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2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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能古島は、子供を連れていくレジャースポットとしてかなり優れている。
離島だから、何だか、近いのに遠くまで出かけたような気分になる。

福岡市内と気温も空気も同じはずだけれど、能古の風はとてもきれいで、気温も空気のきれいな田舎のように、夏はより暑く、冬はより寒く、季節がはっきり分かるような気持ちになる。
アイランドパークへ行けば、福岡市を対岸に望み、博多湾を一望する芝生の上でピクニックできる。

子供はうさぎ園でうさぎにえさをあげるのが大好きだし、楽焼で絵付けも楽しい。

船で渡るしかないので、たった10分だけど船旅をしていく場所。
だから、非日常のスイッチが入りやすいのかもしれない。

そして、能古で私が大好きな場所がまた一つ増えた。
レストラン「オーシャンズキッチン」である。
オーナーの作るフレンチももちろんなかなか素晴らしいものだし、おそらくアラカルトでお財布を気にせず色んなものをオーダーすればかなり満足できるランクの料理が出てくると思う。
先日は、ランチ2700円のコースを張り込んだ。これでもランチなのでかなりお得な値段設定だ。

高目の価格設定なのだから、美味しいものが出てくるのは当然として、私が何より気に入ったのは、このレストランのロケーションと、オーナーシェフの人柄が醸し出す、ものすごく上質なホスピタリティだった。テラスのイスに座って、海を眺めながらビールやカクテルを飲んでのんびり過ごす、それだけでもう、ここの価値は5割増しだ。

こどもが遊べる小さなプレイパークを庭に作っていたり、とにかくお客がのんびり出来るようにという配慮が行き届いている。

オーナーシェフはたいへん気さくな人で、お客さんとおしゃべりするのが大好きな人だった。
私たちもシェフとひとしきり美食談義に花を咲かせた。ここを建てる時の苦労話や、離島での開業の裏話など、訊ねもしないのに冗舌に話してくれる本当に人好きそうなシェフだった。
本当に、好きで、楽しんでこの仕事をしているという感じが伝わってくる人だった。
このシェフなら、お客のわがままに応えるのはむしろ喜びと感じるだろう。今度はメニューにないものをあらかじめ電話で相談してお願いしておこうと思う。

こういう場所は本当に親しい人にしか教えたくない、秘密の隠れ家だ。
夫に「今度家出したら、ここにいると思うよ」と冗談で言った。


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唐突なんですが。
好きなんです。生春巻。

毎日一回、生春巻でもいいくらい好きです。
だから、これにハマって以来、生春巻の皮を切らした事がありません。
久山のコストコに行って、生春巻の皮をどっさり買ってきます。
コストコは、皮を仕入れる為に会員になっているようなものです。

最近は、ちょっとおしゃれなデリカにはたいてい生春巻が売ってますね。
色々買って、食べてみました。

でもどれも全然美味しくありません。
売られている生春巻は、中身も少なく、ゆるっと巻かれていてなんとなく食べたところで大した事ない感じ、平易に言うと「しょーもない感じ」がします。

私の生春巻は、母(夫の母=義母)の研究の結果生み出されたスーパーレシピです。

母はとんでもない研究肌の人で、一度興味を持つとそれが何であれ、本当に一流の研究者に変身します。生春巻を私が一度作ってあげると、それを気に入った母はことあるごとに春巻を作り始めました。そして中身も色々試し、タレもあれこれ作り、ついに「これが一番美味しい組み合わせ」という完成レシピを作り上げたのです。
私たちは母が作る度に味見と称して何度もご馳走になり、ますます生春巻の魅力に取りつかれていったのでした。

この母の作った完成レシピを、手近に入手できる材料で作っているのが、我が家の生春巻です。

生春巻には、美味しい食べ方もあります。それは一本丸ままをかじりついて食べる、という食べ方。
カッパ巻きのように、短くカットしてみたこともあります。その方が食べやすいかと思ったのです。ところが、これが全然逆でした。一口サイズにカットされた生春巻は、味わいが半減するのです。
口に入れやすいかわりに、歯でざくっと噛みしめる快感がへり、生春巻らしい味わいが損なわれてしまったのです。

