2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
カレンダー
12 | 2025/01 | 02 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | |||
5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
プロフィール
HN:
MoonLeaf
性別:
女性
職業:
Peace Maker
自己紹介:
Member of MENSA International
最新記事
(10/03)
(10/29)
(09/30)
(09/27)
(09/25)
(09/22)
(09/16)
(09/14)
(09/14)
(09/13)
(09/13)
(09/04)
(08/24)
(08/20)
(08/18)
(08/12)
(07/30)
(07/27)
(07/22)
(07/02)
最古記事
(09/02)
(09/02)
(09/03)
(09/05)
(09/05)
(09/06)
(09/06)
(09/07)
(09/10)
(09/13)
(09/15)
(09/17)
(09/29)
(10/08)
(10/17)
(10/18)
(11/09)
(11/12)
(11/18)
(11/25)
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
アクセス解析
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
人には、「より良い自分でありたい」とか「自分の能力を存分に開花させたい」とか「自分の力を試したい、限界を知りたい」というような向上心が備わっている。これは有機体として、より健全であろうとする働きから来ているのだと思う。
だから大抵の人が、自分の苦手を克服したいと考えるのは自然な事なのだろう。
私には、いろんな苦手がある。
計算するのが苦手。
整理整頓するのが苦手。
地道な努力が苦手。
同じ事を繰り返すのが苦手。
じっとしているのが苦手。
そういう苦手な事には、ひとつひとつ、苦手になった原因がある。
そして、その原因がわからないことには、ただやみくもに克服しようとしてもそれはうまく行かない。無駄にストイックになるだけだからだ。
私は、計算するのが苦手なのだ。
苦手意識の話ではなく、事実としてどんな風に苦手かを話すと、
まず、暗算が必要な場面で、思考が停止する。出来るはずの簡単な二桁引く一桁が思考できなくなるのだ。単純に、175円の総菜に50円引きのシールが貼ってある時、それがいくらになるかの暗算などの場面だ。こんな事、誰にだって出来るはずの事だし、私だって今ならこれが出来ないほうがおかしいと思う。
だが、こんな計算が出来なくなる瞬間というのが、私にはあるのだ。
これは、「思考を放棄する」というやり方で、計算しようとする自分を妨害しているのだ。
計算しようとする自分と、計算させまいとする自分がいる、それが事実だ。
そして、計算させまいとする自分が大抵勝利を収めるので、結果的には「私は計算が苦手だ」となるのである。
この「思考を放棄して計算を妨害する自分」がいつ生まれ、どんな理由でそれをし始めたのかを探ると、面白いエピソードが出てきた。
小学校3年生の終わり頃、昼休みに音楽室でピアノを弾いている女の子が居た。とても上手だった。その子は、私がピアノを触りたくて音楽室の入り口に立っていると、ピアノを弾く手を止めて、「おいでよ」と笑顔で言ってくれた。自分から打ち解けて友達を作るのが苦手だった私にとって、「友達になろう」と言ってくれた彼女は、本当に素敵に思えた。4年生になり彼女と同じクラスになった。彼女は、公文式の家庭学習をしていたので、計算がめっぽう早かった。小テストの時などは、クラス一番は当然として先生より早く解き終わり、しかも全問正解というのが日常の、計算機のような少女だった。
それに対して私は、漢字の読み書きや言葉の意味、雑学の知識などが同年代の子たちに対して圧倒的に抜きんでていたので「国語辞典」「百科事典」などと呼ばれていた。同世代の子たちから訊ねられて答えられない事はほとんど何もなかった。そして親友の彼女は「計算機」「コンピューター」と呼ばれ、私たちは無敵のコンビだったのだ。
私は、自分が算数に打ち込むことは、親友の得意分野を壊す事になると感じた。
分数も小数点も方程式もすべて理解していたけれど、彼女以上の得点は取りたくなかった。
それで、この頃、私は算数を捨てた。
以来、私は数字を見ると「思考が止まる」という症状を起こすようになった。
それで、彼女が転校して、離れ離れになったあとも、ずっと数学は不得意なままだ。
中学も高校も、数学はまったくからっきしである。理解できないのではなく、「理解しても答えを出そうとしない」というブラックボックスが、心の中に存在しているのである。
私の数学の悲惨な成績を哀れに思って赤点による留年から救おうと、教えてくれる数学が得意な友人たちは、みな「どうしてこんなに理解できるのに点が取れないのか」と呆れていた。
私は、自分の中にあった「友人を失いたくない」という気持ちによって「自分の思考能力を停止させる」という事を「自分でしていた」と理解できた時、とても納得した。
