2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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明け方、まだ外がまっくらな5時半ごろ、もそもそ起きて簡単に支度をした。
ペンライトを付けて、今日の予定を確認する。予定ではラクテンチという遊園地に行く予定。けれど今日は曇りの予報。雪にならないとしても相当寒い。外に遊びに行くのはちょっと嫌だなあ…と考えていると、娘がむくりと起き上がって、「ママ、トイレどこ」と寝ぼけたようにいった。
そりゃあ、キャンピングカーじゃないんだから、外の公園のトイレを借りるしかないのだ。
娘に上着をたくさん着せて、吹雪の中をトイレへダッシュ!
「あーっ、ママ、紙がない!」
ふっふっふ。安心しろ娘よ。そんなコトは想定内なのだ。
そういうこともあろうかと、ちゃんとひとまき、トイレットペーパーは持ってきてあるのだよ。キラーン。
トイレを済ませて、身を切るような水で手を洗って、車に戻る間が猛烈な風に転びそうになるほど。
「ぎゃあああ寒いイイ」と絶叫しながら走り、車に転がり込む。
真っ暗な公園で、奇声を上げる変な親子。まあ誰も見てないからいいや。
「まだ早いから、もう一度寝てていいよ」と娘に言うと「二度寝って気持ちいいんだよ〜」とご機嫌で寝袋の中にすっぽり収まった。
私は車を出し、昨日の朝と同じ24時間営業のマクドナルドに向かった。
マクドで一人、コーヒーを飲みながら、まっくらな別府湾が徐々に明るくなるのを眺めていた。
面白いことに、昨日も来ていた人が数人、今朝もきていた。参考書を開く受験生、数字がびっしり書き込まれた書類とパソコンをにらむサラリーマン。
誰しもが、一生懸命に生きているんだなと思う。
どこに行っても、どこに住んでも、同じようにそこには生活があり、懸命に生きようとする人たちがいる。私がどこに行ってもどこに住んでも、同じように。
私が住むべきはどこなのだろう。世界のどこにあるのだろう。
探しつづけて、もうずいぶん経ったけれどまだみつからない。
なんとなく胸がきゅっと痛む。
朝9時過ぎまでゆっくりして車に戻ると、娘も十分睡眠を取れて満足げに起きた。服を着替えさせ、マクドで朝ご飯。
「ママ、今日はどこにいくの?」
「そうだねえ。寒そうなんだよねえ。遊園地行く予定だったけど、あんまり興味ないんでしょ」
娘はいつも遊園地に興味を示さない、変わった子なのだ。ラクテンチに行きたいのは娘ではなく私の方だ。地元の人しか来ないような小さな遊園地で、ほんとに独特の味わいがある。昔、夫とデートした場所で、思い出がある。
「んーとね、遊園地行きたい」
「へ?行きたいの?昨日はあんまり行きたくないっていってたじゃん」
「今日は行きたいの」
「あ、そう。じゃあもう少し天気の様子みてから行くかどうか決めようね。雨だったら遊園地は最悪だからね」
携帯電話の電池が切れて、夫と連絡が出来なくなっていた。
そういう場合は契約している電話会社の販売窓口に行けば無料で充電してくれる。
だからまず大きなショッピングセンターに行き、携帯を預けた。
お弁当を買い込んで、ラクテンチへ出発!
日本で一番急な坂を登るケーブルカーに乗って、別府を一望する小山の上にラクテンチは存在する。
もし別府へ旅したら景色を見に行くつもりで行って見て欲しい。昭和の香りが残る、小さな遊園地。昔いたゾウはもういなくなっていたのが寂しかったけれど、すっかりリニューアルされてのんびりと園内を巡れるようになっていた。
そして、下調べによればここには無料の展望温泉があるのだ。
娘の乗りたいものに乗って、一満足したら、今度は私の満足のためにいそいそと園内の展望温泉に向かった。
ちょうど誰もいなくて、広いお風呂を娘と貸し切り!なんて贅沢なんだろう、そして、すごい眺め。
ただで入れる温泉だから泉質もたいしたことないと期待してなかったのに、さすがは湯の里、別府でございます。湯上がりはもう、お肌すべすべ。
お風呂に入りたくない人には、足湯がありますぞ。
それから、ラクテンチで絶対に見逃してはいけないのは、「あひるの競走」というアトラクション。文字通り、あひるちゃんたちがレースをするのだ。100円払って一等のあひるを当てると、賞品をもらえる。実はこのアトラクションの目玉は、一生懸命走るかわいいあひるちゃんではなく、その呼び込みをしているおじさんの口上だ。この方は、この道の名人で、全国の娯楽施設からこの口上を学びにくるほどなのだ。聞く価値ありの名人芸なので、ラクテンチに行ったら是非、2〜300円くらいあひるちゃんのレースに賭けてみてほしい。
娘はなんとすごいことに、一発目で一等のあひるちゃんを当ててしまった。もちろんまぐれだけれど、運もその人の才能のうちというもので、強運の持ち主なら非常に喜ばしい。記念にラクテンチあひるの競走と書かれたガーゼのハンカチをもらった。これで娘の機嫌は最高潮になった。あとは機嫌が悪くなる前に帰るのが得策。
最後に観覧車にのって景色を心に刻み、ラクテンチを後にした。
携帯を預けてあるお店に戻り、連絡手段復活。
明日は、夫が長距離バスで別府に駆けつけ、一日だけ家族全員揃って別府で遊ぶ予定だ。
その為には、こまめな連絡が必須。なにせ、あの夫が一人だけで乗ったことのない交通機関を使うのだ。別府に行こうとして鹿児島に到着しちゃったよとか、何が起きても不思議はない。(これは冗談ではなく。本気です)
もし夫が何かしでかしたら、すべてのフォローは私の役目である。
どんな局面になってもフォローしきってみせると覚悟している。
鹿児島に到着したら旅行の日程を変更して、別府から迎えにいくことだろう。
まあそうなればなったで、旅に変わりはない。楽しんだものが勝ち。
話を戻そう。
遊園地で一日遊び、温泉にも入ったので結構疲れていた。
けれど車を、三度、鉄輪に向けた。
「ママ、どこにいくの」
「うーん。お友達探しでね、ひとつ行って見たい場所があるんだ。悪いけど付き合ってね」
昨日の捜索はだめだったが、実は、一ヶ所だけ、坂の景色に見覚えのある処があった。
今夜は寝る前に一巡りだけでも、その界隈を探してみようと思ったのだ。手がかりはもう、自分の記憶だけだった。
鉄輪に着き、見覚えのある地点に車を停めた。
ペンライトを付けて、今日の予定を確認する。予定ではラクテンチという遊園地に行く予定。けれど今日は曇りの予報。雪にならないとしても相当寒い。外に遊びに行くのはちょっと嫌だなあ…と考えていると、娘がむくりと起き上がって、「ママ、トイレどこ」と寝ぼけたようにいった。
そりゃあ、キャンピングカーじゃないんだから、外の公園のトイレを借りるしかないのだ。
娘に上着をたくさん着せて、吹雪の中をトイレへダッシュ!
「あーっ、ママ、紙がない!」
ふっふっふ。安心しろ娘よ。そんなコトは想定内なのだ。
そういうこともあろうかと、ちゃんとひとまき、トイレットペーパーは持ってきてあるのだよ。キラーン。
トイレを済ませて、身を切るような水で手を洗って、車に戻る間が猛烈な風に転びそうになるほど。
「ぎゃあああ寒いイイ」と絶叫しながら走り、車に転がり込む。
真っ暗な公園で、奇声を上げる変な親子。まあ誰も見てないからいいや。
「まだ早いから、もう一度寝てていいよ」と娘に言うと「二度寝って気持ちいいんだよ〜」とご機嫌で寝袋の中にすっぽり収まった。
私は車を出し、昨日の朝と同じ24時間営業のマクドナルドに向かった。
マクドで一人、コーヒーを飲みながら、まっくらな別府湾が徐々に明るくなるのを眺めていた。
面白いことに、昨日も来ていた人が数人、今朝もきていた。参考書を開く受験生、数字がびっしり書き込まれた書類とパソコンをにらむサラリーマン。
誰しもが、一生懸命に生きているんだなと思う。
どこに行っても、どこに住んでも、同じようにそこには生活があり、懸命に生きようとする人たちがいる。私がどこに行ってもどこに住んでも、同じように。
私が住むべきはどこなのだろう。世界のどこにあるのだろう。
探しつづけて、もうずいぶん経ったけれどまだみつからない。
なんとなく胸がきゅっと痛む。
朝9時過ぎまでゆっくりして車に戻ると、娘も十分睡眠を取れて満足げに起きた。服を着替えさせ、マクドで朝ご飯。
「ママ、今日はどこにいくの?」
「そうだねえ。寒そうなんだよねえ。遊園地行く予定だったけど、あんまり興味ないんでしょ」
娘はいつも遊園地に興味を示さない、変わった子なのだ。ラクテンチに行きたいのは娘ではなく私の方だ。地元の人しか来ないような小さな遊園地で、ほんとに独特の味わいがある。昔、夫とデートした場所で、思い出がある。
「んーとね、遊園地行きたい」
「へ?行きたいの?昨日はあんまり行きたくないっていってたじゃん」
「今日は行きたいの」
「あ、そう。じゃあもう少し天気の様子みてから行くかどうか決めようね。雨だったら遊園地は最悪だからね」
携帯電話の電池が切れて、夫と連絡が出来なくなっていた。
そういう場合は契約している電話会社の販売窓口に行けば無料で充電してくれる。
だからまず大きなショッピングセンターに行き、携帯を預けた。
お弁当を買い込んで、ラクテンチへ出発!
