2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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さて。鬱の大波小波は引いて行ったようです。
講師の仕事とカウンセリングはこういう時でもなんら問題なくやれるのですから不思議ですが。
自殺したアナウンサーが前日まで仕事を普通にこなしていた、というのもうなづけます。
私の方は 昨日の理論2、今日の傾聴とこなし合間にはカウンセリングも入って、順調にこなし、かつ、心の状態は平常通りになりました。あーよかった、よかった。
ご心配をお掛けしたにも関わらず、見守ってくださった方々が、この画面の向こうにいらっしゃることを感じます。それと、こんな書き込みをしていることを知っているのに、私の処にカウンセリングに来てくださったクライエントの方々には、まったく、何といっていいか分かりません。
その私への信頼の大きさには、私の方が恐縮しています。
そして、信頼に応える自分でありたいと切に願います。
今回、大波小波の中、クライエントさんが苦しむ気持ちを、また、体験新たにすることが出来ました。この波がくる前の私より、深くクライエントさんの痛みに思いを寄せる事が出来るようになったと感じます。この苦しみが何故やってきたのか分かりませんが、通り過ぎた今は苦しみに感謝しています。手を合わせて、苦しみに感謝して祈っています。
苦しい最中は、とうてい感謝出来ないのですが、その事も覚えておいて、クライエントさんを支えて行こうと思います。苦しいさなかに欲しいのは、励ましではなく、ただただ純粋な慈しみです。
ふむふむくんがこんなにすごいヤツだと思ってなかったのですが、今回、初めてふむふむくんと対話してみました。私の中では、ふむふむくんの姿は、杣地蔵(そまじぞう)で動きはトミーの首がうなづくようにゆらゆらするおもちゃです。
その両方とも、カウンセリングルームの窓辺に置いてあります。
ただ無為に聴く、共にある、という存在のもつ力は、すごいんだなあと改めて思いました。
傾聴のボランティアは、ただただ、ふむふむくんであれば、それでいいのだ、という講義のヒントも、啓示されています。
さて、テキストという形で結晶するのはこれから。
こまぎれの時間でとても集中力が要求されていますが、アウトプットの作業にかかります。
おおー。
うそみたいにやる気あるじゃん。
てへっ
講師の仕事とカウンセリングはこういう時でもなんら問題なくやれるのですから不思議ですが。
自殺したアナウンサーが前日まで仕事を普通にこなしていた、というのもうなづけます。
私の方は 昨日の理論2、今日の傾聴とこなし合間にはカウンセリングも入って、順調にこなし、かつ、心の状態は平常通りになりました。あーよかった、よかった。
ご心配をお掛けしたにも関わらず、見守ってくださった方々が、この画面の向こうにいらっしゃることを感じます。それと、こんな書き込みをしていることを知っているのに、私の処にカウンセリングに来てくださったクライエントの方々には、まったく、何といっていいか分かりません。
その私への信頼の大きさには、私の方が恐縮しています。
そして、信頼に応える自分でありたいと切に願います。
今回、大波小波の中、クライエントさんが苦しむ気持ちを、また、体験新たにすることが出来ました。この波がくる前の私より、深くクライエントさんの痛みに思いを寄せる事が出来るようになったと感じます。この苦しみが何故やってきたのか分かりませんが、通り過ぎた今は苦しみに感謝しています。手を合わせて、苦しみに感謝して祈っています。
苦しい最中は、とうてい感謝出来ないのですが、その事も覚えておいて、クライエントさんを支えて行こうと思います。苦しいさなかに欲しいのは、励ましではなく、ただただ純粋な慈しみです。
ふむふむくんがこんなにすごいヤツだと思ってなかったのですが、今回、初めてふむふむくんと対話してみました。私の中では、ふむふむくんの姿は、杣地蔵(そまじぞう)で動きはトミーの首がうなづくようにゆらゆらするおもちゃです。
その両方とも、カウンセリングルームの窓辺に置いてあります。
ただ無為に聴く、共にある、という存在のもつ力は、すごいんだなあと改めて思いました。
傾聴のボランティアは、ただただ、ふむふむくんであれば、それでいいのだ、という講義のヒントも、啓示されています。
さて、テキストという形で結晶するのはこれから。
こまぎれの時間でとても集中力が要求されていますが、アウトプットの作業にかかります。
おおー。
うそみたいにやる気あるじゃん。
てへっ
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昨日、ふむふむくんとお話してから、調子がいいです。
今朝は4時から起きているのですが、どうやらすっきりしています。
すーーーー。
はーーーーー。
呼吸しながら、確認してます。
ちなみに、ふむふむくんは、カウンセリングルームにいます。
いつもふむふむしています。
今、普通の状態の8割くらいまで来ました。
つらいなって感じはほとんど感じません。やたー!