食べ物というのは本当に面白いですね。
エンターテインメントだと思います。

大好きなんですが、作るのは色々面倒くさいのです。
誰かがこのレシピ通りに作ってくれるなら、本当に、毎日食べたい食べ物です。

●●●おまけ
我が家では、生春巻を作る時は、ご飯も他のおかずもなしです。
ただひたすら、山盛りに作った生春巻を、みんな素手で握って、もりもりと食べる。
もぐもぐ食べる。むしゃむしゃ食べる。はらぺこあおむしのように食べる。
そして、春巻山を克服したら、全員ぶはー、と満腹あおむしになってごろごろする。
という具合です。

栄養のバランスもかなり良い、ヘルシーフードでありながらこの満足感はすごいです。
生春巻LOVE。

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春は桜が咲くころも素敵だけれど、暑くなったり寒くなったリを繰り返しながら徐々に初夏へ向けて季節が進んで行くと感じる頃が好きだ。

昨日は雨、そして今日は快晴。
たくさんのとんびが上空を舞っている。
きまって良く晴れた日のお昼前、家庭裁判所上空に、とんびが集まって集会をしている。

風はまだ冷たく、日差しは暖かい。
こんな春の日が大好きだ。
福岡には、風が吹く。
港に向かって開いているこの街の風は、横浜とよく似ている。

風の中に、海の匂いが混じっている。
この風が大好きだ。

早起きして、娘に朝ご飯とお弁当を作る毎日の中で、季節が確実に通り過ぎていく。
気づけば、もう4月も残り1週間。
早いなあ…。こうしてどんどん人生は飛ぶように過ぎて行く。

私はあとどれくらい生きるんだろう。
毎日それを思わない日はない。
この人生、私が成すべき事で、まだ達成していない事は何なのだろう。

春の風が心地よい。
今死んでしまっても、この風に吹かれて幸せを感じるだろうと思う。

ある意味、毎日がありがたい。
毎日が新しい。
今日、人と出会い、一緒にワークし、その人の人生の石ころの一つになれたことが嬉しい。
子供が元気で、笑顔で学校から帰り、宿題をそばで見たり聞いたりする事は幸せだ。

毎日、毎日、命があることが本当に奇蹟だとおもう。
また春を越え、夏を迎えようとしている。


生きてるって いいなあ

それだけで いいなあ

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私はコーヒーも紅茶も大好きで、毎日何杯か飲む。

スタバにハマってから、引きたて、入れたてのエスプレッソがいかに美味しいかという事に目覚めてしまった。
これまで飲んでいたコーヒーは一体、ナンだったのだろう、私はコーヒーの味などろくに分からず飲んでいたのではないか、とさえ思った。

毎日スタバに通っても、月に一万円以内ですむのだが、出かけなくても飲めたらいいなあ、と思っていた。
ある日、ヨドバシカメラに事務用品を買い出しに言った時、何気なくエスプレッソマシーンのコーナーに迷い込んだ。見ると、様々な機種が並び、日曜日だったせいだろうか、実演試飲までしているではないか。エスプレッソは抽出の際に高圧をかけるのでマシンは結構ものものしく、普通のコーヒーメーカーよりずっとメンテナンスが面倒なのだ。ほとんどの場合、憧れでマシンを買って、メンテの面倒さに気を削がれてお蔵入り、というコースを辿る。
いろんなマシンを比較して、値段などつらつらみながら、「うーん、衝動買いするには高いなあ…」などと思いながら買うつもりなく眺めていると、「ご試飲されませんか?」という販売員の声がかかった。では遠慮なく、と頂く。

