2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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島で暮らす・山奥で暮らす というライフスタイルはわたしの憧れ。
自然に呼ばれている気がしてしかたない。
そこでこの物件が飛び込んできたので、昨日見に行った。
http://www.realfukuokaestate.jp/estate.php?n=454
何でも有名な書家がコツコツ手を入れてきた古民家の改装バージョン。
すごくもう、面白い物件だった。
自分的にはもう決定!としたいくらい気に入ったのだが、そこは超リアリストの夫のキビシイチェックが入る。
確かに、ここに移ったら、レンタルDVDはそうそう借りられない。
クライエントさんだってわざわざ船にのってまで、やってくるだろうか。
グループワークにはもってこいの広い和室があるが、さすがに大声は近所からクレームが出るかも知れない。
私がただシンプルに暮らすには理想でも、仕事をここに持ち込むのはかなり難しいだろう。
ということはここに暮らすと、市内に事務所を別途借りないといけなくて、ダブル家賃だ。
市内への通勤、ということになると、生活時間はかなり削られる。
…ん〜〜〜。
夜中まで議論したんだけど、やっぱり保留かな…。
印税生活とまでは行かずとも、家で一人で出来る仕事、作家とか、そういうポジションを手に入れていたら、速攻引越だったんだけれども。
あ〜…。残念〜。
トイレで「執着から苦が生じる」というお釈迦様の言葉を繰り返していたら気持ちが落ち着いた。
一歩、または半歩足りず。
引きこもり生活になるには、まだコマが足りないか。
でもね。本当に面白い物件だったのですよ!
写真50枚くらい撮りました。
いつかそういう家で、田舎に移って暮らします。
もし私に会いにきてくれるひとがいれば、そこまで来たというだけでも大歓迎すべき、そんな場所。
自然に呼ばれている気がしてしかたない。
そこでこの物件が飛び込んできたので、昨日見に行った。
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何でも有名な書家がコツコツ手を入れてきた古民家の改装バージョン。
すごくもう、面白い物件だった。
自分的にはもう決定!としたいくらい気に入ったのだが、そこは超リアリストの夫のキビシイチェックが入る。
確かに、ここに移ったら、レンタルDVDはそうそう借りられない。
クライエントさんだってわざわざ船にのってまで、やってくるだろうか。
グループワークにはもってこいの広い和室があるが、さすがに大声は近所からクレームが出るかも知れない。
私がただシンプルに暮らすには理想でも、仕事をここに持ち込むのはかなり難しいだろう。
ということはここに暮らすと、市内に事務所を別途借りないといけなくて、ダブル家賃だ。
市内への通勤、ということになると、生活時間はかなり削られる。
…ん〜〜〜。
夜中まで議論したんだけど、やっぱり保留かな…。
印税生活とまでは行かずとも、家で一人で出来る仕事、作家とか、そういうポジションを手に入れていたら、速攻引越だったんだけれども。
あ〜…。残念〜。
トイレで「執着から苦が生じる」というお釈迦様の言葉を繰り返していたら気持ちが落ち着いた。
一歩、または半歩足りず。
引きこもり生活になるには、まだコマが足りないか。
でもね。本当に面白い物件だったのですよ!
写真50枚くらい撮りました。
いつかそういう家で、田舎に移って暮らします。
もし私に会いにきてくれるひとがいれば、そこまで来たというだけでも大歓迎すべき、そんな場所。
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ちょっと大変な仕事が続き疲れてダウンです。
数日、体が重くて何も出来ない感じでしたが、
今日は娘にせがまれて花見に出かけました。
西公園はものすごい人手でしたが、広い公園内
を歩き回っていると誰も場所とりしてない穴場を発見。
早速レジャーシートを敷いて、お菓子やジュースでピクニック開始です。
ごろんと寝転がると3方に満開の桜。風が吹くと花吹雪。
青い空に舞い散る花びらはなんと優雅で風流なのでしょう。
3時間ほど家族でゴロゴロしながらお菓子をぼりぼりと食べて過ごしました。
家族で過ごす時間が一番贅沢な時間です。
とんびが鳴いています。
風が吹いています。
花びらが舞っています。
草の匂いを嗅ぎながら土の上に寝ころんでいます。
娘が斜面を転がって遊んでいます。
犬がはしゃいでいます。
とても素敵な春の日。
桜の季節。
若芽が出ていたのでヨモギを摘んで帰りました。
家に戻って、ヨモギ団子を作り、トマトソースで食べました。
娘はこうして野草や果物などを収穫するのが大好きです。
一番喜んでおいしいおいしいと食べました。
春の匂いの夕食です。
春の一日。
楽しかったね。
来月は、野イチゴを摘みに行こうね。
数日、体が重くて何も出来ない感じでしたが、
今日は娘にせがまれて花見に出かけました。
西公園はものすごい人手でしたが、広い公園内
を歩き回っていると誰も場所とりしてない穴場を発見。
早速レジャーシートを敷いて、お菓子やジュースでピクニック開始です。
ごろんと寝転がると3方に満開の桜。風が吹くと花吹雪。
青い空に舞い散る花びらはなんと優雅で風流なのでしょう。
3時間ほど家族でゴロゴロしながらお菓子をぼりぼりと食べて過ごしました。
家族で過ごす時間が一番贅沢な時間です。
とんびが鳴いています。
風が吹いています。
花びらが舞っています。
草の匂いを嗅ぎながら土の上に寝ころんでいます。
娘が斜面を転がって遊んでいます。
犬がはしゃいでいます。
とても素敵な春の日。
桜の季節。
若芽が出ていたのでヨモギを摘んで帰りました。
家に戻って、ヨモギ団子を作り、トマトソースで食べました。
娘はこうして野草や果物などを収穫するのが大好きです。
一番喜んでおいしいおいしいと食べました。
春の匂いの夕食です。
春の一日。
