2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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正直な人 というのは嘘をつかない人の事をさす。
私は、正直でありたいと思うし、嘘を付くことは怖いとさえ思う。
嘘は本来、自分の身を守るために作り出してしまうものなので、一度嘘をついてしまうとそれを撤回することは難しい。撤回することそのものが自らを危険に晒すことになるし、嘘をつく直前よりも嘘をついたことにより自分の立場は悪化している。そんな状況の中で危険に身を晒せるくらいなら最初から嘘など付かないのだから。身を守るために、一つの嘘から次の嘘へとつながって、身を守ろうとした事が自分をとことん追い込んでいく。だから嘘は怖い。
弱い自分を最初から晒す事こそが一番危険を最小にしていると、私は体にたたき込んで、嘘を避けている。
父は、子供の嘘を絶対に許さない人だった。
何か隠し事をすると正座させられ、何十分でも尋問された。
「何かお父さんに嘘をついていることがないか」と問われ
「お父さんは何でも知っているんだ。だけど自分の口から言いなさい」とプレッシャーをかけられると、良心の呵責に耐えられずなんでも自分からしゃべってしまった。
たわいのない事ばかりなのだが。
すぐ近所の公園に行くと言って、もっと遠くの大きな公園に行きました、とか。
宿題が済んでないのに済んだと言いました、とか。
遊びに行くと言って出かけたけど友達と一緒に男の子にチョコレートを渡してました、とか。
嘘というほどのものですらない。
けれどわが家には父の権限で下される最高の処罰「冷蔵庫の刑」というのがあり、何でも素直に白状しておかなければ父の逆鱗に触れる怖れがあった。
父の采配次第では業務用の冷蔵庫に入れられてしまうかもしれないという恐怖が常にあった。
「これは業務用だからこの冷蔵庫に一晩入っていると、人間は死ぬ」と父は言った。
つまり、死ぬ危険のある場所に入れられるのだ。実際に何度か入れられた。
子供に嘘はいけない事だと思わせる為に恐怖を利用した父のしつけは、成功したとも言えるかも知れない。しかし恐怖によって植え込まれた「禁止事項」は時に不必要なほど効き目をあらわす。
社会人になった後で、私は自分の思っていることを正直に言い過ぎて社会でうまくやっていけないという経験を繰り返した。言わなくていいことまで言ってしまうのだ。黙っておく、隠しておくということが出来ない。
これは正直というよりただの馬鹿なのだった。
父が私に施したしつけにより、私は馬鹿正直な人間にはなったが、それが社会で必ずしも役立つわけではなかった。むしろ、馬鹿正直さは不器用さであり、融通の利かなさとなって、私の人生を邪魔した面が大きい。
人に聞かれると何でも白状してしまう。自分の事をかくしておけない。なんでそこまで無防備に、赤の他人に晒してしまうのかと自分で情けなくなった事も数限りない。だが聞かれると答えてしまう。心理的な結界が崩壊していたのだ。外から入ってくるものに抵抗することがとことん苦手だった。
人間というものは自分を尺度にして人を見てしまう部分がある。
私は自分が嘘をつかないことに徹底しているものだから、人もそうなんだろうと思い込んでいた。そんな馬鹿な私をおもしろがって、からかう人は少なくなかった。「昨日総理が死んだらしいよ」といわれ「ええーーほんとに!?大変だよね」と私が真に受けるとゲラゲラと笑われた。この手のからかいはよくあって、私は本当に何度それをくらっても疑わない馬鹿っぷりを発揮しては、大いに相手を喜ばせてしまったものだ。
幼い頃から大人にからかわれ、成長してからは友人に、先輩に、上司にとからかわれた。それでも私の中に取り込まれている「人を信じない人間には価値はない」という指令によって、私は何度でもだまされてみせた。「幼稚園児のように信じる」と面白がられた。
今あらゆる情報に裏付けを取ろうとするのは もしかしたらこういうからかいをたくさん受けたせいかもしれない。
