忍者ブログ
Admin / Write / Res
2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
MoonLeaf
性別:
女性
職業:
Peace Maker
自己紹介:
Member of MENSA International
最新CM
[04/21 ボーズ]
ブログ内検索
アーカイブ
バーコード
フリーエリア
忍者アド
カウンター
アクセス解析
[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6]  [7]  [8]  [9]  [10
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

頭にツノみたいなコブがあって、ペットショップの店長さんから
引き取ることをお願いされて我が家にくることになったコナちゃんが
生後10ヶ月を向かえ不妊手術を受けました。

「いやーおなかの中にも脂肪がいっぱいで手術が大変でした」
とお医者さんに言われてしまいました(汗

自分のことのようです(汗

なんにせよ無事に手術が終わってよかったです。
おなかの傷が痛々しいけど それも数週間で癒えるでしょう。

コナちゃんはおとなしくて、やんちゃ犬のルルとは性格が正反対です。
目がとろんとしてて、お茶犬にそっくりなのでまったり犬と呼ばれて
います。

ぜんぜん違う個性が一緒に暮らす、それが家族。
ぜんぜん違うけど、どこかでつながっていることを感じていられるの
が家族。

コナが元気になったら、遠出するために車に慣らしていきます。
はやく犬つれて旅行したいなー。

拍手[2回]

PR
今日は 娘の小学校卒業式でした。

もう6年も経ったのかという月並みな感想はもちろんなのですが

6年前、小さな体に大きすぎるランドセルを背負い、混み合った
バスに一生懸命乗り込んでいったあの小さな子が
こんなにたくましく大きくなったという事実に胸が熱くなります。

大人にとっての6年間はあっという間で 入学式の時の印象と何も
変わらない同じホールで もう今は卒業式。

子どもが成長していくことと
自分が年老いていくことと
日々の繰り返しを積み重ねて 積み重ねて
そして 時には来た道を振り返り…

これが生きるということ
これが人生なのだと 娘の存在が教えてくれる気がします。

式が終わり、教室に帰って、
最後のホームルームで子どもたちが一言づつ自分の言葉でクラス
メイトにお別れを言いました。
途中で言葉に詰まって泣き出す子、涙をこらえて感謝の気持ちを
述べる子、笑顔でさよならを言った子、みんな本当にピュアで、
親たちはそんなピュアな魂に触れて涙していました。

大部分はそのまま同じ中学に上がり、また同級生なのですが、
中には別の中学にいくことが決まっている子も居ます。
もう二度と会わないかもしれないお別れの日。

お別れの儀式は本当に大切なことです。

ありがとうという言葉しか出てきません。
娘を預かり、たくさんの指導と愛情をくれた先生方に。
娘と刺激しあい、切磋琢磨してくれた子どもたちに。
本当にありがとうございました。
あなた方が私の娘にして下さったすべてのことに感謝します。

そして私の人生にこんな感動を与えてくれる、素晴らしい娘に。

あなたが生まれてくれたから。
あなたが生きていてくれるから。
あなたと出会えたから。
私はこんなに、幸せです。

ありがとう。
あなたの夢がかないますように。
あなたが幸せになりますように。

最愛の娘。
卒業、おめでとう!

拍手[2回]

つい数ヶ月前に 小さい水槽が復活しまして
小さな魚たちと ミナミヌマエビ が我が家にやってきました。

私は 小さなえびちゃんが大好き。
あの小さなはさみで 水草をちょきちょきお掃除したり
見つけたメダカのえさの食べ残しを抱え込んで食べたり
おなかにいっぱいあるひれひれで 器用に泳いだりして
いる姿を見ていると なんだか本当に癒されます。

金魚やメダカにはいまいち感情移入できないのに
なぜかえびちゃんのしぐさには 心ワシヅカミされてしまいます。

えびは魚よりも水質の変化・劣化に弱くて、水質管理をさぼると
魚は平気そうなのに、まっさきにえびが死んでしまいます。
そんなデリケートなえびちゃんが 楽しげに生き生きしている姿を
見ると、小さな水槽が彼らにとって快適な世界なのだと思えるのです。
生き物にとって快適な世界が、小さいけれど、ここに、私の目の前に
あるという事実が、私を本当に安心させ癒してくれるのだと思います。

昨日家に帰ると娘が、「ママ!!エビ増えてる!!」と大声で報告。
見ると、水槽の中に 小さな小さなえびちゃんがいっぱい居るでは
ないですか。
大人えびちゃんの1/10くらいのちっちゃなえびちゃんが!

やったーー!!はじめてミナミヌマエビの繁殖に成功です!!
よかったね、よかったね、おめでとう!

