2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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うわーー。なんて青い空。
風が冷たくて、空が高い。
今日は本当に外が明るく見えます。
さて、省エネダクト、という商品をご存知でしょうか。
実は今年の冬、我が家ではこれを導入致しました。
なんのことはない、直径15センチほどの筒がジャバラ状になっていて、伸ばしたり曲げたりできるものです。何に使うと省エネになるのか?
なんと、ストーブの暖気口の前に無造作にポンと置くだけなのです。
片方をストーブのぬくぬく空気が出ている処に置いて、もう片方の出口は好きな場所まで延ばします。これによって、好きな場所を、暖めることが出来るというアイデアグッズで、東北地方ではほとんどの一般家庭に装備済みなのだそうです。
これまで九州では販売されていなかった商品でしたが、今年の冬が厳しかった為に試しに販売したところマスコミ効果もあって大ヒット!
で、私もさっそく情報をキャッチするや否や、速攻で買い求めました。
そしてそして、数年来の野望、「こたつ」を簡易に実現してしまったのです!!
やほーー!
普段使いのちゃぶ台に毛布をかけ、省エネダクトをつかってその中に暖気を引き込むと…おおっなんということでしょう…(ビフォーアフター風)
我が家の籐の涼しげなちゃぶ台が、立派なおこたになったではありませんか。
こたつを買いたい買いたいと思いながら、夫の強固な反対にあって購入に踏み切れませんでしたが、さすがの夫も、わずか1500円の省エネダクトを購入することがこたつ実現への野望だとは気づかなかったようです。
わーはははは、どうだ夫よまいったか。
私は自分の夢は必ず実現する女さ。
犬が真っ先にもぐりこんでいます。
暖気こたつは、本物のこたつより良い点があります。まず電熱部がないので、こたつ内側が広い。そして暖気がそのまま入ってくるので、こたつ内部の全部が同じ温度です。(普通だと電熱部の下が熱くて、足をすみっこに逃がしたりしませんか?)ストーブを付ければ、5秒でこたつも暖かいのです。
省エネダクトには他にも使い方があります。
冷えたお布団のはじっこにダクトを差し込むと、布団がほかほかです。
とても幸せな気分で眠りにつき、ストーブが3時間で切れたら自動的に布団内暖気もオフになり、そのまま寝入って気づきません。温まり過ぎても寝苦しいので、とっても丁度良い具合なのです。
省エネダクトは固定しないでただ置いてあるだけなので、その時一番暖気を引き込みたい場所までじゃばらを延ばせばよいのです。10メートルは楽に伸びます。これは本当に便利!
台所の足下に引き込んだりと、いやはや、東北人の智慧には参りました。
今日も簡易こたつで青い空を眺めています。
はやくこのこたつに猫を加えたい処です。
あれだけこたつに反対していた夫が、一番この簡易こたつでうたた寝をします。
平和だなあ。幸せ。
風が冷たくて、空が高い。
今日は本当に外が明るく見えます。
さて、省エネダクト、という商品をご存知でしょうか。
実は今年の冬、我が家ではこれを導入致しました。
なんのことはない、直径15センチほどの筒がジャバラ状になっていて、伸ばしたり曲げたりできるものです。何に使うと省エネになるのか?
なんと、ストーブの暖気口の前に無造作にポンと置くだけなのです。
片方をストーブのぬくぬく空気が出ている処に置いて、もう片方の出口は好きな場所まで延ばします。これによって、好きな場所を、暖めることが出来るというアイデアグッズで、東北地方ではほとんどの一般家庭に装備済みなのだそうです。
これまで九州では販売されていなかった商品でしたが、今年の冬が厳しかった為に試しに販売したところマスコミ効果もあって大ヒット!
で、私もさっそく情報をキャッチするや否や、速攻で買い求めました。
そしてそして、数年来の野望、「こたつ」を簡易に実現してしまったのです!!
やほーー!
普段使いのちゃぶ台に毛布をかけ、省エネダクトをつかってその中に暖気を引き込むと…おおっなんということでしょう…(ビフォーアフター風)
我が家の籐の涼しげなちゃぶ台が、立派なおこたになったではありませんか。
こたつを買いたい買いたいと思いながら、夫の強固な反対にあって購入に踏み切れませんでしたが、さすがの夫も、わずか1500円の省エネダクトを購入することがこたつ実現への野望だとは気づかなかったようです。
わーはははは、どうだ夫よまいったか。
私は自分の夢は必ず実現する女さ。
犬が真っ先にもぐりこんでいます。
暖気こたつは、本物のこたつより良い点があります。まず電熱部がないので、こたつ内側が広い。そして暖気がそのまま入ってくるので、こたつ内部の全部が同じ温度です。(普通だと電熱部の下が熱くて、足をすみっこに逃がしたりしませんか?)ストーブを付ければ、5秒でこたつも暖かいのです。
省エネダクトには他にも使い方があります。
冷えたお布団のはじっこにダクトを差し込むと、布団がほかほかです。
とても幸せな気分で眠りにつき、ストーブが3時間で切れたら自動的に布団内暖気もオフになり、そのまま寝入って気づきません。温まり過ぎても寝苦しいので、とっても丁度良い具合なのです。
省エネダクトは固定しないでただ置いてあるだけなので、その時一番暖気を引き込みたい場所までじゃばらを延ばせばよいのです。10メートルは楽に伸びます。これは本当に便利!