このまま普通の状態にちょっと留まれるといいな。
今日は仕事がはかどる事を祈りつつ。
講習会があるので時間が切れてしまうんですが。
創作的な仕事は、時間無制限、邪魔は一切排除、でないと効率的に進められないんですよね。だから講師の仕事やカウンセリングや家事や育児で時間がこま切れになるのは本当に困る。山の中に篭りたくなります。
でも何だったンだろう、この10年間、なかったですよ、こんなひどいの。
更年期かしら…とふと思うのでした。
今朝は4時から起きているのですが、どうやらすっきりしています。
すーーーー。
はーーーーー。
呼吸しながら、確認してます。
ちなみに、ふむふむくんは、カウンセリングルームにいます。
いつもふむふむしています。
今、普通の状態の8割くらいまで来ました。
つらいなって感じはほとんど感じません。やたー!
このまま普通の状態にちょっと留まれるといいな。
今日は仕事がはかどる事を祈りつつ。
講習会があるので時間が切れてしまうんですが。
創作的な仕事は、時間無制限、邪魔は一切排除、でないと効率的に進められないんですよね。だから講師の仕事やカウンセリングや家事や育児で時間がこま切れになるのは本当に困る。山の中に篭りたくなります。
でも何だったンだろう、この10年間、なかったですよ、こんなひどいの。
更年期かしら…とふと思うのでした。
調子のいい時にはなんでもなくこなせる事が、こなせなくなる。
すると、「調子が戻ればできるはずだ!」と思って「早く調子を戻そう!」と自分を叱咤激励し始める。
褒めたり、すかしたり、おどしたり、色々な手を使う。
でも、それ自体が、「やるべきだ」「やれなければならない」の変身した姿なのだから調子が戻るはずもない。
(ふむふむ。)
自分のどこかが「もう限界だー!!」と言っているのに、「いや、多分、やればできるよ」とか「やらないとどうしようもないでしょうが」とか「やるのはあんたの責任だ」とかいう叱咤激励部隊が口々に【やらせる方向でのプレッシャー】をかけてくる。
「騙されてみようかな?ほんとに、出来ると思ってやればいつも通り、出来るかもしれないし」などと、甘い考えのヤツも出てきたり。
(ふむふむ。)
自分で自分を止められないし、自分で自分に休む許可が出来ない間は、本当に休めないよね。
だから、誰かのお墨付きが欲しくなるよね。
「君は疲れてるんだよ。頑張ってきたからね。だから休んでいいんだよ」と言ってくれる人がいたら、やっと許された感じになるんだろうって、想像できるよね。
(ふむふむ。)
ふと思ったけど、カウンセリングに来る人に「あなたは相当、重症ですよ」と言ってあげると、みんな嬉しそうな顔をするのは、そのせいかな?
(ふむふむ。)
「きつかったですね」「よく頑張りましたね。頑張り過ぎましたね」って言うと「そうでしょうか?」といいながら、みんなほっとした顔するよね。
それはやっぱり、今の私みたいに、誰かにお墨付きをもらってからじゃないと、自分に休む許可が出せないからだよね?
(ふむふむ。)
ふむふむ君は、いつもふむふむってうなづいてるだけだね。
(ふーむふむふむ。)
まあいいや。
休んでもいい?
(ふむふむ。)
何だかやれる気がしてきたよ。
(ふむふむ。)
ちょっとだけ、原稿書いてみようかな。5分だけ。
(ふむ?)
5分だけ、やってから休むよ。
みんなが待ってる原稿なんだよ。
一生懸命作らなくちゃ。
みんな、この原稿を学ぶ為に、お金を払うんだよ。
私が一生懸命やらないなんて、許されないよ。
(ふむふむ。)
あ、またちょっと、休む方向じゃなくて 無理して働く方向にうごいたね。
(ふむふむ。)
わかった。休み方向でね。
1分呼吸して、1分やってみて、1分休んでみて。
その時々、じたばたしてみる。
(ふむふむ。)
すると、「調子が戻ればできるはずだ!」と思って「早く調子を戻そう!」と自分を叱咤激励し始める。
褒めたり、すかしたり、おどしたり、色々な手を使う。
でも、それ自体が、「やるべきだ」「やれなければならない」の変身した姿なのだから調子が戻るはずもない。
(ふむふむ。)
自分のどこかが「もう限界だー!!」と言っているのに、「いや、多分、やればできるよ」とか「やらないとどうしようもないでしょうが」とか「やるのはあんたの責任だ」とかいう叱咤激励部隊が口々に【やらせる方向でのプレッシャー】をかけてくる。
「騙されてみようかな?ほんとに、出来ると思ってやればいつも通り、出来るかもしれないし」などと、甘い考えのヤツも出てきたり。
(ふむふむ。)
自分で自分を止められないし、自分で自分に休む許可が出来ない間は、本当に休めないよね。
だから、誰かのお墨付きが欲しくなるよね。
「君は疲れてるんだよ。頑張ってきたからね。だから休んでいいんだよ」と言ってくれる人がいたら、やっと許された感じになるんだろうって、想像できるよね。
(ふむふむ。)
ふと思ったけど、カウンセリングに来る人に「あなたは相当、重症ですよ」と言ってあげると、みんな嬉しそうな顔をするのは、そのせいかな?
(ふむふむ。)
「きつかったですね」「よく頑張りましたね。頑張り過ぎましたね」って言うと「そうでしょうか?」といいながら、みんなほっとした顔するよね。
それはやっぱり、今の私みたいに、誰かにお墨付きをもらってからじゃないと、自分に休む許可が出せないからだよね?
