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ちょっと前の話ですが

コナが不妊手術をした後、縫った傷から化膿して大変なことになったのですが
その手当ての時に再度縫い直したお腹の傷をなめないように包帯でぐるぐる
巻きにすることになりました。

いつもの獣医さんはもう割とお年寄りと言ってもいい年齢なのですが、その
処置の手つきをみていると毎度、ぶきっちょだなあ…と思います。
丁寧なのですが、器用な感じではなくて、ぶきっちょなのです。
だからその先生がなにか処置しているときには、話しかけないように、気が
散ったりしないように気を使います。

でもその包帯ぐるぐるまきまきの時はついうっかりと「へたくそ」と口から
声が漏れてしまいました(汗
たぶん、とっても小さな声だったとは、思うのですが。


だって、包帯がねじれて、よれて、ぜんぜんお腹を覆ってないんですもん。
その包帯は動物用で、動物が動いてもずれないようにべたべたしているもの
なのですが、べたべた包帯がよれて最初からずれているんじゃ、もうどうし
ようもない。

家で、自分で別の包帯に巻きなおしました。

次の日消毒のためにコナを連れて行くと、先生は新兵器を用意していました。
べたべた包帯の新バージョンをわざわざ取り寄せてくれたみたいで、前日よ
りはましな出来になりました。

(きっとへたくそって言っちゃったのが聞こえたんだろうなあ…気にしたん
だろうなあ…)と思いましたが、「先生、気にしないでください」なんて
蒸し返すのもなんなので、黙っていました。


最近、どうも思っていることがすぐに声に漏れてしまう率が高くなってて
年取ったのかしら…なんて思っています。

図太いおばちゃん化してるんでしょうか??

拍手[1回]

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中学生になった娘が生まれてはじめての期末試験に挑んでいます。

特に苦手なのが歴史。
なぜ過去の出来事を覚えておかなければならないのか、意味がわからないそ
うです。

歴史は想像力を使えなければ本当に退屈な勉強だと思いますが、
もしその時代のその人と今会うことが出来たら…とか
自分がその時代に生きていたら…とか
その人の家族だったら…恋人だったら…と空想していくと、とても楽しいと私
は思います。

ほかの教科ではそこそこ点数が取れているのですが、歴史だけはどうしても
覚えられなくて苦手意識爆発状態になっているので、仕方なく、ファミレスで
特別講義をしました。

パフェを食べ、休憩を挟み、おつまみとドリンクバーで粘りながら、
4時間かかって、縄文時代から飛鳥時代まで、中国の歴史は漢の時代から唐の
時代までをレクチャーしました。
今はいろいろといさかいのあるお隣りの中国ですが、古くから日本への影響は
計り知れないものがあったのだと改めて思います。

特に唐の時代に築き上げた、法律制度および税制度はすごい。
間違いなく、その同じ時代で最先端の国が、中国でしたね。

現在でも、国民のすべてを戸籍という記録で管理している国は稀ですが、日本
は唐の時代の中国にそれを学び、今でも継承している社会制度なのです。
日本という国は文化的にも社会制度的にも、たいへん特異的な特徴を持ってい
る変わった国なのですが、そういう個性的な国となった理由の中に、中国が日
本に与え続けた影響は決して小さくありません。

そういう話を交えて、学校の授業以上の内容になりましたが、娘は少しだけ、
歴史に興味を覚えた様子でした。
私の方はファミレスのざわついた中で聞き取れるよう声に張りを持ってしゃべ
ったので、のどがかれました。
そして、娘の学校(中高一貫)は、中学一年から高校生相当の歴史を叩き込ん
でくるのだとわかって、ちょっとびっくりしました。
今日、試験だったようですが、「70点はとれたような気がするよ」と言って
ました。目標のクラス5位、学年30位以上に到達するのでしょうか?

