2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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小学生の夏休みの最後と言えば、宿題に追われて泣きべそかいているものだけど。
娘も例外でなく、算数のドリルと漢字のドリルに追われている。
今年の夏は娘にとっても大きな出来事が続き、宿題がおそろかになってもやむを得なかったかなーと思う。
ずっと楽しみにしていた仲良しのいとこと遊べず、今も絶交状態になってしまっている事。
しかも子供同士はなにも問題ないのに、親同士の問題に巻き込まれてしまっているのだからこれほど酷い事はない。娘も心を傷めていて、本当に可哀相で、いとこの子もきっと同じだろうと思うにつけ、私も心が痛んで仕方のない事だ。
それから、娘にとって生まれた時から一緒にいた家族のチャムが、死んでしまい居なくなった事。
特に火葬は娘の心に大きな傷になってしまったように思う。
あれから何度も「死んでしまうのはしかたないけど、焼くのはいや」と言うのを聞いている。
おたふく風邪になって1週間寝込んだこと。
おかげで親がとった休暇が病気の治療で全滅してしまい、夏の計画は全部パーになった。
娘は、海の中道サンシャインプールの流れるプール大好きなので、毎年出来るだけ連れていっているのだが、今年はまだ一度も行けていない。なにしろあのプールは一日がかりの大仕事。一日の休暇が親の方が忙しくてまったく取れないのだ。火曜日の講座の為のテキスト制作で土日月は毎週丸つぶれになっている。ご飯を作るゆとりもないので、子供に冷食や出来合いのものばかり食べさせていて、本当に申し訳ない。
そんなこんなであっという間に40日間の夏休みがもう終わろうとしている。
なんだか残念な感じの夏休みだったが、それでも少しでも彼女の心に夏の楽しい記憶が残るようにとあれこれ小さな工夫を重ねている。
仕事の用事で出かけた時にちょっとだけゲームセンターに立ちよってあげるとか。
買い物の時に、欲しがっているものをプレゼントしてあげるとか。
一緒にプリクラを撮るとか。
今日はクレーンゲームで、大きなカピパラのぬいぐるみをゲットできた。
初めてこんな大きな賞品を取れたので、娘は大喜びだ。しかもこのカピパラのぬいぐるみは、ミニサイズを持っていてお気に入りのデザインだったのだ。その大きいサイズが手に入って、超ご機嫌だ。
「パパはすごいねえ!!こんなの取れたねえ!!」と大喜びで「今日から一緒に寝る!!」と抱きしめて離さない。
早速、そのBIGカピパラを枕に寝ている。
なんとか、31日にプールに連れていってあげたいなあ…。
娘も例外でなく、算数のドリルと漢字のドリルに追われている。
今年の夏は娘にとっても大きな出来事が続き、宿題がおそろかになってもやむを得なかったかなーと思う。
ずっと楽しみにしていた仲良しのいとこと遊べず、今も絶交状態になってしまっている事。
しかも子供同士はなにも問題ないのに、親同士の問題に巻き込まれてしまっているのだからこれほど酷い事はない。娘も心を傷めていて、本当に可哀相で、いとこの子もきっと同じだろうと思うにつけ、私も心が痛んで仕方のない事だ。
それから、娘にとって生まれた時から一緒にいた家族のチャムが、死んでしまい居なくなった事。
特に火葬は娘の心に大きな傷になってしまったように思う。
あれから何度も「死んでしまうのはしかたないけど、焼くのはいや」と言うのを聞いている。
おたふく風邪になって1週間寝込んだこと。
おかげで親がとった休暇が病気の治療で全滅してしまい、夏の計画は全部パーになった。
娘は、海の中道サンシャインプールの流れるプール大好きなので、毎年出来るだけ連れていっているのだが、今年はまだ一度も行けていない。なにしろあのプールは一日がかりの大仕事。一日の休暇が親の方が忙しくてまったく取れないのだ。火曜日の講座の為のテキスト制作で土日月は毎週丸つぶれになっている。ご飯を作るゆとりもないので、子供に冷食や出来合いのものばかり食べさせていて、本当に申し訳ない。
そんなこんなであっという間に40日間の夏休みがもう終わろうとしている。
なんだか残念な感じの夏休みだったが、それでも少しでも彼女の心に夏の楽しい記憶が残るようにとあれこれ小さな工夫を重ねている。
