2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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4時に目が醒めたので
そのまま暗い部屋でいつものように瞑想していると
唐突に「分かった」感じがした。
私のすべてを知る人も
私のすべてを分かる人もこの世には居ない。
だから私はすべてを正直に見せ、表現できるようにしようと思っていた。
けれど それは無駄なことだった。
分かる人は居ないのだから
見てもらう一部分を 「選択」すべきなのだ。
全部見ることも知ることも出来ないのだから
見える一部 知ることの出来る一部 を 「何にするのか」が大事なのだ。
私は全部を見せることで、本当の実体としての私に近づいてもらおうと思っていた。
しかしそれよりももっと 私の中の「何をみてもらうのか」が重要なのだ。
ああ。そうなのか。
だから世の中には、笑顔でいよう、というスローガンがあるのだ。
悲しみも苦しみも憎しみも 当たり前に持っているけれど
人に見せる自分は 笑顔でいよう、ということなのだ。
それは無理をするという事ではなかった。
悲しみを否定して押し殺すという意味ではなかった。
演じるということでもなかった。
傷ついて閉じこもっていた私は、 すっかり誤解していたのだ。
シンプル。
私が笑顔でいれば
相手により良い影響がおこる。
その為だけに
私は見せる自分を
選択できるのだと
分かった。
こんなことが 内蔵レベルで分かるまで 自分の力では40年以上もかかってしまった。
なんて私は 遠い遠い道を 回り道してきたんだろう。
でもそれが私の道だった。
私の人生だった。それでいい。
神 仏 あるいは 宇宙の真理 天の摂理
ありがとうございます。
そのまま暗い部屋でいつものように瞑想していると
唐突に「分かった」感じがした。
私のすべてを知る人も
私のすべてを分かる人もこの世には居ない。
だから私はすべてを正直に見せ、表現できるようにしようと思っていた。
けれど それは無駄なことだった。
分かる人は居ないのだから
見てもらう一部分を 「選択」すべきなのだ。
全部見ることも知ることも出来ないのだから
見える一部 知ることの出来る一部 を 「何にするのか」が大事なのだ。
私は全部を見せることで、本当の実体としての私に近づいてもらおうと思っていた。
しかしそれよりももっと 私の中の「何をみてもらうのか」が重要なのだ。
ああ。そうなのか。
だから世の中には、笑顔でいよう、というスローガンがあるのだ。
悲しみも苦しみも憎しみも 当たり前に持っているけれど
人に見せる自分は 笑顔でいよう、ということなのだ。
それは無理をするという事ではなかった。
悲しみを否定して押し殺すという意味ではなかった。
演じるということでもなかった。
傷ついて閉じこもっていた私は、 すっかり誤解していたのだ。
シンプル。
私が笑顔でいれば
相手により良い影響がおこる。
その為だけに
私は見せる自分を
選択できるのだと
分かった。
こんなことが 内蔵レベルで分かるまで 自分の力では40年以上もかかってしまった。
なんて私は 遠い遠い道を 回り道してきたんだろう。
でもそれが私の道だった。
私の人生だった。それでいい。
神 仏 あるいは 宇宙の真理 天の摂理
ありがとうございます。
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愛用の (というよりこれしか持ってない)
ノートパソコン様のご機嫌が悪い。
数カ月前にバッテリーが駄目になり電源周りに不安が
あったのだがついに…。
今日まったく起動しなくなった。
ぎゃーうわーやめてーーと右往左往しながら、
ようやく起動して書き込み中。
前回の不調の時に、慌てて調べ、サポートにも
持っていったのだが、電源周りの不良はもうまったく
修理してもらえないとのことで、デスクのお兄さんは
「新しいのに、買い直してくださいね」と瞳で語っていた。
ああ。
史上最大の利益を出した業績絶好調だからなのか。
アップルお兄さんの目は明るく輝いていた。
「今のノートなら、もっともっと快適に使えますよ。」
「軽くなってますし。」
「なんでしたらいっそiPadに乗り換えては?」
ときらきらした瞳が無言でしかし雄弁に語りかける。
お兄さんと長い間、見つめ合ってしまった。
分かってますよ。
先立つものがあればね。
このノート、ほんとにもう寿命がきてます。。。
もしアップが長いこと止まったり、メールに返事がなかったら
パソコンのトラブルを解決できずにいるのかもと思ってください。
私からノートを取り上げたら、本格的にみなさんとのつながりが
いよいよ無くなりそうです。
ノートパソコン様のご機嫌が悪い。
数カ月前にバッテリーが駄目になり電源周りに不安が
あったのだがついに…。
今日まったく起動しなくなった。
ぎゃーうわーやめてーーと右往左往しながら、
ようやく起動して書き込み中。
前回の不調の時に、慌てて調べ、サポートにも
持っていったのだが、電源周りの不良はもうまったく
修理してもらえないとのことで、デスクのお兄さんは
「新しいのに、買い直してくださいね」と瞳で語っていた。
ああ。
史上最大の利益を出した業績絶好調だからなのか。
アップルお兄さんの目は明るく輝いていた。
「今のノートなら、もっともっと快適に使えますよ。」
「軽くなってますし。」
「なんでしたらいっそiPadに乗り換えては?」
ときらきらした瞳が無言でしかし雄弁に語りかける。
お兄さんと長い間、見つめ合ってしまった。
分かってますよ。
先立つものがあればね。
このノート、ほんとにもう寿命がきてます。。。
もしアップが長いこと止まったり、メールに返事がなかったら
パソコンのトラブルを解決できずにいるのかもと思ってください。
私からノートを取り上げたら、本格的にみなさんとのつながりが
いよいよ無くなりそうです。
本当に相手に言い返すためにではなく
自分の中で一方的な強者を作らないため、
つまりバランスの良い心でいるために、
反論トレーニングをお薦めしたい。
自分の心の中には、自己批判機能がある。
この機能があるからこそ、人は自分を振り返って
よくない処を改善しよう、成長しようともする。
自分のずぼらな処や、さぼり癖などを見張っていて、
チクチクと心が痛いのもこの自己批判機能が働いている時だ。
しかし。
現代日本には、この自己批判機能のスイッチが壊れている人が多い。
スイッチが入らない壊れ方をしている人もたまに居るが、
多くはスイッチが入りっ放しで切れなくなっているほうだ。
そうなると、いつもいつも自分を批判し、責めてしまう。
人の心にはもともと、自己批判機能とバランスを取り健康でいる為に、
自己擁護機能や自己充足機能が備わっている。
しかし自己批判機能のスイッチが入りっ放しになってしまうと、
バランスを取る為の自己擁護機能、自己充足機能が働く暇もなくなってしまうのだ。
そうなるとたちまち、心のアンバランスが生じ、
自分は大丈夫ではないという不安、自分は劣っているという落ち込み
などが現れてしょんぼりうつむいて過ごすことになるのだ。
これは心の病気ではなく、心の機能の使い方にへんてこな癖がついているだけだ。
だから癖をちょっと修正してあげれば、健康な心になっていく。
そのトレーニング。
きくのも嫌な、批判の言葉に、反論する言葉を考えてみる。
それを考えるだけではなく、必ず、ノートに書いたり、口に出したりすること。
考えるだけでは効果がほとんど現れない。
書いたり、口に出したりすると、効果が現れる。
今、ちょうどテレビで「夫にこれを言われたら離婚を考える言葉」というのをやっていた。
「誰が飯を食わせてやってると思っているんだ」
と夫に言われたら、離婚を考える人がとても多いのだそうだ。
たとえばこの言葉に反論してみる。
「誰が飯を食わせてやってると思っているんだ」
と傲慢な夫に言われたら、
「誰が作った飯を食ってると思ってるんだ」
と言い返してやろう。
「おまえはいいな、三食昼寝つきで」
と言われたら
「あんたはいいな。仕事に終わりがあって。休日があって。こちとら年中無休、24時間労働だ」
と言い返してやろう。
「バカじゃないのか、あんなミスをするなんて」
と言われたら
「バカじゃない。焦らせられたらまともにできることもできないのが当たり前。ちゃんと働かせたかったら、ちゃんと能力が出せるような環境を整えろ」
と言い返す。
これは、本当に相手に言い返すのではなく、相手とは別の言い分や、別の側面を見つけ出し、主張してみるということを「練習」しているだけだ。本当に言い返すと大変なことになるのでやめておこう。
最初のうちはへ理屈に思えることでもいいのだ。
やがて、不安定になりがちで凹んでいるだけだった自分が、打たれ強くなったり、不安定な状態が早めに終ったりする変化に気づくだろう。つまり心がタフになる。
心がタフな人というのは、心が健康な人のこととほぼイコールだ。
適度な自己批判、適度な自己肯定。
適度な反省と、適度な自信。
別にケンカ口調でなくてもいいし、逆に思い切り乱暴な(日頃の自分が決して使わないような)言葉を選んでもいい。
ただの練習、ワークなので、何でもアリだ。
こういう事をすると、自己批判機能が働かなくなるんじゃないかと心配する人もいるが、そうなるのはごくごく一部の人だけで、ほとんどの人は自己批判と自己擁護が両方利くようになってバランスを取り戻す。
自己批判機能が働かなくなると社会性を失ってしまうので、そういう人はたいてい周囲とのトラブルを抱えているが、自分を責め過ぎてバランスが壊れている人よりもずっと数が少ない。多くは、自分を責め過ぎて苦しんでいる。
めげるな、向かい風にこそ胸を張れ!
