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驕る(おごる)
 自分の能力・財産・権力など誇って他人を見下げたふるまいをする。我がまま勝手な振る舞いをする。


人間性の向上を求めるなら、「驕ること」を自戒し、厳しく排除しなければならない。
特に、自分が人に勝る部分があると自覚するなら尚の事だ。

先日、バリー師とお会いした際にいくつか質問をしたが、私の考えや感覚が優れており、前世でこのような「人間性に関する学び」をすでに繰り返している事は明確であろうとの示唆を受けた。「ゆえに、あなたはそれを誇りすぎて驕らないよう、自制しなければならない」という教示も同時に与えられた。

そこで、数日、驕りから自分を遠ざけるにはどうすればよいかを、深く考えてみた。

多くの場合、自分では自分が驕っているかどうかは気づきにくい。
自分の顔を自分では見る事ができないので、自分が人を見下した顔をしている事に気づくには、鏡をその瞬間のぞき込まない限り無理だ。
「鏡を手に取り、今自分がどんな顔をしているのか」を「見てみよう」という気持ちがなければ、自分が人を見下げた顔をしているかどうかを確認することはない。しかも、驕っているその時には、自分の顔を見てみようという気持ちが起こるかどうか、はなはだ怪しい。

そこでまず、重要なのは「人」という鏡を使うという事だろう。
つまり「あなたは驕っていないか?」という人の言葉を得た時には、その人は私が自分で見る事ができない私の顔をみてそう言っているのだから、私の判断より事実を言っている可能性がある、と考えようという事だ。
バリー師から「驕ってはならない」と言われた時、私の顔はその直前に「優秀である」と言われた喜びを浮かべていただろう。だからこそバリー師は私に「驕ってはならない」という教示を与えてくださったのだ。

ここで次に、私の心の中での吟味が始まる。
「驕ってなどいない」と直ちに反発したい気持ちがないか?
少しだがある。これはエゴである。
エゴを静め、与えられた教示を謙虚に受け取るより良い状態に、自らを整地しなければならない。

ここで、心理学が役に立つ。
「素直になれ」とやみくもに自分に課すのではなく「教示を受け入れる事は、自分の成長につながる、非常に価値ある事だ」と優しく教えてやる。
すると、自分の成長のためならば、素直に聞き入れようという自分が現れ、「驕っている部分があるかも知れません。よく探り、それを静めます」と静かな気持ちで頭を垂れている。


自分の中の驕りは、常に自分にとって死角にある。
自分では気づきにくい。
だからこそ、たゆまず吟味が必要だろうと思う。


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