仕事の用事で出かけた時にちょっとだけゲームセンターに立ちよってあげるとか。
買い物の時に、欲しがっているものをプレゼントしてあげるとか。
一緒にプリクラを撮るとか。
今日はクレーンゲームで、大きなカピパラのぬいぐるみをゲットできた。
初めてこんな大きな賞品を取れたので、娘は大喜びだ。しかもこのカピパラのぬいぐるみは、ミニサイズを持っていてお気に入りのデザインだったのだ。その大きいサイズが手に入って、超ご機嫌だ。
「パパはすごいねえ!!こんなの取れたねえ!!」と大喜びで「今日から一緒に寝る!!」と抱きしめて離さない。
早速、そのBIGカピパラを枕に寝ている。
なんとか、31日にプールに連れていってあげたいなあ…。
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年を取ったら、自分がどう生きるのか、「もう年だし、これしかないなあ」などの諦めも含め、きっと、年々はっきりしていくのだと思っていた。
でも実際には、40を過ぎても、自分の生きる道がこれだなんて、ちっとも言えない自分がいる。
確かに方向性ははっきりしてきたように思う。
大きく言えば右の方、とかそういう程度。
絶対に左には行かないだろうな、というのは分かるけど、右のほうにも色々あって、その中のどれが自分だけの道なのか分からない。
迷い迷い、悩み悩み、日々を生きていったら、最期に振り返って、「ああこれが私の道だったなあ〜」なんて思うんだろうか。
どうもそうなるような気がする。
幼い頃から、自分が死ぬ事をリアルに感じて生きてきた私は、死ぬ瞬間の自分が「まだ死にたくないよ〜」と言うのだけは嫌だと思っていた。
死ぬ時には、「ああ、これが自分の人生だったなあ。みんな、ありがとう。楽しかったよ」と思いながら死ぬと決めている。だから、在る意味、私の生き方はいつも必死だった。
明日交通事故に遭うとしても、そう言えるように、という気持ちを、子供の頃から持っていた。
生き急いでいたとも言えるだろう。
でも、小学生の頃から心因性で体調を崩す事が多く、保健室で寝て過ごしたたくさんの時間、私はいつも、そう思いながら天井を見つめていた。
今、こうして40代になり、やがてすぐに50代になるだろう。
いつ死んでもそう、不自然ではない年齢にどんどん近づいている。
生きる事と死ぬ事は、コインの両面のようにぴったりセットになっている。
だから生きる道を探す時には、死に方を感じながら選んでいる。
この道を進んでいって、自分は「死にたくない」と云わないかどうか。
そういう意味では、私の生きる道の選択は、いつも正しかったように思う。
これからも、迷い迷い、ふらふらしながら、生きているんだろうな。
でも、大きく右のほうで、かつ、死にたくないとは思わない方向、という事だけは昔から決まっている。
でも実際には、40を過ぎても、自分の生きる道がこれだなんて、ちっとも言えない自分がいる。
確かに方向性ははっきりしてきたように思う。
大きく言えば右の方、とかそういう程度。
絶対に左には行かないだろうな、というのは分かるけど、右のほうにも色々あって、その中のどれが自分だけの道なのか分からない。
迷い迷い、悩み悩み、日々を生きていったら、最期に振り返って、「ああこれが私の道だったなあ〜」なんて思うんだろうか。
どうもそうなるような気がする。
幼い頃から、自分が死ぬ事をリアルに感じて生きてきた私は、死ぬ瞬間の自分が「まだ死にたくないよ〜」と言うのだけは嫌だと思っていた。
死ぬ時には、「ああ、これが自分の人生だったなあ。みんな、ありがとう。楽しかったよ」と思いながら死ぬと決めている。だから、在る意味、私の生き方はいつも必死だった。
明日交通事故に遭うとしても、そう言えるように、という気持ちを、子供の頃から持っていた。
生き急いでいたとも言えるだろう。
でも、小学生の頃から心因性で体調を崩す事が多く、保健室で寝て過ごしたたくさんの時間、私はいつも、そう思いながら天井を見つめていた。
今、こうして40代になり、やがてすぐに50代になるだろう。
いつ死んでもそう、不自然ではない年齢にどんどん近づいている。
生きる事と死ぬ事は、コインの両面のようにぴったりセットになっている。