(ふむふむ。)
ふむふむ君は、いつもふむふむってうなづいてるだけだね。
(ふーむふむふむ。)
まあいいや。
休んでもいい?
(ふむふむ。)
何だかやれる気がしてきたよ。
(ふむふむ。)
ちょっとだけ、原稿書いてみようかな。5分だけ。
(ふむ?)
5分だけ、やってから休むよ。
みんなが待ってる原稿なんだよ。
一生懸命作らなくちゃ。
みんな、この原稿を学ぶ為に、お金を払うんだよ。
私が一生懸命やらないなんて、許されないよ。
(ふむふむ。)
あ、またちょっと、休む方向じゃなくて 無理して働く方向にうごいたね。
(ふむふむ。)
わかった。休み方向でね。
1分呼吸して、1分やってみて、1分休んでみて。
その時々、じたばたしてみる。
(ふむふむ。)
調子が良いときと悪い時が 大波小波、ざんぶらざんぶらやってくる。
今朝、起き抜けに調子がいい!ととても嬉しかったのに、その3時間後にはもうどん底に落ち込んだブルーな気分。気分も最低だが発想も最低だ。
何もする事がなければ、ただこの波に揺られていればいいのだけれど。
仕事がこんなにも忙しい時に限って(忙しいから?)こんなにひどい大波小波。
去年の2月。
クリスのワークを福岡でやる事になった時に。
クリスと、どのような立場で私がワークに参加するか話しあった。
一人の参加者としてか、それともスタッフとしてか。
私は、一人の参加者として参加する、と宣言した。
それは、他の参加者と同じ目線、同じ立場でいたいという願いからだった。
でもクリスはこう釘をさした。
「それを望まない人もいるはずよ。あなたのクライエントの中には、あなたに「カウンセラーであってほしい」と願っている人もいる。だからあなたがただの参加者として、全てをオープンにすると、クライエントを失うかも知れない」
私は、それでいいと思った。
もう、役割を演じて生きるのは嫌だったし、全方位開放して、ありのままの自分でこれからは生きたいと思っていた。これほど自分自身に気づいてしまったら、自分以外では、もう生きられない。
だから、クライエントの期待と、私の生き方に差が生まれて、クライエントが私に失望して去って行く事は、甘んじて受けようと思った。
彼らを助ける人は、私以外でもいいのだから。
そして私を助けるのは、私しかいないのだから。
このワークの間中、「すべての相手に対して、すべての瞬間、自分自身の全てをオープンにすること」が私のテーマだった。ものすごく勇気が必要だったのだけど、とてもよく頑張った。クリス以外には誰も、私がこのワークで何をしているか、分かっていなかっただろう。
それからだ。
NPOの活動の中でも、会員と距離を置かず、どんどん親しくつき合おうと務めたし、泣きたい時は泣きたい顔をし、怒っている時には怒っている顔をしようと決めた。
理事会の中ではそれをどんどんオープンにした。
思っている事は、出来るだけ腹に隠さず、疑問も口にだして、確認しようとした。
会員にしても、理事にしても、それに耐えられなくなる人がでて、離れて行くならそれはやむを得ないと思った。私の生き方なのだから、私が決める権利があると思うし、決して人を害そうと思ってやっている事ではない。ただ、正直になっただけだ。
いい子のお行儀の良い、優しいカウンセラーの先生をやめて、一人の人間の、なまの生き方をそのままオープンにしただけだ。
それが嫌な人は、誰であれ離れて構わない。
見捨ててください、嫌ってくださって結構です、あなたのお好きなように。
そう思ってしまう。
人が全方位で生きる姿の一例として、この人生を提供出来ればいいと、そう思っているだけだ。
悲しいことは悲しいし、腹をたてる事もあるし、やけを起こしている事もある。
今みたいに、過去のわだちにハマって、もがいている時もある。
……自分ってどんだけ我がままなんだろうと思う。
誰だって、明るい人を見ていたいし、暗い人は居るだけで場を暗くしてしまうのだから、少なからず、私も人に迷惑をかけていると思う。
迷惑振りまいて生きている気がしてきて、本当に、辛くなる事もある。
だから嫌ってください、って開き直っている訳じゃない。
自罰感情も、自己批判能力も、ごく普通にあるのだ。
私なんかで、本当にごめんなさい。
迷惑ばっかりかけてて、ごめんなさい。
こんな私で、本当に恥ずかしいし申し訳ない。
とも思っているのだ。
私に、「先生は反省しない人」というレッテルを貼った、あなた。
あなたは、私の何を知っていて、そんな事を言うの。
3月に退職してフリーになったアナウンサーが、自殺したとニュース。
直前まで番組収録に参加し、明るく笑っていたのに、と。
誰も何故彼女が自殺したのかわからないという。
そんなものだ。
誰も人の心はのぞけない。
それなのに、人は勝手に、思い込みで「こんな人であって欲しい」とか「こんな人のはず」と相手に要求しているのだ。
人間の、残酷な一面。
私はそう思う。
自分だけは、決して、だれにもそれをしないで生涯を貫きたい。