日本で一番急な坂を登るケーブルカーに乗って、別府を一望する小山の上にラクテンチは存在する。
もし別府へ旅したら景色を見に行くつもりで行って見て欲しい。昭和の香りが残る、小さな遊園地。昔いたゾウはもういなくなっていたのが寂しかったけれど、すっかりリニューアルされてのんびりと園内を巡れるようになっていた。
そして、下調べによればここには無料の展望温泉があるのだ。
娘の乗りたいものに乗って、一満足したら、今度は私の満足のためにいそいそと園内の展望温泉に向かった。
ちょうど誰もいなくて、広いお風呂を娘と貸し切り!なんて贅沢なんだろう、そして、すごい眺め。
ただで入れる温泉だから泉質もたいしたことないと期待してなかったのに、さすがは湯の里、別府でございます。湯上がりはもう、お肌すべすべ。
お風呂に入りたくない人には、足湯がありますぞ。
それから、ラクテンチで絶対に見逃してはいけないのは、「あひるの競走」というアトラクション。文字通り、あひるちゃんたちがレースをするのだ。100円払って一等のあひるを当てると、賞品をもらえる。実はこのアトラクションの目玉は、一生懸命走るかわいいあひるちゃんではなく、その呼び込みをしているおじさんの口上だ。この方は、この道の名人で、全国の娯楽施設からこの口上を学びにくるほどなのだ。聞く価値ありの名人芸なので、ラクテンチに行ったら是非、2〜300円くらいあひるちゃんのレースに賭けてみてほしい。
娘はなんとすごいことに、一発目で一等のあひるちゃんを当ててしまった。もちろんまぐれだけれど、運もその人の才能のうちというもので、強運の持ち主なら非常に喜ばしい。記念にラクテンチあひるの競走と書かれたガーゼのハンカチをもらった。これで娘の機嫌は最高潮になった。あとは機嫌が悪くなる前に帰るのが得策。
最後に観覧車にのって景色を心に刻み、ラクテンチを後にした。
携帯を預けてあるお店に戻り、連絡手段復活。
明日は、夫が長距離バスで別府に駆けつけ、一日だけ家族全員揃って別府で遊ぶ予定だ。
その為には、こまめな連絡が必須。なにせ、あの夫が一人だけで乗ったことのない交通機関を使うのだ。別府に行こうとして鹿児島に到着しちゃったよとか、何が起きても不思議はない。(これは冗談ではなく。本気です)
もし夫が何かしでかしたら、すべてのフォローは私の役目である。
どんな局面になってもフォローしきってみせると覚悟している。
鹿児島に到着したら旅行の日程を変更して、別府から迎えにいくことだろう。
まあそうなればなったで、旅に変わりはない。楽しんだものが勝ち。
話を戻そう。
遊園地で一日遊び、温泉にも入ったので結構疲れていた。
けれど車を、三度、鉄輪に向けた。
「ママ、どこにいくの」
「うーん。お友達探しでね、ひとつ行って見たい場所があるんだ。悪いけど付き合ってね」
昨日の捜索はだめだったが、実は、一ヶ所だけ、坂の景色に見覚えのある処があった。
今夜は寝る前に一巡りだけでも、その界隈を探してみようと思ったのだ。手がかりはもう、自分の記憶だけだった。
鉄輪に着き、見覚えのある地点に車を停めた。
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水族館を出て、昨日閉まっていた鉄輪の食堂に向かった。
明かりは灯っていなかったが、人の気配があったので、
思いきって入口で「すみません、今日は営業していますか?」と訊ねてみた。
すぐに「はいはい、どうぞどうぞ」と通された。
ネットでは地獄蒸し卵いりラーメンとオムライスが評判メニューらしかったので、それを注文した。対応してくれている女性をそれとなく見るけれど、Kちゃんのお母さんにしては年齢が少し若い。
顔も似ていない。
店内を見回して、20年前に一度きた時の食堂の記憶を一生懸命取り戻そうとする。けれどお店は綺麗で、どう見ても数年前に改装したばかりという感じ。店からは何も手がかりが増えない。
奥で料理しているおじさんが、でき上がったラーメンを持ってきてくれた。顔を見るけれど、その時一度会っただけのKちゃんのお父さんの顔は覚えていない。年はこのくらいかも知れないけれど…わからない。
この人が Kちゃんのお父さんだったら…。
Kちゃんがもう死んでしまっていたら…。
そう思うと、急にきゅっと胸が詰まったように苦しくなった。
最初からわかっていたことじゃないか。
もし、Kちゃんが亡くなっていたら、お参りだけでもさせてもらうんだ。
そう決めてきたじゃないか。
恐る恐る、「すみません、こちらは、Mさん(Kちゃんの名字)の経営でしょうか」と訊ねた。
相手は怪訝そうに、「いえ違いますけど…」と引っ込んでしまった。
違ったのか。
少しほっとするような、がっかりするような気持ち。
このおじさんは、接客がとても苦手な内気な感じの人だったので、それ以上話しかけるのはちょっと気が引けてしまった。
接客担当の女性が、つぎのオムライスを持ってきてくれた。
「あの、唐突に変なことを聞いてすみません。この辺りに、KM(Kちゃんの氏名)さんという方はいらっしゃいませんか。実は、20年前の友人を探しています」と事情を簡単に説明した。
女性の店員さんも、料理してくれたおじさんも、事情がわかるととても親切にしてくれた。
近所に民生員をしている人がいるので、その人の方がわかるかもしれない、と紹介してくれて、鉄輪の地図をくれた。
料理はネットで評判になっている通り、とても美味しくて、娘はぺろりと平らげてしまった。お代わりをしたいほどだったと言っていた。「じゃあ大盛りにすればよかったねえ」
店を出るとき、女性の定員さんは「大丈夫、本名もわかってるんだし、きっと見つかりますよ」と励ましてくれた。あり難かった。
もともと、Kちゃんを探す手がかりはほとんどなかった。
本名と、親が鉄輪で食堂をしていること。それだけなのだ。
探し出せる保証は何もなかった。
民生員をしているというたばこ屋のおばあちゃんを訊ねた。
事情を話したが、まったく心当たりがないという。
20年前の食堂のことなら、古くから店をしている人に聞いたらいいと、別の飲食店を教えてくれた。
その店に行くと、忘年会で貸し切りになっていた。
忘年会に水を差してしまうのではと恐れつつ、事情を手短に話すと、「ほら○○さんに聞いてみろ。あの人は顔が広い」と店主らしきおじさんが言い、奥さんらしきお店の人は電話をとって、知り合いに電話して、Kちゃんを知っている人が居ないか、ほうぼう調べてくれた。20分ほどもかけて、電話で聞き込みをしてくださる奥さん、奥で料理をしながら見守っている店の主と、忘年会のお客さんたち。
私たちは雪の降る年末の珍客。
本当に恐縮してしまう。
電話を切って、「わからないねえ。すみません」とお店の人。
「店をしている人はお互いに屋号(店名)で呼び合っているからね。本名なんて知らないよ」
せめて屋号を思い出せたら…と思ったが、まったく思い出せない。
「すみません。屋号を覚えていなくて…」
「見つかったらよかったのにねえ。役に立てなくてすみませんねえ」
「いえ、とんでもないです。みなさんお邪魔しました。本当にお世話になりました。ご親切に、ありがとうございました。」
娘と二人、お店を出た。
この日の捜索はあきらめるほかなかった。
鉄輪に来られるのは、あと2日。
時間がない。明日、地元のラジオ局に投書してみようか…。
そう考えながら、しんしんと雪の降る鉄輪を娘と二人とぼとぼと歩く。
年末で、大雪で、歩いている人は誰も居ない。
石畳の坂、道の端から湯気が暖かげに立ち上る。
娘はこの旅情溢れる景色を楽しんでいる。
「ママ、足湯って書いてあるよ」
無料の足湯と足蒸し風呂があった。
気持ちを軽くして、娘と二人、入ってみた。
こんな熱い蒸気が一年中出ているなんて、本当にこの場所は面白い。
靴下を脱いで、ズボンの裾をひざ上までまくりあげて、熱過ぎるほどの蒸気に足を突っ込む。
「あちちち」
他には誰も居ないので、二人で写真をとったり、足湯に浸かったりして遊ぶ。
温まった足に靴下を履いて、また外にでるとすぐ娘が、「地獄蒸しってなーに?」と聞いてきた。
見れば、出来たばかりの地獄蒸し体験館があった。
体験料500円払って、持ち込んだ食材を地獄蒸しにできるという。今日はもう店じまいのようだ。
「やってみたーい。パパと来たいね!」「そうだね」
娘は「体験」と名のつくものはなんでもやりたがる。私も出来るかぎりやらせてあげたい。こういう体験の数々が、この後の人生を支える財産になっていくのだ。私はそう確信している。
予定していた柴石温泉が閉まってしまう時間が近づいたので、急いで車に戻った。
娘と一緒にいることは、いつでも私に新鮮な「今、この瞬間」を運んでくれる。二人でいると、自分一人でいるのとは違う視点、違う気づきが起こる。娘は大切な、旅のパートナーなのだった。
同じ別府でも、温泉の泉質は、一つ一つの温泉でまったく違っている。
柴石温泉は、初日に行った堀田温泉とはまた、まったく違う鉄分の多い温泉だった。
体は本当によく温まって、二人とも満足した。
娘が熱い風呂に適応しつつあるのが、面白い。
そして娘も「ぷはーーーー」と言うようになったので、笑ってしまう。
夕食が早めだったのと、Kちゃんのことで食べた気がしなかった。
娘も口寂しいというので、スーパーに行って夜食を買い込んだ。娘は「今晩も車なんでしょ?やったー」と喜んでいた。
車内泊はたしかにキャンプ気分で気楽だし楽しいのだが、この日、天候はさらに荒れ、暴風と大雪の予報だった。
夜中に雪の嵐になる。もし寝ている間、耐えられないほど寒くなってしまって、それに気づかなかったら、危険かもしれない。だから、車内泊をするならできれば屋根があり、風をよけられる場所に車を停めたかった。
市内をかなり走り回って探したが、残念ながら、そういう場所は全部、夜通しとめることは無理だった。そこで鉄輪に車を戻し、地面からたくさん湯気の出ている公園の駐車場で、試すことにした。すぐ側から大量の湯気が出ている場所だと、雪が降っていても寒さを相殺してくれそうな感じがして、わずかだけれど安心感があったのだ。もし車内泊が危険なほど寒かった場合に備えて、駆け込む予定の宿は事前に3つほど当てをつけてある。空室状態も調べてあるし、大丈夫だ。
娘はそんな私の思いを知らず、車でのキャンプ生活を楽しんでいる。
「ライフだねえーーー」と訳の分からん形容でノリノリ。
寝室と化した車内でゴロゴロ寝転がってご機嫌である。
車を泊めると、またガラスの面すべてに断熱シートで目張りをする。
まあ、なんとかなるかもな、という気がした。
大きな風が私たちの車を叩き付けると、車ごと揺れるけれど、もちろん横転するほどではない。
風の音は、自然の音。ここは大木のうろにつくった巣穴。
私たち二人は野生のキツネの親子にでもなったような気がして、二人、体を寄せ合って眠った。
明かりは灯っていなかったが、人の気配があったので、
思いきって入口で「すみません、今日は営業していますか?」と訊ねてみた。
すぐに「はいはい、どうぞどうぞ」と通された。
ネットでは地獄蒸し卵いりラーメンとオムライスが評判メニューらしかったので、それを注文した。対応してくれている女性をそれとなく見るけれど、Kちゃんのお母さんにしては年齢が少し若い。
顔も似ていない。
店内を見回して、20年前に一度きた時の食堂の記憶を一生懸命取り戻そうとする。けれどお店は綺麗で、どう見ても数年前に改装したばかりという感じ。店からは何も手がかりが増えない。
奥で料理しているおじさんが、でき上がったラーメンを持ってきてくれた。顔を見るけれど、その時一度会っただけのKちゃんのお父さんの顔は覚えていない。年はこのくらいかも知れないけれど…わからない。
この人が Kちゃんのお父さんだったら…。
Kちゃんがもう死んでしまっていたら…。
そう思うと、急にきゅっと胸が詰まったように苦しくなった。
最初からわかっていたことじゃないか。
もし、Kちゃんが亡くなっていたら、お参りだけでもさせてもらうんだ。
そう決めてきたじゃないか。
恐る恐る、「すみません、こちらは、Mさん(Kちゃんの名字)の経営でしょうか」と訊ねた。
相手は怪訝そうに、「いえ違いますけど…」と引っ込んでしまった。
違ったのか。
少しほっとするような、がっかりするような気持ち。
このおじさんは、接客がとても苦手な内気な感じの人だったので、それ以上話しかけるのはちょっと気が引けてしまった。
接客担当の女性が、つぎのオムライスを持ってきてくれた。
「あの、唐突に変なことを聞いてすみません。この辺りに、KM(Kちゃんの氏名)さんという方はいらっしゃいませんか。実は、20年前の友人を探しています」と事情を簡単に説明した。
女性の店員さんも、料理してくれたおじさんも、事情がわかるととても親切にしてくれた。
近所に民生員をしている人がいるので、その人の方がわかるかもしれない、と紹介してくれて、鉄輪の地図をくれた。