だから生きる道を探す時には、死に方を感じながら選んでいる。
この道を進んでいって、自分は「死にたくない」と云わないかどうか。
そういう意味では、私の生きる道の選択は、いつも正しかったように思う。
これからも、迷い迷い、ふらふらしながら、生きているんだろうな。
でも、大きく右のほうで、かつ、死にたくないとは思わない方向、という事だけは昔から決まっている。
オーストラリアの港に、生後一ヶ月の赤ちゃんクジラが迷い込んでいて、ヨットを母親と思い込み側を離れないというとても切ないニュースが先日流れました。
クジラの赤ちゃんは1年くらいは母親の母乳をもらいながら成長するという事で、生後一ヶ月では母親無しでは生きる術がないのだそうです。
ヨットにお乳をねだって吸い付く姿など、とても可哀相でたまりません。
そしてその後、赤ちゃんクジラはサメに襲われ深手を負って苦しんでいる事から22日に安楽死が決定したそうです。
安楽死が決定した事を受けて、現地アボリジニ(オーストラリア大陸の原住民)のホェール・ウィスパーと呼ばれる、クジラと話せる人が、死の瞬間を怖がらないようにと赤ちゃんクジラにクジラ語で話しかけると、赤ちゃんが同じように鳴き声で応え、ホェール・ウィスパーの側にすりよってきたのです。
涙が本当に止まりませんでした。
二人は確かに、対話していました。
そして、赤ちゃんクジラの声と共に、この苦しみと、悲しみが一気に押し寄せてきました。母親を求め、寂しい悲しいと甘えていました。お母さん、お母さんと言っていました。そしてその心を受け止め、慰めようとするホェール・ウィスパーの大きな大きな慈悲心を感じました。
近代的な暮らしをしている人々は、科学が万能だと信じている科学信仰者です。
そのような人々は、動物と人間が魂のレベルでコンタクトできる事を非科学的だと言います。
魂の存在も否定したりします。
私は、動物と人が精神よりもっと深く、魂のレベルでコンタクトできることを知っています。
これは信じているというよりは体験を伴う確信です。
動物と心で会話できる能力を訓練で獲得した人をアニマルコミュニケーターと言いますが、すごい人になると飼い主と動物しか知らない秘密の話を、動物から聞いて知る事も出来るそうです。
その事を飼い主に「この子がこう言っています」と話すとどんな飼い主も、確かに動物から聞く事が出来る人なのだと認めざるを得ないそうです。
アボリジニやネイティヴアメリカン、原住民のハワイアン、遊牧生活を守るモンゴリアン、チベット人、それら辺境の、科学に背を向けて古くからの独自文化を守っている人々に、非常に高い精神性を感じます。彼らを野蛮だとか、遅れているとか、劣っていると考えるのは、科学信仰者の驕りに他なりません。
彼らの持つ崇高な精神を、我々は失っています。
そしてそれを取り戻したく思っています。
彼らに学ぶ事は、あまりにも多く、そして私は、そのような人々の生き方に、少しでも回帰して行きたいと願っています。
可哀相なクジラの赤ちゃん。
ほんの短い、数十秒のVTRでしたが、私の心は今もオーストラリアの海にアクセスしています。
どうか次には、温かい親に恵まれ幸福な生を得ますように。
冥福を祈り、この子の分のロウソクを灯したいと思います。
まだ、チャムの喪が明けていないので、一緒に転生を祈りたいと思います。
クジラの赤ちゃんは1年くらいは母親の母乳をもらいながら成長するという事で、生後一ヶ月では母親無しでは生きる術がないのだそうです。
ヨットにお乳をねだって吸い付く姿など、とても可哀相でたまりません。
そしてその後、赤ちゃんクジラはサメに襲われ深手を負って苦しんでいる事から22日に安楽死が決定したそうです。
安楽死が決定した事を受けて、現地アボリジニ(オーストラリア大陸の原住民)のホェール・ウィスパーと呼ばれる、クジラと話せる人が、死の瞬間を怖がらないようにと赤ちゃんクジラにクジラ語で話しかけると、赤ちゃんが同じように鳴き声で応え、ホェール・ウィスパーの側にすりよってきたのです。
涙が本当に止まりませんでした。
二人は確かに、対話していました。
そして、赤ちゃんクジラの声と共に、この苦しみと、悲しみが一気に押し寄せてきました。母親を求め、寂しい悲しいと甘えていました。お母さん、お母さんと言っていました。そしてその心を受け止め、慰めようとするホェール・ウィスパーの大きな大きな慈悲心を感じました。
