2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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口から出た言葉は 直ちにかき消えてもう取り戻す事は出来ない
けれど その言葉を受けた人に長い間 影響を及ぼし続けることがある
だから 自分の行動や発した言葉が よく考えられたものでなく いっときの感情に流されたもので恥ずかしいと思うようなものなら 私たちに出来ることは ただその相手の処へいって 謝る事くらいではないだろうか
とダライラマ14世法王猊下がおっしゃっている。
いつも心に留めている言葉の一つです。
ブログだからって 愚痴ばっかり書いてごめんなさい。
不快になった方がいらっしゃったらお詫びします。
そして、もし心配させてしまっているなら、どうか許して下さい。
私は大丈夫です、って気丈すぎるのも嘘なんですが、でも天から与えられているお役目の為に使われている身ですから、まだまだ長生きする事は間違いありません。
この人生の中で苦労するのは、修業ですから。
とにかく、魂の修業、真っただ中ですから、これからもいくらでも苦労するでしょう。
その中から何を見いだすのか、何を学ぶのかを試されています。
そして、どんな状況の中でも喜び歌う瞬間がある限り、私はそこからエネルギーを補給していますから、全然、大丈夫です。
私には、心に大きな穴が空いていて、それは生い立ちの中で出来たものなんですが、そのせいで、人をまったく信用していない私も一部存在しています。自分という個人は愛されていないと感じる私。個人レベルで人を信用しない私。閉鎖して、悲しみにふけってしまう私。でも大きなもの(宇宙とか、生命全体の意志とか)にアクセスしている私は、絶対的に人間や命や社会を信頼しています。自分の個人の意志とは関係なく、無限の愛を供給され、この世にそれを与えようとする私。あまりにも真逆なのですが、その両方が極端に存在しているのが、今の私なのです。このギャップこそが、私が大きくブレて見える原因なのです。
大きな闇があるのは、大きな強い光を内包しているからだ、とも思います。
まだまだ、グラウンディングがアンバランスなのでしょう。
私を理解しようとしてこのブログを読んでくれている方には深く感謝します。
いつも、忍耐と愛をありがとうございます。本当に、本当に、感謝します。
面倒臭いやつでごめんなさい。
本当に、私なんかに関わってご迷惑をおかけしているんじゃないかと、いつも申し訳なくなります。
これからも、出来るだけ正直に、自分の生きている姿をシェアしたいと思っています。
けれど その言葉を受けた人に長い間 影響を及ぼし続けることがある
だから 自分の行動や発した言葉が よく考えられたものでなく いっときの感情に流されたもので恥ずかしいと思うようなものなら 私たちに出来ることは ただその相手の処へいって 謝る事くらいではないだろうか
とダライラマ14世法王猊下がおっしゃっている。
いつも心に留めている言葉の一つです。
ブログだからって 愚痴ばっかり書いてごめんなさい。
不快になった方がいらっしゃったらお詫びします。
そして、もし心配させてしまっているなら、どうか許して下さい。
私は大丈夫です、って気丈すぎるのも嘘なんですが、でも天から与えられているお役目の為に使われている身ですから、まだまだ長生きする事は間違いありません。
この人生の中で苦労するのは、修業ですから。
とにかく、魂の修業、真っただ中ですから、これからもいくらでも苦労するでしょう。
その中から何を見いだすのか、何を学ぶのかを試されています。
そして、どんな状況の中でも喜び歌う瞬間がある限り、私はそこからエネルギーを補給していますから、全然、大丈夫です。
私には、心に大きな穴が空いていて、それは生い立ちの中で出来たものなんですが、そのせいで、人をまったく信用していない私も一部存在しています。自分という個人は愛されていないと感じる私。個人レベルで人を信用しない私。閉鎖して、悲しみにふけってしまう私。でも大きなもの(宇宙とか、生命全体の意志とか)にアクセスしている私は、絶対的に人間や命や社会を信頼しています。自分の個人の意志とは関係なく、無限の愛を供給され、この世にそれを与えようとする私。あまりにも真逆なのですが、その両方が極端に存在しているのが、今の私なのです。このギャップこそが、私が大きくブレて見える原因なのです。
大きな闇があるのは、大きな強い光を内包しているからだ、とも思います。
まだまだ、グラウンディングがアンバランスなのでしょう。
私を理解しようとしてこのブログを読んでくれている方には深く感謝します。
いつも、忍耐と愛をありがとうございます。本当に、本当に、感謝します。
面倒臭いやつでごめんなさい。
本当に、私なんかに関わってご迷惑をおかけしているんじゃないかと、いつも申し訳なくなります。
これからも、出来るだけ正直に、自分の生きている姿をシェアしたいと思っています。
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傾聴の振り返りワークショップをやりたいとさよこさんが言い出してくれて。
しかもファシリテーターを自分でやると提案してくれて。
9名の人でワールドカフェ方式のワークショップを行えて。
とっても誠実な場になったという報告。
なんて素敵なことが起きているんだろう。
貧乏で不安な気持ちも吹き飛んでしまうような素敵な事。
私は、このNPOが私抜きでも回って行くようなしっかりした組織に成長する
ことを目指している。もちろんずっと大事に見守って行くけれど、私の力が
なくたって、「社会を傾聴で暖めるんだ!」という意志をしっかり持った人
々が集い、結び合って、自発的に活動を運営していく団体になるように推進
していくつもりだ。
今回の振り返りワークショップは、「傾聴」をテーマにしながら、私抜きで
成功した初のイベント。
さよこさんの実力と、情熱が、参加者を呼び、参加者もまた誠実にテーマに
取り組んでくれた結果だ。
そうなのよ!
