2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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このブログでは私の内面を含め 全方位で何でも公開アリという事にしているが思うさまをダイレクトに文章にしている訳ではない。それなりに読んでいる人がいる訳で、その人たちに理解不能な難解な文章を書いたりしたら悪いと思う。
難解な文書は嫌いではない。だが自分が難解な文章を書くことには抵抗がある。たとえば、もちろん読んで意味はわかるが、敢えてそんな難解な言葉をこの文脈に置かなくてもいいじゃないかと思うような文章だと、「読み手の上位、優位に立ちたい」という「書き手のコンプレックス」が透けてくる。平易な表現では自分に箔がつかないと思っている事がありありと見える安っぽい難解文に出会うと、痛々しいというか、気恥ずかしいというか、なんともいえない気分になる。
それで、自分は常に努めて読み手を意識して平易に書くことにしている。これは私の文章を書く上でのポリシーみたいなものだ。
世の中の、「ものによって」は、読み手の読解力を試し、分からない人には分からないでいいという書き方もあるが(保険の約款みたいに)、それはやっぱり高飛車ではないかと思う。書くからには、読む人が理解できるよう工夫を凝らすのは、礼儀というか、書き手としての姿勢の問題だと思う。
さて、私は昔から文章を書くのはまったく苦ではなかった。
何才くらいから文章を書いているかというと、私は一切の英才教育や早期教育を受けていないので、普通の人となんら変わらず、小学校で文字の書き方をならってからだ。
文字を読む方は、新聞を読む祖父の横で絵本を読んでいるうちに小学校前から自然に覚えていた。だが書き始めたのは小学校からだ。
それでも、小学校1年の2学期、担任から「国語に関しては、すでに小学校6年生並の能力があります」と言われた。6年生レベルどころか実は普通の新聞に出る漢字の7〜8割は読めていた。語彙力はおそらく中学生レベル以上だったのではないかと思う。私は本を読む時はいつも祖父のそばでだった。だから祖父に、「これなんて読むの?」「そしゃくってどういう意味?」という質問を頻繁に浴びせた。祖父は飽きずに答えてくれていた。
小学校時代は特に本をよく読んだ。暇がたくさんあったので、読めたのだ。図書館にある本を在学中のどの生徒よりたくさん読んでいた。かなり自信があるのだが、その小学校において、もしかして歴代一位ではないかしらん?
やがて2年生ごろになると、作文の課題が出されるようになる。たいてい、作文用紙1枚とか2枚という文量の指定がある。国語の時間内に30分、作文を書く時間などが与えられる。だいたい5分くらいで書き終わってしまって、えらく暇なので、暇つぶしに指定の文章量きっちりにする遊びを自分で考え出してやっていた。指定されたマス目をぎりぎり1杯をきっちり使って書くという事が一つのゲームだったのだ。そうでもしないと、学校は退屈すぎた。
担任が私の作文を勝手にコンクールに出す事もしばしばあった。
しらないうちに賞をもらっていた。一度は、県知事から直接賞状とメダルをもらったこともあるのであれは結構大きなコンクールだったのではないだろうか。
それならと一度自らコンクール用に力を入れて書いた作文を提出した。
するとあっさり落選した。私は驚愕した。適当に書いている作文が難なく入賞するのに、自信たっぷりだった力作が落とされるというのはどういう事か。職員室に行き、理由を担任にたずねた。「ああ、あれね。きっと大人が書いたものだと思われたのよ」と言われた。
子供らしからぬ難解な言い回しがふんだんに使われ、倒置法、隠喩などの小学生にしては高度なテクニックが盛り込まれていた文章だった。しかし当時の私は、自分が読んでいる本(主に推理小説や伝記など)に書かれている文章が基準だったので、それくらいの文章が一番自然だったのだ。作家のような言い回し、文学的表現を自然に模倣して使うようになっていたのだった。
初めて小説を書いたのは、小学校3年生の時だった。
壮大なストーリーの冒険小説で、我ながら子供らしい夢のある内容だったと思う。だが完成しなかった。当時の私には、えんぴつで文字を書くことがもどかしくて、耐えられなかったのだ。頑張ってはみるものの、作文用紙5枚、10枚といけば手が腱鞘炎になりそうなくらい痛い。それなのに、書かれている内容は頭の中で書き終わっている内容の百分の一にもならないのだ。
つまり、アウトプットする手段がえんぴつによる筆記だったので、長編小説は無理だったのだ。
