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2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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現実のこの世界に いまこの瞬間にも 助けが必要な人がいる

その現実から目を背けて 自分のことだけで生きることも出来る

だけど 私はかつて 助けが必要な人の一人だった

助けてもらえなければ 闇に沈み おそらくは
人生をもう終わらせていた人間の一人だった


もしクリスに出会えなければ。
そして、クリスに会うチャンスを作ってくれた智恵ちゃんが居なければ。
智恵ちゃんに出会う機会となった会社経営をしていなければ。
会社を経営する動機になった夫に出会っていなければ。
私に会社設立を決心させた取引先の重役に出会えていなければ。
取引先の重役に出会う機会をくれた会社に採用されなければ。

どれが欠けていても 私はクリスに出会う事はなく、
クリスに出会わなければ、今の私は存在していないだろう。


私に救いが与えられ、今の人生がある事は奇蹟だ。

そして、他の全ての救いを必要とする人々にも 私と同じチャンスがある。
新しい人生と 幸福を。

私は 生き残った幸運を 忘れない。
生きなおすチャンスを得た幸運を 忘れない。
だから 救いが必要な人々を見捨てない。

生きる勇気を 与えてもらえなければ生きられない時がある。
優しさといたわり そして 自分に対する誇りを取り戻さなければ
顔を上げることもできない時がある。

私は それを人からもらった。
今度は 人にあげる番なのだ。


飢餓に苦しむ子供たちがいる。
戦乱に苦しむ人々がいる。
国を失い流浪の人々がいる。
心を失い夢を忘れた人々がいる。
嘆きに沈み鬼と化す人々がいる。
無知ゆえに人を傷つける人々がいる。

一度にすべてを救うことなど出来はしない。

だから 自分の無力さを嘆くような無駄な事はやめて
どこからでも手を伸ばせばいい。
私が関わることの出来る不幸は 巨大な山の一握りの石に
過ぎないかも知れない。
けれど 私は山を見なかったフリはしない。

目の前にいる人の 瞳に宿る孤独を感じたならほんのひと呼吸でも 愛を傾けよう。

あげられるものは持っていないけれど 祈り続けることだけは出来る。

目の前の山がどれほど高くても
自分がその前にいる蟻ほどの存在に過ぎないとしても
与えられた時間と力と 命の限り
必ず 何かが 出来るはずだから


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水曜日 何だかだるくて変な感じと思っていたら 風邪を引いたらしい。
木曜日 朝から腹痛と吐き気。熱が38度ほどある中、佐賀の武雄での講座。
    会場に着く直前、タクシーを薬局に回してもらい、開店したばかりで
    まだお掃除中の店員さんに「腹痛がとにかく一瞬だけ収まる薬下さい」
    とお願いし、その場で飲む。
    講座中は何事も無いかのように過ごし、会場を後にした途端、腹痛が
    ぶり返し、帰宅まで何度もトイレを行き来する。帰宅後から臥せって
    何も出来ず。熱で体の節々が痛む。ひどい下痢でふらつく。
金曜日 神様仏様守護神さまの采配か、仕事が入っていない奇蹟の金曜日。
    一日、出来るだけ寝る。つい欲が出て読書などしてしまうのだが。
土曜日 まだ熱がありながらも、予約が入っているのでクライエントさんをお迎
    え。うつさないように色々と配慮。食品が尽きているものの、買い物に
    は出ず、家族には冷凍のたこ焼きが晩ご飯。我慢してもらう。
日曜日 やっと熱も下がった。腹痛もなし。頭痛がちょっとあるかな?

…という具合に振り返ってみると、先週の後半は一年に何度あるかというくらい
体調が崩れた。

こうして振り返ってみて改めて思うのは、体調の不調と、精神の不調は、全然別
の波なのかなという事だ。

今日の時点で、体調は決して万全とは言えないが、気持ちの感覚、自分に対する
信頼や未来への希望は、かなり調子の良い状態だ。

やろうとする事は出来る、という気がする。
未来には多くのやりがいのある仕事が待っており、しかもそれを喜びの中で実施
出来るという希望を感じる。

体調は決して万全ではないのに。
これは一体、どうしてなんだろう。

明日、娘の授業参観日だ。従って、書き物の仕事はあまり効率良くさばけない日。
だから今日中に、原稿を纏め上げてしまう事が望まれる。
こういう時、忙しい時にありがちな「少々追い込まれた気持ち」だと、憂うつに
なる。いつも自分が時間に追われているような嫌な気分になるし、取りかかって
も結局は今日中には出来ないんじゃないか、というような、最初から負けている
ような気分になるのだ。