ふうん、いい香りだなあ、などと思いながら試飲。メンテの方法や豆のコストなどいろいろ訊ねる。

飲み終わって、別のマシンの説明書を読んでいると、また別のメーカーが試飲を勧めている。
何だかとても高級そうなイメージのマシン。販売員もヨドバシにいるのが不自然なほど、品の良い制服を着ている。高いんだろうなあ…と思いながら、試飲。

一口飲んで驚愕した。
これまで口にしたどんなコーヒーより美味しい。
ええ〜っこれなあに〜!?と心の中で叫んだ。

あまりにも美味しくて感動し、マシンの低価格に感動し、メンテナンスの簡単さに感激し、コストパフォーマンスに納得し、ついにこのマシンを拒絶する理由がなくなってしまった。

はい。衝動買いです。

一杯80円未満で、世界最高級の豆を使用し、バリスタが淹れるものとまったく同様の素晴らしいエスプレッソがご家庭で味わえる。

ここまで言ってるのでメーカーの名前を逆に言えなくなった(笑)。
宣伝になるので、どこのものか知りたい方は推理してみてください。
ヒントはスイスのメーカー、日本でも知らない人はいないでしょう。
多くの商品がお菓子コーナーに並んでいる有名な会社です。

どうしても知りたい人はメール下さい(笑)


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すっかり寒くなった。

子供に毛布を新しく買ってあげた。

ファンヒーターを出した。

自分のベッドを冬仕様に変えた。

犬が布団に入ってくるようになった。

犬臭いので犬を洗濯した。

犬がいい匂いのでっかい湯たんぽになった。

夏の服をしまい、冬の服を出した(遅い)。

すっかり木々が紅葉した。

子供と落ち葉を拾った。(秋みつけの宿題)

福岡城跡と護国神社を散歩した。

冷たい風が気持ちいい。

冬は大好き。

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このブログでは私の内面を含め 全方位で何でも公開アリという事にしているが思うさまをダイレクトに文章にしている訳ではない。それなりに読んでいる人がいる訳で、その人たちに理解不能な難解な文章を書いたりしたら悪いと思う。
 難解な文書は嫌いではない。だが自分が難解な文章を書くことには抵抗がある。たとえば、もちろん読んで意味はわかるが、敢えてそんな難解な言葉をこの文脈に置かなくてもいいじゃないかと思うような文章だと、「読み手の上位、優位に立ちたい」という「書き手のコンプレックス」が透けてくる。平易な表現では自分に箔がつかないと思っている事がありありと見える安っぽい難解文に出会うと、痛々しいというか、気恥ずかしいというか、なんともいえない気分になる。

それで、自分は常に努めて読み手を意識して平易に書くことにしている。これは私の文章を書く上でのポリシーみたいなものだ。

世の中の、「ものによって」は、読み手の読解力を試し、分からない人には分からないでいいという書き方もあるが(保険の約款みたいに)、それはやっぱり高飛車ではないかと思う。書くからには、読む人が理解できるよう工夫を凝らすのは、礼儀というか、書き手としての姿勢の問題だと思う。

さて、私は昔から文章を書くのはまったく苦ではなかった。
何才くらいから文章を書いているかというと、私は一切の英才教育や早期教育を受けていないので、普通の人となんら変わらず、小学校で文字の書き方をならってからだ。
文字を読む方は、新聞を読む祖父の横で絵本を読んでいるうちに小学校前から自然に覚えていた。だが書き始めたのは小学校からだ。

それでも、小学校1年の2学期、担任から「国語に関しては、すでに小学校6年生並の能力があります」と言われた。6年生レベルどころか実は普通の新聞に出る漢字の7〜8割は読めていた。語彙力はおそらく中学生レベル以上だったのではないかと思う。私は本を読む時はいつも祖父のそばでだった。だから祖父に、「これなんて読むの?」「そしゃくってどういう意味?」という質問を頻繁に浴びせた。祖父は飽きずに答えてくれていた。

小学校時代は特に本をよく読んだ。暇がたくさんあったので、読めたのだ。図書館にある本を在学中のどの生徒よりたくさん読んでいた。かなり自信があるのだが、その小学校において、もしかして歴代一位ではないかしらん?