批判の言葉にうなだれるだけじゃなく
小さな声でもいいから言い返してみよう!
大丈夫、君は絶対、ダメなんかじゃない。
自分の中で一方的な強者を作らないため、
つまりバランスの良い心でいるために、
反論トレーニングをお薦めしたい。
自分の心の中には、自己批判機能がある。
この機能があるからこそ、人は自分を振り返って
よくない処を改善しよう、成長しようともする。
自分のずぼらな処や、さぼり癖などを見張っていて、
チクチクと心が痛いのもこの自己批判機能が働いている時だ。
しかし。
現代日本には、この自己批判機能のスイッチが壊れている人が多い。
スイッチが入らない壊れ方をしている人もたまに居るが、
多くはスイッチが入りっ放しで切れなくなっているほうだ。
そうなると、いつもいつも自分を批判し、責めてしまう。
人の心にはもともと、自己批判機能とバランスを取り健康でいる為に、
自己擁護機能や自己充足機能が備わっている。
しかし自己批判機能のスイッチが入りっ放しになってしまうと、
バランスを取る為の自己擁護機能、自己充足機能が働く暇もなくなってしまうのだ。
そうなるとたちまち、心のアンバランスが生じ、
自分は大丈夫ではないという不安、自分は劣っているという落ち込み
などが現れてしょんぼりうつむいて過ごすことになるのだ。
これは心の病気ではなく、心の機能の使い方にへんてこな癖がついているだけだ。
だから癖をちょっと修正してあげれば、健康な心になっていく。
そのトレーニング。
きくのも嫌な、批判の言葉に、反論する言葉を考えてみる。
それを考えるだけではなく、必ず、ノートに書いたり、口に出したりすること。
考えるだけでは効果がほとんど現れない。
書いたり、口に出したりすると、効果が現れる。
今、ちょうどテレビで「夫にこれを言われたら離婚を考える言葉」というのをやっていた。
「誰が飯を食わせてやってると思っているんだ」
と夫に言われたら、離婚を考える人がとても多いのだそうだ。
たとえばこの言葉に反論してみる。
「誰が飯を食わせてやってると思っているんだ」
と傲慢な夫に言われたら、
「誰が作った飯を食ってると思ってるんだ」
と言い返してやろう。
「おまえはいいな、三食昼寝つきで」
と言われたら
「あんたはいいな。仕事に終わりがあって。休日があって。こちとら年中無休、24時間労働だ」
と言い返してやろう。
「バカじゃないのか、あんなミスをするなんて」
と言われたら
「バカじゃない。焦らせられたらまともにできることもできないのが当たり前。ちゃんと働かせたかったら、ちゃんと能力が出せるような環境を整えろ」
と言い返す。
これは、本当に相手に言い返すのではなく、相手とは別の言い分や、別の側面を見つけ出し、主張してみるということを「練習」しているだけだ。本当に言い返すと大変なことになるのでやめておこう。
最初のうちはへ理屈に思えることでもいいのだ。
やがて、不安定になりがちで凹んでいるだけだった自分が、打たれ強くなったり、不安定な状態が早めに終ったりする変化に気づくだろう。つまり心がタフになる。
心がタフな人というのは、心が健康な人のこととほぼイコールだ。
適度な自己批判、適度な自己肯定。
適度な反省と、適度な自信。
別にケンカ口調でなくてもいいし、逆に思い切り乱暴な(日頃の自分が決して使わないような)言葉を選んでもいい。
ただの練習、ワークなので、何でもアリだ。
こういう事をすると、自己批判機能が働かなくなるんじゃないかと心配する人もいるが、そうなるのはごくごく一部の人だけで、ほとんどの人は自己批判と自己擁護が両方利くようになってバランスを取り戻す。
自己批判機能が働かなくなると社会性を失ってしまうので、そういう人はたいてい周囲とのトラブルを抱えているが、自分を責め過ぎてバランスが壊れている人よりもずっと数が少ない。多くは、自分を責め過ぎて苦しんでいる。
めげるな、向かい風にこそ胸を張れ!
批判の言葉にうなだれるだけじゃなく
小さな声でもいいから言い返してみよう!
大丈夫、君は絶対、ダメなんかじゃない。
2年くらい前に、知人が「鋼の錬金術師」にハマっていると話してくれた。
タイトルはそれ以前から知っていたけれど、アニメやマンガから遠ざかっていたのでその時は見なかった。
最近、娘のひまつぶしの為にコミックレンタルをするようになって、自分の知っている良い作品を借りてきていたのだが、毎回10冊借りるものだからどんどん読むものがなくなり、ついにネタ切れ。
仕方ないので、話題作やこれまで読むのを後回しにしていたものに手を付けていくと、期待以上に良い作品に出会えた。その一つが、鋼の錬金術師だ。知人の言葉がずっと頭に残っていたので、手に取ったのだ。
正直、期待以上によい作品に出会った。アニメ化されたものも見始めているが、マンガにないアニメオリジナルのストーリーを組み込んだものは、原作とは別の意味で作品への愛がこもっていて、なかなか面白い。
カテゴリーは少年マンガのファンタジー。
錬金術という名の、空想上の科学的魔法を操る主人公が、失った自分と弟の体を取り戻す為に旅をするというストーリーだ。
設定、キャラクター共に浮ついたところがなく、錬金術という新しい見せ方の割に導入部分も分かりやすく、とても好感を持てる。いつも読者目線を外さない心配りが感じられる作品なのだ。
だいたい少年もののファンタジーというジャンルには、ものをよく考えていない軽薄さが透けて見えるものが多い。または設定を活かし切れず、結局すべてが中途半端になっているもの。製作者のこだわりで、ストーリーラインが曖昧になり、全体のまとまりがなくなってしまうもの。これが描きたいのなら設定はファンタジーである必要がないというもの。ファンタジーという架空を描き切れない為に、登場キャラの心情までもが嘘臭くなってしまうもの。
ファンタジーをしっかりまとめあげるのは、かなりの力量が必要なのだろう。
そんな中でこれまでにない錬金術という斬新な包み紙で、しっかり足が地面についた王道さを感じる作品。
力強い絵柄。少年誌にはぴったりくるバトルアクションシーン。
でも、どこかに女性の匂いを感じる。
作者は女性だろうか…、少なくともこのストーリーラインは女性ではないだろうか…
そう思って作者について少し調べると、やはり幼いお子さんをお持ちの、北海道出身の女性。
ああ、そうか、わかるなあと思った。
この作品からは土の匂いがする。
変な言い方だけれど、しっかりと土の大地を踏みしめる、力強い足の裏を感じる。
そして命を産むという、とても原始的で力強いエネルギーがこもっている。
実際、調べてわかったが作者は、この作品の連載中に子供を産んでいる。
しかも休載なしで出産、子育てを乗りきっているという。
ものすごいタフさだ。私など到底考えられない。足下にも及ばない。
その力が、作品にも乗り移っている。
朴とつさ。素直さ。兄弟愛。折れない心。
読み進めるごとに、この作品を、登場人物たちを大好きになった。
憎いはずの敵も、何故か愛おしい。
それは、敵には敵の考え方、思想、論理があることを、余すことなく描ききっているからだ。
この作者は、生きるものすべてに対する、もしくは命そのものに対する愛をもっているのではないか。そう思った。
作品とは、読む人に何を与えるべきか、何を伝えるべきかを魂を削って考え抜いた人にこそ、発表する資格が与えられるものだと思う。同人誌やネット上での気楽な発表も、遊び場としては、あっていいが、作品をみればやはりアマチュアレベル。大切な時間を割いて読むには値しない。
そればかりか、雑誌に掲載されていても、プロとは認めたくない作家も数多い。
作品には必ず作者の生き様や思想が乗り移る。
だからものをしっかり考えたことのない軽薄な作者の書く作品は、かならずその軽薄さが乗り移っている。
私は、その匂いだけで、自分の時間をどの作品に費やすかを決める。
私の勝手な認定だけれど、荒川弘、プロ作家として認める。
この作家はいい。この人の作品は、追いかけていこう。
タイトルはそれ以前から知っていたけれど、アニメやマンガから遠ざかっていたのでその時は見なかった。
最近、娘のひまつぶしの為にコミックレンタルをするようになって、自分の知っている良い作品を借りてきていたのだが、毎回10冊借りるものだからどんどん読むものがなくなり、ついにネタ切れ。
仕方ないので、話題作やこれまで読むのを後回しにしていたものに手を付けていくと、期待以上に良い作品に出会えた。その一つが、鋼の錬金術師だ。知人の言葉がずっと頭に残っていたので、手に取ったのだ。
正直、期待以上によい作品に出会った。アニメ化されたものも見始めているが、マンガにないアニメオリジナルのストーリーを組み込んだものは、原作とは別の意味で作品への愛がこもっていて、なかなか面白い。
カテゴリーは少年マンガのファンタジー。
錬金術という名の、空想上の科学的魔法を操る主人公が、失った自分と弟の体を取り戻す為に旅をするというストーリーだ。
設定、キャラクター共に浮ついたところがなく、錬金術という新しい見せ方の割に導入部分も分かりやすく、とても好感を持てる。いつも読者目線を外さない心配りが感じられる作品なのだ。