そのサイズになるまでいったいどうしていたのやら、急に
どこかから現れたかのようにいきなり気づきました。
娘のカウントによるとちいさなえびは30匹はいるそうです…。
わお。


えびちゃんのためにわずかなお小遣いをはたいて
水槽グッズを買ってしまう私なのでした。

拍手[1回]

歳とともに 自分がどんなものなのかが明確に分かるようになると
何につけ 自分の答えがすぐに出てしまうようになった

人が自分に求めることに対しても
それはできるとかできないとか
それはやりたいとかやりたくないとか

もちろんそれが ネガティブな答えの場合は
即答したりしないで黙ってもう一度考えてみるようにはするけれど

自分で出す答えには 年々 揺らぎがなくなっていく

何度考えても 最初の答えが浮かぶ


これを「歳よりは頑固になる」というのかもしれない

体も硬くなったけど 心も硬くなるのだろうか
心の柔軟性とは なんだろうか

心の柔軟性…
美しいと感じること 楽しいと感じること
悲しいと感じること 許せないと感じること
喜劇も悲劇も まっすぐに感じる心
自分の価値感や主義を人に押し付けないこと
人の価値観や主義を 自分のものと同じように大切にできること

けれども 自分が感じていることを疑うことは「柔軟性」とは違うような気がする
敢えて言えば
「何度でも感じなおすことができ 別の感じ方もありうるという可能性に開いている心」
が柔軟性なのかも…

何度も 何度も
まっさらな新しい一瞬を 感じなおして 出会い続けて

自分さえも 一定ではないこと・変化することを 知っている心で


上手に歳をとって しっかりなんてしていない
初々しい素敵なおばあちゃんになりたい

拍手[2回]

私は 生きるのが辛くてたまらない人生前半を送り あやうく死にそうになり
本当の意味で救われて だから今の仕事をしている。

たくさんの「生き辛さにあえぐ人」に出会って 誰にも言えなかったという
言葉をたくさん聴いてきた。

どうしてそれらの言葉を、彼らはこれまで言えなかったのだろう。

私にはわかる。
彼らの身近な人々は彼らの本音を「聞きたがらない」のだ。

弱音や、絶望的な言葉を、身近な人は聞きたがらない。
どうせだめなんだ、どうしていいのかわからない、私は駄目なんだ…
そういう言葉を聞くと、不安になり不快になるのだ。
だから、聞きたがらない。
聞きたくないから、口止めをしようとする。

「そんなこと言ってたってしかたないじゃないか」
「やるしかない」
「もっと苦しんでいる人がいる、あなたはまだ恵まれているほうだ」
「甘えていたって誰も助けてくれないよ」
「いい加減にしなさい」

先日、私が今の仕事と家庭の両立でどんな思いを抱えているか正直に話したら
「自分の辛さを最大化している、あなたは偽善者だ」と言った親戚がいた。
そう、親族とか家族とか、身近な人たちほど、そういう酷く辛らつな言葉を言う。

偽善者って言われても、それが感じている正直な気持ちなんだから仕方ない。
「お前がそう感じることが間違いだ」と言うのだろうか。
それとも、「お前が感じていることを正直に話したことが間違いだ」というのだろうか。

いずれにしろその人は「人の気持ちを聴く気はない」ということと「自分の聞
きたい話以外は聞く気がない」ということを鮮やかに証明してくれた。

私が、一番変わって欲しい、気づいて欲しいと願う側の人間だ。
こういう反応をする人がいるから、自殺が減らない。生き辛い人が減らない。

私はこういう酷い言葉に対して、耐性があるし、今は心が健康だから傷ついた
って死にはしない。けれど、もしも、長年、一人で生き辛さを抱えてきた人が、
身内にだけはわかって欲しいと正直な言葉を話したときにこういう言葉を吐き
つけられたら、「もう死のう」と思ってしまってもまったく不思議ではない。
以前の私なら、数日以内に死んでしまったかもしれない。
遺書に、「あなたは私の苦しさの何を知っているのですか」とその人への言葉
を残すかもしれない。呪うとか祟るとか書いて、私の死後もその人を怯えさせ
てやろうとして復讐するかもしれない。
幸い、今の私はこの人の無理解にさほど傷ついてはいないし恨んでもいない。
この人は無知で無理解なのだとはっきりわかっただけである。

けれど、こういう人たちの、こういう反応が、多くの「生き辛い人」を作り出
している。私はその構造を、嫌というほど知っている。

だから、講演活動で一生懸命に話すのだ。
「聴いて欲しいと待っている人が、あなたのすぐ傍にいる。聴くことの必要性
を真剣に学んで欲しい」と。

なぜ私たちは、身近な人の苦しい言葉を聴けないのだろう。
なぜ苦しみの末に紡ぐ彼らの言葉を、この世に出させまいとして縛るのだろう。
それこそが、未熟ゆえの反応なのだと、私は思う。

