2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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チャムの体が骨だけになってしまいました。
考えてみると私は これまですごくたくさんの動物と暮らしてきているのですが
火葬にしたのはチャムが初めてでした。
火葬場でチャムを巨大なオーブンのような窯に入れる時に
正直足がすくみ今からこれに火がついてチャムが燃えてしまうのだと思うと
後戻りしたくて思わず子供のように首を振ってイヤイヤしている自分がいました。
チャムが窯に入れられて点火される時 相当堪え難い感覚がありました。
外に出て、煙突からチャムが煙になって緑が一杯の山の中、晴れた空に上がっていくのをみました。
煙はすぐに収まって あとはしっかり骨になってしまうまで焼いているのだとわかりました。
約1時間後、「えったったこれだけで全部なの」というほど、すこしの骨になってチャムは帰ってきました。火葬場の人が姿通り、骨をならべてくれたようで、まるでジュラ紀の恐竜の化石のようになったチャムが、そこに居ました。
骨を全部持って帰る人はあまり居ないようです。しかも骨壷を拒否、持ってきた段ボールに全部入れると言う人もあまり居ないようですね。
でも段ボールに入れて全部連れて帰ってきました。
ゆっくりチャムに似合う入れ物を探す予定です。
これまで、動物が死んだ時には庭に埋めたり、ゆかりのある山の中などに埋めたりしてきました。
火葬は人間が亡くなった時だけでした。人間が死んだら火葬するものと思っていたのでチャムも自然に火葬を依頼する流れになってしまったのですが 考えてみたらこれまでは埋葬だったのだと、改めてわかりました。
愛着のあるチャムの体をそのままゆっくり土に返してあげたかったのだと 今ごろ気付いています。
焼くなんて 本当に嫌だったのです。
でも埋葬だったら骨を手にする事はない訳で その違いはあるなと思いました。
悲しくなってさまよう視線の先にチャムの写真があります。
見るといつでもチャムは「だいじょうぶだよ。ここにいるよ」と言っています。
娘が夜になってつくづくチャムが居ない事を実感したようで ずっと泣いていました。
家族みんな 喪失感でぼーっとしていますが 明日も朝から仕事です。
「悲しい時はお金を使う」というのが私のセオリーの一つです。
夕べは、美味しいものを食べよう、という事で天神をうろうろして、老舗のもつ鍋屋さんに行きました。家族でもつ鍋を食べたのは初めてです。
娘も夫も美味しいねと、いっしょの鍋をつつきながら笑顔になりました。
家族で鍋はいいものですね。
帰るとももが一人、迎えてくれました。
これからは ももはお留守番を一人でする事になります。
可哀相なので あまりももを置いていかずに済むようにしてあげようと思っています。
ももは部屋中をものすごく念入りに匂い、チャムを探しています。
そして鼻で何かの痕跡を追いかけるようにしてチャムの寝ていた場所から床の匂いを辿って、テレビの上に置いてあるチャムの骨の入った段ボールに行き着きました。
「これなんだ?」といいながらいぶかしげに匂っています。
もしかしたら骨になっても、犬の嗅覚ならチャムの匂いがするのかも知れません。
ももはチャムの遺体には近づこうとしませんでした。
とても怖がっていました。今は、落ち着かず、うろうろしています。
チャムの骨を入れてあげる入れ物をゆっくり探したいと思います。
ゆっくりと 家族全員の心が癒されるのを待ちます。
だいじょうぶ。
ここにいるよ。
チャムがそう言って、見守ってくれています。
初七日は日曜日です。
仕事は休めませんが、心は喪に服しています。
ペットロスになる原因は、ペットが死んでも仕事を休めない事ではないかと思いました。
正直言って、自分の子供が死んだら 誰でも仕事は出来ない状態になるのが当たり前です。
そんな時でも 公に認められる休みは、ペットの死には与えられていません。
私も 本当は 数ヶ月は休みたいです。
看病疲れもとても溜まっているしずっと眠れていませんから。。。
どうやって 心と体を癒そうかと ちょっと考え中です。
考えてみると私は これまですごくたくさんの動物と暮らしてきているのですが
火葬にしたのはチャムが初めてでした。
火葬場でチャムを巨大なオーブンのような窯に入れる時に
正直足がすくみ今からこれに火がついてチャムが燃えてしまうのだと思うと
後戻りしたくて思わず子供のように首を振ってイヤイヤしている自分がいました。
チャムが窯に入れられて点火される時 相当堪え難い感覚がありました。
外に出て、煙突からチャムが煙になって緑が一杯の山の中、晴れた空に上がっていくのをみました。
煙はすぐに収まって あとはしっかり骨になってしまうまで焼いているのだとわかりました。
約1時間後、「えったったこれだけで全部なの」というほど、すこしの骨になってチャムは帰ってきました。火葬場の人が姿通り、骨をならべてくれたようで、まるでジュラ紀の恐竜の化石のようになったチャムが、そこに居ました。
骨を全部持って帰る人はあまり居ないようです。しかも骨壷を拒否、持ってきた段ボールに全部入れると言う人もあまり居ないようですね。
でも段ボールに入れて全部連れて帰ってきました。
ゆっくりチャムに似合う入れ物を探す予定です。
これまで、動物が死んだ時には庭に埋めたり、ゆかりのある山の中などに埋めたりしてきました。
火葬は人間が亡くなった時だけでした。人間が死んだら火葬するものと思っていたのでチャムも自然に火葬を依頼する流れになってしまったのですが 考えてみたらこれまでは埋葬だったのだと、改めてわかりました。
愛着のあるチャムの体をそのままゆっくり土に返してあげたかったのだと 今ごろ気付いています。
焼くなんて 本当に嫌だったのです。
でも埋葬だったら骨を手にする事はない訳で その違いはあるなと思いました。
悲しくなってさまよう視線の先にチャムの写真があります。
見るといつでもチャムは「だいじょうぶだよ。ここにいるよ」と言っています。
娘が夜になってつくづくチャムが居ない事を実感したようで ずっと泣いていました。
家族みんな 喪失感でぼーっとしていますが 明日も朝から仕事です。
「悲しい時はお金を使う」というのが私のセオリーの一つです。