だいたい少年もののファンタジーというジャンルには、ものをよく考えていない軽薄さが透けて見えるものが多い。または設定を活かし切れず、結局すべてが中途半端になっているもの。製作者のこだわりで、ストーリーラインが曖昧になり、全体のまとまりがなくなってしまうもの。これが描きたいのなら設定はファンタジーである必要がないというもの。ファンタジーという架空を描き切れない為に、登場キャラの心情までもが嘘臭くなってしまうもの。
ファンタジーをしっかりまとめあげるのは、かなりの力量が必要なのだろう。
そんな中でこれまでにない錬金術という斬新な包み紙で、しっかり足が地面についた王道さを感じる作品。
力強い絵柄。少年誌にはぴったりくるバトルアクションシーン。
でも、どこかに女性の匂いを感じる。
作者は女性だろうか…、少なくともこのストーリーラインは女性ではないだろうか…
そう思って作者について少し調べると、やはり幼いお子さんをお持ちの、北海道出身の女性。
ああ、そうか、わかるなあと思った。
この作品からは土の匂いがする。
変な言い方だけれど、しっかりと土の大地を踏みしめる、力強い足の裏を感じる。
そして命を産むという、とても原始的で力強いエネルギーがこもっている。
実際、調べてわかったが作者は、この作品の連載中に子供を産んでいる。
しかも休載なしで出産、子育てを乗りきっているという。
ものすごいタフさだ。私など到底考えられない。足下にも及ばない。
その力が、作品にも乗り移っている。
朴とつさ。素直さ。兄弟愛。折れない心。
読み進めるごとに、この作品を、登場人物たちを大好きになった。
憎いはずの敵も、何故か愛おしい。
それは、敵には敵の考え方、思想、論理があることを、余すことなく描ききっているからだ。
この作者は、生きるものすべてに対する、もしくは命そのものに対する愛をもっているのではないか。そう思った。
作品とは、読む人に何を与えるべきか、何を伝えるべきかを魂を削って考え抜いた人にこそ、発表する資格が与えられるものだと思う。同人誌やネット上での気楽な発表も、遊び場としては、あっていいが、作品をみればやはりアマチュアレベル。大切な時間を割いて読むには値しない。
そればかりか、雑誌に掲載されていても、プロとは認めたくない作家も数多い。
作品には必ず作者の生き様や思想が乗り移る。
だからものをしっかり考えたことのない軽薄な作者の書く作品は、かならずその軽薄さが乗り移っている。
私は、その匂いだけで、自分の時間をどの作品に費やすかを決める。
私の勝手な認定だけれど、荒川弘、プロ作家として認める。
この作家はいい。この人の作品は、追いかけていこう。
病院から、鉄輪を通過し、スギノイホテルに直行した。
道すがら、夫に鉄輪で二晩を過ごしたことを話す。
夫は「よくこの天気で、外で眠れたね。寒くなかったの」
と驚いていた。
「蒸気が上がってるでしょう。地熱もあるんじゃないかなあ。寝袋と毛布のセットで思ったより全然寒くなかったんだよ。ほんとに。」と言うと「ふーん」と感心している。
「ライフな感じで楽しかったんだよねー」と言うと娘が
「そうそう!ライフなのよー!」とはしゃぐ。
楽しくはしゃいでいるうちに、スギノイホテルに到着した。
まずは腹ごしらえである。
スギノイホテルはビュッフェレストランで九州一を目指しているそうだ。
ご自慢のビュッフェを試させていただこう。
ランチメニューだった為だろう、あまり品数は多くはないし、メニューにも目新しさはないけれど、サービスは満足できる一流のレベルだった。スタッフの気配りと物腰、言葉遣いや笑顔も、十分合格点を出せるクオリティ。そうそう、ホテルのホスピタリティとはこうありたい。
少なくなった品の補充もスムーズで、お客にフラストレーションを抱かせない。うんうん、ビュッフェとはこうありたい。
味は、ホテルレベルで10段階評価をすると、7か8という処かな。
どの品も無難にまとめられていた。万人受けするための調整をすれば特徴のある味にはならない。それがホテルの味だ。とんがらないのがホテルの味。
これは美味い!というものは1、2品だったが、多くのビュッフェにはそういう一品さえないことの方が多いので、十分合格点である。
価格帯にもよるけれど、ビュッフェは「まずいものがない」くらいで十分に合格点をあげなければならない。「何を食べても美味しい」というビュッフェがあれば理想だが、そんな素晴らしいビュッフェに出会うには、それ相応の値段を払わなければ出会えない。
実際には1、2品でも「とても美味しい」と思うものがあったら、それはとても良いビュッフェなのだ。
素晴らしい眺望の席で、お腹いっぱいになって、さあ次はアクアガーデンと棚湯にレッツゴーだ。
スギノイホテルは傾斜地に建っていて、しかも本館とHANA館を繋ぐ距離が恐ろしく長い。HANA館の階数と本館の階数が違うので、今どこにいるのやら訳が分からなくなる。しかもスギノイパレスという別館もあって、うろうろとさんざん館内で迷ってしまった。
アクアガーデンは、2010年12月10日にオープンしたばかりの、スギノイホテルの新目玉施設だ。家族もカップルも一緒に水着で楽しむ温泉。海外では温泉は水着着用が一般的だが、日本でこのような施設は少なく、珍しい。
覚えている人もいるだろうが、スギノイホテルはかつて一度経営破綻している。
経営破綻から再生させるにあたって目玉施設として作られたのが、展望温泉「棚湯」である。素晴らしい眺望とそれを一切妨げないよう、ガラスも壁もないお風呂だ。
そして、今回のアクアガーデンはその棚湯へと更衣室から行き来できるということもあって、非常にお得で魅力的な施設になっている。
施設の真新しさに加え、床材、壁材、天井、照明すべてにとても高級感がある。
娘は大喜びでプールに飛び込んだ。夫はもともとプールやお風呂などの水系が大の苦手だが、入ってみると「これは今までにないし、新しいね」と感心していた。
暖かいので泳ぐというより浸かるという感じだが、雪降る中で温泉に入るのはなんだかとても贅沢で気持ちいい。娘はおおはしゃぎだ。
温泉と謳っているけれど、プールの匂いがする。
つまり、塩素がかなり入っている。たぶん法律の問題なのだろう。
仕方ないのだろうけれど、お肌にはあまりよくないかも。最後は棚湯仁入って流さなくちゃ。残念ながら、ここは減点だ。
従業員が3名ほど、吹雪の中に立って、水着姿のお客の安全を見守っていた。
仕事とは言え、この天気は本当に可哀相だなと思った。辛い仕事だろう。
一旦、ガーデンがどんなものか分かり、楽しんだので、次は水着のまま更衣室へ戻り、脱いで、棚湯に入る。スギノイのCMには必ず登場する棚湯は、本当に優雅な温泉で、バリ島ウブドの最高級リゾートを彷彿とさせる。
棚湯とアクアガーデンを行き来すれば、本当に丸一日を過ごせそうだ。
再度水着に着替え、アクアガーデンに戻る。
目当ては夕方6時、7時、8時に行われる噴水ショー。
美しい照明と音楽、噴水の織りなす瞬間の造形美。
そして、絶景の吹雪。非常にドラマティックなショーだった。
この光景は一生に一度だと、心から堪能した。
ショーが終わって満足し、スギノイホテルを後にした。
もし間に合えば、鉄輪の地獄蒸し体験だ。急げ急げ!
途中でスーパーに寄り、卵、芋、豚肉、鶏手羽など買い込む。
これを地獄蒸しにするのだ。
「ねえ、多過ぎるって。食べ切れないよ」と夫が止めるが、「大丈夫だってば」と押しきる。
蒸し上げてしまえば持って帰っても食べられる。
しめしめ、お正月の食事の支度をさぼれるではないかいな。
初日に娘と見つけておいた地獄蒸し体験館に飛び込むと、
最終受付だった。やった!間に合ったー!
100度以上ある蒸気の上がる釜で、自分で蒸し上げるのだが、係の人が素材や量をみて時間の目安を指南してくれる。蒸し上がったものを、その場で食べられるようにテーブルがあり、皿や端などの食器、塩や醤油、味噌などの調味料を自由に貸してもらえる。
あつあつのほかほかを、三人でばくついた。
とても柔らかくジューシーに仕上がっている。
素材の味には塩がベスト!そして温泉の香り?ほのかに独特の香りがする。
寒い中、暖かい蒸し料理はとても美味しかった。
案の定、半分以上食べ切れず、持ち帰ることにした。
「あー、予定してたことが、全部できたねーいい旅だったねー」
と言いながら、帰路についた。
明日の朝までに、福岡に到着できればOK、という予定。
なにしろ、猛吹雪なのだ。あらゆる山道は封鎖され有料道路は止まっている。
福岡に戻るには、ものすごく遠回りだが海沿いを北九州まで北上し、国道を南下するしかないだろう。娘はさっさと寝袋に潜り込み、すやすやと眠った。
夫と、二人、のんびり話をしながら。運転を交代したり。交代で眠ったり。
走ったことのない道を、標識を頼りに。吹雪の中を走れ走れ。
6時間ほどかけて福岡へドライブした。
戻ると、もも(犬)がお腹をすかせて待っていた。
ただいま、我が家。
31日になっていた。
本当に、いい旅だった。やりたかったこと、全部やった。
旅費は夫のバス代も含め、しめて3万5千円。
年末に親子二人で3泊4日の旅行としてなら、十分安いよね?
またこうして、旅をしよう!
