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2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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私の人生は、とてもうまく行っている、と思っているし、その実感もある。

でもただの愚痴として、退屈だーと思う事がある。

生来、私は拡散力が高いので、何にでも飽きやすい。
小学校時代おけいこ事がすべての曜日にびっちりスケジュールされていた。
書道、そろばん、合唱、ピアノ、英語、ギター、スイミング、天文学、革細工、ガラス工芸、電気工作と興味の及ぶ限りなんでもかんでも手を付けてやっていた。

習い事の数が尋常ではない理由はただ、「飽きやすい」からだ。
私はすぐに飽きてしまうのだが両親は「石の上にも三年」信者なので、なかなか辞めさせてくれない。したがって古いものを辞めないまま、新しい習い事が増えるので、スケジュールは過密になる一方だった。

でも、逆に言えば、そうして何でもやらせてもらえる恵まれた子供だったのだろうと思う。
(バレエとハープだけは習わせてもらえなかった。高額だという理由だった)
私は新しい事に興味を覚え、何でもやってみたくなる。
そしてそれを始めると高速でその仕組みやノウハウを習得する。
だから人より早くその世界を「見切った」と感じる。
実際には見切っていない奥深い世界があるのだと思うけれど、当時の私は見切ったと思って興味を失っていたのだ。

同じ事を繰り返していると感じると、とたんに苦痛になる。興味を失う。
だから、仕事でもルーチンワークは大嫌いで大の苦手だ。
ルーチンワークをする時には相当自分で飽きないように工夫する。
やる場所を変えたり、やったらこれを食べる、などご褒美を設定したり工夫しないと本当にルーチンには手を付けない。

ルーチンが大好きな夫とは好対照で、まさに相性ばっちりなのだろうと思う。
退屈きわまりないルーチンワークを何年も何十年もやれる人を、私は心から尊敬する。

退屈屋なので、アルバイト時代はとても楽しかった。
世の中の裏を見ようと、いろんな業界に飛び込んだ。
高級フレンチのお店。郵便局。音楽著作権協会。パーティコンパニオン派遣業。出版社の編集部。音楽業界。タレント業界。制作業。開発業。
いろんな業界をのぞき見するつもりで経験している。どの仕事もとても面白かった。そして、見切ったら辞めて次の職場へと移って行った。(いまだに清掃業と警備業には入ってみたい。面白そうだ。)

そんな中でカウンセリング業はソフト開発業をわずかに越えて一番長く続けた仕事、という事になった。

親の命令ではなく長く続いたもののは、ルーチンにならない仕事だけだと思う。

ソフト開発が長く続いたのも、世の中に無いものをゼロから作り上げていく、という極めてクリエイティヴな作業が性に合っていたからだ。
ソフト業界の中でも私は職種を数年単位で移り変わって変化させている。サウンドエンジニア、ミュージシャン、サウンドプログラマ、サウンドディレクター、プロジェクトディレクター、渉外営業部、プロデューサー、社長という具合に。
兼任した業務も多く、少なく見積もっても人の3倍は仕事と責任を背負っていた。

ソフト開発から心理の仕事に転職してから、全く違う奥深さに心打たれた。

一人として同じものがない世界。
軽薄な意味ではなく、真摯に、とても面白い。


…それでもときどき、生来の退屈屋が顔を出す。
ああ、何か変化はないのか、と。
面白い事、ワクワクする事を求めて、いつもうずうずとする何かが、私の中にある。


根っからの遊び好きなんだろうなあ…。
最近、そういう同類と知り合いになる機会が増えて、嬉しい。
そういう人、いませんか。一緒に人生の遊びを作り出しましょう〜。


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4月に、観葉植物の鉢植えを植え替えしてみた。するとすごく植物が元気になった。
気を良くして、かねてから憧れていた土いじりを軽いノリで始めた。

最初はバジルの小さな苗を買ってきた。大きな鉢に植えてみると、可愛くてにこにこしてしまった。
鉢にはまだすき間がいっぱいあったので、バジルの苗をもう2つとローズマリーの苗を1つ、買ってきた。
同じ大きな鉢に寄せ植えにした。