楽しかったね。
来月は、野イチゴを摘みに行こうね。
15年前の今日、私はいつも通り、会社に出社していた。
ニュースで東京の地下鉄でサリン事件が起きたことを知った。
(注:ご指摘がありましたので修正しました。当時はネット環境は創世期でまだ現在のように整っていませんでしたので、ネットのニュースで知ったという記述は私の違いかも知れません。ご指摘感謝します。業務上、IT環境は常に最先端でしたのでネットを通じて知ったというのも間違いではないかも知れないのですが、なにぶん記憶ですので混同している可能性もあり定かではありません。)
当時、私は、東京にあるいくつもの取引先に出張し、さまざまな交渉や営業をする立場にあった。ニュースを知った瞬間、まず真っ先に頭によぎったのは各社の担当者の顔だった。
取引先に次々に電話をかけ、担当者の安否を確かめた。担当者はいずれも無事で、幸い、誰もあの事件に巻き込まれた人は居なかった。11時になり、12時になり、昼休みになると、事件の大きさ、悲惨さが続々と伝わってきた。
ぞっとした。自分が出張で使う路線だった。取引先の人々が、皆、出勤に使う路線だった。
「あの電車の、一本前だったんです。僕が乗っていたのは」そう話してくれた担当者がいた。「もう、地下鉄に乗るのが怖いですよね」ぽつりとそう言った。
15年前のあの日の、ニュース映像が今でも目に焼き付いている。
阿鼻叫喚と化した、地下鉄のホーム。
それからも、私は仕事で繰り返し東京を訪れ、地下鉄にも何度も乗った。地下鉄のホームに立つたび、サリンという正体不明の猛毒で苦しんだ人たちの、あの日のその瞬間を感じるような気がして手を合わせた。地下鉄にのると必ず心の中で手を合わせ、今も苦しんでいる人たちにも安らぎがあるようにと手を合わせていた。それからの数年間、事件の再発を警戒し東京の地下鉄はいつ行っても異様な雰囲気だった。ごみ箱の撤去、網棚の荷物に触らない、不審な荷物があったらすぐに職員を呼んでなどのアナウンスが、何度も何度も流れていた。
今でこそ、東京も平穏を取り戻したように見える。けれどあの事件が日本人に与えた衝撃は、心の奥底にトラウマとなって焼き付いているのではないだろうか。
事件を風化させてはいけない。
こんなに平和だと言われる日本にも、テロが発生しうる事を、私たちは忘れてはいけない。
テロを起こす人が生まれるのは、社会の歪みの末なのだ。事件は私たちに警告している。
大人しく、忍耐強く、穏やかな気質で、従順であると言われる日本人の中からさえも、テロリズムが発生したのだ。これを忘れてはいけない。これは重要な警告だ。
今日の夜、この事件の被害者を主人公にすえた再現ドラマが放送されるそうだ。
ニュースで東京の地下鉄でサリン事件が起きたことを知った。
(注:ご指摘がありましたので修正しました。当時はネット環境は創世期でまだ現在のように整っていませんでしたので、ネットのニュースで知ったという記述は私の違いかも知れません。ご指摘感謝します。業務上、IT環境は常に最先端でしたのでネットを通じて知ったというのも間違いではないかも知れないのですが、なにぶん記憶ですので混同している可能性もあり定かではありません。)
当時、私は、東京にあるいくつもの取引先に出張し、さまざまな交渉や営業をする立場にあった。ニュースを知った瞬間、まず真っ先に頭によぎったのは各社の担当者の顔だった。
取引先に次々に電話をかけ、担当者の安否を確かめた。担当者はいずれも無事で、幸い、誰もあの事件に巻き込まれた人は居なかった。11時になり、12時になり、昼休みになると、事件の大きさ、悲惨さが続々と伝わってきた。
ぞっとした。自分が出張で使う路線だった。取引先の人々が、皆、出勤に使う路線だった。
「あの電車の、一本前だったんです。僕が乗っていたのは」そう話してくれた担当者がいた。「もう、地下鉄に乗るのが怖いですよね」ぽつりとそう言った。
15年前のあの日の、ニュース映像が今でも目に焼き付いている。
阿鼻叫喚と化した、地下鉄のホーム。
それからも、私は仕事で繰り返し東京を訪れ、地下鉄にも何度も乗った。地下鉄のホームに立つたび、サリンという正体不明の猛毒で苦しんだ人たちの、あの日のその瞬間を感じるような気がして手を合わせた。地下鉄にのると必ず心の中で手を合わせ、今も苦しんでいる人たちにも安らぎがあるようにと手を合わせていた。それからの数年間、事件の再発を警戒し東京の地下鉄はいつ行っても異様な雰囲気だった。ごみ箱の撤去、網棚の荷物に触らない、不審な荷物があったらすぐに職員を呼んでなどのアナウンスが、何度も何度も流れていた。
今でこそ、東京も平穏を取り戻したように見える。けれどあの事件が日本人に与えた衝撃は、心の奥底にトラウマとなって焼き付いているのではないだろうか。
事件を風化させてはいけない。
こんなに平和だと言われる日本にも、テロが発生しうる事を、私たちは忘れてはいけない。
テロを起こす人が生まれるのは、社会の歪みの末なのだ。事件は私たちに警告している。
大人しく、忍耐強く、穏やかな気質で、従順であると言われる日本人の中からさえも、テロリズムが発生したのだ。これを忘れてはいけない。これは重要な警告だ。
今日の夜、この事件の被害者を主人公にすえた再現ドラマが放送されるそうだ。
今日は 夕食の時に ふとワインが飲みたくなって
一人でほぼ1本飲んじゃいました。
一人で一本ワインを空けるって.どんだけ酒飲みなんだ?と思われたでしょうがこんなに飲んだのは10年以上前が最後です。
いつもはビール350ミリリットル一本で十分。
何故今日はワインだったのだろうか!?
自分でもよくわからない。
でもチリ産の白ワインが今日の鶏胸肉のソテークリームソースに合ってて、とっても美味しかったのですよね。何だかジュースのように一人でがぶがぶ飲んでしまって、気付いたらほにゃらかと気分が良くて、ボトルを空けてしまってたのです。うふ。
酔っ払いついでに、一人自分の部屋でヘッドフォンかけて、いつもカラオケで歌う曲を大きな音で聴きながら歌いまくってました。初めて気付いたけど、カラオケに行って歌うよりこの方がアルコール効果で気分いいかも?