台所の足下に引き込んだりと、いやはや、東北人の智慧には参りました。
今日も簡易こたつで青い空を眺めています。
はやくこのこたつに猫を加えたい処です。
あれだけこたつに反対していた夫が、一番この簡易こたつでうたた寝をします。
平和だなあ。幸せ。
相談を受ける仕事は、心理カウンセリング以外にも色々とあります。
占いや霊感などもその一つ。
テレビで相談番組のジャンルは無くなることがないですね。
ちょっと前までオーラの泉で江原さんと美輪明宏さんが人気でした。
大泉の母とか、銀座の母とか、いろんな占い師さんや霊感があるという方がテレビでもてはやされては飽きられて露出しなくなります。テレビは人を使い捨てにする業界です。
今は、水無昭善さんが人気です。
共通しているなあと思うのは、こういう方たちが、相談者を叱る、というシーンです。
大泉の母なんて、相談者をビシバシ厳しく叱ることで有名です。ご覧になったことありますか。
テレビに出演する人たちは、「他人がそこまで言っていいの?」と思うくらい、人様の人生についてものすごい言葉をかけます。水無昭善さんも例外ではありません。
テレビは視聴者が喜ばないものは作りませんから、視聴者のある程度の割合の人が、叱られるシーン、ずばっと厳しく言われるシーンを期待しているという事なのでしょう。
子供の親への欲求には、「褒めて欲しい・認めて欲しい」というものと、「叱って欲しい・正しいことへ導いて欲しい」というものがあります。
グレそうになっている若者は一度にこの両方を求めていて、それに応じられる大きな大人になかなか出会えない為に破綻した行動を続けています。
最近は、世の中「子供は褒めろ褒めろ」と言っていますので、もしかしたら世の中に叱って正しいことを教えてくれる存在が足りなくなってきていることの現れが、こうしたテレビ番組の人気につながっているのかもしれないなと思うのです。
正直言うと、私は水無昭善さんを見ていると、この人はテレビに出ない方がいいと思っています。
この人が叱るのは相手のことを思えばこそですが、テレビでは都合よく刺激的な部分だけが切り取られて使われ、本当の会話の全容は伝わりません。仏教説法の手法を安易にテレビショーに出すべきではないと思います。説法は相手の人生をよく聴聞した上での言葉ですし、相手にだけ向けた言葉です。他人には役に立たない可能性も多いのですからショーにすべきではありません。
そしてこういうシーンに共通するのは、「相談者が間違っていて、応じている人が正しいのだ」と決めつけている図式です。実際には、お互い人間です。必ず説教している人が正しい訳ではないのです。
けれど、そういう厳しいシーンを世の中が望むのは何故なのかといつも考えます。
「自分の未熟さを委ねられる強くて正しい人が欲しい」
日本の中に、そういう依存心がどんどん大きくなっているとしたら、怖いことだなと思います。
子供を叱る親が減っている世の中で育てられて大人になってしまった。
今、大人たちの心はとことん弱くなっているのかも知れません。
占いは、とりあえずすがる答えが欲しい人のために依存させてやるサービス業です。
だから自分に自信があって自律している人は占いには相談しません。
占いに行く人は基本的に依存的な性質で、自分のことを人に決めて欲しいのです。自分の中にある答えが正しい証拠を人に求めます。だから本質的には自分の答え通りにしているのに、相手の答えに従ったとどこかで思うことで責任転嫁をしています。だから客観的な意見ではなく、より自分に都合の良い意見を言う人に通い、自分の思うようにならなかった時は、占い師が外れたというのです。
でも人生には、そういう依存が必要な時もあるのかも知れませんね。
ずっと通い詰めているのでなければ、占い業も社会の中で重要な役割があるのだろうと思います。
甘えさせることと、甘やかすことの違いが分からず、
感情で怒ることと 叱ることの違いが分からず、
強いることと 導くことの違いを考えない大人が多いことに
私は嘆いてばかりでなく、変えるべく動き続けようと思います。
とにかく、
健康であれ、心。
あなたは完全な存在なのだ。
すべての答えを内包した存在、人間。
目を覚まそう、もう春だよ。
占いや霊感などもその一つ。
テレビで相談番組のジャンルは無くなることがないですね。
ちょっと前までオーラの泉で江原さんと美輪明宏さんが人気でした。
大泉の母とか、銀座の母とか、いろんな占い師さんや霊感があるという方がテレビでもてはやされては飽きられて露出しなくなります。テレビは人を使い捨てにする業界です。
今は、水無昭善さんが人気です。
共通しているなあと思うのは、こういう方たちが、相談者を叱る、というシーンです。
大泉の母なんて、相談者をビシバシ厳しく叱ることで有名です。ご覧になったことありますか。
テレビに出演する人たちは、「他人がそこまで言っていいの?」と思うくらい、人様の人生についてものすごい言葉をかけます。水無昭善さんも例外ではありません。
テレビは視聴者が喜ばないものは作りませんから、視聴者のある程度の割合の人が、叱られるシーン、ずばっと厳しく言われるシーンを期待しているという事なのでしょう。
子供の親への欲求には、「褒めて欲しい・認めて欲しい」というものと、「叱って欲しい・正しいことへ導いて欲しい」というものがあります。
グレそうになっている若者は一度にこの両方を求めていて、それに応じられる大きな大人になかなか出会えない為に破綻した行動を続けています。
最近は、世の中「子供は褒めろ褒めろ」と言っていますので、もしかしたら世の中に叱って正しいことを教えてくれる存在が足りなくなってきていることの現れが、こうしたテレビ番組の人気につながっているのかもしれないなと思うのです。
正直言うと、私は水無昭善さんを見ていると、この人はテレビに出ない方がいいと思っています。
この人が叱るのは相手のことを思えばこそですが、テレビでは都合よく刺激的な部分だけが切り取られて使われ、本当の会話の全容は伝わりません。仏教説法の手法を安易にテレビショーに出すべきではないと思います。説法は相手の人生をよく聴聞した上での言葉ですし、相手にだけ向けた言葉です。他人には役に立たない可能性も多いのですからショーにすべきではありません。
そしてこういうシーンに共通するのは、「相談者が間違っていて、応じている人が正しいのだ」と決めつけている図式です。実際には、お互い人間です。必ず説教している人が正しい訳ではないのです。
けれど、そういう厳しいシーンを世の中が望むのは何故なのかといつも考えます。
「自分の未熟さを委ねられる強くて正しい人が欲しい」
日本の中に、そういう依存心がどんどん大きくなっているとしたら、怖いことだなと思います。
子供を叱る親が減っている世の中で育てられて大人になってしまった。
今、大人たちの心はとことん弱くなっているのかも知れません。
占いは、とりあえずすがる答えが欲しい人のために依存させてやるサービス業です。
だから自分に自信があって自律している人は占いには相談しません。
占いに行く人は基本的に依存的な性質で、自分のことを人に決めて欲しいのです。自分の中にある答えが正しい証拠を人に求めます。だから本質的には自分の答え通りにしているのに、相手の答えに従ったとどこかで思うことで責任転嫁をしています。だから客観的な意見ではなく、より自分に都合の良い意見を言う人に通い、自分の思うようにならなかった時は、占い師が外れたというのです。
でも人生には、そういう依存が必要な時もあるのかも知れませんね。
ずっと通い詰めているのでなければ、占い業も社会の中で重要な役割があるのだろうと思います。
甘えさせることと、甘やかすことの違いが分からず、
感情で怒ることと 叱ることの違いが分からず、
強いることと 導くことの違いを考えない大人が多いことに
私は嘆いてばかりでなく、変えるべく動き続けようと思います。
とにかく、
健康であれ、心。
あなたは完全な存在なのだ。
すべての答えを内包した存在、人間。
目を覚まそう、もう春だよ。
テンプレート変えました。可愛いですね〜。
形から入れば 内容も少しは明るくなる…はず?