私も娘も、楽しみに結果を待っています。
娘の試験も、結構イベントとして楽しめるものですね。

拍手[1回]

チャムとももが居なくなって 犬の居ない暮らしには耐えられず
今はルルとコナが居るわけですが。

チャム、ももと同じラブラドールなのに、ルルとコナは性格も振舞いも、
まったくチャムやももとは違います。

まだ1歳で若いから…というのもあって、もう実にパワフルで好奇心旺盛で
毎日毎日どたばた家の中で走り回っています。
チャムは16歳、ももは9歳という状態でお別れしたので、そういう
落ち着いた犬のイメージがまだ消えていないのですよ。

朝、ベッドで私が「おはよう」と一声ささやくと、チャムやももならしっぽを
ぱたぱたさせてそっと手をなめてくれる感じでした。
なんて優しくて美しい寝覚めでしょうか。

今うかつに「おはよう」とささやくと体の上にどーーんと飛び乗られて、
顔といわず首といわずものすごいびちょびちょの舌で激しくなめ上げられて
とんでもない寝覚めになるわけです。
それも二頭からやられた日には、30キロ×2ですから重すぎて逃げること
も避けることもできないわけです。
朝っぱらからほとんどお仕置きみたいな感じで一日が始まるわけです。

はあはあ言いながら、やっと犬の下から這い出して、起き上がり
「犬ってこうだっけ…」などつぶやいている毎日です。

もちろんこういう若犬の可愛さも楽しんでいるのですけれども、
やっぱり大型犬を飼うのは、これで最後かなあと思います。
私の方が、若犬の大型犬のパワーに対してもう年を取り過ぎました。

この2頭が落ち着いてくれる頃、娘は大人になり、ひとり立ちするでしょう。
私と夫も、年老いて老後の準備に余念がないでしょう。

人生は進んでいるんですね。

拍手[2回]

娘に「連れてって!!」と熱烈にせがまれて、アニメのイベントに行ってきました。

ヤフオクドームで11時開始のイベントでしたが、前売りチケットが売り切れて
いたので当日券を求めるため、2時間前に会場に行くと、すでに200人ほどの
長蛇の列。

娘の友人たちも一緒なので、保護者代表で引率です。
チケットを買うと、会場内に誘導されますが、まだまだ会場時間までは時間があ
るはず。すると、ドーム内の通路に「横に6列でおねがいしまーーーす!!」と
言われて、みんな座り込んでいます。

ほとんど修行の世界。
そのまま一時間、通路にぎっしり、身動きできないくらいの密度で座って、開場
を待ちます。



わかりにくいですがすみません。
6人づつ通路に座り、100Mほどで折り返し写真では12人一列の状態で
通路がびっしりです。トイレに行くことも不可能な状態で1時間。びっくり
しました。この状態に誘導されてもパニックも起こさず大人しく待てるとは
日本人というのは本当にすごいと思いました。

会場に入ると子どもたちはもう夢中でお目当てのブースに突撃です。

アニメのイベント(同人誌の即売会)は、18禁指定のエロ表現がどぎついもの
が7割以上で、13歳の子どもにはまだ早いとも思うのですが、最近はルールも
整備されてきて、年齢確認もされているようです。
もちろん私の引率した子たちは、年齢制限のあるものは買えません。
ただ、どうしようもなく猥褻低俗な表紙のものは目にします。それを、タブーと
するのではなく、「そういうものもあるが、私には不要だ」と自然に選別できる
ようになって欲しいと思っています。
世の中の汚いもの、むごいもの、あらゆるものから守るのではなく、そういうも
のがあっても、彼女たちが自分で自分の心と体を守れるようになって欲しいので
す。

結局、二次制作物は、「そのキャラクターや作品が好きで、愛でる手段としての
二次制作」というものと、「目的はエロ、ポルノで、手段が人気のあるキャラク
ター」というものに分けられると思っています。
子どもにその違いを見分けろとは難しいのでは、と考える大人も多いかもしれま
せんが、逆に、触れる機会を与えないとそういう感性は育たないと私は思います。

それに娘はクリエーターもしくはアーティスト志望です。
二次制作は、プロの仕事ではありません。ここにいる人は、99%アマチュア。
彼女の舞台はここではないことを、教えなければなりません。
今は楽しいだけの、創作活動が、プロとして、制作者としてオリジナルを生み出
す一次制作者になるということがどれほどの高みにあるのかを、彼女は知り、そ
の上でチャレンジせねばなりません。

野球の世界でも、プロは選りすぐられた一握りの人だけしかなれません。
創作の世界も、同じです。
人が真似してくれる、こうして二次制作してくれるような、元になるオリジナル
を作る側のクリエーターになるには、たくさんの山を登り続けなければなりません。