夕べは、美味しいものを食べよう、という事で天神をうろうろして、老舗のもつ鍋屋さんに行きました。家族でもつ鍋を食べたのは初めてです。
娘も夫も美味しいねと、いっしょの鍋をつつきながら笑顔になりました。
家族で鍋はいいものですね。
帰るとももが一人、迎えてくれました。
これからは ももはお留守番を一人でする事になります。
可哀相なので あまりももを置いていかずに済むようにしてあげようと思っています。
ももは部屋中をものすごく念入りに匂い、チャムを探しています。
そして鼻で何かの痕跡を追いかけるようにしてチャムの寝ていた場所から床の匂いを辿って、テレビの上に置いてあるチャムの骨の入った段ボールに行き着きました。
「これなんだ?」といいながらいぶかしげに匂っています。
もしかしたら骨になっても、犬の嗅覚ならチャムの匂いがするのかも知れません。
ももはチャムの遺体には近づこうとしませんでした。
とても怖がっていました。今は、落ち着かず、うろうろしています。
チャムの骨を入れてあげる入れ物をゆっくり探したいと思います。
ゆっくりと 家族全員の心が癒されるのを待ちます。
だいじょうぶ。
ここにいるよ。
チャムがそう言って、見守ってくれています。
初七日は日曜日です。
仕事は休めませんが、心は喪に服しています。
ペットロスになる原因は、ペットが死んでも仕事を休めない事ではないかと思いました。
正直言って、自分の子供が死んだら 誰でも仕事は出来ない状態になるのが当たり前です。
そんな時でも 公に認められる休みは、ペットの死には与えられていません。
私も 本当は 数ヶ月は休みたいです。
看病疲れもとても溜まっているしずっと眠れていませんから。。。
どうやって 心と体を癒そうかと ちょっと考え中です。
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暗い話題ばかりでごめんなさいという気持ちもありつつ。
今日で、チャムが最期の一息を引き取ってから丸3日。
今日の午後遅くに、チャムを火葬にする事になっている。
この3日間、私の心にもいろんな変化があり、その渦中で渦に呑まれている自分もいるし、それを観察する自分もいる。魂の話なのでオーラの泉系の怪しげな事も書くけれどお許し頂きたい。
肉体の死後、魂が進む4つのステップがあるのなら、それをチャムから是非感じ取りたいと思った。
亡くなった次の日の夜中、ふと、チャムが体から離れつつあるという感じがした。チャムが、準備できたよ、もういいよ、と言った気がした。
そして、昨日の日中、火葬の準備の品をいろいろ買いに街に出た時、不思議な感じがした。チャムの気配が、ほぼ空気と同じくらいに希薄な感じになっているのだ。存在しているのは感じるが、実体がないという感じ。元気で暮らしているもう一頭のももの気配を感じると、密度があり、はっきりした形のある気配を感じる。
「チャムが空気になってる」と夫に言った。
私の願いとはまったく関係なく、チャムは空気のようになっていた。
そして、家に戻るとチャムの体はそのまま、眠り続けているように同じ姿勢でそこにある。
私はこのチャムの姿、可愛らしくて美しい毛並み、そのふかふかした手触りが大好きで、それと耳や足の匂いも大好きで、この体に愛着がものすごくある事に気付いた。火葬の手配が済み、明日にはこの体がこの世から消滅するのかと思うと、急激に抵抗する気持ちがあふれ出し、失いたくないともがき始める自分の心を感じた。
この動揺ぶりは予想出来ないものだった。
私は、心底、チャムの体に癒されていたし、16年7ヶ月の長きに渡って共に暮らした愛するチャムの実体には格別の愛着があった。
幼い頃から抱き上げ、抱きしめ、お風呂に入れ、タオルで拭きあげ、ブラシをかけ、撫で、触れて、一緒にベッドにはいり、暮らしてきたチャムの愛しい体だった。それが二度と手に触れられないものになることは、想像を絶する無念さがあった。
昨夜、チャムの体と共に過ごす最期の晩、チャムの魂に語りかけた。
「体が無くなっちゃうのが嫌なんだよ。チャムの体が大好きなんだよ。」
チャムは、「もう体はいらないよ、ママ」と答えた。
「わかってるよ。チャムはもう準備がすっかり出来てるんだね。だけど私が嫌なんだよ。耐えられないよ」そう言って泣いた。
そして、ずっとよく眠っていない為に、うつらうつらしていた。
その眠りかけの鼻に、チャムの体からあの臭いがしてきたのが分かった。わずかにしか感じ取れないが、恐ろしい臭いだった。死の臭い。葬儀屋さんに行くと必ず嗅ぎ取る事の出来る、苦々しく、黒い霧のような、あの臭いだ。最近同じ臭いを嗅いだ。夫の兄が急死した、あの時だ。
チャムの体は、本当にもう、その役目を終えて抜け殻になったのだと、私に否応なく知らせてきていた。執着してはいけない。執着すると恐ろしいものを見る事になる、と。
ほんの数十分眠っていたのだろうか。私はまた夜中に目覚めて、チャムに語りかけようとした。
すると。
「ママ。ここにいるよ」
とチャムが語りかけてきた。
チャムは、優しくぱっちりとした目で私を見て、
「ここにいるよ。ママ。チャムはここにいるよ」と言った。
そこには、チャムの生前の、一番美しく撮れている写真があった。
チャムはここにいる。体がなくても、ここにいる。
そうなんだよね。わかってるんだよ。私が執着しているだけなんだ。
チャムは、この体にはもういない。ここにあるのは、亡き骸なんだ。
そして、チャムはいる。ここにいる。
空気のように、ここにいる。
それを感じる事は出来る。
「チャム。体を地球に返すよ。いいよね?」
チャムはいいよ、と言った。
写真を見ると明瞭にチャムのメッセージが聴こえる。
「だいじょうぶだよ。ママ。チャムは、ここにいるよ」
頑張れ、自分。
執着を立ち切らなければ。
そしてチャムを地球に返そう。
今日で、チャムが最期の一息を引き取ってから丸3日。
今日の午後遅くに、チャムを火葬にする事になっている。
この3日間、私の心にもいろんな変化があり、その渦中で渦に呑まれている自分もいるし、それを観察する自分もいる。魂の話なのでオーラの泉系の怪しげな事も書くけれどお許し頂きたい。
肉体の死後、魂が進む4つのステップがあるのなら、それをチャムから是非感じ取りたいと思った。
亡くなった次の日の夜中、ふと、チャムが体から離れつつあるという感じがした。チャムが、準備できたよ、もういいよ、と言った気がした。