今朝、起き抜けに調子がいい!ととても嬉しかったのに、その3時間後にはもうどん底に落ち込んだブルーな気分。気分も最低だが発想も最低だ。
何もする事がなければ、ただこの波に揺られていればいいのだけれど。
仕事がこんなにも忙しい時に限って(忙しいから?)こんなにひどい大波小波。
去年の2月。
クリスのワークを福岡でやる事になった時に。
クリスと、どのような立場で私がワークに参加するか話しあった。
一人の参加者としてか、それともスタッフとしてか。
私は、一人の参加者として参加する、と宣言した。
それは、他の参加者と同じ目線、同じ立場でいたいという願いからだった。
でもクリスはこう釘をさした。
「それを望まない人もいるはずよ。あなたのクライエントの中には、あなたに「カウンセラーであってほしい」と願っている人もいる。だからあなたがただの参加者として、全てをオープンにすると、クライエントを失うかも知れない」
私は、それでいいと思った。
もう、役割を演じて生きるのは嫌だったし、全方位開放して、ありのままの自分でこれからは生きたいと思っていた。これほど自分自身に気づいてしまったら、自分以外では、もう生きられない。
だから、クライエントの期待と、私の生き方に差が生まれて、クライエントが私に失望して去って行く事は、甘んじて受けようと思った。
彼らを助ける人は、私以外でもいいのだから。
そして私を助けるのは、私しかいないのだから。
このワークの間中、「すべての相手に対して、すべての瞬間、自分自身の全てをオープンにすること」が私のテーマだった。ものすごく勇気が必要だったのだけど、とてもよく頑張った。クリス以外には誰も、私がこのワークで何をしているか、分かっていなかっただろう。
それからだ。
NPOの活動の中でも、会員と距離を置かず、どんどん親しくつき合おうと務めたし、泣きたい時は泣きたい顔をし、怒っている時には怒っている顔をしようと決めた。
理事会の中ではそれをどんどんオープンにした。
思っている事は、出来るだけ腹に隠さず、疑問も口にだして、確認しようとした。
会員にしても、理事にしても、それに耐えられなくなる人がでて、離れて行くならそれはやむを得ないと思った。私の生き方なのだから、私が決める権利があると思うし、決して人を害そうと思ってやっている事ではない。ただ、正直になっただけだ。
いい子のお行儀の良い、優しいカウンセラーの先生をやめて、一人の人間の、なまの生き方をそのままオープンにしただけだ。
それが嫌な人は、誰であれ離れて構わない。
見捨ててください、嫌ってくださって結構です、あなたのお好きなように。
そう思ってしまう。
人が全方位で生きる姿の一例として、この人生を提供出来ればいいと、そう思っているだけだ。
悲しいことは悲しいし、腹をたてる事もあるし、やけを起こしている事もある。
今みたいに、過去のわだちにハマって、もがいている時もある。
……自分ってどんだけ我がままなんだろうと思う。
誰だって、明るい人を見ていたいし、暗い人は居るだけで場を暗くしてしまうのだから、少なからず、私も人に迷惑をかけていると思う。
迷惑振りまいて生きている気がしてきて、本当に、辛くなる事もある。
だから嫌ってください、って開き直っている訳じゃない。
自罰感情も、自己批判能力も、ごく普通にあるのだ。
私なんかで、本当にごめんなさい。
迷惑ばっかりかけてて、ごめんなさい。
こんな私で、本当に恥ずかしいし申し訳ない。
とも思っているのだ。
私に、「先生は反省しない人」というレッテルを貼った、あなた。
あなたは、私の何を知っていて、そんな事を言うの。
3月に退職してフリーになったアナウンサーが、自殺したとニュース。
直前まで番組収録に参加し、明るく笑っていたのに、と。
誰も何故彼女が自殺したのかわからないという。
そんなものだ。
誰も人の心はのぞけない。
それなのに、人は勝手に、思い込みで「こんな人であって欲しい」とか「こんな人のはず」と相手に要求しているのだ。
人間の、残酷な一面。
私はそう思う。
自分だけは、決して、だれにもそれをしないで生涯を貫きたい。
ようやく 少しづつ 仕事が手につき始めたような感じ。
調子がいい時と比べると 速度も効率も 100分の1くらいだけど。
ちょっとづつ、心の痛みも引いているような。
すると やっと 一つ気づいた。
今回の不調の引きがね。
それは1週間ほど前。
夜の講座が終わり、くたくたになって、さあ、今からやっと晩ご飯を食べようかなと思っていた、夜の9時過ぎ。
NPOの電話が鳴った。この時間の電話はもう取らなくてもいいのだが、坂本が出た。
そしてすぐに、私に代わってくれと言う。この番号には、不特定多数の人から話しを聴いて欲しいと電話がかかってくる。夜に鳴る時には大抵が、かなりひどい状態の人の場合が多い。相手は、やはりそういう感じの人だという。精神障害がある、と自分で言っているのだそうだ。「疲れてるから代われない。今はそういう対応は出来ないから、断って」と頼むと、「断れないから代わってと言ってる」と坂本。
