2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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私が人を厳しく批判する事はない、と思っている人もいるかも知れないけれど、私の中にも批判精神はある。
私の中の批判精神が一番強く反応するのは、弱者の事を考えない強者に対してだ。
昨日、ゆめタウンに寄った。駐車場はどこも一杯で、停める場所を探して何台もの車が駐車場の中をぐるぐる廻っている状態だった。私たちは駐車場の通路でどこかが空くのを待って停車していた。私たちのすぐ後に居た白いワンボックス車が、すっと私たちを追い越し、障害者用駐車スペースの前に車を寄せた。小学校5年生くらいの女の子が降りてきて、一般車が停めないようわざわざ店側がかけていたチェーンを外した。白い車はそこへ堂々と駐車した。どう見ても、障害者ではない、一般車だったし、降りてきた人たちも健常者だった。
こういうモラルに欠けた行動には、私はかなり反応する。
障害者用スペースに、健常者が停めるというのは、私に言わせれば「恥知らず」だ。
健常者には、そこに車を停める「権利がない」のである。人のものを勝手に我がもの顔で使うのは恥知らず以外の何ものでもない。
入り口から近く、駐車スペースも広く作られている障害者用の駐車スペースは、特別な理由によって特別に確保されているものだ。そこへ、子供にチェーンを外させてまでして駐車するというのは本当に心から呆れる。しかも、障害者という、自分よりも弱者の権利を平気で犯し横取りして使おうというその神経が信じ難いと思う。
この車を運転していた女性は、自分が我が子に何を教えてしまっているのか、分かっているのだろうか。弱者など踏みにじれと、教えるつもりがあってそうしているならまだ分かる。
「人に優しく、思いやりのある子になって欲しい」などと思っているならお笑い草だ。
…と、このように、私は弱者を踏みにじるような安易な行動には、それが間接的であってさえ容赦のない部分がある。
私は自分の怒りをコントロールする事を自分に課し、誓っているので、この後、静かに自分の中で瞑想を行う。事実を調べよう、と思う。本当に彼らには、障害者用の場所を使ってでも急ぐ買い物があったのかも知れない。何か、事情があったのかも知れない、と思ってみる。
おそらくは、自分のしていることが、わかっていないだけなのだろう、と祈る。
その人が、自分のしている安易な行動に気づく日が来て、弱者への慈悲心に目覚めますようにと、祈る。
人の事は誰にも解らない。
なぜその人が、そんな行動をとったのか。その人に聞くまでは解らない。
恥知らず、と憤っていた自分の気持ちは静かになる。
幼い頃、私は近所のガキ大将のお腹に噛みついて、かなりひどいけがをさせた事があるらしい。
2〜3才ころの事で、自分では覚えていない。母親に連れられてその子とその子の親に謝りに行ったのだそうだ。もちろん私の母は平謝りだ。
自分より何才も年上の男の子だった。その子が小さい子や動物を虐めていたのに腹を立てて、その子に猛然と立ち向かったのだそうだ。
「噛みついて全然離さなかったっていうからね、あんたはよっぽど腹を立てたんだろうね。よくよくの事だったんだろう」
親が言うには、その手のケンカは結構頻繁だったそうだ。
自分で覚えているのは多分5才ごろの記憶で、おたまじゃくしを見に、近所の女の子と小川へ遊びにいった時の事だ。
小学校2、3年生の男の子が、小川で捕まえたおたまじゃくしを、アスファルトの道に次々にたたきつけて、何匹も何匹も殺していた。
その残酷な光景に、身の毛がよだった。殺されて行く無力なおたまじゃくしの苦しみが全身に流れ込んできて、私は「やめてやめて!殺さないで!」と叫んだ。彼らは面白がって次々におたまじゃくしを掴んでは道に力いっぱいたたきつけた。私が止めれば止めるほど、男の子たちは面白がった。私より一つ年上の近所の女の子は乱暴な年上の男の子たちに怯えて泣き始めた。私は全身の血が逆流するかと思うほど怒って、その子たちに体当たりをして行った。近所の子は、泣きじゃくりながら逃げ帰り、私は一人で数人の小学生を相手に全力で戦った。髪を引っ張られ、顔をひっぱたかれ、突き飛ばされ、それでも私は引かなかった。私までが逃げたら、おたまじゃくしがまた殺されてしまうからだ。
彼らは私の本気の抵抗に怖れをなし、おたまじゃくしを川に捨てて、逃げ帰って行った。
私は、大声で泣きながら、傷とあざだらけでとぼとぼ家に帰った。平気で生き物を殺す、自分より身体の大きな、年上の男の子たちが、ものすごく恐ろしかった。そして殺されたおたまじゃくしが可哀想で可哀想で、たまらなかった。
この時の、血が逆流するほどの怒り、という感覚を今でもはっきり覚えている。
怒りで身体が震える、というのは本当だ。
もっともそれ以来、あれほど強い怒りは一度も感じた事がない。
私の怒りは、どこか抑圧されているのかも知れないと思う。
もし、私が今、チベットにいて、目の前で無抵抗の僧侶が拷問されレイプされ殺されたら、私は自分がどんな行動を取るか、よく解っている。あの5歳の時と同じ事をするだろう。だから私は、チベットに行かない。おそらく生きて戻らないからだ。