貧乏旅行大好き。スケジュールに縛られない旅行こそ、旅だ。
道すがら、夫に鉄輪で二晩を過ごしたことを話す。
夫は「よくこの天気で、外で眠れたね。寒くなかったの」
と驚いていた。
「蒸気が上がってるでしょう。地熱もあるんじゃないかなあ。寝袋と毛布のセットで思ったより全然寒くなかったんだよ。ほんとに。」と言うと「ふーん」と感心している。
「ライフな感じで楽しかったんだよねー」と言うと娘が
「そうそう!ライフなのよー!」とはしゃぐ。
楽しくはしゃいでいるうちに、スギノイホテルに到着した。
まずは腹ごしらえである。
スギノイホテルはビュッフェレストランで九州一を目指しているそうだ。
ご自慢のビュッフェを試させていただこう。
ランチメニューだった為だろう、あまり品数は多くはないし、メニューにも目新しさはないけれど、サービスは満足できる一流のレベルだった。スタッフの気配りと物腰、言葉遣いや笑顔も、十分合格点を出せるクオリティ。そうそう、ホテルのホスピタリティとはこうありたい。
少なくなった品の補充もスムーズで、お客にフラストレーションを抱かせない。うんうん、ビュッフェとはこうありたい。
味は、ホテルレベルで10段階評価をすると、7か8という処かな。
どの品も無難にまとめられていた。万人受けするための調整をすれば特徴のある味にはならない。それがホテルの味だ。とんがらないのがホテルの味。
これは美味い!というものは1、2品だったが、多くのビュッフェにはそういう一品さえないことの方が多いので、十分合格点である。
価格帯にもよるけれど、ビュッフェは「まずいものがない」くらいで十分に合格点をあげなければならない。「何を食べても美味しい」というビュッフェがあれば理想だが、そんな素晴らしいビュッフェに出会うには、それ相応の値段を払わなければ出会えない。
実際には1、2品でも「とても美味しい」と思うものがあったら、それはとても良いビュッフェなのだ。
素晴らしい眺望の席で、お腹いっぱいになって、さあ次はアクアガーデンと棚湯にレッツゴーだ。
スギノイホテルは傾斜地に建っていて、しかも本館とHANA館を繋ぐ距離が恐ろしく長い。HANA館の階数と本館の階数が違うので、今どこにいるのやら訳が分からなくなる。しかもスギノイパレスという別館もあって、うろうろとさんざん館内で迷ってしまった。
アクアガーデンは、2010年12月10日にオープンしたばかりの、スギノイホテルの新目玉施設だ。家族もカップルも一緒に水着で楽しむ温泉。海外では温泉は水着着用が一般的だが、日本でこのような施設は少なく、珍しい。
覚えている人もいるだろうが、スギノイホテルはかつて一度経営破綻している。
経営破綻から再生させるにあたって目玉施設として作られたのが、展望温泉「棚湯」である。素晴らしい眺望とそれを一切妨げないよう、ガラスも壁もないお風呂だ。
そして、今回のアクアガーデンはその棚湯へと更衣室から行き来できるということもあって、非常にお得で魅力的な施設になっている。
施設の真新しさに加え、床材、壁材、天井、照明すべてにとても高級感がある。
娘は大喜びでプールに飛び込んだ。夫はもともとプールやお風呂などの水系が大の苦手だが、入ってみると「これは今までにないし、新しいね」と感心していた。
暖かいので泳ぐというより浸かるという感じだが、雪降る中で温泉に入るのはなんだかとても贅沢で気持ちいい。娘はおおはしゃぎだ。
温泉と謳っているけれど、プールの匂いがする。
つまり、塩素がかなり入っている。たぶん法律の問題なのだろう。
仕方ないのだろうけれど、お肌にはあまりよくないかも。最後は棚湯仁入って流さなくちゃ。残念ながら、ここは減点だ。
従業員が3名ほど、吹雪の中に立って、水着姿のお客の安全を見守っていた。
仕事とは言え、この天気は本当に可哀相だなと思った。辛い仕事だろう。
一旦、ガーデンがどんなものか分かり、楽しんだので、次は水着のまま更衣室へ戻り、脱いで、棚湯に入る。スギノイのCMには必ず登場する棚湯は、本当に優雅な温泉で、バリ島ウブドの最高級リゾートを彷彿とさせる。
棚湯とアクアガーデンを行き来すれば、本当に丸一日を過ごせそうだ。
再度水着に着替え、アクアガーデンに戻る。
目当ては夕方6時、7時、8時に行われる噴水ショー。
美しい照明と音楽、噴水の織りなす瞬間の造形美。
そして、絶景の吹雪。非常にドラマティックなショーだった。
この光景は一生に一度だと、心から堪能した。
ショーが終わって満足し、スギノイホテルを後にした。
もし間に合えば、鉄輪の地獄蒸し体験だ。急げ急げ!
途中でスーパーに寄り、卵、芋、豚肉、鶏手羽など買い込む。
これを地獄蒸しにするのだ。
「ねえ、多過ぎるって。食べ切れないよ」と夫が止めるが、「大丈夫だってば」と押しきる。
蒸し上げてしまえば持って帰っても食べられる。
しめしめ、お正月の食事の支度をさぼれるではないかいな。
初日に娘と見つけておいた地獄蒸し体験館に飛び込むと、
最終受付だった。やった!間に合ったー!
100度以上ある蒸気の上がる釜で、自分で蒸し上げるのだが、係の人が素材や量をみて時間の目安を指南してくれる。蒸し上がったものを、その場で食べられるようにテーブルがあり、皿や端などの食器、塩や醤油、味噌などの調味料を自由に貸してもらえる。
あつあつのほかほかを、三人でばくついた。
とても柔らかくジューシーに仕上がっている。
素材の味には塩がベスト!そして温泉の香り?ほのかに独特の香りがする。
寒い中、暖かい蒸し料理はとても美味しかった。
案の定、半分以上食べ切れず、持ち帰ることにした。
「あー、予定してたことが、全部できたねーいい旅だったねー」
と言いながら、帰路についた。
明日の朝までに、福岡に到着できればOK、という予定。
なにしろ、猛吹雪なのだ。あらゆる山道は封鎖され有料道路は止まっている。
福岡に戻るには、ものすごく遠回りだが海沿いを北九州まで北上し、国道を南下するしかないだろう。娘はさっさと寝袋に潜り込み、すやすやと眠った。
夫と、二人、のんびり話をしながら。運転を交代したり。交代で眠ったり。
走ったことのない道を、標識を頼りに。吹雪の中を走れ走れ。
6時間ほどかけて福岡へドライブした。
戻ると、もも(犬)がお腹をすかせて待っていた。
ただいま、我が家。
31日になっていた。
本当に、いい旅だった。やりたかったこと、全部やった。
旅費は夫のバス代も含め、しめて3万5千円。
年末に親子二人で3泊4日の旅行としてなら、十分安いよね?
またこうして、旅をしよう!
貧乏旅行大好き。スケジュールに縛られない旅行こそ、旅だ。
夫と合流し、すぐにKちゃんの病院へ向かった。
夫と娘は車で待っているといい、久しぶりにふざけ合って遊んでいる。私は安心して、Kちゃんの処へ向かった。
ご飯が終わってしばらくしたところだったようで、丁度よいタイミングだった。
「Kちゃーん」と笑顔で手を振ると、Kちゃんは昨夜より明るい顔で迎えてくれた。
「昨日は急に来たから何にもお見舞いもってこなくてごめんね。」
と言いながら、私は彼女にスーパーの袋を渡した。
「ごめん、ちゃんとした包みじゃなくて。買ってきただけなんだけど」
Kちゃんは袋の中をみて、ぱっと笑った。
「ラミーだあ。嬉しい〜」
彼女が昨日、看護師さんに買ってきてもらえなくなって残念といっていた、チョコレートだった。
「そんなに嬉しいの?」と聞くと
「嬉しいよおーーもう、これ大好きでねえ」とニコニコ笑ってくれる。
「そうなの。じゃあ、これもあげよう」
とバッグからさらに一箱取り出して渡した。彼女はうふふと笑う。
「いいの?」
「うん。そんなに嬉しいの?じゃあ、もう一つあげるね」
とバッグからさらにもう一つ。目を丸くする彼女。
「そうかそうか、ラミーがそんなに好きなんだ。じゃあ」
とさらにもう一つ。彼女の口がぽかんと開く。
「えーい、じゃあ大サービス」
とさらにもう一つ。もう一つ、もう一つ、と合計10個のラミーを彼女の前にならべてあげた。彼女はあっけに取られ、ぽかーんとして、それから可笑しくてたまらないと言う風に笑った。
「魔法のかばんかと思ったよー。もう!」
二人でひとしきり笑った後、
「ごめんねラミー10個しかあげられなくて。これでしばらくの間、慰められて」と言うと、
「ホントに嬉しい。これだけありゃあ、しばらく楽しみがあるよ」と笑ってくれた。
彼女専用の冷蔵庫に、ラミーをしまって、二人で穏やかな時間を過ごした。
「Kちゃん、私たちずっと友達だからね。いつとは言えないけど、別府に来たときには、絶対Kちゃんの処に来るから。またね。」
そう言って、別れた。
Kちゃんの過酷な人生を、私は一瞬たりとも代ってあげることはできない。
私の人生を、一瞬たりとも代ってくれる人はいない。
誰しもが、一人ひとりの人生を、精一杯生きていくしかないのだ。
だからこそ、私たちは、ときには寄り添い、励まし合いたい。
頑張っている姿を、お互いに認め合いたい。
共に、同じ時代を生きている大切な仲間。
最後の最後の一息まで、私たちは友達だ。
さあ、家族と遊ぼう!!