そこから、勢いがついてしまって、苗の衝動買いが始まった。
トマトの苗、ナスの苗、枝豆の苗、キュウリの苗、スイカの苗と次々買ってきて、それらを植える為のプランターを買って、土や肥料や園芸道具を次々購入。大事なへそくりを一気に使い飛ばしてしまった。

でも、お金は貯める為にあるのではなく使う為にあるのだ。
だからこれでいい。

今、ベランダはプランターが5つ、鉢植えが3つ、土袋への直植えが2つ。
先日、やっと初収穫したのは、プチトマト。
娘のお腹へ収まった。

その次にきゅうりが一本立派な市販のサイズまで育った。
3等分にして親子三人で、摘みたてをかじった。
水分が弾けるほど溢れていて、とても美味しかった。

プチトマトは数日に一つづつ、真っ赤になったのを待ちわびるようにして摘み取る。
たくさんの青い実が、赤く熟れる時を待っている。

いつか、一戸建てに住んだら、家庭菜園をしたいと夢見ていた。
でもそんないつくるかわからない「いつか」を待っていたら、交通事故に遭って死んだ時後悔してしまう。だから、勢いにまかせて狭いベランダで菜園にしてしまった事は大正解なのだ。

不思議と、土をいじって、緑を見ていると、時が過ぎるのを忘れてしまう。
気づいたら2時間、ベランダで過ごしてしまっている。
小さな土でも、大地の一部。私たちの還る処。
地球のエネルギーが、意識しなくても伝わってくるのかも知れない。

早朝、夕方、仕事を始める前と仕事が終わってから、ベランダに出て緑の世話をする。
命が日々、成長をし続けていく営みを、感じる。

本当に、毎日がこれで満たされていたら、どんなに幸せだろうと思う。
田舎暮らしに憧れる毎日。

田舎で、リトリート施設でもやれたらいいなあ。。。。

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いろいろと、使うものにこだわったりする面があると以前のブログにも書いたけれど、テレビの情報番組で知った化粧用のパフを購入してみた。

ファンデーションを顔に乗せる時に使う、あのパフなのだけれど、一つで350円くらいした(うろ覚え)。予想通り高いなと思ったけど。でも、「ファンデを変えたように仕上がりが違う!」というふれこみにそそられて、試してみたくなったのだ。

このパフを使い始めて、一体、今までのパフは何だったのかと思った。
道具を一つ変えるだけで、こんなに結果が違うって事は、やっぱりあるんだな。
この結果を出すなら、普通のパフの3倍くらいの値段でも納得が行く。
多分、これからも愛用すると思う。

私はとってもひどい乾燥肌なので、年中ファンデが顔に乗らない事に苦労している。
そもそも化粧するのがとても嫌いで、さすがに35才くらいからしぶしぶ必要な時だけ化粧し始め、40才から諦めて化粧する事を義務化した。

化粧のやり方は、19才くらいの頃にプロのメイクさんの講習で習った程度。だから決して上手という訳ではない。仕方なくしぶしぶやるくらいだから、熱意もあまりなく、お会いする方に失礼にならないように、あらを隠して置こうかね、という感じだ。
そんな女性としてはだめだめの私でも、「このパフすっごーい」と感激してしまうのだから、化粧に情熱を傾けているおしゃれさんなら、多分言うまでもない。

そのパフの名前は「TOFU」です。
一部のお店しか扱ってないそうです。
あっ、どこで買ったんだっけ、忘れてる。
天神のどこかだったんだけどな…。
ソラリアだったかな〜?イムズだったかな〜?