近代的な暮らしをしている人々は、科学が万能だと信じている科学信仰者です。
そのような人々は、動物と人間が魂のレベルでコンタクトできる事を非科学的だと言います。
魂の存在も否定したりします。
私は、動物と人が精神よりもっと深く、魂のレベルでコンタクトできることを知っています。
これは信じているというよりは体験を伴う確信です。
動物と心で会話できる能力を訓練で獲得した人をアニマルコミュニケーターと言いますが、すごい人になると飼い主と動物しか知らない秘密の話を、動物から聞いて知る事も出来るそうです。
その事を飼い主に「この子がこう言っています」と話すとどんな飼い主も、確かに動物から聞く事が出来る人なのだと認めざるを得ないそうです。
アボリジニやネイティヴアメリカン、原住民のハワイアン、遊牧生活を守るモンゴリアン、チベット人、それら辺境の、科学に背を向けて古くからの独自文化を守っている人々に、非常に高い精神性を感じます。彼らを野蛮だとか、遅れているとか、劣っていると考えるのは、科学信仰者の驕りに他なりません。
彼らの持つ崇高な精神を、我々は失っています。
そしてそれを取り戻したく思っています。
彼らに学ぶ事は、あまりにも多く、そして私は、そのような人々の生き方に、少しでも回帰して行きたいと願っています。
可哀相なクジラの赤ちゃん。
ほんの短い、数十秒のVTRでしたが、私の心は今もオーストラリアの海にアクセスしています。
どうか次には、温かい親に恵まれ幸福な生を得ますように。
冥福を祈り、この子の分のロウソクを灯したいと思います。
まだ、チャムの喪が明けていないので、一緒に転生を祈りたいと思います。
「軽口について」 をテーマに坂本と延々激論を戦わせた。
3、4時間くらい議論しただろうか。
こんなテーマで延々、議論に付き合ってくれる人はそうそう居ない
ので、ありがたいなあと思う。
で、軽口とは何か。
お酒を飲みながら、あれこれと会話を楽しむ時に、よく我々は軽口
を叩いていると言える。
無責任に芸能人の事を批判したり、会社の誰かをつまみにして盛り
上がったり。
食事や酒の席では別だけれども、
私は一般会話の中での軽口を嫌う傾向があり、坂本は好む傾向がある。
それで、よく互いに気分を害してしまうのだ。
どちらが悪い訳でもないのだが、まず私が
「なんでこのタイミングでそういう軽口をきくかなあ」と批判し、
坂本が「会話を楽しんでいるだけじゃないか」と反論する。
そこでその日は、「軽口とは・軽口の正しい使用方法について」を
議論する事になった。
議論の中で、私にとって、
「していい軽口」と「してはいけない軽口」
があるという事が明らかになっていった。
まず、私は芸能人、芸人、有名人などへの軽口はよほど度を越した
中傷でない限り許容する。
誰がぶさいくだとか、誰が馬鹿とか、あいつは何も考えていないと
か浮気性だとか、そういう類いである。
それから、酒の席、食事の席、テレビ番組を見ながらの場面では
軽口オッケーとなっている。
ところが、普通に会話している最中の軽口はがぜん受け付けない。
そして、芸人・有名人以外の人に関する軽口も許容しない。
「よく知りもしないのに、そんな風に決めつけるのってどうかな」
と憮然としてしまうのだ。
ブラックユーモアというのも嫌いだ。
視覚障害者の人を指して、「まったく、どこ見てるんだ」などの
ジョークを、(もちろん本人に聞こえない処で仲間内だけで)言
うというようなものだ。
男性はこの手の毒ジョークが好きな人が多く、私の男性の友人も
これを本当に冗談でやるのだが、私はまったく笑えない。
私からすれば差別発言だし、当事者が万一にも聞いたらどんなに
胸を痛めるだろうかと思う。
そして、周りに障害者がいないからいいじゃないかというが、障
害者の家族がいる可能性もあるし、障害者を友人に持っている人
もいるではないか、と思う。
どう考えても、その人たちにとって不快極まる、たちの悪い冗談
だと思う。
もちろん、毒のまったく無い天使だけで構成された世の中なんて
気味が悪いし、真面目なだけではつまらない。
けれど、誰もが笑える軽口、楽しめる軽口とは究極的に高度なコ
ミュニケーション能力の上に成立する巧妙な技なのかも知れない。