そして、昨日の日中、火葬の準備の品をいろいろ買いに街に出た時、不思議な感じがした。チャムの気配が、ほぼ空気と同じくらいに希薄な感じになっているのだ。存在しているのは感じるが、実体がないという感じ。元気で暮らしているもう一頭のももの気配を感じると、密度があり、はっきりした形のある気配を感じる。
「チャムが空気になってる」と夫に言った。
私の願いとはまったく関係なく、チャムは空気のようになっていた。
そして、家に戻るとチャムの体はそのまま、眠り続けているように同じ姿勢でそこにある。
私はこのチャムの姿、可愛らしくて美しい毛並み、そのふかふかした手触りが大好きで、それと耳や足の匂いも大好きで、この体に愛着がものすごくある事に気付いた。火葬の手配が済み、明日にはこの体がこの世から消滅するのかと思うと、急激に抵抗する気持ちがあふれ出し、失いたくないともがき始める自分の心を感じた。
この動揺ぶりは予想出来ないものだった。
私は、心底、チャムの体に癒されていたし、16年7ヶ月の長きに渡って共に暮らした愛するチャムの実体には格別の愛着があった。
幼い頃から抱き上げ、抱きしめ、お風呂に入れ、タオルで拭きあげ、ブラシをかけ、撫で、触れて、一緒にベッドにはいり、暮らしてきたチャムの愛しい体だった。それが二度と手に触れられないものになることは、想像を絶する無念さがあった。
昨夜、チャムの体と共に過ごす最期の晩、チャムの魂に語りかけた。
「体が無くなっちゃうのが嫌なんだよ。チャムの体が大好きなんだよ。」
チャムは、「もう体はいらないよ、ママ」と答えた。
「わかってるよ。チャムはもう準備がすっかり出来てるんだね。だけど私が嫌なんだよ。耐えられないよ」そう言って泣いた。
そして、ずっとよく眠っていない為に、うつらうつらしていた。
その眠りかけの鼻に、チャムの体からあの臭いがしてきたのが分かった。わずかにしか感じ取れないが、恐ろしい臭いだった。死の臭い。葬儀屋さんに行くと必ず嗅ぎ取る事の出来る、苦々しく、黒い霧のような、あの臭いだ。最近同じ臭いを嗅いだ。夫の兄が急死した、あの時だ。
チャムの体は、本当にもう、その役目を終えて抜け殻になったのだと、私に否応なく知らせてきていた。執着してはいけない。執着すると恐ろしいものを見る事になる、と。
ほんの数十分眠っていたのだろうか。私はまた夜中に目覚めて、チャムに語りかけようとした。
すると。
「ママ。ここにいるよ」
とチャムが語りかけてきた。
チャムは、優しくぱっちりとした目で私を見て、
「ここにいるよ。ママ。チャムはここにいるよ」と言った。
そこには、チャムの生前の、一番美しく撮れている写真があった。
チャムはここにいる。体がなくても、ここにいる。
そうなんだよね。わかってるんだよ。私が執着しているだけなんだ。
チャムは、この体にはもういない。ここにあるのは、亡き骸なんだ。
そして、チャムはいる。ここにいる。
空気のように、ここにいる。
それを感じる事は出来る。
「チャム。体を地球に返すよ。いいよね?」
チャムはいいよ、と言った。
写真を見ると明瞭にチャムのメッセージが聴こえる。
「だいじょうぶだよ。ママ。チャムは、ここにいるよ」
頑張れ、自分。
執着を立ち切らなければ。
そしてチャムを地球に返そう。
8月3日 日曜日 午後13時41分
チャムは私の腕の中で静かに息を引き取りました。
最期の一息を 待っていたかのように 私の腕の中で
そして静かに ゆっくりと 心臓が止まっていくのを 感じていました。
私も 夫も 娘も その瞬間に立ち会い 静かに 16年共に過ごした家族を見守りました。
チベット密教によれば 死には8つの段階があるという。
現代で定義しているのは その最初の4つの段階で 単に肉体の死を意味している。
チベット密教ではその先に さらに4つの段階があり それをすべて終えた時が
現世での生の終わり すなわち「死」である。
今 チャムは4つめの段階を終えて 肉体の死を迎えた。
そして 次の魂としての死のステップを進んでいる。
魂の死とは消滅を意味しているのではなく 深い深い瞑想状態であり 次の転生への準備なのだ。
この8つのステップを滞りなく順調に進む事が出来るよう 死者の周りで激しく泣いたり動揺したりしない。
静かに 安らぎを祈り 愛を贈り 次の転生がより良い生であるようにと祈り続ける。
3日を経て 荼毘(だび)に伏す。
7日目、つまり初七日に日に、最初の転生の機会が与えられる。
そして次の7日目毎に転生の機会が合計7回与えられ、転生が終了したと考えられている。
この最期の転生のチャンスが、49日。
チャムは とても安らかな顔をして 本当にただ眠っているように見える。
家族はその周りで普通に過ごし、チャムの事を語っては 泣いたり 笑ったりしている。
悲しいとも辛いとも感じていないのに 涙だけが止まらない。
チャムが 安らかにすべての死のステップを進めるように。
次の命を与えられた時 より愛に恵まれた素敵な場所に生まれ、食べる事にも暮らす事にも苦労しないように。
チャムは私の腕の中で静かに息を引き取りました。
最期の一息を 待っていたかのように 私の腕の中で
そして静かに ゆっくりと 心臓が止まっていくのを 感じていました。
私も 夫も 娘も その瞬間に立ち会い 静かに 16年共に過ごした家族を見守りました。
チベット密教によれば 死には8つの段階があるという。
現代で定義しているのは その最初の4つの段階で 単に肉体の死を意味している。
チベット密教ではその先に さらに4つの段階があり それをすべて終えた時が
現世での生の終わり すなわち「死」である。
今 チャムは4つめの段階を終えて 肉体の死を迎えた。
そして 次の魂としての死のステップを進んでいる。
魂の死とは消滅を意味しているのではなく 深い深い瞑想状態であり 次の転生への準備なのだ。
この8つのステップを滞りなく順調に進む事が出来るよう 死者の周りで激しく泣いたり動揺したりしない。
静かに 安らぎを祈り 愛を贈り 次の転生がより良い生であるようにと祈り続ける。
3日を経て 荼毘(だび)に伏す。
7日目、つまり初七日に日に、最初の転生の機会が与えられる。
そして次の7日目毎に転生の機会が合計7回与えられ、転生が終了したと考えられている。
この最期の転生のチャンスが、49日。
チャムは とても安らかな顔をして 本当にただ眠っているように見える。
家族はその周りで普通に過ごし、チャムの事を語っては 泣いたり 笑ったりしている。
悲しいとも辛いとも感じていないのに 涙だけが止まらない。