この団体は「先生」が偉いんじゃないの!
傾聴をしようね、社会を変えたいね、もっと安心出来る世の中にしようよ、
と考えて、何かしてくれる、そんなみんなが主人公の団体なのよ!
嬉しい。とっても嬉しい。
みんな、私のことなんて忘れていいんだから。
どんどん自分で進んでいこうよ!
私はそれを応援したい。
みんなが生き生きと喜ぶ姿を、後ろから見守り、精一杯応援したい。
みんなが私の方を向いていることなんて、私には大した価値はない。
だれからもあがめられたくはない。
そんなちっぽけな事よりも、みんなが、それぞれに心に光を宿して、
喜びながら生きている姿がみたい。
あー。
ホントによかったね!
素晴らしい〜(叫)
しかもファシリテーターを自分でやると提案してくれて。
9名の人でワールドカフェ方式のワークショップを行えて。
とっても誠実な場になったという報告。
なんて素敵なことが起きているんだろう。
貧乏で不安な気持ちも吹き飛んでしまうような素敵な事。
私は、このNPOが私抜きでも回って行くようなしっかりした組織に成長する
ことを目指している。もちろんずっと大事に見守って行くけれど、私の力が
なくたって、「社会を傾聴で暖めるんだ!」という意志をしっかり持った人
々が集い、結び合って、自発的に活動を運営していく団体になるように推進
していくつもりだ。
今回の振り返りワークショップは、「傾聴」をテーマにしながら、私抜きで
成功した初のイベント。
さよこさんの実力と、情熱が、参加者を呼び、参加者もまた誠実にテーマに
取り組んでくれた結果だ。
そうなのよ!
この団体は「先生」が偉いんじゃないの!
傾聴をしようね、社会を変えたいね、もっと安心出来る世の中にしようよ、
と考えて、何かしてくれる、そんなみんなが主人公の団体なのよ!
嬉しい。とっても嬉しい。
みんな、私のことなんて忘れていいんだから。
どんどん自分で進んでいこうよ!
私はそれを応援したい。
みんなが生き生きと喜ぶ姿を、後ろから見守り、精一杯応援したい。
みんなが私の方を向いていることなんて、私には大した価値はない。
だれからもあがめられたくはない。
そんなちっぽけな事よりも、みんなが、それぞれに心に光を宿して、
喜びながら生きている姿がみたい。
あー。
ホントによかったね!
素晴らしい〜(叫)
この冬の寒波は気温だけではなく経済にも及んでいる。
世間的にもリーマンショックから始まった経済危機で大騒動だ。
派遣社員の大量解雇のニュースが他人事でなく心底気の毒だ。
我が家も漏れなく経済危機に瀕している。
ついに預金がゼロに。手持ちのお金もあと数万円。
これで年を越せるのか?
お金がないという状況にはずいぶん慣れているけれど
さすがに預金ゼロは堪えるなあと…。
今日、水道代をビルのオーナーさんが徴収に来た。
予測してなかった支払いで5000円。
さらに手持ちの現金が減って心細い。
まだ電気代や電話代など年内に支払いしないといけないものがあって
それを払うとおそらくゼロかマイナスに…。
誰が悪いのでもないけれど いつまで続くのかこの極貧生活。
けれども、払うべきものは払わなければならないと思う。
何故なら、水道でも電話でも、ガスでも、それを受け取る事をあてにして、
経済は成り立っている。誰だって、仕事した対価、提供した対価をもらわな
いとやっていけなくなる。
だから私は、自分にお金がなくても払うべきものは払わなければならないと
思う。当たり前のことをわざわざ言ってる気がするが、今の世の中、
「金がないから払えない」と堂々と言いすぎのような気がしている。
クライエントにも稀にそういう人がいる。
仕事を提供した後で、金が無いから払えない、って言われたら、どうしたらいい?