料理はネットで評判になっている通り、とても美味しくて、娘はぺろりと平らげてしまった。お代わりをしたいほどだったと言っていた。「じゃあ大盛りにすればよかったねえ」
店を出るとき、女性の定員さんは「大丈夫、本名もわかってるんだし、きっと見つかりますよ」と励ましてくれた。あり難かった。
もともと、Kちゃんを探す手がかりはほとんどなかった。
本名と、親が鉄輪で食堂をしていること。それだけなのだ。
探し出せる保証は何もなかった。
民生員をしているというたばこ屋のおばあちゃんを訊ねた。
事情を話したが、まったく心当たりがないという。
20年前の食堂のことなら、古くから店をしている人に聞いたらいいと、別の飲食店を教えてくれた。
その店に行くと、忘年会で貸し切りになっていた。
忘年会に水を差してしまうのではと恐れつつ、事情を手短に話すと、「ほら○○さんに聞いてみろ。あの人は顔が広い」と店主らしきおじさんが言い、奥さんらしきお店の人は電話をとって、知り合いに電話して、Kちゃんを知っている人が居ないか、ほうぼう調べてくれた。20分ほどもかけて、電話で聞き込みをしてくださる奥さん、奥で料理をしながら見守っている店の主と、忘年会のお客さんたち。
私たちは雪の降る年末の珍客。
本当に恐縮してしまう。
電話を切って、「わからないねえ。すみません」とお店の人。
「店をしている人はお互いに屋号(店名)で呼び合っているからね。本名なんて知らないよ」
せめて屋号を思い出せたら…と思ったが、まったく思い出せない。
「すみません。屋号を覚えていなくて…」
「見つかったらよかったのにねえ。役に立てなくてすみませんねえ」
「いえ、とんでもないです。みなさんお邪魔しました。本当にお世話になりました。ご親切に、ありがとうございました。」
娘と二人、お店を出た。
この日の捜索はあきらめるほかなかった。
鉄輪に来られるのは、あと2日。
時間がない。明日、地元のラジオ局に投書してみようか…。
そう考えながら、しんしんと雪の降る鉄輪を娘と二人とぼとぼと歩く。
年末で、大雪で、歩いている人は誰も居ない。
石畳の坂、道の端から湯気が暖かげに立ち上る。
娘はこの旅情溢れる景色を楽しんでいる。
「ママ、足湯って書いてあるよ」
無料の足湯と足蒸し風呂があった。
気持ちを軽くして、娘と二人、入ってみた。
こんな熱い蒸気が一年中出ているなんて、本当にこの場所は面白い。
靴下を脱いで、ズボンの裾をひざ上までまくりあげて、熱過ぎるほどの蒸気に足を突っ込む。
「あちちち」
他には誰も居ないので、二人で写真をとったり、足湯に浸かったりして遊ぶ。
温まった足に靴下を履いて、また外にでるとすぐ娘が、「地獄蒸しってなーに?」と聞いてきた。
見れば、出来たばかりの地獄蒸し体験館があった。
体験料500円払って、持ち込んだ食材を地獄蒸しにできるという。今日はもう店じまいのようだ。
「やってみたーい。パパと来たいね!」「そうだね」
娘は「体験」と名のつくものはなんでもやりたがる。私も出来るかぎりやらせてあげたい。こういう体験の数々が、この後の人生を支える財産になっていくのだ。私はそう確信している。
予定していた柴石温泉が閉まってしまう時間が近づいたので、急いで車に戻った。
娘と一緒にいることは、いつでも私に新鮮な「今、この瞬間」を運んでくれる。二人でいると、自分一人でいるのとは違う視点、違う気づきが起こる。娘は大切な、旅のパートナーなのだった。
同じ別府でも、温泉の泉質は、一つ一つの温泉でまったく違っている。
柴石温泉は、初日に行った堀田温泉とはまた、まったく違う鉄分の多い温泉だった。
体は本当によく温まって、二人とも満足した。
娘が熱い風呂に適応しつつあるのが、面白い。
そして娘も「ぷはーーーー」と言うようになったので、笑ってしまう。
夕食が早めだったのと、Kちゃんのことで食べた気がしなかった。
娘も口寂しいというので、スーパーに行って夜食を買い込んだ。娘は「今晩も車なんでしょ?やったー」と喜んでいた。
車内泊はたしかにキャンプ気分で気楽だし楽しいのだが、この日、天候はさらに荒れ、暴風と大雪の予報だった。
夜中に雪の嵐になる。もし寝ている間、耐えられないほど寒くなってしまって、それに気づかなかったら、危険かもしれない。だから、車内泊をするならできれば屋根があり、風をよけられる場所に車を停めたかった。
市内をかなり走り回って探したが、残念ながら、そういう場所は全部、夜通しとめることは無理だった。そこで鉄輪に車を戻し、地面からたくさん湯気の出ている公園の駐車場で、試すことにした。すぐ側から大量の湯気が出ている場所だと、雪が降っていても寒さを相殺してくれそうな感じがして、わずかだけれど安心感があったのだ。もし車内泊が危険なほど寒かった場合に備えて、駆け込む予定の宿は事前に3つほど当てをつけてある。空室状態も調べてあるし、大丈夫だ。
娘はそんな私の思いを知らず、車でのキャンプ生活を楽しんでいる。
「ライフだねえーーー」と訳の分からん形容でノリノリ。
寝室と化した車内でゴロゴロ寝転がってご機嫌である。
車を泊めると、またガラスの面すべてに断熱シートで目張りをする。
まあ、なんとかなるかもな、という気がした。
大きな風が私たちの車を叩き付けると、車ごと揺れるけれど、もちろん横転するほどではない。
風の音は、自然の音。ここは大木のうろにつくった巣穴。
私たち二人は野生のキツネの親子にでもなったような気がして、二人、体を寄せ合って眠った。
早朝、娘より早く起きて身支度をする。
公園にも水道はあるけれど雪が降る中、水で顔をあらうのは心臓に悪い。
そこで持ってきているウェットティッシュが活躍。
テキトーに化粧をして、車を出す。
旅先だと私を知っている人はいないのでテキトーでいいのが嬉しい。
24時間営業のマクドナルドに車を泊めて、自分一人で店内へ。
歯を磨いて、コーヒーを飲みつつ、昨日の記録を手帳に書き入れ、今日の予定を立てる。
早朝なのに、次々にお客がきて、景色のいい席から順に占領していく。
勉強を始める若者(そういえば受験シーズンだな)。
バイクで旅行しているのか、ライダースーツ姿の男性二人。
作業服の60代の男性。
パソコンに見入っては、手元の細かい表が書かれた紙に何かを一心に記入していく50代のサラリーマン。
当然といえば当然かもしれないが、女性客と若者はいない。
コーヒーをお代わりしながら、別府湾が朝になっていく様をのんびり眺めていた。
マクドで見る景色も、スギノイホテルで見る景色と同じ、悪くないものだ。
8時を過ぎてから、車に戻る。
「おーい、そろそろ起きないと、遊ぶ時間が減るよ」
と声を掛けると、娘はシャッキリと起きた。
「ママ、今日は水族館にいくんでしょ」
水族館「うみたまご」は娘の大好きなスポットなのである。
一昨年、阿蘇の実家に一人で行った娘を、祖父母が連れていったのがうみたまご。
娘はそれがどんなに楽しかったかをよく語る。
今回も、冬休みに入るや、海ノ中道の水族館にも連れて行ってくれとせがまれていたのだ。
だから、今回の旅の計画に、娘の希望を取り込んでおいたのだった。
実は、さらに娘に内緒で、事前予約が必要な「バックヤードツアー」と「イワシエサやり体験」にも申し込んであるのだ。
ふっふっふ、仕掛けは万全だぜ。娘よ、喜ぶがいい。
車内で、持ってきておいた食材を朝ご飯にし、お昼に食べるお弁当を買って、いざ高崎山&うみたまごへ!
長い時間を過ごしたいのはうみたまごなので、先に高崎山へ向かった。
ちょうど、みぞれ混じりの雨がぱらぱら降って、天候としては万全とは言えない。
しかも強風で、本当に寒いのだった。
この山の猿たちと会うのも、ずいぶん久しぶりだ。野生の動物をこんなに間直に、しかも大量に見ることが出来る場所は、本当に貴重だ。
「ストーブ愛好会」と呼ばれる、火に当たる猿、ボスに失礼なことをして怒られる幼い子猿、見ていると本当に人間社会の鏡のようで面白い。時間を忘れてしまう。
1時間ほどで、高崎山一番のイベントタイム、エサやりがあって、それが終ると猿たちも山へ帰っていった。私たちも山を下りた。午後は天候が荒れ、山に上がっても猿が居ない状態らしかったので、これまた非常によいタイミングだった。
次は娘待望の、うみたまごである。
入場すると、娘は内部を覚えているのか、私を案内してくれる。
以前見たショーなどはもう見たからいいと興味をしめなさい。
やがて予約しておいたツアーの時間になったので、娘を集合場所に連れていった。
「なにするの?」と怪訝そうな娘に、「水族館のスタッフしか入れない、裏の方にいれてもらうんだよ。特別に。」と話すとぱっと顔を輝かせた。
別料金の為なのか、予約制のためなのか、天候が荒れているせいなのか、今回のバックヤードツアーの参加者は、なんと娘と私、それに別の親子のたった二組(4人)だけだった。
そのため、大水槽へのエサやりで、通常一人1パックづつ渡されるはずのエサが、一人12パックという大盤振る舞い状態になった。娘は動物にエサをやるのがこの上なく好きなので、これにはものすごく喜んでいた。顔には出さなかったが、実は本当にラッキーを喜んでいた。
死んだサメを抱っこさせてくれたり、ラッコのたべかすの貝がらをもらったり、コヅメカワウソと握手したり、トドに触ったりした。従業員しか入れないエリアを見ると、水族館という設備がどんなに大掛かりなのかがよくわかる。私自身も一緒に楽しんだ。コヅメカワウソの手が、柔らかくて本当に可愛いのには胸キュンものの感動。コヅメちゃん、イイです。
そのツアーが解散場所に到着し「解散」と同時に、次の「イワシえさやり体験・ぐるぐるイワシ」のコールがあった。
娘に「これも参加するよ!」とバラすと、娘は目をキラキラさせて喜んだ。
しかも、なんとこれは、参加者が娘だけだった。再度今もどってきたバックヤードに入り、イワシの水槽で、イワシにエサをあげた。イワシはエサが落ちてくると、それを食べようとして水槽の中で大きな渦巻き上になって泳ぐ。まるで洗濯機を上からみているように、きらきらといわしが回りつづけるのだ。ぐるぐるイワシという名前がついているのも納得である。
このイワシたち、娘がエサをあげたので、今日はもうエサをもらえないのだそうで、たぶんエサにありつけなかったイワシもいるのになあと、少し可哀相になってしまった。
自分だけが参加できた特別感で上機嫌の娘と、夕方すぎまで館内をのんびりと過ごすことにした。
せっかくきたのだから、十分満足するまで、ここで過ごそうと思った。
何しろ旅先なのだ。他にすべきことは何一つない。
イルカが、水槽近辺で見ている子供めがけて、ボールを投げてくるのにはつくづく感動した。
イルカは遊ぶ生き物だと知っていたけれど、人間を遊びに誘うなんて可愛過ぎる。娘はイルカとなんどかボール投げを交わすことに成功した。ショーでもないのに、ただ展示されている動物と触れ合えるなんて。イルカの自由意思で遊んでくれているわけだから、本当にすてきなことだ。
他にもペンギンのお散歩にも遭遇できたし、アシカとセイウチにも触ることが出来た。
うみたまごはの展示方法は素晴らしい。一日居て飽きない水族館だ。
娘がすっかり疲れて、満足したのを見て、「そろそろ出ようか」と水族館をあとにした。
公園にも水道はあるけれど雪が降る中、水で顔をあらうのは心臓に悪い。
そこで持ってきているウェットティッシュが活躍。
テキトーに化粧をして、車を出す。
旅先だと私を知っている人はいないのでテキトーでいいのが嬉しい。
24時間営業のマクドナルドに車を泊めて、自分一人で店内へ。
歯を磨いて、コーヒーを飲みつつ、昨日の記録を手帳に書き入れ、今日の予定を立てる。
早朝なのに、次々にお客がきて、景色のいい席から順に占領していく。
勉強を始める若者(そういえば受験シーズンだな)。
バイクで旅行しているのか、ライダースーツ姿の男性二人。
作業服の60代の男性。
パソコンに見入っては、手元の細かい表が書かれた紙に何かを一心に記入していく50代のサラリーマン。
当然といえば当然かもしれないが、女性客と若者はいない。
コーヒーをお代わりしながら、別府湾が朝になっていく様をのんびり眺めていた。
マクドで見る景色も、スギノイホテルで見る景色と同じ、悪くないものだ。
8時を過ぎてから、車に戻る。
「おーい、そろそろ起きないと、遊ぶ時間が減るよ」
と声を掛けると、娘はシャッキリと起きた。
「ママ、今日は水族館にいくんでしょ」
水族館「うみたまご」は娘の大好きなスポットなのである。
一昨年、阿蘇の実家に一人で行った娘を、祖父母が連れていったのがうみたまご。
娘はそれがどんなに楽しかったかをよく語る。
今回も、冬休みに入るや、海ノ中道の水族館にも連れて行ってくれとせがまれていたのだ。
だから、今回の旅の計画に、娘の希望を取り込んでおいたのだった。
実は、さらに娘に内緒で、事前予約が必要な「バックヤードツアー」と「イワシエサやり体験」にも申し込んであるのだ。
ふっふっふ、仕掛けは万全だぜ。娘よ、喜ぶがいい。
車内で、持ってきておいた食材を朝ご飯にし、お昼に食べるお弁当を買って、いざ高崎山&うみたまごへ!
