2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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その日、夕食を作っているときにふと気付いたら結婚記念日だった。
要するに忘れていたわけなので、特別に何かする計画を立てていなかった。夕食も普段の質素な一汁一菜。でも、せっかく思い出せたのだから、とっておきのワインを開ける事にした。
もらいもので、結構高そうなものだったのでしまい込んでいたのだが、開栓して飲んでみると非常に美味しい。おやこれは、と驚いてラベルをみると、なんとちゃんとしたシャトーのもので、もらいものの値段の事を言うのは下品だけれど、かなり高いものだと解った。
久しぶりの美味しいワインを、夫婦で楽しんだ。
お金をたくさん持っていた頃には、子供も居なかったし、こういう夜が多かったねと思い出す。当時、外食でワインを開ける日は月に半分くらいはあったかな。その頃の食費は外食費を入れて二人で12万以上。一度の飲食で2万円はらっても別に驚きはしなかった。本当に贅沢な暮らしをしていたものだ。今は12万円あれば家賃以外の全部を賄える生活をしている。同じ人間が、心のありよう次第で、どうにでも暮らし方を変える事ができるという例の一つだなと思う。
昔のように贅沢な暮らしをしたいとはもう思わない。
こうして時々、記念日に美味しいワインを飲む事ができるなら、それで充分に幸せだ。
いや、ワインが飲める事よりも、これからも仲良く一緒に生きて行こうねと言える相手が居てくれれば、本当にそれで充分だと思う。
必要なものはすべて手にしている。
それ以上に欲しがることは何もない。
結婚して17年。いろいろあったし、別れようと思った事も確かにあったけれど、一緒に生きてきた大切な人生のパートナー。
これからも大切にしていこう。
要するに忘れていたわけなので、特別に何かする計画を立てていなかった。夕食も普段の質素な一汁一菜。でも、せっかく思い出せたのだから、とっておきのワインを開ける事にした。
もらいもので、結構高そうなものだったのでしまい込んでいたのだが、開栓して飲んでみると非常に美味しい。おやこれは、と驚いてラベルをみると、なんとちゃんとしたシャトーのもので、もらいものの値段の事を言うのは下品だけれど、かなり高いものだと解った。
久しぶりの美味しいワインを、夫婦で楽しんだ。
お金をたくさん持っていた頃には、子供も居なかったし、こういう夜が多かったねと思い出す。当時、外食でワインを開ける日は月に半分くらいはあったかな。その頃の食費は外食費を入れて二人で12万以上。一度の飲食で2万円はらっても別に驚きはしなかった。本当に贅沢な暮らしをしていたものだ。今は12万円あれば家賃以外の全部を賄える生活をしている。同じ人間が、心のありよう次第で、どうにでも暮らし方を変える事ができるという例の一つだなと思う。
昔のように贅沢な暮らしをしたいとはもう思わない。
こうして時々、記念日に美味しいワインを飲む事ができるなら、それで充分に幸せだ。
いや、ワインが飲める事よりも、これからも仲良く一緒に生きて行こうねと言える相手が居てくれれば、本当にそれで充分だと思う。
必要なものはすべて手にしている。
それ以上に欲しがることは何もない。
結婚して17年。いろいろあったし、別れようと思った事も確かにあったけれど、一緒に生きてきた大切な人生のパートナー。
これからも大切にしていこう。
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映画「アバター」が世界中で空前のヒット中だ。
今流行の3D映画として制作されているので、いずれ観るつもりなら映画館で観ておきたい作品だった。
良い作品は心の栄養になるので最近心の栄養不足になっている自分へのいたわりの為にも、大奮発して家族で観に行った。
当然、3D上映で観なければ意味がない。
娘は初めての3D映画で、すごいすごいを連発していた。
「わっ、とび出して見える!わあーーすごい!!」と隣の席で興奮していた。
ストーリーラインは、ひねりなく、非常にシンプルで素直。
公開される多くの作品に埋もれないように、ほとんどの映画にはキャッチーなひねり=「ウリ」が加えられているが、キャメロン作品にはそれがない。いつも素直でまっすぐなストーリーだ。だからあらすじにしてしまうと、「なーんだ」とあまり期待しないような話に思える。正直言えば私も最初にアバターの広告を見たときにはまったく興味を惹かれなかった。話題作にのし上がってから注目したのだ。
けれど、映画芸術は映像、カメラ、演出、ストーリーの全てが揃ってはじめて評価出来るもの。アバターは間違いなく、映画界の歴史に残る名作だ。
とにかく、設定が芸術的天才的に優れている。素直なストーリーを素直に観客に納得させるのは設定が完ぺきだからだ。観客を感情移入させる天才。それがキャメロン監督だ。好き嫌いは別れるだろうが、名作の一本である事は絶対に間違いない。
3Dの技術にも興味はあったのだが、3Dというだけなら他にも作品はたくさんある。わざわざアバターを選んだのはその作品性の高さに評価が集まっているからだった。アメリカでは保守派の人々がボイコットを訴えるほど、メッセージを強く感じたらしい。自分たち(アメリカ)の過去を痛烈に批判した作品だと保守派には思えるようだ。
私はこの作品に政治的メッセージはないと感じる。ただ純粋に、人は何を重んじて生きるべきなのかを考えさせようとしている。生きるという事は、独立していないこと。命は常にその星の生命全体と関わり循環していること。人のものを奪う事の愚かしさ。無駄に殺す事の痛み。ナヴィという異世界の人間達の姿を借りて伝えようとするのは、自然を崇拝し、魂のつながりを信じ、祈り、他の命と協調しながら生きる人間の在り方。それはネイティヴアメリカンやハワイ先住民族や、アフリカ原住民たち、その他、近代文明に押しつぶされてきた歴史上実存する文化圏の人間のものの考え方、生き方と符合している。だからネイティヴアメリカンから土地を奪い、ベトナムを焼き払った保守派は、自分たちが批判されているのだとカリカリする。
欧米では上映後のエンドロールの時に拍手が上がり、時にはスタンディングオベーションになる場合もあると言う。日本では映画館で拍手する習慣がないのが残念だ。私もエンドロールでは拍手しそうになったし、環境が許すなら是非拍手喝采したかった。そんな作品は多くはない。
環境問題を考えさせる作品は今では星の数ほどもある。森林が焼けていく映像、行き場を失った動物たち、そういう映像も、毎日テレビのどこかの時間帯で目にする事が出来る。だから、私たちはそういう情報や映像に「馴れて」しまいそうになっている。
アバターは、そういう映像に馴れを起こした人にさえ、自然への畏敬、畏怖を思い起こさせる強いメッセージ力を持っている。キャメロン監督は感動的な人物描写の天才だ。そして舞台の描き込みはマニアックの一言。タイタニックの時もそうだったけれど、今回のアバターの世界の描写へのこだわりはものすごい。この美しくも大き過ぎる自然を象徴するのがナヴィたちの暮らす「ホームツリー」と呼ばれる高層ビルに匹敵する巨木だ。大きな木には、私たちは理屈抜きに敬意を感じるものだ。その巨木が、地球人の持ち込んだミサイルで根元から破壊され焼き払われる。このシーンは、森が焼かれるという設定でもよかったはずだが、キャメロンはあえて「巨木=ホームツリー」という設定を選んだ。それは広大な森林よりも、一本の巨木の方が遥かに、失われる事の痛みがダイレクトに観客に伝わると計算づくだからだ。この設定のうまさには本当にうなってしまった。
マニアックな描き込みと、シンボルとしての舞台の選定能力の高さ。そして、必ずそのような最高の舞台の上に、人間の感情が最大のテーマとして描かれる。タイタニックとまさに共通している。自分として生きる事。生かされている事。
3D技術としては、前半部分と後半部分で大きな違いがあった。まず第一に視点の焦点設定の問題。3D映像独特の問題で、映像のどこに照準を合わせるかを作り手が決めるのだが、前半の室内が多いシーンでは観客が焦点を合わせて「見たい」と思うものが散在しているのに、作り手が焦点を合わせている「みるべきもの」は画面中ひとつだけ。それで観客は焦点の合わないものを見て、目がとても疲れてしまう。この問題は、3D映像が解決すべき課題なのだが、映画という媒体ではそう簡単には解決出来ない。理論的な解決方法はすでにあるが、技術とインフラがあと3歩くらい進まないと実現しないだろう。