今日の目的地は、スギノイホテルの新施設、温泉プール、アクアガーデンだ!
旅を楽しく締めくくろう!
夫と娘は車で待っているといい、久しぶりにふざけ合って遊んでいる。私は安心して、Kちゃんの処へ向かった。
ご飯が終わってしばらくしたところだったようで、丁度よいタイミングだった。
「Kちゃーん」と笑顔で手を振ると、Kちゃんは昨夜より明るい顔で迎えてくれた。
「昨日は急に来たから何にもお見舞いもってこなくてごめんね。」
と言いながら、私は彼女にスーパーの袋を渡した。
「ごめん、ちゃんとした包みじゃなくて。買ってきただけなんだけど」
Kちゃんは袋の中をみて、ぱっと笑った。
「ラミーだあ。嬉しい〜」
彼女が昨日、看護師さんに買ってきてもらえなくなって残念といっていた、チョコレートだった。
「そんなに嬉しいの?」と聞くと
「嬉しいよおーーもう、これ大好きでねえ」とニコニコ笑ってくれる。
「そうなの。じゃあ、これもあげよう」
とバッグからさらに一箱取り出して渡した。彼女はうふふと笑う。
「いいの?」
「うん。そんなに嬉しいの?じゃあ、もう一つあげるね」
とバッグからさらにもう一つ。目を丸くする彼女。
「そうかそうか、ラミーがそんなに好きなんだ。じゃあ」
とさらにもう一つ。彼女の口がぽかんと開く。
「えーい、じゃあ大サービス」
とさらにもう一つ。もう一つ、もう一つ、と合計10個のラミーを彼女の前にならべてあげた。彼女はあっけに取られ、ぽかーんとして、それから可笑しくてたまらないと言う風に笑った。
「魔法のかばんかと思ったよー。もう!」
二人でひとしきり笑った後、
「ごめんねラミー10個しかあげられなくて。これでしばらくの間、慰められて」と言うと、
「ホントに嬉しい。これだけありゃあ、しばらく楽しみがあるよ」と笑ってくれた。
彼女専用の冷蔵庫に、ラミーをしまって、二人で穏やかな時間を過ごした。
「Kちゃん、私たちずっと友達だからね。いつとは言えないけど、別府に来たときには、絶対Kちゃんの処に来るから。またね。」
そう言って、別れた。
Kちゃんの過酷な人生を、私は一瞬たりとも代ってあげることはできない。
私の人生を、一瞬たりとも代ってくれる人はいない。
誰しもが、一人ひとりの人生を、精一杯生きていくしかないのだ。
だからこそ、私たちは、ときには寄り添い、励まし合いたい。
頑張っている姿を、お互いに認め合いたい。
共に、同じ時代を生きている大切な仲間。
最後の最後の一息まで、私たちは友達だ。
さあ、家族と遊ぼう!!
今日の目的地は、スギノイホテルの新施設、温泉プール、アクアガーデンだ!
旅を楽しく締めくくろう!
朝、5時前にひとりでに目がさめた。
意識しておけば何時でも好きな時間に目が醒めるのは私の特技の一つなのだ。
(緊張性の睡眠障害とも言うらしいが)
スーパーに入ると早朝なのにけっこう慌ただしい雰囲気。
新しく入荷した商品を店員さんたちが棚に並べる作業に忙しそうだ。
元気に「いらっしゃいませー!」「おはようございまーす」と声を掛けてくれる。
日本人は本当に真面目で、勤勉だなと思う。
こんな早朝でもマニュアルとは言え、こんなに元気に働いてくれている人たちがたくさんいるんだと、嬉しくなる。
朝ご飯を買って、車に戻る。
5時過ぎ、夫に電話を入れてみる、
予定通りのバスに乗る為には、もうそろそろ家を出ないといけないのだ。
「むにゃ〜…寝てた」とか寝ぼけた声が帰ってくることも想定しつつ、電話をかける。
「もしもしー。起きてた?」
「うん今から家でるとこ」
おおーーー!!上出来!
一般的には予定通りに出来ているのは当たり前なのだが、我が家では普通のことが出来ると大喜びなのだ。しかし油断禁物。バスに乗るまで、いや別府で出会うまで、どんなポカをするかわからない。
「天神のバスセンター。分かるよね。頑張って」
「うーん…」
頼りない返事だが、頑張ってもらうしかない。電話を切る。
しばらくすると、夫から電話。
「バスセンターってどうやっていくの。西鉄天神駅の処までは来たけど、バスセンターの上り口がわからない」
「その辺の人に聞いて。頑張れ」
そうそう。天神バスセンターの上り口って分かり辛いんだよね。とくに、情報を取得することが困難な彼には難しいだろう。でも一つ一つ、乗り越えてもらうしかない。祈るような気持ちで、夫が苦手なことに立ち向かっていることを応援する。
頑張れ、頑張れ〜と思いながら時間を気にしつつ、娘を起こしたり、朝食を取ったりして過ごす。
しばらくして、「別府行き、乗れたよ。」という電話。
やったー!!偉い夫!!よくやったぞー!嬉しくて、誇らしい。
「到着したらそこから電話して。すぐに行ける処にいるから」
という声はごく普通。冷静。別にあえてそうしているのでも、冷たくするつもりでもないのだが、私は昔から喜びを表現しないようにしつけられてしまっている。もっと喜んであげればいいのに、ストレートな表現ができなくて難しいのだ。
「パパ、バスに乗れたって!よかったね」
と娘に言うと
「私は1年生の頃から乗れたけどね」と自慢する。
夫は9時30分ごろ、無事に別府に到着し、私たちは合流した。
一年中ほとんどいつも一緒にいる夫と、こんなに離れた場所で出会うなんて、なんだか不思議で面白い感覚だ。
さあ、家族揃って、今日も予定がたくさん。
そして、今日が旅の最後だ。
娘の思い出がたくさん増えますように。
意識しておけば何時でも好きな時間に目が醒めるのは私の特技の一つなのだ。
(緊張性の睡眠障害とも言うらしいが)
スーパーに入ると早朝なのにけっこう慌ただしい雰囲気。
新しく入荷した商品を店員さんたちが棚に並べる作業に忙しそうだ。
元気に「いらっしゃいませー!」「おはようございまーす」と声を掛けてくれる。
日本人は本当に真面目で、勤勉だなと思う。
こんな早朝でもマニュアルとは言え、こんなに元気に働いてくれている人たちがたくさんいるんだと、嬉しくなる。
朝ご飯を買って、車に戻る。
5時過ぎ、夫に電話を入れてみる、
予定通りのバスに乗る為には、もうそろそろ家を出ないといけないのだ。
「むにゃ〜…寝てた」とか寝ぼけた声が帰ってくることも想定しつつ、電話をかける。
「もしもしー。起きてた?」
「うん今から家でるとこ」
おおーーー!!上出来!