父こそが、私をからかう代表者の一人だった。
父の言う事を真に受けないでいると「可愛くない子供」とか「子供らしくない子供」などのらく印を押されそうだった。父の愛情を失うことは恐ろしかった。私は愚かで、純粋な子供を演じ続け、いつかそれが自分自身だと思うほどに上手に自分を偽るようになったのだった。
ゲシュタルトのワークで「話したくないことは話さない」という練習を積んで、はじめてそれが出来るようになったのだが、今でも得意とは言えない。
話したくないことまで話すと自分の中がぐちゃぐちゃに荒れてしまう、と分かっているのに答えないでいることは本当に苦しい。人の侵入を防げないので人と付き合うことが苦痛になる。
話したくないことを聞かれると「答えたくない」で済ませればいいものを妙な理屈を作り出したりして余計に話がややこしくなったりする。ますます人と話す事が苦痛だ。
今、私のもとにやってくるクライエントと過去の私は何も変わらなかった。
自分の出す情報を自ら吟味し、不必要な事は話さないという事が出来るようになって、初めて大人の仲間入りが出来たような気がする。
それは私が、父の前で徹底的に演じ続けた「純粋で騙されやすい娘」の像を脱皮した事を意味していたからだ。
娘は 最初の理想の異性像を父親に求める。
父親を理想の男性だと思って 父を深く愛する。
父に愛されるために、父の望む女性像に近づこうとする。
その女性像のモデルを母親に求め 母親似になっていく。
いずれにしろ私は最初から 私であることを許されてはいなかったのだ。
今、自分が何者であるかを獲得した事は、すべて自分の努力によるものだと胸を張れる。今、彼らは彼らの娘を脱皮した私の変貌ぶりに面食らっている事だろう。
父も母も 私がどういう人間であるかを知らず、わからないままに育てた。誰も彼も、そうなのかもしれないと思う。
しかし嘆くなかれ。
人は必ず自分を見つけ出せる。
迷いも悩みも、その先にある答えは常に「自分自身」だからだ。
自分自身であろうとする人を 私は愛する。
その人の探求の旅を応援し支え続ける。
そのことについて一点の曇りもない。
私は、正直でありたいと思うし、嘘を付くことは怖いとさえ思う。
嘘は本来、自分の身を守るために作り出してしまうものなので、一度嘘をついてしまうとそれを撤回することは難しい。撤回することそのものが自らを危険に晒すことになるし、嘘をつく直前よりも嘘をついたことにより自分の立場は悪化している。そんな状況の中で危険に身を晒せるくらいなら最初から嘘など付かないのだから。身を守るために、一つの嘘から次の嘘へとつながって、身を守ろうとした事が自分をとことん追い込んでいく。だから嘘は怖い。
弱い自分を最初から晒す事こそが一番危険を最小にしていると、私は体にたたき込んで、嘘を避けている。
父は、子供の嘘を絶対に許さない人だった。
何か隠し事をすると正座させられ、何十分でも尋問された。
「何かお父さんに嘘をついていることがないか」と問われ
「お父さんは何でも知っているんだ。だけど自分の口から言いなさい」とプレッシャーをかけられると、良心の呵責に耐えられずなんでも自分からしゃべってしまった。
たわいのない事ばかりなのだが。
すぐ近所の公園に行くと言って、もっと遠くの大きな公園に行きました、とか。
宿題が済んでないのに済んだと言いました、とか。
遊びに行くと言って出かけたけど友達と一緒に男の子にチョコレートを渡してました、とか。
嘘というほどのものですらない。
けれどわが家には父の権限で下される最高の処罰「冷蔵庫の刑」というのがあり、何でも素直に白状しておかなければ父の逆鱗に触れる怖れがあった。
父の采配次第では業務用の冷蔵庫に入れられてしまうかもしれないという恐怖が常にあった。
「これは業務用だからこの冷蔵庫に一晩入っていると、人間は死ぬ」と父は言った。
つまり、死ぬ危険のある場所に入れられるのだ。実際に何度か入れられた。
子供に嘘はいけない事だと思わせる為に恐怖を利用した父のしつけは、成功したとも言えるかも知れない。しかし恐怖によって植え込まれた「禁止事項」は時に不必要なほど効き目をあらわす。
