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2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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自律には自由がかかせない。
自分でよく調べ考え、判断し、行動する時に、誰の許可も必要ないという自由。

自律には自由がかかせない。

自分で考えて出した結論を、いちいち誰かに相談して、その人にOKをもらわなければ実行できないとしたら、それは自律とは呼べないのではないだろうか。

どうしてそんな事を急に言い出したのかという事だが、昨年末私の周辺の人間関係で一つの変化があった。一緒に仕事する関係を解消した人がいたという事だけれど、実は、その人が私との関係を解消してから、私は非常に「生きやすさ」を感じている。その人はとても優秀で、忍耐強く、私はその人が大好きだったし今も変わらず大好きなのだけれど、一緒に仕事をしていた一年ちょっとの間、私は常にその人の存在に大きな拘束力を受け続けていた。
その人が悪いという事ではない。ただ一緒にいると、動きが取れなくなる関係性というのがあるのだろう。どんな人が相手でも、人間関係とはそうしたものかも知れない。

その人が私との仕事関係を解消してくれたお陰で、私は本当に楽に息が出来て、その人と一緒にやる前のように再び自分で考えたことを実行できるようになった。

どちらが悪い訳でもない。けれど、私が相手と協調する事を忘れると、ひどく傷つけることになるのではないかと恐れていた。そのために私は不自然なほど相手の意向を気にかけ、互いにすり合わせた事だけしか実行出来ないのだと縛りつけられたような気持ちになっていた事を思い出す。

私が一緒に居て辛かったのだから、当然相手も辛かったのだろう。気の毒なことをした。しかしその人は類い稀な忍耐力で頑張って、辞め際を見いだして辞めていった。正解だと思う。私の方も、その人が離れることを承知で、ある意味離れてもらうためにも、大なたを振るった面がある。お互いが苦しむ関係なら解消するのが正解だ。

私はこれでも随分自律を獲得してきたと思うけれど、それでも「傷つけたくない人」が自分に深く深く、家族と同等に関わっているときは別だ。その人の意向を無視することは出来ない。そんな時、私は自律性を損なって、生き辛いと感じながらも、倒れる寸前まで我慢してしまう。最大限相手に合わせようとするし、自分の判断も心地よさも捨てて、あらゆる不具合に目をつぶってしまう。

誰かと一緒にいるということは、自由を損なうことなのだろうか。
人を自分の中にいれてしまったら、自由を失う気がする。
その人はその人、自分は自分という一線を失ったときに、すべてがきしみ始めると、改めて思う。

自律するには自由がかかせない。
誰にも許可を求めず、自分の判断した通りに選び取るための自由。
それがなければ、自分で考えることも判断することも放棄するようになってしまうだろう。

私たちは いつ自由を手に入れただろう。
親は 私たちに自由を いつ与えてくれただろう。
私は 私の子の自由を 害していないだろうか。

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