根底から信頼や約束や、そういうものが崩れてしまうと思う。
これまでそういう事を嫌というほど受け入れてきてしまったけれど。
それは私のプロイズム(プロとしての自覚)が足りないのだと、指摘された
事もある。
自分の仕事の対価を、ちゃんと受け取りなさい。要求しなさい。
そうでないと、世間はあなたからますます搾取し、平気な顔をして無料奉仕させるだろう。
そう言われた事がある。
けれどこれまでの事を振り返ると、結局自分がいけなかったと思う。
相手に堂々と、見合う対価を請求してこなかった自分が悪いのだろう。
払えなくても仕方ないですね、だなんて、いい人ぶっていたのかも知れない。
だから、今の極貧はすべて自分の行動が招いた結果だと思う。
まったく、周りの人を責める気持ちも腹が立つ思いもない。
ただ、自分が馬鹿だったなあと思うばかりだ。
自分の行動が間違っていたのだから、こういう結果になるのは当然だ。
幸いなことに、自分の行動の誤りが見つかっているのだから、次に行動を修正す
れば、結果を変えられるはず。
もうただ働きはやめよう。
私が生き続けるために必要な要求をしてることを、快く思わない人がいるのなら
離れてもらうのが一番お互いの為になる。
自分の軸がぶれないことだけに意識を向けるべきだ。
誰が離れるとか、誰が来るとか、そんな事は「なるようになる」だ。
で。
脱貧乏生活を来年の課題とします。(また?という話もあるが)
せめて支払いに困らず、家族にご飯を普通に食べさせることができる程度には、
経済的に困らないように。
子供がいるのに、いつまでも貧乏している場合じゃないよね。
そんな道楽親じゃあ、子供が迷惑だよね。ごめん、娘。
家族で旅行しようと数年かけて貯めたお金も、今月淡雪のよう
に支払いに消えた。ごめんね、約束してたのに。
貯金ゼロ。
これはほんとに怖い。毎晩、眠れない。忘れている支払いが
一件でも増える事が恐ろしい。明日の食べ物が買えない。
何度こういう思いをすればいいのか。
いや、もう繰り返したくない。
おそらくは借金しないとどうにもならない日が、あと数日で
来るんだろうな。ああ、嫌だなあ。怖いなあ。
返すあてのない借金だけは、どうしてもしたくないんだけど。
だって、それは、債務地獄への入り口だとわかっているから。
借金は大嫌い。怖い。
代々商売人である我が家の家訓では、借金は禁止されているのだ。
それが本当に、いっときの事で済めばいいんだけど。
がんばろう。
新しい年がくる。
大丈夫、新しい風が吹いてくるのを感じているから。
世間的にもリーマンショックから始まった経済危機で大騒動だ。
派遣社員の大量解雇のニュースが他人事でなく心底気の毒だ。
我が家も漏れなく経済危機に瀕している。
ついに預金がゼロに。手持ちのお金もあと数万円。
これで年を越せるのか?
お金がないという状況にはずいぶん慣れているけれど
さすがに預金ゼロは堪えるなあと…。
今日、水道代をビルのオーナーさんが徴収に来た。
予測してなかった支払いで5000円。
さらに手持ちの現金が減って心細い。
まだ電気代や電話代など年内に支払いしないといけないものがあって
それを払うとおそらくゼロかマイナスに…。
誰が悪いのでもないけれど いつまで続くのかこの極貧生活。
けれども、払うべきものは払わなければならないと思う。
何故なら、水道でも電話でも、ガスでも、それを受け取る事をあてにして、
経済は成り立っている。誰だって、仕事した対価、提供した対価をもらわな
いとやっていけなくなる。
だから私は、自分にお金がなくても払うべきものは払わなければならないと
思う。当たり前のことをわざわざ言ってる気がするが、今の世の中、
「金がないから払えない」と堂々と言いすぎのような気がしている。
クライエントにも稀にそういう人がいる。
仕事を提供した後で、金が無いから払えない、って言われたら、どうしたらいい?
根底から信頼や約束や、そういうものが崩れてしまうと思う。
これまでそういう事を嫌というほど受け入れてきてしまったけれど。
それは私のプロイズム(プロとしての自覚)が足りないのだと、指摘された
事もある。
自分の仕事の対価を、ちゃんと受け取りなさい。要求しなさい。
そうでないと、世間はあなたからますます搾取し、平気な顔をして無料奉仕させるだろう。
そう言われた事がある。
けれどこれまでの事を振り返ると、結局自分がいけなかったと思う。
相手に堂々と、見合う対価を請求してこなかった自分が悪いのだろう。
払えなくても仕方ないですね、だなんて、いい人ぶっていたのかも知れない。
だから、今の極貧はすべて自分の行動が招いた結果だと思う。
まったく、周りの人を責める気持ちも腹が立つ思いもない。
ただ、自分が馬鹿だったなあと思うばかりだ。
自分の行動が間違っていたのだから、こういう結果になるのは当然だ。
幸いなことに、自分の行動の誤りが見つかっているのだから、次に行動を修正す
れば、結果を変えられるはず。
もうただ働きはやめよう。
私が生き続けるために必要な要求をしてることを、快く思わない人がいるのなら
離れてもらうのが一番お互いの為になる。
自分の軸がぶれないことだけに意識を向けるべきだ。
誰が離れるとか、誰が来るとか、そんな事は「なるようになる」だ。
で。