中学の時、学年主任だった国語の教師にものすごく嫌われた。
私の能力は彼から謂れの無い批判を受けた。試験の点数は最高点なのに、国語の成績で5(最高点)の評価をもらえなかったのは初めてだった。彼は私がどれほどいい点を取ろうとも、私には5を与えようとしなかった。理由は分かっている。私が与えられた作文課題の中で、教師と日本の教育システムの批判を展開したからだ。私としては生徒側からの提案と問題提起をしたに過ぎなかったのだが、彼には強烈なシステム批判と映ったのだろう。その作文を見た彼は、明らかに苦々しい顏をしながら「君は考え方が根本的に間違っている」と言いながら、作文用紙を私に突き返した。顏には「お前は、生意気なんだよ」と書かれていた。それ以降、中学時代、国語で5をもらえることはなかった。
学校がとても面白くない処に変わった。
(暗黒の高校時代は長くなるのでまたの機会に。)
18才の時、ワープロを入手してから世界が広がった。
キーボードのブラインドタッチはあっという間に覚えて、いくらやっても手が痛くないことに感動しながら、また書くことに熱中した。童話をいくつかと、小説をいくつか書いた。だが発表する場のない、読み手のいない文章はむなしかった。
19才の時、交通事故に遭った。その慰謝料85万円で、迷わずマッキントッシュを買った。まだまだパソコンが高価な時代にあって、国産のNEC製PC95(30万くらい)ではなく、ヤッピー(アメリカの富裕層)の持ち物と言われたMacintoshSE(75万)を購入したあたり、やはり私は相当の変わり者だ。
そして、日本に会員制ネットワークniftyサーブが誕生した。私はその初年度会員だった。そのころ、niftyに入会している人は周囲にはまったく居なかった。ネットの世界はごく一部の限られた人たちだけが利用している時代、私はネットの中でやっと、語り合う人が出来た。いくらでも難解な文章を理解してくれる人たちに出会えた。私の年齢を言う必要のない、自由な世界だった。書いた文章による発言だけで、私を評価してもらえた。生まれて初めて、自由にものが言えた。
福岡でMac関連の雑誌を発行している事務所でアルバイトし、パソコンに関する記事を書いていたこともある。読者投書コーナーも担当した。
私の親は、この当時の私の活動に関して、まったく知らないだろう。
さて、ところで、
文章を書く時に、かつて第一の肉体的苦難はペンを握って動かすことだ。それはパソコンのキーボード入力によって圧倒的に軽減された。それと、文章を書く時の第一の精神的苦痛は、(私にとっては)出力が遅すぎるという事だ。考えている速度に、出力が追いつかない。じれったい。ペンで書いているのでは新幹線とアリくらいの速度差があって、じれったさでもだえ死にしそうである。これもキーボード入力と漢字変換ソフトによって大幅に軽減された。
しかし実はそれでも、まだ、出力速度の遅さにはいらいらする。
考えていることを、考えている速度のままで出力する装置が開発されたらどんなに嬉しいかと思う。SFの世界で、脳に直接プラグを差し込んで、考えるだけでいろいろな装置を操作したりするシーンが登場するが、あの脳プラグが開発されたら、自分も装着したいかも…と思ってしまう。
脳プラグが開発されて、高IQ者の脳に装着したら、ノーベル賞ものの発明は飛躍的に数が増える。これは間違いない。
ところで、この文章を書く能力を活かして、作家になったらいいんじゃないかと昔から考えていたのだが、私はどうもフィクションは書く気になれないのだ。
私にとっては、作り話より現実の話の方がずっと魅力的なので、自分が現実以上の作り話を書ける気がしない。
それじゃあ、ドキュメンタリーでも書いたらいいのかと考えたが、今度は書きたいテーマがまだ見つかっていない。
今一番書いていて楽しいのは、自分というテーマだ。
こうして自分の半生を振り返り、自分の過酷だった環境や自分が社会に馴染めなかった当然の理由について振り返る機会を持ち、深く考察する時間を持てるのは本当にありがたい。
だからこのブログが今のところ一番、書いていて楽しい。
それから、今思いついたのだが、「依頼されて書く」事はとても楽しい。
思えば、このブログもみさちゃんに依頼されて書き始めたのだったな。
私はこのブログは自分では人には紹介していない。
だからこのブログを訪れる人がどんな経緯でやってくるのかというと、ほぼ口コミ以外にないわけだ。どんな人がどのくらいくるようになるのか、それも秘かに見守っている。誰も見ないようになれば、自分が飽きた時点で閉鎖するつもりだ。今は誰も見ていなくても、自分の中を整理することに極めて効果的なので楽しく書いている。