私は、弱者が強者に踏みにじられているのを黙認できない。
必要な処に、必要な救いが届かない事が我慢できない。
私の中の批判精神が一番強く反応するのは、弱者の事を考えない強者に対してだ。
昨日、ゆめタウンに寄った。駐車場はどこも一杯で、停める場所を探して何台もの車が駐車場の中をぐるぐる廻っている状態だった。私たちは駐車場の通路でどこかが空くのを待って停車していた。私たちのすぐ後に居た白いワンボックス車が、すっと私たちを追い越し、障害者用駐車スペースの前に車を寄せた。小学校5年生くらいの女の子が降りてきて、一般車が停めないようわざわざ店側がかけていたチェーンを外した。白い車はそこへ堂々と駐車した。どう見ても、障害者ではない、一般車だったし、降りてきた人たちも健常者だった。
こういうモラルに欠けた行動には、私はかなり反応する。
障害者用スペースに、健常者が停めるというのは、私に言わせれば「恥知らず」だ。
健常者には、そこに車を停める「権利がない」のである。人のものを勝手に我がもの顔で使うのは恥知らず以外の何ものでもない。
入り口から近く、駐車スペースも広く作られている障害者用の駐車スペースは、特別な理由によって特別に確保されているものだ。そこへ、子供にチェーンを外させてまでして駐車するというのは本当に心から呆れる。しかも、障害者という、自分よりも弱者の権利を平気で犯し横取りして使おうというその神経が信じ難いと思う。
この車を運転していた女性は、自分が我が子に何を教えてしまっているのか、分かっているのだろうか。弱者など踏みにじれと、教えるつもりがあってそうしているならまだ分かる。
「人に優しく、思いやりのある子になって欲しい」などと思っているならお笑い草だ。
…と、このように、私は弱者を踏みにじるような安易な行動には、それが間接的であってさえ容赦のない部分がある。
私は自分の怒りをコントロールする事を自分に課し、誓っているので、この後、静かに自分の中で瞑想を行う。事実を調べよう、と思う。本当に彼らには、障害者用の場所を使ってでも急ぐ買い物があったのかも知れない。何か、事情があったのかも知れない、と思ってみる。
おそらくは、自分のしていることが、わかっていないだけなのだろう、と祈る。
その人が、自分のしている安易な行動に気づく日が来て、弱者への慈悲心に目覚めますようにと、祈る。
人の事は誰にも解らない。
なぜその人が、そんな行動をとったのか。その人に聞くまでは解らない。
恥知らず、と憤っていた自分の気持ちは静かになる。
幼い頃、私は近所のガキ大将のお腹に噛みついて、かなりひどいけがをさせた事があるらしい。
2〜3才ころの事で、自分では覚えていない。母親に連れられてその子とその子の親に謝りに行ったのだそうだ。もちろん私の母は平謝りだ。
自分より何才も年上の男の子だった。その子が小さい子や動物を虐めていたのに腹を立てて、その子に猛然と立ち向かったのだそうだ。
「噛みついて全然離さなかったっていうからね、あんたはよっぽど腹を立てたんだろうね。よくよくの事だったんだろう」
親が言うには、その手のケンカは結構頻繁だったそうだ。
自分で覚えているのは多分5才ごろの記憶で、おたまじゃくしを見に、近所の女の子と小川へ遊びにいった時の事だ。
小学校2、3年生の男の子が、小川で捕まえたおたまじゃくしを、アスファルトの道に次々にたたきつけて、何匹も何匹も殺していた。
その残酷な光景に、身の毛がよだった。殺されて行く無力なおたまじゃくしの苦しみが全身に流れ込んできて、私は「やめてやめて!殺さないで!」と叫んだ。彼らは面白がって次々におたまじゃくしを掴んでは道に力いっぱいたたきつけた。私が止めれば止めるほど、男の子たちは面白がった。私より一つ年上の近所の女の子は乱暴な年上の男の子たちに怯えて泣き始めた。私は全身の血が逆流するかと思うほど怒って、その子たちに体当たりをして行った。近所の子は、泣きじゃくりながら逃げ帰り、私は一人で数人の小学生を相手に全力で戦った。髪を引っ張られ、顔をひっぱたかれ、突き飛ばされ、それでも私は引かなかった。私までが逃げたら、おたまじゃくしがまた殺されてしまうからだ。
彼らは私の本気の抵抗に怖れをなし、おたまじゃくしを川に捨てて、逃げ帰って行った。
私は、大声で泣きながら、傷とあざだらけでとぼとぼ家に帰った。平気で生き物を殺す、自分より身体の大きな、年上の男の子たちが、ものすごく恐ろしかった。そして殺されたおたまじゃくしが可哀想で可哀想で、たまらなかった。
この時の、血が逆流するほどの怒り、という感覚を今でもはっきり覚えている。
怒りで身体が震える、というのは本当だ。
もっともそれ以来、あれほど強い怒りは一度も感じた事がない。
私の怒りは、どこか抑圧されているのかも知れないと思う。
もし、私が今、チベットにいて、目の前で無抵抗の僧侶が拷問されレイプされ殺されたら、私は自分がどんな行動を取るか、よく解っている。あの5歳の時と同じ事をするだろう。だから私は、チベットに行かない。おそらく生きて戻らないからだ。
私は、弱者が強者に踏みにじられているのを黙認できない。
必要な処に、必要な救いが届かない事が我慢できない。
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