脱貧乏生活を来年の課題とします。(また?という話もあるが)
せめて支払いに困らず、家族にご飯を普通に食べさせることができる程度には、
経済的に困らないように。
子供がいるのに、いつまでも貧乏している場合じゃないよね。
そんな道楽親じゃあ、子供が迷惑だよね。ごめん、娘。
家族で旅行しようと数年かけて貯めたお金も、今月淡雪のよう
に支払いに消えた。ごめんね、約束してたのに。
貯金ゼロ。
これはほんとに怖い。毎晩、眠れない。忘れている支払いが
一件でも増える事が恐ろしい。明日の食べ物が買えない。
何度こういう思いをすればいいのか。
いや、もう繰り返したくない。
おそらくは借金しないとどうにもならない日が、あと数日で
来るんだろうな。ああ、嫌だなあ。怖いなあ。
返すあてのない借金だけは、どうしてもしたくないんだけど。
だって、それは、債務地獄への入り口だとわかっているから。
借金は大嫌い。怖い。
代々商売人である我が家の家訓では、借金は禁止されているのだ。
それが本当に、いっときの事で済めばいいんだけど。
がんばろう。
新しい年がくる。
大丈夫、新しい風が吹いてくるのを感じているから。
心を守る必要のないほど 安全な環境で
愛を信頼しあえる人々と 手を取り合って分かち合い
自分に出来ることを 捧げ
関わるすべてのものが 平安で幸福であるようにと願う
それが私の思い描く パラダイス
何をしていても どこにいても
心は光を追いかけて 祈り歌う
心を守る必要のない場所になりますように
平安でありますように
捧げます 受け取って
これはちっぽけな私のものではなく 私以上のものからの贈り物
永遠や不変につながっている 変化や終焉や破壊のこの世界
私はそのちょうど真ん中に立っている
私と同じ役割を負っている人々がいる
私はその仲間の存在を感じる
願い続け 祈り続け 笑い歌う 光の仲間
孤独だった私が 仲間と合流する段階に進んでいる
今肉体を持って この世界に立っている仲間と
肉体を持たず この世界を守り導こうとしている仲間
それらと分かち合い 手を取り合って 捧げ 祈り 光の歌をうたう
捧げます 受け取って
これは 私以上のものからの贈り物
あなたが幸せであることを
全存在で喜ぶものからの
光の贈り物
愛を信頼しあえる人々と 手を取り合って分かち合い
自分に出来ることを 捧げ
関わるすべてのものが 平安で幸福であるようにと願う
それが私の思い描く パラダイス
何をしていても どこにいても
心は光を追いかけて 祈り歌う
心を守る必要のない場所になりますように
平安でありますように
捧げます 受け取って
これはちっぽけな私のものではなく 私以上のものからの贈り物
永遠や不変につながっている 変化や終焉や破壊のこの世界
私はそのちょうど真ん中に立っている
私と同じ役割を負っている人々がいる
私はその仲間の存在を感じる
願い続け 祈り続け 笑い歌う 光の仲間
孤独だった私が 仲間と合流する段階に進んでいる
今肉体を持って この世界に立っている仲間と
肉体を持たず この世界を守り導こうとしている仲間
それらと分かち合い 手を取り合って 捧げ 祈り 光の歌をうたう
捧げます 受け取って
これは 私以上のものからの贈り物
あなたが幸せであることを
全存在で喜ぶものからの
光の贈り物
どうも今年は、自分の仕事の流れが大きく変わってきているのだけれど。
自分で仕掛けてきた事もあるのだが、それ以外の何か、天からの命令というか、運命というか、そういう自分にはどうにもならないものの影響もあるような気がしてならない。
いろんな出会いも、別れも、私に影響を及ぼしている。
人がそこに来たり、去ったりする事も。
それによって大きく流れは変わり、これから私の仕事の方向性や表現手段も変わる予感がする。
8月までは例年通りだったカウンセリング事業が、9月からどんどんクライアント数を減らしている事が今日数字で明らかになった。「ねえ、9月から急に減っているねえ」と坂本に聞くと、9月から私は「出来るだけカウンセリングを引き受けないように」していたように見えたという事だった。
自覚は薄かったけれど、そうなのか。
「どうしてそうしていたのかなあ」と独り言のように言うと、坂本が「チャムが死んじゃったからだよ」とすぐに言った。
自分で思っている以上に、チャムの死が自分に影響している事に、今更なのだけれど、始めて気付いた。
私がカウンセリングしている間に、容態が急変したチャム。
カウンセリングが長引いた為に、今際の際に駆けつけて抱きしめることがやっとだった。
心の中で、「あの時、カウンセリングを受けていなければ。そうしたらチャムと最後の別れをもっと安らかに、長く出来たのに」という声が自分に中にあった。仕事していた自分を責めていた。
だから自分で気付かないうちに、カウンセリングの件数を、無意識に減らしていたのか。
その結果が、明らかに事業の業績として出ている。
無意識が影響することの大きさを改めて思い知った。
でも、その代わり、自分の心が今の結果を導いたのだとわかって、ほっとした。
これから、私が自分の内面をクリアにしていけば、きっと仕事の面で私の力は今よりもっと発揮出来るようになるだろう。
新しい表現、新しいステージで。
いつも、私の変化を黙って見守っている坂本に感謝を感じる。