最近、色々と仕事について考えたり行動したりしていたのですが、
実は就職活動もやってみました。
悩んだり迷ったりしながらも、生活を支えなければと思い経済的理由を
主にして就職活動してみて、自分の中でようやく答えがかたまりつつあ
ります。
私、やっぱりお勤めは無理みたい。
今、外資系の保険会社にスカウトされています。
説明会行きました。個別面談を重ねています。
仕事はできるかもしれないし、それほど嫌な仕事でもありません。
今の私には十分すぎる報酬が用意されています。
やればやっただけ上限なく報酬が上がります。
いざ、この仕事が決まりそうになって…。
心の中で何かが訴えているのを無視できないことに気づきました。
違うんだな。
出来ることとやりたいことは違うんだな。
私は、やっぱりお勤めは出来ません。
自分で考えて、自分で決めて、自分で休める環境が必要です。
保険をお勧めする仕事よりも、ささやかでいいから目の前の一人の心が
温かくなる瞬間を見守る仕事がいい。
商品を売るのが嫌なのではありません。
誇りをもてる良い商品を、必要とする人にお勧めするのはなんのためら
いもありません。でも自分の目でその商品を選別し、仕入れから販売後
まで責任を負えないのなら、お勧めした責任も果たせないと思います。
だから安易に、会社という枠組みに入るのはためらいがあるのです。
会社が私に高額な報酬を用意するのは、私がそれに見合う売上をあげる
と期待してのことです。
その仕組みに入ることが、私にはどうしても許容出来ないのです。
保険をお薦めするために営業して歩くことを考えれば、カウンセリング
や心理技術を必要とする人に営業する方がよほどいいではないか。
そう思ったのです。
高額な報酬が必要なのか?
いいや全然。私に必要なのは、今家族を支えるだけのお金。
なら、企業戦士になって身を粉にするほど頑張らなくてもいいではないか。
そう思ったのです。
生活に困っていても、クライエントさんがゼロになる事はないのです。
それで、私はやめる決心がつけられないで、迷ってきました。
私の技術を頼って来る方がいる。
私を信頼して、何年経っても相談に、報告に、来る方がいる。
私でなくてもたぶん大丈夫なのですが、それでも私は彼らに選ばれてい
る責任を感じます。精一杯、応じたいと思うのです。
これは、やりたいことなのです。
やりたいことの為に、もっと苦労してみよう。
何を迷うことがあるのか?
もう、オフィスでクライエントが来るのを待つだけの時代ではないのだ
と気づきました(遅いっ)。
弁護士でさえ、黙っていては仕事が取れない時代です。
黙っていてもお客が来るのは病院と葬儀社くらいなのかも知れません。
もうちょっと、自分のしていることを、広く知ってもらう努力をすべき
なのですね。
迷い迷って、結局は「元通り」と決めた、そんな感じ。
でも、迷った分、自分のすべきこと、使命、そんなものを再評価しました。
今の道を進んで、この道を応援してくれた方々にご恩返しをしなければと
思います。
今、妊婦さんたち向けのプチセミナーを考えています。
他にも、ママたちの為の育児支援や、元気なOLさんたち向けのセルフ
プロデュースセミナー、定年退職後の男性向け「家庭生活の再出発」
セミナーなど、企画しています。
地道に、自分の道を進みます。
亀の歩みでも、一歩づつ行こう。
もう春だしね。
元気出していこう!
形から入れば 内容も少しは明るくなる…はず?
最近、色々と仕事について考えたり行動したりしていたのですが、
実は就職活動もやってみました。
悩んだり迷ったりしながらも、生活を支えなければと思い経済的理由を
主にして就職活動してみて、自分の中でようやく答えがかたまりつつあ
ります。
私、やっぱりお勤めは無理みたい。
今、外資系の保険会社にスカウトされています。
説明会行きました。個別面談を重ねています。
仕事はできるかもしれないし、それほど嫌な仕事でもありません。
今の私には十分すぎる報酬が用意されています。
やればやっただけ上限なく報酬が上がります。
いざ、この仕事が決まりそうになって…。
心の中で何かが訴えているのを無視できないことに気づきました。
違うんだな。
出来ることとやりたいことは違うんだな。
私は、やっぱりお勤めは出来ません。
自分で考えて、自分で決めて、自分で休める環境が必要です。
保険をお勧めする仕事よりも、ささやかでいいから目の前の一人の心が
温かくなる瞬間を見守る仕事がいい。
商品を売るのが嫌なのではありません。
誇りをもてる良い商品を、必要とする人にお勧めするのはなんのためら
いもありません。でも自分の目でその商品を選別し、仕入れから販売後
まで責任を負えないのなら、お勧めした責任も果たせないと思います。
だから安易に、会社という枠組みに入るのはためらいがあるのです。
会社が私に高額な報酬を用意するのは、私がそれに見合う売上をあげる
と期待してのことです。
その仕組みに入ることが、私にはどうしても許容出来ないのです。
保険をお薦めするために営業して歩くことを考えれば、カウンセリング
や心理技術を必要とする人に営業する方がよほどいいではないか。
そう思ったのです。
高額な報酬が必要なのか?