チャムが 安らかにすべての死のステップを進めるように。
次の命を与えられた時 より愛に恵まれた素敵な場所に生まれ、食べる事にも暮らす事にも苦労しないように。
娘が 阿蘇から帰ってきた時に かぶとむしを一匹連れてきた。
それでしかたなく、昔熱帯魚を飼っていた古い水槽を引っ張り出してきて、そこに入れて飼う事になった。私は虫なんかわざわざ飼いたくないのだが、連れてきてしまったものは仕方ない。
ホームセンターにカブトムシ用の土やエサを買いに行くと、虫そのものも売っている。
娘が自分でお金を出すとまで言って、つがいが欲しいというので、1匹も3匹も変わらないか、とつがいを買った。
娘は一日中、カブトムシを手に乗せたりエサの世話をしたりして、夢中だ。「カブトムシ、可愛い」を連発している。
ホームセンターで買ったカブトムシのメスが、たった2日で死んでしまった。娘は、もう一度メスを買うという。何度同じ店で買っても、またすぐ死んでしまうのでは仕方ないと思い、何かカブトムシ関連のイベントでもやっていないかと思って調べると、西区に「カブトムシ農園」というものがある事がわかった。
犬の介護と仕事と家事の合間をぬって、娘をカブトムシ農園に連れていった。
ビニールハウス2つ分くらいの広さの土地に、クヌギが10本くらい植えてあり、そこにオスのカブトムシがいっぱいとまっている。お客は平日の夕方だったせいか、私たちだけだった。
農園のおじちゃんのカブトムシの繁殖秘話を聞きながら、娘がカブトムシを選ぶのを待つ。
娘は、メス2匹、オス1匹のカブトムシを選び、お金を払った。
おじちゃんが、小さなオスのカブトムシを一匹、おまけにつけてくれた。
家の水槽はカブトムシでがさごそと騒がしくなった。
次は土を買い足して、おじちゃんの教えてくれたようにすれば、もしかして来年にもカブトムシが成虫になるかもしれない。
カブトムシは、娘にとって夏休みのシンボルと言えるかも知れない。
たったひと月で死んでしまう虫ががさごそと生きている姿と、頑張っているチャムを交互に見ながら、命について考える日々が続いている。
それでしかたなく、昔熱帯魚を飼っていた古い水槽を引っ張り出してきて、そこに入れて飼う事になった。私は虫なんかわざわざ飼いたくないのだが、連れてきてしまったものは仕方ない。
ホームセンターにカブトムシ用の土やエサを買いに行くと、虫そのものも売っている。
娘が自分でお金を出すとまで言って、つがいが欲しいというので、1匹も3匹も変わらないか、とつがいを買った。
娘は一日中、カブトムシを手に乗せたりエサの世話をしたりして、夢中だ。「カブトムシ、可愛い」を連発している。
ホームセンターで買ったカブトムシのメスが、たった2日で死んでしまった。娘は、もう一度メスを買うという。何度同じ店で買っても、またすぐ死んでしまうのでは仕方ないと思い、何かカブトムシ関連のイベントでもやっていないかと思って調べると、西区に「カブトムシ農園」というものがある事がわかった。
犬の介護と仕事と家事の合間をぬって、娘をカブトムシ農園に連れていった。
ビニールハウス2つ分くらいの広さの土地に、クヌギが10本くらい植えてあり、そこにオスのカブトムシがいっぱいとまっている。お客は平日の夕方だったせいか、私たちだけだった。
農園のおじちゃんのカブトムシの繁殖秘話を聞きながら、娘がカブトムシを選ぶのを待つ。
娘は、メス2匹、オス1匹のカブトムシを選び、お金を払った。
おじちゃんが、小さなオスのカブトムシを一匹、おまけにつけてくれた。
家の水槽はカブトムシでがさごそと騒がしくなった。
次は土を買い足して、おじちゃんの教えてくれたようにすれば、もしかして来年にもカブトムシが成虫になるかもしれない。
カブトムシは、娘にとって夏休みのシンボルと言えるかも知れない。
たったひと月で死んでしまう虫ががさごそと生きている姿と、頑張っているチャムを交互に見ながら、命について考える日々が続いている。
昨日、チャムが危機的状況を脱したと書いたばかりなのに。
今朝からまたチャムが食事を一切食べなくなった。
その途端に気分が塞ぐ自分がいる。
夕べは講習会で帰宅したのは夜10時近くだった。
それから家族の食事を作り、食べて寝不足からついうとうとしてしまい、
チャムに食事を与える事ができたのは夜中だった。
その時、ちょっと食べ方に変化があった。
がつがつと喜んで食べるのではなく、もそもそと、食べる事に苦労しているような、食べたくないけれども仕方なく食べているような、そんな感じがあった。
そして今朝は、もうまったく、一口も食べたくないという。
食べ物を口に入れてやると、吐き出す。
なんだか私まで、食欲がなくなってしまう。
チャム、きっと辛いんだね。
きっと気持ちが悪かったり、お腹が痛かったり、するんだろうな。
私まで、お腹が痛くなってしまう。
一喜一憂とは、この事だ。
今朝からまたチャムが食事を一切食べなくなった。
その途端に気分が塞ぐ自分がいる。
夕べは講習会で帰宅したのは夜10時近くだった。
それから家族の食事を作り、食べて寝不足からついうとうとしてしまい、
チャムに食事を与える事ができたのは夜中だった。
その時、ちょっと食べ方に変化があった。
がつがつと喜んで食べるのではなく、もそもそと、食べる事に苦労しているような、食べたくないけれども仕方なく食べているような、そんな感じがあった。
そして今朝は、もうまったく、一口も食べたくないという。
食べ物を口に入れてやると、吐き出す。
なんだか私まで、食欲がなくなってしまう。
チャム、きっと辛いんだね。
きっと気持ちが悪かったり、お腹が痛かったり、するんだろうな。
私まで、お腹が痛くなってしまう。
一喜一憂とは、この事だ。
ご心配をお掛けしているチャムさんの事なのですが。
私の手からだけご飯を食べるようになって、ものすごい量をしっかり食べています。
それで、寝たきりである事には変わりないのですが、目の光も元気だった頃と変わりなく、しっかりした意識状態で、本当に元気な顔になっています。
体重も戻ってきたようで、あばらがみえていた脇腹に若干ふっくらとお肉がついています。
そして、なんと一日に何回か、自力で立ち上がって、歩こうとしています。
(その時たいていおしっこをまき散らされるのでタマラナイのですが)
寝返りの介助もうんちの介助も必要なんですが、本犬としてはいたって元気なつもりでいるようです。