やがて2年生ごろになると、作文の課題が出されるようになる。たいてい、作文用紙1枚とか2枚という文量の指定がある。国語の時間内に30分、作文を書く時間などが与えられる。だいたい5分くらいで書き終わってしまって、えらく暇なので、暇つぶしに指定の文章量きっちりにする遊びを自分で考え出してやっていた。指定されたマス目をぎりぎり1杯をきっちり使って書くという事が一つのゲームだったのだ。そうでもしないと、学校は退屈すぎた。

担任が私の作文を勝手にコンクールに出す事もしばしばあった。
しらないうちに賞をもらっていた。一度は、県知事から直接賞状とメダルをもらったこともあるのであれは結構大きなコンクールだったのではないだろうか。

それならと一度自らコンクール用に力を入れて書いた作文を提出した。
するとあっさり落選した。私は驚愕した。適当に書いている作文が難なく入賞するのに、自信たっぷりだった力作が落とされるというのはどういう事か。職員室に行き、理由を担任にたずねた。「ああ、あれね。きっと大人が書いたものだと思われたのよ」と言われた。

子供らしからぬ難解な言い回しがふんだんに使われ、倒置法、隠喩などの小学生にしては高度なテクニックが盛り込まれていた文章だった。しかし当時の私は、自分が読んでいる本(主に推理小説や伝記など)に書かれている文章が基準だったので、それくらいの文章が一番自然だったのだ。作家のような言い回し、文学的表現を自然に模倣して使うようになっていたのだった。

初めて小説を書いたのは、小学校3年生の時だった。
壮大なストーリーの冒険小説で、我ながら子供らしい夢のある内容だったと思う。だが完成しなかった。当時の私には、えんぴつで文字を書くことがもどかしくて、耐えられなかったのだ。頑張ってはみるものの、作文用紙5枚、10枚といけば手が腱鞘炎になりそうなくらい痛い。それなのに、書かれている内容は頭の中で書き終わっている内容の百分の一にもならないのだ。
つまり、アウトプットする手段がえんぴつによる筆記だったので、長編小説は無理だったのだ。

中学の時、学年主任だった国語の教師にものすごく嫌われた。
私の能力は彼から謂れの無い批判を受けた。試験の点数は最高点なのに、国語の成績で5(最高点)の評価をもらえなかったのは初めてだった。彼は私がどれほどいい点を取ろうとも、私には5を与えようとしなかった。理由は分かっている。私が与えられた作文課題の中で、教師と日本の教育システムの批判を展開したからだ。私としては生徒側からの提案と問題提起をしたに過ぎなかったのだが、彼には強烈なシステム批判と映ったのだろう。その作文を見た彼は、明らかに苦々しい顏をしながら「君は考え方が根本的に間違っている」と言いながら、作文用紙を私に突き返した。顏には「お前は、生意気なんだよ」と書かれていた。それ以降、中学時代、国語で5をもらえることはなかった。
学校がとても面白くない処に変わった。

(暗黒の高校時代は長くなるのでまたの機会に。)

18才の時、ワープロを入手してから世界が広がった。
キーボードのブラインドタッチはあっという間に覚えて、いくらやっても手が痛くないことに感動しながら、また書くことに熱中した。童話をいくつかと、小説をいくつか書いた。だが発表する場のない、読み手のいない文章はむなしかった。

19才の時、交通事故に遭った。その慰謝料85万円で、迷わずマッキントッシュを買った。まだまだパソコンが高価な時代にあって、国産のNEC製PC95(30万くらい)ではなく、ヤッピー(アメリカの富裕層)の持ち物と言われたMacintoshSE(75万)を購入したあたり、やはり私は相当の変わり者だ。