つまり、自分がどうやって断ればいいのかわからないので、私にそれをしてくれと坂本は言っているのだ。
もう、どうしてこんなに疲れている時にまで…と泣きたい気分で電話に出る。
相手は確かに精神病の人特有の感じの話し方で、延々と自分の事を話している。
困っている。死にたい。どうして誰も助けてくれないんだ。自分だって自分で出来る事は何でもしてきた。でも誰も助けてくれない。役所に行ってもあしらわれる。ボランティア団体に言っても助けてくれない。もう今死のうと思っている。
そう言って、自分の窮状を訴えてくる。
諦めて、しばらく話を聴いてみることにした。
彼は、今所持金が300円しかなく、どこにも行けず困っているのだそうだ。
故郷の長崎に帰って、本籍地なら生活保護を申請出来ると市役所の人に言われ、帰りたいのだという。けれど高速バス代がない。助けて欲しい。絶対に返すから。
どうして、人を助ける活動をしているという処に、いくらかけても、誰も僕を助けてくれないんですか。僕は本当に、長崎に帰らなければもう生きて行けないんです。どうしてお金をかしてくれないんですか。NPOやボランティア団体の人は、どうしてそんなに冷たいんですか。
僕は生きようとしているんだ。それなのに、どうして助けてくれないんですか。
夜の10時近くである。外は寒い。
所持金300円で、公衆電話から、必死にお金をかしてくれる処を探してかけているのだという。
長崎までいくらかかるの?と聞いた。
6000円くらい。
それだけでいいから、貸してください。きっと返します。
分かりました。
それじゃあ、NPOからそれを貸す事はできないから、私が個人的にあなたに貸します。
今、助けに行くから、そこで待っていて。
そう答えた。
坂本は大反対だった。もともとまったく今月の生活費が足りなさそうという状況で、見ず知らずの人にお金を渡しにいく事に大反対だったのかも知れない。私には、このケースはそうせざるを得ない、という個人的な信念があった。
出掛けに坂本がキレて、大げんかになった。子供に八つ当たりしそうだったので、子供を連れて、逃げるように家を出た。
天神で彼は震えながらちょこんとベンチに座っていた。
私が「助けに来たよ」というと、ありがとうありがとうとすがるように何度もお礼を言い、電話ですでに聞いた話をまた一気にまくし立て始めた。
長崎行きのバスの最終は11時ごろだという。
彼に紙に包んだお金を渡した。旅費だけでは食べるにも困るだろう。一万円包んであった。
彼は、私の名前や住所を聞いてきた。
私は言わなかった。
「このお金は、あなたにあげます。いろんな処で、相手にしてもらえず、これからも嫌な思いをするでしょう。でも、生きる事を諦めないでがんばってね」
彼は、何度もお礼を言いながら、バスセンターに消えて行った。
彼の話は、嘘かも知れないとも思った。
バスに乗って、長崎に帰るという話。
それでもいいと思った。
彼は、お金がないと今が生きられないのだろう。
教会がやっているホームレスの支援団体にまで足を運んだそうだ。それでも断られたのだそうだ。
彼の話は嘘かも知れないが、彼が生きようとして必死な事だけは、本当だった。
そして「何故、誰も僕を助けてくれないんだ」という訴えだけは、本当だった。
「僕は生きようとしているのに!」という叫びも、本物だった。
だから助けようと思った。
誰も助けてくれない、と叫ぶ彼が哀れだった。
四川省の地震、ミャンマーのサイクロンで被害に遭っている人々が、頭をよぎった。
何度も。今遠くで命をつなごうと頑張っている人々。その人が目の前にいたら、助けるだろう。
そして、今、同じように、命をつなごうとして救いを求め続けた人が目の前に現れた。
四川やミャンマーの人を助けるのと、今、目の前にいる精神障害の人を助けるのは同じだ。
命を救っている。
彼が私を騙しているなら、騙されてあげようと思う。
彼が生きる為にそれをしているのは明らかだからだ。
私の手元にお金が無くなっても、私にお金を貸してくれる人はいるだろう。
でも彼にお金を貸してくれる人は他にいないのだ。
精神障害者として生まれ、彼は彼の人生で大きな修業をしているのだろう。それを全うして欲しい。だから、今の一瞬を生き続けるために必要なものをあげた。
坂本が荒れ狂っているだろう家には、帰りたくなかった。
安全な家だけが、私の家だ。
しばらく、娘と夜のドライブをした。
くたくたの体と心を休める場所は、車の中しかなかった。
あれが、私のトラウマに触れたのだろう。
あの夜の事が、私の不調の引き金になった。
調子がいい時と比べると 速度も効率も 100分の1くらいだけど。
ちょっとづつ、心の痛みも引いているような。
すると やっと 一つ気づいた。
今回の不調の引きがね。
それは1週間ほど前。
夜の講座が終わり、くたくたになって、さあ、今からやっと晩ご飯を食べようかなと思っていた、夜の9時過ぎ。
NPOの電話が鳴った。この時間の電話はもう取らなくてもいいのだが、坂本が出た。
