2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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何だか何度も目が覚めて、眠れない。
こういう時には寝ようとするのをあきらめる。
うまく行かないことを行かせようとすると 自分の中で摩擦が起きて 新たな苦しみを作り出すことのほうが多い。だから、こういう時には 「私は眠くなるまで寝ようとしない」と決めてベッドを這い出す。
夜に考え事をするのは たいていネガティブな結論に転げ落ちるので好きではない。
実際、眠れない事だってうまく行っていないわけで、気分は何となくハナッから
ブルーである。ちょっとため息モードで起きてきて、さあ なにしよう?
考え事は、今は却下。
それで、戯れにIQテストなど。
http://www.iqtest.dk/main.swf
このテストはかなり信頼性の高いものだそうだ。英語が読めなくても大丈夫。テストの内容は国籍や教育レベルに関係なくその人の生涯変わらないIQを測定するよう設計されている。
平均が100なので110あれば十分優秀だ。
問題を解き始めると理論脳が活発に動き始め、血液がそっちに重点的に回される
ためか、感情脳がすーっと落ち着いていくのが分かる。
不快な感じも不安な感じも全部消えていく。
そして論理的な思考、純粋に知能を活動させる楽しさに没頭していく。
分からない問題に突き当たるのも好きだ。
解けない問題はない、という信念をもってあきらめずその問題を眺める。
目を閉じて考え続ける。するとその問題の解法がまるで天から何か降りてきたよ
うにすーっと見える事がある。この時の降りてくる何かは、ひらめきであって、
この類いの問題はひらめかない限り絶対に一生解けないようになっている。
その瞬間、あ、そっか。そうかそうか!と脳はとても気持ち良くなる。
いわゆる、「アハ体験」の究極版である。
子供の頃は、こうして「分からないことにじっくり取り組む」という姿勢が出来
なかった。大人になるというのは実際、本当にいろいろな事が育つのだなあとし
みじみ思う。
私は趣味として、こういう問題を解くことそのものが好きだ。
で、こういう遊びをして満足したので寝ようかなと思いながら一度パソコンを閉
じた。真っ暗な部屋の中、犬も子供もぐっすり眠っている。
ふと今の気分を書き記しておきたくなってこのブログを書くことにした。
自分の能力を活かして生きていくというのは どういう事だろうと思う。
今日、夫がネットで評判の米を玄米で仕入れてきて、それを精米したいと言い出
した。二人で精米所を探して城南区を彷徨う。
彼が油山のふもとに、コイン精米所が一件あるはずだという。
その場所に行こうという事で出発。
でも出発してから、彼がろくにそこの場所を特定せずに車を走らせていることに
気づく。
その場所は、3日前に彼がネットで探し当てた時に私に地図を一瞬見せてくれた
のだが、その時点では私は別にそこへ行くつもりはなかったので、「ふーん」と
3秒だけ何の意識もせず画面を眺めたに過ぎなかった。
「ちょっと、これは無理だよ。情報が少なすぎる。出直そうよ」
車の助手席で、私は彼が自分で地図を印刷するなり覚えてくるなりしなかった事
をなじる。でも彼は駄目もとでと、油山のふもと付近をぐるぐる走り続ける。
どうしても今日精米して、今晩、この米を食べたいらしい。
やれやれ、と、しかたなく、彼の為に精米所探しに協力することにする。
闇雲にぐるぐる走ったからといって見つかるようなものじゃない。
スーパーや郵便局を探すのとは訳がちがう。
こういうレアなものを探すには探す手順というものがある。
3日前、3秒見ただけの画像。
数少ない彼の持つ情報。
それらを合わせて、目的の精米所にたどり着いた。
多分、私が協力しなければ彼は絶対にここを見つけられなかっただろう。
これも自分の持つ能力を活かして生きることの一つの例だ。
私は今、たまたまカウンセラーという仕事をしているが そもそも、この仕
事も出来るからやっているだけだ。他にも出来る仕事はたくさんあるだろう。
だいたいに置いて、仕事で頼まれてやれない事の方が限られているのではな
いかと思うくらい、私はどんな仕事でもこなす自信がある。
けれども、出来ることと続けられることは別々の能力だ。
ほとんど何にでも興味を示すかわりに何でもすぐ飽きる事が特徴のこの私が、
今もこの仕事を続けてきたのはやはり好きだからなんだろうと思う。
仕事には飽きるけれど、人には飽きない。
人の心はみんな、一人ひとり違うからだ。
他に私はこれからの人生の中でどんな事を仕事にするんだろうか。
海外に行って支援活動に身を投じるのもいいなと思う。
どこかの離島で宿泊施設か食堂なんかをやるのもいいなと思う。
何かの国家資格を取って(学校に行き直すのは嫌なので多分学歴不要の弁護
士などになるだろうけど)それを活かすのもいいなと思うし。
これは自分がやるしかないんじゃないか、と思うようなことに出会ったら、
私はその世界に飛び込むような気がする。しかもその世界に永住する気はま
ったくない。
私は生まれながらにして 定住しない人間のようだ。
ずっとどこかを移り続けていく。
大きく言ってみれば、この地球全体が、自分の生涯の遊び場のような感じを
もっている。私は多分、死ぬまで何かをして遊んでいるだろう。
私自身は留まらないという性質だけれども、私が作ったものは出来るだけ存
続させてあげたいという気持ちはとてもたくさん持っている。
たとえば、今やっているNPOは私が居なくなっても活動を続けていくように
育てて行きたいと思う。私が居なくても誰かが代りになれるようにと思う。
喫茶店をオープンしたら、その喫茶店に私が毎日居なくても、そこは経営的
に成り立つように仕組み作りをして、後は誰かが働く場になればいいと思う。
私は多分、大金を手にしたらその金を元手にして出来るだけ大勢の人が何か
を得る事のできる仕組み(事業)を興すだろう。
そして私が手放しになってもその仕組みの中で人々が働く場を得、サービス
を得ていくようになる事を前提に仕組みを作るだろう。私の権利はその仕組
みの中で上がる純利益の数パーセントで十分だという気持ちだ。
簡単に言えば、利益を出せる店を10店舗作って、そこの純利からわずかづ
つもらえればそれだけで生きていけるだけの最低のお金は集まるからだ。
私はそういう仕組みづくりで生きていけるし、仕組みの中で生きていけるだ
けの報酬を得る人たちも生まれる。
私が一人で生きていくのはそう難しいことじゃない。
だから独り立ち出来ない状態の家族を生かして支えるのは私の役目なんだろ
うと思う。
私にとって仕組み作りを考えるのはそう難しいことじゃない。
だから他の人にも生きていくチャンス、活躍できる場をたくさん作ってあげ
たい。
あとは私に大金のチャンスがあるかどうか、だなあと思っている。
宝くじ、当たらないかなあ。
とりあえずそうねえ、一億あれば結構、楽しめるんだけど。
こういう時には寝ようとするのをあきらめる。
うまく行かないことを行かせようとすると 自分の中で摩擦が起きて 新たな苦しみを作り出すことのほうが多い。だから、こういう時には 「私は眠くなるまで寝ようとしない」と決めてベッドを這い出す。
夜に考え事をするのは たいていネガティブな結論に転げ落ちるので好きではない。
実際、眠れない事だってうまく行っていないわけで、気分は何となくハナッから
ブルーである。ちょっとため息モードで起きてきて、さあ なにしよう?
考え事は、今は却下。
それで、戯れにIQテストなど。
http://www.iqtest.dk/main.swf
このテストはかなり信頼性の高いものだそうだ。英語が読めなくても大丈夫。テストの内容は国籍や教育レベルに関係なくその人の生涯変わらないIQを測定するよう設計されている。
平均が100なので110あれば十分優秀だ。
問題を解き始めると理論脳が活発に動き始め、血液がそっちに重点的に回される
ためか、感情脳がすーっと落ち着いていくのが分かる。
不快な感じも不安な感じも全部消えていく。
そして論理的な思考、純粋に知能を活動させる楽しさに没頭していく。
分からない問題に突き当たるのも好きだ。
解けない問題はない、という信念をもってあきらめずその問題を眺める。
目を閉じて考え続ける。するとその問題の解法がまるで天から何か降りてきたよ
うにすーっと見える事がある。この時の降りてくる何かは、ひらめきであって、
この類いの問題はひらめかない限り絶対に一生解けないようになっている。
その瞬間、あ、そっか。そうかそうか!と脳はとても気持ち良くなる。
いわゆる、「アハ体験」の究極版である。
子供の頃は、こうして「分からないことにじっくり取り組む」という姿勢が出来
なかった。大人になるというのは実際、本当にいろいろな事が育つのだなあとし
みじみ思う。
私は趣味として、こういう問題を解くことそのものが好きだ。
で、こういう遊びをして満足したので寝ようかなと思いながら一度パソコンを閉
じた。真っ暗な部屋の中、犬も子供もぐっすり眠っている。
ふと今の気分を書き記しておきたくなってこのブログを書くことにした。
自分の能力を活かして生きていくというのは どういう事だろうと思う。
今日、夫がネットで評判の米を玄米で仕入れてきて、それを精米したいと言い出
した。二人で精米所を探して城南区を彷徨う。
彼が油山のふもとに、コイン精米所が一件あるはずだという。
その場所に行こうという事で出発。
でも出発してから、彼がろくにそこの場所を特定せずに車を走らせていることに
気づく。
その場所は、3日前に彼がネットで探し当てた時に私に地図を一瞬見せてくれた
のだが、その時点では私は別にそこへ行くつもりはなかったので、「ふーん」と
3秒だけ何の意識もせず画面を眺めたに過ぎなかった。
「ちょっと、これは無理だよ。情報が少なすぎる。出直そうよ」
車の助手席で、私は彼が自分で地図を印刷するなり覚えてくるなりしなかった事
をなじる。でも彼は駄目もとでと、油山のふもと付近をぐるぐる走り続ける。
どうしても今日精米して、今晩、この米を食べたいらしい。
やれやれ、と、しかたなく、彼の為に精米所探しに協力することにする。
闇雲にぐるぐる走ったからといって見つかるようなものじゃない。
スーパーや郵便局を探すのとは訳がちがう。
こういうレアなものを探すには探す手順というものがある。
3日前、3秒見ただけの画像。
数少ない彼の持つ情報。
それらを合わせて、目的の精米所にたどり着いた。
多分、私が協力しなければ彼は絶対にここを見つけられなかっただろう。
これも自分の持つ能力を活かして生きることの一つの例だ。
私は今、たまたまカウンセラーという仕事をしているが そもそも、この仕
事も出来るからやっているだけだ。他にも出来る仕事はたくさんあるだろう。
だいたいに置いて、仕事で頼まれてやれない事の方が限られているのではな
いかと思うくらい、私はどんな仕事でもこなす自信がある。
けれども、出来ることと続けられることは別々の能力だ。
ほとんど何にでも興味を示すかわりに何でもすぐ飽きる事が特徴のこの私が、