娘は会場で、「ママ、私幸せ!生まれてきて良かった!今本当に幸せ!生んでく
れてありがとう!」と感激していましたが(大げさだなあ)、そういう感動が彼
女のこれからの困難を越える勇気になればいいなと願っています。
友達と、自分の好きなものを共有できて、一緒に盛り上がれて、そういう幸せを
一杯感じたのでしょう。よかったねえ。

そして帰りに娘は、会場にいた、同人誌の作り手側の人々が、あまり絵がうまく
ないことに気づいたようでした。こんな大きな会場で自分の作った同人誌を売っ
ていても、あの程度の画力なんだ…ということは新しい発見だったに違いありま
せん。
同人はお金さえ用意すればどんな下手な作品でも本に出来ますが、プロは担当編
集者のOK、編集会議でのOK、編集長のOKなど数々のチェックを経たものだけが
紙面に載るのですから、そこには当然のレベルの差があります。

娘は漫画の世界ではなく、イラストや絵画の世界に行くようですから、そうであ
れば言葉抜きに見た人を魅了する何か(絵のテクニックであり、独創性であり)
を自分で見つけなければなりません。人まねではないなにか。この人の代わりは
いないと言われる、何か。それが見つかれば、彼女は一流のクリエーターになれ
ます。
この会場には、絵だけで語れる人は居なかったようだ…という事実に気づいて、
娘はこれからどうするでしょう。

「ママ、私、期末試験頑張るね!!クラス5位以内とるからね!」と誓っていま
した。

私も30年ぶりにこういう会場に来て、市場の変化を感じました。
それと、何年経ってもかわらないファン心理ものぞけて、面白かったです。

頑張れ! 君の道を進め!

拍手[2回]

もうすぐ誕生日です。

自分の年齢を否認しているつもりはないのですが、40を越えた
頃から、自分が今何歳なのかすぐ忘れてしまって、書類やアンケ
ートに答えるときなど、年齢がわからなくて困ることがよく起こ
るようになりました(笑)

娘に「ママ何歳だっけ」と聞き、教えてもらいます。
夫が記憶障害なので、そういうことを何度聞いても、娘は全然怒
ったりいらついたり呆れたりせずに、同じように落ち着いて教え
てくれます。

自分の年齢なんて、まあ、50才にまた近づいたんだなというく
らいしか、思うことはないのですけれども、でも自分が若い頃に
思っていたよりも、この年齢でも気持ちは変わらないのだなあと
思います。
簡単に言うと、人の心は、あまり年を重ねないものだ、と思うの
です。

経験を重ねても、感じ方や考え方の基本は同じ。
それを性格と呼んでいます。

年齢を重ねた人は、心も落ち着き、動じなくなり、より穏やかで
優しく寛大になれるというのは思い込みで、そのように年を重ね
る努力をした人だけがそうなるのだと思います。

事実、私の母などはいまだに大変幼稚な考え方をします。
むしろ年金をもらうようになってから幼児性は増したような気が
します。幼い頃虐待され、まともな幼児時代をすごせなかった母
が、ようやくその時代を補おうとしているのかも知れません。

私は、年をとることを楽しんでいます。
何を捨てて、何を蓄えようか。
ああ、もう今の私にこれは必要ではないね。
まあ、そんな素敵なことが私の中にもあったのね。
そんな風に、繰り返しながら、死ぬときには一体どんな気持ちに
なるのでしょうね。

楽しみです。

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私の発想はいつでも「やってみないとわからない」という体当たり派、
というか「なんとかなるさ」という楽観派なのですが(笑)
夫は間逆の「石橋叩いて渡る」の超慎重派です。

生き方が全然違うので、お互いの生き方をお互いが押さえ込もうとして
しまい、重要な選択の時にはいつでも長期戦の話し合いになります。

結論はこれまでだいたい半々の勝率で譲ったり譲られたりして、お互いの
意見に合わせてきたように思うのですが、人間というのは勝手なもので
自分が譲った場面ばかり強く思い出して、譲ってもらったことは忘れがち
です。

私はすぐ被害者意識を持ち上げてしまいがちな悪い癖があるので、譲りた
くない問題を話し合うとついつい、「いつも私が譲って我慢ばかりしてい
るのに」的な言い方になってしまったりします。
でも冷静に考えれば、夫に我慢してもらって、自分の言い分をちゃんと通
してもらったこともあるのにね。

