2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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結婚する前からそうだったのだけれど、長い間私は洗濯物をたたむという家事がかなり嫌いだった。
せっかくたたんでもすぐに出して着るのだし、と思うと、もう全然、たたもうという意欲が湧かない。けれど、いつからか、私は洗濯物をちゃんとたたんで、タンスにしまうという事がきちんと出来るようになった。その上、あんなに感じていた面倒臭い気持ちが、今はまったく起こらなくなっている。その経緯を書いてみたい。
思えば、両親が共働きで店の経営という肉体労働だった為、両親はいつもくたくたになるまで働いていた。だから私の育った家庭では、洗濯物はいつもリビングのどこかに山積みになっていた。子供はその山の中から、今日着るものを引っ張り出して着るというのが当たり前になっていた。だらしない家庭と言えば、そうかも知れないが、洗ってない汚れた衣類が山になっているよりはマシだったと言えると思う。母は、洗濯だけはどんなに夜遅くなっても頑張ってやっていた。洗濯機を回し、深夜でも部屋干ししてから、寝ていた。それだけでも、充分頑張っていたのだろう。やっと洗濯物を干し終わって、12時を過ぎていたら、もうたたんでしまう作業までは疲れ過ぎていてやれなかった、それが実態だった。
時々、母の洗濯物たたみを見かけた。それはやはりいつも夜遅くて、母の表情は疲れ切っていた。
だから私は、洗濯物なんて、たたまなくてもいいのに、といつも思っていた。
そんなに疲れているのに、何でたたむんだろう。服なんて、一ヶ所に山になっていても別に困らない。そこから着たいものを探せばいいだけだよ。子供の頃、私は母にそう言いたかったのかもしれない。ちょっと成長すると、母は私に「洗濯物をたたんでおいて」と頼むようになった。価値を見いだしていない作業を、命令だからとやることくらい、苦痛なものはない。だから私は余計にたたむという家事が嫌いになった。
そんな私が年齢的に大人になったからと言って、すぐによそのお家のように洗濯物をたたんでタンスにしまうという生活が自動的に送れるわけはなかった。
一人暮らしをはじめた時も、洗濯物は部屋の一角に山積みだった。
アメリカでは広いクローゼットが大活躍で、たたまなくてもハンガーにかけてつるせばいいというライフスタイルは非常に性に合った。
日本に戻り、再び一人暮らしをし始めると、やはり衣類の山が復活した。
ただし、母の生き方を無意識にコピーしているせいだろう、決して洗濯だけはさぼらなかった。むしろ、洗濯そのものは大好きなのだった。毎日、洗濯機を回し、衣類を洗濯した。洗い上がって乾いた洗濯物の匂いが大好きなのだ。
そんな私だが結婚して他人と住む事になると、洗濯物の山はさすがに恥ずかしく、たたんでしまわないといけないな、と思った。我ながら、相手にいい処を見せようとしたり、嫌われないようにしようとした当時の自分が初々しく可愛らしく思える。けれど、そんな初々しい努力も、すぐに消耗し、私はやがて洗濯物の山をみるだけで自分が責められているような気持ちになってとても辛く感じるようになった。結婚しても仕事を辞めた事は一度もないので、私は専業主婦を経験した事はない。両親ほど体力を使う仕事ではなかったが、徹夜も残業もある拘束時間の長い開発業をしていたのだから、家事が専業主婦のように出来るはずはなかった。でも私は自分に言い訳するのがとても苦手だった。やるべき事は事情いかんに関わらず、当然やらなければならないと非常にストイックな性格だった。(今では別人。自分にとても甘い。)
「ちゃんとしろ」「だらしない」「こんな当たり前の家事もできないのか」そんな声が聞こえてきて、家に帰るのが憂うつになった。夫は一言も私の家事のやり方に文句を言った事はないのに、私が勝手に「良い妻」「立派な妻」「完ぺきな主婦」であろうとしただけだ。
それで相当、生きるのが嫌になった。
たかが洗濯物が片づけられないくらいの事で死にそうになるなんて、馬鹿げていると、健康な人は思うだろう。けれど、私が今、毎日話を聞いている相談者も、同じなのだ。人は、心が健康に育っていないと、本当に馬鹿な事で自分を責め、責め過ぎた揚げ句に生きるのが嫌になってしまうのだ。
幸い、私は自分を殺すかわりに、あらゆる手を尽くして、楽に楽しく生きていいのだという許可を自分に与える事が出来た。
洗濯物をたたまないという私の習慣は、古いライフスタイルで獲得したもので、これからは自分の意志で自分の好きなように変更していいと許可すると、私は自由な気持ちで、洗濯物をどうオーガナイズするのかをデザインしはじめた。
私は、「服」になってみた。
服になってみると、服は、服の家(タンスやクローゼット)にいる方が幸せだ、と言った。
きちんとたたんでもらえると、大切にされている気がするし、見えるように整理されると、着てもらえる機会が増えてうれしい、と言った。
そうすると、服をたたんでタンスやクローゼットにしまう行為の意味がうまれた。