こうしたら、とか、こう見えるよ、とかいちいち私の心に干渉せず、ただ黙って受け止めてくれている坂本の在り方そのものが、私を救ってくれている。
自分で仕掛けてきた事もあるのだが、それ以外の何か、天からの命令というか、運命というか、そういう自分にはどうにもならないものの影響もあるような気がしてならない。
いろんな出会いも、別れも、私に影響を及ぼしている。
人がそこに来たり、去ったりする事も。
それによって大きく流れは変わり、これから私の仕事の方向性や表現手段も変わる予感がする。
8月までは例年通りだったカウンセリング事業が、9月からどんどんクライアント数を減らしている事が今日数字で明らかになった。「ねえ、9月から急に減っているねえ」と坂本に聞くと、9月から私は「出来るだけカウンセリングを引き受けないように」していたように見えたという事だった。
自覚は薄かったけれど、そうなのか。
「どうしてそうしていたのかなあ」と独り言のように言うと、坂本が「チャムが死んじゃったからだよ」とすぐに言った。
自分で思っている以上に、チャムの死が自分に影響している事に、今更なのだけれど、始めて気付いた。
私がカウンセリングしている間に、容態が急変したチャム。
カウンセリングが長引いた為に、今際の際に駆けつけて抱きしめることがやっとだった。
心の中で、「あの時、カウンセリングを受けていなければ。そうしたらチャムと最後の別れをもっと安らかに、長く出来たのに」という声が自分に中にあった。仕事していた自分を責めていた。
だから自分で気付かないうちに、カウンセリングの件数を、無意識に減らしていたのか。
その結果が、明らかに事業の業績として出ている。
無意識が影響することの大きさを改めて思い知った。
でも、その代わり、自分の心が今の結果を導いたのだとわかって、ほっとした。
これから、私が自分の内面をクリアにしていけば、きっと仕事の面で私の力は今よりもっと発揮出来るようになるだろう。
新しい表現、新しいステージで。
いつも、私の変化を黙って見守っている坂本に感謝を感じる。
こうしたら、とか、こう見えるよ、とかいちいち私の心に干渉せず、ただ黙って受け止めてくれている坂本の在り方そのものが、私を救ってくれている。
今年も年末がやってきた。
毎年、年末はNPOの仕事が山積みになり、言葉通り泣きながら仕事している。
休みを潰し、家族行事を犠牲にし、娘を泣かせ、大好きだった猫の死に目にも遭えなかった去年の年末を思い出すと、本当に未だに心の傷になっていると思う。誰のせいでもない。ただ、そんな事になってしまっただけだ。
敢えて言えば、私が自分の限界を超えて仕事をしてしまう癖があるのがいけない。
そんな生き方をしても誰も褒めてはくれないし、むしろ誤解されてばかりで、自分も消耗するので周囲との摩擦が生まれるしで、結局は自分がかわいそうになった。
私は、自分が仕事でキツイのは大抵我慢出来るのだが、子供に「ママは仕事ばかりしている」と泣かれる事にはつくづく弱い。これを言われると、自分の人生が意味を失って、生きているのも申し訳ないような気持ちになる。それは、私が子供時代に、仕事漬けだった父親にも母親にも構ってもらえなかったという深い心の傷に重なってしまうからだろう。
娘に、同じ思いをさせていると思うと、本当にたまらない思いがする。
だから、私は子供との時間や、家族の行事だけは、どんなに忙しくてもどんなに貧乏になるとしても、最優先している。それが私の人生の幸福の為には外せないのだから、誰がどんなに批難しても優先しなければならないと思う。
今年の年末は21日を仕事納めと決めた。
いつもならその後にもずーーっと仕事してしまうのだが、今年はもう絶対に仕事しない。
そう決めたのだが、26日に仕事が一件入ってしまった。断れない自分も悪いのだが、NPOの為であり、催しを支える人の要請なのだから、無下には出来ない。大切な存在からの依頼は、できる限り聞き入れると誓っている。
去年の年末、ある意味で限界を感じた。
そこからの建て直しに一年かかった。
一年。時間は本当にあっという間に進む。
そして物事は、一つづつしか進まない。
目の前にある、一つづつしか進まない。
だから、目の前の一つを大切に大切に、丁寧にやっていくことが大事なのだと感じる。
一日づつしか進まない。
物事も、一つづつしか進まない。
それでいいのだ。
毎年、年末はNPOの仕事が山積みになり、言葉通り泣きながら仕事している。
休みを潰し、家族行事を犠牲にし、娘を泣かせ、大好きだった猫の死に目にも遭えなかった去年の年末を思い出すと、本当に未だに心の傷になっていると思う。誰のせいでもない。ただ、そんな事になってしまっただけだ。
敢えて言えば、私が自分の限界を超えて仕事をしてしまう癖があるのがいけない。
そんな生き方をしても誰も褒めてはくれないし、むしろ誤解されてばかりで、自分も消耗するので周囲との摩擦が生まれるしで、結局は自分がかわいそうになった。
私は、自分が仕事でキツイのは大抵我慢出来るのだが、子供に「ママは仕事ばかりしている」と泣かれる事にはつくづく弱い。これを言われると、自分の人生が意味を失って、生きているのも申し訳ないような気持ちになる。それは、私が子供時代に、仕事漬けだった父親にも母親にも構ってもらえなかったという深い心の傷に重なってしまうからだろう。
