2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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ブログを一ヶ月以上も更新しなかったのは 初めて…かな?
ご無沙汰してます。元気でーす。
12月、どういうわけか、これまでにないほどネットから遠ざかっていました。意図的にそうしようとした訳ではなく、全然ネットにアクセスしなかったのです。これは不思議なことが起きました。
インターネットが生まれたときにはすでにパソコンで仕事していましたから、パソコンに触れれば息をするようにネットチェックをするのが自然なことなのですが、この音信不通期間は、パソコンにも必要最低限しか触れませんでした。
そうするとわかったこと。
私は、知らないうちに、自覚の無いネット依存症だったのです。
その依存症が、唐突に、この一ヶ月間、治っていたわけです。
だからごく自然にネットにアクセスしなかったという訳です。
どうしてそう思うかって?
だって、この一ヶ月ちょっと、私はネットなしで、とてもとても、快適な毎日を過ごしていたのです。ああ、情報が少ないのって、本当に快適。
ネットの中には、世界の誰かのつぶやき、各地で起きている事件、今流行していること、社会問題、etc,etc…溢れるほどの情報が詰まっています。そしてその情報は、たしかに価値や意味のあることなんだけれど、実は生身の自分にとって直接的ではないことばかり、つまり…ほとんど「概念」なのです。
ネットの情報を得れば得るほど、現実ではなく「概念」で頭の中が一杯になります。
私たちは、概念の中に生きているんじゃない。
頭の中に意識がくぎ付けになると、目の前の生活の実感がどんどん伝わらなくなるのです。
この一ヶ月ちょっと、私は日々のなんでもない生活を実感し、その感覚を十分に感じ、心は安定して、すごく快適だったのです。それは、ネットにつながっていなかったから。
お洗濯をし、洗い上がりの柔軟剤のいい匂いを胸いっぱいに吸い込んで。
犬を撫でて、ブラシをかけて、おもちゃで遊んであげて、笑ったり。
野菜を洗って、切って、お料理して。
出しっ放しのものを片づけて、掃除機をかけて、ゆかを水拭きして、要らないものを捨てて。
クリスマスの準備、プレゼントやパーティの支度。
お正月の買い物にでかけ、お屠蘇を仕込んで、おせちを用意。
わあ、すごい青い空!さむーーーいっ!!冬だ冬だ!
部屋に こたつが欲しいなあー。
そんなことで心がいっぱいになる、幸せと安心感。
日々の生活から伝わってくる一つ一つの経験の感覚。
それに浸っていられたのは、間違いなくネットの情報を無意識に断っていたからです。
生活に軸足をおくことは、なんと穏やかで安心できることか。
私はそれを感じる一ヶ月を送っていました。
確かに、社会や世界で起きていること、考えるべきこと、知るべきことはたくさんあります。けれど知らないうちに、私たちはネットという膨大な情報の海に呑まれ、洗脳され、それが無かった時代を忘れつつあるのではないでしょうか。
ほんの20年前、インターネットという情報網は一般家庭にはありませんでした。
400年前まで、世の中には新聞さえありませんでした。
情報には確かに価値があります。しかし、自分がしらずしらずにその情報に頭を占領され、振り回されて生きているのかもしれないという事には、なお一層、気づきにくい世の中になってしまいました。
以前の私は、ネットにアクセスしない日はなかった。それはアクセスしないと何だかなにかをし忘れているような落ち着かない感じがしたからです。重要な情報を見落としているかもしれない、人から重要な連絡がきているかもしれない、そんな感じです。
でも、この一ヶ月は、例え重要な知らせを知ることが遅くなったとしても、世の中の出来事を知らなかったとしても、気にならなかったのです。だって、よく考えてみれば、ほんの少し前は、そんなことはよくあることだったのですから。
メールの返事が遅いといってイライラするなんて…
テクノロジーに振り回されてる本当に愚かな姿!