福山雅治はなんであんなに格好良いのでしょうか。
「最愛」とか「キスして」とか、なんで泣けるのか分からないけど、涙が出るほどカッコいいですね。本人の実像がどんなだかわかりませんが、芸能人としての福山雅治は本当に素敵だなあと思います。抱かれたい男ナンバーワン。その気持ち、分かります、わかります。
夢を見させてくれるすごいオーラのある、数少ない男性ですね。
酔っぱらって調子がいいのでしょうか。
珍しくそんな事を言ってますが。
創世のアクエリオンというアニメがあって、アニメの方はとんと受付けないので見たことがないのですが、パチンコになった時、CMで盛んに主題歌が流れていました。それで気になって、最近になってカラオケで歌ってみたのですが、オリジナルを知らずに歌えるような易しい曲ではなかったのです。
それで、今日はその曲をマスターしてみました。
歌いこなすのが難しい歌は、挑戦心を煽られますね。
次にカラオケに行った時は、この曲でせめてみたいと思います。
ちなみに私は、めったに家族以外とはカラオケには行く機会がありません。人と行くと、歌う順番とか、歌の技術の差とか、歌う曲のジャンルとか、気になって気を使い過ぎて疲れてしまうからです。
私自身は、誰のどんな歌でも楽しく聴いているんですが、相手はそうはいかないようです。
私は芸能界に非常に疎いので流行の曲が歌えません。知りません。知っている曲のジャンルがとても偏っているのでオタクっぽくなります。
しかも曲によっては、私は非常に上手いです。(ぷっ)
相手を戦意喪失させるほど上手いので、人と一緒に行くのは大変、気が引けるのです。(ぷぷぷぷっ)
それでもいいという勇気のある方は、是非、私をカラオケに誘って下さい。
オタクっぽい、かつ場の流れを読まない勝手な選曲で、しかも上手過ぎてもいいという方は是非。
(何を言ってるんだかね)
はーー。一人で歌いまくって楽しかったにゃー。
この感じ、いいなあ。一人っていいなあ。
んー。なんか、小説のネタの、種が出てきそうな感じ。
福山効果かしら…甘酸っぱいわん。恋愛小説でも書けそう。(うそ)
一人でほぼ1本飲んじゃいました。
一人で一本ワインを空けるって.どんだけ酒飲みなんだ?と思われたでしょうがこんなに飲んだのは10年以上前が最後です。
いつもはビール350ミリリットル一本で十分。
何故今日はワインだったのだろうか!?
自分でもよくわからない。
でもチリ産の白ワインが今日の鶏胸肉のソテークリームソースに合ってて、とっても美味しかったのですよね。何だかジュースのように一人でがぶがぶ飲んでしまって、気付いたらほにゃらかと気分が良くて、ボトルを空けてしまってたのです。うふ。
酔っ払いついでに、一人自分の部屋でヘッドフォンかけて、いつもカラオケで歌う曲を大きな音で聴きながら歌いまくってました。初めて気付いたけど、カラオケに行って歌うよりこの方がアルコール効果で気分いいかも?
福山雅治はなんであんなに格好良いのでしょうか。
「最愛」とか「キスして」とか、なんで泣けるのか分からないけど、涙が出るほどカッコいいですね。本人の実像がどんなだかわかりませんが、芸能人としての福山雅治は本当に素敵だなあと思います。抱かれたい男ナンバーワン。その気持ち、分かります、わかります。
夢を見させてくれるすごいオーラのある、数少ない男性ですね。
酔っぱらって調子がいいのでしょうか。
珍しくそんな事を言ってますが。
創世のアクエリオンというアニメがあって、アニメの方はとんと受付けないので見たことがないのですが、パチンコになった時、CMで盛んに主題歌が流れていました。それで気になって、最近になってカラオケで歌ってみたのですが、オリジナルを知らずに歌えるような易しい曲ではなかったのです。
それで、今日はその曲をマスターしてみました。
歌いこなすのが難しい歌は、挑戦心を煽られますね。
次にカラオケに行った時は、この曲でせめてみたいと思います。
ちなみに私は、めったに家族以外とはカラオケには行く機会がありません。人と行くと、歌う順番とか、歌の技術の差とか、歌う曲のジャンルとか、気になって気を使い過ぎて疲れてしまうからです。
私自身は、誰のどんな歌でも楽しく聴いているんですが、相手はそうはいかないようです。
私は芸能界に非常に疎いので流行の曲が歌えません。知りません。知っている曲のジャンルがとても偏っているのでオタクっぽくなります。
しかも曲によっては、私は非常に上手いです。(ぷっ)
相手を戦意喪失させるほど上手いので、人と一緒に行くのは大変、気が引けるのです。(ぷぷぷぷっ)
それでもいいという勇気のある方は、是非、私をカラオケに誘って下さい。
オタクっぽい、かつ場の流れを読まない勝手な選曲で、しかも上手過ぎてもいいという方は是非。
(何を言ってるんだかね)
はーー。一人で歌いまくって楽しかったにゃー。
この感じ、いいなあ。一人っていいなあ。
んー。なんか、小説のネタの、種が出てきそうな感じ。
福山効果かしら…甘酸っぱいわん。恋愛小説でも書けそう。(うそ)
一年のうち、しっかり病人らしい熱が出ることなんて滅多にないのだけれど、ただいま風邪ひき中にて発熱中でーす。
ここ2日はしっかり倒れてました。
今日はだいぶ熱も下がり、鼻は詰まりまくっておりますがイヌの散歩にも行けるほど元気になりました。
遅れている執筆の仕事に勤しんでいますが、なかなか鼻詰まりというのは能率を下げるものですね。それと、鼻が詰まっていると瞑想がうまく行きません。呼吸が不自由になるので当然といえば当然ですが。
ひどい喘息も起こさず、まあ小難で済んだようです。
なんと黄砂が来ているのですねえ。
どうりで鼻も目も調子が悪いはずだな。
中国のゴビ砂漠の砂。どんどん拡がっているゴビ砂漠。
中国の砂漠化は本当に心配です。
中国とケンカしてる暇があったら、一本でも多く植林してあげようよ。
地球中が中国に統一されるとしても地球は守らなくちゃ。
国が滅ぶとしても星まで滅ぼしてはいけないよね。
ここ2日はしっかり倒れてました。
今日はだいぶ熱も下がり、鼻は詰まりまくっておりますがイヌの散歩にも行けるほど元気になりました。
遅れている執筆の仕事に勤しんでいますが、なかなか鼻詰まりというのは能率を下げるものですね。それと、鼻が詰まっていると瞑想がうまく行きません。呼吸が不自由になるので当然といえば当然ですが。
ひどい喘息も起こさず、まあ小難で済んだようです。
なんと黄砂が来ているのですねえ。
どうりで鼻も目も調子が悪いはずだな。
中国のゴビ砂漠の砂。どんどん拡がっているゴビ砂漠。
中国の砂漠化は本当に心配です。
