もメールもしないで欲しい。家にも絶対来ないで欲しい」とショックのあまりの完全拒絶だった。

やはり、とため息をついた。

このメールを見るまえに告げようと思っていた事を、言っておこうと、あえてメールを書いた。
心からの謝罪だった。
「私の非を認め、謝罪したい。あなたに理解してもらう必要はないのに、理解してもらおうとしたことが間違いだった。
本当に申し訳ない。あなたには無理と分かっていたのに、あまり無邪気に噛みついてくるので欲が出てしまった。あなたの傷が癒える事を心から願う。真実を知り過ぎてどんなにかショックだっただろう。可哀想に。私は、もうあなたに理解してもらおうと願う事を辞めると誓う。可哀想な妹よ。どうかそれで許して欲しい。もう私を理解しようとする必要も、愛そうとする必要もない。あなたの安寧を祈ります。短かったが、ありがとう。あなたなりにいつも一生懸命であった事を知っているよ。あなたを手放します。自由になって欲しい。」


欲が出て、相手への手加減の調整が甘くなってしまった。
そして案の定、相手を深く傷つけてしまった。

多分、妹は私が傷つけた過去の誰よりも深く、今傷ついてしまっただろう。
その痛みが胸の奥に重くうずくまっている。

可哀想に。知らなくてもよかったことを。
私は家族から、離れなくてはいけない。
私の心は、二度と家族の元には戻るまいと思う。

半分だけは、妹は解っていた。
だから、残りの半分をわかってもらいたい気持ちになってしまった。
これはエゴだ。器に入りきれない水を注ごうとして器を割ってしまった。

エゴは本当に、相手を傷つけてしまう。
私の言葉は、手加減が無ければ恐ろしく攻撃力の高い刃物になって人の心を切り裂いてしまう。
心から反省する。できればもう二度と、同じ形で人を傷つけたくはない。

今なら、本気で俗世を捨てる事ができるような気がする。


ここに留まる事が辛い。
私はどこか遠く遠くへ、行ってしまいたい。

本当に大切な妹。
けれど決して分かり合えない妹。
あなたの方こそ、私に「分かって欲しい」と泣き叫んでいたように思う。
それを聞いてやれなくてすまなかった。

どうか私の事を忘れてほしい。
そして平安に暮らしてほしい。

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忙しくて、ベランダの植物に水をあげる暇が無かったら、あっという間にすべての植物がしなびて枯れそうになった。どうも、今の季節だと20時間水が切れると駄目らしい。土が少ないから、あっという間に水が涸れてしまうのだろう。

その可哀想なしおれ具合をみて、慌てて、水をバケツに汲んでざぶざぶ浴びるほどかける。

そして、こんな時、どうやって植物が水を吸い上げて回復していくのかをじっと観察していた。

どこから真っ先に、水が行き渡って元気を取り戻すのか興味があったのだ。

当然、水は根から吸い上げるのだから、根に近い一番下の葉から水が届きそうな気がする。

ところが、実際は逆だったのだ。真っ先に元気を取り戻すのは、一番先端の葉か、伸びている茎なのだった。
つまり、これは植物にとって一番大事な、伸びていこうとする部分。成長している部分だ。
その若芽の成長を支えている、大きな葉は、一番最後に回復した。

なんてよく出来ているんだろうとつくづく感心する。

うちの家庭が食糧危機に見舞われ、飲み水にも困ったら。
そして限りある状態で水が配給されたら。

やっぱり子供から先に飲ませるし、食べさせる。
子供は未来だからだ。
大人が生き残っても子供が死んでしまうならなにもならない。未来はない。

植物も同じなのだ。
それもごく自然に、そういう仕組みになっているのかと、改めて感心した。

真夏には、一日2回の水やりが欠かせない。
大きなトマトがやっと色づき始めた。
そして実が実るに従って、葉や茎はその役目を終えようとして枯れていく。
キュウリはゆらゆら、何本も実って涼しげだ。
出来る片っ端からもいで食べてしまうのだけれど。
朝顔の日よけ棚もほぼ完成して、毎朝カワイイ紫の花をいくつか咲かせてくれている。

トマトが終わったら、次は何を植えようか。
実が付く植物は、ほんとに楽しい。


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免許更新に南区花畑に行ってきた。

暑い!暑過ぎる!
日差しが顔の表面をじりじり焼くのが痛い。

もうだめだ。
夏を乗り切る自信がない。
秋風が吹く頃、私はきっとまだらの黒人になっているだろう。

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明日、免許更新の期日!!
今日、カウンセリングとカウンセリングのすき間に行こうと思ったが、やはり時間がかなりきわどい。間に合わなかったらクライエントさんに悪いと思って、仕方ない、明日に何とか…と予定した。
でも期日ギリギリというのは本当は嫌いなので出来たらやっぱり今日行きたかった。