反省するのはいつも後から。
ごめんねダーリン。いつも許してくれてありがとう。

で、ここ数年ずっと議題に乗っけているのに結論がなかなかでないのが、
私の田舎暮らし願望です。
田舎で、小さな畑ができるような古い平屋に暮らすことが長年の憧れで、
不動産物件情報を数年間ずーーっとチェックし続けています。

「この物件どうかなー、いいと思うなあ」と相談するたびに、夫は
「行くところがどこかは問題じゃない。まずはそこに仕事があるのかど
うかが一番最初にクリアする問題」と言います。
でも仕事なんて、あるかどうかそこに行かなければ分からない、という
のが私の考え方。行けば何かあるんじゃない?何かして生きていけるん
じゃない?なーんて、超楽観主義なので、石橋男に「話にならないね」
の一言で一刀両断されています。

相手を説得するためにこういう仕事したらどうかな?こういう仕事あり
そうじゃない?など話してみても、全部石橋男の「こうなったらどうす
る」「こうならなかったらどうする」というネガティヴキャンペーンに
撃破され壊滅です。

これはもう「石橋を叩いて渡る」ではなく「石橋を叩いて叩いて叩き壊
す」なんじゃないかなーと思います。

慎重に勝算のあることを確認して進むこと、よく調べることも大事な知
恵なんですけれど、考えてないでやってみろということも大事だし、
未来に確かなものはないし誰も幸せを保証してくれないのだから、自分
の「いける」「幸せに近づける」という感覚を信じて一歩踏み出す勇気
も必要だと思うのです。

勇気と無計画は違う、と言わんばかりで夫に反対されることもあります
が、私なりに、上手に言葉にはできないけど、出来る、いける、と感じ
ているから実行したいのです。私が「言葉に出来ないんだけど、自信が
ある」というと、夫は「じゃああの時は?あれは失敗だったんじゃない
の?それからあの時は?あれも失敗だよね?」などと過去の失敗を小さ
なものから大きなものまでどんどん並べ始めます。

それをやられると、本当にへこんでしまって、自分の人生にはちゃんと
できたことも成功したことも何もないような気分になります。やる気に
なった処で、失敗ばかりしてるんだからもう生きてる価値もないんだ、
とさえ思って轢かれた動物みたいにペッチャンコになります。

夫も私の落ち込み振りを見てから、「しまった…またやってしもうた」
と思うようですが、遅い! 落ち込みは数日続きます。

幸せになりたいからこうしたい、と言っていることが、夫のネガティブ
キャンペーンでつぶれると私は本当に生きる気力をなくしてしまいます。
でもそうしていじけていても誰も自分を幸せにはしてくれないので、自
力で立ち上がり、傷が癒えるのを待って、また懲りずに「こうしたい」
と言い続けます。
夫はこういう形で私を酷く傷つける存在でもありますが、その事で、あ
きらめない心や強く生きる心を育まれているのかもしれません。
忍耐すること、あきらめないこと、自分で自分を励まして、何度でも立
ち上がること、それを教える存在としても、夫は私の人生に配置されて
いるのかもしれません。

いつか、田舎に暮らしたいな。
自分で食べる野菜やお米を作って、小さな平屋に犬や猫も一緒に暮らし
たいな。自分の力で生きている実感が、より色濃く、そして自然な形で
つかめるような、そんな気がします。
暮らしの中にある素朴な祈りと、暮らすこと生活することそのものが自
分と向き合う修行のような、そんな環境に憧れ続けています。

お米が120キロ収穫できれば、多分我が家の家族構成なら一年食べら
れそうなんです。何となく手が届かないことじゃないぞって気がします。

拍手[2回]

悟りの境地というものは すべての仏教徒が目指すゴールなのですが
悟るといったいどういう心境になり、どういう人に見えるようになるのか
よく思い巡らします。
というのも、悟りと自己満足というのはとても近いところにあり、しかし
紙一重でまったく違うものだと思うからです。

おそらく悟ることで明らかに変化することの一つには、「何ものにも執着
しなくなる」ということがあります。

何ものにも執着しない、ということは、どんなに大切なものも、どんなに
深く愛するものにも、囚われず、手放せるということです。
どんなに愛着を持つものでも手放せるということは、それ以上に重要なこ
とを悟っているからできることなのですから、すごいことではあるのです
が、そういう人が悟っていない他者から理解されるかというと大変疑問に
思います。

自分の子どもにも、一生の思い出にも、執着しないとしたら、その人はど
んな人に映るでしょうか?