娘に、同じ思いをさせていると思うと、本当にたまらない思いがする。
だから、私は子供との時間や、家族の行事だけは、どんなに忙しくてもどんなに貧乏になるとしても、最優先している。それが私の人生の幸福の為には外せないのだから、誰がどんなに批難しても優先しなければならないと思う。
今年の年末は21日を仕事納めと決めた。
いつもならその後にもずーーっと仕事してしまうのだが、今年はもう絶対に仕事しない。
そう決めたのだが、26日に仕事が一件入ってしまった。断れない自分も悪いのだが、NPOの為であり、催しを支える人の要請なのだから、無下には出来ない。大切な存在からの依頼は、できる限り聞き入れると誓っている。
去年の年末、ある意味で限界を感じた。
そこからの建て直しに一年かかった。
一年。時間は本当にあっという間に進む。
そして物事は、一つづつしか進まない。
目の前にある、一つづつしか進まない。
だから、目の前の一つを大切に大切に、丁寧にやっていくことが大事なのだと感じる。
一日づつしか進まない。
物事も、一つづつしか進まない。
それでいいのだ。
娘の学校でクリスマスお祝い会。
カソリックの学校として一番のイベントでもあるクリスマス会。
去年も同じことを書いたような気がするけれど、本当にこの学校に娘を
入学させてよかったとしみじみ思った。クリスマスミサと、それにつづ
くお祝い会は、宗教色も強く、大変清廉な空気に満ちている。
一年に一度、こうして自分の心を正直に見つめて、世界の平和やすべて
の人類に対する愛ある行動をとろうと思い直すのは大変な価値ある一日
だと感じる。
子供たちの一生懸命な姿、一生懸命な歌声が、理屈抜きに胸を打つ。
何度も涙が溢れて、感激してしまう。
周りのお母さん達の中には、もう見飽きていると言わんばかりに白けた
顔の人もいるが、彼女達の心には、神父の言葉も子供たちの声も届かな
いのだろうか。
心のありようは、その人次第だと言うが、子供たちの無垢なメッセージ
が心に届かないほど、感性が鈍った人の心を、どのようにしたら目覚め
させられるのかと深く考えさせられた。
けれど 子供の放つパワーは、まさにこの世の光と思える。
クリスチャンで無くともキリスト教となんら矛盾しない、慈悲の心が目
覚める気がする、本当に有り難い時間だった。
世界に光を。
カソリックの学校として一番のイベントでもあるクリスマス会。
去年も同じことを書いたような気がするけれど、本当にこの学校に娘を
入学させてよかったとしみじみ思った。クリスマスミサと、それにつづ
くお祝い会は、宗教色も強く、大変清廉な空気に満ちている。
一年に一度、こうして自分の心を正直に見つめて、世界の平和やすべて
の人類に対する愛ある行動をとろうと思い直すのは大変な価値ある一日
だと感じる。
子供たちの一生懸命な姿、一生懸命な歌声が、理屈抜きに胸を打つ。
何度も涙が溢れて、感激してしまう。
周りのお母さん達の中には、もう見飽きていると言わんばかりに白けた
顔の人もいるが、彼女達の心には、神父の言葉も子供たちの声も届かな
いのだろうか。
心のありようは、その人次第だと言うが、子供たちの無垢なメッセージ
が心に届かないほど、感性が鈍った人の心を、どのようにしたら目覚め
させられるのかと深く考えさせられた。
けれど 子供の放つパワーは、まさにこの世の光と思える。
クリスチャンで無くともキリスト教となんら矛盾しない、慈悲の心が目
覚める気がする、本当に有り難い時間だった。
世界に光を。
娘が 8月に死んだチャムを思い出しては 時々しくしくと泣いている。
無性に寂しくなるらしい。
そしてそんな時には火葬した日の事を詳細に思い出し、たまらなくなるようだ。
チャムに会いたい、チャムに触りたいと繰り返す。
娘にとって、チャムは生まれた時から一緒だったら家族なのだから、これほど悲しむのは当然かも知れない。
「おじいちゃんが死んじゃった時より、おにいちゃん(夫の兄)が死んじゃった時より、ソラ(ハムスター)やすみれ(ハムスター)が死んだ時より、一番チャムが死んだのが悲しい」
という。
大きな犬なので存在感もあったし、娘が寄りかかっても潰れない安定感があったチャム。
ハムスターよりずっと家族という感じがしていたのかも知れない。
「早くチャムの生まれ変わりが家に来ないかなあ」
としきりに言う。
私だって、チャムが生まれ変わっているものならすぐにも家族に迎え入れたい。
それが猫だって、犬だって、へびだって構わない。
その命がチャムだと分かるのなら。
私は、チャムはすでに虫か何かに生まれ変わっては死んでいるのではないかとも思う。
うちで死んで、すぐに蝿とか、蜘蛛とかに生まれ変わっていたら、もう一度死んでいるかも知れない。場合によっては、何回か生まれ変わってるかも知れない。
蝿になってうちに飛んできたり、蜘蛛になって近所で巣を張っていたりするかも知れないと思っているので、蝿でもアリでも、殺すことが出来ない。
11月の終わりごろ、日頃はめったに夢を見ない夫が珍しく夢を見たといって話してくれた。
チャムが生き返る夢だったそうだ。
場面は、8月、死んでいるチャムを家族で囲んでいるシーンだ。現実にあったその日の再現の夢で、ふと、そのチャムが伸びをしていることに気付いてびっくりした、という。