私自身、それはもうしょっちゅう「もう仕事したくない。遊びに
行く」「もう一生分働いた。もう働けない」などと軽口を叩いて
いるが、これを真に受けてもらっても困る。
これが適度なガス抜きであり、私にとっての健康的な毒吐き行為
なのだから、そこを理解した上で微笑ましい気持ちで見守って、
言わせてくれる坂本は 大変ありがたい存在である。
3、4時間くらい議論しただろうか。
こんなテーマで延々、議論に付き合ってくれる人はそうそう居ない
ので、ありがたいなあと思う。
で、軽口とは何か。
お酒を飲みながら、あれこれと会話を楽しむ時に、よく我々は軽口
を叩いていると言える。
無責任に芸能人の事を批判したり、会社の誰かをつまみにして盛り
上がったり。
食事や酒の席では別だけれども、
私は一般会話の中での軽口を嫌う傾向があり、坂本は好む傾向がある。
それで、よく互いに気分を害してしまうのだ。
どちらが悪い訳でもないのだが、まず私が
「なんでこのタイミングでそういう軽口をきくかなあ」と批判し、
坂本が「会話を楽しんでいるだけじゃないか」と反論する。
そこでその日は、「軽口とは・軽口の正しい使用方法について」を
議論する事になった。
議論の中で、私にとって、
「していい軽口」と「してはいけない軽口」
があるという事が明らかになっていった。
まず、私は芸能人、芸人、有名人などへの軽口はよほど度を越した
中傷でない限り許容する。
誰がぶさいくだとか、誰が馬鹿とか、あいつは何も考えていないと
か浮気性だとか、そういう類いである。
それから、酒の席、食事の席、テレビ番組を見ながらの場面では
軽口オッケーとなっている。
ところが、普通に会話している最中の軽口はがぜん受け付けない。
そして、芸人・有名人以外の人に関する軽口も許容しない。
「よく知りもしないのに、そんな風に決めつけるのってどうかな」
と憮然としてしまうのだ。
ブラックユーモアというのも嫌いだ。
視覚障害者の人を指して、「まったく、どこ見てるんだ」などの
ジョークを、(もちろん本人に聞こえない処で仲間内だけで)言
うというようなものだ。
男性はこの手の毒ジョークが好きな人が多く、私の男性の友人も
これを本当に冗談でやるのだが、私はまったく笑えない。
私からすれば差別発言だし、当事者が万一にも聞いたらどんなに
胸を痛めるだろうかと思う。
そして、周りに障害者がいないからいいじゃないかというが、障
害者の家族がいる可能性もあるし、障害者を友人に持っている人
もいるではないか、と思う。
どう考えても、その人たちにとって不快極まる、たちの悪い冗談
だと思う。
もちろん、毒のまったく無い天使だけで構成された世の中なんて
気味が悪いし、真面目なだけではつまらない。
けれど、誰もが笑える軽口、楽しめる軽口とは究極的に高度なコ
ミュニケーション能力の上に成立する巧妙な技なのかも知れない。
私自身、それはもうしょっちゅう「もう仕事したくない。遊びに
行く」「もう一生分働いた。もう働けない」などと軽口を叩いて
いるが、これを真に受けてもらっても困る。
これが適度なガス抜きであり、私にとっての健康的な毒吐き行為
なのだから、そこを理解した上で微笑ましい気持ちで見守って、
言わせてくれる坂本は 大変ありがたい存在である。
熱も下がり、ご飯も食べ始めて、すっかりご機嫌の様子です。
元気になった途端「どこか連れてって〜!!」の大コール。
子供ってほんとに元気力の基礎値がすごいんだなと思います。
ほっと一安心。
昨日はさすがに、「まだ元気になったばっかりだからね」と止めたものの
親の休みがもう残っていないので、今日はどこかに連れていってやらないと
可哀相です。
夏休みというのに、親がずっと仕事ばかりしていて、そしてチャムの看病も
あったためにまだ一日も子供と遊んでやっていないのですから…。
そうかといって、おたふく風邪の予後ですから人の多いところに連れていく
事は出来ません。人に接触しない方法で、どこか楽しめる方法は…と考える
と実に難しいなあと頭をひねってます。
基本的に車でドライブくらいかなあと思っているのですが…。
夫はぎっくり腰で車に乗るのも辛そうな様子…。
今年の夏は本当に色々大変です。
私も、「燃えつき」 を感じます。。。。
休暇が欲しい。ほんとうの、休暇が…。