そしてすぐに、私に代わってくれと言う。この番号には、不特定多数の人から話しを聴いて欲しいと電話がかかってくる。夜に鳴る時には大抵が、かなりひどい状態の人の場合が多い。相手は、やはりそういう感じの人だという。精神障害がある、と自分で言っているのだそうだ。「疲れてるから代われない。今はそういう対応は出来ないから、断って」と頼むと、「断れないから代わってと言ってる」と坂本。
つまり、自分がどうやって断ればいいのかわからないので、私にそれをしてくれと坂本は言っているのだ。
もう、どうしてこんなに疲れている時にまで…と泣きたい気分で電話に出る。
相手は確かに精神病の人特有の感じの話し方で、延々と自分の事を話している。
困っている。死にたい。どうして誰も助けてくれないんだ。自分だって自分で出来る事は何でもしてきた。でも誰も助けてくれない。役所に行ってもあしらわれる。ボランティア団体に言っても助けてくれない。もう今死のうと思っている。
そう言って、自分の窮状を訴えてくる。
諦めて、しばらく話を聴いてみることにした。
彼は、今所持金が300円しかなく、どこにも行けず困っているのだそうだ。
故郷の長崎に帰って、本籍地なら生活保護を申請出来ると市役所の人に言われ、帰りたいのだという。けれど高速バス代がない。助けて欲しい。絶対に返すから。
どうして、人を助ける活動をしているという処に、いくらかけても、誰も僕を助けてくれないんですか。僕は本当に、長崎に帰らなければもう生きて行けないんです。どうしてお金をかしてくれないんですか。NPOやボランティア団体の人は、どうしてそんなに冷たいんですか。
僕は生きようとしているんだ。それなのに、どうして助けてくれないんですか。
夜の10時近くである。外は寒い。
所持金300円で、公衆電話から、必死にお金をかしてくれる処を探してかけているのだという。
長崎までいくらかかるの?と聞いた。
6000円くらい。
それだけでいいから、貸してください。きっと返します。
分かりました。
それじゃあ、NPOからそれを貸す事はできないから、私が個人的にあなたに貸します。
今、助けに行くから、そこで待っていて。
そう答えた。
坂本は大反対だった。もともとまったく今月の生活費が足りなさそうという状況で、見ず知らずの人にお金を渡しにいく事に大反対だったのかも知れない。私には、このケースはそうせざるを得ない、という個人的な信念があった。
出掛けに坂本がキレて、大げんかになった。子供に八つ当たりしそうだったので、子供を連れて、逃げるように家を出た。
天神で彼は震えながらちょこんとベンチに座っていた。
私が「助けに来たよ」というと、ありがとうありがとうとすがるように何度もお礼を言い、電話ですでに聞いた話をまた一気にまくし立て始めた。
長崎行きのバスの最終は11時ごろだという。
彼に紙に包んだお金を渡した。旅費だけでは食べるにも困るだろう。一万円包んであった。
彼は、私の名前や住所を聞いてきた。
私は言わなかった。
「このお金は、あなたにあげます。いろんな処で、相手にしてもらえず、これからも嫌な思いをするでしょう。でも、生きる事を諦めないでがんばってね」
彼は、何度もお礼を言いながら、バスセンターに消えて行った。
彼の話は、嘘かも知れないとも思った。
バスに乗って、長崎に帰るという話。
それでもいいと思った。
彼は、お金がないと今が生きられないのだろう。
教会がやっているホームレスの支援団体にまで足を運んだそうだ。それでも断られたのだそうだ。
彼の話は嘘かも知れないが、彼が生きようとして必死な事だけは、本当だった。
そして「何故、誰も僕を助けてくれないんだ」という訴えだけは、本当だった。
「僕は生きようとしているのに!」という叫びも、本物だった。
だから助けようと思った。
誰も助けてくれない、と叫ぶ彼が哀れだった。
四川省の地震、ミャンマーのサイクロンで被害に遭っている人々が、頭をよぎった。
何度も。今遠くで命をつなごうと頑張っている人々。その人が目の前にいたら、助けるだろう。
そして、今、同じように、命をつなごうとして救いを求め続けた人が目の前に現れた。
四川やミャンマーの人を助けるのと、今、目の前にいる精神障害の人を助けるのは同じだ。
命を救っている。
彼が私を騙しているなら、騙されてあげようと思う。
彼が生きる為にそれをしているのは明らかだからだ。
私の手元にお金が無くなっても、私にお金を貸してくれる人はいるだろう。
でも彼にお金を貸してくれる人は他にいないのだ。
精神障害者として生まれ、彼は彼の人生で大きな修業をしているのだろう。それを全うして欲しい。だから、今の一瞬を生き続けるために必要なものをあげた。
坂本が荒れ狂っているだろう家には、帰りたくなかった。
安全な家だけが、私の家だ。
しばらく、娘と夜のドライブをした。
くたくたの体と心を休める場所は、車の中しかなかった。
あれが、私のトラウマに触れたのだろう。