夢の中で、夫は何度も「死んでるはずなのに、動いた」と確認し、私と娘を呼んで、3人でチャムの伸びを見たそうだ。そして、死ぬ直前まで苦しんでいた肉体の状態ではなく、息を吹き返したチャムはまるで身体の苦痛もなく、むしろ幸せそうに子犬がするようなしぐさで、手足を「うーん」と言う感じで伸ばしたのだという。
その夢は、転生して、子犬か子猫になって生まれてきたよ、というしるしかも知れないと、我が家では真面目に考えている。
11月の終わり頃に産まれた子犬が、ペットショップに並べられるのは、一ヶ月後の12月末頃だ。だから、その頃にペットショップをチェックしなければならないようだ。
もっとも、私はチャムの生まれ変わりが、我が家以外の家に引き取られて、別の人生を送るのもやむを得ないとも思っている。私がチャムを探しても探さなくても、多分、向こうから来る運命なら来るんだろう、出会ってしまうだろう、と思うのだ。
ホームセンターに行った。
子犬も子猫も一杯いた。どれも可愛い。
一つづつ、ケージをのぞき込んでは「お前はチャムかい?」と聞く。
ああ、チャムだなと思う事はまだ一度もない。
娘は絶対に12月末に、チャムが戻ってくるのだと思っている。
冷静に考えれば、今、新しい家族を迎える経済的余裕はどこにもないのだが、それがチャムならそんな事も言っていられない。
今妊娠したら迷い無く喜んで産むのと同じように、チャムという家族の命に再会したなら、経済がどうであろうとも喜んで迎え入れる。でもチャムでないなら、新しい出会いは避けて、ももだけに愛情を注ぎ、残りの人生を幸せにしてあげたいと思う。
私は、本当にチャムがそこに居たら、分かるのだろうか?
そしてチャムはホームセンターのケージの中になんて、本当に居るんだろうか?
祈るしかないのかな。
どうかチャムに、再び巡り合えますように、と…。
無性に寂しくなるらしい。
そしてそんな時には火葬した日の事を詳細に思い出し、たまらなくなるようだ。
チャムに会いたい、チャムに触りたいと繰り返す。
娘にとって、チャムは生まれた時から一緒だったら家族なのだから、これほど悲しむのは当然かも知れない。
「おじいちゃんが死んじゃった時より、おにいちゃん(夫の兄)が死んじゃった時より、ソラ(ハムスター)やすみれ(ハムスター)が死んだ時より、一番チャムが死んだのが悲しい」
という。
大きな犬なので存在感もあったし、娘が寄りかかっても潰れない安定感があったチャム。
ハムスターよりずっと家族という感じがしていたのかも知れない。
「早くチャムの生まれ変わりが家に来ないかなあ」
としきりに言う。
私だって、チャムが生まれ変わっているものならすぐにも家族に迎え入れたい。
それが猫だって、犬だって、へびだって構わない。
その命がチャムだと分かるのなら。
私は、チャムはすでに虫か何かに生まれ変わっては死んでいるのではないかとも思う。
うちで死んで、すぐに蝿とか、蜘蛛とかに生まれ変わっていたら、もう一度死んでいるかも知れない。場合によっては、何回か生まれ変わってるかも知れない。
蝿になってうちに飛んできたり、蜘蛛になって近所で巣を張っていたりするかも知れないと思っているので、蝿でもアリでも、殺すことが出来ない。
11月の終わりごろ、日頃はめったに夢を見ない夫が珍しく夢を見たといって話してくれた。
チャムが生き返る夢だったそうだ。
場面は、8月、死んでいるチャムを家族で囲んでいるシーンだ。現実にあったその日の再現の夢で、ふと、そのチャムが伸びをしていることに気付いてびっくりした、という。
夢の中で、夫は何度も「死んでるはずなのに、動いた」と確認し、私と娘を呼んで、3人でチャムの伸びを見たそうだ。そして、死ぬ直前まで苦しんでいた肉体の状態ではなく、息を吹き返したチャムはまるで身体の苦痛もなく、むしろ幸せそうに子犬がするようなしぐさで、手足を「うーん」と言う感じで伸ばしたのだという。
その夢は、転生して、子犬か子猫になって生まれてきたよ、というしるしかも知れないと、我が家では真面目に考えている。
11月の終わり頃に産まれた子犬が、ペットショップに並べられるのは、一ヶ月後の12月末頃だ。だから、その頃にペットショップをチェックしなければならないようだ。
もっとも、私はチャムの生まれ変わりが、我が家以外の家に引き取られて、別の人生を送るのもやむを得ないとも思っている。私がチャムを探しても探さなくても、多分、向こうから来る運命なら来るんだろう、出会ってしまうだろう、と思うのだ。
ホームセンターに行った。
子犬も子猫も一杯いた。どれも可愛い。
一つづつ、ケージをのぞき込んでは「お前はチャムかい?」と聞く。
ああ、チャムだなと思う事はまだ一度もない。
娘は絶対に12月末に、チャムが戻ってくるのだと思っている。
冷静に考えれば、今、新しい家族を迎える経済的余裕はどこにもないのだが、それがチャムならそんな事も言っていられない。
今妊娠したら迷い無く喜んで産むのと同じように、チャムという家族の命に再会したなら、経済がどうであろうとも喜んで迎え入れる。でもチャムでないなら、新しい出会いは避けて、ももだけに愛情を注ぎ、残りの人生を幸せにしてあげたいと思う。
私は、本当にチャムがそこに居たら、分かるのだろうか?
