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2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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想像力は、慈悲心の起動スイッチのようなものだと思う。

想像することができなければ 人の痛みなど無意味だし
想像することができなければ 親が自分にかけた愛の深さも永久に理解出来ない

自分の前にいる意地悪でいじけ虫で人にやっかいがられるほどになってしまったその人に
いったいこれまで何があったろうかと想像できなければ 目の前の人はただのウザイ存在だ。

訴えられるその辛さが、どれほどのものか 想像できん!と投げ捨てるのは簡単だけれど、それよりは自分が持ちうる想像力を精一杯駆使してみるのが 相手とのよりよい関係を諦めない態度だと思う。情報が足りないのなら相手にもっと話してもらえばいい。聴こうとしていることがわかれば話してくれるかもしれない。

ゴミを夫がいつも捨ててくれる。
ごみ箱が空になっている時 彼が一杯だったゴミを昨晩すててくれたのだとわかる。
想像するのをやめてしまうと ゴミが空になっていることにも気付かなくなるかも知れない。

娘が学校で経験した嫌な出来事を話してくれる時
話し方がさっぱり要領をえず、中身が理解出来ないことがある。
落ち着いて話してごらんと言うたびヒステリーを起こし、娘は泣きじゃくり、激しく喚き散らす。
伝わらないもどかしさに悶え苦しんで甲高い声で叫び続けたりもする。

そんな時、想像しなければと思う。何があったかはわからない。でも目の前で苦しんでいることはわかる。その苦しみの深さ、質を想像しなければと思う。分かってやれない悲しさに涙がでるとしても、想像しなくては、何かつかまなくては、と思う。

想像してみようと思うことは 慈しむことの始まりだと思う。

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