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悟りの境地というものは すべての仏教徒が目指すゴールなのですが
悟るといったいどういう心境になり、どういう人に見えるようになるのか
よく思い巡らします。
というのも、悟りと自己満足というのはとても近いところにあり、しかし
紙一重でまったく違うものだと思うからです。

おそらく悟ることで明らかに変化することの一つには、「何ものにも執着
しなくなる」ということがあります。

何ものにも執着しない、ということは、どんなに大切なものも、どんなに
深く愛するものにも、囚われず、手放せるということです。
どんなに愛着を持つものでも手放せるということは、それ以上に重要なこ
とを悟っているからできることなのですから、すごいことではあるのです
が、そういう人が悟っていない他者から理解されるかというと大変疑問に
思います。

自分の子どもにも、一生の思い出にも、執着しないとしたら、その人はど
んな人に映るでしょうか?

多分、とても薄情な人、とてもそっけない人、捉えどころがなく近づきに
くい人に見えるのではないでしょうか。

人から評価されることにも関心がなくなり、人目を気にしなくなり、本当
の意味で自由であり、だからその人の社会性はある意味失われます。
そういう人のことを、社会は嫌い、または恐れます。
社会とは、お互いを暗黙のルールで縛りあい、その考えや行動に枠をはめ
あうことに了承している関係で成り立っているからです。行動規範やルー
ルが評価につながり、社会(他者)からの評価を保とうとすることが、社
会との関わりを維持しようとしている証拠になります。

しかし、人からの評価にまったく関心のない人は、人にどう思われるかは
関係なく、その人自身がやりたいことか、その人自身がよいと思うことを
周りにお伺いを立てず実行します。それがたまたま、社会の喜ぶことだっ
た場合はよいのですが、社会が理解できないことだったり、禁止している
ことだった場合は、その人は社会によって排除されます。

社会とは、人目=ルールとコモンセンスによって編み上げられるものです
から、その根本である人目に縛られない人は、社会にとって異物でありシ
ステム破壊を招く不良分子なのです。

だからこそ、仏教徒は、悟りに近づくために「出家」します。
出家とは、社会のシステムを離れ、社会との関わり方に大きく距離をとる
ことを宣言した、ということです。出家者であると示すことで、社会は
その人を攻撃しなくなります。「あれは我々の一部ではない」と安心して
いられるということです。

釈迦は、愛する妻と子どもと、一国の王子=いずれは王という社会的地位
のすべてを捨てて、出家しました。
それらを捨てるということが、人間としての心にどれだけ悲しく辛いこと
か、想像は容易だと思います。逆に、泣いて引き止める妻や子ども、両親
を振り切って捨てていくその姿は、非情とも思えます。

仏教の経典の中には、常識で考えると馬鹿なのかと思うような仏教者の行
為がたくさん語られています。社会に属するごく普通の感覚でそれらを見
ると、呆れてしまうほどの極端な社会逸脱行為です。
もちろんそのような非常識な行為が、どういう動機から生まれたのかを理
解することこそが、仏教を理解すること、そして悟りとは何かを理解する
教材になっています。

その中で私が特に感じるのは、悟りを得るにつれ、周囲の人を傷つけてし
まうという現実があるなということです。
仏教本のなかに、ジャータカ物語という釈迦の前世話があります。その中
で特に有名なのは、飢えた母子の虎に自分の体を与えた、というお話です。
慈悲を説くためのお話ですが、私はこの話をリアルに想像すると、なんと
もいえない気持ちになります。

私はこのお話を読むとリアルにこう想像します。
サッタ太子=釈迦の前世は人格者で徳が高いために周囲の人からたいへん
慕われ愛されています。たまたま通りかかった崖下に飢えでがりがりにや
せ細った母子の虎が動けなくなっており、サッタはこの虎のすべてを悟り
ます。そこで慈悲によって自分の体を虎に与えようと決心します。
もしそこにお付の人がいたら、当然のことながら「やめてください、死な
ないでください」と必死に止めたでしょう。「あなたに死なれては、私た
ちは誰に教えを請えばよいのですか。どうかその虎のために死ぬなんて馬
鹿なことはやめてください」「虎と、あなたと関わりの深い私たちと、ど
ちらが大事なのですか」「あなたが死んだら私たちがどれほど悲しむか考
えてください」「生きて私たちを導いてください。あなたには生きてする
ことがまだまだあるはずです」
きっとそう必死に止めるでしょう。
でもそれでもサッタは自分の決心通り、わが身を竹に突き刺して、虎に食
べさせるのです。