そして、第二に、カメラが大きく動くシーンや、動きの素早いものが画面の中を移動するシーンで、残像処理が前半では行われておらず、後半では行われていたという差があったことだ。
3時間の大作だが、後半にはその処理が行われていたため、画像が自然で、3Dであることも忘れてストーリーに引き込まれる。
おそらく、後半制作中にその処理を使い始めて、前半部分を作り直し(レンダリングのやり直し)をしなかったのだろう。制作とは、作っている期間が長い場合、その間に新しい技術が生み出されて飛躍的に出来が向上するという事が起こる。その場合、古い技術で作っていた部分を新しい技術で作り直すかどうかは、常に制作コストの問題で非常に悩ましい。作り直せば最高の出来になる事は解っていても、製作時間とコストの問題で、涙をのんで諦めるという事もよくある事なのだ。
こうして技術は向上していく。
同じスタッフが次の作品に携わるときに、間違いなく今回の技術のうちの、最高のものがノウハウとして使われるのだ。
観ておいてよかった。
家族に合わせて日本語吹き替え版にしたのだが、出来ればもう一度英語版で観たいと思っている。
今流行の3D映画として制作されているので、いずれ観るつもりなら映画館で観ておきたい作品だった。
良い作品は心の栄養になるので最近心の栄養不足になっている自分へのいたわりの為にも、大奮発して家族で観に行った。
当然、3D上映で観なければ意味がない。
娘は初めての3D映画で、すごいすごいを連発していた。
「わっ、とび出して見える!わあーーすごい!!」と隣の席で興奮していた。
ストーリーラインは、ひねりなく、非常にシンプルで素直。
公開される多くの作品に埋もれないように、ほとんどの映画にはキャッチーなひねり=「ウリ」が加えられているが、キャメロン作品にはそれがない。いつも素直でまっすぐなストーリーだ。だからあらすじにしてしまうと、「なーんだ」とあまり期待しないような話に思える。正直言えば私も最初にアバターの広告を見たときにはまったく興味を惹かれなかった。話題作にのし上がってから注目したのだ。
けれど、映画芸術は映像、カメラ、演出、ストーリーの全てが揃ってはじめて評価出来るもの。アバターは間違いなく、映画界の歴史に残る名作だ。
とにかく、設定が芸術的天才的に優れている。素直なストーリーを素直に観客に納得させるのは設定が完ぺきだからだ。観客を感情移入させる天才。それがキャメロン監督だ。好き嫌いは別れるだろうが、名作の一本である事は絶対に間違いない。
3Dの技術にも興味はあったのだが、3Dというだけなら他にも作品はたくさんある。わざわざアバターを選んだのはその作品性の高さに評価が集まっているからだった。アメリカでは保守派の人々がボイコットを訴えるほど、メッセージを強く感じたらしい。自分たち(アメリカ)の過去を痛烈に批判した作品だと保守派には思えるようだ。
私はこの作品に政治的メッセージはないと感じる。ただ純粋に、人は何を重んじて生きるべきなのかを考えさせようとしている。生きるという事は、独立していないこと。命は常にその星の生命全体と関わり循環していること。人のものを奪う事の愚かしさ。無駄に殺す事の痛み。ナヴィという異世界の人間達の姿を借りて伝えようとするのは、自然を崇拝し、魂のつながりを信じ、祈り、他の命と協調しながら生きる人間の在り方。それはネイティヴアメリカンやハワイ先住民族や、アフリカ原住民たち、その他、近代文明に押しつぶされてきた歴史上実存する文化圏の人間のものの考え方、生き方と符合している。だからネイティヴアメリカンから土地を奪い、ベトナムを焼き払った保守派は、自分たちが批判されているのだとカリカリする。
欧米では上映後のエンドロールの時に拍手が上がり、時にはスタンディングオベーションになる場合もあると言う。日本では映画館で拍手する習慣がないのが残念だ。私もエンドロールでは拍手しそうになったし、環境が許すなら是非拍手喝采したかった。そんな作品は多くはない。
環境問題を考えさせる作品は今では星の数ほどもある。森林が焼けていく映像、行き場を失った動物たち、そういう映像も、毎日テレビのどこかの時間帯で目にする事が出来る。だから、私たちはそういう情報や映像に「馴れて」しまいそうになっている。
アバターは、そういう映像に馴れを起こした人にさえ、自然への畏敬、畏怖を思い起こさせる強いメッセージ力を持っている。キャメロン監督は感動的な人物描写の天才だ。そして舞台の描き込みはマニアックの一言。タイタニックの時もそうだったけれど、今回のアバターの世界の描写へのこだわりはものすごい。この美しくも大き過ぎる自然を象徴するのがナヴィたちの暮らす「ホームツリー」と呼ばれる高層ビルに匹敵する巨木だ。大きな木には、私たちは理屈抜きに敬意を感じるものだ。その巨木が、地球人の持ち込んだミサイルで根元から破壊され焼き払われる。このシーンは、森が焼かれるという設定でもよかったはずだが、キャメロンはあえて「巨木=ホームツリー」という設定を選んだ。それは広大な森林よりも、一本の巨木の方が遥かに、失われる事の痛みがダイレクトに観客に伝わると計算づくだからだ。この設定のうまさには本当にうなってしまった。
マニアックな描き込みと、シンボルとしての舞台の選定能力の高さ。そして、必ずそのような最高の舞台の上に、人間の感情が最大のテーマとして描かれる。タイタニックとまさに共通している。自分として生きる事。生かされている事。
3D技術としては、前半部分と後半部分で大きな違いがあった。まず第一に視点の焦点設定の問題。3D映像独特の問題で、映像のどこに照準を合わせるかを作り手が決めるのだが、前半の室内が多いシーンでは観客が焦点を合わせて「見たい」と思うものが散在しているのに、作り手が焦点を合わせている「みるべきもの」は画面中ひとつだけ。それで観客は焦点の合わないものを見て、目がとても疲れてしまう。この問題は、3D映像が解決すべき課題なのだが、映画という媒体ではそう簡単には解決出来ない。理論的な解決方法はすでにあるが、技術とインフラがあと3歩くらい進まないと実現しないだろう。
そして、第二に、カメラが大きく動くシーンや、動きの素早いものが画面の中を移動するシーンで、残像処理が前半では行われておらず、後半では行われていたという差があったことだ。
3時間の大作だが、後半にはその処理が行われていたため、画像が自然で、3Dであることも忘れてストーリーに引き込まれる。
おそらく、後半制作中にその処理を使い始めて、前半部分を作り直し(レンダリングのやり直し)をしなかったのだろう。制作とは、作っている期間が長い場合、その間に新しい技術が生み出されて飛躍的に出来が向上するという事が起こる。その場合、古い技術で作っていた部分を新しい技術で作り直すかどうかは、常に制作コストの問題で非常に悩ましい。作り直せば最高の出来になる事は解っていても、製作時間とコストの問題で、涙をのんで諦めるという事もよくある事なのだ。
こうして技術は向上していく。
同じスタッフが次の作品に携わるときに、間違いなく今回の技術のうちの、最高のものがノウハウとして使われるのだ。
観ておいてよかった。
家族に合わせて日本語吹き替え版にしたのだが、出来ればもう一度英語版で観たいと思っている。
結婚する前からそうだったのだけれど、長い間私は洗濯物をたたむという家事がかなり嫌いだった。
せっかくたたんでもすぐに出して着るのだし、と思うと、もう全然、たたもうという意欲が湧かない。けれど、いつからか、私は洗濯物をちゃんとたたんで、タンスにしまうという事がきちんと出来るようになった。その上、あんなに感じていた面倒臭い気持ちが、今はまったく起こらなくなっている。その経緯を書いてみたい。
思えば、両親が共働きで店の経営という肉体労働だった為、両親はいつもくたくたになるまで働いていた。だから私の育った家庭では、洗濯物はいつもリビングのどこかに山積みになっていた。子供はその山の中から、今日着るものを引っ張り出して着るというのが当たり前になっていた。だらしない家庭と言えば、そうかも知れないが、洗ってない汚れた衣類が山になっているよりはマシだったと言えると思う。母は、洗濯だけはどんなに夜遅くなっても頑張ってやっていた。洗濯機を回し、深夜でも部屋干ししてから、寝ていた。それだけでも、充分頑張っていたのだろう。やっと洗濯物を干し終わって、12時を過ぎていたら、もうたたんでしまう作業までは疲れ過ぎていてやれなかった、それが実態だった。