一般的には予定通りに出来ているのは当たり前なのだが、我が家では普通のことが出来ると大喜びなのだ。しかし油断禁物。バスに乗るまで、いや別府で出会うまで、どんなポカをするかわからない。
「天神のバスセンター。分かるよね。頑張って」
「うーん…」
頼りない返事だが、頑張ってもらうしかない。電話を切る。
しばらくすると、夫から電話。
「バスセンターってどうやっていくの。西鉄天神駅の処までは来たけど、バスセンターの上り口がわからない」
「その辺の人に聞いて。頑張れ」
そうそう。天神バスセンターの上り口って分かり辛いんだよね。とくに、情報を取得することが困難な彼には難しいだろう。でも一つ一つ、乗り越えてもらうしかない。祈るような気持ちで、夫が苦手なことに立ち向かっていることを応援する。
頑張れ、頑張れ〜と思いながら時間を気にしつつ、娘を起こしたり、朝食を取ったりして過ごす。
しばらくして、「別府行き、乗れたよ。」という電話。
やったー!!偉い夫!!よくやったぞー!嬉しくて、誇らしい。
「到着したらそこから電話して。すぐに行ける処にいるから」
という声はごく普通。冷静。別にあえてそうしているのでも、冷たくするつもりでもないのだが、私は昔から喜びを表現しないようにしつけられてしまっている。もっと喜んであげればいいのに、ストレートな表現ができなくて難しいのだ。
「パパ、バスに乗れたって!よかったね」
と娘に言うと
「私は1年生の頃から乗れたけどね」と自慢する。
夫は9時30分ごろ、無事に別府に到着し、私たちは合流した。
一年中ほとんどいつも一緒にいる夫と、こんなに離れた場所で出会うなんて、なんだか不思議で面白い感覚だ。
さあ、家族揃って、今日も予定がたくさん。
そして、今日が旅の最後だ。
娘の思い出がたくさん増えますように。
夕食を食べ始めるとすぐに、夫から電話が入った。
仕事の話ですぐに処理しないといけないメールの文面を相談してきたのだ。
私は、仕事とプライベートの区別は非常に厳格なたちだ。
旅行中には一切仕事しない、と決めている。
しかし仕方ない時もある。
仕方なく、文面をその場で制作することにする。
目を閉じて、周囲の喧騒と娘の存在を遠くに切り離す。
娘は悲しげだ。けれど厳しい顔をして、今は諦めるしかないと思わせる。
本当は娘をそんなふうに置き去りにするのはとても辛い。
パソコンもペンと紙も手元にないのだから、頭の中で文面を書いていく。
頭の中には、メーラーの画面が見えている。
夫に口頭筆記してもらい、数回できた文面を読んでもらい、修正をして完成させる。
終った時には、娘はご飯を食べ終え、私の分はすっかり冷めてしまっていた。
娘に謝った。
「ごめんね。せっかくの晩ご飯だったのに、一人にしちゃって」
娘はうつむき加減に小さく「いいよ」と言った。
本当はよくなんかないのだが、我慢している。
こんな彼女にしたのは私だ。
いつもいつも、仕事の時には彼女のことなんかうんと後回しにしてきた。
せっかくの旅行で、彼女の中に残念な気持ちの記憶が一つ増えてしまったことが残念で仕方ない。
《楽しいはずの旅行先でまで、仕事をしていた母》
私は、将来、娘にそう言われるのではないかと恐れる。とても残念だ。
「仕事終わった。もうしない。さ、今晩のおやつは何にしよう?温泉行って、買い物しようか」
娘はやっと笑ってくれた。
今日はお昼にもラクテンチの展望温泉に入っていたのだが、
別府で一番有名な竹瓦温泉が、年末で無料になっている。
せっかくだから由緒ある竹瓦温泉には入っておかないと。
急いで駆けつけたときには、閉店まで1時間だった。
「わあ、時代劇に出てくるみたい」と、その佇まいに娘が驚く。
中に入って、脱衣所が2階で、そのまま風呂が一階にある構造
そのものに驚く。
そういえば武雄温泉の元湯もこういう作りになっている。
急いで体をあらって、熱めのお湯に浸かる。
とろみはないけれど、やっぱり家のお風呂とは比較にならないほど温まる。
一ヶ月くらいこうして湯治に来たら、すごく健康になるだろうな…と思う。
娘は疲れたのか、あくびしている。
最後の客は私たちで、またもや貸しきりになってしまった。
世間は、年の瀬。本当にあと数日で今年も終わりだもの。
そんな慌ただしい時に、思いつきだけでよく別府まで来たものだなあと、
自分のことながら無軌道な行動に呆れるやら感心するやらだ。
外は今日も雪。酔った人が大声で歌っている。
風情のある古い温泉の旅情を感じる。
来年もこうしてのんびりとした年末が過ごせるといいな。
毎年、こうしていられたら、人間らしい生活をしている気がする。
お風呂から出て、24時間営業の大型スーパーをみつけた。
買い物をして、今夜はそのスーパーの駐車場に泊めてみることにした。
何故なら、建物の1階部分が駐車場で、完全にではないが、奥のほうに
泊めれば風がかなり防げると分かったからだ。
今晩は昨日よりさらに冷え込み、吹雪になる予報。
出来るだけ屋根や壁のある暖かい場所の方がいい。
駐車場はそんな利用の仕方をする為に作られている訳ではないので、
もちろん私たちは招かれざる客である。
お店の人に怒られても当然だ。せめてもと、何度か買い物する。
遠慮しながら、隅の方に泊めて、23時ごろまで様子をみる。
年末、雪、深夜。お客もまばらである。
みると、どう見てもお客とは思えない車が何台も奥のほうに遠慮がちに
駐車されている。どうやら私たちと同じく、一晩ここで駐車する覚悟らしい。
いいや。怒られたらすぐ移動しよう。
そう思って開き直り、寝ることにした。
娘は疲れて、すぐにぐっすり眠ってしまった。
明日は、夫が早朝福岡からバスでこちらに向かう予定。
無事に到着するだろうか。初めての高速バスに、乗れるだろうか。
うーん、気が抜けないな、と思いながら、眠った。
仕事の話ですぐに処理しないといけないメールの文面を相談してきたのだ。
私は、仕事とプライベートの区別は非常に厳格なたちだ。
旅行中には一切仕事しない、と決めている。
しかし仕方ない時もある。
仕方なく、文面をその場で制作することにする。
目を閉じて、周囲の喧騒と娘の存在を遠くに切り離す。
娘は悲しげだ。けれど厳しい顔をして、今は諦めるしかないと思わせる。
本当は娘をそんなふうに置き去りにするのはとても辛い。
パソコンもペンと紙も手元にないのだから、頭の中で文面を書いていく。
頭の中には、メーラーの画面が見えている。
夫に口頭筆記してもらい、数回できた文面を読んでもらい、修正をして完成させる。
終った時には、娘はご飯を食べ終え、私の分はすっかり冷めてしまっていた。
娘に謝った。
「ごめんね。せっかくの晩ご飯だったのに、一人にしちゃって」
娘はうつむき加減に小さく「いいよ」と言った。
本当はよくなんかないのだが、我慢している。
こんな彼女にしたのは私だ。
いつもいつも、仕事の時には彼女のことなんかうんと後回しにしてきた。
せっかくの旅行で、彼女の中に残念な気持ちの記憶が一つ増えてしまったことが残念で仕方ない。
《楽しいはずの旅行先でまで、仕事をしていた母》
私は、将来、娘にそう言われるのではないかと恐れる。とても残念だ。
「仕事終わった。もうしない。さ、今晩のおやつは何にしよう?温泉行って、買い物しようか」
娘はやっと笑ってくれた。
今日はお昼にもラクテンチの展望温泉に入っていたのだが、
別府で一番有名な竹瓦温泉が、年末で無料になっている。
せっかくだから由緒ある竹瓦温泉には入っておかないと。
急いで駆けつけたときには、閉店まで1時間だった。
「わあ、時代劇に出てくるみたい」と、その佇まいに娘が驚く。
中に入って、脱衣所が2階で、そのまま風呂が一階にある構造
そのものに驚く。
そういえば武雄温泉の元湯もこういう作りになっている。
急いで体をあらって、熱めのお湯に浸かる。
とろみはないけれど、やっぱり家のお風呂とは比較にならないほど温まる。
一ヶ月くらいこうして湯治に来たら、すごく健康になるだろうな…と思う。
娘は疲れたのか、あくびしている。
最後の客は私たちで、またもや貸しきりになってしまった。
世間は、年の瀬。本当にあと数日で今年も終わりだもの。
そんな慌ただしい時に、思いつきだけでよく別府まで来たものだなあと、
自分のことながら無軌道な行動に呆れるやら感心するやらだ。
外は今日も雪。酔った人が大声で歌っている。
風情のある古い温泉の旅情を感じる。
来年もこうしてのんびりとした年末が過ごせるといいな。
毎年、こうしていられたら、人間らしい生活をしている気がする。
お風呂から出て、24時間営業の大型スーパーをみつけた。
買い物をして、今夜はそのスーパーの駐車場に泊めてみることにした。
何故なら、建物の1階部分が駐車場で、完全にではないが、奥のほうに
泊めれば風がかなり防げると分かったからだ。
今晩は昨日よりさらに冷え込み、吹雪になる予報。
出来るだけ屋根や壁のある暖かい場所の方がいい。
駐車場はそんな利用の仕方をする為に作られている訳ではないので、
もちろん私たちは招かれざる客である。
お店の人に怒られても当然だ。せめてもと、何度か買い物する。
遠慮しながら、隅の方に泊めて、23時ごろまで様子をみる。
年末、雪、深夜。お客もまばらである。
みると、どう見てもお客とは思えない車が何台も奥のほうに遠慮がちに
駐車されている。どうやら私たちと同じく、一晩ここで駐車する覚悟らしい。
いいや。怒られたらすぐ移動しよう。
そう思って開き直り、寝ることにした。
娘は疲れて、すぐにぐっすり眠ってしまった。
明日は、夫が早朝福岡からバスでこちらに向かう予定。