自分の顔なんて、一生、自分の目で見る事はないんだから、人に化粧してもらったほうがより良い結果が出る気がする。「人の見ている私」のイメージが、メイクさん次第で、より明確に表現されるんじゃないかな。
はぁー、化粧って面倒くさいよ。誰かにメイクしてもらいたい(わがまま)。
顔の上にファンデが乗ってる状態が違和感あるので、午前中の講座終わるとすぐメイク落としてしまう。そして夜の講座の前にまた仕方なくメイクする。


「え?もっときっちりお化粧しないと駄目?いつもの講習会じゃない。夜だし、顔あんまり見えないって」
「駄目です。来てる人はお金払ってくれてるんです。ただのその辺のおばちゃんの話を聞きに来てるんじゃないんです。『先生』らしい人の話を聞きに来てるんです。あなたは商品なのだから、ちゃんとしてください」

ぶーぶーぶー…。
いいじゃないか、その辺のおばちゃんで…。
『あれ、ただのおばちゃんかと思ったら、結構おもろい話するやん!?』って思ってもらったほうが楽しいじゃんかー…。

「駄目です。ただのおばちゃんだったら、話を聴く前に、立ち去られてしまうんです」

ちぇ…。
それもそれでいいじゃないかー。
出会いだよ、出会いー。。。。


今の『先生』としての私は、多分に坂本の戦略によってイメージを作られている処があります。
で、私はそのイメージをより自分自身の実像に近づけようとして坂本の演出を台なしにしたりしています。

だからおそらく、10年後には坂本との攻防の結果、私が勝利を収め「その辺のおばちゃんと変わらない、おもろいおばちゃんが、おもろい話をしてくれる」という風になっていると思います。

『先生』って柄じゃないんだーーもともとが。

おばちゃんでいいんだーーー。
「おばちゃんねえ、新製品のパフに感動してしもたんよ!(何故か関西弁)」という話題でした。

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鳥栖での講演会が無事に終わった。

予想していた感じとは全然違っていて、400名収容のホールで、立派な会場だった。
控室で準備していると、駐車場が一杯になり、入り切れない人たちがいるという。
ちょっと…すごい状況なんだけど…と緊張して胃が痛い。

開演時間になり、立派なホールの最前列の端にこっそり座る。

壇上に代わる代わる、福祉関連の役人が上がり祝辞を述べる。
祝辞の最後の一人はなんと鳥栖市長だった。
議員の祝電も披露される。

うわ、うわ、うわ。
なんかすごい事になってる?
そんな、鳥栖市民級の大規模な講演会の講師に呼ばれてたんですか?
公民館でのプチ講演くらいの気分で来たんですが…。

それからとうとう、「先生です、どうぞ」と壇上に招かれる。

うー。なんか、全然思ってた感じと違うんですが。
ライトまぶしい壇上に上がって、何から始めようかとこの期に及んで考えてしまう。
準備してきた内容を頭の中でくるっと見回す。
目の前には200名以上の聴衆、最前列には市長をはじめとして偉い人たち。

もういいや。この状況を楽しもう。
と目の前にいる人たちの顔を一人ひとり眺めながら、挨拶をはじめた。
始めてしまえば、何でもない。
小さな10人の輪で話すのも、大ホールで250人に話すのも、同じことだ。

事前に準備した内容に、大筋沿っているのだけれとも、細かい原稿はそもそも用意していない。
だいたい私は、講演の時には原稿をそのまま読むなんてやり方をしない。
「原稿を棒読み」ほど面白くないスピーチはない。たぶん聞いているほうも相当退屈するけど、やっている方もまったく面白くない。

私の場合、いくつか、話すポイントを絞って、それに従ったエピソードを用意しておくけれど、細かい言葉まで決めていない。一語一句は全部その場でのアドリブになる。

それってもし段取りなど忘れてしまったらどうするの?不安じゃないのか?と思われるかもしれないが、私には、その方が楽なのである。
がちがちに原稿を準備すると、多分内容は洗練されるけれども、原稿に意識がむかってしまい、目の前の人が見えなくなる。

私は 目の前の人の顔を見ながら、反応をみながら、その瞬間思いつく事を話す。
だから用意したエピソードは全然話さず、その場で思い出した事を話したりしている事もよくある。

実は、用意しているネタ(エピソード)は、「頭が回転しなかった時の保険」としてあるだけで、講演のほとんどはアドリブなのだ。
決まっているのはテーマだけ。
そのテーマにそって、その場で話したい事を話している。