未熟。
人生の真の姿を知らぬ未熟。
人の限界を知らぬ未熟。
エゴが拡大し、人間という存在の等身大を見誤っている未熟。
現実を知ることのない無知、無明。

私の親戚は、私の口から「こういうことで苦労しているけど、みんな同じだよね。
頑張って生きていけば、いいことがあるからね」などという明るく健気な言葉を
聞きたかったのかもしれない。
もちろんそう思っているし、そう言えない訳ではない。
けれど「正直な気持ちを話そう」という場なら、明るいことばかりでなく正直で
あるゆえに生生しい苦しさも表現されて当然ではないか。

ブログも「明るく、健康的なことだけ書かなくちゃ」「みんなが喜ぶような記事
を書かなくちゃ」と思うとうんざりする。
けれど世の中そういうことばかりで溢れていないか。
仮面を望む未熟な人間ばかりだから この社会が生き辛い。
明るいことばかり並んでいるブログを読んだときに、「この人にも、書かれてい
ない色んな思いがあるんだろうな」と思えているか?
その想像力こそが、人の豊かさであり、成熟なのだ。


喜びも苦しみも、等しく感じて等しく表現する。
その時の自分の本当の心を しっかりと感じて掴んでいたい。
自分にも人にも、偽りの仮面の自分では居たくないのだ。

人々の心の無理解を変えたい。
伝わらないと死んでしまう人がいることを認識して欲しい。
心を殺して生きている人の悲劇を減らしたい。

自分とは違いすぎて 共感できないとしても
相手は相手なのだと 尊重しそっとしておけるだけのいたわりを
すべての人が持てる社会なら どんなにこの世界は
優しく美しい場所になるだろうか。

拍手[2回]

多くの人が 他人にどう思われるのかを恐れている。

真実はその裏側に。
恐れているのは嫌われること。
では嫌われる恐れの裏側にある真実とは?

愛されたい。
みんなに愛されたい。
敵がいる世界は怖い。


でも現実は厳しくて
自分を嫌う人、努力しても愛し合えない人、理解するのが難しい人が大勢居るのだろう。

現実を受け入れてしまえ、と私は思う。
私を嫌う人がいるこの世界に、私は生きているのだと。

そして、私を嫌う人が居てもなお 私を愛する人もいるだろうこの世界に、生きているのだと。

「あなたに嫌われても別にかまわない。私は生きられます」

もしも、誰かに傷つけられたと感じたら、心の中でそうつぶやいてみるのはどう?



「あなたが私を嫌いでもかまわない。私を好きになる人もいるから」

これは信じられないかな?
自分を好きではない人は、この言葉を信じられない。
私もかつてそうだった。
ではまず、自分を愛することを学ぶ必要があるかも知れない。

もしも本当に、誰一人自分を愛する人がいないとしたら
この世界に生きる意味があるのかと絶望してしまうかも知れない。
けれどそんなことがあるとしたら、自分で作り出しているのだ。

何故なら、自分を愛していない人を愛することは難しい。
自分を愛していない人は愛に飢えていて いくら愛しても愛を返さない。
いくらでも奪い、それでも足りないと言い続ける。
足りないのはあなたのせいだと責め続ける。
奪うだけの人を愛し続けるのは 無理なのだ。

反対に自分を愛しすぎている人を愛することも難しい。
自分だけを愛している人は人に愛を与えない。
人に与える愛があるくらいならそれは自分にまわすのだ。
人に冷淡でがさつな態度をする。
そういう人を愛することは難しい。

誰かに愛されるには まず自分を愛していることが一番のコツ。

誰かに嫌われても 凛と胸を張り 風のなか咲き続ける花であろうよ。
傷を抱えたままで 胸をはろうとする自分を誇りに思って。

誰かに愛されないとしても 自分が自分を愛していれば
胸を張って生きていける。

拍手[2回]

書いてみたい本の内容…。

フィクションなら…
 1)発達障害の男女の、ちょっぴり複雑な恋愛ストーリー
 2)天才数人のチームで完全犯罪ストーリー
 3)事件じゃない日常のいろんなことを推理する日常観察短編集

ノンフィクションなら…
 1)自分を好きになる方法
 2)いじけむし・不幸少女の自己分析
 3)だいじょうぶ、ゆっくり進めるよ という行き詰まった人へのエール本
 4)ママ、お願い聴いて欲しいの という子どもの心を代弁した傾聴本
 5)幸せを逃さない人の特徴 から学ぶ自己変革本

…うーん…

もうちょっと練ってみようかな~。

本気で「これ!」と思えたら自動的に手が動き始めるから。
そういう瞬間を、作家はよく「神が降りてきた」とか言うんですよね。

ちなみにどれなら読んでみたいですか?