中国とケンカしてる暇があったら、一本でも多く植林してあげようよ。
地球中が中国に統一されるとしても地球は守らなくちゃ。
国が滅ぶとしても星まで滅ぼしてはいけないよね。
私の仏教の先生であり、大切な友人であり、前世でも何かの関係があったらしい(笑)バリー・カーズィン博士の講演録の小冊子版が届きました。
もし欲しい方がいらしたら連絡を下さい。手元にある分から、希望の方にお分けします。講演に来られた方も、まだ機会を待っている方も、バリー博士の人柄(ヒューマンクオリティ)に触れることの出来る貴重な一冊です。
1冊500円ですが、僧侶のお話を書き起こした本ですので、本の売価ではなく、慈悲といたわりの心が自分を含めた世界中に拡がることを祈る寄付という形でお預かりします。。
この本に携わる人がそれぞれにその思いを労働に変えて、ようやく本の形になりました。
私はこの本の文章のほとんどを講演の録音から書き起こす作業をさせて頂きました。編集、チェックをして下さった方がいて、印刷用のレイアウトや装丁のデザインなどをして下さった方がいて、印刷屋さん、配送の人、印刷代運送代を工面した人がいて、やっとでき上がりここにあります。
この小冊子の内容は、東京での講演で、秋葉原の通り魔殺人の2週間後くらいでした。
バリーさんの個人的な生い立ちなどが語られているとても貴重な内容です。他の講演ではこの内容は話していませんので、私からも、この部分は是非本にいれるべきと薦めました。
アメリカの医学博士であったバリーさんが、インドのチベット僧侶になった数奇な人生に、何があったのか。優しく大きな心のバリーさんは、どんな少年時代を過ごしたのか。何故仏教の道に入ったのか。医学と仏教の関係は。瞑想の科学的検証は。そのようなことが全体の7割です。2割は2種類の瞑想のやりかたを説明しています。最後に質疑応答が記録されています。
ここで紹介されている、シャマタ瞑想とトンレン瞑想のふたつは、私も日常的に行なっています。
これらの瞑想は、日々行なうことで心身の調整に非常に効果があることが医学的にも証明されています。
また、長年瞑想を続けた人は、脳内の「前頭前野背内側部」と呼ばれる部位がとても発達していることが発見され、2008年の学会で発表されています。この部位は心の働きを観察する部位で、共感性と関係していると言われています。「前頭前野背内側部」は額の真ん中にあり、ここが発達している人はストレスに非常に強いとわかりました。また、少なくとも瞑想を続けることで発達する、という事は証明されており、高齢になっても老化しない部位であると報告されています。
ちょうど、おでこの真ん中、第三の目があるといわれている場所です。昔から、人間はこの場所に脳の特殊な機能がある事を感じとっていたのかも知れませんね。
小冊子ですので、薄めの小さな本ですが、バリーさんの心とそれを支える人たちの気持ちが一杯詰まっている、暖かな本です。
もし欲しい方がいらしたら連絡を下さい。手元にある分から、希望の方にお分けします。講演に来られた方も、まだ機会を待っている方も、バリー博士の人柄(ヒューマンクオリティ)に触れることの出来る貴重な一冊です。
1冊500円ですが、僧侶のお話を書き起こした本ですので、本の売価ではなく、慈悲といたわりの心が自分を含めた世界中に拡がることを祈る寄付という形でお預かりします。。
この本に携わる人がそれぞれにその思いを労働に変えて、ようやく本の形になりました。
私はこの本の文章のほとんどを講演の録音から書き起こす作業をさせて頂きました。編集、チェックをして下さった方がいて、印刷用のレイアウトや装丁のデザインなどをして下さった方がいて、印刷屋さん、配送の人、印刷代運送代を工面した人がいて、やっとでき上がりここにあります。
この小冊子の内容は、東京での講演で、秋葉原の通り魔殺人の2週間後くらいでした。
バリーさんの個人的な生い立ちなどが語られているとても貴重な内容です。他の講演ではこの内容は話していませんので、私からも、この部分は是非本にいれるべきと薦めました。
アメリカの医学博士であったバリーさんが、インドのチベット僧侶になった数奇な人生に、何があったのか。優しく大きな心のバリーさんは、どんな少年時代を過ごしたのか。何故仏教の道に入ったのか。医学と仏教の関係は。瞑想の科学的検証は。そのようなことが全体の7割です。2割は2種類の瞑想のやりかたを説明しています。最後に質疑応答が記録されています。
ここで紹介されている、シャマタ瞑想とトンレン瞑想のふたつは、私も日常的に行なっています。
これらの瞑想は、日々行なうことで心身の調整に非常に効果があることが医学的にも証明されています。
また、長年瞑想を続けた人は、脳内の「前頭前野背内側部」と呼ばれる部位がとても発達していることが発見され、2008年の学会で発表されています。この部位は心の働きを観察する部位で、共感性と関係していると言われています。「前頭前野背内側部」は額の真ん中にあり、ここが発達している人はストレスに非常に強いとわかりました。また、少なくとも瞑想を続けることで発達する、という事は証明されており、高齢になっても老化しない部位であると報告されています。
ちょうど、おでこの真ん中、第三の目があるといわれている場所です。昔から、人間はこの場所に脳の特殊な機能がある事を感じとっていたのかも知れませんね。
小冊子ですので、薄めの小さな本ですが、バリーさんの心とそれを支える人たちの気持ちが一杯詰まっている、暖かな本です。
半年ほど前に映画館でやっていたディズニーアニメの「ボルト」。
レンタルでも準新作に落ちてきました。
さらにクーポンで半額になり、140円で借りられました。安っ。
ゲームの仕事と映画の仕事は同じくエンタテインメント産業なので
似ている面が多く、世界の流行や最新技術をリサーチする為にもこ
の20年、常にチェックしています。もう技術者じゃないのに、何
故か研究は怠らない私と坂本(笑)。
ボルトはディズニーアニメーションのCG部門初の作品だったし、
上映では3Dものだったし、イヌの話なので娘が喜ぶはずと思って
目をつけてた作品です。
せっかく3Dなら本当は映画館で見たかったけど、家族全員でご飯
を食べながら映画鑑賞。
率直に言って、私は、映画産業に一言言いたいとずっと思っていま
した。それは「イヌ」を扱った作品で、満足の行く出来のものが無
い!ということ。
私は前世のどこかでは自分は犬だったんだと確信するほど、イヌ好
きですが、映画でイヌを扱うと、いつも人間の勝手な解釈で本当の
イヌの考えや気持ちが歪められてしまっていると感じます。