長い時間を過ごしたいのはうみたまごなので、先に高崎山へ向かった。
ちょうど、みぞれ混じりの雨がぱらぱら降って、天候としては万全とは言えない。
しかも強風で、本当に寒いのだった。
この山の猿たちと会うのも、ずいぶん久しぶりだ。野生の動物をこんなに間直に、しかも大量に見ることが出来る場所は、本当に貴重だ。
「ストーブ愛好会」と呼ばれる、火に当たる猿、ボスに失礼なことをして怒られる幼い子猿、見ていると本当に人間社会の鏡のようで面白い。時間を忘れてしまう。
1時間ほどで、高崎山一番のイベントタイム、エサやりがあって、それが終ると猿たちも山へ帰っていった。私たちも山を下りた。午後は天候が荒れ、山に上がっても猿が居ない状態らしかったので、これまた非常によいタイミングだった。
次は娘待望の、うみたまごである。
入場すると、娘は内部を覚えているのか、私を案内してくれる。
以前見たショーなどはもう見たからいいと興味をしめなさい。
やがて予約しておいたツアーの時間になったので、娘を集合場所に連れていった。
「なにするの?」と怪訝そうな娘に、「水族館のスタッフしか入れない、裏の方にいれてもらうんだよ。特別に。」と話すとぱっと顔を輝かせた。
別料金の為なのか、予約制のためなのか、天候が荒れているせいなのか、今回のバックヤードツアーの参加者は、なんと娘と私、それに別の親子のたった二組(4人)だけだった。
そのため、大水槽へのエサやりで、通常一人1パックづつ渡されるはずのエサが、一人12パックという大盤振る舞い状態になった。娘は動物にエサをやるのがこの上なく好きなので、これにはものすごく喜んでいた。顔には出さなかったが、実は本当にラッキーを喜んでいた。
死んだサメを抱っこさせてくれたり、ラッコのたべかすの貝がらをもらったり、コヅメカワウソと握手したり、トドに触ったりした。従業員しか入れないエリアを見ると、水族館という設備がどんなに大掛かりなのかがよくわかる。私自身も一緒に楽しんだ。コヅメカワウソの手が、柔らかくて本当に可愛いのには胸キュンものの感動。コヅメちゃん、イイです。
そのツアーが解散場所に到着し「解散」と同時に、次の「イワシえさやり体験・ぐるぐるイワシ」のコールがあった。
娘に「これも参加するよ!」とバラすと、娘は目をキラキラさせて喜んだ。
しかも、なんとこれは、参加者が娘だけだった。再度今もどってきたバックヤードに入り、イワシの水槽で、イワシにエサをあげた。イワシはエサが落ちてくると、それを食べようとして水槽の中で大きな渦巻き上になって泳ぐ。まるで洗濯機を上からみているように、きらきらといわしが回りつづけるのだ。ぐるぐるイワシという名前がついているのも納得である。
このイワシたち、娘がエサをあげたので、今日はもうエサをもらえないのだそうで、たぶんエサにありつけなかったイワシもいるのになあと、少し可哀相になってしまった。
自分だけが参加できた特別感で上機嫌の娘と、夕方すぎまで館内をのんびりと過ごすことにした。
せっかくきたのだから、十分満足するまで、ここで過ごそうと思った。
何しろ旅先なのだ。他にすべきことは何一つない。
イルカが、水槽近辺で見ている子供めがけて、ボールを投げてくるのにはつくづく感動した。
イルカは遊ぶ生き物だと知っていたけれど、人間を遊びに誘うなんて可愛過ぎる。娘はイルカとなんどかボール投げを交わすことに成功した。ショーでもないのに、ただ展示されている動物と触れ合えるなんて。イルカの自由意思で遊んでくれているわけだから、本当にすてきなことだ。
他にもペンギンのお散歩にも遭遇できたし、アシカとセイウチにも触ることが出来た。
うみたまごはの展示方法は素晴らしい。一日居て飽きない水族館だ。
娘がすっかり疲れて、満足したのを見て、「そろそろ出ようか」と水族館をあとにした。
旅行の隠された目的。何故目的地が別府だったのか。
話は、私が20才のころにさかのぼる。
私はアメリカ留学から一時帰国して入院した。
それは一ヶ月以上続く微熱と倦怠感の症状で、アメリカの病院でガンの可能性を指摘されたからだった。ガンの治療は、医療保険に加入していないアメリカで受けると途方もない額になる。医者は、帰国して再度診察を受け、治療するよう勧めたのだ。事実上、留学のドクターストップだった。
帰国し、主治医に診察を受けると、ガンの可能性は否定されたが、やはり症状の原因は不明で、九州大学病院に一ヶ月入院することになった。
九州大学病院第二内科。それが私が入院した処だ。
そして、同じ病室で過ごした人たちとの、今でも忘れられない記憶がある。
同じ病室に、Kちゃんという女性がいた。
彼女は私より1、2才上くらいの、同年代の女性だった。
童顔で、小柄で色白で、痩せても太ってもいない可愛い人だった。
私は膠原病と診断されたが、彼女は脳腫瘍だった。
彼女の脳腫瘍は、脳の中心に近い部位にあり、しかもかなり大きいということで、いつ麻痺や痙攣が起きるか、最悪いつ死んでもおかしくないという重篤な状態だった。
年が近かったせいか、私たちは退屈な病院生活で仲よくなり、よくおしゃべりした。彼女は、病気になったために、婚約を破棄した直後だった。
私が退院したあと、Kちゃんも退院したと聞いた。
彼女は、外科的な手術では成功率が低いのでそれを拒否し、放射線治療を受けるために、地元の病院に自宅から通うことになったと聞いた。
Kちゃんの自宅は、大分、別府の鉄輪だった。
九州大学病院には、地方病院では手に負えなくなった難しい症例の患者が集められている。彼女もまた、遠く大分の病院から九州大学病院に入院してきていたのだ。
その後、アメリカに戻り、また日本に帰国してすぐ、Kちゃんに会いにいった。
可愛らしかった彼女の姿は、あまりにも変わり果てていた。
放射線の影響で髪の毛は抜け落ち、腫瘍のせいなのかそれとも薬の副作用なのか、手も足も顔もむくんでパンパンだった。太っているというより、風船を膨らませた感じといった方がわかりやすい。私は自分が受けたショックを、彼女に悟らせまいとすることに必死だった。
鉄輪の彼女の実家では、食堂を営んでいた。
自宅に泊めてもらい、近所を案内してくれた。
2日間一緒にいるうちに、私も落ち着き、今の姿が今の彼女なのだと受け入れることができた。
姿が変わってしまっても、彼女は彼女なのだった。
その言葉や声、まなざし、冗談は何も変わらなかった。私たちは、病院でいた時と同じようにいろいろおしゃべりして楽しく過ごした。
その後すぐ私は就職した。
入社間もなく、社員旅行があり、行き先はたまたま別府だったので、自由時間に連絡を取り合って、スギノイホテルのラウンジで再会した。ほんの30分程度だったが、私は彼女に会いたかった。彼女はさらにその姿が変わっていた。病気は、悪くなっているようだった。
いつ爆発するかわからない、脳の中の小さな爆弾と一緒に生きている彼女。
同年代の女性がごく当たり前に持っている幸せの大部分を、病の為に捨てざるを得なかった彼女。
一方私の方は、心は不健康でいつも苦しく、体も丈夫ではないけれど、普通に企業に就職し、恋愛もしている。彼女の人生と自分を対比するたびに、彼女が気の毒でならなかった。どうして人の人生と自分の人生は、取り換えてあげられないのだろうと。彼女に、数日でもいいから、自由な自分の人生を貸してあげられたらどんなにいいだろうかと、何度も思っていた。
その後、私は引越などで彼女の連絡先を無くし、20年以上、彼女との音信は完全に途絶えてしまった。けれど折りに触れ、彼女が今も生きているだろうかと、気にかけてきたのだった。
彼女は忘れられない人の一人だった。
今回の旅で、私は、Kちゃんを探してみようと思っていたのだ。
何とか無事にたどり着いた別府初日、私はネットで探した、Kちゃんの実家が営んでいた食堂と思われる食堂に向かったのだった。
娘にはそんな込み入った事情は、何も話さなかった。
ネットで調べた通りの店に到着したのは、17時過ぎだった。
店に明かりはともっておらず、準備中なのかもしれなかった。夜の営業は遅くとも18時には始まるだろうと、娘と雪の降る中、近所を散歩しながら、開店を待った。
18時を過ぎても、店に明かりはともらなかった。どうやら店休日らしかった。
ネットで調べた店休日は火曜日だが、年末なので変更したようだった。
「うーん仕方ないな、ここにはまた、明日来ようね!」
空腹で不機嫌になりそうなのを我慢している娘に明るく声をかけ、別の店を探しに車を出した。
娘のお腹はもう待てそうになく、口に入るなら何でもよさそうだったので、「何がいい?あっ、お寿司にする?」と目にした最初の看板を指すと娘の顔がぱっと元気になった。
すぐに店に入った。
やれやれ、せっかく別府にきてもチェーンの回転寿司かあ、
とがっかりしそうになったが、なんと別府湾の新鮮なネタが数多く用意されていて、非常に美味しかった。
娘は元々回転寿司ファンなので、二もなく大喜び。
二人で20皿を平らげてしまった。
普段なら取らない一貫盛りのお皿も、普段ならスルーの茶わん蒸しや赤だしも注文して、我が家でいう処の「暴れ食い」状態である。
ささやかではあるが、これは現在の我が家でもっとも贅沢と呼ばれる行為だ。
例え行き先が日頃と同じ回転寿司でも、日頃とはまったく違うお金の使い方なのである。
使うと決めたら、豊かな気分に貢献するお金は惜しまず使う。
これは長く貧乏生活を続けても心が枯れない為のコツのようなものだ。
二人でお腹一杯になり、贅沢気分で上機嫌になった。
さて、今日最後のイベントは、100円ショップでのお買い物。
ペンライトやガムテープを購入。
車に戻る。
温泉で温めた体はこんなに寒い日なのに、ずっとほかほかしている。
そして、お腹はイッパイに満たされている。
あとは寝るだけだ。
車を、公園の駐車場に泊める。
エンジンを切って、バックシートをすべてフラットにし、すべての窓ガラスを断熱シートで目張り。
ここでガムテープが活躍する訳だ。まっくらになった車内で、ペンライトを付けると、「いいねーー、ライフな感じ!!」と娘がよく分からない形容で喜びの声を上げる。
「ライフな感じってなんだ?」
「いいからいいから」
狭いけれど、すっかり寝室と化した車内。
寝袋と毛布で横になってみる。
「うーーん、いいねえ!!」
娘は大興奮で大喜びだ。
横になって、少しの間、明日の予定などを話していると、娘はすやすや眠ってしまった。
凍死しない温度かどうか、夜中に何度か起きて確かめたが、まったく寒くなく、朝まで休むことが出来た。開いていなかったお店のことは、また明日訪ねてみよう。そう思いながら、娘と過ごす明日のイベントを再度計画しなおしていた。
真冬の車内泊は大成功。思ったより寒くない。
実は贅沢なホテルに泊まるよりも、こういう貧乏旅が好きである。
狭い車内で、娘と二人だったからこそ、ワクワクする車内泊が実現した。
ここに夫がいたなら、スペースが足りないのでやむなく、安宿に転がり込むしかないわけだ。
大興奮の貧乏旅行初日は、こうして終った。
(長ーーいレポートですみません^_^;;
おつき合いありがとうございますです。まだまだ続きそうです)
話は、私が20才のころにさかのぼる。
私はアメリカ留学から一時帰国して入院した。
それは一ヶ月以上続く微熱と倦怠感の症状で、アメリカの病院でガンの可能性を指摘されたからだった。ガンの治療は、医療保険に加入していないアメリカで受けると途方もない額になる。医者は、帰国して再度診察を受け、治療するよう勧めたのだ。事実上、留学のドクターストップだった。
帰国し、主治医に診察を受けると、ガンの可能性は否定されたが、やはり症状の原因は不明で、九州大学病院に一ヶ月入院することになった。
九州大学病院第二内科。それが私が入院した処だ。
そして、同じ病室で過ごした人たちとの、今でも忘れられない記憶がある。
同じ病室に、Kちゃんという女性がいた。
彼女は私より1、2才上くらいの、同年代の女性だった。
童顔で、小柄で色白で、痩せても太ってもいない可愛い人だった。
私は膠原病と診断されたが、彼女は脳腫瘍だった。
彼女の脳腫瘍は、脳の中心に近い部位にあり、しかもかなり大きいということで、いつ麻痺や痙攣が起きるか、最悪いつ死んでもおかしくないという重篤な状態だった。
年が近かったせいか、私たちは退屈な病院生活で仲よくなり、よくおしゃべりした。彼女は、病気になったために、婚約を破棄した直後だった。
私が退院したあと、Kちゃんも退院したと聞いた。
彼女は、外科的な手術では成功率が低いのでそれを拒否し、放射線治療を受けるために、地元の病院に自宅から通うことになったと聞いた。
Kちゃんの自宅は、大分、別府の鉄輪だった。
九州大学病院には、地方病院では手に負えなくなった難しい症例の患者が集められている。彼女もまた、遠く大分の病院から九州大学病院に入院してきていたのだ。
その後、アメリカに戻り、また日本に帰国してすぐ、Kちゃんに会いにいった。
可愛らしかった彼女の姿は、あまりにも変わり果てていた。
放射線の影響で髪の毛は抜け落ち、腫瘍のせいなのかそれとも薬の副作用なのか、手も足も顔もむくんでパンパンだった。太っているというより、風船を膨らませた感じといった方がわかりやすい。私は自分が受けたショックを、彼女に悟らせまいとすることに必死だった。
鉄輪の彼女の実家では、食堂を営んでいた。
自宅に泊めてもらい、近所を案内してくれた。
2日間一緒にいるうちに、私も落ち着き、今の姿が今の彼女なのだと受け入れることができた。
姿が変わってしまっても、彼女は彼女なのだった。
その言葉や声、まなざし、冗談は何も変わらなかった。私たちは、病院でいた時と同じようにいろいろおしゃべりして楽しく過ごした。