そしたらそのクライエントさんがドタキャン。がくり。

ドタキャンするクライエントさんは、本当にドタキャンを何度もする。
ドタキャンしはじめたら依存のサイン、と言われている。
だから、繰り返すようならカウンセリングを断るべきであるとも言われている。
でもそれを理由にクライエントさんを突き放した事はないんだけどね…。
カウンセリングは社会復帰の訓練所でもあるので、約束事を守れない人を教育する役割もあったりする。でもまあ、本人の「悪いことしたなあ」という気持ちがある事を信じるほうが流儀なので何も注意しないけどね。

ああ…ドタキャンされる事が解ってたら、免許更新に行けたんだよ〜、と、しばし悔しさを味わう。
自分で言うのも何だけど、私は忙しいので、時間を無駄にされる事はウィークポイントで、結構めげる。ドタキャンはいいんだけど、それで計画に無駄が生じたと思う事がかなり悔しい。
時間は二度と取り戻せないからだ。
人生の一部が無駄で汚された感じがして、かなりどっと胸が詰まる。苦しい。

でも、呼吸する事を覚えた。
どんな激しい思いも、呼吸して瞑想していれば、春の雪のように(チベット風の表現)消えていく。
ああ、春の雪よ〜。チベットいいなあ。風流だなあ。


思えば昔…。
約束の時間の10分前に行く事は、鉄のセオリーだった。
それを私に教え込んだのは父だった。
私はいつも人を待つ側だった。付き合っていた頃の夫は遅刻の帝王で、しかも遅刻を全然謝らない。こっちが怒ると逆ギレするというきわめつけの非常識さだった。
約束の時間から、最長3時間以上待たされた事もある。

我ながらよく待ったなあ〜感心感心。すごい忍耐力だよ。
だいたい、2時間も待たされると、怒っているというより、「私なんてその程度の存在なんだ。全然愛されてないんだ。もうこのまま死にたい」と悲しみに潰れた状態になっていた。

でも「私は悪くない。遅刻したり、時間にルーズな相手が悪いんだ」という事を必死で証明しようとして、遅れてくると分かっている相手を意地になって待っていたのだ。

これもまた依存だったなあ。
自分の価値を証明する為に、相手が悪いと主張したい。
自分を被害者の立場に置いて、相手を責めたい。
謝ってもらって、慰められたい。

そんな形の、ねじれた依存だった。
結婚してから、自分が極めて依存的な人間だと自覚して、恥ずかしかった。
そんな正体を知られて、本当に嫌だったし恥ずかしかった。

時間をロスした事で、昔の傷に触れてしまった。
いいんだよ。何事も計画通りになんて行かなくても。
自分の期待通りにならないあいまいでいい加減な現実。
それとどうやって共に居るのかを学ぶ人生の旅。
春の雪よ、春の雪。

案外、ドタキャンするクライエントさんは私の学びに協力してくれているあり難い存在なのかも知れない。

さあーーー明日は免許更新!!
忘れずに!!

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福岡、梅雨明け宣言。

ついに本格的な夏が来た。
ベランダ家庭菜園と、ベランダ日よけ朝顔がものすごい勢いで成長している。

トマトがこんな大きな茂みになるとは知らなかった。
きゅうりがこんなに長く茎を伸ばすとは知らなかった。
スイカときゅうりはベランダの端に置いた小さなプランターから成長して、8メートルはあろうかというベランダの2/3まで伸びてきた。これは想定外だ。
プランターを3つ並べているけれど、それぞれのトマトやキュウリやナスががんがん大きくなってしまって、もっと間隔を離して置けばよかったと思ったけれども、すでにつるできゅうりとトマトがこんがらがっている。もう引き離せない状態で、大混雑の茂みになっている。

植物でも、争うのだろうかと思う。
茂みになってしまったので、日当たりが悪くなった葉は、懸命に
すき間を縫うようにして日を浴びようと伸びてきたり、その上に
キュウリやスイカのでっかい葉がぼさ!と覆いかぶさったりしている。