というより これは我がままじゃなくニーズだと思うのですが…。
このまま無休で走り続ける事なんて出来ないんじゃないのかな。
今日は日曜日かあ…。車で出かけても、どこも混んでるんだろうなあ…。
はあ〜。
元気になった途端「どこか連れてって〜!!」の大コール。
子供ってほんとに元気力の基礎値がすごいんだなと思います。
ほっと一安心。
昨日はさすがに、「まだ元気になったばっかりだからね」と止めたものの
親の休みがもう残っていないので、今日はどこかに連れていってやらないと
可哀相です。
夏休みというのに、親がずっと仕事ばかりしていて、そしてチャムの看病も
あったためにまだ一日も子供と遊んでやっていないのですから…。
そうかといって、おたふく風邪の予後ですから人の多いところに連れていく
事は出来ません。人に接触しない方法で、どこか楽しめる方法は…と考える
と実に難しいなあと頭をひねってます。
基本的に車でドライブくらいかなあと思っているのですが…。
夫はぎっくり腰で車に乗るのも辛そうな様子…。
今年の夏は本当に色々大変です。
私も、「燃えつき」 を感じます。。。。
休暇が欲しい。ほんとうの、休暇が…。
というより これは我がままじゃなくニーズだと思うのですが…。
このまま無休で走り続ける事なんて出来ないんじゃないのかな。
今日は日曜日かあ…。車で出かけても、どこも混んでるんだろうなあ…。
はあ〜。
娘は結構 丈夫なほうで、滅多に高熱を出すことなどないのだけれど
今回はさすがに 39.9℃がまる2日続いている。
おたふく風邪と病名もはっきりし、今後どんな風に回復していくか分かっているのだから、まだ安心して看病していられるのだけれども、 それでも 子供が何も食べず、ろくに飲み物も飲まず、ぐったりしてただただ横になっているのを見ていると 怖くなる。
このぐったり度は チャムの最期の日々を思い出させる。
どんなに食べ物を工夫して用意しても 食べる事ができない様子も、自力で起き上がる力もなくただぐったりと横たわる姿も。
これは、高熱のせい、おたふく風邪のせい。
だからきっと回復する、と信じていても、もしこのまま意識が戻らなかったら?もしこのまま呼吸が止まってしまったら?と思ってしまう。
長期療養の必要な闘病中の子供を持つ親がどんなに苦しい毎日を送るかを想像していた。
熱が全然下がらないまま丸二日を越し、娘がどんどん干からびるように細くなっていくのを見かねて、今日の明け方に「薬、飲もう。きっと楽になるよ」と少し強く勧めた。
娘は昨日一度吐いているので、薬を飲むと吐いてしまうから嫌だと言って拒否していたのだ。
私の強めの言葉で「わかった」と飲んでくれた。
すると1時間後には37.6℃まで下がり、かなり楽になったようだった。
熱が下がった隙に、食べられそうなものを少しでも食べさせようとするが、まだ食べ物は受け付けない。
かき氷やシャーベットを食べたいというので夫が夕べの深夜にコンビニを何軒も回って買ってきたアイスを食べる。
お粥を用意しておいたのでそれを少しづつ、本当におちょこ一杯くらいを何回にも分けて食べさせる。
そして、今日の夜、親がご飯を食べているのを見てやっと「何かちょっとだけ食べたい」と言い出した。炊き立てのご飯とみそ汁をリクエストしたので、すぐに用意して出してあげた。
おちょこ2杯分のご飯をお茶漬けにして、みそ汁のおつゆだけを半分ほど、食べた。
子供が食べてくれると本当にほっとする。
今回はさすがに 39.9℃がまる2日続いている。
おたふく風邪と病名もはっきりし、今後どんな風に回復していくか分かっているのだから、まだ安心して看病していられるのだけれども、 それでも 子供が何も食べず、ろくに飲み物も飲まず、ぐったりしてただただ横になっているのを見ていると 怖くなる。
このぐったり度は チャムの最期の日々を思い出させる。
どんなに食べ物を工夫して用意しても 食べる事ができない様子も、自力で起き上がる力もなくただぐったりと横たわる姿も。
これは、高熱のせい、おたふく風邪のせい。
だからきっと回復する、と信じていても、もしこのまま意識が戻らなかったら?もしこのまま呼吸が止まってしまったら?と思ってしまう。
長期療養の必要な闘病中の子供を持つ親がどんなに苦しい毎日を送るかを想像していた。