そしてチャムはホームセンターのケージの中になんて、本当に居るんだろうか?
祈るしかないのかな。
どうかチャムに、再び巡り合えますように、と…。
寒い寒い山の上の研修施設。
暖房は一切ありませんと言われて、正直大丈夫かなと思っていたけれど
前日に雪が積もった為かストーブを貸して頂けた。
しかしひろーい小体育館くらいの会場で、もちろんストーブくらいじゃ暖かくはならない。
全員毛布を何枚も身体に巻き付けて、円座になって座る。
吸う空気が冷たい。深く息を吸うと、新鮮な空気が肺のどこまで入っていくかがわかる。
そして窓から雲間に見えるのは遥か向こうの下界…。
すぐ窓の外は雲、雲、雲。
ここは天空。
最初は何をするんだろうと少し緊張していた全員が、初日の夜には沈黙に親しみ、
誰も何も話さないというその時間と空間を愛して、黙っていた。
私たちは、カラダの中に無限の宇宙を内包している。
沈黙しても満たされる事を知ると 外界と忙しくコンタクトしなくても十分自分が生きていられると確信出来る。
それは生きる力の源に触れるということでもあるし、私たちの成長の可能性に触れるという事でもある。
瞑想のフォームを与えられなくても、私たちは自然と共に沈黙し、静かに自分自身と触れていた。
この時を待っていたかのように。
大丈夫。生きている。
自然の中に包まれて、その厳しさも含め、私たちは生きていることを実感する。
リトリート。避難所。
自分に帰る場所。
暖房は一切ありませんと言われて、正直大丈夫かなと思っていたけれど
前日に雪が積もった為かストーブを貸して頂けた。
しかしひろーい小体育館くらいの会場で、もちろんストーブくらいじゃ暖かくはならない。
全員毛布を何枚も身体に巻き付けて、円座になって座る。
吸う空気が冷たい。深く息を吸うと、新鮮な空気が肺のどこまで入っていくかがわかる。
そして窓から雲間に見えるのは遥か向こうの下界…。
すぐ窓の外は雲、雲、雲。
ここは天空。
最初は何をするんだろうと少し緊張していた全員が、初日の夜には沈黙に親しみ、
誰も何も話さないというその時間と空間を愛して、黙っていた。
私たちは、カラダの中に無限の宇宙を内包している。
沈黙しても満たされる事を知ると 外界と忙しくコンタクトしなくても十分自分が生きていられると確信出来る。
それは生きる力の源に触れるということでもあるし、私たちの成長の可能性に触れるという事でもある。
瞑想のフォームを与えられなくても、私たちは自然と共に沈黙し、静かに自分自身と触れていた。
この時を待っていたかのように。
大丈夫。生きている。
自然の中に包まれて、その厳しさも含め、私たちは生きていることを実感する。
リトリート。避難所。
自分に帰る場所。
沖縄の離島 石垣島は 私の魂のふるさとなのだ。
私が自分の心を取り戻した島、それが石垣島。
今の私は、ばらばらに壊れていた心のかけらを、石垣島で繋ぎ合わせ、修復して、そして再生して生まれ直したのだと感じている。だから、石垣島の自然はそれだけで私にとって最高の癒しスポットである。
そしてもう一ヶ所 ダラムサラ。
言うまでもなくダライラマ14世法王猊下のお住いになる、チベット密教の聖地。
ここは土地にではなく、法王猊下がいらっしゃる故に、私が強く引き付けられる土地だ。
法王猊下と同じ天気を感じ、同じ時間を過ごし、同じ空気を吸っていると思うだけでも、またお寺から流れてくる祈りの声の中に法王猊下のお声とお心が混じっていると思うだけでも、幸せで満たされた気持ちになる聖地。
生活水準は日本にはるか及ばないとしても、生きる為に必要なものはすべて揃っているシンプルな生活がそこにある。
石垣島か、ダラムサラに今すぐにでも行きたい。
そして、一ヶ月くらい、充電したい気分。
私が自分の心を取り戻した島、それが石垣島。
今の私は、ばらばらに壊れていた心のかけらを、石垣島で繋ぎ合わせ、修復して、そして再生して生まれ直したのだと感じている。だから、石垣島の自然はそれだけで私にとって最高の癒しスポットである。
そしてもう一ヶ所 ダラムサラ。
言うまでもなくダライラマ14世法王猊下のお住いになる、チベット密教の聖地。
ここは土地にではなく、法王猊下がいらっしゃる故に、私が強く引き付けられる土地だ。
法王猊下と同じ天気を感じ、同じ時間を過ごし、同じ空気を吸っていると思うだけでも、またお寺から流れてくる祈りの声の中に法王猊下のお声とお心が混じっていると思うだけでも、幸せで満たされた気持ちになる聖地。
生活水準は日本にはるか及ばないとしても、生きる為に必要なものはすべて揃っているシンプルな生活がそこにある。
石垣島か、ダラムサラに今すぐにでも行きたい。
そして、一ヶ月くらい、充電したい気分。