多分、とても薄情な人、とてもそっけない人、捉えどころがなく近づきに
くい人に見えるのではないでしょうか。

人から評価されることにも関心がなくなり、人目を気にしなくなり、本当
の意味で自由であり、だからその人の社会性はある意味失われます。
そういう人のことを、社会は嫌い、または恐れます。
社会とは、お互いを暗黙のルールで縛りあい、その考えや行動に枠をはめ
あうことに了承している関係で成り立っているからです。行動規範やルー
ルが評価につながり、社会(他者)からの評価を保とうとすることが、社
会との関わりを維持しようとしている証拠になります。

しかし、人からの評価にまったく関心のない人は、人にどう思われるかは
関係なく、その人自身がやりたいことか、その人自身がよいと思うことを
周りにお伺いを立てず実行します。それがたまたま、社会の喜ぶことだっ
た場合はよいのですが、社会が理解できないことだったり、禁止している
ことだった場合は、その人は社会によって排除されます。

社会とは、人目=ルールとコモンセンスによって編み上げられるものです
から、その根本である人目に縛られない人は、社会にとって異物でありシ
ステム破壊を招く不良分子なのです。

だからこそ、仏教徒は、悟りに近づくために「出家」します。
出家とは、社会のシステムを離れ、社会との関わり方に大きく距離をとる
ことを宣言した、ということです。出家者であると示すことで、社会は
その人を攻撃しなくなります。「あれは我々の一部ではない」と安心して
いられるということです。

釈迦は、愛する妻と子どもと、一国の王子=いずれは王という社会的地位
のすべてを捨てて、出家しました。
それらを捨てるということが、人間としての心にどれだけ悲しく辛いこと
か、想像は容易だと思います。逆に、泣いて引き止める妻や子ども、両親
を振り切って捨てていくその姿は、非情とも思えます。

仏教の経典の中には、常識で考えると馬鹿なのかと思うような仏教者の行
為がたくさん語られています。社会に属するごく普通の感覚でそれらを見
ると、呆れてしまうほどの極端な社会逸脱行為です。
もちろんそのような非常識な行為が、どういう動機から生まれたのかを理
解することこそが、仏教を理解すること、そして悟りとは何かを理解する
教材になっています。

その中で私が特に感じるのは、悟りを得るにつれ、周囲の人を傷つけてし
まうという現実があるなということです。
仏教本のなかに、ジャータカ物語という釈迦の前世話があります。その中
で特に有名なのは、飢えた母子の虎に自分の体を与えた、というお話です。
慈悲を説くためのお話ですが、私はこの話をリアルに想像すると、なんと
もいえない気持ちになります。

私はこのお話を読むとリアルにこう想像します。
サッタ太子=釈迦の前世は人格者で徳が高いために周囲の人からたいへん
慕われ愛されています。たまたま通りかかった崖下に飢えでがりがりにや
せ細った母子の虎が動けなくなっており、サッタはこの虎のすべてを悟り
ます。そこで慈悲によって自分の体を虎に与えようと決心します。
もしそこにお付の人がいたら、当然のことながら「やめてください、死な
ないでください」と必死に止めたでしょう。「あなたに死なれては、私た
ちは誰に教えを請えばよいのですか。どうかその虎のために死ぬなんて馬
鹿なことはやめてください」「虎と、あなたと関わりの深い私たちと、ど
ちらが大事なのですか」「あなたが死んだら私たちがどれほど悲しむか考
えてください」「生きて私たちを導いてください。あなたには生きてする
ことがまだまだあるはずです」
きっとそう必死に止めるでしょう。
でもそれでもサッタは自分の決心通り、わが身を竹に突き刺して、虎に食
べさせるのです。

この時、慈悲とは何かということが浮かびあがります。
本当に慈悲(哀れむ心)があるのなら、なぜその慈悲は虎にだけ向けられ
たのかと。なぜサッタを慕う周囲の人々に向けられなかったのかと。