その後すぐ私は就職した。
入社間もなく、社員旅行があり、行き先はたまたま別府だったので、自由時間に連絡を取り合って、スギノイホテルのラウンジで再会した。ほんの30分程度だったが、私は彼女に会いたかった。彼女はさらにその姿が変わっていた。病気は、悪くなっているようだった。
いつ爆発するかわからない、脳の中の小さな爆弾と一緒に生きている彼女。
同年代の女性がごく当たり前に持っている幸せの大部分を、病の為に捨てざるを得なかった彼女。
一方私の方は、心は不健康でいつも苦しく、体も丈夫ではないけれど、普通に企業に就職し、恋愛もしている。彼女の人生と自分を対比するたびに、彼女が気の毒でならなかった。どうして人の人生と自分の人生は、取り換えてあげられないのだろうと。彼女に、数日でもいいから、自由な自分の人生を貸してあげられたらどんなにいいだろうかと、何度も思っていた。
その後、私は引越などで彼女の連絡先を無くし、20年以上、彼女との音信は完全に途絶えてしまった。けれど折りに触れ、彼女が今も生きているだろうかと、気にかけてきたのだった。
彼女は忘れられない人の一人だった。
今回の旅で、私は、Kちゃんを探してみようと思っていたのだ。
何とか無事にたどり着いた別府初日、私はネットで探した、Kちゃんの実家が営んでいた食堂と思われる食堂に向かったのだった。
娘にはそんな込み入った事情は、何も話さなかった。
ネットで調べた通りの店に到着したのは、17時過ぎだった。
店に明かりはともっておらず、準備中なのかもしれなかった。夜の営業は遅くとも18時には始まるだろうと、娘と雪の降る中、近所を散歩しながら、開店を待った。
18時を過ぎても、店に明かりはともらなかった。どうやら店休日らしかった。
ネットで調べた店休日は火曜日だが、年末なので変更したようだった。
「うーん仕方ないな、ここにはまた、明日来ようね!」
空腹で不機嫌になりそうなのを我慢している娘に明るく声をかけ、別の店を探しに車を出した。
娘のお腹はもう待てそうになく、口に入るなら何でもよさそうだったので、「何がいい?あっ、お寿司にする?」と目にした最初の看板を指すと娘の顔がぱっと元気になった。
すぐに店に入った。
やれやれ、せっかく別府にきてもチェーンの回転寿司かあ、
とがっかりしそうになったが、なんと別府湾の新鮮なネタが数多く用意されていて、非常に美味しかった。
娘は元々回転寿司ファンなので、二もなく大喜び。
二人で20皿を平らげてしまった。
普段なら取らない一貫盛りのお皿も、普段ならスルーの茶わん蒸しや赤だしも注文して、我が家でいう処の「暴れ食い」状態である。
ささやかではあるが、これは現在の我が家でもっとも贅沢と呼ばれる行為だ。
例え行き先が日頃と同じ回転寿司でも、日頃とはまったく違うお金の使い方なのである。
使うと決めたら、豊かな気分に貢献するお金は惜しまず使う。
これは長く貧乏生活を続けても心が枯れない為のコツのようなものだ。
二人でお腹一杯になり、贅沢気分で上機嫌になった。
さて、今日最後のイベントは、100円ショップでのお買い物。
ペンライトやガムテープを購入。
車に戻る。
温泉で温めた体はこんなに寒い日なのに、ずっとほかほかしている。
そして、お腹はイッパイに満たされている。
あとは寝るだけだ。
車を、公園の駐車場に泊める。
エンジンを切って、バックシートをすべてフラットにし、すべての窓ガラスを断熱シートで目張り。
ここでガムテープが活躍する訳だ。まっくらになった車内で、ペンライトを付けると、「いいねーー、ライフな感じ!!」と娘がよく分からない形容で喜びの声を上げる。
「ライフな感じってなんだ?」
「いいからいいから」
狭いけれど、すっかり寝室と化した車内。
寝袋と毛布で横になってみる。
「うーーん、いいねえ!!」
娘は大興奮で大喜びだ。
横になって、少しの間、明日の予定などを話していると、娘はすやすや眠ってしまった。
凍死しない温度かどうか、夜中に何度か起きて確かめたが、まったく寒くなく、朝まで休むことが出来た。開いていなかったお店のことは、また明日訪ねてみよう。そう思いながら、娘と過ごす明日のイベントを再度計画しなおしていた。
真冬の車内泊は大成功。思ったより寒くない。
実は贅沢なホテルに泊まるよりも、こういう貧乏旅が好きである。
狭い車内で、娘と二人だったからこそ、ワクワクする車内泊が実現した。
ここに夫がいたなら、スペースが足りないのでやむなく、安宿に転がり込むしかないわけだ。
大興奮の貧乏旅行初日は、こうして終った。
(長ーーいレポートですみません^_^;;
おつき合いありがとうございますです。まだまだ続きそうです)
別府湾と湯けむりのあがる懐かしい町並みを眺めながら坂を下ると、すぐに「堀田温泉」を発見。
これこれ。温泉ですよ。温泉。
湯布院でお湯に入れなかったので、早速車を停める。
運転で疲れた体を温めて、休憩モードにしてあげたい。
堀田温泉は、新しい建物だけれど、地元の人が通う生活に密着したかんじの小さな温泉施設。
うんうん、いい感じではないですか。
娘と自分の体をさっさと洗って、湯船に浸かる。
いつも入るお風呂より温度が熱い。
「あ"ーーー」
お風呂ってどうしてこう言ってしまうのか?
娘は特に熱いお湯が苦手なので、なかなか湯船に体をつけることができない。
それでも「これが温泉だから。今日から毎日、このくらいの熱いお風呂に入るんだからね」と言い聞かせていたので、文句を言わずに頑張って浸かった。
露天風呂は室内風呂より少しぬるい。娘は露天がお気に入りだ。
二人で「本当に到着したよねえーー」としみじみしていると、空から雪が舞い落ちてきた。
「ああ、雪が降りはじめたねえ。よかったねえ、別府についてからで」
山の中で雪に見舞われていたら、吹雪だっただろうし、おそらく別府まで来られなかっただろう。引き返すことが出来ればまだマシ、最悪は福岡ー別府間のルート150キロの行程のどこかで行き詰まり、雪の中で車内に閉じこめられたかも知れない。
ギリギリの処で別府に到着できたなあと嬉しかった。
冒険だった。でもこれこそが旅。
そう思っていると、「ママ、本当に冒険だったね」
と娘が口にしたので「うん。でもママは楽しい」と答えた。
昔から、冒険が大好き。
先がどうなるかわからない。
計画通りには行かず、その都度やり直しになる。
でもそういう事の一つ一つが、生きている実感と直結する。
危険でも、ワクワクする、だから旅が好きだ。
娘はどうなんだろう。
「ママと冒険するの、楽しい?」
「うん。さっきはちょっと怖かったよ。でも楽しい。今はお腹減った」
さっきとは、車がノロノロ運転を続けた、凍結道路のあたりだろう。
私の真剣な様子にびびっていたに違いない。彼女の記憶に、この旅はどう記されるんだろう。
「よし、体がよく温まったら、次は美味しい御飯を食べる処を探そう。別府探検だよ」
すっかり体が温まって、駐車場に出ると、冷たい雪交じりの風が心地いい。娘が「みてー体から湯気がでてるーー」と笑った。
美味しいご飯を食べる場所…実は事前にそこへ行こうと決めていた食堂があった。
そこへ向けて、車を走らせた。別府の道路は、雪が降っても何の問題もなかった。
地面が暖かいので凍結知らずなのだ。
鉄輪の、とある個人食堂は地元では有名なお店だ。
私が、その食堂に行こうと決めていたのには、ある理由があった。
それは、ある人との、20年ぶりの再会を願って。
これこれ。温泉ですよ。温泉。
湯布院でお湯に入れなかったので、早速車を停める。
運転で疲れた体を温めて、休憩モードにしてあげたい。
堀田温泉は、新しい建物だけれど、地元の人が通う生活に密着したかんじの小さな温泉施設。
うんうん、いい感じではないですか。
娘と自分の体をさっさと洗って、湯船に浸かる。
いつも入るお風呂より温度が熱い。
「あ"ーーー」
お風呂ってどうしてこう言ってしまうのか?
娘は特に熱いお湯が苦手なので、なかなか湯船に体をつけることができない。
それでも「これが温泉だから。今日から毎日、このくらいの熱いお風呂に入るんだからね」と言い聞かせていたので、文句を言わずに頑張って浸かった。
露天風呂は室内風呂より少しぬるい。娘は露天がお気に入りだ。
二人で「本当に到着したよねえーー」としみじみしていると、空から雪が舞い落ちてきた。
「ああ、雪が降りはじめたねえ。よかったねえ、別府についてからで」
山の中で雪に見舞われていたら、吹雪だっただろうし、おそらく別府まで来られなかっただろう。引き返すことが出来ればまだマシ、最悪は福岡ー別府間のルート150キロの行程のどこかで行き詰まり、雪の中で車内に閉じこめられたかも知れない。
ギリギリの処で別府に到着できたなあと嬉しかった。
冒険だった。でもこれこそが旅。
そう思っていると、「ママ、本当に冒険だったね」
と娘が口にしたので「うん。でもママは楽しい」と答えた。
昔から、冒険が大好き。
先がどうなるかわからない。
計画通りには行かず、その都度やり直しになる。
でもそういう事の一つ一つが、生きている実感と直結する。
危険でも、ワクワクする、だから旅が好きだ。
娘はどうなんだろう。
「ママと冒険するの、楽しい?」
「うん。さっきはちょっと怖かったよ。でも楽しい。今はお腹減った」
さっきとは、車がノロノロ運転を続けた、凍結道路のあたりだろう。
私の真剣な様子にびびっていたに違いない。彼女の記憶に、この旅はどう記されるんだろう。
「よし、体がよく温まったら、次は美味しい御飯を食べる処を探そう。別府探検だよ」
すっかり体が温まって、駐車場に出ると、冷たい雪交じりの風が心地いい。娘が「みてー体から湯気がでてるーー」と笑った。
美味しいご飯を食べる場所…実は事前にそこへ行こうと決めていた食堂があった。
そこへ向けて、車を走らせた。別府の道路は、雪が降っても何の問題もなかった。
地面が暖かいので凍結知らずなのだ。
鉄輪の、とある個人食堂は地元では有名なお店だ。
私が、その食堂に行こうと決めていたのには、ある理由があった。
それは、ある人との、20年ぶりの再会を願って。
年末、夫は30日まで休めないというので、
せっかくの休み、娘と二人で貧乏旅行を企画した。
12月27日、車に寝袋と毛布を積み込んで、早朝に福岡出発!
今回の旅の最終目的地は別府。
旅のテーマは 「いかにお金を使わずに楽しむか」。
貧乏を楽しむ企画は得意中の得意なのである(笑)。
初日の27日の予定は阿蘇の実家へ寄り、休憩して九重、湯布院経由で別府まで行くことだ。
しかしこのタイミングで、寒波 猛烈襲来中〜!!
昨夜から雪が降り、背振山は真っ白になっている。
早朝だというのに、早めのUターンラッシュなのか?
どの道もものすごい渋滞。さっそく井尻付近で車列が動かない。
ノロノロ運転中、実家の阿蘇から電話が入る。
実家の前はすごい積雪で、車はまったく通行していない状態とのこと。
阿蘇に向かうルートも凍っているので非常に危険な状態ではないかと父が心配している。
「旅行はとりやめにして映画にでも行けばいいんじゃないのか。命かけて旅行することはない」
としきりに言う。
しかしいろんな予期せぬことに出会うことこそが旅である。
「うんうん、わかった、無理そうならあきらめるから」
と親をなだめるも、心の中で続行は決めている。
目的地にたどり着くことだけが旅ではないのだ。
「道路の路面状況や天候の様子を見ながら、行けるところまで行く」
ということに作戦変更。
阿蘇は通行できないほど積雪、ということは、当然九重はもっと積もっている。おそらく山越えのコースはこの車では無理だ。最低でもチェーンを装備しなければ無理だろうが、残念ながらチェーンを持ってきていない。
こうなればルートを大胆に変更だ。
阿蘇の実家に寄ることと、九重を行程から外し、朝倉から日田に向かって、大分入りを目指すのだ。
このルートにも山間部はあるが、実際に行ってみないと路面状況はわからない。
少なくとも九重ルートよりはたどり着ける可能性はある。
朝倉の田んぼは一面真っ白なふかふかの雪じゅうたんだ。
娘と二人、「きれいだねーーーー!!きゃほーー!」と絶叫しながら景色を楽しむ。
そう。こうして、一瞬ごとを楽しむことこそが、旅だ。
まさにいま、二人で、旅しているのだ。
周囲は家も田んぼも真っ白なのに、路面は乾いたアスファルトで何にも問題はなく走行できる。朝倉付近は渋滞もなく、安全速度でのんびりと進むことができた。
道の駅で休憩し、買い食い。地元の手作りおまんじゅうやパンなど楽しむ。
パンをもぐもぐしながら、「平地でこれほど積もっているから山越えは難しいかも知れないな…」と引き返す可能性を覚悟する。それでもいい。旅はやってみることそのものなのだから。
朝倉から、日田へ向けて出発。
ここからが、徐々に道は山に入っていく。
路面状況が変化するので注意しながら行くが、路面は濡れているものの凍結はなく、問題なし。
数時間後、あっけないほど順調に、水分峠まで到達した。
湯布院ICの側にある道の駅で休憩。
峠を無事に越えれば、経由地、湯布院だ。
九重ルート以外で湯布院に行くのは初めてだったので、脳内地図がすぐにはつながらず、ピンと来なかったが、「あ、ホントに湯布院に出たー」という感じで無事に湯布院に到着した。
湯布院は観光地化されているので、旅馴れていない人も滞在して楽しむことができる場所だ。
だが私はいつでもどこでも、観光地には興味がないのである。
湯布院なら何はともあれ、まずは温泉である。
本来ならば、湯布院で温泉に入る計画だったのだが、ここで2時間以上過ごすと、この後、山越えにさしかかる時刻が遅くなってしまう。午後遅くなれば気温が下がり、山道の危険が増すと判断した。
またまた、計画変更!