実写ならイヌがトレーナーの指示で演技させられていることが丸分
かりで白けるし、アニメなら人間の思い込みで白けるし。
イヌはそんなこと考えないぞ!ということが多いのです。
ところが。
この「ボルト」は非常によく出来ています。
まず何といっても、ストーリーと設定に無駄がない。無理がない。
イヌという動物の性質と可愛さを、非常によく理解している。
この作品に抜擢されたのはクリス・ウィリアムズ監督、バイロン・
ハワード監督の若い二人で、これが彼らにとって初の監督作品で
す。彼らは動物の描写に優れた感性を持ち、アメリカのアニメーシ
ョン界の動物描写を何段階も引き上げた人として名が通っているよ
うです。
二人が来日した時のインタビューで、これを表した言葉が残されて
いました。
パイロン
「従来の映画では、犬のキャラクタは、まるで皮を着た人間のよう
に見えていました。我々はそれを避け、忠実に犬の性質を再現した
いと思ったんです。そのため、動きを忠実に再現することはもちろ
ん、飼い主への忠誠心や愛着といった内面的な部分も描いていきま
した。」
そう。ボルトは、本当に「イヌ」なのです。
あの動き、しぐさ、表情。シーンの一つ一つに、イヌという動物へ
の理解の深さがあふれ出ています。この映画の映像の美しさは、動
物への愛に溢れています。
例えば、ボルトの耳。ボルトの後ろに月明かりや昼間の外の明かり
があるカットがあります。この時、ボルトの耳に、光が少し透けて
いるのです。イヌの耳に光が透けるということに気付く人は、イヌ
を飼っている人ですら、全員ではありません。
ボルトの毛色は白なので、光はより透けやすく、耳の中に流れる血
でうっすらピンクになるのですが、光に透けた耳の可愛らしいこと、
そしてその姿の美しいこと。
イヌの耳が光で少し透けているという部分に気付く人はほとんどい
ないかもしれませんが、CG作品でそれを実現するのは簡単ではあり
ません。光が透ける映像を作るには、その透けているイメージをデ
ザイナーが最初に頭に思い浮かべている必要があります。デザイナ
ーが、「この時、イヌの耳って光が透けるんだよね」とイメージし
ているからこそ、コンピュータで映像を作る作業中に、耳の部分に
後ろの光を透かすという計算をさせるよう設定して行きます。
ガラスやレースならどんなデザイナーだって光を透かすように設定
します。しかしイヌの耳。イヌを本当によく観察している人でなけ
れば、これは思いつけません。
もう一つは、ボルトが貨車に揺られて、開口部に座り、外の美しい
景色を眺めているシーン。そのボルトとネコとハムスターの3匹を、
カメラは後ろ姿から捉えています。美しい風景の中に座る、3匹の
背中。このシーンは、ポスターにしたいくらいきれいです。そして
その背中は、イヌが風に吹かれるのを楽しんでいる、静かな喜びが
表現されています。3匹はそれぞれ、ありのままで受け入れ合う仲
間。このうえなく、平和なシーンです。
本当のイヌ好きなら、ボルトのセリフはまったく無くてもその体の
しぐさで全部分かってしまうほど、リアルな動きをしています。
イヌって、本当にこれをやるよね!という喜びで一杯になりました。
アメリカの大自然を実写かと見間違えるほど美しく描き込んでいま
す。あらゆるシーンが緻密で、本当に素晴らしいの一言です。
冒頭では最新のアクション映画顔負けのスリリングかつ、緻密なア
クションシーンが10分ほど続きます。このアクションがまた、カ
メラワーク、映像効果など、心憎いほど出来がいい。
笑いと、涙。ディズニーの映画哲学を踏襲した作品です。
是非見て下さい。時間を無駄にしたとは思わないはずです。
アバターにも感動しましたがあれはストーリーに感動。
このボルトは、イヌの描写に感動です。95点!
3匹の動物が、アメリカ大陸を横断するという設定は、1963年
のディズニー映画「三匹荒野を行く」そのリメイク版1993年
「奇跡の旅」と同じです。
こちらも是非見て欲しいですね。実話を元にした感動作です。
おまけ。
「ハト」の動きも、ものすごい出来栄えです。
目を奪われました。本当に、「ハト」を理解してます。
レンタルでも準新作に落ちてきました。
さらにクーポンで半額になり、140円で借りられました。安っ。
ゲームの仕事と映画の仕事は同じくエンタテインメント産業なので
似ている面が多く、世界の流行や最新技術をリサーチする為にもこ
の20年、常にチェックしています。もう技術者じゃないのに、何
故か研究は怠らない私と坂本(笑)。
ボルトはディズニーアニメーションのCG部門初の作品だったし、
上映では3Dものだったし、イヌの話なので娘が喜ぶはずと思って
目をつけてた作品です。
せっかく3Dなら本当は映画館で見たかったけど、家族全員でご飯
を食べながら映画鑑賞。
率直に言って、私は、映画産業に一言言いたいとずっと思っていま
した。それは「イヌ」を扱った作品で、満足の行く出来のものが無
い!ということ。
私は前世のどこかでは自分は犬だったんだと確信するほど、イヌ好
きですが、映画でイヌを扱うと、いつも人間の勝手な解釈で本当の
イヌの考えや気持ちが歪められてしまっていると感じます。
実写ならイヌがトレーナーの指示で演技させられていることが丸分
かりで白けるし、アニメなら人間の思い込みで白けるし。
イヌはそんなこと考えないぞ!ということが多いのです。
ところが。
この「ボルト」は非常によく出来ています。
まず何といっても、ストーリーと設定に無駄がない。無理がない。
イヌという動物の性質と可愛さを、非常によく理解している。
この作品に抜擢されたのはクリス・ウィリアムズ監督、バイロン・
ハワード監督の若い二人で、これが彼らにとって初の監督作品で
す。彼らは動物の描写に優れた感性を持ち、アメリカのアニメーシ
ョン界の動物描写を何段階も引き上げた人として名が通っているよ
うです。
二人が来日した時のインタビューで、これを表した言葉が残されて
いました。
パイロン
「従来の映画では、犬のキャラクタは、まるで皮を着た人間のよう
に見えていました。我々はそれを避け、忠実に犬の性質を再現した
いと思ったんです。そのため、動きを忠実に再現することはもちろ
ん、飼い主への忠誠心や愛着といった内面的な部分も描いていきま
した。」
そう。ボルトは、本当に「イヌ」なのです。
あの動き、しぐさ、表情。シーンの一つ一つに、イヌという動物へ
の理解の深さがあふれ出ています。この映画の映像の美しさは、動
物への愛に溢れています。