想像してみてください。
あなたがまだ子どもで、親の庇護がなければ生きられない時代に、無関係
な誰かに臓器提供するために、親が自ら死んでしまったら。

なんてことするんだと思いませんか。
私より他人を助けるために死ぬってどういうことだ、と。

それが慈悲の心からだと遺書に書いてあっても、多分「この人、どっかお
かしくなったんだね」と片付けられるでしょう。
子どもは親の行為を理解できず「親は気が狂っていたのだ」とでも思うし
か、自分の心を救えないでしょう。

実は慈悲とは「楽を与え苦を抜く」という意味の仏教用語です。
私たちが一般生活の中で使っている用法とは少し違うのです。
悟りにつながる慈悲とは、すべての命を苦から解放し、楽のみのある世界
に導くという意味です。つまり、「悟りなさい」という教えです。
サッタの行いは、虎の苦を本当に理解したばかりでなく、その虎を自らの
体と命を与えて救うという行為を通じて、自分の弟子や周囲の人々に慈悲
とは何か、悟りとはなにかを考えさせ、悟りへと導こうとした行為なので
す。

私はリアルに想像します。
サッタのお付きや弟子、家族は、このサッタの死に方から、悟りへと進ん
だだろうかと。「あれはどこかおかしくなったのだね。」と言われなかっ
たかと。

お父さんが他人に臓器提供しようと死んだとき、お父さんが本当に偉大な
慈悲の心でそれを行ったとして、子どもはいつその本当の気持ちを理解で
きるだろうかと。

どんな偉大な行為をしても、周囲の人にその意味が本当に理解できなかっ
たら、「あれはおかしくなった」と言われ、そして周囲の人の心を傷つけ、
悟りから遠ざけることになるのではないかと。

それでも、悟っている人はそういう行為を、自らの決意だけで行います。
狂人だと言われながら。そして、悟っているからこそ、いつか自分の行為
の意味を、周囲の人が理解し悟りへと導けることも、知っているのでしょう。

いっとき周囲の人の心が傷つき、悲しみに満たされたとしても、その後に
その人が悟りへと近づける材料になることを、確信しているからこそその
行為を揺ぎ無く行うのでしょう。

釈迦が家族と王位を捨て宮殿を去ったとき、家族がどれほど嘆くかわかっ
ていても、釈迦は自らの悟りへの道が、いずれ家族を導くことになると信
じたのに違いありません。(その時は釈迦はまだ悟っていないので、「知
っていた」のではなく「そうなることを信じた」のだろうと思います)

悟りの境地にあると、すべてを知ることができるんだそうです。
相手の遠い未来も。訪れる結果を知ることができるなら、一時の悲しみより
最終結果のよいことを選ぶことができるのでしょうか。

なんにしろ、悟っている人のことは訳がわからないはずですね。
見ているものが違うのですから。
私がこういうことを考えてしまうのは、自分が悟りに近づけば近づくほど、
他者との距離ができて、そして家族を苦しめることになるのではないかと
悩んでしまうからです。

しかし悟っていれば、家族を捨てることが自然で、そうすることがむしろ
家族のためになるとさえ思うようになるわけですから、家族にとってこれ
ほど迷惑で自分勝手な人間もいないでしょう。

悟りと自己満足。紙一重で、別のもの。
そんな風に思います。

家族の安寧を願います。
まだまだ、執着と自己満足の私です。

拍手[1回]

いつもコナが陣取るお父さんイスに、片付け前の冬のカーペットを
一時的に置いておいたら



意地でもそこで寝ています。

拍手[1回]

私は職業上、出会った方たちから感謝されたり、等身大の自分には不釣合いな
ほど慕われたりすることがあります。

等身大の本当の私、ありのままの私は、私自身にも不可解なほど多面的で、複
雑なのですが、職業上の私は役割ゆえに、私の中でもできる限り善良な部分や
より良い部分を提供する必要があり、そうあるように、努めています。

それはいい格好をするためではなく、すべての人の中に存在する善良さや親切
さ、優しさや柔らかさを映し出す鏡=リフレクターとなるためです。
職業上、私はただの触媒です。触媒としての能力を提供することで、誰の中に
も確かに存在するより良い部分が目覚めて、その人自身に自覚されるのです。
多くの方は私が何か特別に寛大で優しい人間だから、自分も見習おうという気
持ちになったという風に解釈しているようですが、それはいささかも、事実で
はありません。