拍手[2回]

辞める辞める言いながら、いまだに副業のパート続けてます。

実は昨年11月に部署を変えていただき、非常~に楽な職場に居させてい
ただいています。相談業務なのですが、もうこれが、ほんとに私の趣味の
範囲でやれてしまう、楽で楽で仕方ないお仕事。
おまけにお給料も1割ほど上がり、良い事尽くめ。

この部署に異動になった事で、辞め時がちょっとわからなくなってしまい。
子どもの学費だけはここでがっちり稼がせていただこうかなと思っています。
不安定な本業だと、やっぱり私学に子どもを通わせるのは不安なんですよね。
ここで頑張ったお金は全部子どもに…と思うと二足のわらじで時間のやりく
りや体調管理が大変ですが、頑張れそうです。

昨年末は年間お客様満足の声第二位という、なぜ私がと思うような賞を頂き、
賞品としてティファールのお鍋セットを会社から頂きました。
これ、買おうと思ってたんだよね~。
すごいタイミングでもらえちゃった!

なんだか、ちょっとだけツイてるらしい、今日この頃です。

春がくるよ~。
みんな、花開く準備はいいですかあ?

拍手[2回]

春財布の時期が終わろうとしているようなのですが…
毎年財布の買い替え時期には足が棒になります~。

ホントに手当たりしだい開いてみて、気に入る機能のものがないか
探しまくっていますが、ないですね~。
機能はまあまあでも、見た目や手触りや縫製が…気に入らない…。

今年はもう妥協して適当なもので手を打ってしまおうかと、根気が
切れそうになってます。

でもそう言いながら毎年、一生懸命探して探して、「これが私のお財布!」
と思えるものに出会うまで探すのが楽しいことでもあり。

ふと思いましたが、
これって小公女セーラの「エミリー探し」みたいですね(古)。

ぼちぼち、探し続けてみます。

そうそう、昨日は結婚記念日でした。
数えてみたら、結婚して19年たった日。
来年は結婚20周年なんだな~。
年月は早いものですねえ。

拍手[0回]

最近夫から「外出した際の他人への言葉遣いや態度が以前よりずっと良くなったね」と言われました。

言われた瞬間は、ちょっと軽くショック。
そんなに以前は悪かったの?と瞬間的に感じたのは私の心のフィルターのせい。

夫はほめてくれているのだから喜べばよいのです。

「どんな風に変わったのかしら」と尋ねると
「レストランでウェイターさん、ウエイトレスさんに水を頼むときに、『申し訳ないですが、お水いただけますか』とか『お忙しい処すみませんがケチャップを頂けますか』とか、丁寧に言うようになったよ」とのこと。

うーん、そういえば、以前は「申し訳ないですが」「すみませんが」は付けてなかったかなあ。
「すみませーん、お水くださーーい!」「ケチャップはありますか?」だったなあ。

実際、お願いしていることは申し訳ないことではないと思うのです、お客なのだから。そんなにへりくだって言う必要はないような気もします。普通に、相手を馬鹿にした態度でなければ、お客さんの態度というのは許される幅が広くて、欲しいサービス、必要な持ってきてもらいたいものは気楽に言っていいと思っています。

何が違うのかな?
やっぱり私が、ももの病気をきっかけにお客様対応のバイトを始めたことかなと思います。
お客様からこちらの責任ではないのに酷い言いがかりをつけられ「自分はこうならないようにしたいな」と思ったり、丁寧な物腰のお客様に会うと「素敵だなあ。こういうふうになりたいなあ」と思う経験がたくさんありました。

ウエイターさんやウエイトレスさんは私よりずっと若くて、だけど彼らも一生懸命仕事しているんですよね。丁寧に頼めば、彼らも気持ちよく仕事してくれます。横柄な客にも丁寧にするのがプロですが、丁寧な人には、自然と丁寧に良いサービスをしたいと思うでしょうね。

やっぱり経験で、人は育つのですね。
考えただけではだめ、経験したとき、それが身になるというのは本当なんですね。

夫は「そういう態度、振る舞いをみていると、一緒にいてとても快適だよ」と言ってくれました。

瞬間、またまた私の心のフィルターが「前は不快ですみませんでした」といじけます。
違う違う、夫はけなしているのではなくて、喜んでくれているのです、私の良い変化を。
私もそれを喜べばいいの。

そうだよね。

いくつになっても成長したい…そう思います。

拍手[1回]

Copyright ©  I realize it when I through it All Rights Reserved.
* material by Pearl Box   * Template by tsukika

忍者ブログ [PR]