時々、母の洗濯物たたみを見かけた。それはやはりいつも夜遅くて、母の表情は疲れ切っていた。
だから私は、洗濯物なんて、たたまなくてもいいのに、といつも思っていた。
そんなに疲れているのに、何でたたむんだろう。服なんて、一ヶ所に山になっていても別に困らない。そこから着たいものを探せばいいだけだよ。子供の頃、私は母にそう言いたかったのかもしれない。ちょっと成長すると、母は私に「洗濯物をたたんでおいて」と頼むようになった。価値を見いだしていない作業を、命令だからとやることくらい、苦痛なものはない。だから私は余計にたたむという家事が嫌いになった。
そんな私が年齢的に大人になったからと言って、すぐによそのお家のように洗濯物をたたんでタンスにしまうという生活が自動的に送れるわけはなかった。
一人暮らしをはじめた時も、洗濯物は部屋の一角に山積みだった。
アメリカでは広いクローゼットが大活躍で、たたまなくてもハンガーにかけてつるせばいいというライフスタイルは非常に性に合った。
日本に戻り、再び一人暮らしをし始めると、やはり衣類の山が復活した。
ただし、母の生き方を無意識にコピーしているせいだろう、決して洗濯だけはさぼらなかった。むしろ、洗濯そのものは大好きなのだった。毎日、洗濯機を回し、衣類を洗濯した。洗い上がって乾いた洗濯物の匂いが大好きなのだ。
そんな私だが結婚して他人と住む事になると、洗濯物の山はさすがに恥ずかしく、たたんでしまわないといけないな、と思った。我ながら、相手にいい処を見せようとしたり、嫌われないようにしようとした当時の自分が初々しく可愛らしく思える。けれど、そんな初々しい努力も、すぐに消耗し、私はやがて洗濯物の山をみるだけで自分が責められているような気持ちになってとても辛く感じるようになった。結婚しても仕事を辞めた事は一度もないので、私は専業主婦を経験した事はない。両親ほど体力を使う仕事ではなかったが、徹夜も残業もある拘束時間の長い開発業をしていたのだから、家事が専業主婦のように出来るはずはなかった。でも私は自分に言い訳するのがとても苦手だった。やるべき事は事情いかんに関わらず、当然やらなければならないと非常にストイックな性格だった。(今では別人。自分にとても甘い。)
「ちゃんとしろ」「だらしない」「こんな当たり前の家事もできないのか」そんな声が聞こえてきて、家に帰るのが憂うつになった。夫は一言も私の家事のやり方に文句を言った事はないのに、私が勝手に「良い妻」「立派な妻」「完ぺきな主婦」であろうとしただけだ。
それで相当、生きるのが嫌になった。
たかが洗濯物が片づけられないくらいの事で死にそうになるなんて、馬鹿げていると、健康な人は思うだろう。けれど、私が今、毎日話を聞いている相談者も、同じなのだ。人は、心が健康に育っていないと、本当に馬鹿な事で自分を責め、責め過ぎた揚げ句に生きるのが嫌になってしまうのだ。
幸い、私は自分を殺すかわりに、あらゆる手を尽くして、楽に楽しく生きていいのだという許可を自分に与える事が出来た。
洗濯物をたたまないという私の習慣は、古いライフスタイルで獲得したもので、これからは自分の意志で自分の好きなように変更していいと許可すると、私は自由な気持ちで、洗濯物をどうオーガナイズするのかをデザインしはじめた。
私は、「服」になってみた。
服になってみると、服は、服の家(タンスやクローゼット)にいる方が幸せだ、と言った。
きちんとたたんでもらえると、大切にされている気がするし、見えるように整理されると、着てもらえる機会が増えてうれしい、と言った。
そうすると、服をたたんでタンスやクローゼットにしまう行為の意味がうまれた。
今、私は洗濯物をたたむ作業が嫌いではなくなった。洗い上がった大好きな匂いの服を、一枚一枚点検しながら、のんびりゆっくりたたむ作業を、休日の午前中に楽しんでいる。
せっかくたたんでもすぐに出して着るのだし、と思うと、もう全然、たたもうという意欲が湧かない。けれど、いつからか、私は洗濯物をちゃんとたたんで、タンスにしまうという事がきちんと出来るようになった。その上、あんなに感じていた面倒臭い気持ちが、今はまったく起こらなくなっている。その経緯を書いてみたい。
思えば、両親が共働きで店の経営という肉体労働だった為、両親はいつもくたくたになるまで働いていた。だから私の育った家庭では、洗濯物はいつもリビングのどこかに山積みになっていた。子供はその山の中から、今日着るものを引っ張り出して着るというのが当たり前になっていた。だらしない家庭と言えば、そうかも知れないが、洗ってない汚れた衣類が山になっているよりはマシだったと言えると思う。母は、洗濯だけはどんなに夜遅くなっても頑張ってやっていた。洗濯機を回し、深夜でも部屋干ししてから、寝ていた。それだけでも、充分頑張っていたのだろう。やっと洗濯物を干し終わって、12時を過ぎていたら、もうたたんでしまう作業までは疲れ過ぎていてやれなかった、それが実態だった。
時々、母の洗濯物たたみを見かけた。それはやはりいつも夜遅くて、母の表情は疲れ切っていた。
だから私は、洗濯物なんて、たたまなくてもいいのに、といつも思っていた。
そんなに疲れているのに、何でたたむんだろう。服なんて、一ヶ所に山になっていても別に困らない。そこから着たいものを探せばいいだけだよ。子供の頃、私は母にそう言いたかったのかもしれない。ちょっと成長すると、母は私に「洗濯物をたたんでおいて」と頼むようになった。価値を見いだしていない作業を、命令だからとやることくらい、苦痛なものはない。だから私は余計にたたむという家事が嫌いになった。
そんな私が年齢的に大人になったからと言って、すぐによそのお家のように洗濯物をたたんでタンスにしまうという生活が自動的に送れるわけはなかった。
一人暮らしをはじめた時も、洗濯物は部屋の一角に山積みだった。
アメリカでは広いクローゼットが大活躍で、たたまなくてもハンガーにかけてつるせばいいというライフスタイルは非常に性に合った。
日本に戻り、再び一人暮らしをし始めると、やはり衣類の山が復活した。
ただし、母の生き方を無意識にコピーしているせいだろう、決して洗濯だけはさぼらなかった。むしろ、洗濯そのものは大好きなのだった。毎日、洗濯機を回し、衣類を洗濯した。洗い上がって乾いた洗濯物の匂いが大好きなのだ。
そんな私だが結婚して他人と住む事になると、洗濯物の山はさすがに恥ずかしく、たたんでしまわないといけないな、と思った。我ながら、相手にいい処を見せようとしたり、嫌われないようにしようとした当時の自分が初々しく可愛らしく思える。けれど、そんな初々しい努力も、すぐに消耗し、私はやがて洗濯物の山をみるだけで自分が責められているような気持ちになってとても辛く感じるようになった。結婚しても仕事を辞めた事は一度もないので、私は専業主婦を経験した事はない。両親ほど体力を使う仕事ではなかったが、徹夜も残業もある拘束時間の長い開発業をしていたのだから、家事が専業主婦のように出来るはずはなかった。でも私は自分に言い訳するのがとても苦手だった。やるべき事は事情いかんに関わらず、当然やらなければならないと非常にストイックな性格だった。(今では別人。自分にとても甘い。)
「ちゃんとしろ」「だらしない」「こんな当たり前の家事もできないのか」そんな声が聞こえてきて、家に帰るのが憂うつになった。夫は一言も私の家事のやり方に文句を言った事はないのに、私が勝手に「良い妻」「立派な妻」「完ぺきな主婦」であろうとしただけだ。
それで相当、生きるのが嫌になった。
たかが洗濯物が片づけられないくらいの事で死にそうになるなんて、馬鹿げていると、健康な人は思うだろう。けれど、私が今、毎日話を聞いている相談者も、同じなのだ。人は、心が健康に育っていないと、本当に馬鹿な事で自分を責め、責め過ぎた揚げ句に生きるのが嫌になってしまうのだ。
幸い、私は自分を殺すかわりに、あらゆる手を尽くして、楽に楽しく生きていいのだという許可を自分に与える事が出来た。
洗濯物をたたまないという私の習慣は、古いライフスタイルで獲得したもので、これからは自分の意志で自分の好きなように変更していいと許可すると、私は自由な気持ちで、洗濯物をどうオーガナイズするのかをデザインしはじめた。
私は、「服」になってみた。
服になってみると、服は、服の家(タンスやクローゼット)にいる方が幸せだ、と言った。
きちんとたたんでもらえると、大切にされている気がするし、見えるように整理されると、着てもらえる機会が増えてうれしい、と言った。