私という個人に影響されているのではなくて、私の中にある普遍的な人間性
(それはもともと、すべての人の中に存在するもの)に触れて、もともと持っ
ている自分の特性が活動しはじめたり、活発になったりしているのです。
言ってしまえば、ただそれだけのことです。

そのかたがたは、もともと、優しくて、善良で、柔らかで、強いのです。

謙遜で言っているのではありません。
私は少しも偉くはなく、特別ではありません。
すべてのかたがたと同じです。それが事実です。

唯一の違いは、自分の役割を自覚し、その為に生きようという意志を持ってい
るということだけでしょう。

私と出会ったことが、人生の大きな分岐点になったとか、今でも心の支えだと
言ってくださる方もいらっしゃいますが、身に過ぎることだと思っています。

ただ、私にも、私の人生の分岐点となった出会いや、今でも心の支えになって
いる人がいます。そのような自分にとってのメンターを想う時、彼らもまた、
私のように、「たまたま、あなたに必要なときに私という鏡を見ただけに過ぎ
ない。あなたは自分の中の新たな側面を、私という鏡を使って見つけただけだ
よ。私に感謝しすぎなくていいんだよ。そして私を偶像のように崇めたり、勝
手に理想化したりしないで欲しい。私は私に過ぎないから」と言うだろうと確
信するのです。

ほとんどの人が、生きることにただ埋没して生きています。
ですが中には、より善くありたい、より人間としてできる事を見つめたい、と
願う人たちがいます。そしてそのような願いを持つ人たちの鏡役になる役目を
引き受けている人たちがいます。それが私の同志であり、メンターたちです。

偉いから、その役割を引き受けたのではありません。
そのような生き方しか、できなかっただけのことなのです。
鳥に生まれたら飛ぶように、ただそのようにしかできないのです。
その生き方もまた、役割ゆえに、苦しいことも悲しいこともあります。
特別楽をするわけでも、特別に苦労をするわけでもありません。人生は、誰の
上にも、それぞれの重荷と、それぞれの幸せを与えます。
私の中にも狡さや、卑怯さ、残酷さはあって、私はそれを自覚します。しかし
自覚する故に、それを野放しにせず、コントロールし、小さくしていく努力を
します。それでも簡単に無くなるものでもありません。除夜の鐘を聞いている
と自分の108つの煩悩がひと時だけでも小さくなっていくようでほっとする
くらいです。

自分の役割を思うとき、このような自分の負の部分との狭間で味わう苦しみは、
とても文章では語れません。
誰かが私を指差して「先生はずるい」と言えば、それはその通りです。
私はただの人間なのですから。
「先生は冷たい」「先生は無神経」「先生はうそつき」
なんと言われても、私は反論する術を持ちません。ただの人間なのですから。
こういえば「開き直り」と、さらにそしられるのです。
そして普通の付き合いなら許されるはずの、人間としてありえる欠点も、失敗
も私の立場では許してもらえないことが多いです。
「そんなただの人間のくせに、鏡の役割をしていいと思っているのか、偉そうに」
そんな世間の声が聞こえるように思う日もあります。
日陰に引っ込んでしまいたい。もう誰とも出会いたくない。私は自分ひとりの
心を平穏に、研ぎ澄まし、静かに、祈りの日々を進んで生きたいだけだ。
そう思うこともあります。

しかしそのような耐え難い苦痛があってもなお、このようにしか生きられない
ので、ある意味あきらめて、覚悟をきめて、自分という存在を等身大で受け入
れて「そのように生まれたのだ」と開き直って、私は自分の使命に誠実であり
たいと思うのです。


キリストは、非常に高い視点から、人類救済を語りました。正しい行いをし、
父なる神を幼子のように無垢に信じるものを、神が救ってくれるという教えで
す。
それに対して、仏陀は非常に低い位置、一般人と同じ目線から、個人的目覚め
を語りました。
(私はそれぞれの宗教を学んでみて、乱暴な論ではありますが、ざっくりと
 そのように感じます。)

仏教によれば、誰の中にも、慈悲心があり、本当の現実を正しく見る目が目覚
める可能性がある。それをすべての命に宿る「仏性」と言います。
私は、この考え方に非常に納得しますし、強く支持しています。

