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信念をもつ人は とても強い。

もともと はかなく かよわく 繊細な 人の心を
強く 硬く 変容させるものの一つが「信念」である。

信念というものの影響力は もろ刃の剣である。

私の 苦しみに満ちた時代を支えたものは 
「自分を信じてくれた人を絶対に裏切ってはならない」という極めて強い信念だった。

私の言葉と私自身を見て、私の会社に10億円以上のお金をかけようという決断をしてくれた 業界でも敏腕で通るプロデューサーがいた。私はこの人の信頼を裏切ることを恐れ、そして、私を信じて一緒に夢をみようと集ってくれていた、幼いとさえ言えるほど若いスタッフたちを裏切ることを恐れ、すべての瞬間を仕事に捧げていたように思う。彼らの夢を叶えることが、私に出来る彼らを裏切らないという信念の具現方法だった。

力及ばず、プロジェクトがとん挫した時、私は生きていられない思いだった。彼らを、全世界を裏切ってしまったと感じたからだ。
当時相手方に与えた損害はおよそ7000万円。私の生命保険が満額おりれば弁済でき、さらにスタッフに分配出来る計算が成り立った。13階の自宅ベランダから飛び降りなかったのは ほんのかすかに残る想像力が働いたからに過ぎなかった。私の死後にその金を受け取る側の、残されたものに与える心理的ダメージの深刻さを想像した時、私は彼らへの愛ゆえに、自分を殺す選択を思いとどまる他なかったのだ。私は私なりに 彼らを心から愛していた。

あと一押し、あとほんの一言、だれかから責められていたら、私はおそらくあそこから落ちていたのではなかったか。経営に失敗して自殺する事業者の思いは 誰よりもわかるつもりがある。私の周りにいたスタッフは 誰も彼も、本当に私に優しかった。私を責めるものは居なかった。ただ自分が自分を責め続けていた。


信念というものは、苦しみに立ち向かう時 その人を強力に支え続ける鋼のようなものだ。しかし 肉体のもろさ精神の柔らかさに、信念は対応しない。それが信念というものの持つ属性だ。

信念に支えられていた肉体と精神が 力を失って重力に引かれるまま落ちていこうとする時 信念はその肉体にそってしなやかにたわんだりはしない。それゆえに 肉体と精神は信念に縛りつけられる物体となり 縛られて食い込んでいる部分から、深い傷を受けて腐り落ちていく。従であったはずの信念が主となり なんのために生存しているのかわからないただの物質となって 傷だらけで体液をまき散らしながら かろうじて生き永らえている存在。

そして信念のもつ麻薬のような効果が精神に影響を及ぼす。
鋼のような信念のために己のすべてが犠牲になっていることを まるで良いことのように感じるのだ。苦しみが大きいほど、大きな事を成しえているような錯覚に陥る。このような人は 信念ばかりが肥大化していて それを自己だと錯覚しているような処がある。自分の本体はもろく、繊細であるのに、信念の持つ強靱さこそが自分自身であると思っている。このような人は、挫折している事実を受け入れる余地を持たないので、とことん現実逃避を繰り返すか、一気に自殺まで追い込まれるかのどちらかになる。


一方で
引きこもりや 不登校 ニート と言われる人々と接する事の少なくない私が持つただの所感に過ぎないが
「信念」をもつ人が 非常に少ないという事実だ。

「信念ゆえに」苦しむ人と 「信念を持たざるがゆえに」苦しむ人は どちらが多いだろうかと ふと考えたりする。


信念がない事は 私たちを日常のささいな苦しみの泥沼に留まらせることになる。
大きな視野をもてず、日々の実際には些細な事に始終足を取られつまづき、ぐちぐちと腐った気分を持て余し 自己妨害を繰り返す。

自分の命を 何に使うのか。
それを得ている人は 泥沼から早く立ち上がる。
おそらくは 自分の寿命についても考える機会が多いだろうし 命とは何かという本質にもたびたび触れているだろう。

本質的に「開かれた」状態で 目覚めて生きるには 何らかの信念が必要であるという結論が、今の私の結論である。

無論、信念にもいろいろあるが。
金こそすべてという信念を持つと ライブドア事件が起きる。
金を得た上で、何を得ようとしたのか、という処へ思考が及び、その本質が目指すものを見すえていれば ライブドアという会社の行く末は違ったかも知れない。

私の場合もそうだ。
人を裏切ってはならないという信念のさらに先にあった「愛したい、愛されたい」という本質が見えていれば、私は会社を経営するという事以外の、別の生きる道を思いつけたかもしれなかった。
信念は、スローガンとして現れた瞬間に、その人の思考を停止させるという属性も持つ。ここが危険なのかもしれない。


本質を見極める目を 曇らせるな と告げる声が私の中にある。
本質は「信念」というスローガンを超えるものだ。

今の私が持つ いくつかの信念の一つは
「何があっても 自分として 生き続ける」というものだ。

おかげで 死ぬという逃げ道がなくなって 困る部分もなくはないのだが。
この退路を断たれたはらいせに「あー死ぬ死ぬ。それー死ぬ死ぬ。もう死ぬ死ぬ。」と口からでまかせを言ってみる事も時々ある。

しかし生き続ける信念は おそらく間違ってもいない。
思考停止せず この信念も追い続けてみよう。

鋼の信念を しなやかにたわむものとして鍛え上げ直せれば、と思っている。

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