今もこの仕事を続けてきたのはやはり好きだからなんだろうと思う。
仕事には飽きるけれど、人には飽きない。
人の心はみんな、一人ひとり違うからだ。
他に私はこれからの人生の中でどんな事を仕事にするんだろうか。
海外に行って支援活動に身を投じるのもいいなと思う。
どこかの離島で宿泊施設か食堂なんかをやるのもいいなと思う。
何かの国家資格を取って(学校に行き直すのは嫌なので多分学歴不要の弁護
士などになるだろうけど)それを活かすのもいいなと思うし。
これは自分がやるしかないんじゃないか、と思うようなことに出会ったら、
私はその世界に飛び込むような気がする。しかもその世界に永住する気はま
ったくない。
私は生まれながらにして 定住しない人間のようだ。
ずっとどこかを移り続けていく。
大きく言ってみれば、この地球全体が、自分の生涯の遊び場のような感じを
もっている。私は多分、死ぬまで何かをして遊んでいるだろう。
私自身は留まらないという性質だけれども、私が作ったものは出来るだけ存
続させてあげたいという気持ちはとてもたくさん持っている。
たとえば、今やっているNPOは私が居なくなっても活動を続けていくように
育てて行きたいと思う。私が居なくても誰かが代りになれるようにと思う。
喫茶店をオープンしたら、その喫茶店に私が毎日居なくても、そこは経営的
に成り立つように仕組み作りをして、後は誰かが働く場になればいいと思う。
私は多分、大金を手にしたらその金を元手にして出来るだけ大勢の人が何か
を得る事のできる仕組み(事業)を興すだろう。
そして私が手放しになってもその仕組みの中で人々が働く場を得、サービス
を得ていくようになる事を前提に仕組みを作るだろう。私の権利はその仕組
みの中で上がる純利益の数パーセントで十分だという気持ちだ。
簡単に言えば、利益を出せる店を10店舗作って、そこの純利からわずかづ
つもらえればそれだけで生きていけるだけの最低のお金は集まるからだ。
私はそういう仕組みづくりで生きていけるし、仕組みの中で生きていけるだ
けの報酬を得る人たちも生まれる。
私が一人で生きていくのはそう難しいことじゃない。
だから独り立ち出来ない状態の家族を生かして支えるのは私の役目なんだろ
うと思う。
私にとって仕組み作りを考えるのはそう難しいことじゃない。
だから他の人にも生きていくチャンス、活躍できる場をたくさん作ってあげ
たい。
あとは私に大金のチャンスがあるかどうか、だなあと思っている。
宝くじ、当たらないかなあ。
とりあえずそうねえ、一億あれば結構、楽しめるんだけど。
PR
ずいぶん前からカウンセリングに通っていたクライエントの一人からメールが届いた。
久しぶりに見るその名前に 過去のワークの数々 その人の顔が一瞬で思い出される。
今は関東に移り住み なんと結婚したという嬉しい知らせが その便りにはつづられていた。
私は すべてのクライエントとの最初の出会いを記憶している。その人が来所した時の言葉 表情 声を記憶している。私は服装には頓着しないほうなので服は覚えていないが、意識すれば多分その日来ていた服も、天気や時間も覚えていられると思う。
彼女が初めてきたときに 彼女は何から話せばいいのかと少し困った様子で重い口を開きかねる様子だった。「何から話してもいいですよ」と私が声を掛けると「生きてるのがもうしんどい」と言った。
実に人生に行き詰まり 癒えぬ傷を抱えたまま放浪し 疲れ果てていた彼女だった。
ここに来るまでにどれほどに彷徨ったことだろうか。その時の彼女はとにかくぼろぼろだった。そして人を信じることに格別に用心しなければならない程、人の間で何度も傷つけられていた。いつどこで自殺という手段で自分の苦痛に終止符を打つという事に転がり落ちてもおかしくないほど、命の瀬戸際にいるとわかった。
彼女の深い深い傷が癒える為には 彼女が自身を愛することを開始する必要があった。その場凌ぎのばんそうこうなどすぐに剥がれてしまう。外から暖めてもすぐに冷めはじめてしまう。彼女の内側に自分自身を暖め癒すものが目覚めない限り 深い傷からの回復はあり得ない。自分を愛する為には 彼女の中で小さく丸くなっている光の部分に目覚めてもらう必要があった。彼女の智慧 彼女の愛 彼女の喜びはすべてその部分から生まれてくる光なのだ。
美味しくて暖かいスープを飲んだ時 冷えきった体が内側から優しく そして力強く温まっていくように。
彼女の ワーク中の笑顔をはっきりと思い出せる。そこには彼女が日頃使いこなせないで苦労している 彼女自身の光が溢れていた。
誰の中にも そうした光が必ず存在している。ここに来る人たちはそれを使うことをためらい 怖れ 傷ついているためにどこかにしまい込み そして生きるエネルギーの供給源にアクセスできなくなって 弱った状態になっている。
そんな最悪の状態だった彼女が 今も生きて居てくれる。
幸せをあきらめず、生きて居てくれる。
それだけで十分だ。ありがとうと心から言いたくなる。
出会った人、特にクライエントはみな 私の心の一部になっている。その誰が死んでしまっても私は決して無事ではすまないのだ。二度と会うことがないとしても 彼らの幸せを私は願い続けるだろう。
何があっても生きてさえ居れば 何かに出会う事が出来る。
素晴らしいもの 美しいもの 力強いもの 優しいもの により多く出会うように 自分自身の全てを使って 生きていけるようにと 願い続ける。
美味しく暖かいスープを 召し上がれ。
まずいかもしれないとか 下心があるのかとか 疑うことをやめて
自分自身を救うことに何の躊躇もないあなたであれ と願う。
久しぶりに見るその名前に 過去のワークの数々 その人の顔が一瞬で思い出される。
今は関東に移り住み なんと結婚したという嬉しい知らせが その便りにはつづられていた。
私は すべてのクライエントとの最初の出会いを記憶している。その人が来所した時の言葉 表情 声を記憶している。私は服装には頓着しないほうなので服は覚えていないが、意識すれば多分その日来ていた服も、天気や時間も覚えていられると思う。
彼女が初めてきたときに 彼女は何から話せばいいのかと少し困った様子で重い口を開きかねる様子だった。「何から話してもいいですよ」と私が声を掛けると「生きてるのがもうしんどい」と言った。
実に人生に行き詰まり 癒えぬ傷を抱えたまま放浪し 疲れ果てていた彼女だった。
ここに来るまでにどれほどに彷徨ったことだろうか。その時の彼女はとにかくぼろぼろだった。そして人を信じることに格別に用心しなければならない程、人の間で何度も傷つけられていた。いつどこで自殺という手段で自分の苦痛に終止符を打つという事に転がり落ちてもおかしくないほど、命の瀬戸際にいるとわかった。
彼女の深い深い傷が癒える為には 彼女が自身を愛することを開始する必要があった。その場凌ぎのばんそうこうなどすぐに剥がれてしまう。外から暖めてもすぐに冷めはじめてしまう。彼女の内側に自分自身を暖め癒すものが目覚めない限り 深い傷からの回復はあり得ない。自分を愛する為には 彼女の中で小さく丸くなっている光の部分に目覚めてもらう必要があった。彼女の智慧 彼女の愛 彼女の喜びはすべてその部分から生まれてくる光なのだ。
美味しくて暖かいスープを飲んだ時 冷えきった体が内側から優しく そして力強く温まっていくように。
彼女の ワーク中の笑顔をはっきりと思い出せる。そこには彼女が日頃使いこなせないで苦労している 彼女自身の光が溢れていた。
誰の中にも そうした光が必ず存在している。ここに来る人たちはそれを使うことをためらい 怖れ 傷ついているためにどこかにしまい込み そして生きるエネルギーの供給源にアクセスできなくなって 弱った状態になっている。
そんな最悪の状態だった彼女が 今も生きて居てくれる。
幸せをあきらめず、生きて居てくれる。
それだけで十分だ。ありがとうと心から言いたくなる。
出会った人、特にクライエントはみな 私の心の一部になっている。その誰が死んでしまっても私は決して無事ではすまないのだ。二度と会うことがないとしても 彼らの幸せを私は願い続けるだろう。
何があっても生きてさえ居れば 何かに出会う事が出来る。
素晴らしいもの 美しいもの 力強いもの 優しいもの により多く出会うように 自分自身の全てを使って 生きていけるようにと 願い続ける。
美味しく暖かいスープを 召し上がれ。
まずいかもしれないとか 下心があるのかとか 疑うことをやめて
自分自身を救うことに何の躊躇もないあなたであれ と願う。
彼女はまさに 天使だった。
同じ病室の すべての人の心にある 凍ったものや とがったものを
すべてその身で溶かしてしまうような美しい存在だった。
誰にでも向けられる真っすぐな瞳。
何の垣根もない花がこぼれるような笑顔。
お母さんに会える日には うきうきとしているのが誰が見ても分かるほど
素直な心を何の守りもなく無垢にさらしている彼女。
彼女を見ると 誰もが自分の心に溜まった澱(おり)や傷や汚れを感じずにはいられない。いやそれだけではなく 彼女と一緒にいるだけで 自分の心が美しく洗い流されていく事を感じるのだ。
彼女の容姿がどんなであろうと
その心に何の悪もない事は誰にでもわかる事だった。
彼女はまっしろな紙だった。
透明な空だった。
そしてただ命の限り咲き続ける花だった。
ある晩 いつもなら夜更かしして看護師さんの目を盗んではベッドの中で禁止されているチョコレートを食べる彼女が いそいそと寝支度をしているのに気づいた。
「今夜はもう寝るの?」
私が尋ねると
「うん。明日はね、早起きしないといけないからね。」
病院に居て早起きする何の用件があるのかと少し不思議に思ったが聞きたいラジオ番組でもあるのだろうと気にしなかった。
翌朝 私よりずっと早く起きていたらしい彼女に 朝のあいさつをすると彼女はにっこり微笑んで私に言った。
「見れたよ、見れたよ」
「何を?」
「開くところ」
彼女は病室の窓辺に飾ってある花を指さした。
ユリ科の花が一輪、開いたばかりの若々しい姿で美しく咲いている。
「開く時にね、ぽっ って音がするよ。だから、しーーーーー。静かーに、静かーにしないとね、聞こえない」
口元に指を立て 真剣な目をして教えてくれる。
「ぽっ って。ぽっ っていうよ。」
何度も口まねしてその音を聞かせてくれる。
「じーーーーっと、じーーーーーっと見てないと見られないよ」
まばたきもしないで 目を見開く彼女。
彼女は 知っていた。
彼女だけが 知っていた。
病室に花が開く瞬間を。
そして 花が開く瞬間に 空気を割る音が優しく響く事を。
何時間も、何時間もその瞬間を待って 彼女は優しく真剣に花のつぼみを見つめていたのだ。
ああ なんて
なんてきれいな世界に 彼女は住んでいるのだろう。
私は息をするのを忘れた。
彼女こそは地上にある天使。
彼女は優しいのではない。ただ無垢なのだ。
他人への思いやりに優れているのではない。
ただ生きているだけで その美しさと純粋さで私たちを癒し
忘れてしまった大切なきらめきを思い出させてくれる。
地上にある天使。
ダウン症の彼女。
永遠の子供。
守るべき 比類なき価値ある存在。