ところが。
今日は違う。
手をつけ始めれば必ず出来る。そんな確信がある。
多分、集中して周りの音が聞こえなくなれば30分以内で仕上がるだろう。
そんな予感、というより確信がある。

頭の中に涼しい秋風が吹き渡っている。
その冷たい風が、頭の芯、私の思考の最も重要な中枢を目覚めさせる。
そんな感覚がある。

これを在る程度 自分の意志で呼び出せれば、多分すごい事が出来るんだろ
うなあ、と思う。
実際、イチローは自分の意志で自分の能力を引き出している。

さて、調子の良いうちに仕事にかかろう。
こういう時は本当に仕事が気分いい。仕事している自分も気持ち良い。
ハッピー。

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娘が学校で先生からもらった栗を一粒だけ、もって帰ってきた。

食べてみたいというので、茹でてあげた。
たった一粒の栗を、一生懸命丁寧に、スプーンでほじってきれいにきれいに食べる娘が可愛い。

食べ終わって、「ママー栗拾いしてみたい」と言い出した。
そう言うんじゃないかなあ、って思ってたんだよ〜。

ネットで調べると、栗拾いに行くには時期がもうギリギリ。
そして栗拾い園は土日しかやっていないらしい。
私は土日は仕事だ。早めに予定を立てておけば土日にも遊びにいけないことはないけれど、急に次の日曜日、なんて事はできない。すでに予約が入っているからだ。

残念ながら今年の栗拾いは無理そうだなあ…。

スーパーで栗を買ってきて、一杯茹でてみよう。
少しは気が済むかも知れない。

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小学校1年生の男の子が絞殺されるという事件が昨日の夕方に起きた。

小戸公園は私たち家族も時々利用する。
いろんな遊具が広い敷地にゆったり設置されていて、福岡らしい自然豊かな公園だ。
保育園時代は遠足で娘は何度も訪れている。犬を散歩させるのにも丁度良い。
小戸のホームセンターに来た帰りに、ちょっと散歩にと立ち寄ったりする。

こんなに身近な場所で、そしてわずか10分トイレに行っている間に、子供が殺されるなんて。
あまりにも悲しく、恐ろしい事件にショックを受けている人々が大勢いるだろう。

その子の魂は、突然訪れた死を理解しただろうか。
どうか迷うことなく、魂の辿るべきプロセスに進んでくれるよう心から祈る。
どんな思いをしただろうか。
そう思うだけで、苦しくなる。涙が出てくる。

でもその子の命は止まってしまった。だから、ただただ、安らかにとひたすら願う。

今残されたお母さんは激しい悲しみと怒りと、どうにもならない苦しみに身を割か
れるようにしていることだろう。
こちらはまだ終わっていない。
これから生きる限り、息子を奪われたという事実に向き合っていかなければならないのだ。
それがどれほどの試練か。
どうかこの家族にたくさんの支援と愛が注がれますように。

一体何故、こんな事件が起きてしまうのか。
犯人の心に何が起きたのか。
すべて公開して欲しい。知りたい。
そして何が出来るのかを考え、実行したい。


殺してはいけない。
命を奪ってはいけない。
本当に強くそれを思う。

=================
追記 2008.9.23
母親が犯人として逮捕されて2日。
親が子を殺す時には 相応の理由があるものと思う。

けれど あってはいけない。
防がなければならない。
母親がすべてを正直に話してくれることを願う。
殺された親ではなく殺した親として、今どのような苦しみの中にあるだろうか。
人は彼女に同情してくれないだろうが 激しい苦しみがあることは間違いない。