今、私は洗濯物をたたむ作業が嫌いではなくなった。洗い上がった大好きな匂いの服を、一枚一枚点検しながら、のんびりゆっくりたたむ作業を、休日の午前中に楽しんでいる。
せっかくたたんでもすぐに出して着るのだし、と思うと、もう全然、たたもうという意欲が湧かない。けれど、いつからか、私は洗濯物をちゃんとたたんで、タンスにしまうという事がきちんと出来るようになった。その上、あんなに感じていた面倒臭い気持ちが、今はまったく起こらなくなっている。その経緯を書いてみたい。
思えば、両親が共働きで店の経営という肉体労働だった為、両親はいつもくたくたになるまで働いていた。だから私の育った家庭では、洗濯物はいつもリビングのどこかに山積みになっていた。子供はその山の中から、今日着るものを引っ張り出して着るというのが当たり前になっていた。だらしない家庭と言えば、そうかも知れないが、洗ってない汚れた衣類が山になっているよりはマシだったと言えると思う。母は、洗濯だけはどんなに夜遅くなっても頑張ってやっていた。洗濯機を回し、深夜でも部屋干ししてから、寝ていた。それだけでも、充分頑張っていたのだろう。やっと洗濯物を干し終わって、12時を過ぎていたら、もうたたんでしまう作業までは疲れ過ぎていてやれなかった、それが実態だった。
時々、母の洗濯物たたみを見かけた。それはやはりいつも夜遅くて、母の表情は疲れ切っていた。
だから私は、洗濯物なんて、たたまなくてもいいのに、といつも思っていた。
そんなに疲れているのに、何でたたむんだろう。服なんて、一ヶ所に山になっていても別に困らない。そこから着たいものを探せばいいだけだよ。子供の頃、私は母にそう言いたかったのかもしれない。ちょっと成長すると、母は私に「洗濯物をたたんでおいて」と頼むようになった。価値を見いだしていない作業を、命令だからとやることくらい、苦痛なものはない。だから私は余計にたたむという家事が嫌いになった。
そんな私が年齢的に大人になったからと言って、すぐによそのお家のように洗濯物をたたんでタンスにしまうという生活が自動的に送れるわけはなかった。
一人暮らしをはじめた時も、洗濯物は部屋の一角に山積みだった。
アメリカでは広いクローゼットが大活躍で、たたまなくてもハンガーにかけてつるせばいいというライフスタイルは非常に性に合った。
日本に戻り、再び一人暮らしをし始めると、やはり衣類の山が復活した。
ただし、母の生き方を無意識にコピーしているせいだろう、決して洗濯だけはさぼらなかった。むしろ、洗濯そのものは大好きなのだった。毎日、洗濯機を回し、衣類を洗濯した。洗い上がって乾いた洗濯物の匂いが大好きなのだ。
そんな私だが結婚して他人と住む事になると、洗濯物の山はさすがに恥ずかしく、たたんでしまわないといけないな、と思った。我ながら、相手にいい処を見せようとしたり、嫌われないようにしようとした当時の自分が初々しく可愛らしく思える。けれど、そんな初々しい努力も、すぐに消耗し、私はやがて洗濯物の山をみるだけで自分が責められているような気持ちになってとても辛く感じるようになった。結婚しても仕事を辞めた事は一度もないので、私は専業主婦を経験した事はない。両親ほど体力を使う仕事ではなかったが、徹夜も残業もある拘束時間の長い開発業をしていたのだから、家事が専業主婦のように出来るはずはなかった。でも私は自分に言い訳するのがとても苦手だった。やるべき事は事情いかんに関わらず、当然やらなければならないと非常にストイックな性格だった。(今では別人。自分にとても甘い。)
「ちゃんとしろ」「だらしない」「こんな当たり前の家事もできないのか」そんな声が聞こえてきて、家に帰るのが憂うつになった。夫は一言も私の家事のやり方に文句を言った事はないのに、私が勝手に「良い妻」「立派な妻」「完ぺきな主婦」であろうとしただけだ。
それで相当、生きるのが嫌になった。
たかが洗濯物が片づけられないくらいの事で死にそうになるなんて、馬鹿げていると、健康な人は思うだろう。けれど、私が今、毎日話を聞いている相談者も、同じなのだ。人は、心が健康に育っていないと、本当に馬鹿な事で自分を責め、責め過ぎた揚げ句に生きるのが嫌になってしまうのだ。
幸い、私は自分を殺すかわりに、あらゆる手を尽くして、楽に楽しく生きていいのだという許可を自分に与える事が出来た。
洗濯物をたたまないという私の習慣は、古いライフスタイルで獲得したもので、これからは自分の意志で自分の好きなように変更していいと許可すると、私は自由な気持ちで、洗濯物をどうオーガナイズするのかをデザインしはじめた。
私は、「服」になってみた。
服になってみると、服は、服の家(タンスやクローゼット)にいる方が幸せだ、と言った。
きちんとたたんでもらえると、大切にされている気がするし、見えるように整理されると、着てもらえる機会が増えてうれしい、と言った。
そうすると、服をたたんでタンスやクローゼットにしまう行為の意味がうまれた。
今、私は洗濯物をたたむ作業が嫌いではなくなった。洗い上がった大好きな匂いの服を、一枚一枚点検しながら、のんびりゆっくりたたむ作業を、休日の午前中に楽しんでいる。
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