同じ病室の すべての人の心にある 凍ったものや とがったものを
すべてその身で溶かしてしまうような美しい存在だった。
誰にでも向けられる真っすぐな瞳。
何の垣根もない花がこぼれるような笑顔。
お母さんに会える日には うきうきとしているのが誰が見ても分かるほど
素直な心を何の守りもなく無垢にさらしている彼女。
彼女を見ると 誰もが自分の心に溜まった澱(おり)や傷や汚れを感じずにはいられない。いやそれだけではなく 彼女と一緒にいるだけで 自分の心が美しく洗い流されていく事を感じるのだ。
彼女の容姿がどんなであろうと
その心に何の悪もない事は誰にでもわかる事だった。
彼女はまっしろな紙だった。
透明な空だった。
そしてただ命の限り咲き続ける花だった。
ある晩 いつもなら夜更かしして看護師さんの目を盗んではベッドの中で禁止されているチョコレートを食べる彼女が いそいそと寝支度をしているのに気づいた。
「今夜はもう寝るの?」
私が尋ねると
「うん。明日はね、早起きしないといけないからね。」
病院に居て早起きする何の用件があるのかと少し不思議に思ったが聞きたいラジオ番組でもあるのだろうと気にしなかった。
翌朝 私よりずっと早く起きていたらしい彼女に 朝のあいさつをすると彼女はにっこり微笑んで私に言った。
「見れたよ、見れたよ」
「何を?」
「開くところ」
彼女は病室の窓辺に飾ってある花を指さした。
ユリ科の花が一輪、開いたばかりの若々しい姿で美しく咲いている。
「開く時にね、ぽっ って音がするよ。だから、しーーーーー。静かーに、静かーにしないとね、聞こえない」
口元に指を立て 真剣な目をして教えてくれる。
「ぽっ って。ぽっ っていうよ。」
何度も口まねしてその音を聞かせてくれる。
「じーーーーっと、じーーーーーっと見てないと見られないよ」
まばたきもしないで 目を見開く彼女。
彼女は 知っていた。
彼女だけが 知っていた。
病室に花が開く瞬間を。
そして 花が開く瞬間に 空気を割る音が優しく響く事を。
何時間も、何時間もその瞬間を待って 彼女は優しく真剣に花のつぼみを見つめていたのだ。
ああ なんて
なんてきれいな世界に 彼女は住んでいるのだろう。
私は息をするのを忘れた。
彼女こそは地上にある天使。
彼女は優しいのではない。ただ無垢なのだ。
他人への思いやりに優れているのではない。
ただ生きているだけで その美しさと純粋さで私たちを癒し
忘れてしまった大切なきらめきを思い出させてくれる。
地上にある天使。
ダウン症の彼女。
永遠の子供。
守るべき 比類なき価値ある存在。
嘘をつかれた。
私は、たいていの人の嘘を許せるほうだ。
なぜなら、嘘をつくとき、人は多かれ少なかれ自分の非を感じていて、その非を責められることを恐れるために「自分の身を守ろうとして」真実ではないことをしゃべることがほとんどだからだ。
嘘だと分かっても、それをことさら指摘しない。腹も立たないし、嘘をつかねばならない事には可哀想に思う。
けれど、今日、嘘をつかれた相手に、私はとても不快な感じを持っている。
A氏から、私に出張する仕事を依頼されていた。数カ月前から何度かコンタクトし契約書を交わしていた正式な仕事だった。約束していた仕事に出向くと、A氏は数日前に会社を辞めたといわれ、依頼されていた仕事は当日にキャンセルになった。そんな事はまったく問題ではない。だれしも急に予定が変わることはあるし、転職したい衝動に駆られてやめてしまうこともあるだろう。当日キャンセルされたって、金銭的に折り合いが付くことで解決できるし、相手方の会社が払う意志がなければ些細な金額などあきらめればいいことだ。
ただ、その仕事はA氏の会社との契約を結んだ形になっていたので、A氏が辞めても契約上の責任者は会社ということになる。会社側から、事後処理のために、明日話にくるということになった。
すると、A氏から慌てたように電話が入り、会社の人が来る前に私に会いたいという。
仕方がないので、今日の昼休みを潰して、A氏のために時間を作った。
何であれ、まあ、言い訳したい事があれば聞いてあげるつもりだった。そうすればA氏は楽な気分になれるからだ。
A氏は私に会うや否や、会社から自分が冷遇されて急に追い出されたとか、知りあいからいい仕事があると紹介されたからとか、言い訳を並べ立て始めた。
私の側にはA氏が辞めた理由を聞く必要はないのだが、彼は私に弁明したいらしく、一生懸命子供や妻もある身なのでなどと、私に同情を求めてくる。
仕事のどたキャンについての言い訳も始まった。それも私にはどうでもいい事だった。別に腹も立てていないし、謝ってもらう必要もなかったが彼がそれで気が済むならと思って会ったまでだ。
私は、「お気持ちはよくわかりましたから、もう結構ですよ」と言った。
ただ、私には気掛かりがあった。彼の会社と契約し、グループワークを数回行った際に、会った人たち(彼の会社の顧客)がいた。彼らは、みんな、大切な家族と死別し、深い心の傷を負った人々だった。私は彼の会社と10年規模の長期契約をしていたので、ずっとグループワークを定期開催する予定になっていた。それで、彼らに「またお会いしましょうね」と約束していたのだった。
実際、どたキャンになった日にも、以前会った人が来ていたという事だった。
「私がお会いした方々、その方々に、私の仕事があなたの元会社では無くなったという事をきちんとご案内して上げてください。私は彼らにまた会いましょうと約束しています。心を開いた状態でした約束は守られなければなりません。はがきでも結構ですから、その顧客には、連絡をして下さいね」とA氏に要求した。
A氏は、「わかりました。会社に話して私の元部下にはがきを書くように言います」と言った。「それでははがきを出すかどうかを、部下の責任にするということになります。私はそれでは納得しません」と返した。
「わかりました。私が必ず、はがきを出すとお約束します」とまじめな表情で、真剣に約束すると言った。
私には それが嘘だと分かった。
過去の行為を隠そうとして嘘をつくのは、ほぼすべてが保身の為なので、私はさして腹が立たない。
しかし、未来、自分がするつもりもない事を、さも真剣に、行うと嘘をつくことは、許しがたいのだった。
それを「騙す」という。
残念ながら、私に彼に騙されるほど隙がなかった。
彼が未来に、はがきを出さないことは分かってしまった。
騙されてしまえば楽なのだが。
つくづく、つまらない人間に関わってしまったと残念に思った。
誠実な人間風の演技、情熱的な人間風の演技、優しい人間風の演技、A氏はあらゆる演技を身に付けた「営業畑」の垢にまみれた人間だった。
彼のふるまいは目の前の人間を丸め込む為に磨き上げられた技術だ。
そしておそらく、自分が演じていることすら、もはや分からなくなっているだろう。自分がした未来への約束を、自分が果たさないだろうという事すらも、自覚がほとんどないだろう。
彼の真実の情熱や、誠意や、愛は、偽物の中に埋没して、本人にもわからないほど垢にまみれているだろう。
この人は、私を騙すつもりなく、そして自分自身さえも欺くつもりなく、常にすべてを欺いて生きている。
今は、彼を気の毒だと思う。
口を真一文字に結び、キッとした視線で一礼する、そんな真剣な表情で、私と交した約束を、彼は、やすやすと忘れるだろう。
怒りは消え、静かな悲しみを感じる。
未来に対して嘘をつかない事は 誠実さにつながっている。
そしてその積み重ねは その人の精神の高潔さを育てる。
気の毒なA氏に 平安があるように。
真実の自分を求める瞬間が 彼に訪れるように。
私は、たいていの人の嘘を許せるほうだ。
なぜなら、嘘をつくとき、人は多かれ少なかれ自分の非を感じていて、その非を責められることを恐れるために「自分の身を守ろうとして」真実ではないことをしゃべることがほとんどだからだ。
嘘だと分かっても、それをことさら指摘しない。腹も立たないし、嘘をつかねばならない事には可哀想に思う。
けれど、今日、嘘をつかれた相手に、私はとても不快な感じを持っている。
A氏から、私に出張する仕事を依頼されていた。数カ月前から何度かコンタクトし契約書を交わしていた正式な仕事だった。約束していた仕事に出向くと、A氏は数日前に会社を辞めたといわれ、依頼されていた仕事は当日にキャンセルになった。そんな事はまったく問題ではない。だれしも急に予定が変わることはあるし、転職したい衝動に駆られてやめてしまうこともあるだろう。当日キャンセルされたって、金銭的に折り合いが付くことで解決できるし、相手方の会社が払う意志がなければ些細な金額などあきらめればいいことだ。
ただ、その仕事はA氏の会社との契約を結んだ形になっていたので、A氏が辞めても契約上の責任者は会社ということになる。会社側から、事後処理のために、明日話にくるということになった。
すると、A氏から慌てたように電話が入り、会社の人が来る前に私に会いたいという。
仕方がないので、今日の昼休みを潰して、A氏のために時間を作った。
何であれ、まあ、言い訳したい事があれば聞いてあげるつもりだった。そうすればA氏は楽な気分になれるからだ。
A氏は私に会うや否や、会社から自分が冷遇されて急に追い出されたとか、知りあいからいい仕事があると紹介されたからとか、言い訳を並べ立て始めた。
私の側にはA氏が辞めた理由を聞く必要はないのだが、彼は私に弁明したいらしく、一生懸命子供や妻もある身なのでなどと、私に同情を求めてくる。
仕事のどたキャンについての言い訳も始まった。それも私にはどうでもいい事だった。別に腹も立てていないし、謝ってもらう必要もなかったが彼がそれで気が済むならと思って会ったまでだ。
私は、「お気持ちはよくわかりましたから、もう結構ですよ」と言った。
ただ、私には気掛かりがあった。彼の会社と契約し、グループワークを数回行った際に、会った人たち(彼の会社の顧客)がいた。彼らは、みんな、大切な家族と死別し、深い心の傷を負った人々だった。私は彼の会社と10年規模の長期契約をしていたので、ずっとグループワークを定期開催する予定になっていた。それで、彼らに「またお会いしましょうね」と約束していたのだった。
実際、どたキャンになった日にも、以前会った人が来ていたという事だった。
「私がお会いした方々、その方々に、私の仕事があなたの元会社では無くなったという事をきちんとご案内して上げてください。私は彼らにまた会いましょうと約束しています。心を開いた状態でした約束は守られなければなりません。はがきでも結構ですから、その顧客には、連絡をして下さいね」とA氏に要求した。
A氏は、「わかりました。会社に話して私の元部下にはがきを書くように言います」と言った。「それでははがきを出すかどうかを、部下の責任にするということになります。私はそれでは納得しません」と返した。
「わかりました。私が必ず、はがきを出すとお約束します」とまじめな表情で、真剣に約束すると言った。
私には それが嘘だと分かった。
過去の行為を隠そうとして嘘をつくのは、ほぼすべてが保身の為なので、私はさして腹が立たない。
しかし、未来、自分がするつもりもない事を、さも真剣に、行うと嘘をつくことは、許しがたいのだった。