「どいてよ」「私の日当たりが悪いじゃない!」
「ここはおれの場所だ!」「あっちへいけ!」「邪魔なんだよ!」

植物がそういっているのではないかと思うと、いたたまれず、葉
っぱを出来るだけ、みんな平等に日を浴びられるように、一枚一
枚、一枝一枝、向きを変えてあげてしまう。
植物にとっては余計なお世話かもしれないけど、

「ほらほら、こっちへおいでよ。ここが空いてるよ。ほら、人の
上に乗っからないで。こっちに伸びてご覧よ。さあさあ、けんか
しないで。」

と一つ一つ、向きを変えたりしてしまう。

あんな少しの土で、こんなに成長していく事も、ずっと先の伸び
て行く茎の先端まで水を栄養分を運んでいる事も、つくづくすご
いと敬服する。
この逞しさを学び取りたいものだと植物にも手を合わせる。

今日はたなばたなので、日よけにしようと育てている朝顔に短冊
や飾りをつけた。

うむ。カワイイ。ふふふ。

「自分の為のお願いを一つ、みんなのためのお願いを一つしようね」
と娘に話したら
「私、自分のはいいの。世界が平和になりますように、でいい」と言う。

本当に自分の願いがないのか、褒められたくて良い子を演じてい
るのか、それが半々なのか、わからないけれども、短冊のお願い
は世界平和祈願だらけになった。
そして、娘のたなばたのお願いごとは、ずっと毎年、世界平和だ。
不思議な子だなと思う。
彼女は、私よりずっと高いクラスにいる魂なのかも知れない。

優しさの中で暮らせますように。
優しさを発揮出来ますように。




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時間が飛び去るように過ぎて行く。

このままでは明日目が覚めた時にはもう60才になっているかも知れん。

娘の2回目の夏休みまであと少しで彼女は指折り数えて楽しみにしている。
今年はどんな楽しい夏にしようか。
「またプール連れて行ってね!!」
うん。思いっきり日焼けするけどね。

世の中の親がどんな思いで子供をプールに連れて行くのかやっとわかった。
子供時代、プールをせがんでもなかなか連れて行ってくれなかったのはそういうことか。
子供時代は、どうしてこんなに楽しい場所なのに、大人は嫌がるんだろうと不思議で仕方なかった。
プールサイドのぶっちょう面の母親を思い出す。「あたしはこんな処きたくも無かったのよ」と言わんばかりのあの表情を見ると、楽しい気分もかなりトーンダウンしたものだ。

大人になると、子供とプールに行くのはかなりだるい仕事だと分かる。
ずっと目を放せないし、日焼けするし、自分本意に楽しむ訳にもいかないし。
一日中、真夏のかんかん照りの外にいるというのは、かなり根性が必要だ。
もう水着にはなりたくないし、着替えも面倒だし。

それでもね。
子供が真夏の日差しの中で、弾けるような笑顔で遊ぶ姿が見られる。
もう、それだけがご褒美なのである。

子供を笑顔で見ていよう。
それが母親が私にしたこと以上を、娘にしてあげられることだ。
プールサイドでは、笑顔で。
プールの思い出は、最高にハッピーに。

よーし、今年も頑張るぞーーーー。




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昨日、月曜日はお休みのハズで、何とか一生懸命休もう休もうとしたのだけれど。

バリーさんのセミナーを無事に終わらせて、打ち上げ?の博多見物とラーメンも終わらせて。
みんなでハグハグしてお別れして。

ほっとしたんですよ、ほんとに。
今回は絶対に赤字にしてはいけないと思って、自分のイベントじゃないけどちゃんとビジネス的に成功させたくて、必死だったの。

最後に「なんとかトントンくらいにはなった」とちえちゃんからきいて、ほっとしたのです。

なんかつくづく自分のイベントより人のイベントの方が力入るよね。
赤字だとどんなに大変な事になるか、身にしみてるからかも知れないけどね。
今回、ちえちゃんの処はバリーさんとスタッフ一人連れてきてる訳だから、3人分の飛行機代やホテル代、経費はかなりかかっている事はわかっているから、その経費とバリーさんへのお布施分くらいは収益を出さないといけないと思って必死だった。

で、月曜日はお休みのハズだから、休もうとしたんだけど。

だめだー。7月2日の早良区の講演と、5日の鳥栖の傾聴と、8日の傾聴ボランティア養成講座の準備に頭が回ってしまう。ごろごろ昼寝しようとしても休んでない自分がいる。
いっそ外出しようかと思うけど月末でお金は全然ないし…ってだらだらしているうちに、娘が帰ってきてアウト。はいお母さんの仕事開始ですー。

