2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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年を取ったら、自分がどう生きるのか、「もう年だし、これしかないなあ」などの諦めも含め、きっと、年々はっきりしていくのだと思っていた。
でも実際には、40を過ぎても、自分の生きる道がこれだなんて、ちっとも言えない自分がいる。
確かに方向性ははっきりしてきたように思う。
大きく言えば右の方、とかそういう程度。
絶対に左には行かないだろうな、というのは分かるけど、右のほうにも色々あって、その中のどれが自分だけの道なのか分からない。
迷い迷い、悩み悩み、日々を生きていったら、最期に振り返って、「ああこれが私の道だったなあ〜」なんて思うんだろうか。
どうもそうなるような気がする。
幼い頃から、自分が死ぬ事をリアルに感じて生きてきた私は、死ぬ瞬間の自分が「まだ死にたくないよ〜」と言うのだけは嫌だと思っていた。
死ぬ時には、「ああ、これが自分の人生だったなあ。みんな、ありがとう。楽しかったよ」と思いながら死ぬと決めている。だから、在る意味、私の生き方はいつも必死だった。
明日交通事故に遭うとしても、そう言えるように、という気持ちを、子供の頃から持っていた。
生き急いでいたとも言えるだろう。
でも、小学生の頃から心因性で体調を崩す事が多く、保健室で寝て過ごしたたくさんの時間、私はいつも、そう思いながら天井を見つめていた。
今、こうして40代になり、やがてすぐに50代になるだろう。
いつ死んでもそう、不自然ではない年齢にどんどん近づいている。
生きる事と死ぬ事は、コインの両面のようにぴったりセットになっている。
だから生きる道を探す時には、死に方を感じながら選んでいる。
この道を進んでいって、自分は「死にたくない」と云わないかどうか。
そういう意味では、私の生きる道の選択は、いつも正しかったように思う。
これからも、迷い迷い、ふらふらしながら、生きているんだろうな。
でも、大きく右のほうで、かつ、死にたくないとは思わない方向、という事だけは昔から決まっている。
でも実際には、40を過ぎても、自分の生きる道がこれだなんて、ちっとも言えない自分がいる。
確かに方向性ははっきりしてきたように思う。
大きく言えば右の方、とかそういう程度。
絶対に左には行かないだろうな、というのは分かるけど、右のほうにも色々あって、その中のどれが自分だけの道なのか分からない。
迷い迷い、悩み悩み、日々を生きていったら、最期に振り返って、「ああこれが私の道だったなあ〜」なんて思うんだろうか。
どうもそうなるような気がする。
幼い頃から、自分が死ぬ事をリアルに感じて生きてきた私は、死ぬ瞬間の自分が「まだ死にたくないよ〜」と言うのだけは嫌だと思っていた。
死ぬ時には、「ああ、これが自分の人生だったなあ。みんな、ありがとう。楽しかったよ」と思いながら死ぬと決めている。だから、在る意味、私の生き方はいつも必死だった。
明日交通事故に遭うとしても、そう言えるように、という気持ちを、子供の頃から持っていた。
生き急いでいたとも言えるだろう。
でも、小学生の頃から心因性で体調を崩す事が多く、保健室で寝て過ごしたたくさんの時間、私はいつも、そう思いながら天井を見つめていた。
今、こうして40代になり、やがてすぐに50代になるだろう。
いつ死んでもそう、不自然ではない年齢にどんどん近づいている。
生きる事と死ぬ事は、コインの両面のようにぴったりセットになっている。
だから生きる道を探す時には、死に方を感じながら選んでいる。
この道を進んでいって、自分は「死にたくない」と云わないかどうか。
そういう意味では、私の生きる道の選択は、いつも正しかったように思う。
これからも、迷い迷い、ふらふらしながら、生きているんだろうな。
でも、大きく右のほうで、かつ、死にたくないとは思わない方向、という事だけは昔から決まっている。
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