このことを講座の中で語っていないのに、感想文に「先生の話を聞いていると
仏性という言葉を思い浮かべました」と綴った方も居ました。
伝わるものだなあと思いました。

出会いの中で、私を慕い、励ましてくださるかたがたがいるからこそ、私は自
分の役目を何度も再認識し、静かな心境で合掌し、この道を歩んでいかなけれ
ばと思うのです。

誰もが、誰かに支えられています。
私も、たった一人では生きていません。
多くの方々の、仏性に触れ、私は勇気をいただきながらほの明るい一本道を、
静かに歩き続けています。

感謝。
合掌。

そして「てへぺろ。」

拍手[5回]

頭に原因不明のコブができたため売り物にならず、たまたま立ち寄った
ペットショップから引き取ることになったという、数奇な運命のめぐり
合わせで我が家に加わったコーナネ(通称コナちゃん)。

コナを引き取ったわずか一週間後、そのペットショップは倒産してしま
いました。そのためコナの誕生日がわからなくなっていたのです。
ところが、そのペットショップの動物を診察していた獣医さんが我が家
のかかりつけだったので、先日、コナを我が家が引き取る前に診察した
記録を調べてもらい、コナの誕生日が2012年の5月10日だとわか
りました。

そう、今日はコナちゃんの1歳の誕生日でした。

生まれて一年、君にはほんとに、いろんなことがあったね、大きくなっ
たね、健康でよかったね、と嬉しさがこみ上げます。

実は一ヶ月前、不妊手術の傷が化膿して開き、コナは命が危なかったの
です。たまたま私が休みで家にいた時に、傷が開いてそこらじゅうに体
液が飛び散るほどの状態で、夫はパニック。タオルで傷を押さえガクガ
ク震えるコナを抱えて動物の救急病院へ駆け込みました。

応急処置をしてもらい、翌日かかりつけの獣医師に見せると30年の獣
医師生活でこんな風になったのは初めてと恐縮され、治るまで毎日通っ
てくださいと言ってくれた上に、治療費を全部タダにしてくれました。
どんなことにも例外はありますから、獣医さんを恨む気持ちはないです
が、不妊手術くらいの比較的簡単な手術でまさか、命を落としそうにな
ったのは、本当に怖かったです。

その後の処置がよかったのか、コナはめきめきと元気になりました。
一週間もすると、走り回るほど元気になり、ほっと胸をなでおろしまし
た。縫い直したおなかの傷がすっかりくっついて、抜糸が済むと、待ち
わびたようにルルと二頭で絡まりあってじゃれっこしています。
ルルも、コナと引き離されて、遊び相手が居なくて寂しかったのかもし
れません。

コナは、最初の出会い方から、健康に心配がありましたから、早く死ん
でしまうかもしれないことは、覚悟の上で迎えました。でも、もちろん、
いくら覚悟していたって、絶対に嫌なんです。コナが死んでしまうくら
いなら、私の命をコナにあげたい。
コナが、健康になって、はしゃいでいる姿は、本当に嬉しくて嬉しくて、
本当に幸せです。
多分、本犬よりも私のほうが幸せを感じているんでしょう。

コナにとって誕生日は全然意味がないことですが、人間たちはコナにハ
ッピーバースデーを歌い、いつもより可愛がります。
ルルがやきもちを焼きますが、今日はコナちゃんのセレブレーション。

いまさらですが、我が家へようこそ、よく来てくれたね、という気持ち
がこみ上げてきて、本当にコナが可愛く見えます。
奇跡のような出来事で、我が家に来てくれたコナは、私たちにとって本
当に天からのお使いのような存在。

新しいおもちゃも買ってきて、ルルとコナがそのおもちゃで楽しく遊ん
でいるのを眺めて、大好きな豚ミミのおやつをあげて、ルルとコナのお
かげで、私が楽しく過ごせた一日でした。

大切で、大好きな存在の記念日は、それだけで幸せな一日。
命はそれぞれの存在に与えられているもので、私が守りきれるわけでも
ないんですけど、それでも、それでも、守って行きたいと思う大切な家
族です。コナが一歳。それが私の勇気になります。

幸せって、いろんな形がありますね。

コーナネ=輝く月、という意味のハワイ語。
コナは私の、月の女神なのです。
まだまだ、天に帰らないで私の傍にいてね。

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