いいや全然。私に必要なのは、今家族を支えるだけのお金。
なら、企業戦士になって身を粉にするほど頑張らなくてもいいではないか。
そう思ったのです。
生活に困っていても、クライエントさんがゼロになる事はないのです。
それで、私はやめる決心がつけられないで、迷ってきました。
私の技術を頼って来る方がいる。
私を信頼して、何年経っても相談に、報告に、来る方がいる。
私でなくてもたぶん大丈夫なのですが、それでも私は彼らに選ばれてい
る責任を感じます。精一杯、応じたいと思うのです。
これは、やりたいことなのです。
やりたいことの為に、もっと苦労してみよう。
何を迷うことがあるのか?
もう、オフィスでクライエントが来るのを待つだけの時代ではないのだ
と気づきました(遅いっ)。
弁護士でさえ、黙っていては仕事が取れない時代です。
黙っていてもお客が来るのは病院と葬儀社くらいなのかも知れません。
もうちょっと、自分のしていることを、広く知ってもらう努力をすべき
なのですね。
迷い迷って、結局は「元通り」と決めた、そんな感じ。
でも、迷った分、自分のすべきこと、使命、そんなものを再評価しました。
今の道を進んで、この道を応援してくれた方々にご恩返しをしなければと
思います。
今、妊婦さんたち向けのプチセミナーを考えています。
他にも、ママたちの為の育児支援や、元気なOLさんたち向けのセルフ
プロデュースセミナー、定年退職後の男性向け「家庭生活の再出発」
セミナーなど、企画しています。
地道に、自分の道を進みます。
亀の歩みでも、一歩づつ行こう。
もう春だしね。
元気出していこう!
我が家の恒例イベント、お花見が近づいて参りました。
娘はお花見が好きで好きで、たぶんただのピクニックと何も区別はないのですが。
そもそも、我が家のお花見が恒例化したのは、娘が2才の年に私が「何があっても雨が降っても絶対に花見をする」と決意したことが起源です。
我が家のお花見は、花をみることがメインなので、お弁当の内容は重要視されません。最悪は、家に買い置きされているスナック菓子だけという事や、具のないおにぎりのみという事もあります。
とにかく重要なのは、敷物を広めに。
寝ころんで桜が見える場所。
犬を連れていける場所かどうかも割と重要です。
という訳で、ここ数年は西公園の中にあるつつじ谷という場所で寝ころんでいます。
数時間は寝ころんでいますので、体が冷えます。
ですので、保温できる水筒でたっぷり熱々みそ汁などを持っていきます。
長くいるつもりなので、枕になるクッションも持っていきます。
娘が退屈しないようにオセロやしゃぼん玉なども持っていきます。
大きな敷シート、クッション、水筒、ジュース、お弁当、お菓子、おもちゃなどで毎年、結構な荷物持ちですが親子三人と犬で手分けします。犬にクッションやお菓子をくくりつけてみたりもします。
予算が取れる時には、お気に入りのサンドウィッチ屋さんや中華料理屋さんで花見用のお弁当を頼みます。そういう年はたいそうリッチな気分に浸り、ついでにワインやシャンペンなども持っていきます。ワインオープナーやグラスが荷物に増えてさらに大変です。
最初の家族での花見の時は吉野家の牛丼でした。
「こんなのでいいの?」と言う夫に、「いいの。花を見るんだから」と私。
どんなに忙しくても、どんなに貧乏でも、子供が小さくでも犬が一緒でも、絶対に楽しむんだ!とココロに決めたあの日。
私は、自分と、そして家族を幸せにすることをココロに誓ったのです。
どんな状況でも、絶対に桜の美しさを感じることをやめない。
桜の花びらが舞い散る美しい空に 心が吸い上げられる幸福を手放さないと決めたのです。
食べ物が豪華でも貧相でも、飲み物がワインでも水でも。
花の美しさを感じる心を絶対に無くすまいと。
風に吹かれても、雨に打たれても、桜の花びらと一緒にすごすのは、ただただ、無垢な幸せの感覚です。
「ママー、そろそろお花見の季節がやってきましたねえ」
と娘が手ぐすね引いています。
そんな娘も今年は10才です。
おっきくなったものだ。
娘はお花見が好きで好きで、たぶんただのピクニックと何も区別はないのですが。
そもそも、我が家のお花見が恒例化したのは、娘が2才の年に私が「何があっても雨が降っても絶対に花見をする」と決意したことが起源です。
我が家のお花見は、花をみることがメインなので、お弁当の内容は重要視されません。最悪は、家に買い置きされているスナック菓子だけという事や、具のないおにぎりのみという事もあります。
とにかく重要なのは、敷物を広めに。
寝ころんで桜が見える場所。
犬を連れていける場所かどうかも割と重要です。
という訳で、ここ数年は西公園の中にあるつつじ谷という場所で寝ころんでいます。
数時間は寝ころんでいますので、体が冷えます。
ですので、保温できる水筒でたっぷり熱々みそ汁などを持っていきます。
長くいるつもりなので、枕になるクッションも持っていきます。
娘が退屈しないようにオセロやしゃぼん玉なども持っていきます。
大きな敷シート、クッション、水筒、ジュース、お弁当、お菓子、おもちゃなどで毎年、結構な荷物持ちですが親子三人と犬で手分けします。犬にクッションやお菓子をくくりつけてみたりもします。
予算が取れる時には、お気に入りのサンドウィッチ屋さんや中華料理屋さんで花見用のお弁当を頼みます。そういう年はたいそうリッチな気分に浸り、ついでにワインやシャンペンなども持っていきます。ワインオープナーやグラスが荷物に増えてさらに大変です。
最初の家族での花見の時は吉野家の牛丼でした。
「こんなのでいいの?」と言う夫に、「いいの。花を見るんだから」と私。
どんなに忙しくても、どんなに貧乏でも、子供が小さくでも犬が一緒でも、絶対に楽しむんだ!とココロに決めたあの日。
私は、自分と、そして家族を幸せにすることをココロに誓ったのです。
どんな状況でも、絶対に桜の美しさを感じることをやめない。
桜の花びらが舞い散る美しい空に 心が吸い上げられる幸福を手放さないと決めたのです。
食べ物が豪華でも貧相でも、飲み物がワインでも水でも。
花の美しさを感じる心を絶対に無くすまいと。
風に吹かれても、雨に打たれても、桜の花びらと一緒にすごすのは、ただただ、無垢な幸せの感覚です。
「ママー、そろそろお花見の季節がやってきましたねえ」
と娘が手ぐすね引いています。
そんな娘も今年は10才です。
おっきくなったものだ。
この頃少し暖かくなったと思って久しぶりに犬のお洗濯です。
犬のお洗濯をすると乾かすのにとても苦労します。夏ならほったらかしでいいのですが、冬は乾かさないと危険。さすがに犬でも冬に生乾きでは風邪を引くので、怖くて洗えない。
最近、10才を越えてめっきりと老犬ぽくなったももちゃんに風邪を引かせるなんて怖過ぎて。
老犬になると犬といえども体温調節能力が弱ってきて、寒がりの暑がりになります。冬用の毛皮状態の犬は、毛の密度もすごくて一度毛の中までしっかり濡らすととっても乾きにくい。暑がりで寒がりの犬はお風呂の温度もドライヤーの温度も加減、調節してやらないと「がる」だの「きゅん」だのクレームが多いのです。
もし風邪引かせたら寿命が短くなりそうで嫌だし、もう一つの現実的な問題としては、動物って病気になっちゃうととんでもない額の病院代がかかるのですよ!