計算できないのではなくて、計算しまいとしているのだと分かったので、「計算してもいいよ。自分の能力を存分に使っていい」と新たな許可を自分に与えるようにした。
すると、計算を拒否していた思考が、動くようになってきた。
今でも人並みとは行かない事もあるが、以前に比べてみれば飛躍的に暗算できるようになっている。
整理整頓が苦手、という事には別のエピソードが関係している。
まず、私の育った家庭環境の中では、両親とも朝から夜遅くまで共働きだったという事情で、家の中が整理整頓されていた事がまったくない。つまり整理整頓されている状態を経験していない。
だから、整理整頓するという感覚が、平均的な人よりもずっと低いのだ。
結婚して、一時期、夫の母と暮らしたり、夫の母の家によく出入りしたりして、母の生活スタイルに近く触れる機会があった。
友達の家に行くと、キレイに片づいているのに驚くが、私は「人が来る時だけ頑張って片づけているのだろう」と思っていた。自分を基準にするとそうなる(笑)。
しかし、母の暮らしぶりをみて、いつでも整理整頓されて片づいている中で暮らしているのだという事が本当に良く分かった。つまり生まれて初めて、モデルルームのようにキレイな状態を維持しつつ、暮らす事は可能なのだ、という事実を認識したのだ。
それから、私の中に、整理整頓のスキルの「芽」が生まれた。
「家がいつも片づいているなんて、夢物語」と思っていたのが「母はそうしている、それは可能な事なのだ」に認識が変わったからだ。
それと同時に、私の中で整理整頓を妨害する勢力がある事にも痛いほど気づくようになった。
それは私の中に取り込まれた、実の母の姿だ。
私が片づけようとする時、母の声がいつもする。
「そんな程度で、やった事にはならない」
「すぐちらかすくせに」
「いつも中途半端ね」
「あなたは飽きやすい駄目な子」
この声が聞こえてくると、私はまるで紙くずになったかのようにやる気を無くす。
前向きな気持ちはぺちゃんこに潰れ、自分が無価値で無意味な存在になったように感じる。
そうなった時につぎに母の声はこう言う。
「まったく汚い部屋ね」
「掃除も満足にできないの」
「ああ、汚い。みっともない」
この声に脅迫されるように、私は片づけようと重い体を動かし手を伸ばす。
すると次は
「ああ、その程度しか出来ないの」
「そんな程度じゃやった事にならない」
私は「じゃあどうすればいいんだ!」と叫び出しそうになるほど追い込まれて、頭を抱えて自分の存在を消したいとさえ思う。
これが、私が片づけや整理整頓が全く出来なかった頃の事実、その仕組みの全容だ。
今、この仕組みは私の中から撤廃されて、今は自分の思う分、思うだけの片づけが出来るようになっている。取り込まれた母の声を捨て、自分の中のやる気を決して傷つけないようにした。
現在の私は、それでも一般平均よりずっと片づけ事が下手だけれども、苦手だとは思わない。
人並みではないので、人に迷惑をかけるとは思うけれども、それでものんびり、自分の能力は育っていると感じる。ぼちぼち小物を自分なりに整理したり、部屋を一人で模様替えして持ち物を片づけたりするのは好きだし、頭の中に母の声が響かないのでとても快適だ。
やったらやった分、自分を褒めてあげられる。
苦手だと思っている事を無くすには、その事柄ごとに、本当の原因を、自分の中から本当に良く探る必要がある。
そして、そこさえうまくいけば、全ての人は「自分自身の全体性」として調和し、とても平安な気持ちで、自分の能力を伸ばす事が出来るのだ。
それはあなたにもできる事だ。
信じていい。
だから大抵の人が、自分の苦手を克服したいと考えるのは自然な事なのだろう。
私には、いろんな苦手がある。
計算するのが苦手。
整理整頓するのが苦手。
地道な努力が苦手。
同じ事を繰り返すのが苦手。
じっとしているのが苦手。
そういう苦手な事には、ひとつひとつ、苦手になった原因がある。
そして、その原因がわからないことには、ただやみくもに克服しようとしてもそれはうまく行かない。無駄にストイックになるだけだからだ。
私は、計算するのが苦手なのだ。
苦手意識の話ではなく、事実としてどんな風に苦手かを話すと、
まず、暗算が必要な場面で、思考が停止する。出来るはずの簡単な二桁引く一桁が思考できなくなるのだ。単純に、175円の総菜に50円引きのシールが貼ってある時、それがいくらになるかの暗算などの場面だ。こんな事、誰にだって出来るはずの事だし、私だって今ならこれが出来ないほうがおかしいと思う。
だが、こんな計算が出来なくなる瞬間というのが、私にはあるのだ。
これは、「思考を放棄する」というやり方で、計算しようとする自分を妨害しているのだ。
計算しようとする自分と、計算させまいとする自分がいる、それが事実だ。
そして、計算させまいとする自分が大抵勝利を収めるので、結果的には「私は計算が苦手だ」となるのである。
この「思考を放棄して計算を妨害する自分」がいつ生まれ、どんな理由でそれをし始めたのかを探ると、面白いエピソードが出てきた。
