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2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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ひとりぼっちだと感じることは とても寂しい。

私たちは基本的に ひとりぼっちだと感じるように出来ている。
自分の考えを人には読めないし 人の気持ちも伝わらないように お互いに遮へいされている。それが基本の状態として、セットされている。
だから、私たちは誰ともつながっていない自分をふとしみじみと感じて、とても寂しくなる。

私は「それは 人との境界線がない状態のデメリットを防ぐためではないか」という仮説を立てている。
バス停で隣にたまたま座った人のココロも考えも読むことは出来ない。
でも逆に、映画「サトラレ」のように、相手の考えが常に垂れ流されていて自分に伝わってきたとしたら、私たちはどうなるのだろう。同じように自分の考えも気持ちもたれ流れていて、周りの人すべてに知られているとしたら。

それはとても不便なように思う。
今築かれている秩序はすべて失われ、あらたな文化、あらたな秩序が必要になるだろう。サトラレは悲しい恋愛ストーリーだが、自分の思考が人にいつも読まれてしまう不都合を考えさせてくれる作品だ。

便利な面もある。
意志の疎通が一瞬で済み、全員が等しく同じことを理解するだろう。
それはどこか、組織社会を営む昆虫の世界を思わせる。

思うに、自分と人の遮へいがまったく無くなったら、それは種としてもはや人類ではないのではないだろうか。

実際には、私たち人間の脳は 人とリンクする能力を備えている、というのは事実であるように思う。その方法は仕組みがまだ科学的に解明できないとしても、虫の知らせのような類いの、不思議な現象は昔から日本だけでなくいろんな国でも言われている。

私の頭の中でぐるぐる回っていて止まらない曲があって、それを目の前で妹が歌い出すとか、その逆などは子供時代は日常茶飯事だった。
ふと気になって電話するとその人が具合が悪くて自宅で助けを必要としている、などという事もあるし、友達と食べたいものが何故か完全に一緒だったという事もあるだろう。

ただし、自分以外の意識とリンクする瞬間は、普通の人は自分では選択できない。何故か、ふと、そういう不思議な体験をしてしまうのだ。

寂しくて寂しくてしかたないとき、それはあなた一人分の寂しさではないのかもしれない。あなたと同じ誰かの、遮へいされている悲しさをあなたは受信し、それと共鳴してさらに大きな寂しさを感じているのかもしれない。

それなら、すこしでもその誰かに安らぎを届けることも出来るかもしれない。

寂しいのはあなただけじゃないよ。
ここにもいるよ。ここにもいるよ。
大丈夫。 今 つながっているよ。
同じ寂しさを 一緒に感じているよ。



人は皆 寂しい

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