湯布院はスルーし、そのまま山へ突入だーー!
貧乏旅行なので当然、もとから有料道路は使わない予定だが、この天候であらゆる有料道路は通行止めになっている。11号線でそのまま別府目指して、山越え。湯布院から見上げる由布岳は、目前に高くそびえ、その真っ白な山の右側を目指して車はゆっくりと駆け上がっていく。
さすがに路面の端には雪が積もり、車の走行跡だけ雪が解けている状態だ。
この路面を踏んで、また山越えを断念し、別府目前で引き返す気配がちらつく。
一気に山越えが出来るほど馬力のある車ではないし、湯布院で止まらなかったので、中腹の展望台で一休み。積もった雪に大喜びの娘は、強い風のなか、車から降りて雪に駆け寄る。新しい柔らかな雪を素手で集め、小さな雪だるまを作って遊ぶ。
くうー、見ているだけで寒い!!
「しもやけになっちゃうよ、手冷たくないの??」
と呼びかけると元気にピースして見せる。
子供はやっぱりタフだな。
晴天とはいえないけれど丁度、晴れ間の空。
湯布院を眼下に望む雄大な景色。
吸い込む凍りついた風。
雪だるまと一緒に娘の写真をパチリ。
イェーイ、これも旅だよね!
よーし、山を越えるぞーーと気合いを入れて、再出発。
11号線は、セントレジャー城島高原パークの横を通る。
別府までもうあとほんの少しだ。
「ここねーパパとママがデートしたことある遊園地なんだよー。お砂糖壺に入ってるスプーンがあるでしょう。あれはその時にここで買ったものなんだよー。今度は三人で来ようね。スケート場もあるんだよ」なんて懐かしい思い出を娘にかたりながら通り過ぎ、鶴見岳が見えてきて、この峠を越えて下れば別府到着!という辺り。
突然、路面が真っ白に。
非常に危険な状況に突入!
山の陰で陽が差さない地域。
氷点下の強風が吹きすさび、路面のすべてが雪というより白い氷で凍りついている。
きゃーー危ないぞーー!
基本的にこんな天候で山越えにチャレンジしているお馬鹿はそう多くないらしく、同じ方向へ行く車も非常にまばらで、対向車もごくたまにすれ違う程度だが、どの車も一斉にスピードを落とし、超慎重モードになった。止まってしまう車さえある。
チェーンなしでこのまま行けるのか!?
緊張が走る。
のろのろと、人が速足で歩く程度の速度で車を進める。
周囲はまっしろな草原とやはりまっしろな斜面、そしてまっしろな木々が続く。
木々に積もった雪が、強風で舞い踊り、時々吹雪のように視野を塞ぐ。
はっ、と気づくと対向車が、こっちの走行車線上にいる!
うわ、逆走!?と思ったが、逆走車は無人で、停車しているのだ。
なんだよーびっくりしちゃったじゃないかーとノロノロ離合する。
内装革張り仕様の、かなりの高級車が、真っ白な路面に埋もれるように乗り捨て状態だ。
なんで逆走? なんで乗り捨て? 動かなくなったのかなあ?
どうやってこの現状から脱出したのかなあ。
この車に乗ってきた人は、どうしたんだろうなあ。
ここからこんな山の中から徒歩って、暖かい場所まで何キロもあるのになあ。
服装次第じゃ最悪凍死するよ。まだこの辺りに居たりするかも知れないなあ。
って…!
人のことを心配してる状況でもないのだ!
周囲に歩いている人がいないかを気にしつつも、自分たちも車を放棄して歩くはめにならないように、ドキドキ祈りながら車を進めつづける。
まだ行けるのか、行けるのか?
今ここで引き返すべきか、それとも行けるか?
一瞬ごとに気が抜けない。
と、急に視界が開け、別府湾が飛び込んできた。峠の頂上に到達したのだ。
そして同時に路面もまたアスファルトが顔を出した。
凍結地点を無事に通り抜けた!
「ほらー、別府だよー!着いたよー!」と娘に言うと
「ばんざーーい!」
二人でバンザイコールをしながら、最後の坂を下った。
せっかくの休み、娘と二人で貧乏旅行を企画した。
12月27日、車に寝袋と毛布を積み込んで、早朝に福岡出発!
今回の旅の最終目的地は別府。
旅のテーマは 「いかにお金を使わずに楽しむか」。
貧乏を楽しむ企画は得意中の得意なのである(笑)。
初日の27日の予定は阿蘇の実家へ寄り、休憩して九重、湯布院経由で別府まで行くことだ。
しかしこのタイミングで、寒波 猛烈襲来中〜!!
昨夜から雪が降り、背振山は真っ白になっている。
早朝だというのに、早めのUターンラッシュなのか?
どの道もものすごい渋滞。さっそく井尻付近で車列が動かない。
ノロノロ運転中、実家の阿蘇から電話が入る。
実家の前はすごい積雪で、車はまったく通行していない状態とのこと。
阿蘇に向かうルートも凍っているので非常に危険な状態ではないかと父が心配している。
「旅行はとりやめにして映画にでも行けばいいんじゃないのか。命かけて旅行することはない」
としきりに言う。
しかしいろんな予期せぬことに出会うことこそが旅である。
「うんうん、わかった、無理そうならあきらめるから」
と親をなだめるも、心の中で続行は決めている。
目的地にたどり着くことだけが旅ではないのだ。
「道路の路面状況や天候の様子を見ながら、行けるところまで行く」
ということに作戦変更。
阿蘇は通行できないほど積雪、ということは、当然九重はもっと積もっている。おそらく山越えのコースはこの車では無理だ。最低でもチェーンを装備しなければ無理だろうが、残念ながらチェーンを持ってきていない。
こうなればルートを大胆に変更だ。
阿蘇の実家に寄ることと、九重を行程から外し、朝倉から日田に向かって、大分入りを目指すのだ。
このルートにも山間部はあるが、実際に行ってみないと路面状況はわからない。
少なくとも九重ルートよりはたどり着ける可能性はある。
朝倉の田んぼは一面真っ白なふかふかの雪じゅうたんだ。
娘と二人、「きれいだねーーーー!!きゃほーー!」と絶叫しながら景色を楽しむ。
そう。こうして、一瞬ごとを楽しむことこそが、旅だ。
まさにいま、二人で、旅しているのだ。
周囲は家も田んぼも真っ白なのに、路面は乾いたアスファルトで何にも問題はなく走行できる。朝倉付近は渋滞もなく、安全速度でのんびりと進むことができた。
道の駅で休憩し、買い食い。地元の手作りおまんじゅうやパンなど楽しむ。
パンをもぐもぐしながら、「平地でこれほど積もっているから山越えは難しいかも知れないな…」と引き返す可能性を覚悟する。それでもいい。旅はやってみることそのものなのだから。
朝倉から、日田へ向けて出発。
ここからが、徐々に道は山に入っていく。
路面状況が変化するので注意しながら行くが、路面は濡れているものの凍結はなく、問題なし。
数時間後、あっけないほど順調に、水分峠まで到達した。
湯布院ICの側にある道の駅で休憩。
峠を無事に越えれば、経由地、湯布院だ。
九重ルート以外で湯布院に行くのは初めてだったので、脳内地図がすぐにはつながらず、ピンと来なかったが、「あ、ホントに湯布院に出たー」という感じで無事に湯布院に到着した。
湯布院は観光地化されているので、旅馴れていない人も滞在して楽しむことができる場所だ。
だが私はいつでもどこでも、観光地には興味がないのである。
湯布院なら何はともあれ、まずは温泉である。
本来ならば、湯布院で温泉に入る計画だったのだが、ここで2時間以上過ごすと、この後、山越えにさしかかる時刻が遅くなってしまう。午後遅くなれば気温が下がり、山道の危険が増すと判断した。
またまた、計画変更!
湯布院はスルーし、そのまま山へ突入だーー!
貧乏旅行なので当然、もとから有料道路は使わない予定だが、この天候であらゆる有料道路は通行止めになっている。11号線でそのまま別府目指して、山越え。湯布院から見上げる由布岳は、目前に高くそびえ、その真っ白な山の右側を目指して車はゆっくりと駆け上がっていく。
さすがに路面の端には雪が積もり、車の走行跡だけ雪が解けている状態だ。
この路面を踏んで、また山越えを断念し、別府目前で引き返す気配がちらつく。
一気に山越えが出来るほど馬力のある車ではないし、湯布院で止まらなかったので、中腹の展望台で一休み。積もった雪に大喜びの娘は、強い風のなか、車から降りて雪に駆け寄る。新しい柔らかな雪を素手で集め、小さな雪だるまを作って遊ぶ。
くうー、見ているだけで寒い!!
「しもやけになっちゃうよ、手冷たくないの??」
と呼びかけると元気にピースして見せる。
子供はやっぱりタフだな。
晴天とはいえないけれど丁度、晴れ間の空。
湯布院を眼下に望む雄大な景色。
吸い込む凍りついた風。
雪だるまと一緒に娘の写真をパチリ。
イェーイ、これも旅だよね!
よーし、山を越えるぞーーと気合いを入れて、再出発。
11号線は、セントレジャー城島高原パークの横を通る。
別府までもうあとほんの少しだ。
「ここねーパパとママがデートしたことある遊園地なんだよー。お砂糖壺に入ってるスプーンがあるでしょう。あれはその時にここで買ったものなんだよー。今度は三人で来ようね。スケート場もあるんだよ」なんて懐かしい思い出を娘にかたりながら通り過ぎ、鶴見岳が見えてきて、この峠を越えて下れば別府到着!という辺り。
突然、路面が真っ白に。
非常に危険な状況に突入!
山の陰で陽が差さない地域。
氷点下の強風が吹きすさび、路面のすべてが雪というより白い氷で凍りついている。
きゃーー危ないぞーー!
基本的にこんな天候で山越えにチャレンジしているお馬鹿はそう多くないらしく、同じ方向へ行く車も非常にまばらで、対向車もごくたまにすれ違う程度だが、どの車も一斉にスピードを落とし、超慎重モードになった。止まってしまう車さえある。
チェーンなしでこのまま行けるのか!?
緊張が走る。
のろのろと、人が速足で歩く程度の速度で車を進める。
周囲はまっしろな草原とやはりまっしろな斜面、そしてまっしろな木々が続く。
木々に積もった雪が、強風で舞い踊り、時々吹雪のように視野を塞ぐ。
はっ、と気づくと対向車が、こっちの走行車線上にいる!
うわ、逆走!?と思ったが、逆走車は無人で、停車しているのだ。
なんだよーびっくりしちゃったじゃないかーとノロノロ離合する。
内装革張り仕様の、かなりの高級車が、真っ白な路面に埋もれるように乗り捨て状態だ。
なんで逆走? なんで乗り捨て? 動かなくなったのかなあ?
どうやってこの現状から脱出したのかなあ。
この車に乗ってきた人は、どうしたんだろうなあ。
ここからこんな山の中から徒歩って、暖かい場所まで何キロもあるのになあ。
服装次第じゃ最悪凍死するよ。まだこの辺りに居たりするかも知れないなあ。
って…!
人のことを心配してる状況でもないのだ!
周囲に歩いている人がいないかを気にしつつも、自分たちも車を放棄して歩くはめにならないように、ドキドキ祈りながら車を進めつづける。
まだ行けるのか、行けるのか?
今ここで引き返すべきか、それとも行けるか?
一瞬ごとに気が抜けない。
と、急に視界が開け、別府湾が飛び込んできた。峠の頂上に到達したのだ。
そして同時に路面もまたアスファルトが顔を出した。
凍結地点を無事に通り抜けた!