と、犬を飼っていない人にはたぶん全然共感できない話をしてしまいましたが、秋ごろから控えていた犬のお洗濯がようやく実行できたわけです!!いやー臭みに耐えてきた日々の終わりが来たのでーす!
犬が久しぶりにいい匂い。そしてふっかふか。
抱っこするのが幸せ。
ふかふかでいい匂いのでっかいももちゃんを独り占めして一緒にベッドで寝ました。
はあーー幸せな一晩だった。
でも翌日にはいい匂いがなくなってしまいました。
暖かくなれば、1週間に一度くらい洗えるの。
はやく春になれ〜。
ところで「濡れた犬の匂い」とか「犬の耳の中の匂い」とか「犬の肉球の匂い」とかわかりますか?
私はこういう、犬独特の匂いが大好きなんです〜。
洗った後のシャンプーのいい匂いもいいんだけど、犬の肉球の匂いって癒されます。
しょーもないブログだな、ははは。
犬のお洗濯をすると乾かすのにとても苦労します。夏ならほったらかしでいいのですが、冬は乾かさないと危険。さすがに犬でも冬に生乾きでは風邪を引くので、怖くて洗えない。
最近、10才を越えてめっきりと老犬ぽくなったももちゃんに風邪を引かせるなんて怖過ぎて。
老犬になると犬といえども体温調節能力が弱ってきて、寒がりの暑がりになります。冬用の毛皮状態の犬は、毛の密度もすごくて一度毛の中までしっかり濡らすととっても乾きにくい。暑がりで寒がりの犬はお風呂の温度もドライヤーの温度も加減、調節してやらないと「がる」だの「きゅん」だのクレームが多いのです。
もし風邪引かせたら寿命が短くなりそうで嫌だし、もう一つの現実的な問題としては、動物って病気になっちゃうととんでもない額の病院代がかかるのですよ!
と、犬を飼っていない人にはたぶん全然共感できない話をしてしまいましたが、秋ごろから控えていた犬のお洗濯がようやく実行できたわけです!!いやー臭みに耐えてきた日々の終わりが来たのでーす!
犬が久しぶりにいい匂い。そしてふっかふか。
抱っこするのが幸せ。
ふかふかでいい匂いのでっかいももちゃんを独り占めして一緒にベッドで寝ました。
はあーー幸せな一晩だった。
でも翌日にはいい匂いがなくなってしまいました。
暖かくなれば、1週間に一度くらい洗えるの。
はやく春になれ〜。
ところで「濡れた犬の匂い」とか「犬の耳の中の匂い」とか「犬の肉球の匂い」とかわかりますか?
私はこういう、犬独特の匂いが大好きなんです〜。
洗った後のシャンプーのいい匂いもいいんだけど、犬の肉球の匂いって癒されます。
しょーもないブログだな、ははは。
危機感を煽るつもりはないのだけれど、時々、本当にこの日本
という国の住人たちでこの国は守れるのだろうかと呆れること
がある。
(注:以下は私の私感を述べた駄文に過ぎないので、不快な感
じがしてきた方はそこから読まないようにして下さいませ。)
日本が未曾有の経済危機にあることを、最近では朝の主婦向け
番組や昼のワイドショーでも盛んに取り上げている。
実際、今の日本は経済危機、国境危機に晒され、いつ国家級の
緊急事態に陥るかわからないほど、危うい国になっている。
けれど本気でやばいぞ!と危機感を持っている人はどれくらい
いるのだろうか。
リビアやエジプトでは、そしてあの中国でさえ、民衆が民主化
を叫びデモという手段で行動を起こしている。
これは、トップにいるリーダーに主権があるのではなく、国民、
市民にこそ主権があるのだという、民衆の強い主張である。
日本人にそういう主張をする気概は残っているのだろうか。
無気力さにぬるぬると浸かっている場合じゃないんではないか、
と時々心底、日本という国が心配になる。
日本という国は、日本人にしか守れない。
日本という国の未来は、日本人にしか決められない。
誰かがどうにかしてくれるんじゃないかという甘えから、もう
いい加減、脱却しなければいけないのではないか。
こういう当たり前の主張を、軍国主義とか国粋主義とかレッテ
ルを貼って、まるでアレルギー反応でも起こすように毛嫌いす
る、自称「平和主義者」とか「平和憲法護憲派」とかいう人々
がかなり鬱陶しいと思っている。
彼らは思考停止している人が多いので話が通じないことが多い
からだ。
人間の歴史が証明していることの一つに、人間は本当の危機を
自覚した時に立ち上がるという事実がある。リビアもエジプト
も中国も、一般生活者である市民が、何か危機的な状況を感じ
取ったのに違いない。それは「不満が募って」という言葉では
軽過ぎる。彼らは、自分たちの今に、そして将来に、明確な危
機を感じ取り、それに「ノー」を突き付けているのだ。
日本は、いっそ経済破綻しIMF介入されてしまえばよいのかも
知れない。日本の物価は最低でも二倍に跳ね上がる。
給料は上がらない。先月5万円で済んでいた食費が10万円か
かるようになる。
それは生活感覚にダイレクトに切り込むものすごい事態だ。
おそらく自殺者、心中事件が続発する。
そうなれば、日本人はようやく目が覚めるのだろうか。
今、国会でぐずぐず話しているような問題など、経済破綻した
あとのIMF介入に比べればまだ小さな問題だったと、後できっと
分かるだろう。
世界第三位の経済大国日本が借金で経済破綻したら、世界にあ
たえるインパクトは大きい。おそらくジャパンショックとでも
後世呼ばれるものになるだろう。
悲観的な未来像が、ただの杞憂ならいいのだ。
今、消費税が10%になろうと15%になろうと、結構だ。
国がそれで助かり、子供や孫の未来が希望に満ちたものになる
のなら。
一時の生活苦で未来が救えるなら、私は犠牲を払う気満々だ。