あの夜の事が、私の不調の引き金になった。
めずらしいくらい 気分が落ちたままで調子が悪い。
いろんな事が嫌になって 行方不明になってしまいたい気分になる
こんな時には子供のことまで見捨てている自分をイメージできるから恐ろしい。
もちろん、それを本当にする事と、イメージする事には大きな隔たりがあるのだから、実際にやるわけではないのだけれど。
坂本がカラオケに誘ってくれた。
優しくされているのに歌う気になれない。
好きな曲を自分でしぶしぶ入力するのに、真面目に歌わない。
おもいっきり歌ってみれば、気分が変わるかもしれないのに。
その可能性があると分かっているのに、やろうとしない自分。
あらゆる方法で、幸せになる事を拒否する自分。
強引なまでに、癒されようとしない自分。
この感じ、懐かしいほど久しぶりだった。
思えば、20代まではずっとそうだったな。
私の中の、癒しを拒否する力は、頑固にへそをまげて「不幸」をしっかり握りしめている。
激しく、いじけちゃってるのである。すねちゃってるのである。
すると、娘が歌い出した。
その曲は「クリスタルチルドレン」。
先日も紹介した、NHKみんなの歌の最新曲だ。
何だか泣けた。
すごく泣けた。
やっと泣けた。
素直に泣けた。
あー、やっと涙のフタがちょっとだけとれた… そんな感じ。
ありがとう。
娘にそう思う。
いつも、彼女が生きているだけで私は慰められる。
泣けたら、その分、心が軽くなる。
いつからか、なかなか泣けない状態に心が固まっていたみたいだ。
まだ本調子じゃないけど。まだいじけてて、すねちゃってるけど。
ずっとどんどん落ち込んで行っている訳じゃないですよ、とこのブログを読んでいる人に報告したく。
呼吸、呼吸。
すーーーーーー。
はーーーーーー。
生きてるね。
すーーーー。
はーーーー。
いろんな事が嫌になって 行方不明になってしまいたい気分になる
こんな時には子供のことまで見捨てている自分をイメージできるから恐ろしい。
もちろん、それを本当にする事と、イメージする事には大きな隔たりがあるのだから、実際にやるわけではないのだけれど。
坂本がカラオケに誘ってくれた。
優しくされているのに歌う気になれない。
好きな曲を自分でしぶしぶ入力するのに、真面目に歌わない。
おもいっきり歌ってみれば、気分が変わるかもしれないのに。
その可能性があると分かっているのに、やろうとしない自分。
あらゆる方法で、幸せになる事を拒否する自分。
強引なまでに、癒されようとしない自分。
この感じ、懐かしいほど久しぶりだった。
思えば、20代まではずっとそうだったな。
私の中の、癒しを拒否する力は、頑固にへそをまげて「不幸」をしっかり握りしめている。
激しく、いじけちゃってるのである。すねちゃってるのである。
すると、娘が歌い出した。
その曲は「クリスタルチルドレン」。
先日も紹介した、NHKみんなの歌の最新曲だ。
何だか泣けた。
すごく泣けた。
やっと泣けた。
素直に泣けた。
あー、やっと涙のフタがちょっとだけとれた… そんな感じ。
ありがとう。
娘にそう思う。
いつも、彼女が生きているだけで私は慰められる。
泣けたら、その分、心が軽くなる。
いつからか、なかなか泣けない状態に心が固まっていたみたいだ。
まだ本調子じゃないけど。まだいじけてて、すねちゃってるけど。
ずっとどんどん落ち込んで行っている訳じゃないですよ、とこのブログを読んでいる人に報告したく。
呼吸、呼吸。
すーーーーーー。
はーーーーーー。
生きてるね。
すーーーー。
はーーーー。
手につかない。
やるべき事に手がつかない。
いろんな事が腹立たしくなったり虚しくなったり。
クライエントさんのせいでこうなることはまったくない。
私にとっていつも精神的負担になっているのはNPOの活動だ。
やりたい事がやりたいようにやれない。
やりたくない事を山のようにやらなければならない。
これが私の消耗の原因だ。
分かっているのに 状況を変える事は難しい。
自分を慰める手段がない。
時々 そんな風に絶望してしまう。
心が疲れ切って 休もうとし ベッドに入る。
けれど休めない。少しも眠れない。
そんな日がある。
もう解放してと叫ぶ声がする。
本当は 私は人と一緒にやれない人間なのだろうか。
たった一人になった方がいいのだろうか。
誰とも協調出来ない人間なのだろうか。
私が悪いからうまく行かないのだろうか。
そんな気持ちになる日。
泣きながら仕事する日。
私に酷い事を言った人を思い出し
今も残る傷が ずきずきする日。
そんな日も あるよ。
誰からも 勝手に理想化されたくない。
私の中に、私個人を越えた大きなものがある事は事実。
その要素が年々大きくなっていて、私個人を支配する瞬間が多い事も事実。
けれど依然として、私個人というちっぽけで弱いものがある事も事実。
その全部が私。
ありのままの私を認めない人を、私は一時的に憎んでしまう。
いい子ぶる自分なんてくそくらえ。
礼儀作法なんてくそくらえ。