「ほらー、別府だよー!着いたよー!」と娘に言うと
「ばんざーーい!」
二人でバンザイコールをしながら、最後の坂を下った。
ブログを一ヶ月以上も更新しなかったのは 初めて…かな?
ご無沙汰してます。元気でーす。
12月、どういうわけか、これまでにないほどネットから遠ざかっていました。意図的にそうしようとした訳ではなく、全然ネットにアクセスしなかったのです。これは不思議なことが起きました。
インターネットが生まれたときにはすでにパソコンで仕事していましたから、パソコンに触れれば息をするようにネットチェックをするのが自然なことなのですが、この音信不通期間は、パソコンにも必要最低限しか触れませんでした。
そうするとわかったこと。
私は、知らないうちに、自覚の無いネット依存症だったのです。
その依存症が、唐突に、この一ヶ月間、治っていたわけです。
だからごく自然にネットにアクセスしなかったという訳です。
どうしてそう思うかって?
だって、この一ヶ月ちょっと、私はネットなしで、とてもとても、快適な毎日を過ごしていたのです。ああ、情報が少ないのって、本当に快適。
ネットの中には、世界の誰かのつぶやき、各地で起きている事件、今流行していること、社会問題、etc,etc…溢れるほどの情報が詰まっています。そしてその情報は、たしかに価値や意味のあることなんだけれど、実は生身の自分にとって直接的ではないことばかり、つまり…ほとんど「概念」なのです。
ネットの情報を得れば得るほど、現実ではなく「概念」で頭の中が一杯になります。
私たちは、概念の中に生きているんじゃない。
頭の中に意識がくぎ付けになると、目の前の生活の実感がどんどん伝わらなくなるのです。
この一ヶ月ちょっと、私は日々のなんでもない生活を実感し、その感覚を十分に感じ、心は安定して、すごく快適だったのです。それは、ネットにつながっていなかったから。
お洗濯をし、洗い上がりの柔軟剤のいい匂いを胸いっぱいに吸い込んで。
犬を撫でて、ブラシをかけて、おもちゃで遊んであげて、笑ったり。
野菜を洗って、切って、お料理して。
出しっ放しのものを片づけて、掃除機をかけて、ゆかを水拭きして、要らないものを捨てて。
クリスマスの準備、プレゼントやパーティの支度。
お正月の買い物にでかけ、お屠蘇を仕込んで、おせちを用意。
わあ、すごい青い空!さむーーーいっ!!冬だ冬だ!
部屋に こたつが欲しいなあー。
そんなことで心がいっぱいになる、幸せと安心感。
日々の生活から伝わってくる一つ一つの経験の感覚。
それに浸っていられたのは、間違いなくネットの情報を無意識に断っていたからです。
生活に軸足をおくことは、なんと穏やかで安心できることか。
私はそれを感じる一ヶ月を送っていました。
確かに、社会や世界で起きていること、考えるべきこと、知るべきことはたくさんあります。けれど知らないうちに、私たちはネットという膨大な情報の海に呑まれ、洗脳され、それが無かった時代を忘れつつあるのではないでしょうか。
ほんの20年前、インターネットという情報網は一般家庭にはありませんでした。
400年前まで、世の中には新聞さえありませんでした。
情報には確かに価値があります。しかし、自分がしらずしらずにその情報に頭を占領され、振り回されて生きているのかもしれないという事には、なお一層、気づきにくい世の中になってしまいました。
以前の私は、ネットにアクセスしない日はなかった。それはアクセスしないと何だかなにかをし忘れているような落ち着かない感じがしたからです。重要な情報を見落としているかもしれない、人から重要な連絡がきているかもしれない、そんな感じです。
でも、この一ヶ月は、例え重要な知らせを知ることが遅くなったとしても、世の中の出来事を知らなかったとしても、気にならなかったのです。だって、よく考えてみれば、ほんの少し前は、そんなことはよくあることだったのですから。
メールの返事が遅いといってイライラするなんて…
テクノロジーに振り回されてる本当に愚かな姿!
これからは、100年前の生活をモデルにして、自分のライフスタイルをデザインしていこうと思います。
ネット依存には気をつけながら…
気をつけても自然と汚染されるものだと思うので、ときには意図的に遮断する必要がありそう。
テレビを消して過ごす。
電気を消してロウソクにしてみる。
車を使わず、歩いて行ける場所だけで過ごしてみる。
電子レンジを使わないですごしてみる。
そして、ネットを断ってみる。
当たり前にある、便利な道具たちを、「意図的に使わないでいる」ことも出来るのだと、思い出すのは大切なことなのかも知れません。
ご無沙汰してます。元気でーす。
12月、どういうわけか、これまでにないほどネットから遠ざかっていました。意図的にそうしようとした訳ではなく、全然ネットにアクセスしなかったのです。これは不思議なことが起きました。
インターネットが生まれたときにはすでにパソコンで仕事していましたから、パソコンに触れれば息をするようにネットチェックをするのが自然なことなのですが、この音信不通期間は、パソコンにも必要最低限しか触れませんでした。
そうするとわかったこと。
私は、知らないうちに、自覚の無いネット依存症だったのです。
その依存症が、唐突に、この一ヶ月間、治っていたわけです。
だからごく自然にネットにアクセスしなかったという訳です。
どうしてそう思うかって?
だって、この一ヶ月ちょっと、私はネットなしで、とてもとても、快適な毎日を過ごしていたのです。ああ、情報が少ないのって、本当に快適。
ネットの中には、世界の誰かのつぶやき、各地で起きている事件、今流行していること、社会問題、etc,etc…溢れるほどの情報が詰まっています。そしてその情報は、たしかに価値や意味のあることなんだけれど、実は生身の自分にとって直接的ではないことばかり、つまり…ほとんど「概念」なのです。
ネットの情報を得れば得るほど、現実ではなく「概念」で頭の中が一杯になります。
私たちは、概念の中に生きているんじゃない。
頭の中に意識がくぎ付けになると、目の前の生活の実感がどんどん伝わらなくなるのです。
この一ヶ月ちょっと、私は日々のなんでもない生活を実感し、その感覚を十分に感じ、心は安定して、すごく快適だったのです。それは、ネットにつながっていなかったから。
お洗濯をし、洗い上がりの柔軟剤のいい匂いを胸いっぱいに吸い込んで。
犬を撫でて、ブラシをかけて、おもちゃで遊んであげて、笑ったり。
野菜を洗って、切って、お料理して。
出しっ放しのものを片づけて、掃除機をかけて、ゆかを水拭きして、要らないものを捨てて。
クリスマスの準備、プレゼントやパーティの支度。
お正月の買い物にでかけ、お屠蘇を仕込んで、おせちを用意。
わあ、すごい青い空!さむーーーいっ!!冬だ冬だ!
部屋に こたつが欲しいなあー。
そんなことで心がいっぱいになる、幸せと安心感。
日々の生活から伝わってくる一つ一つの経験の感覚。
それに浸っていられたのは、間違いなくネットの情報を無意識に断っていたからです。
生活に軸足をおくことは、なんと穏やかで安心できることか。
私はそれを感じる一ヶ月を送っていました。
確かに、社会や世界で起きていること、考えるべきこと、知るべきことはたくさんあります。けれど知らないうちに、私たちはネットという膨大な情報の海に呑まれ、洗脳され、それが無かった時代を忘れつつあるのではないでしょうか。
ほんの20年前、インターネットという情報網は一般家庭にはありませんでした。
400年前まで、世の中には新聞さえありませんでした。
情報には確かに価値があります。しかし、自分がしらずしらずにその情報に頭を占領され、振り回されて生きているのかもしれないという事には、なお一層、気づきにくい世の中になってしまいました。
以前の私は、ネットにアクセスしない日はなかった。それはアクセスしないと何だかなにかをし忘れているような落ち着かない感じがしたからです。重要な情報を見落としているかもしれない、人から重要な連絡がきているかもしれない、そんな感じです。
でも、この一ヶ月は、例え重要な知らせを知ることが遅くなったとしても、世の中の出来事を知らなかったとしても、気にならなかったのです。だって、よく考えてみれば、ほんの少し前は、そんなことはよくあることだったのですから。
メールの返事が遅いといってイライラするなんて…
テクノロジーに振り回されてる本当に愚かな姿!
これからは、100年前の生活をモデルにして、自分のライフスタイルをデザインしていこうと思います。
ネット依存には気をつけながら…
気をつけても自然と汚染されるものだと思うので、ときには意図的に遮断する必要がありそう。
テレビを消して過ごす。
電気を消してロウソクにしてみる。
車を使わず、歩いて行ける場所だけで過ごしてみる。
電子レンジを使わないですごしてみる。
そして、ネットを断ってみる。
当たり前にある、便利な道具たちを、「意図的に使わないでいる」ことも出来るのだと、思い出すのは大切なことなのかも知れません。
相変わらずのんびりと主婦しています。
夫から郵便局で振込をしておいてと頼まれて
テクテク道を歩いていると
突然後ろから「ちょっとすみません」と声をかけられた。
びっくりして振り向くと70歳くらいの女性が。
「社会保険事務所はどこですかねえ。ずいぶん歩いて探し
回ったけどわからなくて」
私もその近所まで用事がありますから、そこまで一緒に行
きましょうかと答えて、またテクテク歩いて案内した。
彼女はお礼を言って目の前の社会保険事務所に入っていっ
た。私は郵便局で用を済ませ、隣の八百屋さんと少しおし
ゃべり。
煎じて飲むと薬になるという、能古ノ島の珍しい野草を
買って、スーパーへ。
それからすぐ近くの小さなパン屋さんの隣の不動産屋さん
の窓に張られているはり紙を見ていた。
すると、パン屋さんの前に大きな4WD車が停まり、とっ
ても小さな女性が降りてきて後部座席から10ヶ月くらい
の赤ちゃんを抱いて降ろし、パン屋さんに入っていった。
私はそれを脇目で見ながら、また不動産情報に目を通して
いた。
今度は、二人の人が歩いてきて、なにやら路上をメジャー
で測りはじめた。その二人の服装を脇目で見るとどうやら
民間委託の駐車違反取り締まり員だ。
私は何食わぬ顔をしてパン屋さんに入り、若くて小さな体
のお母さんに「路駐取り締まりがすぐそこに来てますよ。
車に戻った方がいいですよ」と告げた。
お母さんは赤ちゃんを店の人に抱いてもらい、血相を変え
て店の外に出て、車に飛び乗った。
店の人が慌てて追いかけ、赤ちゃんを車の中の彼女に渡す。
すると取り締まり員が「そこは駐車禁止ですからね!法律
違反なんですからね!」と大声で注意。
車はすぐに発進した。
お母さん、きっと嫌な思いをしたね。
でも罰金を取られるよりマシだったかな。
私はテクテク、また家に戻った。
歩きながら、どうして私は知らん顔しないのかなと思う。
すぐに思い出すのは、父親の行動だった。
父はいつも、どこでも、人が困っていたり困りそうな状況
を見ると放っておかなかった。
相手が男でも女でも子供でも年寄りでも、まったくの見ず
知らぬの人に小さな親切(または大きなお世話)をいつで
もする人なのだった。私は父のそういう行為を、数限りな
く見てきた。
私は、父からそういう部分を受け継いだのだろう。
そして次に頭に浮かぶのは、母の苦々しい顔と、「よその
人でしょ?関係ないでしょ?余計なことばっかり!」と父
をなじる声。
母は何故、父の良い部分を認めてあげなかったのだろうか。
他人に親切にすることを、母はどうしてあんなに嫌がった
のだろう。父は、母に認められない悲しみを、どうやって
耐えたのだろうか。
可哀相な父。可哀相な父。
そんなことをつらつら考えながら、家にテクテク戻った。
人に親切にする、ということは、必ずしもいつも成功する
とは限らない。
自分がよかれとおもってする事は、相手が喜ぶとも限らず、
相手の為になるとも限らず、相手が望んでいるとも限らな
いのだから。
相手の事はわからない。
だからと言って、赤の他人に、「あなたは今何をして欲し
いですか」なんてイチイチ聞いて親切にするなんて、気持
ちの悪い真似をすることは出来ない。
だから、リスクがあるのだけれど、自分の頭で考えて、
自分だったらこうなら嬉しいかもなあ、というようなこと
を基準に、余計なことかもしれないことをしてみるしかな
いのだ。
私は、親切というのは、もともとおせっかいと紙一重だと
思って諦めている。
だから取り合えず自分の思う中で、相手の為になると思う
ことをやってみる。そしてそれが失敗なら、「ごめんなさ
い」と言う。それでやっていけばいいんじゃないかと、乱
暴かもしれないけど、そう思っている。