それを「騙す」という。
残念ながら、私に彼に騙されるほど隙がなかった。
彼が未来に、はがきを出さないことは分かってしまった。
騙されてしまえば楽なのだが。
つくづく、つまらない人間に関わってしまったと残念に思った。
誠実な人間風の演技、情熱的な人間風の演技、優しい人間風の演技、A氏はあらゆる演技を身に付けた「営業畑」の垢にまみれた人間だった。
彼のふるまいは目の前の人間を丸め込む為に磨き上げられた技術だ。
そしておそらく、自分が演じていることすら、もはや分からなくなっているだろう。自分がした未来への約束を、自分が果たさないだろうという事すらも、自覚がほとんどないだろう。
彼の真実の情熱や、誠意や、愛は、偽物の中に埋没して、本人にもわからないほど垢にまみれているだろう。
この人は、私を騙すつもりなく、そして自分自身さえも欺くつもりなく、常にすべてを欺いて生きている。
今は、彼を気の毒だと思う。
口を真一文字に結び、キッとした視線で一礼する、そんな真剣な表情で、私と交した約束を、彼は、やすやすと忘れるだろう。
怒りは消え、静かな悲しみを感じる。
未来に対して嘘をつかない事は 誠実さにつながっている。
そしてその積み重ねは その人の精神の高潔さを育てる。
気の毒なA氏に 平安があるように。
真実の自分を求める瞬間が 彼に訪れるように。
子供をバスに乗せて学校に送り出した後、そのままコーヒーショップに居座って書き物をするという時間を持てることは、つくづく幸せだと思う。
思えば子供が小学校に上がる前、こんな時間はまったく作れなかった。
保育園で毎朝、涙のお別れをして3年泣きまくった、園始まって以来の泣き虫だったあの子が、今は元気にバスに乗り込み、ぎゅうぎゅう詰めの人混みを押し返すだけの強さを身に付けている。
あの子がこんなに元気に育ってくれたので私は今、こうしてキャラメルマキアートをすすりながら、自分に向かう静かな時間を与えられている。
子供の成長というものは、本当に親を助けてくれると思う。
赤ちゃんの頃、床に横にして寝かせると途端に泣き出し、一日中、抱き続けなければならなかった。産まれた時から4キロの大きな赤ちゃんだった。腕にはあっという間にもりもりと筋肉が付き、ポパイのように力こぶまで出るようになった。横に寝かせられない赤ん坊というものは本当に手を取られる。乱暴に扱う事のできない繊細なものを抱いているという緊張にもくたくたになるし、動きの一つ一つが何もかも不自由で、食事もままならず、気が狂いそうだと思ったことが何度あったか。
寝る時には決まっておっぱいで、添い寝なので寝返りをして押しつぶしてはいけないと緊張している。気を抜いてゆっくり眠ったことが何年もの間、一日も無かった。数年にわたる寝不足というのは、想像を絶するものだった。いらいらしやすいし、すぐに癇癪を起こしたくなる。子育てに縛りつけられるより、仕事に忙殺されている方が10倍楽だと、つくづく思う。
思い返すと、その中でも仕事をしていたのだから我ながら、よく頑張ったと思う。
ずいぶん夫には助けてもらったが、それでも、完全母乳育児を選択した事の影響も大きく、子育ての主体はやはり母親だった。
少しづつ、少しづつ、あらゆる事が楽になっていった。
子供の成長とともに。
一人座りが出来るようになった。
はいはいで遊ぶようになった。
つかまり立ちをしてなんでも手当たり次第つかんでは投げ散らかして遊ぶようになった。
自分で食べ物を口に運ぶようになった。
とことこ歩けるようになった。
少し余裕が出来た今、あの頃を思い出すともう一度あの頃のあの子に会いたいと思う。
10年後、どうなっているだろう。
あの子は17才になり、お年ごろだ。
きっと恋愛なんかして、親をはらはらさせるだろう。
進路に悩んで、反抗して、ぶつかったり、離れたり、またくっついてきて甘えたり、そんなこんなを繰り返すのだろう。
奇妙な服装やメイクに凝ったり、ゲテモノとしか言えないアイドルを好きになったりするんだろう。
不登校になったり、家出したりするのかも知れない。
けれどあの子がこれからどんな問題を起こしても、構わないと思う。
あの子にかかり切りになったこの7年で、彼女はおつりが来るほどの幸せを私に与えてくれた。
彼女はすでに自分で生き抜く力を持っている。
私は彼女を見守るだけでいい。
100万回のキスと抱擁を彼女の人生に送り続けよう。
昨日、縄跳びの後ろ飛びが2回できたと誇らしげに報告してくれた娘へ
思えば子供が小学校に上がる前、こんな時間はまったく作れなかった。
保育園で毎朝、涙のお別れをして3年泣きまくった、園始まって以来の泣き虫だったあの子が、今は元気にバスに乗り込み、ぎゅうぎゅう詰めの人混みを押し返すだけの強さを身に付けている。
あの子がこんなに元気に育ってくれたので私は今、こうしてキャラメルマキアートをすすりながら、自分に向かう静かな時間を与えられている。
子供の成長というものは、本当に親を助けてくれると思う。
赤ちゃんの頃、床に横にして寝かせると途端に泣き出し、一日中、抱き続けなければならなかった。産まれた時から4キロの大きな赤ちゃんだった。腕にはあっという間にもりもりと筋肉が付き、ポパイのように力こぶまで出るようになった。横に寝かせられない赤ん坊というものは本当に手を取られる。乱暴に扱う事のできない繊細なものを抱いているという緊張にもくたくたになるし、動きの一つ一つが何もかも不自由で、食事もままならず、気が狂いそうだと思ったことが何度あったか。
寝る時には決まっておっぱいで、添い寝なので寝返りをして押しつぶしてはいけないと緊張している。気を抜いてゆっくり眠ったことが何年もの間、一日も無かった。数年にわたる寝不足というのは、想像を絶するものだった。いらいらしやすいし、すぐに癇癪を起こしたくなる。子育てに縛りつけられるより、仕事に忙殺されている方が10倍楽だと、つくづく思う。
思い返すと、その中でも仕事をしていたのだから我ながら、よく頑張ったと思う。
ずいぶん夫には助けてもらったが、それでも、完全母乳育児を選択した事の影響も大きく、子育ての主体はやはり母親だった。
少しづつ、少しづつ、あらゆる事が楽になっていった。
子供の成長とともに。
一人座りが出来るようになった。
はいはいで遊ぶようになった。
つかまり立ちをしてなんでも手当たり次第つかんでは投げ散らかして遊ぶようになった。
自分で食べ物を口に運ぶようになった。
とことこ歩けるようになった。
少し余裕が出来た今、あの頃を思い出すともう一度あの頃のあの子に会いたいと思う。
10年後、どうなっているだろう。
あの子は17才になり、お年ごろだ。
きっと恋愛なんかして、親をはらはらさせるだろう。
進路に悩んで、反抗して、ぶつかったり、離れたり、またくっついてきて甘えたり、そんなこんなを繰り返すのだろう。
奇妙な服装やメイクに凝ったり、ゲテモノとしか言えないアイドルを好きになったりするんだろう。
不登校になったり、家出したりするのかも知れない。
けれどあの子がこれからどんな問題を起こしても、構わないと思う。
あの子にかかり切りになったこの7年で、彼女はおつりが来るほどの幸せを私に与えてくれた。
彼女はすでに自分で生き抜く力を持っている。
私は彼女を見守るだけでいい。
100万回のキスと抱擁を彼女の人生に送り続けよう。
昨日、縄跳びの後ろ飛びが2回できたと誇らしげに報告してくれた娘へ
正直な人 というのは嘘をつかない人の事をさす。
私は、正直でありたいと思うし、嘘を付くことは怖いとさえ思う。
嘘は本来、自分の身を守るために作り出してしまうものなので、一度嘘をついてしまうとそれを撤回することは難しい。撤回することそのものが自らを危険に晒すことになるし、嘘をつく直前よりも嘘をついたことにより自分の立場は悪化している。そんな状況の中で危険に身を晒せるくらいなら最初から嘘など付かないのだから。身を守るために、一つの嘘から次の嘘へとつながって、身を守ろうとした事が自分をとことん追い込んでいく。だから嘘は怖い。
弱い自分を最初から晒す事こそが一番危険を最小にしていると、私は体にたたき込んで、嘘を避けている。
父は、子供の嘘を絶対に許さない人だった。
何か隠し事をすると正座させられ、何十分でも尋問された。
「何かお父さんに嘘をついていることがないか」と問われ
「お父さんは何でも知っているんだ。だけど自分の口から言いなさい」とプレッシャーをかけられると、良心の呵責に耐えられずなんでも自分からしゃべってしまった。
たわいのない事ばかりなのだが。
すぐ近所の公園に行くと言って、もっと遠くの大きな公園に行きました、とか。
宿題が済んでないのに済んだと言いました、とか。
遊びに行くと言って出かけたけど友達と一緒に男の子にチョコレートを渡してました、とか。
嘘というほどのものですらない。
けれどわが家には父の権限で下される最高の処罰「冷蔵庫の刑」というのがあり、何でも素直に白状しておかなければ父の逆鱗に触れる怖れがあった。
父の采配次第では業務用の冷蔵庫に入れられてしまうかもしれないという恐怖が常にあった。
「これは業務用だからこの冷蔵庫に一晩入っていると、人間は死ぬ」と父は言った。
つまり、死ぬ危険のある場所に入れられるのだ。実際に何度か入れられた。
子供に嘘はいけない事だと思わせる為に恐怖を利用した父のしつけは、成功したとも言えるかも知れない。しかし恐怖によって植え込まれた「禁止事項」は時に不必要なほど効き目をあらわす。
社会人になった後で、私は自分の思っていることを正直に言い過ぎて社会でうまくやっていけないという経験を繰り返した。言わなくていいことまで言ってしまうのだ。黙っておく、隠しておくということが出来ない。
これは正直というよりただの馬鹿なのだった。
父が私に施したしつけにより、私は馬鹿正直な人間にはなったが、それが社会で必ずしも役立つわけではなかった。むしろ、馬鹿正直さは不器用さであり、融通の利かなさとなって、私の人生を邪魔した面が大きい。
人に聞かれると何でも白状してしまう。自分の事をかくしておけない。なんでそこまで無防備に、赤の他人に晒してしまうのかと自分で情けなくなった事も数限りない。だが聞かれると答えてしまう。心理的な結界が崩壊していたのだ。外から入ってくるものに抵抗することがとことん苦手だった。
人間というものは自分を尺度にして人を見てしまう部分がある。
私は自分が嘘をつかないことに徹底しているものだから、人もそうなんだろうと思い込んでいた。そんな馬鹿な私をおもしろがって、からかう人は少なくなかった。「昨日総理が死んだらしいよ」といわれ「ええーーほんとに!?大変だよね」と私が真に受けるとゲラゲラと笑われた。この手のからかいはよくあって、私は本当に何度それをくらっても疑わない馬鹿っぷりを発揮しては、大いに相手を喜ばせてしまったものだ。
幼い頃から大人にからかわれ、成長してからは友人に、先輩に、上司にとからかわれた。それでも私の中に取り込まれている「人を信じない人間には価値はない」という指令によって、私は何度でもだまされてみせた。「幼稚園児のように信じる」と面白がられた。
今あらゆる情報に裏付けを取ろうとするのは もしかしたらこういうからかいをたくさん受けたせいかもしれない。