そうすると、服をたたんでタンスやクローゼットにしまう行為の意味がうまれた。
今、私は洗濯物をたたむ作業が嫌いではなくなった。洗い上がった大好きな匂いの服を、一枚一枚点検しながら、のんびりゆっくりたたむ作業を、休日の午前中に楽しんでいる。
小学4年生の時、南くんという男子と同じクラスだった。
当時3、4年はクラス替えなしで持ち上がりだったので、この男子生徒とは2年間同じクラスだったわけだ。
3年生の頃、南くんと私は仲が悪かった。
当時の私は国語辞典、百科事典、物知り博士のニックネームが表す通り、はっきりとクラスメイトから頭のいい子として一目置かれる存在だった。南くんは、そんな私が気に入らなかったのだ。何故なら彼は男子で一番成績が良い子だったから。そんな彼は私をことごとくライバル視して、私の失敗を見過ごさないように常に私をマークしていた。何かもめごとがあり、私が仲裁していようものなら、そのやり方にもすかさずケチを付けてくるうっとおしい存在だった。
授業中私が手を上げれば必ず私の方を見ながら彼も手を上げた。
面倒なヤツだった。南くんのおかげで、平穏な日々がいつも乱されるのだった。私から南くんに対立を仕掛けた事はなかったと思うが、彼からは数限りなく仕掛けられた。でも私も黙ってやられるはずもなく、彼は私の言い返す言葉の鋭さにこてんぱんに返り討ちにされるのだった。
それがまた、彼の憎しみを買ったに違いない。
いつしか、クラスで「南とM(私の旧姓)は犬猿の仲」と評判になり、私たちが言い合いを始めると「わーまた始まったー!!」とみんなが集まって、ちょっとした見せ物状態の体になった。
私は面倒な日々にうんざりしていたが、やがて4年生になり、南くんとはそのまままた一年同じクラスという事になってしまった。
「Mちゃんと南くんって、腐れ縁だねー」と友人が面白そうに言った。どこで覚えてきたものか、小学4年生が言うには早いセリフだと思ったものだ。彼女にしてみれば、また南くんと私のバトルが見られて退屈しないとでも思ったに違いない。
級友はささやかなイベントを楽しむ気分でいたのだろうが、剣闘士になっている当の本人同士は決して気分がいい訳ではない。南くんがバトルを楽しんでいたかどうか尋ねた事がないので知らないが、私は、相手を言い負かしてしまう自分の毒舌ぶりと、相手を打ちのめした事に優越感を感じる自分が恐ろしくて仕方なかった。そんな事をしていたら、ますます南くんは恨みを募らせるに違いない。そのうち口で歯が立たないと悟った彼から、暴力を加えられるようになるのではないかと思っていた。
馬鹿はすぐに手を出してくる。南くんは少しは賢い子だったので握りこぶしをぶるぶる震わせて、屈辱に耐えていた。しかしその忍耐もいつまでも続くとは思えなかった。
ある日、授業が始まる短い休み時間に、例によってバトルが勃発した。
私にこてんぱんに口で言い負けて、南くんの「忍耐」は長い間の屈辱から沸点に達しついに蒸発して居なくなった。可哀相な南くんの忍耐よ。君はよくやった。
忍耐を失った彼は、禁断の言葉を放った。
「お前なんかこのクラスから居なくなれ!出て行け!学校に来るな!帰れ!いますぐ帰れ!」
大人になった今なら、そんな子供の怒りに任せた発言など、大した攻撃とは思わない。
けれど、学校という社会でしか生きられない子供時代の私にとって、その社会=学校・クラスから拒絶されたに等しいその言葉は、酷いダメージだった。
売り言葉に買い言葉。
「ああそうかい。じゃあ帰るよ!」
私はカバンもランドセルも持たず、そのまま学校から家に帰った。
家に帰り、母は何事かとびっくりして問いただしたが、私はもう学校には行かないと言い続けた。
すぐに学校から電話が入り、担任が私を学校にやるようにと母に言ったらしい。母も少しは我が子を庇ってくれてもよさそうなものなのに、担任の言いなりに「今すぐ学校に行きなさい」と命令した。
「第一、ランドセルなんかどうするのよ。学校に置きっ放しで」悲しいかな、子供の私はあ、そりゃそうだなと思ってしまった。これで私の尊厳はランドセルよりも軽い事が確定した。あほ。
気まずい思いで学校に戻ると、授業そっちのけでクラス会が開催されており、南くんはクラス全員から悪者扱いされていた。「南くんが帰れと言ったのがいけないと思います」「同じ意見です」「僕も同じです」気の毒な南くんは、すっかりしょげ返り、うなだれていた。
担任は南くんに「さあ、南くん、仲直りをする気はある?」と促し、南くんは全員の前で「Mさんに、帰れといったのはいけなかったです。ごめんなさい。僕はもう、そういう事は言わないようにします」と私に頭を下げた。先生は私の手を取り、「握手しましょう」と南くんと握手させた。
…なんなんだ、これは、と思った。
茶番。南くんは、私が学校から勝手に帰ってしまうという想定外の行動を起こしたせいで、学校のクラス社会から制裁を受けてしまったのだ。なんて気の毒なんだろう。
南くんだって、忍耐が蒸発するまで、ずっと耐えていたという偉い栄光(でもないけど)の時代があったのだ。それなのに、このてんまつはどうだろう。
相手が泣けば泣かした方が悪い。
多くの人に同情された人が被害者で、多くの人に非難された人が加害者で悪者。
そんな風に単純なりくつで、一人の人を多人数で悪者にする、社会の恐ろしさを見た気がした。
しかし、それ以降、南くんは私につっかかってこなくなった。
明確に一度、「お前なっ!!」といつも通り激高した後、「…いや、やめとこう。お前をいじめるとまた勝手に帰って俺が怒られるからな」とぷいっと背を向けて行ってしまった。
なんとなくその背中を見て、寂しかった。
ケンカ相手でも、「仲間」だったんだな、と思った。
それからさらにしばらくすると、南くんは、私につっかかる代りに、勉強の事でいろいろと尋ねてくるようになった。私たちは、他のクラスメイトと同じように普通に仲良く話すようになったのだった。南くんはつるし上げにより、何かを学んだに違いなかったし、それは小学4年生の彼には良い事だったのかも知れない。そして、担任は、自分のした指導、クラス会での反省会が効を奏したと思ったに違いない。
けれど私は今でも、疑問だ。
南くん は 悪者 だったのか どうか。
何故なら、私は私が絶対的な被害者だったのではないと知っているのだから。
私の毒舌は彼を幾度となく傷つけ、突き落とし、私の目は打ちのめされた彼を見てほくそ笑んでいた。そのことを私はよく知っている。
もしかしたら、いや、本当は、被害者は、彼の方だったのに、と。
当時3、4年はクラス替えなしで持ち上がりだったので、この男子生徒とは2年間同じクラスだったわけだ。
3年生の頃、南くんと私は仲が悪かった。
当時の私は国語辞典、百科事典、物知り博士のニックネームが表す通り、はっきりとクラスメイトから頭のいい子として一目置かれる存在だった。南くんは、そんな私が気に入らなかったのだ。何故なら彼は男子で一番成績が良い子だったから。そんな彼は私をことごとくライバル視して、私の失敗を見過ごさないように常に私をマークしていた。何かもめごとがあり、私が仲裁していようものなら、そのやり方にもすかさずケチを付けてくるうっとおしい存在だった。
授業中私が手を上げれば必ず私の方を見ながら彼も手を上げた。
面倒なヤツだった。南くんのおかげで、平穏な日々がいつも乱されるのだった。私から南くんに対立を仕掛けた事はなかったと思うが、彼からは数限りなく仕掛けられた。でも私も黙ってやられるはずもなく、彼は私の言い返す言葉の鋭さにこてんぱんに返り討ちにされるのだった。
それがまた、彼の憎しみを買ったに違いない。
いつしか、クラスで「南とM(私の旧姓)は犬猿の仲」と評判になり、私たちが言い合いを始めると「わーまた始まったー!!」とみんなが集まって、ちょっとした見せ物状態の体になった。
私は面倒な日々にうんざりしていたが、やがて4年生になり、南くんとはそのまままた一年同じクラスという事になってしまった。
「Mちゃんと南くんって、腐れ縁だねー」と友人が面白そうに言った。どこで覚えてきたものか、小学4年生が言うには早いセリフだと思ったものだ。彼女にしてみれば、また南くんと私のバトルが見られて退屈しないとでも思ったに違いない。
級友はささやかなイベントを楽しむ気分でいたのだろうが、剣闘士になっている当の本人同士は決して気分がいい訳ではない。南くんがバトルを楽しんでいたかどうか尋ねた事がないので知らないが、私は、相手を言い負かしてしまう自分の毒舌ぶりと、相手を打ちのめした事に優越感を感じる自分が恐ろしくて仕方なかった。そんな事をしていたら、ますます南くんは恨みを募らせるに違いない。そのうち口で歯が立たないと悟った彼から、暴力を加えられるようになるのではないかと思っていた。