いいじゃないか。
人間関係に失敗しても。
その時のために、「ごめんなさい」という言葉を発明して
あるんだから。
夫から郵便局で振込をしておいてと頼まれて
テクテク道を歩いていると
突然後ろから「ちょっとすみません」と声をかけられた。
びっくりして振り向くと70歳くらいの女性が。
「社会保険事務所はどこですかねえ。ずいぶん歩いて探し
回ったけどわからなくて」
私もその近所まで用事がありますから、そこまで一緒に行
きましょうかと答えて、またテクテク歩いて案内した。
彼女はお礼を言って目の前の社会保険事務所に入っていっ
た。私は郵便局で用を済ませ、隣の八百屋さんと少しおし
ゃべり。
煎じて飲むと薬になるという、能古ノ島の珍しい野草を
買って、スーパーへ。
それからすぐ近くの小さなパン屋さんの隣の不動産屋さん
の窓に張られているはり紙を見ていた。
すると、パン屋さんの前に大きな4WD車が停まり、とっ
ても小さな女性が降りてきて後部座席から10ヶ月くらい
の赤ちゃんを抱いて降ろし、パン屋さんに入っていった。
私はそれを脇目で見ながら、また不動産情報に目を通して
いた。
今度は、二人の人が歩いてきて、なにやら路上をメジャー
で測りはじめた。その二人の服装を脇目で見るとどうやら
民間委託の駐車違反取り締まり員だ。
私は何食わぬ顔をしてパン屋さんに入り、若くて小さな体
のお母さんに「路駐取り締まりがすぐそこに来てますよ。
車に戻った方がいいですよ」と告げた。
お母さんは赤ちゃんを店の人に抱いてもらい、血相を変え
て店の外に出て、車に飛び乗った。
店の人が慌てて追いかけ、赤ちゃんを車の中の彼女に渡す。
すると取り締まり員が「そこは駐車禁止ですからね!法律
違反なんですからね!」と大声で注意。
車はすぐに発進した。
お母さん、きっと嫌な思いをしたね。
でも罰金を取られるよりマシだったかな。
私はテクテク、また家に戻った。
歩きながら、どうして私は知らん顔しないのかなと思う。
すぐに思い出すのは、父親の行動だった。
父はいつも、どこでも、人が困っていたり困りそうな状況
を見ると放っておかなかった。
相手が男でも女でも子供でも年寄りでも、まったくの見ず
知らぬの人に小さな親切(または大きなお世話)をいつで
もする人なのだった。私は父のそういう行為を、数限りな
く見てきた。
私は、父からそういう部分を受け継いだのだろう。
そして次に頭に浮かぶのは、母の苦々しい顔と、「よその
人でしょ?関係ないでしょ?余計なことばっかり!」と父
をなじる声。
母は何故、父の良い部分を認めてあげなかったのだろうか。
他人に親切にすることを、母はどうしてあんなに嫌がった
のだろう。父は、母に認められない悲しみを、どうやって
耐えたのだろうか。
可哀相な父。可哀相な父。
そんなことをつらつら考えながら、家にテクテク戻った。
人に親切にする、ということは、必ずしもいつも成功する
とは限らない。
自分がよかれとおもってする事は、相手が喜ぶとも限らず、
相手の為になるとも限らず、相手が望んでいるとも限らな
いのだから。
相手の事はわからない。
だからと言って、赤の他人に、「あなたは今何をして欲し
いですか」なんてイチイチ聞いて親切にするなんて、気持
ちの悪い真似をすることは出来ない。
だから、リスクがあるのだけれど、自分の頭で考えて、
自分だったらこうなら嬉しいかもなあ、というようなこと
を基準に、余計なことかもしれないことをしてみるしかな
いのだ。
私は、親切というのは、もともとおせっかいと紙一重だと
思って諦めている。
だから取り合えず自分の思う中で、相手の為になると思う
ことをやってみる。そしてそれが失敗なら、「ごめんなさ
い」と言う。それでやっていけばいいんじゃないかと、乱
暴かもしれないけど、そう思っている。
いいじゃないか。
人間関係に失敗しても。
その時のために、「ごめんなさい」という言葉を発明して
あるんだから。
日曜日、娘と思い出作りにと、秋月まで紅葉を見に行ってきました。
ちょうどイベントをやっていた為か、結構な人出。車も渋滞です。
秋月はもう10年ほどまえ、平日に行ったきりでした。
その時はほとんど人も居なかったために閑散としていて、どこか物
悲しい感じだったのですが、この日は秋月城址の石畳には大勢の人、
猿回しや出店があり、武者行列も行われたりしてとても賑やか。
晴の日という感じでした。
そして、紅葉のきれいなこと。
今年の紅葉は、夏の猛烈な暑さのせいで、赤くなる前に枯れてしまう
という異常な現象が各地で起きているそうですが、秋月の紅葉は無事
でした。
なにより美しかったのはもみじ。
木に付いている葉の全部が赤いのではなく、上から下にかけて、赤、
黄、緑へと見事なグラデーションになっていて、まるで虹がそこに実
体化したかのようでした。
こんなもみじは初めて出合いました。
そして巨大な銀杏の大木が二本並んで立っている姿には、絵画の中に
吸い込まれたような気持ちになりました。
つくづく、自然というのは美しい。
風が吹くと黄色の銀杏の葉、赤のもみじの葉が景色を斜めに横切って
舞い躍ります。そして地面にはそれらが降り積もった天然の敷物。
遠景の山の稜線。
青く雲のない空。
稲が刈り取られた田。
黄色や赤に色づいた鮮やかな木。
葉の落ちた枝だけの桜の並木。
何百年も前の人が作った石畳と城跡。
自分の一生分を遥かに越えた長い長い時を感じます。
山の中にぽつんとある、小さな人里、秋月。
とても日本的だと思いました。
公開されている武家屋敷を見て、秋月で勤務した黒田藩の武士がど
んな生活を営んでいたかが想像されました。
表の間と奥の間、そして表の板の間と中の板の間。間取りで言えば
2DK+SSといった処でしょうか。
コンパクトで質素な暮らしぶりが目に浮かびます。
間もなく公開の楽しみにしている映画、「武士の家計簿」を思い起
こしながらここに自分が住んだらどんなだろうと楽しく想像してい
ました。
そんな感慨にふけりつつ散策していると、いくつかみえる「売り地」
「売り家」の看板。その度に頭がハッと現実的になります。
いくらなのかな〜。ここに移り住んだら、何をして暮らすのかな〜。
収入はどうするかな〜。観光客相手に、お店でもする?
商売として成立するのだろうか?生活できる?
なんて考えていました。
秋月。こんなに福岡市街地に近いけれど、十分田舎です。
福岡って意外に広いなあと、旅するたびに思うのです。
ちょうどイベントをやっていた為か、結構な人出。車も渋滞です。
秋月はもう10年ほどまえ、平日に行ったきりでした。
その時はほとんど人も居なかったために閑散としていて、どこか物
悲しい感じだったのですが、この日は秋月城址の石畳には大勢の人、
猿回しや出店があり、武者行列も行われたりしてとても賑やか。
晴の日という感じでした。
そして、紅葉のきれいなこと。
今年の紅葉は、夏の猛烈な暑さのせいで、赤くなる前に枯れてしまう
という異常な現象が各地で起きているそうですが、秋月の紅葉は無事
でした。
なにより美しかったのはもみじ。
木に付いている葉の全部が赤いのではなく、上から下にかけて、赤、
黄、緑へと見事なグラデーションになっていて、まるで虹がそこに実
体化したかのようでした。
こんなもみじは初めて出合いました。
そして巨大な銀杏の大木が二本並んで立っている姿には、絵画の中に
吸い込まれたような気持ちになりました。
つくづく、自然というのは美しい。
風が吹くと黄色の銀杏の葉、赤のもみじの葉が景色を斜めに横切って
舞い躍ります。そして地面にはそれらが降り積もった天然の敷物。
遠景の山の稜線。
青く雲のない空。
稲が刈り取られた田。
黄色や赤に色づいた鮮やかな木。
葉の落ちた枝だけの桜の並木。
何百年も前の人が作った石畳と城跡。
自分の一生分を遥かに越えた長い長い時を感じます。
山の中にぽつんとある、小さな人里、秋月。
とても日本的だと思いました。
公開されている武家屋敷を見て、秋月で勤務した黒田藩の武士がど
んな生活を営んでいたかが想像されました。
表の間と奥の間、そして表の板の間と中の板の間。間取りで言えば
2DK+SSといった処でしょうか。
コンパクトで質素な暮らしぶりが目に浮かびます。
間もなく公開の楽しみにしている映画、「武士の家計簿」を思い起
こしながらここに自分が住んだらどんなだろうと楽しく想像してい
ました。
そんな感慨にふけりつつ散策していると、いくつかみえる「売り地」
「売り家」の看板。その度に頭がハッと現実的になります。
いくらなのかな〜。ここに移り住んだら、何をして暮らすのかな〜。
収入はどうするかな〜。観光客相手に、お店でもする?
商売として成立するのだろうか?生活できる?
なんて考えていました。
秋月。こんなに福岡市街地に近いけれど、十分田舎です。
福岡って意外に広いなあと、旅するたびに思うのです。
今週はどういう訳か新しいクライエントさんが立て続けにやってきて多忙です。
鳥栖への出張もあるので、なかなかやることが多く。
今回、鳥栖で依頼されたクラスがもう…ほんとに大変です。
なにしろ、生活支援給付金付きの講習会の一部に、傾聴を取り込みたいという依頼なのです。しかも、その内容を知らせてくれたのは、引き受けたあと。
これまで、傾聴講習会は、傾聴に興味があって、学びたい人に向けて行なってきました。
今回のはそれとは違って、受講者は別に傾聴に興味がある訳ではなく、ただカリキュラムに組み込まれてるから仕方なく授業を受けているという状態なのです。
これはもう…意欲が最初から低いわけですから、今まで通り教えても、ついてこられない。
意欲を持たせることから始めなければならないのですから、話す内容が全部変わります。
でも、これは私のチャレンジです。
何の関心もない18人から、一体何名に学び取らせることができるのか。
教えるものとしての力が試されている訳ですから、頑張ろうと前向きにとらえています。
腕組みして堂々と寝る人も何人もいるなか、一回目が終りました。
感想文をみるとやはり経験したことのない、内容の薄さを感じます。
その中に数名、「とても面白かった」「納得した。次回が楽しみ」という言葉を書いてくれた人がいました。ここからスタートです。たった一人でも、必要としている人がいるなら、その人に向けて真剣に話します。何人が寝ようとも、一人聞いてくれる人がいるなら、心を込めて話すのはたやすいことです。
「カウンセラーとかいうひとが、今の社会をだめにしているとおもう。甘やかして病名をつけて、その人を調子に乗らせている。そういう人には厳しい言葉が必要だ」という感想もありました。
これに明日は答えなければなりません。こういう無理解な人は、普通傾聴の講座には最初から来ませんから、このような意見を読むのは初めてかもしれません。
楽しみです。
こういう意味での逆境はワクワクします。
鳥栖への出張もあるので、なかなかやることが多く。
今回、鳥栖で依頼されたクラスがもう…ほんとに大変です。
なにしろ、生活支援給付金付きの講習会の一部に、傾聴を取り込みたいという依頼なのです。しかも、その内容を知らせてくれたのは、引き受けたあと。
これまで、傾聴講習会は、傾聴に興味があって、学びたい人に向けて行なってきました。
今回のはそれとは違って、受講者は別に傾聴に興味がある訳ではなく、ただカリキュラムに組み込まれてるから仕方なく授業を受けているという状態なのです。
これはもう…意欲が最初から低いわけですから、今まで通り教えても、ついてこられない。
意欲を持たせることから始めなければならないのですから、話す内容が全部変わります。
でも、これは私のチャレンジです。
何の関心もない18人から、一体何名に学び取らせることができるのか。
教えるものとしての力が試されている訳ですから、頑張ろうと前向きにとらえています。
腕組みして堂々と寝る人も何人もいるなか、一回目が終りました。
感想文をみるとやはり経験したことのない、内容の薄さを感じます。
その中に数名、「とても面白かった」「納得した。次回が楽しみ」という言葉を書いてくれた人がいました。ここからスタートです。たった一人でも、必要としている人がいるなら、その人に向けて真剣に話します。何人が寝ようとも、一人聞いてくれる人がいるなら、心を込めて話すのはたやすいことです。
「カウンセラーとかいうひとが、今の社会をだめにしているとおもう。甘やかして病名をつけて、その人を調子に乗らせている。そういう人には厳しい言葉が必要だ」という感想もありました。
これに明日は答えなければなりません。こういう無理解な人は、普通傾聴の講座には最初から来ませんから、このような意見を読むのは初めてかもしれません。
楽しみです。
こういう意味での逆境はワクワクします。