依頼されて書くことは楽しいので、誰か私に書いて欲しい事があればご自由に言ってみて下さい。
書くと保証はしないけれど、面白いと思えることは積極的に書きます。
難解な文書は嫌いではない。だが自分が難解な文章を書くことには抵抗がある。たとえば、もちろん読んで意味はわかるが、敢えてそんな難解な言葉をこの文脈に置かなくてもいいじゃないかと思うような文章だと、「読み手の上位、優位に立ちたい」という「書き手のコンプレックス」が透けてくる。平易な表現では自分に箔がつかないと思っている事がありありと見える安っぽい難解文に出会うと、痛々しいというか、気恥ずかしいというか、なんともいえない気分になる。
それで、自分は常に努めて読み手を意識して平易に書くことにしている。これは私の文章を書く上でのポリシーみたいなものだ。
世の中の、「ものによって」は、読み手の読解力を試し、分からない人には分からないでいいという書き方もあるが(保険の約款みたいに)、それはやっぱり高飛車ではないかと思う。書くからには、読む人が理解できるよう工夫を凝らすのは、礼儀というか、書き手としての姿勢の問題だと思う。
さて、私は昔から文章を書くのはまったく苦ではなかった。
何才くらいから文章を書いているかというと、私は一切の英才教育や早期教育を受けていないので、普通の人となんら変わらず、小学校で文字の書き方をならってからだ。
文字を読む方は、新聞を読む祖父の横で絵本を読んでいるうちに小学校前から自然に覚えていた。だが書き始めたのは小学校からだ。
それでも、小学校1年の2学期、担任から「国語に関しては、すでに小学校6年生並の能力があります」と言われた。6年生レベルどころか実は普通の新聞に出る漢字の7〜8割は読めていた。語彙力はおそらく中学生レベル以上だったのではないかと思う。私は本を読む時はいつも祖父のそばでだった。だから祖父に、「これなんて読むの?」「そしゃくってどういう意味?」という質問を頻繁に浴びせた。祖父は飽きずに答えてくれていた。
小学校時代は特に本をよく読んだ。暇がたくさんあったので、読めたのだ。図書館にある本を在学中のどの生徒よりたくさん読んでいた。かなり自信があるのだが、その小学校において、もしかして歴代一位ではないかしらん?
やがて2年生ごろになると、作文の課題が出されるようになる。たいてい、作文用紙1枚とか2枚という文量の指定がある。国語の時間内に30分、作文を書く時間などが与えられる。だいたい5分くらいで書き終わってしまって、えらく暇なので、暇つぶしに指定の文章量きっちりにする遊びを自分で考え出してやっていた。指定されたマス目をぎりぎり1杯をきっちり使って書くという事が一つのゲームだったのだ。そうでもしないと、学校は退屈すぎた。
担任が私の作文を勝手にコンクールに出す事もしばしばあった。
しらないうちに賞をもらっていた。一度は、県知事から直接賞状とメダルをもらったこともあるのであれは結構大きなコンクールだったのではないだろうか。
それならと一度自らコンクール用に力を入れて書いた作文を提出した。
するとあっさり落選した。私は驚愕した。適当に書いている作文が難なく入賞するのに、自信たっぷりだった力作が落とされるというのはどういう事か。職員室に行き、理由を担任にたずねた。「ああ、あれね。きっと大人が書いたものだと思われたのよ」と言われた。
子供らしからぬ難解な言い回しがふんだんに使われ、倒置法、隠喩などの小学生にしては高度なテクニックが盛り込まれていた文章だった。しかし当時の私は、自分が読んでいる本(主に推理小説や伝記など)に書かれている文章が基準だったので、それくらいの文章が一番自然だったのだ。作家のような言い回し、文学的表現を自然に模倣して使うようになっていたのだった。
初めて小説を書いたのは、小学校3年生の時だった。
壮大なストーリーの冒険小説で、我ながら子供らしい夢のある内容だったと思う。だが完成しなかった。当時の私には、えんぴつで文字を書くことがもどかしくて、耐えられなかったのだ。頑張ってはみるものの、作文用紙5枚、10枚といけば手が腱鞘炎になりそうなくらい痛い。それなのに、書かれている内容は頭の中で書き終わっている内容の百分の一にもならないのだ。
つまり、アウトプットする手段がえんぴつによる筆記だったので、長編小説は無理だったのだ。
中学の時、学年主任だった国語の教師にものすごく嫌われた。