そして、日本に会員制ネットワークniftyサーブが誕生した。私はその初年度会員だった。そのころ、niftyに入会している人は周囲にはまったく居なかった。ネットの世界はごく一部の限られた人たちだけが利用している時代、私はネットの中でやっと、語り合う人が出来た。いくらでも難解な文章を理解してくれる人たちに出会えた。私の年齢を言う必要のない、自由な世界だった。書いた文章による発言だけで、私を評価してもらえた。生まれて初めて、自由にものが言えた。
福岡でMac関連の雑誌を発行している事務所でアルバイトし、パソコンに関する記事を書いていたこともある。読者投書コーナーも担当した。
私の親は、この当時の私の活動に関して、まったく知らないだろう。

さて、ところで、
文章を書く時に、かつて第一の肉体的苦難はペンを握って動かすことだ。それはパソコンのキーボード入力によって圧倒的に軽減された。それと、文章を書く時の第一の精神的苦痛は、(私にとっては)出力が遅すぎるという事だ。考えている速度に、出力が追いつかない。じれったい。ペンで書いているのでは新幹線とアリくらいの速度差があって、じれったさでもだえ死にしそうである。これもキーボード入力と漢字変換ソフトによって大幅に軽減された。

しかし実はそれでも、まだ、出力速度の遅さにはいらいらする。
考えていることを、考えている速度のままで出力する装置が開発されたらどんなに嬉しいかと思う。SFの世界で、脳に直接プラグを差し込んで、考えるだけでいろいろな装置を操作したりするシーンが登場するが、あの脳プラグが開発されたら、自分も装着したいかも…と思ってしまう。

脳プラグが開発されて、高IQ者の脳に装着したら、ノーベル賞ものの発明は飛躍的に数が増える。これは間違いない。

ところで、この文章を書く能力を活かして、作家になったらいいんじゃないかと昔から考えていたのだが、私はどうもフィクションは書く気になれないのだ。
私にとっては、作り話より現実の話の方がずっと魅力的なので、自分が現実以上の作り話を書ける気がしない。

それじゃあ、ドキュメンタリーでも書いたらいいのかと考えたが、今度は書きたいテーマがまだ見つかっていない。

今一番書いていて楽しいのは、自分というテーマだ。
こうして自分の半生を振り返り、自分の過酷だった環境や自分が社会に馴染めなかった当然の理由について振り返る機会を持ち、深く考察する時間を持てるのは本当にありがたい。
だからこのブログが今のところ一番、書いていて楽しい。

それから、今思いついたのだが、「依頼されて書く」事はとても楽しい。
思えば、このブログもみさちゃんに依頼されて書き始めたのだったな。

私はこのブログは自分では人には紹介していない。
だからこのブログを訪れる人がどんな経緯でやってくるのかというと、ほぼ口コミ以外にないわけだ。どんな人がどのくらいくるようになるのか、それも秘かに見守っている。誰も見ないようになれば、自分が飽きた時点で閉鎖するつもりだ。今は誰も見ていなくても、自分の中を整理することに極めて効果的なので楽しく書いている。

依頼されて書くことは楽しいので、誰か私に書いて欲しい事があればご自由に言ってみて下さい。
書くと保証はしないけれど、面白いと思えることは積極的に書きます。


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日常を離れ
出来るだけ自然の豊かな場所で
自分の為だけに時間を使う

という機会は 人生の中でもっとも豊かな時間の一つだと思う。

私の場合は今のところ、宿泊型のワークショップに参加するか、そのワークショップを主催するか、という事である。

いろんなワークショップに参加してきたが、そこで出会う参加者から感じるのは、「自分自身に対する誠実さ」「人生への真剣な態度」だ。
癒しというキーワードで多種多様なサービスが提供されている現代で、営業キーワードに流されて温泉や旅行に行く事と、自分の意志でワークショップに参加する事は、「自分の人生に対する真剣さ」という点で一線を画すると思う。