馬鹿はすぐに手を出してくる。南くんは少しは賢い子だったので握りこぶしをぶるぶる震わせて、屈辱に耐えていた。しかしその忍耐もいつまでも続くとは思えなかった。
ある日、授業が始まる短い休み時間に、例によってバトルが勃発した。
私にこてんぱんに口で言い負けて、南くんの「忍耐」は長い間の屈辱から沸点に達しついに蒸発して居なくなった。可哀相な南くんの忍耐よ。君はよくやった。
忍耐を失った彼は、禁断の言葉を放った。
「お前なんかこのクラスから居なくなれ!出て行け!学校に来るな!帰れ!いますぐ帰れ!」
大人になった今なら、そんな子供の怒りに任せた発言など、大した攻撃とは思わない。
けれど、学校という社会でしか生きられない子供時代の私にとって、その社会=学校・クラスから拒絶されたに等しいその言葉は、酷いダメージだった。
売り言葉に買い言葉。
「ああそうかい。じゃあ帰るよ!」
私はカバンもランドセルも持たず、そのまま学校から家に帰った。
家に帰り、母は何事かとびっくりして問いただしたが、私はもう学校には行かないと言い続けた。
すぐに学校から電話が入り、担任が私を学校にやるようにと母に言ったらしい。母も少しは我が子を庇ってくれてもよさそうなものなのに、担任の言いなりに「今すぐ学校に行きなさい」と命令した。
「第一、ランドセルなんかどうするのよ。学校に置きっ放しで」悲しいかな、子供の私はあ、そりゃそうだなと思ってしまった。これで私の尊厳はランドセルよりも軽い事が確定した。あほ。
気まずい思いで学校に戻ると、授業そっちのけでクラス会が開催されており、南くんはクラス全員から悪者扱いされていた。「南くんが帰れと言ったのがいけないと思います」「同じ意見です」「僕も同じです」気の毒な南くんは、すっかりしょげ返り、うなだれていた。
担任は南くんに「さあ、南くん、仲直りをする気はある?」と促し、南くんは全員の前で「Mさんに、帰れといったのはいけなかったです。ごめんなさい。僕はもう、そういう事は言わないようにします」と私に頭を下げた。先生は私の手を取り、「握手しましょう」と南くんと握手させた。
…なんなんだ、これは、と思った。
茶番。南くんは、私が学校から勝手に帰ってしまうという想定外の行動を起こしたせいで、学校のクラス社会から制裁を受けてしまったのだ。なんて気の毒なんだろう。
南くんだって、忍耐が蒸発するまで、ずっと耐えていたという偉い栄光(でもないけど)の時代があったのだ。それなのに、このてんまつはどうだろう。
相手が泣けば泣かした方が悪い。
多くの人に同情された人が被害者で、多くの人に非難された人が加害者で悪者。
そんな風に単純なりくつで、一人の人を多人数で悪者にする、社会の恐ろしさを見た気がした。
しかし、それ以降、南くんは私につっかかってこなくなった。
明確に一度、「お前なっ!!」といつも通り激高した後、「…いや、やめとこう。お前をいじめるとまた勝手に帰って俺が怒られるからな」とぷいっと背を向けて行ってしまった。
なんとなくその背中を見て、寂しかった。
ケンカ相手でも、「仲間」だったんだな、と思った。
それからさらにしばらくすると、南くんは、私につっかかる代りに、勉強の事でいろいろと尋ねてくるようになった。私たちは、他のクラスメイトと同じように普通に仲良く話すようになったのだった。南くんはつるし上げにより、何かを学んだに違いなかったし、それは小学4年生の彼には良い事だったのかも知れない。そして、担任は、自分のした指導、クラス会での反省会が効を奏したと思ったに違いない。
けれど私は今でも、疑問だ。
南くん は 悪者 だったのか どうか。
何故なら、私は私が絶対的な被害者だったのではないと知っているのだから。
私の毒舌は彼を幾度となく傷つけ、突き落とし、私の目は打ちのめされた彼を見てほくそ笑んでいた。そのことを私はよく知っている。
もしかしたら、いや、本当は、被害者は、彼の方だったのに、と。
自分が精神的な指導者と仰ぐ人の事を、メンターと呼ぶ。
日本語では「師」という呼び名で呼ばれる人の事だ。
私が師と仰ぐのは、クリス、エラン、バリーさん、そしてその頂点にダライラマ法王がいる。もちろんまだ出会っていない素晴らしい人々が、世界中にいるのだろうと思う。私は出来るだけ多くの「師」に出会いたい。
ワークを一緒にする人たちの中にも、「師」と仰げる質がある事を感じる。
それに出会う事は本当に敬虔な体験で、だから私はすべての人間を尊敬出来るという事を信じている。
どんな人にも、ものすごい光が備わっている。
ただそれを輝かせるチャンスがなく、または辛い経験によって雲ってしまっていたりするだけなのだ。ワークを通じて、その人が自分自身とまっすぐに関わり、繋がったとき、その光がまっすぐに天に向かって立ち上がる瞬間がある。
その奇跡に出会える幸福は何ものにも替え難い。
手を合わせ、拝むというのは、祈りと同時に、それに対して敬服している姿だけれど、「全ての人の仏性に手を合わせる」ことができると思う。
目の前の人は決して私に劣ることはない。目の前の人の中に崇高な、素晴らしい光があると確信する。それが芽生えていないとしても、存在するのだから、開花の時がくるようにと祈り、手を合わせる。
私に人を導く能力があるとは思えないけれど 少なくとも発信し、気付きの方向へ意識を向けてもらう為に働けと天から命じられていると確信している。
私は自分に出来る事を尽くし、この世界に生きている限り世界の為になる事をしたいと願う。
手を合わせること。
それはとても心の落ち着く行為だ。
日本語では「師」という呼び名で呼ばれる人の事だ。
私が師と仰ぐのは、クリス、エラン、バリーさん、そしてその頂点にダライラマ法王がいる。もちろんまだ出会っていない素晴らしい人々が、世界中にいるのだろうと思う。私は出来るだけ多くの「師」に出会いたい。
ワークを一緒にする人たちの中にも、「師」と仰げる質がある事を感じる。
それに出会う事は本当に敬虔な体験で、だから私はすべての人間を尊敬出来るという事を信じている。
どんな人にも、ものすごい光が備わっている。
ただそれを輝かせるチャンスがなく、または辛い経験によって雲ってしまっていたりするだけなのだ。ワークを通じて、その人が自分自身とまっすぐに関わり、繋がったとき、その光がまっすぐに天に向かって立ち上がる瞬間がある。
その奇跡に出会える幸福は何ものにも替え難い。
手を合わせ、拝むというのは、祈りと同時に、それに対して敬服している姿だけれど、「全ての人の仏性に手を合わせる」ことができると思う。
目の前の人は決して私に劣ることはない。目の前の人の中に崇高な、素晴らしい光があると確信する。それが芽生えていないとしても、存在するのだから、開花の時がくるようにと祈り、手を合わせる。
私に人を導く能力があるとは思えないけれど 少なくとも発信し、気付きの方向へ意識を向けてもらう為に働けと天から命じられていると確信している。
私は自分に出来る事を尽くし、この世界に生きている限り世界の為になる事をしたいと願う。
手を合わせること。
それはとても心の落ち着く行為だ。
「仕事中は笑顔で優しいけどそれ以外は仏頂面」
というのは私と少し近くなった人なら知っている事だろう。
私は相手を援助しようとしている時には自然と笑顔で気を使い優しく接するのだけれど、それ以外の時にはとにかく「人」という存在をまったく気にしていない。
だから「一人で居るときと同じ顔」を他人に見せてしまう。
どうも、近年の研究結果(by私)によると普通の人はそうではないらしいのだ。
その自分との違いに気付いたときにはボーゼンとした。
一般的に、人は自分の本心を見せない態度、言葉遣い、振る舞いを相手によって使い分けている。
対して私は、仏頂面なので、人には「一人にしてね」的な顔に見えるようだ。実際には、本当に人が意識に入らないだけなのだ。人が目の前にいるのに自分の思考に入ってしまって見えていない聞こえていないという様子になってしまう。これはイカン。気をつけないとイカンと思う。
それにしても、みんなすごいと思う。そんな事を四六時中やっているなら、家の外にいる間中、くたくたになるんじゃないだろうか。そんな事を一年中つづけられるなんて、私には超能力に匹敵する忍耐力じゃないかとさえ思える。