この時、慈悲とは何かということが浮かびあがります。
本当に慈悲(哀れむ心)があるのなら、なぜその慈悲は虎にだけ向けられ
たのかと。なぜサッタを慕う周囲の人々に向けられなかったのかと。

想像してみてください。
あなたがまだ子どもで、親の庇護がなければ生きられない時代に、無関係
な誰かに臓器提供するために、親が自ら死んでしまったら。

なんてことするんだと思いませんか。
私より他人を助けるために死ぬってどういうことだ、と。

それが慈悲の心からだと遺書に書いてあっても、多分「この人、どっかお
かしくなったんだね」と片付けられるでしょう。
子どもは親の行為を理解できず「親は気が狂っていたのだ」とでも思うし
か、自分の心を救えないでしょう。

実は慈悲とは「楽を与え苦を抜く」という意味の仏教用語です。
私たちが一般生活の中で使っている用法とは少し違うのです。
悟りにつながる慈悲とは、すべての命を苦から解放し、楽のみのある世界
に導くという意味です。つまり、「悟りなさい」という教えです。
サッタの行いは、虎の苦を本当に理解したばかりでなく、その虎を自らの
体と命を与えて救うという行為を通じて、自分の弟子や周囲の人々に慈悲
とは何か、悟りとはなにかを考えさせ、悟りへと導こうとした行為なので
す。

私はリアルに想像します。
サッタのお付きや弟子、家族は、このサッタの死に方から、悟りへと進ん
だだろうかと。「あれはどこかおかしくなったのだね。」と言われなかっ
たかと。

お父さんが他人に臓器提供しようと死んだとき、お父さんが本当に偉大な
慈悲の心でそれを行ったとして、子どもはいつその本当の気持ちを理解で
きるだろうかと。

どんな偉大な行為をしても、周囲の人にその意味が本当に理解できなかっ
たら、「あれはおかしくなった」と言われ、そして周囲の人の心を傷つけ、
悟りから遠ざけることになるのではないかと。

それでも、悟っている人はそういう行為を、自らの決意だけで行います。
狂人だと言われながら。そして、悟っているからこそ、いつか自分の行為
の意味を、周囲の人が理解し悟りへと導けることも、知っているのでしょう。

いっとき周囲の人の心が傷つき、悲しみに満たされたとしても、その後に
その人が悟りへと近づける材料になることを、確信しているからこそその
行為を揺ぎ無く行うのでしょう。

釈迦が家族と王位を捨て宮殿を去ったとき、家族がどれほど嘆くかわかっ
ていても、釈迦は自らの悟りへの道が、いずれ家族を導くことになると信
じたのに違いありません。(その時は釈迦はまだ悟っていないので、「知
っていた」のではなく「そうなることを信じた」のだろうと思います)

悟りの境地にあると、すべてを知ることができるんだそうです。
相手の遠い未来も。訪れる結果を知ることができるなら、一時の悲しみより
最終結果のよいことを選ぶことができるのでしょうか。

なんにしろ、悟っている人のことは訳がわからないはずですね。
見ているものが違うのですから。
私がこういうことを考えてしまうのは、自分が悟りに近づけば近づくほど、
他者との距離ができて、そして家族を苦しめることになるのではないかと
悩んでしまうからです。

しかし悟っていれば、家族を捨てることが自然で、そうすることがむしろ
家族のためになるとさえ思うようになるわけですから、家族にとってこれ
ほど迷惑で自分勝手な人間もいないでしょう。

悟りと自己満足。紙一重で、別のもの。
そんな風に思います。

家族の安寧を願います。
まだまだ、執着と自己満足の私です。

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