父こそが、私をからかう代表者の一人だった。
父の言う事を真に受けないでいると「可愛くない子供」とか「子供らしくない子供」などのらく印を押されそうだった。父の愛情を失うことは恐ろしかった。私は愚かで、純粋な子供を演じ続け、いつかそれが自分自身だと思うほどに上手に自分を偽るようになったのだった。
ゲシュタルトのワークで「話したくないことは話さない」という練習を積んで、はじめてそれが出来るようになったのだが、今でも得意とは言えない。
話したくないことまで話すと自分の中がぐちゃぐちゃに荒れてしまう、と分かっているのに答えないでいることは本当に苦しい。人の侵入を防げないので人と付き合うことが苦痛になる。
話したくないことを聞かれると「答えたくない」で済ませればいいものを妙な理屈を作り出したりして余計に話がややこしくなったりする。ますます人と話す事が苦痛だ。
今、私のもとにやってくるクライエントと過去の私は何も変わらなかった。
自分の出す情報を自ら吟味し、不必要な事は話さないという事が出来るようになって、初めて大人の仲間入りが出来たような気がする。
それは私が、父の前で徹底的に演じ続けた「純粋で騙されやすい娘」の像を脱皮した事を意味していたからだ。
娘は 最初の理想の異性像を父親に求める。
父親を理想の男性だと思って 父を深く愛する。
父に愛されるために、父の望む女性像に近づこうとする。
その女性像のモデルを母親に求め 母親似になっていく。
いずれにしろ私は最初から 私であることを許されてはいなかったのだ。
今、自分が何者であるかを獲得した事は、すべて自分の努力によるものだと胸を張れる。今、彼らは彼らの娘を脱皮した私の変貌ぶりに面食らっている事だろう。
父も母も 私がどういう人間であるかを知らず、わからないままに育てた。誰も彼も、そうなのかもしれないと思う。
しかし嘆くなかれ。
人は必ず自分を見つけ出せる。
迷いも悩みも、その先にある答えは常に「自分自身」だからだ。
自分自身であろうとする人を 私は愛する。
その人の探求の旅を応援し支え続ける。
そのことについて一点の曇りもない。
私は、正直でありたいと思うし、嘘を付くことは怖いとさえ思う。
嘘は本来、自分の身を守るために作り出してしまうものなので、一度嘘をついてしまうとそれを撤回することは難しい。撤回することそのものが自らを危険に晒すことになるし、嘘をつく直前よりも嘘をついたことにより自分の立場は悪化している。そんな状況の中で危険に身を晒せるくらいなら最初から嘘など付かないのだから。身を守るために、一つの嘘から次の嘘へとつながって、身を守ろうとした事が自分をとことん追い込んでいく。だから嘘は怖い。
弱い自分を最初から晒す事こそが一番危険を最小にしていると、私は体にたたき込んで、嘘を避けている。
父は、子供の嘘を絶対に許さない人だった。
何か隠し事をすると正座させられ、何十分でも尋問された。
「何かお父さんに嘘をついていることがないか」と問われ
「お父さんは何でも知っているんだ。だけど自分の口から言いなさい」とプレッシャーをかけられると、良心の呵責に耐えられずなんでも自分からしゃべってしまった。
たわいのない事ばかりなのだが。
すぐ近所の公園に行くと言って、もっと遠くの大きな公園に行きました、とか。
宿題が済んでないのに済んだと言いました、とか。
遊びに行くと言って出かけたけど友達と一緒に男の子にチョコレートを渡してました、とか。
嘘というほどのものですらない。
けれどわが家には父の権限で下される最高の処罰「冷蔵庫の刑」というのがあり、何でも素直に白状しておかなければ父の逆鱗に触れる怖れがあった。
父の采配次第では業務用の冷蔵庫に入れられてしまうかもしれないという恐怖が常にあった。
「これは業務用だからこの冷蔵庫に一晩入っていると、人間は死ぬ」と父は言った。
つまり、死ぬ危険のある場所に入れられるのだ。実際に何度か入れられた。
子供に嘘はいけない事だと思わせる為に恐怖を利用した父のしつけは、成功したとも言えるかも知れない。しかし恐怖によって植え込まれた「禁止事項」は時に不必要なほど効き目をあらわす。
社会人になった後で、私は自分の思っていることを正直に言い過ぎて社会でうまくやっていけないという経験を繰り返した。言わなくていいことまで言ってしまうのだ。黙っておく、隠しておくということが出来ない。
これは正直というよりただの馬鹿なのだった。
父が私に施したしつけにより、私は馬鹿正直な人間にはなったが、それが社会で必ずしも役立つわけではなかった。むしろ、馬鹿正直さは不器用さであり、融通の利かなさとなって、私の人生を邪魔した面が大きい。
人に聞かれると何でも白状してしまう。自分の事をかくしておけない。なんでそこまで無防備に、赤の他人に晒してしまうのかと自分で情けなくなった事も数限りない。だが聞かれると答えてしまう。心理的な結界が崩壊していたのだ。外から入ってくるものに抵抗することがとことん苦手だった。
人間というものは自分を尺度にして人を見てしまう部分がある。
私は自分が嘘をつかないことに徹底しているものだから、人もそうなんだろうと思い込んでいた。そんな馬鹿な私をおもしろがって、からかう人は少なくなかった。「昨日総理が死んだらしいよ」といわれ「ええーーほんとに!?大変だよね」と私が真に受けるとゲラゲラと笑われた。この手のからかいはよくあって、私は本当に何度それをくらっても疑わない馬鹿っぷりを発揮しては、大いに相手を喜ばせてしまったものだ。
幼い頃から大人にからかわれ、成長してからは友人に、先輩に、上司にとからかわれた。それでも私の中に取り込まれている「人を信じない人間には価値はない」という指令によって、私は何度でもだまされてみせた。「幼稚園児のように信じる」と面白がられた。
今あらゆる情報に裏付けを取ろうとするのは もしかしたらこういうからかいをたくさん受けたせいかもしれない。
父こそが、私をからかう代表者の一人だった。
父の言う事を真に受けないでいると「可愛くない子供」とか「子供らしくない子供」などのらく印を押されそうだった。父の愛情を失うことは恐ろしかった。私は愚かで、純粋な子供を演じ続け、いつかそれが自分自身だと思うほどに上手に自分を偽るようになったのだった。
ゲシュタルトのワークで「話したくないことは話さない」という練習を積んで、はじめてそれが出来るようになったのだが、今でも得意とは言えない。
話したくないことまで話すと自分の中がぐちゃぐちゃに荒れてしまう、と分かっているのに答えないでいることは本当に苦しい。人の侵入を防げないので人と付き合うことが苦痛になる。
話したくないことを聞かれると「答えたくない」で済ませればいいものを妙な理屈を作り出したりして余計に話がややこしくなったりする。ますます人と話す事が苦痛だ。
今、私のもとにやってくるクライエントと過去の私は何も変わらなかった。
自分の出す情報を自ら吟味し、不必要な事は話さないという事が出来るようになって、初めて大人の仲間入りが出来たような気がする。
それは私が、父の前で徹底的に演じ続けた「純粋で騙されやすい娘」の像を脱皮した事を意味していたからだ。
娘は 最初の理想の異性像を父親に求める。
父親を理想の男性だと思って 父を深く愛する。
父に愛されるために、父の望む女性像に近づこうとする。
その女性像のモデルを母親に求め 母親似になっていく。
いずれにしろ私は最初から 私であることを許されてはいなかったのだ。
今、自分が何者であるかを獲得した事は、すべて自分の努力によるものだと胸を張れる。今、彼らは彼らの娘を脱皮した私の変貌ぶりに面食らっている事だろう。
父も母も 私がどういう人間であるかを知らず、わからないままに育てた。誰も彼も、そうなのかもしれないと思う。
しかし嘆くなかれ。
人は必ず自分を見つけ出せる。
迷いも悩みも、その先にある答えは常に「自分自身」だからだ。
自分自身であろうとする人を 私は愛する。
その人の探求の旅を応援し支え続ける。
そのことについて一点の曇りもない。
今 イスラムでは ラマダーン(断食月)に入っている。
神への信仰を示すための儀式で このラマダーンの1ヶ月間は太陽の上っている間、飲み食いを一切しない。敬けんなイスラム教徒は日が昇ってから沈むまでの間、自分の唾液すら飲み込まないと言われる。日が沈めば食べたり飲んだり出来るので日ごろより食品がよく売れるそうだ。同じ人間として、日中の絶食の後には盛大に食べたいという気持ちには親しみを感じる。
しかし、1日5回の礼拝と、日中には飲み食いをしないという行動を通じて示す信仰の力は、いったいどれほどのものだろうか。信仰を持たない稀な民族、日本人には、このような強固な信仰は奇異にすら思えるかも知れない。
世界に今、イスラム教徒は13億人いると言う。
彼らのこの30日間の祈りの力は、地球にどんな力を与えているだろう。
もし祈りに力があるのなら 彼らの捧げるアッラーへの祈りは どんな形で地上に現れているのだろうか。
社会の中に宗教指導者が居ないという、イスラム教。
これはキリスト教と大きく異なる点である。
イスラム教では、すべての信仰者は自らの意志で神との約束を果たし、神の命令に忠実に従い、自らを律している。彼らは人(指導者)に命じられてではなく、自分の意志でアッラーとつながろうとし礼拝を行い、断食に耐える。
彼らにとってアッラーこそがすべてなのである。
アッラーとは どんなものなのだろうか。私の感じる超越意識と同じものを指しているのではないか。
ダライ・ラマ14世は、すべての人に異なる宗教・信仰は必要であると説いている。一つの宗教だけが正しいと争う必要はないと述べている。
この言葉も、宗教の役割が何らかの超越的存在を伝えるための器(姿)に過ぎない事を示しているように思えてくるのである。
私は、キリスト教の聖書を読むたびに、「人は愚かで率いられることを望んでいる」という前提の元に執筆されたという気がしていた。様々な戒律は、愚かで浅はかな人のために制定されているのではないかと。
キリスト教の中に現れる人間像は 罪深くかよわく愚かで未熟な、どうしようもないほどレベルの低い存在であった。そういう前提でことに当たれば、確かに底辺から救いあげていく事が出来るだろう。キリスト教は確かに、すべての人間の救済を意図して産まれたものだという事は感じられる。
信じるために証明を求める人間の心。
信じたいために疑い続ける人間の心。
それこそが、人間の精神がいかに閉ざされた状態としてセットされているかを証明している。
開かれた心になった時 私たちはあらゆるものを曇り無く見つめ
真偽を見抜き 神との交信さえも可能なのだろう。
キリスト教では 神との交信はすでに絶え、それは不可能な時代に入ったとされている。だから信徒は神の代弁者でありメッセンジャーである神職の言葉を聞かねばならない。それは牧師であり神父である。キリスト教の中では、神と信徒の個人的関係は、神から神職を通じて与えられるメッセージのみで、自由な直接的双方向ではないのだ。それが私にはとても不満だったのかも知れない。