それを実行できる政治家はいないのか。
消費税は、あらゆる税制の中でもっとも公平で分かりやすい
優れたものだ。誰でも生きるためにものを購入せずにはおられ
ない。金持ちも貧乏人も、食べ物や生活必需品を買うし、金持
ちなら高級で高いものを買う。高級なものを買えば納税額も高
くなる。だから税負担がその人の生活レベルに合わせて公平に
なるのだ。
年寄りも子供も、お金を使えば同時に国に納税している。
国民としての義務を果たしている。
シンプルで、公平で、分かりやすい。
日本は、中国辺りに侵略された方がよいかも知れない。
尖閣問題はその序章だ。すでに沖縄は歴史的に中国領土とまで
言い始めている。
または北朝鮮にミサイルの一発でもくらったほうがよいのかも
知れない。テポドンはすでに日本海に落とされた。その海域に
もし日本の漁船が出ていたらどんな惨事なったか。
北方領土のすべてを実効支配され、ロシアに奪われてしまえば
よいのかも知れない。そうなったら、北海道の漁師は、多くが
廃業してしまうだろう。北海道の周辺に広がる海の海産資源は
日本の重要な資源だがそれが大きく失われるからだ。
本気で隣国による暴力に晒されたと感じた時、どうにもならな
いほど自国に損害や被害があったと分かった時に、いかな大人
しい日本人といえどもようやく立ち上がるのかも知れない。
沖縄を見れば、どんなにおとなしい国民性でも、集結し団結し
て主張を繰り返すことが分かるだろう。
ヒーローはいつの時代も、どうしようもない危機のなかで生ま
れる。
しかしまだ、生まれていない。
もしも、それは今が十分な危機でない証拠だとすれば、この後
もっと酷いことが待っているのではないか、と私は推測している。
日本人、早く気付け。
今より最悪にならなければ気づかないのか、日本。
という国の住人たちでこの国は守れるのだろうかと呆れること
がある。
(注:以下は私の私感を述べた駄文に過ぎないので、不快な感
じがしてきた方はそこから読まないようにして下さいませ。)
日本が未曾有の経済危機にあることを、最近では朝の主婦向け
番組や昼のワイドショーでも盛んに取り上げている。
実際、今の日本は経済危機、国境危機に晒され、いつ国家級の
緊急事態に陥るかわからないほど、危うい国になっている。
けれど本気でやばいぞ!と危機感を持っている人はどれくらい
いるのだろうか。
リビアやエジプトでは、そしてあの中国でさえ、民衆が民主化
を叫びデモという手段で行動を起こしている。
これは、トップにいるリーダーに主権があるのではなく、国民、
市民にこそ主権があるのだという、民衆の強い主張である。
日本人にそういう主張をする気概は残っているのだろうか。
無気力さにぬるぬると浸かっている場合じゃないんではないか、
と時々心底、日本という国が心配になる。
日本という国は、日本人にしか守れない。
日本という国の未来は、日本人にしか決められない。
誰かがどうにかしてくれるんじゃないかという甘えから、もう
いい加減、脱却しなければいけないのではないか。
こういう当たり前の主張を、軍国主義とか国粋主義とかレッテ
ルを貼って、まるでアレルギー反応でも起こすように毛嫌いす
る、自称「平和主義者」とか「平和憲法護憲派」とかいう人々
がかなり鬱陶しいと思っている。
彼らは思考停止している人が多いので話が通じないことが多い
からだ。
人間の歴史が証明していることの一つに、人間は本当の危機を
自覚した時に立ち上がるという事実がある。リビアもエジプト
も中国も、一般生活者である市民が、何か危機的な状況を感じ
取ったのに違いない。それは「不満が募って」という言葉では
軽過ぎる。彼らは、自分たちの今に、そして将来に、明確な危
機を感じ取り、それに「ノー」を突き付けているのだ。
日本は、いっそ経済破綻しIMF介入されてしまえばよいのかも
知れない。日本の物価は最低でも二倍に跳ね上がる。
給料は上がらない。先月5万円で済んでいた食費が10万円か
かるようになる。
それは生活感覚にダイレクトに切り込むものすごい事態だ。
おそらく自殺者、心中事件が続発する。
そうなれば、日本人はようやく目が覚めるのだろうか。
今、国会でぐずぐず話しているような問題など、経済破綻した
あとのIMF介入に比べればまだ小さな問題だったと、後できっと
分かるだろう。
世界第三位の経済大国日本が借金で経済破綻したら、世界にあ
たえるインパクトは大きい。おそらくジャパンショックとでも
後世呼ばれるものになるだろう。
悲観的な未来像が、ただの杞憂ならいいのだ。
今、消費税が10%になろうと15%になろうと、結構だ。
国がそれで助かり、子供や孫の未来が希望に満ちたものになる
のなら。
一時の生活苦で未来が救えるなら、私は犠牲を払う気満々だ。
それを実行できる政治家はいないのか。
消費税は、あらゆる税制の中でもっとも公平で分かりやすい
優れたものだ。誰でも生きるためにものを購入せずにはおられ
ない。金持ちも貧乏人も、食べ物や生活必需品を買うし、金持
ちなら高級で高いものを買う。高級なものを買えば納税額も高
くなる。だから税負担がその人の生活レベルに合わせて公平に
なるのだ。
年寄りも子供も、お金を使えば同時に国に納税している。
国民としての義務を果たしている。
シンプルで、公平で、分かりやすい。
日本は、中国辺りに侵略された方がよいかも知れない。
尖閣問題はその序章だ。すでに沖縄は歴史的に中国領土とまで
言い始めている。
または北朝鮮にミサイルの一発でもくらったほうがよいのかも