私は基本的に人に干渉されるのが嫌いなので、普段の私はどことなく「近寄らないで」のオーラをまとっているのだろう。もしくは「今考え中」のオーラ。もしくは「疲れました」のオーラ。もしくは「急いでいます」のオーラ。だから人が気を使ってしまって、近寄ってこない。
でも、そのオーラを突破してくる人はよくいる。いわゆる、「困っている人」だ。
私は意識的に人を遠ざけようとしてバリアをはっているのではないので、人が近づいてきたからといって、嫌だと思う事はない(ここがよく誤解されているような気がする)。それに私に近づいてくる大抵の人は、困っているとか、話を聞いてもらう必要があるとか、指示が欲しいとか、何か私から得る必要があって傍にくるのだから、私は迷惑に思うどころか、「何をあげられるでしょう?お役に立てれば嬉しい」という気持ちだ。必要なものがあるのだろうから、私があげられるものなら、必ずそれを得てもらいたいと願っている。
先日、出先の講演の後、帰り支度をしていると、一人の人が傍に立っていた。顔を見ると今にも泣きそうな顔をしている。「あの、先生、いいでしょうか」「ええ、もちろんどうぞ。どうしました?」
帰りの時間があったが、涙ぐんだ人の話を遮る事などできるはずもなく、その人が落ち着くまでその場で話を聞いた。
もちろんその場で何か解決出来るような簡単な問題ではない。その場では聞くだけで終わると分かっているのだが、それでもその人は吐き出す必要があるからこそ、その相手として私を選んだのだ。
ダライラマ法王は、すべての人に対して、まるで自分の愛する家族に再会したかのように接する。まるで、その人に駆け寄らずにはおられない、というような愛情の示し方をする。そのような大きな愛は、どうやって育むのだろうか。
「その人と関わらずにはおられない」という態度が自然と溢れ出るような人間というのは、本当に素晴らしいと思う。何よりも本人が幸せなのだろう。本当に見習いたいし、実践方法があるなら同じ道を辿って修業したい。私の目指す人間像の一人(その頂点)がダライラマ法王の在り方だ。でも余りにも高過ぎる目標なので、もうちょっと身近な目標が他に何人かいる。クリスやエラン。バリーさん。一緒にワークをしてくれる仲間。
自分の「人間としての在り方」に方向性を出すために、メンター(指導者)と思える誰かを持つのは本当に役立つことだ。その人なら、この場面でどう振る舞うのかを考え、それに従うことで、自分を高める事が出来るからだ。
私の「一人が好き」オーラは、人を遠ざけてしまう。
それは分かっている。でもそれを辞めようとするのは私らしさを自分で否定する事になるような気がする。人前でその顔を一切見せてはならないとしたら、私は家から出られなくなる。
一人が好きな私だけれど、私の目に誰かが映ったら、私はその人に対して「関わらずにはいられない」というような態度で接するべきなのだと思う。出来るだけ、そのようにしよう、そうできる自分でいられるよう、務めよう。
尊重する人は尊重される。
愛する人は愛される。
尊重された人は、より人を尊重するのが易くなり、
愛された人はより人を愛しやすくなる。
人間性の豊かさは循環し、世界を暖め、光を満たす。
自分が得をする為に人に何かをする訳ではないけれど、これは法則のようなものだと、よく思う。ダライラマ法王は、その循環のスタートをいつも作っておられるのだ。
法王に尊重され、愛された人は、人を尊重しやすくなり、愛しやすくなる。
私もその循環の中で 人を尊重し、愛していこう。
まずは、人が目に映ったらそれを態度でしめすこと。
目の前の人の事を、忘れないようにすること。
というのは私と少し近くなった人なら知っている事だろう。
私は相手を援助しようとしている時には自然と笑顔で気を使い優しく接するのだけれど、それ以外の時にはとにかく「人」という存在をまったく気にしていない。
だから「一人で居るときと同じ顔」を他人に見せてしまう。
どうも、近年の研究結果(by私)によると普通の人はそうではないらしいのだ。
その自分との違いに気付いたときにはボーゼンとした。
一般的に、人は自分の本心を見せない態度、言葉遣い、振る舞いを相手によって使い分けている。
対して私は、仏頂面なので、人には「一人にしてね」的な顔に見えるようだ。実際には、本当に人が意識に入らないだけなのだ。人が目の前にいるのに自分の思考に入ってしまって見えていない聞こえていないという様子になってしまう。これはイカン。気をつけないとイカンと思う。
それにしても、みんなすごいと思う。そんな事を四六時中やっているなら、家の外にいる間中、くたくたになるんじゃないだろうか。そんな事を一年中つづけられるなんて、私には超能力に匹敵する忍耐力じゃないかとさえ思える。
私は基本的に人に干渉されるのが嫌いなので、普段の私はどことなく「近寄らないで」のオーラをまとっているのだろう。もしくは「今考え中」のオーラ。もしくは「疲れました」のオーラ。もしくは「急いでいます」のオーラ。だから人が気を使ってしまって、近寄ってこない。
でも、そのオーラを突破してくる人はよくいる。いわゆる、「困っている人」だ。
私は意識的に人を遠ざけようとしてバリアをはっているのではないので、人が近づいてきたからといって、嫌だと思う事はない(ここがよく誤解されているような気がする)。それに私に近づいてくる大抵の人は、困っているとか、話を聞いてもらう必要があるとか、指示が欲しいとか、何か私から得る必要があって傍にくるのだから、私は迷惑に思うどころか、「何をあげられるでしょう?お役に立てれば嬉しい」という気持ちだ。必要なものがあるのだろうから、私があげられるものなら、必ずそれを得てもらいたいと願っている。
先日、出先の講演の後、帰り支度をしていると、一人の人が傍に立っていた。顔を見ると今にも泣きそうな顔をしている。「あの、先生、いいでしょうか」「ええ、もちろんどうぞ。どうしました?」
帰りの時間があったが、涙ぐんだ人の話を遮る事などできるはずもなく、その人が落ち着くまでその場で話を聞いた。
もちろんその場で何か解決出来るような簡単な問題ではない。その場では聞くだけで終わると分かっているのだが、それでもその人は吐き出す必要があるからこそ、その相手として私を選んだのだ。
ダライラマ法王は、すべての人に対して、まるで自分の愛する家族に再会したかのように接する。まるで、その人に駆け寄らずにはおられない、というような愛情の示し方をする。そのような大きな愛は、どうやって育むのだろうか。
「その人と関わらずにはおられない」という態度が自然と溢れ出るような人間というのは、本当に素晴らしいと思う。何よりも本人が幸せなのだろう。本当に見習いたいし、実践方法があるなら同じ道を辿って修業したい。私の目指す人間像の一人(その頂点)がダライラマ法王の在り方だ。でも余りにも高過ぎる目標なので、もうちょっと身近な目標が他に何人かいる。クリスやエラン。バリーさん。一緒にワークをしてくれる仲間。
自分の「人間としての在り方」に方向性を出すために、メンター(指導者)と思える誰かを持つのは本当に役立つことだ。その人なら、この場面でどう振る舞うのかを考え、それに従うことで、自分を高める事が出来るからだ。
私の「一人が好き」オーラは、人を遠ざけてしまう。
それは分かっている。でもそれを辞めようとするのは私らしさを自分で否定する事になるような気がする。人前でその顔を一切見せてはならないとしたら、私は家から出られなくなる。
一人が好きな私だけれど、私の目に誰かが映ったら、私はその人に対して「関わらずにはいられない」というような態度で接するべきなのだと思う。出来るだけ、そのようにしよう、そうできる自分でいられるよう、務めよう。
尊重する人は尊重される。
愛する人は愛される。
尊重された人は、より人を尊重するのが易くなり、
愛された人はより人を愛しやすくなる。
人間性の豊かさは循環し、世界を暖め、光を満たす。
自分が得をする為に人に何かをする訳ではないけれど、これは法則のようなものだと、よく思う。ダライラマ法王は、その循環のスタートをいつも作っておられるのだ。
法王に尊重され、愛された人は、人を尊重しやすくなり、愛しやすくなる。
私もその循環の中で 人を尊重し、愛していこう。
まずは、人が目に映ったらそれを態度でしめすこと。
目の前の人の事を、忘れないようにすること。
”これがそうさ” というようなニュアンスで使う言葉
マイケルのThis is it DVDが発売された。
発売日初日に手に入れていたけれど やっと観る時間を確保して、改めて観た。