これからは、100年前の生活をモデルにして、自分のライフスタイルをデザインしていこうと思います。
ネット依存には気をつけながら…
気をつけても自然と汚染されるものだと思うので、ときには意図的に遮断する必要がありそう。
テレビを消して過ごす。
電気を消してロウソクにしてみる。
車を使わず、歩いて行ける場所だけで過ごしてみる。
電子レンジを使わないですごしてみる。
そして、ネットを断ってみる。
当たり前にある、便利な道具たちを、「意図的に使わないでいる」ことも出来るのだと、思い出すのは大切なことなのかも知れません。
ご無沙汰してます。元気でーす。
12月、どういうわけか、これまでにないほどネットから遠ざかっていました。意図的にそうしようとした訳ではなく、全然ネットにアクセスしなかったのです。これは不思議なことが起きました。
インターネットが生まれたときにはすでにパソコンで仕事していましたから、パソコンに触れれば息をするようにネットチェックをするのが自然なことなのですが、この音信不通期間は、パソコンにも必要最低限しか触れませんでした。
そうするとわかったこと。
私は、知らないうちに、自覚の無いネット依存症だったのです。
その依存症が、唐突に、この一ヶ月間、治っていたわけです。
だからごく自然にネットにアクセスしなかったという訳です。
どうしてそう思うかって?
だって、この一ヶ月ちょっと、私はネットなしで、とてもとても、快適な毎日を過ごしていたのです。ああ、情報が少ないのって、本当に快適。
ネットの中には、世界の誰かのつぶやき、各地で起きている事件、今流行していること、社会問題、etc,etc…溢れるほどの情報が詰まっています。そしてその情報は、たしかに価値や意味のあることなんだけれど、実は生身の自分にとって直接的ではないことばかり、つまり…ほとんど「概念」なのです。
ネットの情報を得れば得るほど、現実ではなく「概念」で頭の中が一杯になります。
私たちは、概念の中に生きているんじゃない。
頭の中に意識がくぎ付けになると、目の前の生活の実感がどんどん伝わらなくなるのです。
この一ヶ月ちょっと、私は日々のなんでもない生活を実感し、その感覚を十分に感じ、心は安定して、すごく快適だったのです。それは、ネットにつながっていなかったから。
お洗濯をし、洗い上がりの柔軟剤のいい匂いを胸いっぱいに吸い込んで。
犬を撫でて、ブラシをかけて、おもちゃで遊んであげて、笑ったり。
野菜を洗って、切って、お料理して。
出しっ放しのものを片づけて、掃除機をかけて、ゆかを水拭きして、要らないものを捨てて。
クリスマスの準備、プレゼントやパーティの支度。
お正月の買い物にでかけ、お屠蘇を仕込んで、おせちを用意。
わあ、すごい青い空!さむーーーいっ!!冬だ冬だ!
部屋に こたつが欲しいなあー。
そんなことで心がいっぱいになる、幸せと安心感。
日々の生活から伝わってくる一つ一つの経験の感覚。
それに浸っていられたのは、間違いなくネットの情報を無意識に断っていたからです。
生活に軸足をおくことは、なんと穏やかで安心できることか。
私はそれを感じる一ヶ月を送っていました。
確かに、社会や世界で起きていること、考えるべきこと、知るべきことはたくさんあります。けれど知らないうちに、私たちはネットという膨大な情報の海に呑まれ、洗脳され、それが無かった時代を忘れつつあるのではないでしょうか。
ほんの20年前、インターネットという情報網は一般家庭にはありませんでした。
400年前まで、世の中には新聞さえありませんでした。
情報には確かに価値があります。しかし、自分がしらずしらずにその情報に頭を占領され、振り回されて生きているのかもしれないという事には、なお一層、気づきにくい世の中になってしまいました。
以前の私は、ネットにアクセスしない日はなかった。それはアクセスしないと何だかなにかをし忘れているような落ち着かない感じがしたからです。重要な情報を見落としているかもしれない、人から重要な連絡がきているかもしれない、そんな感じです。
でも、この一ヶ月は、例え重要な知らせを知ることが遅くなったとしても、世の中の出来事を知らなかったとしても、気にならなかったのです。だって、よく考えてみれば、ほんの少し前は、そんなことはよくあることだったのですから。
メールの返事が遅いといってイライラするなんて…
テクノロジーに振り回されてる本当に愚かな姿!
これからは、100年前の生活をモデルにして、自分のライフスタイルをデザインしていこうと思います。
ネット依存には気をつけながら…
気をつけても自然と汚染されるものだと思うので、ときには意図的に遮断する必要がありそう。
テレビを消して過ごす。
電気を消してロウソクにしてみる。
車を使わず、歩いて行ける場所だけで過ごしてみる。
電子レンジを使わないですごしてみる。
そして、ネットを断ってみる。
当たり前にある、便利な道具たちを、「意図的に使わないでいる」ことも出来るのだと、思い出すのは大切なことなのかも知れません。
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