宿題見て、ご飯作って、お風呂入れて、ドラクエして、やっと寝かせたらもう夜で、自分もなんかちょっとくらい遊びたい気分なんだけど「遊んでる場合じゃないでしょ」って叱られてる気分になって一人でぐるぐる。。。。

呼吸〜。。。
すーーー
はーーーー。

火曜日、今朝起きるのはつらかったなー。
でも朝食作って、お弁当作って、水筒用意して、娘を送り出す。
うんうん、結構調子いいぞ。忙しいけど、嫌だな〜という感じがない。
前向きスイッチが入っている。よっしゃやるぞ、という気合い。

娘が学校に行ってからの限られた時間を何に使うかが、とにかく忙しい時の勝負なのだ。

2時間、静かに思考を整理する。
この時、私の頭の状態は多分、瞑想とかなり近いと思う。
集中と無が自分の周りを包んでいる感じ。自分が宇宙に浮かんでいる感じ。
クライエントさんが来るまでの数時間しかない、といういわゆる追い込まれた状況の時には
この集中スイッチが入ると時間の概念が無くなる。

寝てるんじゃないか、と思われてもしかない。
何しろきちんと座禅の姿勢なんかしてない。寝そべってたり机に突っ伏してたり、ほおづえをついていたりする。基本的に、動かない。

でもものすごく集中している状態なのだ。

それから次のステップ。
頭の中の結晶したものを言語化して文章に落として行くのは、もうただの作業に過ぎない。
30分で、一段落。もう目処はついた。

お昼ご飯を食べることにした。

クライエントさん二人の話を聞いて、仕事終了。
手ぐすね引いて待っている娘とキーボードの連弾遊び。
宿題をみてあげる。夕飯の材料を一緒に買いに行こう。

講演の準備はもう目処がついたのでやっと、頭の中も休める。

はーーーー。
仕事は放り出せないな〜。やっぱり。
いつも頭のどこかにあって、時間を見張っているみたいだ。



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昨日はバリーさんが来福して、やっと1年越しの招聘成功。

今日は鳥栖での傾聴講習会。2クラス、52名の受講者があり、それでもまだ問い合わせがあるという。
来ている人の、熱意というか、質に感動した。

本当に、傾聴を必要とする人たちがいる…。
それをひしひしと感じた。
一生懸命講師を務めようと思った。

留守の間に、老犬チャムが死んでしまわないか、それだけが気掛かりだけれど、チャムはいつもちゃんと、待っていてくれる。出来れば最後の時には絶対に側に寄り添っていてあげたい。


明日はまたバリーさんの講演をお手伝いに行く。
このお手伝いの為にカウンセリングを何件断ったことか。
みなさんごめんなさい。体が一つしかないので、ほんとにごめんなさい。

バリーさんの「この世にバリーという私はいないのだ。私は存在していない」という気づきの瞬間の話は本当に興味深かった。自分という存在の「空」を感じるというのはどんな体験なのだろう。
先に頭だけで理解しようとする悪い癖を押さえて、ゆっくり瞑想から入っていきたいと思う。
仏教の中でも、「空」の概念は一番難しい。ダライラマ法王のセミナーでも空についての解説を法王自身から受けたけれど、その時だけわかったような気になって、帰るとイマイチやっぱりよくわからない。。。。空については、さらにもっとよく学びたい。

明日のセミナー、朝から夜まで留守にするけれど、チャムの事は、娘と夫が付いて居てくれるからきっと大丈夫。今年の夏は、チャムと過ごす多分最後の夏。おととしも、去年もそう思ったけど、今年の状況はどう考えても来年の夏があるとは思えない。

いつでも抱きしめられるように、たくさんなでてあげられるように、チャムの体をきれいにしてあげる。
毎食、手作りのご飯をチャム用に作ってあげる。
かぼちゃが大好物。今のところ、カボチャが入っていれば頑張って食べ切ろうとしてくれる。
バリーさんに、もう一度、動物の転生を助ける方法について、よく聞いておこう。

バリーさんが帰ったら、私には次の仕事、傾聴ボランティア養成講座の準備が待っている。
実はまだまだ、これが途中なのだ。
眠れない日々はしばらく続きそうだ。
これが終わったら、とにかくたくさん、数日は仕事しないでひたすら眠りたい。


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1)老犬のこと
老犬は ついにほぼ寝たきり状態に。
しかし、本犬としてはかなり楽になった模様。