熱が全然下がらないまま丸二日を越し、娘がどんどん干からびるように細くなっていくのを見かねて、今日の明け方に「薬、飲もう。きっと楽になるよ」と少し強く勧めた。
娘は昨日一度吐いているので、薬を飲むと吐いてしまうから嫌だと言って拒否していたのだ。
私の強めの言葉で「わかった」と飲んでくれた。
すると1時間後には37.6℃まで下がり、かなり楽になったようだった。
熱が下がった隙に、食べられそうなものを少しでも食べさせようとするが、まだ食べ物は受け付けない。
かき氷やシャーベットを食べたいというので夫が夕べの深夜にコンビニを何軒も回って買ってきたアイスを食べる。
お粥を用意しておいたのでそれを少しづつ、本当におちょこ一杯くらいを何回にも分けて食べさせる。
そして、今日の夜、親がご飯を食べているのを見てやっと「何かちょっとだけ食べたい」と言い出した。炊き立てのご飯とみそ汁をリクエストしたので、すぐに用意して出してあげた。
おちょこ2杯分のご飯をお茶漬けにして、みそ汁のおつゆだけを半分ほど、食べた。
子供が食べてくれると本当にほっとする。
娘の高熱の原因は、おたふく風邪でした。
今日朝8時に救急で診察を受け、あっさり「寝ててください」で終わり。
プール熱か(確率2割)、おたふく風邪だろう(確率7割)と思っていたのですがビンゴ。
39.9度という高熱がきつそうなのが気掛かりだけれどもとにかく寝てれば治るというので今日の診察後から、一度吐いて、後はひたすら寝てます。娘はいつも体調が悪い時は本当に長い時間よく眠るので、体の自己治癒力が全開で働いてるんだなと思います。
飲み物飲ませて、寝かせているだけでいいので、手当ても大変じゃないです。
ところで今日の病院、ネットで調べて、小児科は木曜日は普通に午前中のみ診療中とあったので8時の受付開始に駆けつけたのに、玄関に張り紙。「お盆のため14、15日休診」
ネットに上げてくださいよ…そういう大事な情報は(とほほほ)。
と思いました。
受付の男性にそれを言うと、「あ、分かりました。ご意見、確かに上に伝えておきます」との対応。こういう処が気に入っていて、この病院にかかりつけなのです。総合病院でとても規模が大きいのに、患者の意見にとても素直で、偉そうな態度がないのです。
小児科医が足りていない福岡市。
救急の小児科医がいるのは百道の救急センター一ヶ所だけなんです。
大問題じゃないんでしょうか、これって。
子供の病気は急変しやすいし、福岡市は南北東西に幅のある地形です。
これだけ人口が密集している大都市なのだから、小児科医が常駐の救急は、少なくとも5個所は欲しいところじゃないでしょうか。
もっと頑張れ、福岡市!
子供に手厚いだけ国が、未来の国力を手にするのだ!
今日朝8時に救急で診察を受け、あっさり「寝ててください」で終わり。
プール熱か(確率2割)、おたふく風邪だろう(確率7割)と思っていたのですがビンゴ。
39.9度という高熱がきつそうなのが気掛かりだけれどもとにかく寝てれば治るというので今日の診察後から、一度吐いて、後はひたすら寝てます。娘はいつも体調が悪い時は本当に長い時間よく眠るので、体の自己治癒力が全開で働いてるんだなと思います。
飲み物飲ませて、寝かせているだけでいいので、手当ても大変じゃないです。
ところで今日の病院、ネットで調べて、小児科は木曜日は普通に午前中のみ診療中とあったので8時の受付開始に駆けつけたのに、玄関に張り紙。「お盆のため14、15日休診」
ネットに上げてくださいよ…そういう大事な情報は(とほほほ)。
と思いました。
受付の男性にそれを言うと、「あ、分かりました。ご意見、確かに上に伝えておきます」との対応。こういう処が気に入っていて、この病院にかかりつけなのです。総合病院でとても規模が大きいのに、患者の意見にとても素直で、偉そうな態度がないのです。
小児科医が足りていない福岡市。
救急の小児科医がいるのは百道の救急センター一ヶ所だけなんです。
大問題じゃないんでしょうか、これって。
子供の病気は急変しやすいし、福岡市は南北東西に幅のある地形です。
これだけ人口が密集している大都市なのだから、小児科医が常駐の救急は、少なくとも5個所は欲しいところじゃないでしょうか。
もっと頑張れ、福岡市!
子供に手厚いだけ国が、未来の国力を手にするのだ!