「もう死んじゃうんだ…」と悲壮な雰囲気が漂っていた頃がうそのように、平安な気持ちでの介護の日々です。
なんか、幻想なんですが、このままあと5、6年生きてくれそうな。
そんな気さえふとしてしまう、そんな最近です。
命ってすごいですね。
死を受け入れる事も大事な事だし、同時に、諦めないで命をつなごうと介護する事も、大事なんだなと思いました。
だって食べなくなった時点で、私たちが諦めていたら、間違いなく今日のチャムの笑顔はもう消えていないのですから。
私たちが諦めなかった事に、チャムが食いついて応えてくれた、と思います。
与えられた、「余命」に感謝しながら、日々平穏で、楽しく、家族として一緒に居ようと思います。
読んでくださっている方、ご心配をお掛けしてごめんなさいね。
私の手からだけご飯を食べるようになって、ものすごい量をしっかり食べています。
それで、寝たきりである事には変わりないのですが、目の光も元気だった頃と変わりなく、しっかりした意識状態で、本当に元気な顔になっています。
体重も戻ってきたようで、あばらがみえていた脇腹に若干ふっくらとお肉がついています。
そして、なんと一日に何回か、自力で立ち上がって、歩こうとしています。
(その時たいていおしっこをまき散らされるのでタマラナイのですが)
寝返りの介助もうんちの介助も必要なんですが、本犬としてはいたって元気なつもりでいるようです。
「もう死んじゃうんだ…」と悲壮な雰囲気が漂っていた頃がうそのように、平安な気持ちでの介護の日々です。
なんか、幻想なんですが、このままあと5、6年生きてくれそうな。
そんな気さえふとしてしまう、そんな最近です。
命ってすごいですね。
死を受け入れる事も大事な事だし、同時に、諦めないで命をつなごうと介護する事も、大事なんだなと思いました。
だって食べなくなった時点で、私たちが諦めていたら、間違いなく今日のチャムの笑顔はもう消えていないのですから。
私たちが諦めなかった事に、チャムが食いついて応えてくれた、と思います。
与えられた、「余命」に感謝しながら、日々平穏で、楽しく、家族として一緒に居ようと思います。
読んでくださっている方、ご心配をお掛けしてごめんなさいね。
チャムがすごい!
立ち上がったりしている。もう随分長い事、自力で立つ事は出来なかったばかりか、横になっていて首を上げる力も無かったのに。
今朝もいきなりすっくと立ち上がり、よろよろと転びそうになるので慌ててお尻におしっこシーツをあてて、付いていく。何をしたいのかわからないけど、しばらくそうして立って、よろよろとうずくまる。
歩き回る可能性があるとしたら、今のじゅうたん敷の部屋に置いておくのは、おしっこをまき散らしてしまうリスクがあって、これまでこの部屋に寝かせておくことができなかったのだけど、自力ではまったく身動き出来ない状態なので連れてきた。そしたら、元気になった。
元気になったからと元の台所に置くと、多分メゲてしまってまた元気を失うだろう。
チャムは昔から、精神的にデリケートな犬だった。
だから、私の側に居られるようになって、心の面で元気が出た事が、この回復に関係しているのだろう。
今更別の部屋に戻す事はもう出来ない。
夜中の間ずっと、チャムが身動きした音で飛び起きて、おしっこシーツを当てたりする事に忙しい。
でもチャムはすごい。
多くの人が知らないかも知れないけど、動物だって、心が元気になると体も元気になるのだ。
フロイトは、動物には心はない、と言った。
動物と暮らした事のある人なら誰でも知っているけれど、これは明らかに間違い。
チャムはすごい。
獣医さんは、16才のラブラドールはめったに見ないと言った。
それくらい、長生きのチャム。頑張ってるね。えらいね。
立ち上がったりしている。もう随分長い事、自力で立つ事は出来なかったばかりか、横になっていて首を上げる力も無かったのに。
今朝もいきなりすっくと立ち上がり、よろよろと転びそうになるので慌ててお尻におしっこシーツをあてて、付いていく。何をしたいのかわからないけど、しばらくそうして立って、よろよろとうずくまる。
歩き回る可能性があるとしたら、今のじゅうたん敷の部屋に置いておくのは、おしっこをまき散らしてしまうリスクがあって、これまでこの部屋に寝かせておくことができなかったのだけど、自力ではまったく身動き出来ない状態なので連れてきた。そしたら、元気になった。
元気になったからと元の台所に置くと、多分メゲてしまってまた元気を失うだろう。
チャムは昔から、精神的にデリケートな犬だった。
だから、私の側に居られるようになって、心の面で元気が出た事が、この回復に関係しているのだろう。
今更別の部屋に戻す事はもう出来ない。
夜中の間ずっと、チャムが身動きした音で飛び起きて、おしっこシーツを当てたりする事に忙しい。
でもチャムはすごい。
多くの人が知らないかも知れないけど、動物だって、心が元気になると体も元気になるのだ。
フロイトは、動物には心はない、と言った。
動物と暮らした事のある人なら誰でも知っているけれど、これは明らかに間違い。
チャムはすごい。
獣医さんは、16才のラブラドールはめったに見ないと言った。
それくらい、長生きのチャム。頑張ってるね。えらいね。
今日、鳥栖の傾聴講習会が最終回だった。
この7月は本当に様々な出来事が起きて、私は公私共に忙殺され心労も重なっていた訳だけれども、
一つ奇蹟と思える事がある。
老犬のチャムが、1週間前、まったく食事をとらなくなった。丸二日食事をとらず、起き上がる事も出来ず、水も寝ている口の脇からたらしてあげる水滴を舐めるという、もうどうみても危篤と言えるほどの状態になった。
水も十分に摂れないとあっては、どんなほ乳類も数日以内に死んでしまう。
私もさすがに、チャムとの別れは3日以内と覚悟した。
そして、16年の長いつき合いの最後を、本当に後悔のないものにしようと思って、身動きの出来ないチャムを抱いて自分の部屋に連れてきた。水を飲ませ、排泄物の処理をし、体を寝返りしてやり、マッサージし、拭いてやり、夜中も1時間おきに起きて世話をするという完全介護の状態に入った。
音が聞こえないチャムだからこそ、たくさん触れて、抱きしめて、昔私の愛情を独り占めしていた若い頃のチャムの感覚を体から思い出してもらおうと思った。
そうして、食べないまま丸二日。
私もどうしたら少しでも食べるのかと、いろいろと調理方法や切り方など工夫を重ねていた。
そして唐突に、ある作り方をしたご飯を、チャムが、食べた。