ラマダーンを通じて少しだけイスラム教を学んだのだが、イスラム教の敬けんな信徒たちは アッラーとの個人的な交信をすでに可能にしている人々なのかも知れない。
だとしたら 礼を尽くして敬意を表するべき相手であり、手を取り合って 人類のために何ができるかを共に考える事のできる相手であろう。
そんな人たちが13億人。
地球はまだ すてたものではない。
神への信仰を示すための儀式で このラマダーンの1ヶ月間は太陽の上っている間、飲み食いを一切しない。敬けんなイスラム教徒は日が昇ってから沈むまでの間、自分の唾液すら飲み込まないと言われる。日が沈めば食べたり飲んだり出来るので日ごろより食品がよく売れるそうだ。同じ人間として、日中の絶食の後には盛大に食べたいという気持ちには親しみを感じる。
しかし、1日5回の礼拝と、日中には飲み食いをしないという行動を通じて示す信仰の力は、いったいどれほどのものだろうか。信仰を持たない稀な民族、日本人には、このような強固な信仰は奇異にすら思えるかも知れない。
世界に今、イスラム教徒は13億人いると言う。
彼らのこの30日間の祈りの力は、地球にどんな力を与えているだろう。
もし祈りに力があるのなら 彼らの捧げるアッラーへの祈りは どんな形で地上に現れているのだろうか。
社会の中に宗教指導者が居ないという、イスラム教。
これはキリスト教と大きく異なる点である。
イスラム教では、すべての信仰者は自らの意志で神との約束を果たし、神の命令に忠実に従い、自らを律している。彼らは人(指導者)に命じられてではなく、自分の意志でアッラーとつながろうとし礼拝を行い、断食に耐える。
彼らにとってアッラーこそがすべてなのである。
アッラーとは どんなものなのだろうか。私の感じる超越意識と同じものを指しているのではないか。
ダライ・ラマ14世は、すべての人に異なる宗教・信仰は必要であると説いている。一つの宗教だけが正しいと争う必要はないと述べている。
この言葉も、宗教の役割が何らかの超越的存在を伝えるための器(姿)に過ぎない事を示しているように思えてくるのである。
私は、キリスト教の聖書を読むたびに、「人は愚かで率いられることを望んでいる」という前提の元に執筆されたという気がしていた。様々な戒律は、愚かで浅はかな人のために制定されているのではないかと。
キリスト教の中に現れる人間像は 罪深くかよわく愚かで未熟な、どうしようもないほどレベルの低い存在であった。そういう前提でことに当たれば、確かに底辺から救いあげていく事が出来るだろう。キリスト教は確かに、すべての人間の救済を意図して産まれたものだという事は感じられる。
信じるために証明を求める人間の心。
信じたいために疑い続ける人間の心。
それこそが、人間の精神がいかに閉ざされた状態としてセットされているかを証明している。
開かれた心になった時 私たちはあらゆるものを曇り無く見つめ
真偽を見抜き 神との交信さえも可能なのだろう。
キリスト教では 神との交信はすでに絶え、それは不可能な時代に入ったとされている。だから信徒は神の代弁者でありメッセンジャーである神職の言葉を聞かねばならない。それは牧師であり神父である。キリスト教の中では、神と信徒の個人的関係は、神から神職を通じて与えられるメッセージのみで、自由な直接的双方向ではないのだ。それが私にはとても不満だったのかも知れない。
ラマダーンを通じて少しだけイスラム教を学んだのだが、イスラム教の敬けんな信徒たちは アッラーとの個人的な交信をすでに可能にしている人々なのかも知れない。
だとしたら 礼を尽くして敬意を表するべき相手であり、手を取り合って 人類のために何ができるかを共に考える事のできる相手であろう。
そんな人たちが13億人。
地球はまだ すてたものではない。
輪廻転生は 仏教徒にとって一番基本になっている信条だが
私は 自分が転生した記憶を持てていない以上 転生を経験的に確信していない。
それでいて 今家族であるものは 前世のどこかで縁のあったものたちだという考え方や バリー博士に感じた 言いようの無い大きな懐かしさと安堵感が 転生前に知りあいだったからだ というような考えには 感覚はとても素直に納得する面がある。
そして、死んだ後が無であるという考えには 感覚としてどうしても納得が行かない。
私には肉体が死んだ後、肉体以外の自分自身は宇宙の無限意識に属するという感覚がある。生きている今も意識の根は宇宙に属していると感じるのだから 肉体が滅んだらその根を辿り元居た場所へ帰るというのは当然の感じがする。
宇宙の無限意識に属していて、肉体を持たない状態、もしかしたらそれを転生前の状態と言うのかも知れない、と考えている。
死んだ後がただの無なら それは楽だよね〜と思う。どうせ無になるんだったら苦しい時には死ぬのが一番だ。だが死んだら無だと思っていて死んだ後、なにかあったらどうするのだろう。無だ、無だ、と言っている人はそこの処をどう考えているのか聞いてみたい。無なら何も怖くは無いだろう。「無を感じる」ならばそれは途方もなく恐ろしい事だが、感じるという点ですでに無ではなく、魂とでも便宜的に呼ぶ意識(認識システム)が存在する事を内包しており、「死んだら無」に矛盾が生じている。
私の父も 死んだら無、と言う割には死ぬのは怖いそうだし、盆に彼岸に、念仏を唱えている。
私は何度も何度も 死んだら楽になるのなら今すぐに死にたい と思っていたが、死んで楽になる事はないと「感じて」いた。
死にたいのは 楽になりたい一心なのだから その主目的が叶わないのでは死ぬ意味そのものを失うではないか。それじゃあ、死ねないじゃないか。
自分で死んだら地獄に行くよ、だから一生懸命生きなきゃだめだよ、というのは まじめに生きるよう仕向けるための 社会にとって都合のよい概念だとも 長年思っていた。
確かにそれ(地獄や天国の存在)を説くことで 人の生き方にバイアスを掛けることが出来る。
だが、ただの概念ではないようだ、という事も最近、感じている。
宗教と切り離して考えても、人の魂の存在を証明するという科学的命題は残る。
それに続いて、魂があるのなら 死後 魂はどこへ行くのか という命題も生じる。
あらゆる国のあらゆる文化が、自死を拒んでいる。
自死を推進する文化では、生き死にが民族の存続に必要であるなどの 極めて差し迫った状況がその背景にある。そして死には必ずその報償が定義されている。たとえば日本の戦国時代は自死は当然であったが、転生、つまり来世が信じられていた。日本の武士道では死に方は生き方の一部として組み込まれている。尊厳を守って自死する事は生き様を完成させる事でもあった。
インカなどの古代文明では 神へのいけにえとして自らの心臓を捧げた勇者は 神にもっとも近いものへ転生すると信じられている。もっとも近い世界大戦中の日本でも戦地で死んだら靖国に行く、という報償が信じられていた。
死後に何かがあるとすれば 自分の生まれる前にも何かあると考えるのが自然である。前世や死後の無限の世界は存在するのか。
転生を証明するための何かメソッドが、おそらくチベットにはあると思われる。
現在のダライ・ラマ14世は貧しい農民の子として生まれ2才の時にダライ・ラマ13世の転生者であると認定され、法王庁へ上がった。わずか2才の子供をみて前法王の転生者であると認定するからにはそれなりのメソッドが確立されている事は間違いない。
ぜひとも機会を得て、それを知りたいと思っている。
ところで、私は幽霊にはまったく関心がない。
スピリチュアルな意味での霊的な感性は開いているが、霊界とか浮遊霊とか、地縛霊とか、先祖霊とか、その類いは一切感じないし、見えも聞こえもしない。
何か、今生に思いを残して死ぬという事はあるだろう。
それで転生がうまく行かなくて、不自然に霊がとどまってしまうという事はあるかもしれない。どんなシステムにも例外によるエラーはある。死んだら普通は現世を離れるのに、何かのエラーで現世に魂だけ留まってしまうという可能性は考えられる。
だが、残念ながら私は死んだ人に関心がない。今、生きているものが私の担当だ。
死んだ人に助けを求められても応じる気はないし、そんなものより生きている命を助けたい。だから見ないし、聞こえないのだろうと思う。
幽霊はいるのかも知れない。心霊スポットに行けば、うようよいるのかも知れない。それでも私はその霊たちの相手をするつもりがまったくないので、おそらく平気だ。
霊が自分に危害を及ぼしたらどうする、という事を多くの人は恐れている。霊にはかなわないというイメージが頭に擦り込まれているからだ。だが私は霊より現世では生きている私の方が圧倒的に強者だと思っている。霊のやつは、ぴしぱしと音をさせたり、せいぜい電子機器を壊したりする程度だというではないか。そんなものは蚊にさされる程度の話だ。恐れるに足らずである。
そう思っている限り、私は霊にたいして強者だ。だから霊障とかいう現象も決して起きない。私のご先祖様は、私に何か知らせたいなら足を痛くしたり肩を重くしたりする必要はない。ちゃんと話に来ていただこう。私の方は会話チャンネルを常に開ける用意がある。
くもやゴキブリが怖いというのと幽霊が怖いというのはとても似ている。
自分はそれに敵わないと、思い込んでいるのだ。
くももゴキブリも、人間が踏みつぶせる程度の非力な存在なのだ。
霊もせいぜい写真に写ったりするくらいの、それほどまでに非力なので、とても可哀想に思う事はある。手を合わせて冥福を祈る事はまったく厭わない。しかし霊の救済は担当外だ。
幽霊に告ぐ。
私はあなたがたの担当ではない。
だから助けが必要ならば ちゃんと修業を積んだ坊さんの処へ行きなさい。
私はあなた方の相手を一切しない。
私は生きているもので 手いっぱいだ。
私の霊的な感性は、もっぱら生きているものとの交信にのみ開かれている。
そういった感性は、自分でチャンネルを選ぶように出来ているのかもしれない。
だから幽霊を見ている人は 多分無自覚かもしれないが 幽霊を見たいのだろう。
幽霊はいない、とは言っていない。いてもいなくても、私はそれには無関心だ、というだけである。
蛇足だが もう一つ、興味深い事がある。
「どうやったら超能力が身に付くか」
それは 「そういう能力が当然誰にでもある」 と 信じきる事である。
私は 動物と意識を交信することが可能である と信じきった時(意識が変わった時)から いわゆる霊的な感性が開かれてしまった。
そして人の話を聞きながら その人の記憶を映像として眺めていたりその人が話す前に情報を得ていたり という奇妙すぎる事が起きるようになってしまった。
いつもではない。特別な訓練もしていないから その能力に磨きをかけているわけでもない。出来ればそれは封印しておくのが都合が良い。
そういう事が起こる度(やれやれ…困ったなあ…)と内心でため息をついている。
一般的多くの人に見えないものが見え、聞こえない音が聞こえる人は 一般社会では精神病なのだから。私はそれをよく知っている。
やれやれ…こまったものだ。
こういう事を言う人は、友達が減ってしまうのだ。
だから 黙っておくのが得策だ…。
そして 私は「見える系」の友達を増やすつもりも毛頭ないのだ…。
私を精神病だと思う人もいるかも知れない。
だが そう見えるだろうか?