例えば、ボルトの耳。ボルトの後ろに月明かりや昼間の外の明かり
があるカットがあります。この時、ボルトの耳に、光が少し透けて
いるのです。イヌの耳に光が透けるということに気付く人は、イヌ
を飼っている人ですら、全員ではありません。
ボルトの毛色は白なので、光はより透けやすく、耳の中に流れる血
でうっすらピンクになるのですが、光に透けた耳の可愛らしいこと、
そしてその姿の美しいこと。
イヌの耳が光で少し透けているという部分に気付く人はほとんどい
ないかもしれませんが、CG作品でそれを実現するのは簡単ではあり
ません。光が透ける映像を作るには、その透けているイメージをデ
ザイナーが最初に頭に思い浮かべている必要があります。デザイナ
ーが、「この時、イヌの耳って光が透けるんだよね」とイメージし
ているからこそ、コンピュータで映像を作る作業中に、耳の部分に
後ろの光を透かすという計算をさせるよう設定して行きます。
ガラスやレースならどんなデザイナーだって光を透かすように設定
します。しかしイヌの耳。イヌを本当によく観察している人でなけ
れば、これは思いつけません。
もう一つは、ボルトが貨車に揺られて、開口部に座り、外の美しい
景色を眺めているシーン。そのボルトとネコとハムスターの3匹を、
カメラは後ろ姿から捉えています。美しい風景の中に座る、3匹の
背中。このシーンは、ポスターにしたいくらいきれいです。そして
その背中は、イヌが風に吹かれるのを楽しんでいる、静かな喜びが
表現されています。3匹はそれぞれ、ありのままで受け入れ合う仲
間。このうえなく、平和なシーンです。
本当のイヌ好きなら、ボルトのセリフはまったく無くてもその体の
しぐさで全部分かってしまうほど、リアルな動きをしています。
イヌって、本当にこれをやるよね!という喜びで一杯になりました。
アメリカの大自然を実写かと見間違えるほど美しく描き込んでいま
す。あらゆるシーンが緻密で、本当に素晴らしいの一言です。
冒頭では最新のアクション映画顔負けのスリリングかつ、緻密なア
クションシーンが10分ほど続きます。このアクションがまた、カ
メラワーク、映像効果など、心憎いほど出来がいい。
笑いと、涙。ディズニーの映画哲学を踏襲した作品です。
是非見て下さい。時間を無駄にしたとは思わないはずです。
アバターにも感動しましたがあれはストーリーに感動。
このボルトは、イヌの描写に感動です。95点!
3匹の動物が、アメリカ大陸を横断するという設定は、1963年
のディズニー映画「三匹荒野を行く」そのリメイク版1993年
「奇跡の旅」と同じです。
こちらも是非見て欲しいですね。実話を元にした感動作です。
おまけ。
「ハト」の動きも、ものすごい出来栄えです。
目を奪われました。本当に、「ハト」を理解してます。
日本の皇室皇太子家の一人娘、愛子さまはうちの子より1才年下だ。
我が家に子供が生まれ、夫かたの両親にはベビーちゃん可愛い病が発症していた時期、皇太子妃雅子さまにも同じ女の子が生まれたものだから、両親のベビーちゃん病はさらに重症化した。
何かにつけ、愛子さまとうちの娘を比較する。
いくらなんでも、たかが年が近いというだけで日本の内親王殿下とうちの子を並べて話すことはないだろうにとも思うのだが、どっちが顔が可愛いとか頭はどっちがよさそうだとか、しまいには髪の毛の渦の話までし始める。
まあいつも結局どっちも可愛いという事が言いたいらしい。
我が孫と並べて気にかけてしまうほど、皇室への心理的距離は近いらしい。
その愛子さまが不登校だそうだ。
うちの子も時々帰ってくるなりわーっと泣き出して学校に行きたくないと言う。
色々と学校であったのだろう。傷ついたことは可哀相だけど大丈夫。
しばらく家に居させてあげればよいのだ。特に母親と一緒に居させて、のんびりスキンシップの時間を増やす。
家で笑顔が戻って伸び伸びするようになったら、少しづつ、学校に戻れそうか、どうすれば戻る助けになるかを調べるために話しをたくさんして、筋道を作って行く。
学校まで付いて行こうか。保健室に1時間だけ行ってみる?図書室に一日居てもいいよ。帰りは迎えに行こうか。一時間だけクラスに入れるかな。半日授業をうけてみる?週に1日から始めればいいよ。行くと決めた日以外は全部休んでもいい。
そうやってゆっくりと戻る段取りを作ってあげる。
それを提案してあげただけで、一気に学級へ復帰する子もいる。
子供はいつだって 北風より太陽でうまく行く。
愛子さまだって、うちの子だって、おんなじだ。
我が家に子供が生まれ、夫かたの両親にはベビーちゃん可愛い病が発症していた時期、皇太子妃雅子さまにも同じ女の子が生まれたものだから、両親のベビーちゃん病はさらに重症化した。
何かにつけ、愛子さまとうちの娘を比較する。
いくらなんでも、たかが年が近いというだけで日本の内親王殿下とうちの子を並べて話すことはないだろうにとも思うのだが、どっちが顔が可愛いとか頭はどっちがよさそうだとか、しまいには髪の毛の渦の話までし始める。
まあいつも結局どっちも可愛いという事が言いたいらしい。
我が孫と並べて気にかけてしまうほど、皇室への心理的距離は近いらしい。
その愛子さまが不登校だそうだ。
うちの子も時々帰ってくるなりわーっと泣き出して学校に行きたくないと言う。
色々と学校であったのだろう。傷ついたことは可哀相だけど大丈夫。
しばらく家に居させてあげればよいのだ。特に母親と一緒に居させて、のんびりスキンシップの時間を増やす。
家で笑顔が戻って伸び伸びするようになったら、少しづつ、学校に戻れそうか、どうすれば戻る助けになるかを調べるために話しをたくさんして、筋道を作って行く。
学校まで付いて行こうか。保健室に1時間だけ行ってみる?図書室に一日居てもいいよ。帰りは迎えに行こうか。一時間だけクラスに入れるかな。半日授業をうけてみる?週に1日から始めればいいよ。行くと決めた日以外は全部休んでもいい。
そうやってゆっくりと戻る段取りを作ってあげる。
それを提案してあげただけで、一気に学級へ復帰する子もいる。
子供はいつだって 北風より太陽でうまく行く。
愛子さまだって、うちの子だって、おんなじだ。
「今度 ●●に行きましょう。ご案内します」
「今度一緒に●●を食べに行きましょう」
「今度こういう事をやります。是非参加して下さいね。」
いつも明るい笑顔でそんな事を言う以前からの知り合いがいる。
明るい笑顔と、「今度」で始まる未来の約束の言葉でその人との関係はうまく行っていると感じられる。
けれどふと現実を振り返る。
この人の「今度」で実現したことはいくつあったろうか?