その夜から 気分が沈んで仕方ない。
この人がこの世から失われた事を改めて実感して 悲しくて悲しくて仕方ない。
まだ死ぬような時ではなかったのにと、悔しくて仕方ない。
惜しくて惜しくて仕方ない。
私の人生のここ数年の出来事の中で1番悲しみが大きい出来事が マイケルの死だ。
チャムの死と同じくらい悲しい。チャムの死は老衰だが、マイケルはまだまだ生きられた事が明らかで、その意味で悲しみの質がチャムの場合とマイケルの場合では違う。
あのリハーサル映像を観ればわかる。
マイケルの、あの体の中には収まりきれない膨大な才能が、ショーステージという空間すべてを支配している。世界最高峰のダンサー、ミュージシャン、シンガー、演出家、照明、その多数のスタッフ達のすべてを支配している。観客がいれば、何十万人さえも同時にそして完全に支配しただろう。
彼の才能は、本当に一人の人間の中に納めるには大き過ぎた。その偉大さはその名の通り。
「Michael=神にもっとも近いもの」
アンバランスなほどに膨大な才能を与えられた特別な人間。
けれどもろく、シャイで、私たちと同じ人間だったマイケル。
This is it
これこそが その才能。
これこそが マイケルの伝えようとした事。
あと4年以内に、地球を救おうと、真剣にメッセージしようとした彼。
彼の魂とその才能を惜しんで 深く悲しんでしまう。
そしてこのツアーが中止された事で、地球を環境破壊から救うアクションが加速するチャンスを失った事にも失望している。
でも 今しかないと思う。
今が最後のチャンスだ、と言うマイケルに同意する。
未来の子供たちに この美しい地球を引き継ぐために引き返せる最後のポイントに、今人類は立っている。誰も代りにやってはくれない。そんな面倒な事は、環境保護団体とか、どこかのNGOとか、誰かがやってくれるなんて考えてはいけない。
自分が動こう。自分でやろう。
人間のしでかした不始末を、なんとか帳尻をあわせようとして苦しんでいる地球を、その病から救おう。
人類の歴史上 高度に発達した文明はすべて例外なく、消滅した。これは歴史的な事実だ。
そして、一つの文明が滅んでも、かつては一つの地域だけで影響は収まっていた。
しかし文明はあまりにも高度に発達し、世界は一つに結び合うネットワークを構築してしまった。
この瞬間に空に飛び交う飛行機は何百機とあり、地球を何十個も壊す事の出来る核兵器が、世界中に存在しているのだ。今、人類の文明は、たった一つにまとまってしまったと言えるのだ。
今この瞬間の人類の文明が滅んだ時、間違いなく地球は大規模に破壊される。影響は全世界に同時に及び、地上のすべてが今の姿を留める事ができないだろう。人類は絶滅の危機に瀕するだろう。
これは歴史から容易に学べる、かなり説得力のある推測だ。そして、その絶滅の危機を避ける事ができるほど人類が充分に賢くなったのかどうかを、試されている最後の審判の時。それが今だ。
青い水の惑星。私たちいきとし生けるものの母なる地球。
子供たちに美しい地球を引き継いであげよう。
だから、今すぐにはじめなければ。
マイケルのThis is it DVDが発売された。
発売日初日に手に入れていたけれど やっと観る時間を確保して、改めて観た。
その夜から 気分が沈んで仕方ない。
この人がこの世から失われた事を改めて実感して 悲しくて悲しくて仕方ない。
まだ死ぬような時ではなかったのにと、悔しくて仕方ない。
惜しくて惜しくて仕方ない。
私の人生のここ数年の出来事の中で1番悲しみが大きい出来事が マイケルの死だ。
チャムの死と同じくらい悲しい。チャムの死は老衰だが、マイケルはまだまだ生きられた事が明らかで、その意味で悲しみの質がチャムの場合とマイケルの場合では違う。
あのリハーサル映像を観ればわかる。
マイケルの、あの体の中には収まりきれない膨大な才能が、ショーステージという空間すべてを支配している。世界最高峰のダンサー、ミュージシャン、シンガー、演出家、照明、その多数のスタッフ達のすべてを支配している。観客がいれば、何十万人さえも同時にそして完全に支配しただろう。
彼の才能は、本当に一人の人間の中に納めるには大き過ぎた。その偉大さはその名の通り。
「Michael=神にもっとも近いもの」
アンバランスなほどに膨大な才能を与えられた特別な人間。
けれどもろく、シャイで、私たちと同じ人間だったマイケル。
This is it
これこそが その才能。
これこそが マイケルの伝えようとした事。
あと4年以内に、地球を救おうと、真剣にメッセージしようとした彼。
彼の魂とその才能を惜しんで 深く悲しんでしまう。
そしてこのツアーが中止された事で、地球を環境破壊から救うアクションが加速するチャンスを失った事にも失望している。
でも 今しかないと思う。
今が最後のチャンスだ、と言うマイケルに同意する。
未来の子供たちに この美しい地球を引き継ぐために引き返せる最後のポイントに、今人類は立っている。誰も代りにやってはくれない。そんな面倒な事は、環境保護団体とか、どこかのNGOとか、誰かがやってくれるなんて考えてはいけない。
自分が動こう。自分でやろう。
人間のしでかした不始末を、なんとか帳尻をあわせようとして苦しんでいる地球を、その病から救おう。
人類の歴史上 高度に発達した文明はすべて例外なく、消滅した。これは歴史的な事実だ。
そして、一つの文明が滅んでも、かつては一つの地域だけで影響は収まっていた。
しかし文明はあまりにも高度に発達し、世界は一つに結び合うネットワークを構築してしまった。
この瞬間に空に飛び交う飛行機は何百機とあり、地球を何十個も壊す事の出来る核兵器が、世界中に存在しているのだ。今、人類の文明は、たった一つにまとまってしまったと言えるのだ。
今この瞬間の人類の文明が滅んだ時、間違いなく地球は大規模に破壊される。影響は全世界に同時に及び、地上のすべてが今の姿を留める事ができないだろう。人類は絶滅の危機に瀕するだろう。
これは歴史から容易に学べる、かなり説得力のある推測だ。そして、その絶滅の危機を避ける事ができるほど人類が充分に賢くなったのかどうかを、試されている最後の審判の時。それが今だ。
青い水の惑星。私たちいきとし生けるものの母なる地球。
子供たちに美しい地球を引き継いであげよう。
だから、今すぐにはじめなければ。
自分自身を本当に知ろうとしはじめると
まず最初には 様々な偏見や批判意識によって妨害が起こる。
自分の良くないところや未熟な部分ばかりを探しだして猛烈
な反省会になったりする。批判とそれに対する言い訳が自分
の中でうずまくと、これ以上知るのが怖いような気持ちにな
ってくる。
残念ながらこれは知るという事ではない。
自分を知るという事は反省会ではないし、より良い計画や対
策を練る為の会議でもない。
自分を知るという事は、シンプルに 観察だ。
音もない静けさのなかで シンと空気が凪ぎ 波立たない水
面に自分を映して見るような、そういう作業だ。
だからそこに感情が映し出されるとしても、水面を波立たせ
ず、水鏡を壊さぬように、静かに呼吸する。
優しさを備えて 自分の中を見守る。
そんな作業が、自分を知る方法だ。
現代の日本人は、このやり方をすっかり忘れてしまっている
のだが、おそらく100年前には日本文化のいたるところに
このスキルが取り込まれていた。生活の中にも、自分自身を
見つめる時間が習慣として取り込まれていたはずだ。
自分自身の水鏡にどんな荒れた感情が映し出されるとしても、
その中に飛び込むのではなく、水鏡を見つめること。
そして、そのまなざしに、慈しみを備えること。
実は、この一連の行為こそが、瞑想の一つなのだ。
日々、自分を見つめる事は、自動的に、瞑想を続けることに
なる。
それを続ける毎日は、とても懐かしく、故郷に帰った気持ち
になる。その故郷は 遠く 冷たい空気に満ちた高地にある。
自分を見つめる時間は 胸の中に爽やかな高原の風が吹き抜ける。
まず最初には 様々な偏見や批判意識によって妨害が起こる。
自分の良くないところや未熟な部分ばかりを探しだして猛烈
な反省会になったりする。批判とそれに対する言い訳が自分
の中でうずまくと、これ以上知るのが怖いような気持ちにな
ってくる。
残念ながらこれは知るという事ではない。
自分を知るという事は反省会ではないし、より良い計画や対
策を練る為の会議でもない。
自分を知るという事は、シンプルに 観察だ。
音もない静けさのなかで シンと空気が凪ぎ 波立たない水