必死に、そして本当に餓えを満たす事しか考えていないかのように、元気だった頃の1、5倍ほどの量のご飯を一気に、がつがつと食べた。
それを境に、チャムは私が食べさせた時だけ、がつがつとご飯を食べるようになった。
私が飲ませる時だけ、水を飲むようになった。
そして、さらに2日。
数週間寝たきりだったチャムが、立ち上がった。よろよろと、下半身を支える介助が必要だけれども、それでも目を輝かせ、立ち上がって、部屋の中を10数歩、歩いた。
もう死ぬばかりの状況にまで行ったチャム。
もう二度と、立ち上がる事はないと思っていたチャムが。
介護に応えてくれるように、元気を取り戻した。
まだ、すい臓はひどく腫れている。運動していないので便秘にも苦しんでいるし、全身の状態は確実に老衰によって悪化しているが、それでもまだまだ、生き続ける!と言ってくれている。
目の前で、奇蹟が起きている。
毎日、仕事で目を離した隙に、チャムが死んでいたらどうしようと、胸にサイダーを流し込まれているように滲みる感覚がなくなる事がなかったが、今日鳥栖から帰っても、チャムは待って居てくれた。
独りぼっちで逝かないで欲しい。
私が駆けつけ、最後の一息まで一緒に居られるように、どうか待っていて欲しい。
チャムは私のその願いに応えようと、一生懸命に生き続けようとしてくれている。
私もずっと寝不足が続いているけれど、でも、チャムと私は、最後のゴールテープを切る瞬間まで、一緒に走り抜けようとしている。
チャム。ありがとう、チャム。
やっぱりお前ってサイコーだ。
この7月は本当に様々な出来事が起きて、私は公私共に忙殺され心労も重なっていた訳だけれども、
一つ奇蹟と思える事がある。
老犬のチャムが、1週間前、まったく食事をとらなくなった。丸二日食事をとらず、起き上がる事も出来ず、水も寝ている口の脇からたらしてあげる水滴を舐めるという、もうどうみても危篤と言えるほどの状態になった。
水も十分に摂れないとあっては、どんなほ乳類も数日以内に死んでしまう。
私もさすがに、チャムとの別れは3日以内と覚悟した。
そして、16年の長いつき合いの最後を、本当に後悔のないものにしようと思って、身動きの出来ないチャムを抱いて自分の部屋に連れてきた。水を飲ませ、排泄物の処理をし、体を寝返りしてやり、マッサージし、拭いてやり、夜中も1時間おきに起きて世話をするという完全介護の状態に入った。
音が聞こえないチャムだからこそ、たくさん触れて、抱きしめて、昔私の愛情を独り占めしていた若い頃のチャムの感覚を体から思い出してもらおうと思った。
そうして、食べないまま丸二日。
私もどうしたら少しでも食べるのかと、いろいろと調理方法や切り方など工夫を重ねていた。
そして唐突に、ある作り方をしたご飯を、チャムが、食べた。
必死に、そして本当に餓えを満たす事しか考えていないかのように、元気だった頃の1、5倍ほどの量のご飯を一気に、がつがつと食べた。
それを境に、チャムは私が食べさせた時だけ、がつがつとご飯を食べるようになった。
私が飲ませる時だけ、水を飲むようになった。
そして、さらに2日。
数週間寝たきりだったチャムが、立ち上がった。よろよろと、下半身を支える介助が必要だけれども、それでも目を輝かせ、立ち上がって、部屋の中を10数歩、歩いた。
もう死ぬばかりの状況にまで行ったチャム。
もう二度と、立ち上がる事はないと思っていたチャムが。
介護に応えてくれるように、元気を取り戻した。
まだ、すい臓はひどく腫れている。運動していないので便秘にも苦しんでいるし、全身の状態は確実に老衰によって悪化しているが、それでもまだまだ、生き続ける!と言ってくれている。
目の前で、奇蹟が起きている。
毎日、仕事で目を離した隙に、チャムが死んでいたらどうしようと、胸にサイダーを流し込まれているように滲みる感覚がなくなる事がなかったが、今日鳥栖から帰っても、チャムは待って居てくれた。
独りぼっちで逝かないで欲しい。
私が駆けつけ、最後の一息まで一緒に居られるように、どうか待っていて欲しい。
チャムは私のその願いに応えようと、一生懸命に生き続けようとしてくれている。
私もずっと寝不足が続いているけれど、でも、チャムと私は、最後のゴールテープを切る瞬間まで、一緒に走り抜けようとしている。
チャム。ありがとう、チャム。
やっぱりお前ってサイコーだ。
阿蘇に、いとこに会いにいった娘から泣き声で電話がかかってきた。
いとこというのは、絶縁状態になっている妹の子供なのだが、この子とうちの娘は年が近い唯一の身内という事でとても仲が良い。けんかもよくしているが、お互い、会える日をとても楽しみにしている。
だから娘は夏休みになると阿蘇にいく事は当然のスケジュールのようにして、計画している。
そして、早起きして高速バスに乗り、阿蘇に向かった。
到着してしばらくの頃の電話だった。
泣き声で、いとこにはずっと会えないと言われたと話した。
いとこに会う為に阿蘇まで一人バスにのって行ったのに、会わせてもらえないのだ。
これは、私と妹の関係が悪化している事が理由としか考えられない。
そして、いとこの子も娘に会う事を楽しみにしていたし、すぐ側まできているのに遊ばせてもらえない事が決まり、泣いているという。
子供にまで、事を影響させるとは、予想外の事だった。
自分の子も、私の子も、何の関係もないと思うのだが、会わせたくないと妹が考えているならしかたがない。私には到底できない仕打ちだが、妹はそれを選択するだけの理由があるのだろう。
娘のショックを思い、ケアしてあげなければと思った。
「じゃあ、帰ってくる?ママ、仕事が夜の9時に終わるから、それから迎えにいこうか?夜中になるけど、来て欲しいなら、お迎えに行くよ」
娘は、その言葉に慰めを感じてくれた。
「うん。ママが来てくれるの?じゃあ帰る」
「わかった。待っててね。夜の講座が終わったらまた連絡するね」
車で3時間の距離だ。
けれど、無関係なのに巻き込まれた娘の失望を思うと、こうする以外のケアを思いつかなかった。
いとこの子も、可哀相で仕方なかった。
妹に対して、一瞬だけ、憤りを感じる。
何故、何の罪も無い子供を傷つけるのか、と。
けれどその憤りも、すぐに消えていく。
妹は、それほど深く傷ついているのだ。または、私に怒っているのだ。
そのいずれであるにしろ、最愛の自分の子供までを巻き込まずにはおられないほど、彼女が苦しみの中にいる事はわかった。