知れない。テポドンはすでに日本海に落とされた。その海域に
もし日本の漁船が出ていたらどんな惨事なったか。
北方領土のすべてを実効支配され、ロシアに奪われてしまえば
よいのかも知れない。そうなったら、北海道の漁師は、多くが
廃業してしまうだろう。北海道の周辺に広がる海の海産資源は
日本の重要な資源だがそれが大きく失われるからだ。
本気で隣国による暴力に晒されたと感じた時、どうにもならな
いほど自国に損害や被害があったと分かった時に、いかな大人
しい日本人といえどもようやく立ち上がるのかも知れない。
沖縄を見れば、どんなにおとなしい国民性でも、集結し団結し
て主張を繰り返すことが分かるだろう。
ヒーローはいつの時代も、どうしようもない危機のなかで生ま
れる。
しかしまだ、生まれていない。
もしも、それは今が十分な危機でない証拠だとすれば、この後
もっと酷いことが待っているのではないか、と私は推測している。
日本人、早く気付け。
今より最悪にならなければ気づかないのか、日本。
人が困っているように見えても手を出さない人の気持ちにはどんなものがあるだろう。
「自分には関係ない」
「関わりになると面倒くさい」
「おせっかいかもしれない」
もう10年くらい前のことだけれど、今でも心が痛む思い出がある。
私は夫と姑を車に乗せて、出かけようと駐車場から大通りに車を出した。
その時、大通りの歩道で、男性が大の字になって寝ているのに気づいた。
横断歩道の前なので、道を渡ろうとする人も渡った人もその男性に気づ
いたが、だれ一人立ち止まろうとしなかった。
私は車からそれに気づいたが、信号が変わり、大通りなので止まり続け
ることも出来ず、そのまま車を発進させ、目的地へ向かってしまった。
誰も立ち止まらず、彼を助けようとしなかったことに衝撃を受けていた。
今の社会は、これほど明確に助けを必要とする人さえも、罪の意識なく
見て見ぬふりをするのかと。
そして、自分も何とかして車を停めて、彼の元に向かうべきだったと強
く後悔した。私も見捨てたのだから。
自分一人ならおそらく救助に向かったが、姑が乗っていたことが大きく
影響した。夫と姑の二人を足止めすることが体裁悪いように感じたのだ。
いい格好しているように思われたくなかったというのと、姑を待たせた
り、目的地へ到着するのが遅れたりしてはいけないという思いから、私
は普段の行動が取れなかったのだ。
私は結局、どうでもいい見栄の為に、彼を見捨てたのだ。
人として、本当に、最低だったと思った。
出かけた先から戻ると、彼はもうその場にはいなかったが、私は、その
男性がどうなったのだろうかとずっと気になった。
今でも、同じような天候の日、車を出す時に思い出す。
そして次には絶対に、人を見殺しにしてはいけないと自戒する。
思い出すたびに彼に詫び、自分の愚かさに涙が出る。
どうか今も、彼が元気で生きて居てくれるようにと祈る。
「どうしましたか?」
「お手伝いしましょうか?」
たしかにおせっかいになるかもしれない。
でも、おせっかいは絶滅してはいけない。
しぶとく生き延び、後世に繋がなければならない。
私はこれからの人生は、出来るだけおせっかいおばさんになろうと思う。
「自分には関係ない」
「関わりになると面倒くさい」
「おせっかいかもしれない」
もう10年くらい前のことだけれど、今でも心が痛む思い出がある。
私は夫と姑を車に乗せて、出かけようと駐車場から大通りに車を出した。
その時、大通りの歩道で、男性が大の字になって寝ているのに気づいた。
横断歩道の前なので、道を渡ろうとする人も渡った人もその男性に気づ
いたが、だれ一人立ち止まろうとしなかった。
私は車からそれに気づいたが、信号が変わり、大通りなので止まり続け
ることも出来ず、そのまま車を発進させ、目的地へ向かってしまった。
誰も立ち止まらず、彼を助けようとしなかったことに衝撃を受けていた。
今の社会は、これほど明確に助けを必要とする人さえも、罪の意識なく
見て見ぬふりをするのかと。
そして、自分も何とかして車を停めて、彼の元に向かうべきだったと強
く後悔した。私も見捨てたのだから。
自分一人ならおそらく救助に向かったが、姑が乗っていたことが大きく
影響した。夫と姑の二人を足止めすることが体裁悪いように感じたのだ。
いい格好しているように思われたくなかったというのと、姑を待たせた
り、目的地へ到着するのが遅れたりしてはいけないという思いから、私
は普段の行動が取れなかったのだ。
私は結局、どうでもいい見栄の為に、彼を見捨てたのだ。
人として、本当に、最低だったと思った。
出かけた先から戻ると、彼はもうその場にはいなかったが、私は、その
男性がどうなったのだろうかとずっと気になった。
今でも、同じような天候の日、車を出す時に思い出す。
そして次には絶対に、人を見殺しにしてはいけないと自戒する。
思い出すたびに彼に詫び、自分の愚かさに涙が出る。
どうか今も、彼が元気で生きて居てくれるようにと祈る。
「どうしましたか?」
「お手伝いしましょうか?」
たしかにおせっかいになるかもしれない。
でも、おせっかいは絶滅してはいけない。
しぶとく生き延び、後世に繋がなければならない。
私はこれからの人生は、出来るだけおせっかいおばさんになろうと思う。
運気、という言葉は占いが好きな人ならよく聞く言葉かも知れない。
「今は運気が下がっているので慎重に」などという言い方。
運気かどうか知らないが、やたらとお金の出入りが激しい月とか、
珍しいお客が続く時とか、そういう偏りを感じた事はないだろうか。