驚くことにほとんどないと気付く。
ご案内するとまで言ってくれた場所に、この日ご案内しますという誘いは来ない。
一緒に食べに行こうと言っていたものの話はそれきり出ない。
参加して下さいと言われた催しの日時の知らせは来ない。
私は何度この人の「今度」を信じただろう。
この人の「今度」で本当になった事はひとつもないと気付き、また再会する。
「今度 こういう事を一緒にやりましょうね」
明るい笑顔、曇りを感じさせない言葉。
誰でも話が盛り上がったら、その話ついでに「今度〜しましょう」と言うことはあるだろう。
でもその場合の「今度」は、願望の意味で「こうなるといいなあ」ということだ。私だってそのニュアンスはきちんと掴めるし、それを読み取ったら、「約束」だとは思わない。
でもこの人の「今度」は明確な意志、未来にきっと実現しようという約束に感じさせる。
「うんそうね。やりましょう」
愚かな私は笑って、また信じてしまう。
そして本当に長い時間信じ続ける。
長い長い時間が経ってからふと「あれどうなったんだろう」と気付く。
この人は「自覚のない嘘つき」なのだろうか。
言葉になんの責任も負っていない、言葉の軽い人なのだろうか。
本物でないものを本物だと思わされる事を「騙される」と言う。
私は騙されてばかりだ。
一度騙された同じ相手から、何度でも騙される。
それをいつも夫に呆れられている。「懲りないね」と。
何度でも信じるのは何故なのかと言えば、自分にとっては約束は守られて当然すぎることだからだ。
相手がそれを簡単に反故にする事の方が信じられないのだ。
その人の顔を見ながら考える。
前回までにこの人は私に何度「今度」と言っただろうか。
そのどれも実行していない事をこの人は覚えているのだろうか。
目の前の笑顔。
その笑顔の意味を考える。
私がこの人なら。これだけの数の約束を保留にしていてこんな笑顔が出来るだろうか。私なら出来ない。相手に未来をいくつも約束していながら、それを一つも叶えないままでいる事を忘れられるだろうか。私なら出来ない。
そしてまた目の前に笑顔。
「今度、これをやりますね。」
曇りのない笑顔。疑う余地のない約束の言葉。
ああ。
この人の「今度」なんて永久に来ない。
これは巧妙過ぎる嘘なのだ。
この人は自覚している。
私がこの人を決して追求しない事を確信している。
「あなたの今度っていつ?」「この間言ってたこと、どうなった?」
私がそれを追求しない人間だと、この人は悟っているのだ。
この人にとって私は非常にたやすく扱える羊のような存在なのだ。
そうだったのだ。
この人は忘れているのではない。
明確に、計算で、私をつなぎ止めるテクニックとしてこれをしているのだ。
だから一度した約束のことを絶対に二度口に出さない。
本当に「今度するつもり」ならそれをまた話すだろう。
一度口にした約束は、巧妙に、精密に、避けて触れないようにしている。
相手が思い出すことがないように。なかった事に出来るように。
「ねえ、今度〜するっていってたでしょう」ともし私がたずねてもこの人は「そうなるといいなって意味ですよ」と言い返せる。巧妙なのだ。私が勝手に約束したと思い込んだだけ、そう扱えるような言葉を使っている。ニュアンスは願望ではなかった。明確に約束のニュアンスを含んでいたのに、後になって「なかったこと」に出来るようになっている。
笑顔と、明るい未来を感じさせる言葉。
身を守り状況を変える為の武器。生き抜く為の道具。
相手をなだめ、安心させ、味方に付けるための最大の技術。
笑顔も言葉も、私を逃がさないため、支配するためのテクニックなのだ。
騙しているというよりは 操っている。
相手が怒ったり、追求したりしないと分かっていてこういうやり方を、選択している。
私はこのやり方をする人にとって この上なく上等のカモなのだ。
心底 人間の薄暗さを感じた。
私が求めている世界の 正反対側にこの人は居る。
この人の言葉と笑顔は 美しく澄んでいるようで毒が入っている。
ゆっくりと確実に蝕む 無味無臭のヒ素のように。
透明でキラキラした清い水に見えて 毒水なのだ。
本人は自分のしている事をいけない事だとこれっぽっちも思っていないだろう。
本能的に、そして経験的にそれを体得してしまっているのだから。
「いつも人が離れていくんですよね。どうしてかわからないけど」
と言っていたっけ。その言葉に、私と同じなのかなと同情した。
けれど理由は今 はっきり分かる。
この人から人が離れるのは 私が孤独なのとは全く違う理由なのだ。
対極にいるこの人と関わることはもうないかも知れないが この人の為にも祈り続けよう。
この人も おそらく孤独に苦しんでいるはず。
人に継続的に愛されないと思い知るのは辛いだろう。
それを思うと 自分の受けた仕打ちよりも この人が可哀相に思う。
「今度一緒に●●を食べに行きましょう」
「今度こういう事をやります。是非参加して下さいね。」
いつも明るい笑顔でそんな事を言う以前からの知り合いがいる。
明るい笑顔と、「今度」で始まる未来の約束の言葉でその人との関係はうまく行っていると感じられる。
けれどふと現実を振り返る。
この人の「今度」で実現したことはいくつあったろうか?