今日からせっかくお盆休みに入ったというのに、娘が高熱でダウンです。
プールに連れてけ、カブトムシ狩りに連れてけと、いろんな約束をさせられていたので、あれこれ計画しているのに、どうやら全部体調次第の様子眺め。
この休み中に、次の講座のテキスト制作の仕事があります。
だから娘が熱を出している隙に、片づけてしまえば、回復した後は伸び伸び遊べるのかも知れません。
いつも、休みでも何かの仕事をしているわけで、それが私の、かなり大きな悩みなのですが、この夏は娘の熱のお陰で諦めがつきそうです。
今夜ちょっと徹夜して仕事片づけてみようかな。
夫がぎっくり腰で、腰をひどく傷めていて、この一ヶ月どうにも当てに出来ません。
ついにようやく、「気功整体に行こうかな」と言い出しました。
はやく行けばいいのに…と思っていたので嬉しいです。
相方が病気だったり体調不良だと、やっぱり負担が増えてきついので、体を治してくれる方向で事が進むのは歓迎です。
ももちゃんが、私の部屋を居場所と決めてくれたようで、チャムが居た場所にのびのびと手足を伸ばしてくつろいでいる姿を見せてくれるようになりました。
これまで、チャムの下位だったので、チャムが居なくなって自動的に順位が一つ上がったと、ももは感じているのです。
家族のメンバーが一人居なくなると、その家族は家族システムの変更を余儀なくされ、一人ひとりの役割が変更されます。そして、新しい家族システムができ上がります。
ももは、チャムから私を慰める役割を引き継ぎ、私の側に居場所を決めました。
そして犬の食事の世話は夫がしていたけれど、私がするようになりました。娘と夫が、自分の役割のどの部分に変更をしていくのか、観察してみる必要がありそうです。
私たちは、チャムを失って、新しい家族になろうとしています。
こうして、家族そのものも変化して行きます。
プールに連れてけ、カブトムシ狩りに連れてけと、いろんな約束をさせられていたので、あれこれ計画しているのに、どうやら全部体調次第の様子眺め。
この休み中に、次の講座のテキスト制作の仕事があります。
だから娘が熱を出している隙に、片づけてしまえば、回復した後は伸び伸び遊べるのかも知れません。
いつも、休みでも何かの仕事をしているわけで、それが私の、かなり大きな悩みなのですが、この夏は娘の熱のお陰で諦めがつきそうです。
今夜ちょっと徹夜して仕事片づけてみようかな。
夫がぎっくり腰で、腰をひどく傷めていて、この一ヶ月どうにも当てに出来ません。
ついにようやく、「気功整体に行こうかな」と言い出しました。
はやく行けばいいのに…と思っていたので嬉しいです。
相方が病気だったり体調不良だと、やっぱり負担が増えてきついので、体を治してくれる方向で事が進むのは歓迎です。
ももちゃんが、私の部屋を居場所と決めてくれたようで、チャムが居た場所にのびのびと手足を伸ばしてくつろいでいる姿を見せてくれるようになりました。
これまで、チャムの下位だったので、チャムが居なくなって自動的に順位が一つ上がったと、ももは感じているのです。
家族のメンバーが一人居なくなると、その家族は家族システムの変更を余儀なくされ、一人ひとりの役割が変更されます。そして、新しい家族システムができ上がります。
ももは、チャムから私を慰める役割を引き継ぎ、私の側に居場所を決めました。
そして犬の食事の世話は夫がしていたけれど、私がするようになりました。娘と夫が、自分の役割のどの部分に変更をしていくのか、観察してみる必要がありそうです。
私たちは、チャムを失って、新しい家族になろうとしています。
こうして、家族そのものも変化して行きます。
北島こうすけが金メダルです。
すごいです。
勝利インタビューで「何も言えない」と言う北島の涙はどんな言葉よりも雄弁だったと思います。
言葉にならない涙の中に、人に言えない苦しみ、誰とも共有できない孤独とプレッシャー、そしてそれを跳ね返そうとした彼の努力、周囲の人々への感謝、自分へのねぎらい、誇り、様々なものが一度に溢れていた事だろうと思います。
努力した人が、報われる瞬間を見るのは本当に嬉しいものです。
よかったね、北島。
想いと実績の両方が報われる人は、滅多にいないものです。
だから、彼こそはやはり選ばれた者であり、選ばれた者だけが歩む孤高の道を外れず進み続けた、勇気ある人だったと思います。
日本中が、感動しています。
ありがとう、北島こうすけ。
すごいです。
勝利インタビューで「何も言えない」と言う北島の涙はどんな言葉よりも雄弁だったと思います。
言葉にならない涙の中に、人に言えない苦しみ、誰とも共有できない孤独とプレッシャー、そしてそれを跳ね返そうとした彼の努力、周囲の人々への感謝、自分へのねぎらい、誇り、様々なものが一度に溢れていた事だろうと思います。
努力した人が、報われる瞬間を見るのは本当に嬉しいものです。
よかったね、北島。
想いと実績の両方が報われる人は、滅多にいないものです。
だから、彼こそはやはり選ばれた者であり、選ばれた者だけが歩む孤高の道を外れず進み続けた、勇気ある人だったと思います。
日本中が、感動しています。
ありがとう、北島こうすけ。