可哀相だと感じた。私の妹に生まれたばかりに、私を理解出来ず傷つくという苦しみに見舞われている妹。生まれてきて済まなかったと、思う。あなたの姉で、すまなかったと思う。
夜、娘に電話すると、祖父と話した後らしく、「ママ、おじいちゃんと遊ぶ約束したから、もうしばらくだけ居てもいい?」と言い出した。「もちろんよ。楽しい事があるなら、居たいだけ居ていいよ」
娘の祖父(私の父)は、子供の心の傷に敏感な処があり、昔から、傷ついた様子の子供の気持ちを明るくしてやろうという心遣いのある人だった。
きっと、しょげている娘を可哀相に思い、喜ばせようと、あれこれ遊びの提案をしてくれたのだろう。
ありがたいと思った。
娘の心が救われるなら、これほどありがたい事はない。
何故、私と妹は、理解し合えないのだろう。
何故、私たちは、周囲の人までも巻き込んで、こんなに傷ついているのだろう。
傷つけようとはしていないのに。
誰も悪くなど、ないのに。
いとこというのは、絶縁状態になっている妹の子供なのだが、この子とうちの娘は年が近い唯一の身内という事でとても仲が良い。けんかもよくしているが、お互い、会える日をとても楽しみにしている。
だから娘は夏休みになると阿蘇にいく事は当然のスケジュールのようにして、計画している。
そして、早起きして高速バスに乗り、阿蘇に向かった。
到着してしばらくの頃の電話だった。
泣き声で、いとこにはずっと会えないと言われたと話した。
いとこに会う為に阿蘇まで一人バスにのって行ったのに、会わせてもらえないのだ。
これは、私と妹の関係が悪化している事が理由としか考えられない。
そして、いとこの子も娘に会う事を楽しみにしていたし、すぐ側まできているのに遊ばせてもらえない事が決まり、泣いているという。
子供にまで、事を影響させるとは、予想外の事だった。
自分の子も、私の子も、何の関係もないと思うのだが、会わせたくないと妹が考えているならしかたがない。私には到底できない仕打ちだが、妹はそれを選択するだけの理由があるのだろう。
娘のショックを思い、ケアしてあげなければと思った。
「じゃあ、帰ってくる?ママ、仕事が夜の9時に終わるから、それから迎えにいこうか?夜中になるけど、来て欲しいなら、お迎えに行くよ」
娘は、その言葉に慰めを感じてくれた。
「うん。ママが来てくれるの?じゃあ帰る」
「わかった。待っててね。夜の講座が終わったらまた連絡するね」
車で3時間の距離だ。
けれど、無関係なのに巻き込まれた娘の失望を思うと、こうする以外のケアを思いつかなかった。
いとこの子も、可哀相で仕方なかった。
妹に対して、一瞬だけ、憤りを感じる。
何故、何の罪も無い子供を傷つけるのか、と。
けれどその憤りも、すぐに消えていく。
妹は、それほど深く傷ついているのだ。または、私に怒っているのだ。
そのいずれであるにしろ、最愛の自分の子供までを巻き込まずにはおられないほど、彼女が苦しみの中にいる事はわかった。
可哀相だと感じた。私の妹に生まれたばかりに、私を理解出来ず傷つくという苦しみに見舞われている妹。生まれてきて済まなかったと、思う。あなたの姉で、すまなかったと思う。
夜、娘に電話すると、祖父と話した後らしく、「ママ、おじいちゃんと遊ぶ約束したから、もうしばらくだけ居てもいい?」と言い出した。「もちろんよ。楽しい事があるなら、居たいだけ居ていいよ」
娘の祖父(私の父)は、子供の心の傷に敏感な処があり、昔から、傷ついた様子の子供の気持ちを明るくしてやろうという心遣いのある人だった。
きっと、しょげている娘を可哀相に思い、喜ばせようと、あれこれ遊びの提案をしてくれたのだろう。
ありがたいと思った。
娘の心が救われるなら、これほどありがたい事はない。
何故、私と妹は、理解し合えないのだろう。
何故、私たちは、周囲の人までも巻き込んで、こんなに傷ついているのだろう。
傷つけようとはしていないのに。
誰も悪くなど、ないのに。
妹から絶縁状が届いた。
ずっと本気で分かろうとしていた。恐る恐る心を開いていた。精一杯愛していたし心の底で信じていた。でも返り討ちにあった。二度とあなたに触れようとしない。さようなら。別々の道を。
と書かれていた。
彼女はまだ解っていない。
だがそれもしかたがない。
もともと、別々の道なのだ。
それを分かってくれたのなら、それがせめてもの慰めだ。
そこからしか、理解は始まらないからだ。
傷ついた妹が可哀相だと思う。
それでも今の私に出来る事は 彼女の愛情表現を断る事だけだ。
自分の心に不純物を入れない為には それしかないように思う。
彼女がとても大きな愛を持っている事を知っている。
しかし私に向けられているものにはそれとは違うものが「混じって」いる。
私はそれを指摘しているだけなのだ。
彼女のすべてを否定しているのではないし、彼女の素晴らしさを否定しているのでもない。
彼女がかなりのハイレベルで 生きる事を懸命に追いかけてきた人だと分かっているからこそ、私の要求するレベルも高くなった。
相手にレッテルを貼らないこと。
思い込まないこと。
毒を飲ませようとしないこと。
相手の感じるものを変えさせようとしないこと。
それらの精度を上げて指摘しようとしたが、指摘する前に妹は倒れた。
自分の愛を否定されたと喚き始めてしまった。
愛がすべてだと思っている人だから、そこを否定されたら耐えられないのだろう。
可哀相にと思う。
あなたの嘆きはあなたが作り出したものだと教えてあげたい。
しかし説明の機会は与えられない。
結局このような事の繰り返しだ。
それが私の出身家庭のパターンだ。
やはりそこから免れない。
誰かを悪者にする。
誰かがいけないからこんなことになったという。
傷ついたものが正しいという暗黙の了解。
泣いたもの勝ちのルール。
可哀相だ。しかしどれも間違っている。
思い込みとしがらみがある限り、本当に分かり合う事など出来るはずがない。
お互いがまったく交われない、別々の存在なのだと思い知った処からしか、
本当に相手の事を知ろうと思わないだろう。
だから、これでいいのだと思う。
在る意味、妹からさようならと言われた時、私はほっとしたような気持ちになった。
お互い、相手を大切に思っているのに、それがうまく機能しないという事は、誰にとっても苦しみだろう。妹はその苦しみで七転八倒していた。その揚げ句、傷つき過ぎるので、私と絶遠するしかないと。ようやく行くところまで行ったという事だろう。
可哀相な妹。
一体、あなたは何によって傷ついたのか?