驚くことにほとんどないと気付く。
ご案内するとまで言ってくれた場所に、この日ご案内しますという誘いは来ない。
一緒に食べに行こうと言っていたものの話はそれきり出ない。
参加して下さいと言われた催しの日時の知らせは来ない。
私は何度この人の「今度」を信じただろう。
この人の「今度」で本当になった事はひとつもないと気付き、また再会する。
「今度 こういう事を一緒にやりましょうね」
明るい笑顔、曇りを感じさせない言葉。
誰でも話が盛り上がったら、その話ついでに「今度〜しましょう」と言うことはあるだろう。
でもその場合の「今度」は、願望の意味で「こうなるといいなあ」ということだ。私だってそのニュアンスはきちんと掴めるし、それを読み取ったら、「約束」だとは思わない。
でもこの人の「今度」は明確な意志、未来にきっと実現しようという約束に感じさせる。
「うんそうね。やりましょう」
愚かな私は笑って、また信じてしまう。
そして本当に長い時間信じ続ける。
長い長い時間が経ってからふと「あれどうなったんだろう」と気付く。
この人は「自覚のない嘘つき」なのだろうか。
言葉になんの責任も負っていない、言葉の軽い人なのだろうか。
本物でないものを本物だと思わされる事を「騙される」と言う。
私は騙されてばかりだ。
一度騙された同じ相手から、何度でも騙される。
それをいつも夫に呆れられている。「懲りないね」と。
何度でも信じるのは何故なのかと言えば、自分にとっては約束は守られて当然すぎることだからだ。
相手がそれを簡単に反故にする事の方が信じられないのだ。
その人の顔を見ながら考える。
前回までにこの人は私に何度「今度」と言っただろうか。
そのどれも実行していない事をこの人は覚えているのだろうか。
目の前の笑顔。
その笑顔の意味を考える。
私がこの人なら。これだけの数の約束を保留にしていてこんな笑顔が出来るだろうか。私なら出来ない。相手に未来をいくつも約束していながら、それを一つも叶えないままでいる事を忘れられるだろうか。私なら出来ない。
そしてまた目の前に笑顔。
「今度、これをやりますね。」
曇りのない笑顔。疑う余地のない約束の言葉。
ああ。
この人の「今度」なんて永久に来ない。
これは巧妙過ぎる嘘なのだ。
この人は自覚している。
私がこの人を決して追求しない事を確信している。
「あなたの今度っていつ?」「この間言ってたこと、どうなった?」
私がそれを追求しない人間だと、この人は悟っているのだ。
この人にとって私は非常にたやすく扱える羊のような存在なのだ。
そうだったのだ。
この人は忘れているのではない。
明確に、計算で、私をつなぎ止めるテクニックとしてこれをしているのだ。
だから一度した約束のことを絶対に二度口に出さない。
本当に「今度するつもり」ならそれをまた話すだろう。
一度口にした約束は、巧妙に、精密に、避けて触れないようにしている。
相手が思い出すことがないように。なかった事に出来るように。
「ねえ、今度〜するっていってたでしょう」ともし私がたずねてもこの人は「そうなるといいなって意味ですよ」と言い返せる。巧妙なのだ。私が勝手に約束したと思い込んだだけ、そう扱えるような言葉を使っている。ニュアンスは願望ではなかった。明確に約束のニュアンスを含んでいたのに、後になって「なかったこと」に出来るようになっている。
笑顔と、明るい未来を感じさせる言葉。
身を守り状況を変える為の武器。生き抜く為の道具。
相手をなだめ、安心させ、味方に付けるための最大の技術。
笑顔も言葉も、私を逃がさないため、支配するためのテクニックなのだ。
騙しているというよりは 操っている。
相手が怒ったり、追求したりしないと分かっていてこういうやり方を、選択している。
私はこのやり方をする人にとって この上なく上等のカモなのだ。
心底 人間の薄暗さを感じた。
私が求めている世界の 正反対側にこの人は居る。
この人の言葉と笑顔は 美しく澄んでいるようで毒が入っている。
ゆっくりと確実に蝕む 無味無臭のヒ素のように。
透明でキラキラした清い水に見えて 毒水なのだ。
本人は自分のしている事をいけない事だとこれっぽっちも思っていないだろう。
本能的に、そして経験的にそれを体得してしまっているのだから。
「いつも人が離れていくんですよね。どうしてかわからないけど」
と言っていたっけ。その言葉に、私と同じなのかなと同情した。
けれど理由は今 はっきり分かる。
この人から人が離れるのは 私が孤独なのとは全く違う理由なのだ。
対極にいるこの人と関わることはもうないかも知れないが この人の為にも祈り続けよう。
この人も おそらく孤独に苦しんでいるはず。
人に継続的に愛されないと思い知るのは辛いだろう。
それを思うと 自分の受けた仕打ちよりも この人が可哀相に思う。
想像力は、慈悲心の起動スイッチのようなものだと思う。
想像することができなければ 人の痛みなど無意味だし
想像することができなければ 親が自分にかけた愛の深さも永久に理解出来ない
自分の前にいる意地悪でいじけ虫で人にやっかいがられるほどになってしまったその人に
いったいこれまで何があったろうかと想像できなければ 目の前の人はただのウザイ存在だ。
訴えられるその辛さが、どれほどのものか 想像できん!と投げ捨てるのは簡単だけれど、それよりは自分が持ちうる想像力を精一杯駆使してみるのが 相手とのよりよい関係を諦めない態度だと思う。情報が足りないのなら相手にもっと話してもらえばいい。聴こうとしていることがわかれば話してくれるかもしれない。
ゴミを夫がいつも捨ててくれる。
ごみ箱が空になっている時 彼が一杯だったゴミを昨晩すててくれたのだとわかる。
想像するのをやめてしまうと ゴミが空になっていることにも気付かなくなるかも知れない。
娘が学校で経験した嫌な出来事を話してくれる時
話し方がさっぱり要領をえず、中身が理解出来ないことがある。
落ち着いて話してごらんと言うたびヒステリーを起こし、娘は泣きじゃくり、激しく喚き散らす。
伝わらないもどかしさに悶え苦しんで甲高い声で叫び続けたりもする。
そんな時、想像しなければと思う。何があったかはわからない。でも目の前で苦しんでいることはわかる。その苦しみの深さ、質を想像しなければと思う。分かってやれない悲しさに涙がでるとしても、想像しなくては、何かつかまなくては、と思う。
想像してみようと思うことは 慈しむことの始まりだと思う。
想像することができなければ 人の痛みなど無意味だし
想像することができなければ 親が自分にかけた愛の深さも永久に理解出来ない
自分の前にいる意地悪でいじけ虫で人にやっかいがられるほどになってしまったその人に
いったいこれまで何があったろうかと想像できなければ 目の前の人はただのウザイ存在だ。
訴えられるその辛さが、どれほどのものか 想像できん!と投げ捨てるのは簡単だけれど、それよりは自分が持ちうる想像力を精一杯駆使してみるのが 相手とのよりよい関係を諦めない態度だと思う。情報が足りないのなら相手にもっと話してもらえばいい。聴こうとしていることがわかれば話してくれるかもしれない。
ゴミを夫がいつも捨ててくれる。
ごみ箱が空になっている時 彼が一杯だったゴミを昨晩すててくれたのだとわかる。
想像するのをやめてしまうと ゴミが空になっていることにも気付かなくなるかも知れない。
娘が学校で経験した嫌な出来事を話してくれる時
話し方がさっぱり要領をえず、中身が理解出来ないことがある。
落ち着いて話してごらんと言うたびヒステリーを起こし、娘は泣きじゃくり、激しく喚き散らす。
伝わらないもどかしさに悶え苦しんで甲高い声で叫び続けたりもする。
そんな時、想像しなければと思う。何があったかはわからない。でも目の前で苦しんでいることはわかる。その苦しみの深さ、質を想像しなければと思う。分かってやれない悲しさに涙がでるとしても、想像しなくては、何かつかまなくては、と思う。
想像してみようと思うことは 慈しむことの始まりだと思う。