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2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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「仕事中は笑顔で優しいけどそれ以外は仏頂面」

というのは私と少し近くなった人なら知っている事だろう。
私は相手を援助しようとしている時には自然と笑顔で気を使い優しく接するのだけれど、それ以外の時にはとにかく「人」という存在をまったく気にしていない。
だから「一人で居るときと同じ顔」を他人に見せてしまう。

どうも、近年の研究結果(by私)によると普通の人はそうではないらしいのだ。
その自分との違いに気付いたときにはボーゼンとした。

一般的に、人は自分の本心を見せない態度、言葉遣い、振る舞いを相手によって使い分けている。
対して私は、仏頂面なので、人には「一人にしてね」的な顔に見えるようだ。実際には、本当に人が意識に入らないだけなのだ。人が目の前にいるのに自分の思考に入ってしまって見えていない聞こえていないという様子になってしまう。これはイカン。気をつけないとイカンと思う。
それにしても、みんなすごいと思う。そんな事を四六時中やっているなら、家の外にいる間中、くたくたになるんじゃないだろうか。そんな事を一年中つづけられるなんて、私には超能力に匹敵する忍耐力じゃないかとさえ思える。

私は基本的に人に干渉されるのが嫌いなので、普段の私はどことなく「近寄らないで」のオーラをまとっているのだろう。もしくは「今考え中」のオーラ。もしくは「疲れました」のオーラ。もしくは「急いでいます」のオーラ。だから人が気を使ってしまって、近寄ってこない。

でも、そのオーラを突破してくる人はよくいる。いわゆる、「困っている人」だ。

私は意識的に人を遠ざけようとしてバリアをはっているのではないので、人が近づいてきたからといって、嫌だと思う事はない(ここがよく誤解されているような気がする)。それに私に近づいてくる大抵の人は、困っているとか、話を聞いてもらう必要があるとか、指示が欲しいとか、何か私から得る必要があって傍にくるのだから、私は迷惑に思うどころか、「何をあげられるでしょう?お役に立てれば嬉しい」という気持ちだ。必要なものがあるのだろうから、私があげられるものなら、必ずそれを得てもらいたいと願っている。

先日、出先の講演の後、帰り支度をしていると、一人の人が傍に立っていた。顔を見ると今にも泣きそうな顔をしている。「あの、先生、いいでしょうか」「ええ、もちろんどうぞ。どうしました?」
帰りの時間があったが、涙ぐんだ人の話を遮る事などできるはずもなく、その人が落ち着くまでその場で話を聞いた。
もちろんその場で何か解決出来るような簡単な問題ではない。その場では聞くだけで終わると分かっているのだが、それでもその人は吐き出す必要があるからこそ、その相手として私を選んだのだ。

ダライラマ法王は、すべての人に対して、まるで自分の愛する家族に再会したかのように接する。まるで、その人に駆け寄らずにはおられない、というような愛情の示し方をする。そのような大きな愛は、どうやって育むのだろうか。

「その人と関わらずにはおられない」という態度が自然と溢れ出るような人間というのは、本当に素晴らしいと思う。何よりも本人が幸せなのだろう。本当に見習いたいし、実践方法があるなら同じ道を辿って修業したい。私の目指す人間像の一人(その頂点)がダライラマ法王の在り方だ。でも余りにも高過ぎる目標なので、もうちょっと身近な目標が他に何人かいる。クリスやエラン。バリーさん。一緒にワークをしてくれる仲間。

自分の「人間としての在り方」に方向性を出すために、メンター(指導者)と思える誰かを持つのは本当に役立つことだ。その人なら、この場面でどう振る舞うのかを考え、それに従うことで、自分を高める事が出来るからだ。

私の「一人が好き」オーラは、人を遠ざけてしまう。
それは分かっている。でもそれを辞めようとするのは私らしさを自分で否定する事になるような気がする。人前でその顔を一切見せてはならないとしたら、私は家から出られなくなる。
一人が好きな私だけれど、私の目に誰かが映ったら、私はその人に対して「関わらずにはいられない」というような態度で接するべきなのだと思う。出来るだけ、そのようにしよう、そうできる自分でいられるよう、務めよう。

尊重する人は尊重される。
愛する人は愛される。
尊重された人は、より人を尊重するのが易くなり、
愛された人はより人を愛しやすくなる。
人間性の豊かさは循環し、世界を暖め、光を満たす。

自分が得をする為に人に何かをする訳ではないけれど、これは法則のようなものだと、よく思う。ダライラマ法王は、その循環のスタートをいつも作っておられるのだ。
法王に尊重され、愛された人は、人を尊重しやすくなり、愛しやすくなる。

私もその循環の中で 人を尊重し、愛していこう。
まずは、人が目に映ったらそれを態度でしめすこと。
目の前の人の事を、忘れないようにすること。

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