社会人になった後で、私は自分の思っていることを正直に言い過ぎて社会でうまくやっていけないという経験を繰り返した。言わなくていいことまで言ってしまうのだ。黙っておく、隠しておくということが出来ない。
これは正直というよりただの馬鹿なのだった。
父が私に施したしつけにより、私は馬鹿正直な人間にはなったが、それが社会で必ずしも役立つわけではなかった。むしろ、馬鹿正直さは不器用さであり、融通の利かなさとなって、私の人生を邪魔した面が大きい。
人に聞かれると何でも白状してしまう。自分の事をかくしておけない。なんでそこまで無防備に、赤の他人に晒してしまうのかと自分で情けなくなった事も数限りない。だが聞かれると答えてしまう。心理的な結界が崩壊していたのだ。外から入ってくるものに抵抗することがとことん苦手だった。
人間というものは自分を尺度にして人を見てしまう部分がある。
私は自分が嘘をつかないことに徹底しているものだから、人もそうなんだろうと思い込んでいた。そんな馬鹿な私をおもしろがって、からかう人は少なくなかった。「昨日総理が死んだらしいよ」といわれ「ええーーほんとに!?大変だよね」と私が真に受けるとゲラゲラと笑われた。この手のからかいはよくあって、私は本当に何度それをくらっても疑わない馬鹿っぷりを発揮しては、大いに相手を喜ばせてしまったものだ。
幼い頃から大人にからかわれ、成長してからは友人に、先輩に、上司にとからかわれた。それでも私の中に取り込まれている「人を信じない人間には価値はない」という指令によって、私は何度でもだまされてみせた。「幼稚園児のように信じる」と面白がられた。
今あらゆる情報に裏付けを取ろうとするのは もしかしたらこういうからかいをたくさん受けたせいかもしれない。
父こそが、私をからかう代表者の一人だった。
父の言う事を真に受けないでいると「可愛くない子供」とか「子供らしくない子供」などのらく印を押されそうだった。父の愛情を失うことは恐ろしかった。私は愚かで、純粋な子供を演じ続け、いつかそれが自分自身だと思うほどに上手に自分を偽るようになったのだった。
ゲシュタルトのワークで「話したくないことは話さない」という練習を積んで、はじめてそれが出来るようになったのだが、今でも得意とは言えない。
話したくないことまで話すと自分の中がぐちゃぐちゃに荒れてしまう、と分かっているのに答えないでいることは本当に苦しい。人の侵入を防げないので人と付き合うことが苦痛になる。
話したくないことを聞かれると「答えたくない」で済ませればいいものを妙な理屈を作り出したりして余計に話がややこしくなったりする。ますます人と話す事が苦痛だ。
今、私のもとにやってくるクライエントと過去の私は何も変わらなかった。
自分の出す情報を自ら吟味し、不必要な事は話さないという事が出来るようになって、初めて大人の仲間入りが出来たような気がする。
それは私が、父の前で徹底的に演じ続けた「純粋で騙されやすい娘」の像を脱皮した事を意味していたからだ。
娘は 最初の理想の異性像を父親に求める。
父親を理想の男性だと思って 父を深く愛する。
父に愛されるために、父の望む女性像に近づこうとする。
その女性像のモデルを母親に求め 母親似になっていく。
いずれにしろ私は最初から 私であることを許されてはいなかったのだ。
今、自分が何者であるかを獲得した事は、すべて自分の努力によるものだと胸を張れる。今、彼らは彼らの娘を脱皮した私の変貌ぶりに面食らっている事だろう。
父も母も 私がどういう人間であるかを知らず、わからないままに育てた。誰も彼も、そうなのかもしれないと思う。
しかし嘆くなかれ。
人は必ず自分を見つけ出せる。
迷いも悩みも、その先にある答えは常に「自分自身」だからだ。
自分自身であろうとする人を 私は愛する。
その人の探求の旅を応援し支え続ける。
そのことについて一点の曇りもない。
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