それを分かって欲しいと思う。
私を解る必要はないのだから、せめて自分の中で起きている事には気付いて欲しい。
私を悪者にするのをやめて、その他に原因があるかも知れない事に、気付いて欲しい。
そうでなければ、生涯あなたは人に傷つけられたと感じる人生を送るだろう。
私は「あなたに聞いてもらえていないと感じる」と言ったに過ぎない。
それを彼女は「あなたは聞いていないのだ。あなたの愛は偽物だ」と言われたと解釈している。
誤解を解くチャンスも与えずに。きちんと話をひとつもせずに。腹を立て、私を怖いといい、一方的に傷つけられたと嘆いている。
可哀相な妹。
私があなたを傷つけようなどと、いつしたのか。
それを一言も説明さえできなかったことを残念に思う。
あと何年、妹と同じ時代で過ごせるのか分からない。
だからチャンスがあるのかどうかわからないが、私たちの関係は、ここが始まりのような気がする。
このまま交わらないかも知れない。
けれどチャンスを待とうと、私は祈っている。
ずっと本気で分かろうとしていた。恐る恐る心を開いていた。精一杯愛していたし心の底で信じていた。でも返り討ちにあった。二度とあなたに触れようとしない。さようなら。別々の道を。
と書かれていた。
彼女はまだ解っていない。
だがそれもしかたがない。
もともと、別々の道なのだ。
それを分かってくれたのなら、それがせめてもの慰めだ。
そこからしか、理解は始まらないからだ。
傷ついた妹が可哀相だと思う。
それでも今の私に出来る事は 彼女の愛情表現を断る事だけだ。
自分の心に不純物を入れない為には それしかないように思う。
彼女がとても大きな愛を持っている事を知っている。
しかし私に向けられているものにはそれとは違うものが「混じって」いる。
私はそれを指摘しているだけなのだ。
彼女のすべてを否定しているのではないし、彼女の素晴らしさを否定しているのでもない。
彼女がかなりのハイレベルで 生きる事を懸命に追いかけてきた人だと分かっているからこそ、私の要求するレベルも高くなった。
相手にレッテルを貼らないこと。
思い込まないこと。
毒を飲ませようとしないこと。
相手の感じるものを変えさせようとしないこと。
それらの精度を上げて指摘しようとしたが、指摘する前に妹は倒れた。
自分の愛を否定されたと喚き始めてしまった。
愛がすべてだと思っている人だから、そこを否定されたら耐えられないのだろう。
可哀相にと思う。
あなたの嘆きはあなたが作り出したものだと教えてあげたい。
しかし説明の機会は与えられない。
結局このような事の繰り返しだ。
それが私の出身家庭のパターンだ。
やはりそこから免れない。
誰かを悪者にする。
誰かがいけないからこんなことになったという。
傷ついたものが正しいという暗黙の了解。
泣いたもの勝ちのルール。
可哀相だ。しかしどれも間違っている。
思い込みとしがらみがある限り、本当に分かり合う事など出来るはずがない。
お互いがまったく交われない、別々の存在なのだと思い知った処からしか、
本当に相手の事を知ろうと思わないだろう。
だから、これでいいのだと思う。
在る意味、妹からさようならと言われた時、私はほっとしたような気持ちになった。
お互い、相手を大切に思っているのに、それがうまく機能しないという事は、誰にとっても苦しみだろう。妹はその苦しみで七転八倒していた。その揚げ句、傷つき過ぎるので、私と絶遠するしかないと。ようやく行くところまで行ったという事だろう。
可哀相な妹。
一体、あなたは何によって傷ついたのか?
それを分かって欲しいと思う。
私を解る必要はないのだから、せめて自分の中で起きている事には気付いて欲しい。
私を悪者にするのをやめて、その他に原因があるかも知れない事に、気付いて欲しい。
そうでなければ、生涯あなたは人に傷つけられたと感じる人生を送るだろう。
私は「あなたに聞いてもらえていないと感じる」と言ったに過ぎない。
それを彼女は「あなたは聞いていないのだ。あなたの愛は偽物だ」と言われたと解釈している。
誤解を解くチャンスも与えずに。きちんと話をひとつもせずに。腹を立て、私を怖いといい、一方的に傷つけられたと嘆いている。
可哀相な妹。
私があなたを傷つけようなどと、いつしたのか。
それを一言も説明さえできなかったことを残念に思う。
あと何年、妹と同じ時代で過ごせるのか分からない。
だからチャンスがあるのかどうかわからないが、私たちの関係は、ここが始まりのような気がする。
このまま交わらないかも知れない。
けれどチャンスを待とうと、私は祈っている。