無事に到着するだろうか。初めての高速バスに、乗れるだろうか。
うーん、気が抜けないな、と思いながら、眠った。
Kちゃんは、体力的に自力で歩くことも困難になっていた。
それでも補助機につかまって、談話室までの10メートルほどをゆっくりゆっくり、一緒に歩いた。
談話室のイスに座る時も、補助機からイスまでのわずかな距離さえ自分の体を支えられない。ゆっくりゆっくり、一つづつの動作を彼女は頑張る。私は少し手を貸しながらも、彼女のやり方を見守る。彼女の体と健康の状態の変化の大きさを感じる。
「こんなになっちゃってね…もうね…しょうがないんだよ」
彼女は申し訳なさそうに私を見上げる。
「うんうん。私もあと30年もしたら同じになるから。ちょっと早かったねえ、Kちゃんは」
「ふふふ。そうだねえ」
彼女は、20才くらいの頃と同じように笑う。
体がどんなに変わっても、その中にある魂こそが彼女だと感じる。
彼女の目は少しも変わらない。自分の体のことも、失敗も、全部冗談にして笑う彼女。
この20年、どんな風だったのか聞いた。何度も危険な状態を経験したこと。周囲の人はいつ死んでも仕方ないと思っているので、彼女が気を失っても慌てないのだそうだ。低血糖を起こして昏睡に陥った時にも、家族は「今日はよく寝てるわ」と思って発見がとても遅れたこと。
いつ死んでも不思議でない病人と一緒に20年も暮らすと、家族の感覚もどんどんそれに馴れていくのかもしれない。私が夫の忘れ物や失敗に動じなくなるのと同じなのだろう。
「お母さんやお父さんは元気?」
「うん。あの店ね、けっこう前にね辞めたんよ。もうしんどいってなあ。それでねえ、昔から務めてた従業員さんがやりたいって言うから任せてやってもらってるんよ。まあ、オーナー?ってやつやね」
「そう。それは楽になってよかったねえ。お見舞いには来てくれるの?」
「ううん。もう来ないねえ。お母さんもお父さんも、お見舞いには全然来ない」
Kちゃんは寂しそうな顔をした。
「何か、楽しみはないの?ハマっちゃうこととかさ。芸能人でも、食べ物でも、趣味でも」
「ないんだよねえ。楽しみがなーんにもないの。元気がないからねえ。」
「そうかあ。何か見つかるといいよねえ。そうしたら少し楽しくなるよねえ」
「うん。そうなんやけどねえ。ああ、食べ物にはまだ執着するなあ。チョコレートで好きなのがあってねえ」
「へえ。なに?」
「レミーっていうチョコ。ラム酒のレーズンが入っててね、期間限定なんよ」
「あーそれ知ってる知ってる。あれって季節限定なんだっけ」
「前は看護婦さんに頼んでね売店から買ってきてもらってたんだけど、最近、人が減らされたらしくてね、忙しいからって買ってきてもらえんようになったんよ。もうがーーーっかり。」
「そうなんだー…それは残念だねえ。たった一つの楽しみなのに。九大の時も、Kちゃんおしるこばっかり夜中に食べてたもんね」
「あははは、もう!余計なことばっかり覚えてるね!」
Kちゃんは、4、5才くらいの子供のような幼い話し方になったり、40才の大人になったりする。一度した話をまた最初から話したり、こちらの話したことを忘れていたりする。脳の問題なのだから、記憶に問題が起きるのはごく自然だ。
「最近ねえ、検査したらね、脳が縮んできとるって言われたんよ。もうね、だめなんよこの頭は。だからいつまでYちゃんのこと覚えてられるかねえ」
Kちゃんは不安そうな顔でうつむいた。
脳の萎縮と聞くと、アルツハイマー症を思い浮かべてしまう。
Kちゃんはたった40才過ぎなのに、体は老人のように見える。彼女の人生は、いったい何なのだろうと思う。このような過酷な試練に満ちた人生で、人はいったい何を学ぶというのか。
「いいんよ、忘れても。私がちゃんと覚えてるんだから。」
Kちゃんはびっくりしたように私の顔を見て
「はー…… そうやねえ。そんなこというのYちゃんだけやなあ」と言った。
私は忘れられることに馴れているし、覚悟が出来ているつもりだ。
なにせ夫は私との思い出を覚えていない。若い頃のデートの思い出さえも、共有できることは少ない。私にとってすごく腹が立った瞬間も、感動した瞬間も、彼にとっては、実感のない「私から聞いた話」になっている。そればかりか、これから年を重ねて行けば、どんどん記憶を失っていくかも知れないのだ。
それでも私は平気だ。だって私が覚えているのだから。あの瞬間は、確かにあったと。そして今も目の前に、その大切な人がいる。それだけで十分なのだ。
過去にあったことよりも、今この瞬間一緒にいることの方が遥かに大切だ。
今この瞬間にあることのきらめきに比べれば、過去は頼りない陽炎に等しい。思い出とは、すべて過ぎ去ったことの幻だ。
夫もいろいろ忘れてしまう人なのだと、Kちゃんに少し話した。
「そうなん。大変な問題やねえ、それは」とKちゃんは気の毒そうにうなづいた。
「Kちゃん、私、明日、福岡に帰るんだけど、午前中時間作って、また来る。今日は帰るね」
Kちゃんをあまり疲れさせるのはよくない。彼女を病室までゆっくりゆっくり送った。たった10メートルを移動するのに、5分以上かかる。彼女は恐縮して、何度も「もうここでいいよ。もういいよ」と言ったが、「いいんだよ。このあと何も予定はないんだから。」と言うと嬉しそうに笑った。
別れ際、しっかりハグした。
「またあしたくるね」
「うれしいよお、私のことなんか覚えてて探してくれたなんて。もう一生会えない人だと思ってたんよ」
いつだってこんな別れ際は辛い。
私は何度か振り返って、彼女に手を降った。
彼女は名残惜しそうに、ずっとこっちを見ていた。
一時間弱の面会だったけれど、腹ぺこの娘が、珍しく文句一つ言わずおとなしくしていた。
病院を出ると、大きなぼた雪がものすごく大量に降ってきている。
雪の中、車まで戻る時、娘が手をつないできて「ママ、よかったね」と言った。
街でレストランを見つけて入った。
二人では十分な量を頼んだ。
目の前の娘。
たくさんのご馳走。
元気な店員の掛け声が飛び交うにぎやかな店内。
これが私の今ここにある人生。
胸の中にあるいろんな思い。
痛みとぬくもりと、その他さまざまな感覚。
これが今ここにある、私の一瞬。
噛みしめた。
みんな 一人ひとりが それぞれの人生を
懸命に 生きているのだ。
それでも補助機につかまって、談話室までの10メートルほどをゆっくりゆっくり、一緒に歩いた。
談話室のイスに座る時も、補助機からイスまでのわずかな距離さえ自分の体を支えられない。ゆっくりゆっくり、一つづつの動作を彼女は頑張る。私は少し手を貸しながらも、彼女のやり方を見守る。彼女の体と健康の状態の変化の大きさを感じる。
「こんなになっちゃってね…もうね…しょうがないんだよ」
彼女は申し訳なさそうに私を見上げる。
「うんうん。私もあと30年もしたら同じになるから。ちょっと早かったねえ、Kちゃんは」
「ふふふ。そうだねえ」
彼女は、20才くらいの頃と同じように笑う。
体がどんなに変わっても、その中にある魂こそが彼女だと感じる。
彼女の目は少しも変わらない。自分の体のことも、失敗も、全部冗談にして笑う彼女。
この20年、どんな風だったのか聞いた。何度も危険な状態を経験したこと。周囲の人はいつ死んでも仕方ないと思っているので、彼女が気を失っても慌てないのだそうだ。低血糖を起こして昏睡に陥った時にも、家族は「今日はよく寝てるわ」と思って発見がとても遅れたこと。
いつ死んでも不思議でない病人と一緒に20年も暮らすと、家族の感覚もどんどんそれに馴れていくのかもしれない。私が夫の忘れ物や失敗に動じなくなるのと同じなのだろう。
「お母さんやお父さんは元気?」
「うん。あの店ね、けっこう前にね辞めたんよ。もうしんどいってなあ。それでねえ、昔から務めてた従業員さんがやりたいって言うから任せてやってもらってるんよ。まあ、オーナー?ってやつやね」
「そう。それは楽になってよかったねえ。お見舞いには来てくれるの?」
「ううん。もう来ないねえ。お母さんもお父さんも、お見舞いには全然来ない」
Kちゃんは寂しそうな顔をした。
「何か、楽しみはないの?ハマっちゃうこととかさ。芸能人でも、食べ物でも、趣味でも」
「ないんだよねえ。楽しみがなーんにもないの。元気がないからねえ。」
「そうかあ。何か見つかるといいよねえ。そうしたら少し楽しくなるよねえ」
「うん。そうなんやけどねえ。ああ、食べ物にはまだ執着するなあ。チョコレートで好きなのがあってねえ」
「へえ。なに?」
「レミーっていうチョコ。ラム酒のレーズンが入っててね、期間限定なんよ」
「あーそれ知ってる知ってる。あれって季節限定なんだっけ」
「前は看護婦さんに頼んでね売店から買ってきてもらってたんだけど、最近、人が減らされたらしくてね、忙しいからって買ってきてもらえんようになったんよ。もうがーーーっかり。」
「そうなんだー…それは残念だねえ。たった一つの楽しみなのに。九大の時も、Kちゃんおしるこばっかり夜中に食べてたもんね」
「あははは、もう!余計なことばっかり覚えてるね!」
Kちゃんは、4、5才くらいの子供のような幼い話し方になったり、40才の大人になったりする。一度した話をまた最初から話したり、こちらの話したことを忘れていたりする。脳の問題なのだから、記憶に問題が起きるのはごく自然だ。
「最近ねえ、検査したらね、脳が縮んできとるって言われたんよ。もうね、だめなんよこの頭は。だからいつまでYちゃんのこと覚えてられるかねえ」
Kちゃんは不安そうな顔でうつむいた。
脳の萎縮と聞くと、アルツハイマー症を思い浮かべてしまう。