面に自分を映して見るような、そういう作業だ。
だからそこに感情が映し出されるとしても、水面を波立たせ
ず、水鏡を壊さぬように、静かに呼吸する。
優しさを備えて 自分の中を見守る。
そんな作業が、自分を知る方法だ。
現代の日本人は、このやり方をすっかり忘れてしまっている
のだが、おそらく100年前には日本文化のいたるところに
このスキルが取り込まれていた。生活の中にも、自分自身を
見つめる時間が習慣として取り込まれていたはずだ。
自分自身の水鏡にどんな荒れた感情が映し出されるとしても、
その中に飛び込むのではなく、水鏡を見つめること。
そして、そのまなざしに、慈しみを備えること。
実は、この一連の行為こそが、瞑想の一つなのだ。
日々、自分を見つめる事は、自動的に、瞑想を続けることに
なる。
それを続ける毎日は、とても懐かしく、故郷に帰った気持ち
になる。その故郷は 遠く 冷たい空気に満ちた高地にある。
自分を見つめる時間は 胸の中に爽やかな高原の風が吹き抜ける。
自律には自由がかかせない。
自分でよく調べ考え、判断し、行動する時に、誰の許可も必要ないという自由。
自律には自由がかかせない。
自分で考えて出した結論を、いちいち誰かに相談して、その人にOKをもらわなければ実行できないとしたら、それは自律とは呼べないのではないだろうか。
どうしてそんな事を急に言い出したのかという事だが、昨年末私の周辺の人間関係で一つの変化があった。一緒に仕事する関係を解消した人がいたという事だけれど、実は、その人が私との関係を解消してから、私は非常に「生きやすさ」を感じている。その人はとても優秀で、忍耐強く、私はその人が大好きだったし今も変わらず大好きなのだけれど、一緒に仕事をしていた一年ちょっとの間、私は常にその人の存在に大きな拘束力を受け続けていた。
その人が悪いという事ではない。ただ一緒にいると、動きが取れなくなる関係性というのがあるのだろう。どんな人が相手でも、人間関係とはそうしたものかも知れない。
その人が私との仕事関係を解消してくれたお陰で、私は本当に楽に息が出来て、その人と一緒にやる前のように再び自分で考えたことを実行できるようになった。
どちらが悪い訳でもない。けれど、私が相手と協調する事を忘れると、ひどく傷つけることになるのではないかと恐れていた。そのために私は不自然なほど相手の意向を気にかけ、互いにすり合わせた事だけしか実行出来ないのだと縛りつけられたような気持ちになっていた事を思い出す。
私が一緒に居て辛かったのだから、当然相手も辛かったのだろう。気の毒なことをした。しかしその人は類い稀な忍耐力で頑張って、辞め際を見いだして辞めていった。正解だと思う。私の方も、その人が離れることを承知で、ある意味離れてもらうためにも、大なたを振るった面がある。お互いが苦しむ関係なら解消するのが正解だ。
私はこれでも随分自律を獲得してきたと思うけれど、それでも「傷つけたくない人」が自分に深く深く、家族と同等に関わっているときは別だ。その人の意向を無視することは出来ない。そんな時、私は自律性を損なって、生き辛いと感じながらも、倒れる寸前まで我慢してしまう。最大限相手に合わせようとするし、自分の判断も心地よさも捨てて、あらゆる不具合に目をつぶってしまう。
誰かと一緒にいるということは、自由を損なうことなのだろうか。
人を自分の中にいれてしまったら、自由を失う気がする。
その人はその人、自分は自分という一線を失ったときに、すべてがきしみ始めると、改めて思う。
自律するには自由がかかせない。
誰にも許可を求めず、自分の判断した通りに選び取るための自由。
それがなければ、自分で考えることも判断することも放棄するようになってしまうだろう。
私たちは いつ自由を手に入れただろう。
親は 私たちに自由を いつ与えてくれただろう。
私は 私の子の自由を 害していないだろうか。
自分でよく調べ考え、判断し、行動する時に、誰の許可も必要ないという自由。
自律には自由がかかせない。
自分で考えて出した結論を、いちいち誰かに相談して、その人にOKをもらわなければ実行できないとしたら、それは自律とは呼べないのではないだろうか。
どうしてそんな事を急に言い出したのかという事だが、昨年末私の周辺の人間関係で一つの変化があった。一緒に仕事する関係を解消した人がいたという事だけれど、実は、その人が私との関係を解消してから、私は非常に「生きやすさ」を感じている。その人はとても優秀で、忍耐強く、私はその人が大好きだったし今も変わらず大好きなのだけれど、一緒に仕事をしていた一年ちょっとの間、私は常にその人の存在に大きな拘束力を受け続けていた。
その人が悪いという事ではない。ただ一緒にいると、動きが取れなくなる関係性というのがあるのだろう。どんな人が相手でも、人間関係とはそうしたものかも知れない。
その人が私との仕事関係を解消してくれたお陰で、私は本当に楽に息が出来て、その人と一緒にやる前のように再び自分で考えたことを実行できるようになった。
どちらが悪い訳でもない。けれど、私が相手と協調する事を忘れると、ひどく傷つけることになるのではないかと恐れていた。そのために私は不自然なほど相手の意向を気にかけ、互いにすり合わせた事だけしか実行出来ないのだと縛りつけられたような気持ちになっていた事を思い出す。
私が一緒に居て辛かったのだから、当然相手も辛かったのだろう。気の毒なことをした。しかしその人は類い稀な忍耐力で頑張って、辞め際を見いだして辞めていった。正解だと思う。私の方も、その人が離れることを承知で、ある意味離れてもらうためにも、大なたを振るった面がある。お互いが苦しむ関係なら解消するのが正解だ。
私はこれでも随分自律を獲得してきたと思うけれど、それでも「傷つけたくない人」が自分に深く深く、家族と同等に関わっているときは別だ。その人の意向を無視することは出来ない。そんな時、私は自律性を損なって、生き辛いと感じながらも、倒れる寸前まで我慢してしまう。最大限相手に合わせようとするし、自分の判断も心地よさも捨てて、あらゆる不具合に目をつぶってしまう。
誰かと一緒にいるということは、自由を損なうことなのだろうか。
人を自分の中にいれてしまったら、自由を失う気がする。
その人はその人、自分は自分という一線を失ったときに、すべてがきしみ始めると、改めて思う。
自律するには自由がかかせない。
誰にも許可を求めず、自分の判断した通りに選び取るための自由。
それがなければ、自分で考えることも判断することも放棄するようになってしまうだろう。
私たちは いつ自由を手に入れただろう。
親は 私たちに自由を いつ与えてくれただろう。
私は 私の子の自由を 害していないだろうか。
すごく古くて小さな一軒家を見に行きました。
以前から住みたい土地の候補、太宰府の観世音寺です。
大好きな平屋で、小さな庭にはキンカンの木。
中に入ると、とんでもなくすきま風が入ってきそうな、スカスカの家で、夫は「こんな家に住んだら光熱費がいくらかかるかわからない」と大反対。
でも私は入った途端に、懐かしくて胸がキュンとするほど。
おじいちゃんの家の匂いがする、そう思いました。
頭を打ってしまいそうなほど低い鴨居。
古いデザインの欄間。
懐かしい懐かしい、子どもの頃の記憶をたくさん呼び起こす、築60年の家でした。
まさに希望通りだったのですが、夫があまりに反対するので検討しようという事にしました。
すると3日後に「他の方に決まりました」という不動産屋さんからの連絡が。
あー…縁がなかったか…。
残念でしたが、私はやっぱり古い暮らし方に帰ろうとしているんだなとはっきり分かりました。
以前から住みたい土地の候補、太宰府の観世音寺です。
大好きな平屋で、小さな庭にはキンカンの木。
中に入ると、とんでもなくすきま風が入ってきそうな、スカスカの家で、夫は「こんな家に住んだら光熱費がいくらかかるかわからない」と大反対。
でも私は入った途端に、懐かしくて胸がキュンとするほど。
おじいちゃんの家の匂いがする、そう思いました。
頭を打ってしまいそうなほど低い鴨居。
古いデザインの欄間。
懐かしい懐かしい、子どもの頃の記憶をたくさん呼び起こす、築60年の家でした。
まさに希望通りだったのですが、夫があまりに反対するので検討しようという事にしました。
すると3日後に「他の方に決まりました」という不動産屋さんからの連絡が。
あー…縁がなかったか…。
残念でしたが、私はやっぱり古い暮らし方に帰ろうとしているんだなとはっきり分かりました。