小学校3年生の終わり頃、昼休みに音楽室でピアノを弾いている女の子が居た。とても上手だった。その子は、私がピアノを触りたくて音楽室の入り口に立っていると、ピアノを弾く手を止めて、「おいでよ」と笑顔で言ってくれた。自分から打ち解けて友達を作るのが苦手だった私にとって、「友達になろう」と言ってくれた彼女は、本当に素敵に思えた。4年生になり彼女と同じクラスになった。彼女は、公文式の家庭学習をしていたので、計算がめっぽう早かった。小テストの時などは、クラス一番は当然として先生より早く解き終わり、しかも全問正解というのが日常の、計算機のような少女だった。
それに対して私は、漢字の読み書きや言葉の意味、雑学の知識などが同年代の子たちに対して圧倒的に抜きんでていたので「国語辞典」「百科事典」などと呼ばれていた。同世代の子たちから訊ねられて答えられない事はほとんど何もなかった。そして親友の彼女は「計算機」「コンピューター」と呼ばれ、私たちは無敵のコンビだったのだ。
私は、自分が算数に打ち込むことは、親友の得意分野を壊す事になると感じた。
分数も小数点も方程式もすべて理解していたけれど、彼女以上の得点は取りたくなかった。
それで、この頃、私は算数を捨てた。
以来、私は数字を見ると「思考が止まる」という症状を起こすようになった。
それで、彼女が転校して、離れ離れになったあとも、ずっと数学は不得意なままだ。
中学も高校も、数学はまったくからっきしである。理解できないのではなく、「理解しても答えを出そうとしない」というブラックボックスが、心の中に存在しているのである。
私の数学の悲惨な成績を哀れに思って赤点による留年から救おうと、教えてくれる数学が得意な友人たちは、みな「どうしてこんなに理解できるのに点が取れないのか」と呆れていた。
私は、自分の中にあった「友人を失いたくない」という気持ちによって「自分の思考能力を停止させる」という事を「自分でしていた」と理解できた時、とても納得した。
計算できないのではなくて、計算しまいとしているのだと分かったので、「計算してもいいよ。自分の能力を存分に使っていい」と新たな許可を自分に与えるようにした。
すると、計算を拒否していた思考が、動くようになってきた。
今でも人並みとは行かない事もあるが、以前に比べてみれば飛躍的に暗算できるようになっている。
整理整頓が苦手、という事には別のエピソードが関係している。
まず、私の育った家庭環境の中では、両親とも朝から夜遅くまで共働きだったという事情で、家の中が整理整頓されていた事がまったくない。つまり整理整頓されている状態を経験していない。
だから、整理整頓するという感覚が、平均的な人よりもずっと低いのだ。
結婚して、一時期、夫の母と暮らしたり、夫の母の家によく出入りしたりして、母の生活スタイルに近く触れる機会があった。
友達の家に行くと、キレイに片づいているのに驚くが、私は「人が来る時だけ頑張って片づけているのだろう」と思っていた。自分を基準にするとそうなる(笑)。
しかし、母の暮らしぶりをみて、いつでも整理整頓されて片づいている中で暮らしているのだという事が本当に良く分かった。つまり生まれて初めて、モデルルームのようにキレイな状態を維持しつつ、暮らす事は可能なのだ、という事実を認識したのだ。
それから、私の中に、整理整頓のスキルの「芽」が生まれた。
「家がいつも片づいているなんて、夢物語」と思っていたのが「母はそうしている、それは可能な事なのだ」に認識が変わったからだ。
それと同時に、私の中で整理整頓を妨害する勢力がある事にも痛いほど気づくようになった。
それは私の中に取り込まれた、実の母の姿だ。
私が片づけようとする時、母の声がいつもする。
「そんな程度で、やった事にはならない」
「すぐちらかすくせに」
「いつも中途半端ね」
「あなたは飽きやすい駄目な子」
この声が聞こえてくると、私はまるで紙くずになったかのようにやる気を無くす。
前向きな気持ちはぺちゃんこに潰れ、自分が無価値で無意味な存在になったように感じる。
そうなった時につぎに母の声はこう言う。
「まったく汚い部屋ね」
「掃除も満足にできないの」
「ああ、汚い。みっともない」
この声に脅迫されるように、私は片づけようと重い体を動かし手を伸ばす。
すると次は
「ああ、その程度しか出来ないの」
「そんな程度じゃやった事にならない」
私は「じゃあどうすればいいんだ!」と叫び出しそうになるほど追い込まれて、頭を抱えて自分の存在を消したいとさえ思う。
これが、私が片づけや整理整頓が全く出来なかった頃の事実、その仕組みの全容だ。
今、この仕組みは私の中から撤廃されて、今は自分の思う分、思うだけの片づけが出来るようになっている。取り込まれた母の声を捨て、自分の中のやる気を決して傷つけないようにした。
現在の私は、それでも一般平均よりずっと片づけ事が下手だけれども、苦手だとは思わない。
人並みではないので、人に迷惑をかけるとは思うけれども、それでものんびり、自分の能力は育っていると感じる。ぼちぼち小物を自分なりに整理したり、部屋を一人で模様替えして持ち物を片づけたりするのは好きだし、頭の中に母の声が響かないのでとても快適だ。
やったらやった分、自分を褒めてあげられる。
苦手だと思っている事を無くすには、その事柄ごとに、本当の原因を、自分の中から本当に良く探る必要がある。
そして、そこさえうまくいけば、全ての人は「自分自身の全体性」として調和し、とても平安な気持ちで、自分の能力を伸ばす事が出来るのだ。
それはあなたにもできる事だ。
信じていい。
PR
この記事にコメントする