Kちゃんはたった40才過ぎなのに、体は老人のように見える。彼女の人生は、いったい何なのだろうと思う。このような過酷な試練に満ちた人生で、人はいったい何を学ぶというのか。
「いいんよ、忘れても。私がちゃんと覚えてるんだから。」
Kちゃんはびっくりしたように私の顔を見て
「はー…… そうやねえ。そんなこというのYちゃんだけやなあ」と言った。
私は忘れられることに馴れているし、覚悟が出来ているつもりだ。
なにせ夫は私との思い出を覚えていない。若い頃のデートの思い出さえも、共有できることは少ない。私にとってすごく腹が立った瞬間も、感動した瞬間も、彼にとっては、実感のない「私から聞いた話」になっている。そればかりか、これから年を重ねて行けば、どんどん記憶を失っていくかも知れないのだ。
それでも私は平気だ。だって私が覚えているのだから。あの瞬間は、確かにあったと。そして今も目の前に、その大切な人がいる。それだけで十分なのだ。
過去にあったことよりも、今この瞬間一緒にいることの方が遥かに大切だ。
今この瞬間にあることのきらめきに比べれば、過去は頼りない陽炎に等しい。思い出とは、すべて過ぎ去ったことの幻だ。
夫もいろいろ忘れてしまう人なのだと、Kちゃんに少し話した。
「そうなん。大変な問題やねえ、それは」とKちゃんは気の毒そうにうなづいた。
「Kちゃん、私、明日、福岡に帰るんだけど、午前中時間作って、また来る。今日は帰るね」
Kちゃんをあまり疲れさせるのはよくない。彼女を病室までゆっくりゆっくり送った。たった10メートルを移動するのに、5分以上かかる。彼女は恐縮して、何度も「もうここでいいよ。もういいよ」と言ったが、「いいんだよ。このあと何も予定はないんだから。」と言うと嬉しそうに笑った。
別れ際、しっかりハグした。
「またあしたくるね」
「うれしいよお、私のことなんか覚えてて探してくれたなんて。もう一生会えない人だと思ってたんよ」
いつだってこんな別れ際は辛い。
私は何度か振り返って、彼女に手を降った。
彼女は名残惜しそうに、ずっとこっちを見ていた。
一時間弱の面会だったけれど、腹ぺこの娘が、珍しく文句一つ言わずおとなしくしていた。
病院を出ると、大きなぼた雪がものすごく大量に降ってきている。
雪の中、車まで戻る時、娘が手をつないできて「ママ、よかったね」と言った。
街でレストランを見つけて入った。
二人では十分な量を頼んだ。
目の前の娘。
たくさんのご馳走。
元気な店員の掛け声が飛び交うにぎやかな店内。
これが私の今ここにある人生。
胸の中にあるいろんな思い。
痛みとぬくもりと、その他さまざまな感覚。
これが今ここにある、私の一瞬。
噛みしめた。
みんな 一人ひとりが それぞれの人生を
懸命に 生きているのだ。
鉄輪の中心部で車を停めて、雪の中を歩き出した。
確かにこの角に見覚えがあるような気がする。
たぶん、いやきっと、この近くに、Kちゃんの両親が営んでいるお店があるはずだ。
あっちを曲がり、こっちへ戻って別の道に入り、何本かの道を行ったり来たりしているうちに、記憶に導かれて吸い込まれるように進んだ路地の先、ある店の看板に目が止まった。
古い、看板。小さな食堂。
その屋号を見た途端、思い出した。
そう、この屋号だった。Kちゃんちのお店。
間違いない。はっきり思い出した、この店の姿。
とうとう見つけた。
いや、心の何処かで、見つかるはずだと信じていた。
けれど。
Kちゃんは。Kちゃんの消息はまだわからない。
緊張しながら、ついに見つけたお店のドアを開けた。
「すみません。こちらはMさんのお店でしょうか」
奥に、50代くらいに見える女性が一人いた。
驚いた顔をしてゆっくりと戸口の処へきて
「Kちゃんの友達?」と言った。
ああ、やっぱり、ここで間違いなかった。ここだった。
この人はKちゃんのお母さんではない、ということは口ぶりから察した。
たぶん、この店の従業員さんだろうか。でも相手からKちゃんの名前がでたので安心した。
…Kちゃんを探して、20年ぶりに来たことを話した。
そして、聞くのが怖くて仕方のない質問を勇気を振り絞って、口にした。
「それであの、Kちゃんは、今もお元気ですか」
女性は、首を傾けてちょっと視線を泳がせた。
「ああ、Kちゃんね。私もずいぶん見てないけど。奥さんに電話してあげようかね」
視線をこちらに戻しながら、電話を取り上げるしぐさをする。
「奥さん?」
「Kちゃんのお母さんよ。Mさんはもうこのお店やってないんだよ。だいぶ前に辞めてね。あたしが引き継いでやらせてもらってるんだよ」
ああ、やっぱりそうなのか。Kちゃんのご両親にも長い時があった。仕事をやめて、引退しているのも当然だ。
女性は、電話を取り出して、Mさんのお宅に電話してくれた。
しばらくひとしきり話して、切った。
「Kちゃんね、いま入院しとるって。国立病院。」
ああ…生きててくれたんだ。Kちゃんは生きてる。
緊張の力が抜けて、体の奥が暖かくなるのを感じた。
病院の場所を聞くと、たくさんお礼を言って、そのお店を後にした。
「ママ、見つかったのね」
娘が私の顔をのぞき込んで言う。娘の目に映る私の表情はどんな風なんだろう。
「うん。すごいね。とうとう見つかったよ。ごめん、お腹減ってるでしょ、でも先にKちゃんの処にお見舞いにいくからね。その後ご飯にしよう」
「うん。いいよ」
娘は珍しく神妙な顔で、素直についてきてくれた。
Kちゃんの病室に着くと、彼女はベッドに腰かけて夜の薬を飲んでいる処だった。
なんて声を掛けたらいいんだろう、こういう時。
でも、考え終らないうちに、自然とKちゃんに歩み寄って言葉が勝手にでてしまった。
「Kちゃん、私、覚えてる?」
彼女はきょとんとして私の顔を見つめ10秒ほどしてからうなづいた。
「覚えてるよ。覚えてる。Yちゃんだ…! え?? なんで?どうしてここにおるん?」
彼女は心底驚いた様子だった。
「突然でごめんね。びっくりしたよね。でもやっとKちゃんに会えたなあ。嬉しい。」
彼女の手を取ると、何故だかとたんに、涙が止まらなくなった。
暖かい手。生きててくれた。
私の古い友人は、過酷な人生を耐え抜いて、生きていてくれたのだ。
涙がとまるまでしばらくかかった。
確かにこの角に見覚えがあるような気がする。
たぶん、いやきっと、この近くに、Kちゃんの両親が営んでいるお店があるはずだ。
あっちを曲がり、こっちへ戻って別の道に入り、何本かの道を行ったり来たりしているうちに、記憶に導かれて吸い込まれるように進んだ路地の先、ある店の看板に目が止まった。
古い、看板。小さな食堂。
その屋号を見た途端、思い出した。
そう、この屋号だった。Kちゃんちのお店。
間違いない。はっきり思い出した、この店の姿。
とうとう見つけた。
いや、心の何処かで、見つかるはずだと信じていた。
けれど。
Kちゃんは。Kちゃんの消息はまだわからない。
緊張しながら、ついに見つけたお店のドアを開けた。
「すみません。こちらはMさんのお店でしょうか」
奥に、50代くらいに見える女性が一人いた。
驚いた顔をしてゆっくりと戸口の処へきて
「Kちゃんの友達?」と言った。
ああ、やっぱり、ここで間違いなかった。ここだった。
この人はKちゃんのお母さんではない、ということは口ぶりから察した。
たぶん、この店の従業員さんだろうか。でも相手からKちゃんの名前がでたので安心した。
…Kちゃんを探して、20年ぶりに来たことを話した。
そして、聞くのが怖くて仕方のない質問を勇気を振り絞って、口にした。
「それであの、Kちゃんは、今もお元気ですか」
女性は、首を傾けてちょっと視線を泳がせた。
「ああ、Kちゃんね。私もずいぶん見てないけど。奥さんに電話してあげようかね」
視線をこちらに戻しながら、電話を取り上げるしぐさをする。
「奥さん?」
「Kちゃんのお母さんよ。Mさんはもうこのお店やってないんだよ。だいぶ前に辞めてね。あたしが引き継いでやらせてもらってるんだよ」
ああ、やっぱりそうなのか。Kちゃんのご両親にも長い時があった。仕事をやめて、引退しているのも当然だ。
女性は、電話を取り出して、Mさんのお宅に電話してくれた。
しばらくひとしきり話して、切った。
「Kちゃんね、いま入院しとるって。国立病院。」
ああ…生きててくれたんだ。Kちゃんは生きてる。
緊張の力が抜けて、体の奥が暖かくなるのを感じた。
病院の場所を聞くと、たくさんお礼を言って、そのお店を後にした。
「ママ、見つかったのね」
娘が私の顔をのぞき込んで言う。娘の目に映る私の表情はどんな風なんだろう。
「うん。すごいね。とうとう見つかったよ。ごめん、お腹減ってるでしょ、でも先にKちゃんの処にお見舞いにいくからね。その後ご飯にしよう」
「うん。いいよ」
娘は珍しく神妙な顔で、素直についてきてくれた。
Kちゃんの病室に着くと、彼女はベッドに腰かけて夜の薬を飲んでいる処だった。
なんて声を掛けたらいいんだろう、こういう時。
でも、考え終らないうちに、自然とKちゃんに歩み寄って言葉が勝手にでてしまった。
「Kちゃん、私、覚えてる?」
彼女はきょとんとして私の顔を見つめ10秒ほどしてからうなづいた。
「覚えてるよ。覚えてる。Yちゃんだ…! え?? なんで?どうしてここにおるん?」
彼女は心底驚いた様子だった。
「突然でごめんね。びっくりしたよね。でもやっとKちゃんに会えたなあ。嬉しい。」
彼女の手を取ると、何故だかとたんに、涙が止まらなくなった。
暖かい手。生きててくれた。
私の古い友人は、過酷な人生を耐え抜いて、生きていてくれたのだ。
涙がとまるまでしばらくかかった。