本音を言わないヤツなんて信用しない。
自分を偽っている人間なんて、大嫌いだ。
そして特に、無自覚に私を傷つける、人間の無知が(その人がではなく)憎い。
そんな風に 毒づきたい日も あるよ。
もういいよ って 泣き顔を背けて、どこかに全速力で走り去って行く自分。
どこか誰にもみられない真っ暗な場所で 丸くなっている自分。
その時だけが 安心出来る そんな風に 思う日も あるよ。
そんな日も ある。
誰もわかってくれなくていい。
誰から馬鹿にされても 愛想尽かされてもいい。
私だけが知っている 個人としての私の傷たち。
やるべき事に手がつかない。
いろんな事が腹立たしくなったり虚しくなったり。
クライエントさんのせいでこうなることはまったくない。
私にとっていつも精神的負担になっているのはNPOの活動だ。
やりたい事がやりたいようにやれない。
やりたくない事を山のようにやらなければならない。
これが私の消耗の原因だ。
分かっているのに 状況を変える事は難しい。
自分を慰める手段がない。
時々 そんな風に絶望してしまう。
心が疲れ切って 休もうとし ベッドに入る。
けれど休めない。少しも眠れない。
そんな日がある。
もう解放してと叫ぶ声がする。
本当は 私は人と一緒にやれない人間なのだろうか。
たった一人になった方がいいのだろうか。
誰とも協調出来ない人間なのだろうか。
私が悪いからうまく行かないのだろうか。
そんな気持ちになる日。
泣きながら仕事する日。
私に酷い事を言った人を思い出し
今も残る傷が ずきずきする日。
そんな日も あるよ。
誰からも 勝手に理想化されたくない。
私の中に、私個人を越えた大きなものがある事は事実。
その要素が年々大きくなっていて、私個人を支配する瞬間が多い事も事実。
けれど依然として、私個人というちっぽけで弱いものがある事も事実。
その全部が私。
ありのままの私を認めない人を、私は一時的に憎んでしまう。
いい子ぶる自分なんてくそくらえ。
礼儀作法なんてくそくらえ。
本音を言わないヤツなんて信用しない。
自分を偽っている人間なんて、大嫌いだ。
そして特に、無自覚に私を傷つける、人間の無知が(その人がではなく)憎い。
そんな風に 毒づきたい日も あるよ。
もういいよ って 泣き顔を背けて、どこかに全速力で走り去って行く自分。
どこか誰にもみられない真っ暗な場所で 丸くなっている自分。
その時だけが 安心出来る そんな風に 思う日も あるよ。
そんな日も ある。
誰もわかってくれなくていい。
誰から馬鹿にされても 愛想尽かされてもいい。
私だけが知っている 個人としての私の傷たち。
GWが終わった頃の話しです。
連日の遊び疲れで、家事をする気になれず、夕方になっても晩ご飯を作る気力がありません。
あーあ、もう面倒臭いなあ〜。
台所の洗い物からやらないといけないじゃん。
だいたいなんで私がやらないといけない事になってるのよ〜。
料理してるんだからさー、洗い物くらい食べた人がしてよ〜。
料理して、食器洗いして、掃除して、洗濯して…って、全部私かよ!
などとココロの中で秘かに悪態をついていました。
そしてふと、
面倒だから、今日はもう、ご飯作らなくていい?
とつぶやきが生まれました。
次に
でもお腹減ったよ〜う。
すぐに食べたいよ〜。今すぐ〜。
実は朝からろくに食べていなかったのです。
その次の瞬間。
頭の中に爆発的イメージで浮かんだのは、ケンタッキーフライドチキンの赤い模様入りの箱でした。
どかん!とケンチキの箱が。
なんてことだ、匂いまでしてくるよ。。。。
車に乗り、猛ダッシュでケンチキを買いに行きました。
持って帰って、家族全員、手づかみでもぐもぐばくばく食べました。
ぐはー。もうケンチキはいいです。というくらい満足しました。
ああ。幸せ。
2000円で買える幸せ。
連日の遊び疲れで、家事をする気になれず、夕方になっても晩ご飯を作る気力がありません。
あーあ、もう面倒臭いなあ〜。
台所の洗い物からやらないといけないじゃん。
だいたいなんで私がやらないといけない事になってるのよ〜。
料理してるんだからさー、洗い物くらい食べた人がしてよ〜。
料理して、食器洗いして、掃除して、洗濯して…って、全部私かよ!
などとココロの中で秘かに悪態をついていました。
そしてふと、
面倒だから、今日はもう、ご飯作らなくていい?
とつぶやきが生まれました。
次に
でもお腹減ったよ〜う。
すぐに食べたいよ〜。今すぐ〜。
実は朝からろくに食べていなかったのです。
その次の瞬間。
頭の中に爆発的イメージで浮かんだのは、ケンタッキーフライドチキンの赤い模様入りの箱でした。
どかん!とケンチキの箱が。
なんてことだ、匂いまでしてくるよ。。。。
車に乗り、猛ダッシュでケンチキを買いに行きました。
持って帰って、家族全員、手づかみでもぐもぐばくばく食べました。
ぐはー。もうケンチキはいいです。というくらい満足しました。
ああ。幸せ。
2000円で買える幸せ。