この世にあるすべての苦しみが無くなるように。
許されない罪が繰り返されないように。
一つでも何か、その実現に向けて努力したい。

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事故米がニュース番組を賑わせている訳ですが。

米に関して思い出すのは、おととしの極貧期にドン・キホーテで
買った10キロ900円の激安米のことだ。

あの年は、収入の大部分をNPOに渡していて、一年間報酬を受け
取らずに働いた。
だから電気もガスも止められて、本当にお米も買えないほどお金
に困っていた。

「これってどういう素性の米だろう…」と思いつつも、「食品な
んだからまずいとしても食べられるだろう」と購入した。

普通に炊いてみてとてもじゃないが白ご飯としては食べられない
ほどマズイ事が解った。
米が割れていて、水を吸い過ぎて糊のようにべちゃべちゃになるのだ。
風味もなく、とにかくとてもマズイ。

普通に炊いても美味しくないので、リゾットにして食べた。
3週間ほどの食事はこの米で餓えをしのいだ。
そして、二度とこの米は買わないことにした。
(つまりそのくらいマズカッタのです!!)

今になって…。
あの米って多分、事故米だったんじゃないかと疑っている。

だって、ありえない値段。
10キロ900円。
これだけ価格差があれば、まともな米であるはずがない。

うすうす、そんな予感もあったのだが。
動物用か、肥料用か。そんな気もしていながら貧しさから買った米だった。

でも米問屋の倒産品かも知れないとか、いろいろな事情で流れた
商品かなあ…などと、良いほうに考えようとした。


事故米を食べても健康被害はないって 農水省は言うけれど。
まーさーかーぁ。どうやってそれを信用しろと?

世の中って本当に、自分の目や勘を鍛えていかないと乗り切れない
面があると思う。

やばいと思うものは 自分で避ける。
自分の目と耳と勘と。信じること。


追記:
今になって学校給食にまで使われていたと報道されている。
どうなってるんだろうね、この国は。
食べ物の安全が確保されない国の体制は、恥ずべき事じゃないだろうか。

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鳥栖で傾聴上級が始まった。

なんとこの講座のスタート時間は9時!

(そうだっけ、いつの間に9時と約束したのだろう??やっぱりしっかりものの秘書が必要かも!!)

今朝は娘も学校がお休みなので置いて行くことも出来ず、一緒に早起きして連れていくことに。
朝マックを買って、高速道路を飛ばして、鳥栖に8時30分に到着!
ふー鳥栖はまだ武雄に比べれば近いなあ〜。

お昼に講座が終わり、大人しく3時間も待って居てくれた娘には感謝。
「腹減った」コールの娘に、すぐに食べさせる為にはやはり外食しかない。
遠くに出張が増えたり、夜の講座が増えたりすると、どうしても外食率が高くなってしまう。
正直言って、ご飯を作る暇や、ご飯を家で食べる暇はないのである。

娘に「ママの手作りご飯が食べたいなあ…」と言われるのは結構悲しい。

働くママはホントに、時間も体力も、ぎりぎりなのですよ。
ごめんよ、娘。
せっかくの3連休なのに、仕事ばっかりしてるね。ごめん。

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武雄市で講演と講習会の仕事。

10時開演の為に、9時までに会場入りしなければ。
そもそも武雄ってどこにあるの?→この期に及んで分かってない。

JRの時刻表を見て腰が抜けた。
現地に9時までに到着するには、7時31分みどり1号しかない。

は!? 博多駅に7時30分っ!!

ということは…逆算していくと、大手門を6時50分までに出発。
娘も朝一番のバスまで25分待ちぼうけになることを覚悟して同じ時刻に出発させなければならない。

6時50分に家を出るということは…何時に起きればいいんだ?
んーと…。

私が一番嫌いなのは、時間に追われてバタバタするという事だ。
急いで走り回ったり、講演の前に汗だくになったりするのが一番嫌いである。
だから、常に時間にゆとりをもって、のんびり気味に行動するのが好きなのだが、とにかくアスペルガーの夫と小学生の子供が一緒に行動する時にはそういう訳にはいかない。

さあ時間だ、出かけるよと言ってから忘れ物だとか歯を磨こうだとか、あれこれ始まる。なんでこのタイミングでそういう行動を取るんだ?といつも思う。

結局出かけたのは7時過ぎ!
博多駅に31分だというのに、まだ娘を15分かかる赤坂のバス停に送らなければならない。
間に合うのか!?いや、間に合わないのでは!?
大手門から赤坂までを必死に早歩きする。
パンプスの中でストッキングを履いた足が滑り、走ることは到底出来ない。
その歩きにくさの中で必死に競歩のように早歩き。
みっともない。
歩きにくくて足が釣りそう。
パソコンも入った荷物は肩にアザが出来るほど重い。
31分のみどり1号は絶対に待ってくれたりしない。
間に合うのか!?