経験上、アドリブの方が、確実に結果がいいのである。
まず私自身が楽しい。そして聴衆の反応がいい。
やっぱり、その場で出会っている人たちと話す、というのはその場での反応の掛け合いだと思う。
棒読みの講師なんて、私だったら退屈してしまう。それはビデオを見ているのと同じだからだ。
目の前で観客の反応に講師が反応していてくれないと、足を運んでライブを楽しんだという手ごたえは得られないだろう。

私は、そこで、「人々と出会っている事を楽しんでいる」んだな、と今思った。

終了して、たくさんの人たちに「感動しました」「ほんとによかったです」と声をかけてもらった。
喜んでもらえてうれしかった。

実はその前の晩には、信州からの知人と話していて、明け方までかかっていた。
2時間ほど仮眠して、講演にむかったのだった。

どんな状況でも、ライブを楽しみ、来ている人をしっかり感じ、そして出会った事を感じて楽しむ。
それが成功できて、嬉しかった。

講演会は緊張するけれど、やっぱり楽しい。

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理事会、理論2、傾聴最終回、と日々スケジュールをこなし、明日は鳥栖市での講演会。
今日、講演会で使うデータを作る日程だったのだが、信州から会いに来てくれる人から連絡があり夕方会う事になったので、作業時間が大幅に削られた。

さあ、今日は集中して明日の準備を終わらないと、もう後はない。

意外とこういう、アクロバット的スケジュールが得意なんだよな。
いわゆる「追い込まれないと走り出さない」系の典型的うさぎ型。
マイペースにこつこつ進むカメ型とは対照的な、さぼり上手だ。

言い訳するつもりはないけれど、私はこつこつ型の人に尊敬の念を抱くほど、こつこつ努力出来る人はすごいと思う。
でも、自分の置かれている状況を考えると、マイペースにこつこつと言ったって、そんな地道な時間確保が出来るんだったら苦労はしない、とも思う。
だから、これまでこつこつ積み上げてこなかった自分を、無意味に責めるのはやめようとおもう。

いいじゃないか。
スタートすればダッシュ力があるんだから。
ゴールできれば御の字だ。

そういいつつ、ほんの少し、言い訳しているような後ろめたさも感じている。

でも、こうも決意を新たにする。
「講演会に来た人を、必ず満足させる内容を、提供する」

舞台の裏側がどんなにしっちゃかめっちゃかでもいい。
舞台に上がったら、最高のパフォーマンスをすること。
それが私の信条の一つだ。

忙しいけれど、気力は充分、充実している。
人生は、本当にいろんな波のりだ。

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あと二十数分で 私の誕生日が終わる。
今日は 理事会があって残念ながら記念日のディナーとは行かなかった。

でも、夜10時に帰ると、夫と娘がケーキとシャンパンと、スイカとアメリカンチェリーと…おつまみなんか用意しててくれた。

白い花束と、娘手作りのお守りと…ハッピーバースデーの歌。

十分だよ。
十分過ぎるよ。

シャンパンを飲み放題して、すっかりへろへろだけど、とても幸せな誕生日。

自分の事を自分がお祝いしてあげられるからこそ、家族がくれる幸せを受け取る事ができる。

誕生日おめでとう私。
あと数年で、人生の目的の一つを果たせるかな。
祈ってから、ケーキのろうそくをふき消した。

わーい、今日から41才だー。

年をとるのっていいなー。
早くおばあちゃんになりたいよ。
60才になるのは多分、あっという間だ。

しわくちゃの、おもろいばあちゃんになろう。


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初代オフィスドッグのチャムが 日に日に弱って行く。

15年以上共に暮らした家族が 居なくなってしまう日も近い。
毎日覚悟しながら 介護する日々。

ついに立てなくなって 横になったまま粗相をしてしまった。
半年以上 止まらない血尿。
膀胱には大きな腫瘍があり、肝機能がひどく悪くなっており、投薬を続けてきたが、先月からは脾臓が腫れてきた。