または 証明できないのをいいことに 人の心につけ入る詐欺師か?
疑われる事の煩わしさからは、出来るだけ免れたい。
疑いを晴らすことに割く余力は、私にはない。
助けを必要としている人が多すぎるのだから 私はそこに全力を注ぎたい。
上記の理由で 釈明や説明をしないこともあります。
私が説明責任を果たしていないなら ごめんなさい。世間様。
私は 自分が転生した記憶を持てていない以上 転生を経験的に確信していない。
それでいて 今家族であるものは 前世のどこかで縁のあったものたちだという考え方や バリー博士に感じた 言いようの無い大きな懐かしさと安堵感が 転生前に知りあいだったからだ というような考えには 感覚はとても素直に納得する面がある。
そして、死んだ後が無であるという考えには 感覚としてどうしても納得が行かない。
私には肉体が死んだ後、肉体以外の自分自身は宇宙の無限意識に属するという感覚がある。生きている今も意識の根は宇宙に属していると感じるのだから 肉体が滅んだらその根を辿り元居た場所へ帰るというのは当然の感じがする。
宇宙の無限意識に属していて、肉体を持たない状態、もしかしたらそれを転生前の状態と言うのかも知れない、と考えている。
死んだ後がただの無なら それは楽だよね〜と思う。どうせ無になるんだったら苦しい時には死ぬのが一番だ。だが死んだら無だと思っていて死んだ後、なにかあったらどうするのだろう。無だ、無だ、と言っている人はそこの処をどう考えているのか聞いてみたい。無なら何も怖くは無いだろう。「無を感じる」ならばそれは途方もなく恐ろしい事だが、感じるという点ですでに無ではなく、魂とでも便宜的に呼ぶ意識(認識システム)が存在する事を内包しており、「死んだら無」に矛盾が生じている。
私の父も 死んだら無、と言う割には死ぬのは怖いそうだし、盆に彼岸に、念仏を唱えている。
私は何度も何度も 死んだら楽になるのなら今すぐに死にたい と思っていたが、死んで楽になる事はないと「感じて」いた。
死にたいのは 楽になりたい一心なのだから その主目的が叶わないのでは死ぬ意味そのものを失うではないか。それじゃあ、死ねないじゃないか。
自分で死んだら地獄に行くよ、だから一生懸命生きなきゃだめだよ、というのは まじめに生きるよう仕向けるための 社会にとって都合のよい概念だとも 長年思っていた。
確かにそれ(地獄や天国の存在)を説くことで 人の生き方にバイアスを掛けることが出来る。
だが、ただの概念ではないようだ、という事も最近、感じている。
宗教と切り離して考えても、人の魂の存在を証明するという科学的命題は残る。
それに続いて、魂があるのなら 死後 魂はどこへ行くのか という命題も生じる。
あらゆる国のあらゆる文化が、自死を拒んでいる。
自死を推進する文化では、生き死にが民族の存続に必要であるなどの 極めて差し迫った状況がその背景にある。そして死には必ずその報償が定義されている。たとえば日本の戦国時代は自死は当然であったが、転生、つまり来世が信じられていた。日本の武士道では死に方は生き方の一部として組み込まれている。尊厳を守って自死する事は生き様を完成させる事でもあった。
インカなどの古代文明では 神へのいけにえとして自らの心臓を捧げた勇者は 神にもっとも近いものへ転生すると信じられている。もっとも近い世界大戦中の日本でも戦地で死んだら靖国に行く、という報償が信じられていた。
死後に何かがあるとすれば 自分の生まれる前にも何かあると考えるのが自然である。前世や死後の無限の世界は存在するのか。
転生を証明するための何かメソッドが、おそらくチベットにはあると思われる。
現在のダライ・ラマ14世は貧しい農民の子として生まれ2才の時にダライ・ラマ13世の転生者であると認定され、法王庁へ上がった。わずか2才の子供をみて前法王の転生者であると認定するからにはそれなりのメソッドが確立されている事は間違いない。
ぜひとも機会を得て、それを知りたいと思っている。
ところで、私は幽霊にはまったく関心がない。
スピリチュアルな意味での霊的な感性は開いているが、霊界とか浮遊霊とか、地縛霊とか、先祖霊とか、その類いは一切感じないし、見えも聞こえもしない。
何か、今生に思いを残して死ぬという事はあるだろう。
それで転生がうまく行かなくて、不自然に霊がとどまってしまうという事はあるかもしれない。どんなシステムにも例外によるエラーはある。死んだら普通は現世を離れるのに、何かのエラーで現世に魂だけ留まってしまうという可能性は考えられる。
だが、残念ながら私は死んだ人に関心がない。今、生きているものが私の担当だ。
死んだ人に助けを求められても応じる気はないし、そんなものより生きている命を助けたい。だから見ないし、聞こえないのだろうと思う。
幽霊はいるのかも知れない。心霊スポットに行けば、うようよいるのかも知れない。それでも私はその霊たちの相手をするつもりがまったくないので、おそらく平気だ。
霊が自分に危害を及ぼしたらどうする、という事を多くの人は恐れている。霊にはかなわないというイメージが頭に擦り込まれているからだ。だが私は霊より現世では生きている私の方が圧倒的に強者だと思っている。霊のやつは、ぴしぱしと音をさせたり、せいぜい電子機器を壊したりする程度だというではないか。そんなものは蚊にさされる程度の話だ。恐れるに足らずである。
そう思っている限り、私は霊にたいして強者だ。だから霊障とかいう現象も決して起きない。私のご先祖様は、私に何か知らせたいなら足を痛くしたり肩を重くしたりする必要はない。ちゃんと話に来ていただこう。私の方は会話チャンネルを常に開ける用意がある。
くもやゴキブリが怖いというのと幽霊が怖いというのはとても似ている。
自分はそれに敵わないと、思い込んでいるのだ。
くももゴキブリも、人間が踏みつぶせる程度の非力な存在なのだ。
霊もせいぜい写真に写ったりするくらいの、それほどまでに非力なので、とても可哀想に思う事はある。手を合わせて冥福を祈る事はまったく厭わない。しかし霊の救済は担当外だ。
幽霊に告ぐ。
私はあなたがたの担当ではない。
だから助けが必要ならば ちゃんと修業を積んだ坊さんの処へ行きなさい。
私はあなた方の相手を一切しない。
私は生きているもので 手いっぱいだ。
私の霊的な感性は、もっぱら生きているものとの交信にのみ開かれている。
そういった感性は、自分でチャンネルを選ぶように出来ているのかもしれない。
だから幽霊を見ている人は 多分無自覚かもしれないが 幽霊を見たいのだろう。
幽霊はいない、とは言っていない。いてもいなくても、私はそれには無関心だ、というだけである。
蛇足だが もう一つ、興味深い事がある。
「どうやったら超能力が身に付くか」
それは 「そういう能力が当然誰にでもある」 と 信じきる事である。
私は 動物と意識を交信することが可能である と信じきった時(意識が変わった時)から いわゆる霊的な感性が開かれてしまった。
そして人の話を聞きながら その人の記憶を映像として眺めていたりその人が話す前に情報を得ていたり という奇妙すぎる事が起きるようになってしまった。
いつもではない。特別な訓練もしていないから その能力に磨きをかけているわけでもない。出来ればそれは封印しておくのが都合が良い。
そういう事が起こる度(やれやれ…困ったなあ…)と内心でため息をついている。
一般的多くの人に見えないものが見え、聞こえない音が聞こえる人は 一般社会では精神病なのだから。私はそれをよく知っている。
やれやれ…こまったものだ。
こういう事を言う人は、友達が減ってしまうのだ。
だから 黙っておくのが得策だ…。
そして 私は「見える系」の友達を増やすつもりも毛頭ないのだ…。
私を精神病だと思う人もいるかも知れない。
だが そう見えるだろうか?
または 証明できないのをいいことに 人の心につけ入る詐欺師か?
疑われる事の煩わしさからは、出来るだけ免れたい。
疑いを晴らすことに割く余力は、私にはない。
助けを必要としている人が多すぎるのだから 私はそこに全力を注ぎたい。
上記の理由で 釈明や説明をしないこともあります。
私が説明責任を果たしていないなら ごめんなさい。世間様。
信念をもつ人は とても強い。
もともと はかなく かよわく 繊細な 人の心を
強く 硬く 変容させるものの一つが「信念」である。
信念というものの影響力は もろ刃の剣である。
私の 苦しみに満ちた時代を支えたものは
「自分を信じてくれた人を絶対に裏切ってはならない」という極めて強い信念だった。
私の言葉と私自身を見て、私の会社に10億円以上のお金をかけようという決断をしてくれた 業界でも敏腕で通るプロデューサーがいた。私はこの人の信頼を裏切ることを恐れ、そして、私を信じて一緒に夢をみようと集ってくれていた、幼いとさえ言えるほど若いスタッフたちを裏切ることを恐れ、すべての瞬間を仕事に捧げていたように思う。彼らの夢を叶えることが、私に出来る彼らを裏切らないという信念の具現方法だった。
力及ばず、プロジェクトがとん挫した時、私は生きていられない思いだった。彼らを、全世界を裏切ってしまったと感じたからだ。
当時相手方に与えた損害はおよそ7000万円。私の生命保険が満額おりれば弁済でき、さらにスタッフに分配出来る計算が成り立った。13階の自宅ベランダから飛び降りなかったのは ほんのかすかに残る想像力が働いたからに過ぎなかった。私の死後にその金を受け取る側の、残されたものに与える心理的ダメージの深刻さを想像した時、私は彼らへの愛ゆえに、自分を殺す選択を思いとどまる他なかったのだ。私は私なりに 彼らを心から愛していた。
あと一押し、あとほんの一言、だれかから責められていたら、私はおそらくあそこから落ちていたのではなかったか。経営に失敗して自殺する事業者の思いは 誰よりもわかるつもりがある。私の周りにいたスタッフは 誰も彼も、本当に私に優しかった。私を責めるものは居なかった。ただ自分が自分を責め続けていた。
信念というものは、苦しみに立ち向かう時 その人を強力に支え続ける鋼のようなものだ。しかし 肉体のもろさ精神の柔らかさに、信念は対応しない。それが信念というものの持つ属性だ。
信念に支えられていた肉体と精神が 力を失って重力に引かれるまま落ちていこうとする時 信念はその肉体にそってしなやかにたわんだりはしない。それゆえに 肉体と精神は信念に縛りつけられる物体となり 縛られて食い込んでいる部分から、深い傷を受けて腐り落ちていく。従であったはずの信念が主となり なんのために生存しているのかわからないただの物質となって 傷だらけで体液をまき散らしながら かろうじて生き永らえている存在。
そして信念のもつ麻薬のような効果が精神に影響を及ぼす。
鋼のような信念のために己のすべてが犠牲になっていることを まるで良いことのように感じるのだ。苦しみが大きいほど、大きな事を成しえているような錯覚に陥る。このような人は 信念ばかりが肥大化していて それを自己だと錯覚しているような処がある。自分の本体はもろく、繊細であるのに、信念の持つ強靱さこそが自分自身であると思っている。このような人は、挫折している事実を受け入れる余地を持たないので、とことん現実逃避を繰り返すか、一気に自殺まで追い込まれるかのどちらかになる。