私はこれを「流れ」と言っている。
たとえば、ソフト開発の仕事をしていた頃、次期ラインにまだ
仕事が決まっていないと、経営の見通しは極めて不安定になる。
仕事が決まらなければ社員の給与を払う資金繰りにさえ苦しみ、
それが数ヶ月続けば倒産する。
だから、常々、早く次の仕事を決めてしまいたいというのが社長
の本音である。
ところが、流れのないときに、どんなに一生懸命営業をしても、
契約には至らない。
これは何度も経験している不思議な偏りの一つだ。
逆に流れのある時は、黙っていても向こうから話がやってくる。
当時は契約書という紙きれにサイン捺印すれば数千万円からの
お金が約束されたのだから、流れがあるかどうかは最後のサイン
の瞬間までドキドキものだった。流れがあることを確信している
時には、契約書を手にすることは誇らしく、流れがない時にはど
うか話が振り出しに戻りませんようにと祈るような気持ちだった。
相手先の流れと、自社の流れが合わない時というのもある。
そういう時に一緒に組むと必ず開発中に大きなトラブルが起きる。
講習会の開催でも同じような事を感じる。
流れのない場所で開催しても人が集まらず集客に苦心する。
流れのある場所からは何の苦もなく200人規模の講演会の依頼
が舞い込む。
担当者の流れも大きな影響がある。
その人の流れが止まると、その取引先との縁は切れる。
しかし自分の流れが力強ければ、別の担当者が現れ、捨てる神あ
れば拾う神あり、を生身で感じる経験をする。
つくづく、目には見えないけれど不思議なものがあるのだなと思う。
自分の流れや人の流れを読み取ることが出来るようになれば、
もっと色んな失敗を減らせるのかも知れないな。
少なくとも、自然には逆らわないで済むようになりたい。
「今は運気が下がっているので慎重に」などという言い方。
運気かどうか知らないが、やたらとお金の出入りが激しい月とか、
珍しいお客が続く時とか、そういう偏りを感じた事はないだろうか。
私はこれを「流れ」と言っている。
たとえば、ソフト開発の仕事をしていた頃、次期ラインにまだ
仕事が決まっていないと、経営の見通しは極めて不安定になる。
仕事が決まらなければ社員の給与を払う資金繰りにさえ苦しみ、
それが数ヶ月続けば倒産する。
だから、常々、早く次の仕事を決めてしまいたいというのが社長
の本音である。
ところが、流れのないときに、どんなに一生懸命営業をしても、
契約には至らない。
これは何度も経験している不思議な偏りの一つだ。
逆に流れのある時は、黙っていても向こうから話がやってくる。
当時は契約書という紙きれにサイン捺印すれば数千万円からの
お金が約束されたのだから、流れがあるかどうかは最後のサイン
の瞬間までドキドキものだった。流れがあることを確信している
時には、契約書を手にすることは誇らしく、流れがない時にはど
うか話が振り出しに戻りませんようにと祈るような気持ちだった。
相手先の流れと、自社の流れが合わない時というのもある。
そういう時に一緒に組むと必ず開発中に大きなトラブルが起きる。
講習会の開催でも同じような事を感じる。
流れのない場所で開催しても人が集まらず集客に苦心する。
流れのある場所からは何の苦もなく200人規模の講演会の依頼
が舞い込む。
担当者の流れも大きな影響がある。
その人の流れが止まると、その取引先との縁は切れる。
しかし自分の流れが力強ければ、別の担当者が現れ、捨てる神あ
れば拾う神あり、を生身で感じる経験をする。
つくづく、目には見えないけれど不思議なものがあるのだなと思う。
自分の流れや人の流れを読み取ることが出来るようになれば、
もっと色んな失敗を減らせるのかも知れないな。
少なくとも、自然には逆らわないで済むようになりたい。
私が高熱で倒れたのを皮切りに、娘、夫と風邪が順番に発生
している。娘がやはり39度の高熱で寝込み、それでも2日
で引いて元気になった。同じ風邪なのだろう。
そして夫が少し調子が悪いという。
一切関係なく元気なのが犬だ。
人間の風邪は犬にはうつらない。
それを見ると、やはり犬と人間は生物的に隔たりがあるのだ
なあと改めて思う。
犬が病気になったりしたら、それこそ大騒ぎになる。
なにしろ病気が発見できた時にはたいていが重症化している。
犬は多少具合が悪くてもご飯を食べるし、散歩にも行きたがる。
だから、「あれ?すこしいつもよりリアクションが薄いな」
というくらいで気にかけておかないと、気づいたときには手
遅れ、ということにもなってしまう。
家族が病気していない日常というのは、当たり前のようでいて
実は一番ありがたい日々なのだなと思う。
蛇足:
犬には鎖骨が無い。
猫には鎖骨がある。
している。娘がやはり39度の高熱で寝込み、それでも2日
で引いて元気になった。同じ風邪なのだろう。
そして夫が少し調子が悪いという。
一切関係なく元気なのが犬だ。
人間の風邪は犬にはうつらない。
それを見ると、やはり犬と人間は生物的に隔たりがあるのだ
なあと改めて思う。
犬が病気になったりしたら、それこそ大騒ぎになる。
なにしろ病気が発見できた時にはたいていが重症化している。
犬は多少具合が悪くてもご飯を食べるし、散歩にも行きたがる。
だから、「あれ?すこしいつもよりリアクションが薄いな」
というくらいで気にかけておかないと、気づいたときには手
遅れ、ということにもなってしまう。
家族が病気していない日常というのは、当たり前のようでいて
実は一番ありがたい日々なのだなと思う。
蛇足:
犬には鎖骨が無い。
猫には鎖骨がある。