痛みだけは取ってやろうと、痛み止めを毎日飲ませる。
苦しそうにはあはあと息をする。

でも目は輝きを失っていない。
私たちに笑いかけ、美味しいものを食べた時には喜びに輝く。

食欲を失ったら、多分、数日で死んでしまうだろう。
今は、美味しい食べ物に目を輝かせている。
出来るだけ、好物を食べさせてやろう。

好物はリンゴ。
子犬の頃から、リンゴが大好きなのだ。

許す事を教える為に 私のところにやってきてくれた、チャム。
もう一日、もう一日と、出来るだけ長く一緒に居ようとしてくれている。

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集中して時間が取れない件は 強制的に確保することにした。

そうでもしないと本当に間に合わない。

クライエントの為の日と、講座の日を確保して、残りは執筆に
充てる為に物理的にも家族から隔離。

うーむ。これで何とかなるだろう。と希望的観測。

最近、刺激的な事が少なくて、脳がさぼってる感じがする。
また旅行の計画でも立てようかな。ご褒美をぶら下げないと走らない私。

夏にクリスのワーク。今年は早めの7月末。
行けるかな…行きたいな。

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ちょっと… だれか私を隔離しちゃってください。

「センセエ!!原稿まだ上がってないんですかぁ!?ああもう!しょうがないですねッ!!こもって頂きますッ!!」
と声荒く私をとっつかまえ、ビジネスホテルでも安い旅館でもいいから、どっか外界から隔絶した処に隔離して欲しい。

集中して、いい感じに思考が結晶しそうになっている時に「電話です」とかどうでもいい事務作業で呼ばないで欲しい。
電話を終わって、あーもう!とイスに戻り、さっきの続きのいい感じの状態に戻るにはそれなりにまた時間がかかる。やっとその状態になってきた〜と思ったら「来客ですが」

また気を取り直して思考作業。。。そうそう、この調子。絶好調とはいかないけどまあそこそこまとまってきたじゃないか…という処へ「ただいまーママ〜お腹ヘッたあ〜!!」
…娘よ…。君は私の太陽だ。うん。そうだよ。
でも今は曇りでも雨でもいいから、ちょっとあっちで一人で何か食べておいておくれ。

銀行で振込だの、郵便局に手紙を出すだの、私じゃなくても出来るじゃないか〜。
でも講座のテキストは私にしか書けないんだぞ。こっちだけやらせてよ。

はあ〜もう…。
これじゃ〜仕事にならんのよ。

お願いします。
私はもうご飯もいらないので、ほっといて下さいまし…。

そっか〜。講座のテキスト作りっていう優先度の高い創作活動ですらこんなに邪魔が入るんだもんな。書きたい本の原稿が書き上がらないのは当然だなあ。

いっそ1年間くらい、創作の為に仕事休もうかなあ。。。


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ひとりっこで 近所にお友達がおらず
私立の小学校に行ったりしたものだから
保育園時代のお友達とも遊べずにいた娘は

日頃から遊び相手に飢えているので
一つ下のいとこと遊ぶ為だけに
小学校1年生の夏休みには自分一人で熊本に行くようになった。

先日運動会後の振替休日の日、1年生の時一番仲の良かった女の子のお家に遊びに行った。

お友達の家に行くのは初めての事で、相当楽しかったらしい。
その子のお母さんとは、入学式の時からたびたび挨拶を交わしていたのだが、ようやく子供同士を遊ばせる事が出来るステップに進んだ。

今日、その子のお家にまた遊びに行くという事になった。
娘は人生のなかで一番嬉しいと行った様子で、本当に楽しみにしている。
どれほど喜んでいるのか、一目瞭然で、本当に今までで一番嬉しいのだろう。

お友達がいること、お友達と楽しく過ごすこと、
それは一生ものの記憶になる。

人の家に行く事について、娘にマナーを教えた事がないのが心配だ。
勝手に部屋に入ってしまったり開けてはいけない場所を開けたりしないだろうか。
お行儀の悪い食べ方をしたり、しちゃうんだろうなあ。

先にお母さんに謝っておこう。



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