私の能力は彼から謂れの無い批判を受けた。試験の点数は最高点なのに、国語の成績で5(最高点)の評価をもらえなかったのは初めてだった。彼は私がどれほどいい点を取ろうとも、私には5を与えようとしなかった。理由は分かっている。私が与えられた作文課題の中で、教師と日本の教育システムの批判を展開したからだ。私としては生徒側からの提案と問題提起をしたに過ぎなかったのだが、彼には強烈なシステム批判と映ったのだろう。その作文を見た彼は、明らかに苦々しい顏をしながら「君は考え方が根本的に間違っている」と言いながら、作文用紙を私に突き返した。顏には「お前は、生意気なんだよ」と書かれていた。それ以降、中学時代、国語で5をもらえることはなかった。
学校がとても面白くない処に変わった。
(暗黒の高校時代は長くなるのでまたの機会に。)
18才の時、ワープロを入手してから世界が広がった。
キーボードのブラインドタッチはあっという間に覚えて、いくらやっても手が痛くないことに感動しながら、また書くことに熱中した。童話をいくつかと、小説をいくつか書いた。だが発表する場のない、読み手のいない文章はむなしかった。
19才の時、交通事故に遭った。その慰謝料85万円で、迷わずマッキントッシュを買った。まだまだパソコンが高価な時代にあって、国産のNEC製PC95(30万くらい)ではなく、ヤッピー(アメリカの富裕層)の持ち物と言われたMacintoshSE(75万)を購入したあたり、やはり私は相当の変わり者だ。
そして、日本に会員制ネットワークniftyサーブが誕生した。私はその初年度会員だった。そのころ、niftyに入会している人は周囲にはまったく居なかった。ネットの世界はごく一部の限られた人たちだけが利用している時代、私はネットの中でやっと、語り合う人が出来た。いくらでも難解な文章を理解してくれる人たちに出会えた。私の年齢を言う必要のない、自由な世界だった。書いた文章による発言だけで、私を評価してもらえた。生まれて初めて、自由にものが言えた。
福岡でMac関連の雑誌を発行している事務所でアルバイトし、パソコンに関する記事を書いていたこともある。読者投書コーナーも担当した。
私の親は、この当時の私の活動に関して、まったく知らないだろう。
さて、ところで、
文章を書く時に、かつて第一の肉体的苦難はペンを握って動かすことだ。それはパソコンのキーボード入力によって圧倒的に軽減された。それと、文章を書く時の第一の精神的苦痛は、(私にとっては)出力が遅すぎるという事だ。考えている速度に、出力が追いつかない。じれったい。ペンで書いているのでは新幹線とアリくらいの速度差があって、じれったさでもだえ死にしそうである。これもキーボード入力と漢字変換ソフトによって大幅に軽減された。
しかし実はそれでも、まだ、出力速度の遅さにはいらいらする。
考えていることを、考えている速度のままで出力する装置が開発されたらどんなに嬉しいかと思う。SFの世界で、脳に直接プラグを差し込んで、考えるだけでいろいろな装置を操作したりするシーンが登場するが、あの脳プラグが開発されたら、自分も装着したいかも…と思ってしまう。
脳プラグが開発されて、高IQ者の脳に装着したら、ノーベル賞ものの発明は飛躍的に数が増える。これは間違いない。
ところで、この文章を書く能力を活かして、作家になったらいいんじゃないかと昔から考えていたのだが、私はどうもフィクションは書く気になれないのだ。
私にとっては、作り話より現実の話の方がずっと魅力的なので、自分が現実以上の作り話を書ける気がしない。
それじゃあ、ドキュメンタリーでも書いたらいいのかと考えたが、今度は書きたいテーマがまだ見つかっていない。
今一番書いていて楽しいのは、自分というテーマだ。
こうして自分の半生を振り返り、自分の過酷だった環境や自分が社会に馴染めなかった当然の理由について振り返る機会を持ち、深く考察する時間を持てるのは本当にありがたい。
だからこのブログが今のところ一番、書いていて楽しい。
それから、今思いついたのだが、「依頼されて書く」事はとても楽しい。
思えば、このブログもみさちゃんに依頼されて書き始めたのだったな。
私はこのブログは自分では人には紹介していない。
だからこのブログを訪れる人がどんな経緯でやってくるのかというと、ほぼ口コミ以外にないわけだ。どんな人がどのくらいくるようになるのか、それも秘かに見守っている。誰も見ないようになれば、自分が飽きた時点で閉鎖するつもりだ。今は誰も見ていなくても、自分の中を整理することに極めて効果的なので楽しく書いている。
依頼されて書くことは楽しいので、誰か私に書いて欲しい事があればご自由に言ってみて下さい。
書くと保証はしないけれど、面白いと思えることは積極的に書きます。
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