寝たきりになる直前までは、頻繁にトイレに行こうとしてよろよろと立ち上がり、バランスを崩して倒れ、再び体力を蓄えて立ち上がり、の繰り返しでかなり消耗していたのだが、本犬が在る意味「もう立ってトイレは無理」と諦めた事で体力温存されているようだ。

寝ている姿は、以前と違って、ハアハアと荒い息ではなくすやすやと安らかになった。

起きて意識がある間も、ハアハアではなく、余裕がある感じで、むしろニコッとしているような時もある。

いったいこの状態であと何日生きてくれるんだろうかと日々気を揉む毎日なのだが、その中でわずかでも安らかそうな状態を見ると私たち家族の心も休まる。

毎日、お風呂場に抱いて連れて行き(痩せてそれでも24キロの大型犬)、汚れてしまう下半身を洗ってあげるのだが、まったく今が夏でよかった。冬だとすぐに風邪を引いてしまうだろう。
下半身をきれいに洗ってもらって気持ち良くなり、ぬれているので体温が発散されて涼しくて気持ち良くなり、すやすやと眠る。

食が、段々細くなっている。寝たきりになってから、初めてご飯を残すようになった。
こうして弱って行くのだろう。食べてくれる間はそれでもまだいいが、全然食べなくなったら、おそらくは数日以内に死んでしまうだろう。食事は、少しでも美味しいものをと、手作り食に切り替えた。とても喜んでいる。

老犬介護は、家族としての最後の務め。
喜んで、残りの日々を送りたい。


2)自分の仕事のこと
私は一体、何がしたいのだろう?と自問して、ほんとに分からないなあと思う毎日。
何でも出来るような気がするし、何でもいい気がするし、だから何がしたいのか本当に分からない。

でも、そういえば、カウンセラーの仕事は「やりたい!!」と思った人生2番目の仕事だったんだな。最初にやりたいと思ったのは「ゲーム作る仕事」で、それも実現したし、結構長続きした。

次に「これやりたい!!」と思う仕事は何なんだろう。
見つけたらきっと実現出来ると思うんだけど。まだ出会っていないのかな。

でも、カウンセリングやグループワークは一生、形を変えてもやって行くだろうなと思う。
人を助ける技術があるのだから、それを役立てられる場面があったら使わない手はないだろうと思う。

あー、旅行したい。どこかに行きたい。人と出会いたい。土地や文化と出会いたい。

そうだ。10月はイタリアに誘われてるんだよな…。
イタリアか〜。いいな〜。。。。

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3月に広島に行った時、乗ったタクシーの運転手さんはとても面白い人だった。

さかんに、三次に移り住まないかと勧める。
知り合いに頼んでやるから、広い畑つきの古い一戸建てを一万円で借りられるぞとか、何なら就職先も紹介してやるよとか、都会にない良さがあるよと売り込みに一生懸命だ。
月一万円の貸家なんて、冗談なのか本気なのかわからないけれど、もしその話が本当なら収入が減るとしても十分に暮らして行けるだろう。

先月もたまたま乗せた北海道の人がこの運転手さんの紹介した家に引っ越し、福祉関係の仕事も紹介してもらって、北海道から広島の三次に越してきたという。

「おじさんはどうしてそんな事をしてるんですか」
と訊ねると「そりゃー、ただうれしいが。」とゲラゲラ笑った。

言葉通り信用するにはちょっと危ない感じもしたけれど、試しに信用してしまって乗るのも面白い話だった。

車がないと暮らせないほどの田舎だけど、それくらいの田舎なら、こんな話もまだあるんだなとちょっと感心した。田舎の人は、出来るだけ多くの人に移り住んでもらいたいんだろう。人口が減る一方なのだから、若い世帯に住んで欲しいと思うのは、まあ確かにごく自然な気持ちなのかも知れない。

「おじさんは、顔が広いんですねえ」
「まーこんな仕事しとれば、そこら中の人間が知り合いになるよな」
と嬉しそうに言う。
「それで人の世話を焼くのも好きなら、ますます知り合いが増えるでしょうね」
「あー、こうして新しい人に出会ってなーそんで仲よくなるんだよ、わしゃそれが楽しみさ」

人と出会うのが楽しい、という人にあまり悪い人はいないように思う。

田舎をのんびり旅しながら、日本中の田舎を訊ねてみるのもいいんじゃないかな〜と思った。
執筆業で収入が見込めるようになったら、多分、私は田舎に家をもつだろうなと思っている。

書斎と、電話とFAXとパソコンとインターネット。
これだけあればどこででも仕事が出来るだろう。
出来るだけ早めにそうなりたいものだ。




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