ああ〜もう〜!!
こういうのが一番嫌なんだよ〜!!
と内心爆発寸前になる。
子供が私の猛烈な不機嫌を察して、キビキビ歩いている。
可哀相に、この子は悪くないのに、と思う。

自分一人だったら、間違いなくこんな目には合わない。
子供や夫と一緒に居るということは、相手からの影響を受けるということだ。
そして私の一番苦手な、時間に追われて慌てさせられるという現象になってその影響が表れる時、私はほんの一瞬だけ、家族を捨てたくなるほど嫌になってしまう。
一人でいい、私は一人で生きていく、と思ってしまう自分が、居るのだ。

もちろんその慌ただしい時が過ぎてしまえば、そんな考えは春の雪のように消えてしまうのだけれど。

「慌て’させられる’」、という言い方をしている処にも現れているけれど、私はこのような時完全に受け身になっている。自分を被害者の立場に置いている。だから苦しみが耐えられないほど大きくなるのだ。

自分一人だったら時間のコントロールは完全に出来る。
でも人と一緒に行動する時、それが特にハンディキャップの人と子供だった場合、より遅い人、より弱い人に合わせなければならない。

そして、自分が、「遅い人に合わせる」という決断をしていないのだと気付く。
実は「私の言う通りに動け、私のペースにあわせて動け」と相手に要求している自分に気付く。

そうか。自分のエゴを押し付けているのだ。

人と関わると、エゴが明確になる。
時間に追われるのが嫌いなのは問題ない。
追われずに済むように、もっと弱い人に合わせた計画をすればいいだけの事だ。

今回のイライラの原因は、私の読みの浅さが原因だ。
彼らが出掛けにあれこれやり始めて時間をロスする事を、織り込んだスケジュールが必要だという事なのだ。


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「モーツアルトとくじら」というDVDを観た。

これはアスペルガー症候群の友人から勧められて、観る事になったのだが、とても面白かった。

この作品はアスペルガー症候群同士のカップルの話で、普通の恋人同士には起こらない特殊な問題が持ち上がる事が見どころだ。友人からは「これ以上、リアルにアスペルガーを描いている作品は他にない、きっと何度も観たくなるはず。是非」という熱烈なお勧めだった。

そこまでお勧めされたら観るっきゃない。
早速借りてくる。かなりマイナー作品らしいけれどちゃんとTUTAYAにはあった。
見始めてすぐから「なんじゃこりゃあ!?うちの話か!?」と思うほど共通する点がたくさんあった。
主人公ドナルドも、ヒロインのイザベルもアスペルガーなのだが、アスペルガー故の奇妙な行動がたくさん、リアルに描かれている。

もし、自閉やアスペルガーについて知りたいと思っている方があれば、是非お勧めする。

アスペルガーのカップルだからこそ、相手を分かってあげられる部分があり、アスペルガー同士だからこそ、相手に譲れない部分がある。
起こる問題は特殊な事だけれど、でも、もっと引いてみれば、普通のカップルにも思い当たる事があるはずだ。

「僕と結婚して。君を解るのは僕だけ。僕には君が必要だ。そして君も僕を必要としているはずだ」
とプロポーズするドナルドに、イザベルは自殺未遂を起こしてしまう。

病院の医師から「もうイザベルには近づかないで。彼女に連絡をしないで」といわれ、ドナルドはイザベルを追いかけようとする自分と全身で闘う。
追えば、今度こそイザベルを死なせてしまうかもしれないと思ったからだ。
(ここがものすごく好きなシーン。何もしない事が、君の為だと信じた、というドナルドに共感。)

ようやく再開した二人。
イザベルは泣きながら「私、未来はわからないの。明日あなたを同じように好きか、約束は出来ない」と言う。

そんなイザベルに、ドナルドは泣きながら言う。
「やっと言えるよ。それが『普通』なんだ」


彼女がプロポーズされる事に怯えていたのは、未来の自分を約束出来ないからなのだ。

アスペルガーの人は、私たちが考えられないほど純粋で正直なのだ。
だから私はアスペルガーの人が好きなのかも知れない。

そう。気安く永遠の愛を誓う普通の人々に言いたい。
明日も気持ちが変わらないと、何故言えるのだろう。
それは嘘ではないのか。
アスペルガーの人たちは普通の人はみんな嘘つきだと感じている。