一方で
引きこもりや 不登校 ニート と言われる人々と接する事の少なくない私が持つただの所感に過ぎないが
「信念」をもつ人が 非常に少ないという事実だ。
「信念ゆえに」苦しむ人と 「信念を持たざるがゆえに」苦しむ人は どちらが多いだろうかと ふと考えたりする。
信念がない事は 私たちを日常のささいな苦しみの泥沼に留まらせることになる。
大きな視野をもてず、日々の実際には些細な事に始終足を取られつまづき、ぐちぐちと腐った気分を持て余し 自己妨害を繰り返す。
自分の命を 何に使うのか。
それを得ている人は 泥沼から早く立ち上がる。
おそらくは 自分の寿命についても考える機会が多いだろうし 命とは何かという本質にもたびたび触れているだろう。
本質的に「開かれた」状態で 目覚めて生きるには 何らかの信念が必要であるという結論が、今の私の結論である。
無論、信念にもいろいろあるが。
金こそすべてという信念を持つと ライブドア事件が起きる。
金を得た上で、何を得ようとしたのか、という処へ思考が及び、その本質が目指すものを見すえていれば ライブドアという会社の行く末は違ったかも知れない。
私の場合もそうだ。
人を裏切ってはならないという信念のさらに先にあった「愛したい、愛されたい」という本質が見えていれば、私は会社を経営するという事以外の、別の生きる道を思いつけたかもしれなかった。
信念は、スローガンとして現れた瞬間に、その人の思考を停止させるという属性も持つ。ここが危険なのかもしれない。
本質を見極める目を 曇らせるな と告げる声が私の中にある。
本質は「信念」というスローガンを超えるものだ。
今の私が持つ いくつかの信念の一つは
「何があっても 自分として 生き続ける」というものだ。
おかげで 死ぬという逃げ道がなくなって 困る部分もなくはないのだが。
この退路を断たれたはらいせに「あー死ぬ死ぬ。それー死ぬ死ぬ。もう死ぬ死ぬ。」と口からでまかせを言ってみる事も時々ある。
しかし生き続ける信念は おそらく間違ってもいない。
思考停止せず この信念も追い続けてみよう。
鋼の信念を しなやかにたわむものとして鍛え上げ直せれば、と思っている。
もともと はかなく かよわく 繊細な 人の心を
強く 硬く 変容させるものの一つが「信念」である。
信念というものの影響力は もろ刃の剣である。
私の 苦しみに満ちた時代を支えたものは
「自分を信じてくれた人を絶対に裏切ってはならない」という極めて強い信念だった。
私の言葉と私自身を見て、私の会社に10億円以上のお金をかけようという決断をしてくれた 業界でも敏腕で通るプロデューサーがいた。私はこの人の信頼を裏切ることを恐れ、そして、私を信じて一緒に夢をみようと集ってくれていた、幼いとさえ言えるほど若いスタッフたちを裏切ることを恐れ、すべての瞬間を仕事に捧げていたように思う。彼らの夢を叶えることが、私に出来る彼らを裏切らないという信念の具現方法だった。
力及ばず、プロジェクトがとん挫した時、私は生きていられない思いだった。彼らを、全世界を裏切ってしまったと感じたからだ。
当時相手方に与えた損害はおよそ7000万円。私の生命保険が満額おりれば弁済でき、さらにスタッフに分配出来る計算が成り立った。13階の自宅ベランダから飛び降りなかったのは ほんのかすかに残る想像力が働いたからに過ぎなかった。私の死後にその金を受け取る側の、残されたものに与える心理的ダメージの深刻さを想像した時、私は彼らへの愛ゆえに、自分を殺す選択を思いとどまる他なかったのだ。私は私なりに 彼らを心から愛していた。
あと一押し、あとほんの一言、だれかから責められていたら、私はおそらくあそこから落ちていたのではなかったか。経営に失敗して自殺する事業者の思いは 誰よりもわかるつもりがある。私の周りにいたスタッフは 誰も彼も、本当に私に優しかった。私を責めるものは居なかった。ただ自分が自分を責め続けていた。
信念というものは、苦しみに立ち向かう時 その人を強力に支え続ける鋼のようなものだ。しかし 肉体のもろさ精神の柔らかさに、信念は対応しない。それが信念というものの持つ属性だ。
信念に支えられていた肉体と精神が 力を失って重力に引かれるまま落ちていこうとする時 信念はその肉体にそってしなやかにたわんだりはしない。それゆえに 肉体と精神は信念に縛りつけられる物体となり 縛られて食い込んでいる部分から、深い傷を受けて腐り落ちていく。従であったはずの信念が主となり なんのために生存しているのかわからないただの物質となって 傷だらけで体液をまき散らしながら かろうじて生き永らえている存在。
そして信念のもつ麻薬のような効果が精神に影響を及ぼす。
鋼のような信念のために己のすべてが犠牲になっていることを まるで良いことのように感じるのだ。苦しみが大きいほど、大きな事を成しえているような錯覚に陥る。このような人は 信念ばかりが肥大化していて それを自己だと錯覚しているような処がある。自分の本体はもろく、繊細であるのに、信念の持つ強靱さこそが自分自身であると思っている。このような人は、挫折している事実を受け入れる余地を持たないので、とことん現実逃避を繰り返すか、一気に自殺まで追い込まれるかのどちらかになる。
一方で
引きこもりや 不登校 ニート と言われる人々と接する事の少なくない私が持つただの所感に過ぎないが
「信念」をもつ人が 非常に少ないという事実だ。
「信念ゆえに」苦しむ人と 「信念を持たざるがゆえに」苦しむ人は どちらが多いだろうかと ふと考えたりする。
信念がない事は 私たちを日常のささいな苦しみの泥沼に留まらせることになる。
大きな視野をもてず、日々の実際には些細な事に始終足を取られつまづき、ぐちぐちと腐った気分を持て余し 自己妨害を繰り返す。
自分の命を 何に使うのか。
それを得ている人は 泥沼から早く立ち上がる。
おそらくは 自分の寿命についても考える機会が多いだろうし 命とは何かという本質にもたびたび触れているだろう。
本質的に「開かれた」状態で 目覚めて生きるには 何らかの信念が必要であるという結論が、今の私の結論である。
無論、信念にもいろいろあるが。
金こそすべてという信念を持つと ライブドア事件が起きる。
金を得た上で、何を得ようとしたのか、という処へ思考が及び、その本質が目指すものを見すえていれば ライブドアという会社の行く末は違ったかも知れない。
私の場合もそうだ。
人を裏切ってはならないという信念のさらに先にあった「愛したい、愛されたい」という本質が見えていれば、私は会社を経営するという事以外の、別の生きる道を思いつけたかもしれなかった。
信念は、スローガンとして現れた瞬間に、その人の思考を停止させるという属性も持つ。ここが危険なのかもしれない。
本質を見極める目を 曇らせるな と告げる声が私の中にある。
本質は「信念」というスローガンを超えるものだ。
今の私が持つ いくつかの信念の一つは
「何があっても 自分として 生き続ける」というものだ。
おかげで 死ぬという逃げ道がなくなって 困る部分もなくはないのだが。
この退路を断たれたはらいせに「あー死ぬ死ぬ。それー死ぬ死ぬ。もう死ぬ死ぬ。」と口からでまかせを言ってみる事も時々ある。
しかし生き続ける信念は おそらく間違ってもいない。
思考停止せず この信念も追い続けてみよう。
鋼の信念を しなやかにたわむものとして鍛え上げ直せれば、と思っている。
毎朝 娘をバス停まで送り そのままコーヒーショップに入って
8時から10時までの2時間程度を過ごす。
ここは私にとって最高の仕事場である。
美味しいいれたてのコーヒーを ソファでゆったりと飲みながら
ブログの記事を書いたり 思索にふけったり 本を読んだりする。
座り心地のよいソファ いれたてのコーヒー 清掃サービスと空調費込みの 一等地で 月額わずか1万円以下の 完璧なオフィスである。同じ機能を備えようと思って事務所を探すと、どうやっても5倍以上にはなる。
人がいると集中できないというのは「考え」に過ぎない。
人がいても集中出来るし音楽がかかっていても別に邪魔にはならない。
誰かが入れ替わり立ち替わり 隣の席に現れるとしても 大歓迎だ。
隣で何かの商談が始まることもあれば 友人同士楽しい会話が弾んでいることもある。人がそこにいるという 暖かな現実が 心地よい。
大きな窓ガラスの向こうを たくさんの人々が 通り過ぎていく。
ある人は笑顔で ある人は険しい顔で。
それぞれの人生とそれぞれの気持ちを抱えて 生きている人が歩いていく。
この世界はなんと愛しいものたちで満ちていることか。
悲しいものも苦しみを抱えたものもいるだろう。
しかし生きてそこに存在している。それだけで素晴らしい。
大きな暖かい南の海のような愛を感じながら
この席に座っていられることは最高だと感じる。
私の人生は 完璧にすすんでいる。
どんな困難があるとしても それで完璧である。
私はおそらく 世界中 どこへいっても同じ幸福を感じるだろう。
そしてこの幸福を手にしている私は 助けを必要とする人を助ける側にいることを何度も何度も 繰り返し 自覚する。
出来るだけ多くの人を 同じ処へ引き揚げ この愛しい世界がより良い処になるように。助けを必要とする人が 本当にすぐそこにいるのだから。
8時から10時までの2時間程度を過ごす。
ここは私にとって最高の仕事場である。
美味しいいれたてのコーヒーを ソファでゆったりと飲みながら
ブログの記事を書いたり 思索にふけったり 本を読んだりする。
座り心地のよいソファ いれたてのコーヒー 清掃サービスと空調費込みの 一等地で 月額わずか1万円以下の 完璧なオフィスである。同じ機能を備えようと思って事務所を探すと、どうやっても5倍以上にはなる。
人がいると集中できないというのは「考え」に過ぎない。
人がいても集中出来るし音楽がかかっていても別に邪魔にはならない。
誰かが入れ替わり立ち替わり 隣の席に現れるとしても 大歓迎だ。
隣で何かの商談が始まることもあれば 友人同士楽しい会話が弾んでいることもある。人がそこにいるという 暖かな現実が 心地よい。
大きな窓ガラスの向こうを たくさんの人々が 通り過ぎていく。
ある人は笑顔で ある人は険しい顔で。
それぞれの人生とそれぞれの気持ちを抱えて 生きている人が歩いていく。
この世界はなんと愛しいものたちで満ちていることか。
悲しいものも苦しみを抱えたものもいるだろう。
しかし生きてそこに存在している。それだけで素晴らしい。
大きな暖かい南の海のような愛を感じながら
この席に座っていられることは最高だと感じる。
私の人生は 完璧にすすんでいる。
どんな困難があるとしても それで完璧である。
私はおそらく 世界中 どこへいっても同じ幸福を感じるだろう。
そしてこの幸福を手にしている私は 助けを必要とする人を助ける側にいることを何度も何度も 繰り返し 自覚する。
出来るだけ多くの人を 同じ処へ引き揚げ この愛しい世界がより良い処になるように。助けを必要とする人が 本当にすぐそこにいるのだから。