ワークショップは、人生の学びであり同時に遊びでもある。
新しい自分に出会ったり人と出会ったりする事は喜び以外の何者でもない。
学びとは可能性を発見することだと、フリッツ・パールズは言い残した。

さてワークショップを主催する側として私が追及しているのは、参加者がコミットして確保してくれた限られた時間の中で、いかに豊かな「何か」が出現するように場を創造するかという事に尽きる。
私が今開催しているのはわずか2泊3日のワークショップだ。10日などの長いものは長いなりの苦労があると思うが、2泊3日という極めてコンパクトな時間で「参加してよかった」と思える内容にする責任を負うのは、恐ろしいほどの真剣さを要求される。

まず一番に重要なのは参加者の輪を形成することをいかに達成するかだ。
すべての人が自分のペースでいていい、自分を優先していい、という条件の元、それでも完全に他者を無視するのではなく、自然な形で他者をいたわる事のできる「人間としての特性」を引き出す事がポイントだ。利己的と自己中心の違いを明確に指摘できるスキルが要求される。

そして、多くの人が、他者を思いやる時には自分の事を忘れてそっちのけにしてしまう。人の事を優先して自分自身をないがしろにする。その結果自己価値を下げ、あるいはへとへとに疲れてしまうという事を人生の中で繰り返している。

だから私のワークショップでは、自分を世界でもっとも価値のある存在として尊重することと「同時」に、他者へもいたわりや優しさを発揮する姿を目指している。

今回のワークショップで私を心から感動させたのは、参加者が互いをいたわり、本当になんの力も加えられない自然な状態で、自分の中から溢れてくる思いで人の事を考えて行動することが一度に実現した瞬間だった。
彼らは、その瞬間、間違いなく世界で一番美しい存在だった。

過去に傷つき、自分として生きることを許されず、または人のために生きて、傷だらけの彼らだった。そんな彼らが自分に誠実に向き合う時、まず自分自身を優先することを懸命に行う。それは彼らにとって不慣れな事なのだ。だからこそ懸命に、エネルギーを傾けて行わなければならない。そして、他者も自分と同じように「自身との対話」をしていると知っているからこそ、邪魔をしたくないのだ。どのくらいの距離で、どのくらいの関係を持ち得るかを計りかねて、他者に対して慎重になっていく。
静かな静かなグループだった。食事の後はお通夜のようだった。
だがそれを壊さず見守る事を選択した。彼らに外部から力を加えて仲良しグループを演じさせてはならないと判断した。エネルギーは静かに、しかし確実に蓄積されているように感じた。

決壊が起きた。
それは一人の「これ以上自分に向き合う事は怖い、もうやめてしまいたい」という心からの訴えに始まった。それを引き金に次々と参加者は極めて正直な気持ちを「場」に出すことを始めた。
この瞬間が、ホットスポットだった。

溶解していく。次々に、一人ひとりの中で壁が、鎧が、他者への怖れが、溶解していく。自分に向き合うことに怯え、助けを必要としている者への愛が出現した。救済が始まった。それはどこにも犠牲のない、きわめて純度の高い愛だった。

この場が完全な安全であることを、全員が確信した。
そして全員が自分自身の奥深くにより向き合い、出会い始めた。
自分が自分に対して何をしてきたか。そして今この瞬間にも何をしているか。
彼らはそれにより精密に出会い始めた。安全だからだ。
「責められる可能性」を最小に出来たからだった。

心理学的なアプローチは、様々開発されている。
どれも効果的だし有用だと思う。

しかし愛が先ず、すべての前提としてそこにある事。それが何よりも早い。最高の結果を出す。私はそう信じている。

自分に対する愛。他者への自然な愛。信頼すること。

愛ある処に すべてが実る。


彼らと過ごした3日間を、私は誇りに思う。
彼らは間違いなく素晴らしい人々だった。



「幾百の生を終え 今を生きるすべての命へ
 今生こそ 完全なる無防備に留まり
 与えられる愛のすべてを受け取ることが出来ますように」

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