「明日は分からない。でも今はあなたと一緒にいたい。」
そのイザベルの言葉に嘘は微塵もない。信じられる完全な愛がそこにある。

「ものすごく君に会いたかった」
イザベルを愛するが故に、電話しようとする自分と闘い、もがいたドナルドが、ようやくイザベルに言えたこの一言。涙ドバー。

とてもきれいな、純粋な愛が描かれていた。


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新学期が始まりました。
今日からまた、早起き生活です。
来週からは恐怖のお弁当再開です。

8月に予定した講座を延期したので、NPOへの収入がなく、先月末は給料無しとなってしまいました。
わおーー。どん底再び。
つくづく、給料生活者というのは恐ろしいと思いました。

毎月決まった日に給料が来るという前提で生活を組み立てているので、月末にはお金が底をついている訳ですね。そこにきて、給与が止まると、すぐ次の日から家計がなりたちません。労働闘争などで、給与が止まる事が一番激しい問題になるのはそういう理由だなと思いました。

でもここは切り替えです。
私は今日から一ヶ月、給与生活者から、日雇い労働者の気持ちで働きます。
無給の日もたくさんあるでしょうからきっと、食費にも困るだろうけど、生きられればそれでよしとします。

暗く考えても仕方ない。
落ち込んでても飯は食えない。
家族の為にも働こう。

お金がないなら働けばいい。
働いてもお金が足りないなら、もっともっと働こう。
それでダメなら野垂れ死に。それもまた人生。
きっと倒れながらも「精一杯やったぞ…」と思えるでしょう。

よーし。向かい風に胸を張れ〜!
大丈夫。きっと私の先祖も、同じ思いをしているのです。
そして頑張ってくれたから、私が居ます。

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30日。くもり。
気温は30度まで上がるという予報を信じて、サンシャインプールへ。

涼しいと言ってもいいくらいの体感温度で、水に入るのは結構寒かったけれども、娘の喜びようはすごかった。

夫は腰痛と腹痛とで、水着に着替えたものの数十分でギブアップ。打ち上げられたトドのように日なたのプールサイドで寝転がったままとなった。

私は一人で、全力モードの娘の相手をする。
思えば、子供の相手をする事が苦手な私は、いつも娘の遊び相手を夫に任せきりになっている。
娘は「珍しいねえ、ママと遊べてるよ〜」とまたことさらに喜んでいる。
夫が倒れ、私が相手をするしかないからしているのだが、こうして、状況によって与えられる幸せというものがある。

もし夫が元気で、体調も万全であったら、私は娘の相手をしている事にだんだんイライラしてしまうだろう。子供につきあってテンションをあげる事が苦痛だし、一緒にはしゃいだり、暴れたりする事も非常に疲れてしまう。だからそのイライラを、彼に向けてしまうだろう。「少しは交代して!」と。

しかし、夫が倒れているという状況では、私が娘を楽しくさせてあげるのは当然だし、文句を言う気持ちなど微塵も起こらない。いつもの遊び相手が倒れていては、娘が可哀相なので代りに楽しませてやろうと思う。そして、いつもなら出来ない事、はしゃいだり、騒いだりが、出来ている。
娘と遊んであげられた。いつも出来ない事が、出来た。

娘はすっかり体が冷えて、歯の根が合わないほどになるまで、プールで遊んだ。
そして帰りの車の中ではスイッチの切れたロボットのように眠った。

夜、舞鶴公園で花火があがった。
私の部屋のベランダ一杯に、大きな花火が上がった。
家族でそれを眺めながら「いろんな事があったねえ。夏が終わったねえ」としみじみした。

チャムが死ぬ2日前、大濠公園の花火大会に家族みんなで出かけた。チャムの容態が安定していたからこそ行けたのだ。あの日の花火は、チャムがプレゼントしてくれたものだった。
そしてまた、花火を見るとチャムがプレゼントしてくれているように感じる。

がんばったねえ。いろんな事があったねえ。よかったねえ。
そんな風に言われているような、花火の音。

夏が終わる。

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