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元ゲーム職人ネタをもう一つ。

仮想の世界をつくり、その世界のルールをつくり、その世界にプレイヤーを
招き入れて仮想の人生、仮想の遊びを体感させる。

それがゲーム職人の使命です。

何もない処から本当にすべてを創り上げるのだということを、言葉だけで話
しても、多くの人にはピンと来ないと思います。

仮想世界を作るのですから、現実の世界とおりにしなくてもいいのです。

たとえば、重力の無い世界を作ってもいい。
スーパーマリオはBダッシュジャンプという技が出来ますが、これなんかも
現実の物理法則は無視して、操作感の快感を重視して作られています。

その世界だけの物理法則、その世界だけの社会常識、その世界だけの
職業、その世界だけの貨幣、それらを一つ一つ、全部決めて行きます。
ゲームの画面に登場するもので、「何となく」登場するものは一つもありま
せん。すべてに作り手という「神」の意思がそう決めて、そう作ったから
存在するのです。

それを本当に理解していただくと、ゲーム作品を作るということは、まさに
この地球、この宇宙を作った「神」を真似て同じことをするのだというのが
分かると思います。
(もっとも本当に創造神がいるのかは神秘すぎて永遠の謎ですが…)

ゲームを遊ぶと、草が生えていたり、ブロックがあって進めない場所があ
ったりしますが、それらはなんとなくそうなっているのではなく、神の意思
でそうなっているということです。
隠されている宝物、落ちているコイン、現れる敵、すべてが神の意思でそ
こに置いてあるのです。
神は常にプレイヤーの心と、プレイヤーが陥るであろう事態を予測してい
ます。

ここを通ると大体10~15くらいの戦闘を経験する。
だからこのポイントへたどり着くプレイヤーには、体力を回復させる薬を用
意してやろう。何か無いかと探し回ったプレイヤーだけが見つけることがで
きるように、隅のほうには、ごほうびとしてお金を置いておこう。
見つけるとうれしいからね。

そんな具合です。
私や坂本は、元制作者ですから、容易に「ここに何か隠してあるだろうな」
という予想が付きます。
まるでプロの泥棒が、「ここに通帳を隠しているだろう」とわかるようにです。


セガ(ゲームメーカー)が作った「ナイツ」というアクションゲームがあります。
この世界では、プレイヤー=主人公ナイツ は地面を歩きません。
ひたすら空を飛翔する存在です。なぜどういう仕組みで飛べるのかという
説明は必要ありません。ただゲーム製作者が、「空飛ぶゲームを作ろう、
プレイヤーに自由自在に飛ぶ快感を与えよう」と決めて、そう決めたから
そうなったということです。

そして、そのゲームが現実の世間に受け入れられるかどうかは、製作者が
勝手に決めた仮想世界のルール、その世界でプレイヤーに与えている感覚
が、人々に納得できるか、喜びや快感や感動を与えるかどうかによって決ま
ります。

玉が画面の上から下に向かって転がり落ちるゲームがあったとしたら、
プレイヤーにとってその玉の動きは納得できる、なじみ易いものになります。
もしそれを、玉が画面の下から上に向かって転がるように作ってみると、
ユーザーにとって、現実のボールの動きとはかけ離れており、物理法則上
ありえなさ過ぎる感じがしてしまい、とても操作に戸惑ってしまい、そのスト
レスで「面白くないゲームだ」と判断されてしまいます。
仮に、そのストレスを感じてもなお、妥当だと感じるような喜び、プレイヤー
にとって歓迎される結果が用意されていれば、プレイヤーはそのゲームを
「面白い」と判断します。

ですから、ゲームの神様は、自由に何でも決められるとは言え、プレイヤー
に受け入れられるかどうかをかなり真剣に吟味して製作しなければならない
のです。
これは、れっきとした心理戦です。

ストレスをかけなければ、報酬感覚(喜び)は大きくならない。
しかしストレスが大きすぎたり、頻度が高すぎたりすると、報酬を与える前
にプレイヤーはそのゲームを投げ出してしまう。
だから与えるストレスと、喜びや報酬感覚のバランス、駆け引きを読み切
った制作者の作ったゲームは「良作」「いいゲーム」と評価されます。


私はよく、「本物の神様も、これをやってるのかも知れないなあ…」と思っ
ていました。
キリスト教ではしばしば、辛い体験をしている信者に対して「神はあなたに
耐えられない試練はお与えにならない」といいます。
つまりどんなに辛くても、死にたいほど苦しくても、その試練を乗り越えるこ
とが出来ると読みきっていて、その試練を与えていると。

私には時々「神様読み違えてませんかね?」と聞きたい事もありましたが(笑)
まあそれでも今も私はこうして元気に生きていますから、神の読みは正し
かったわけですね。

ゲームは、プレイヤーに喜び、感動、快感を与えたくて作るわけですが、
神は何を与えようとして我々にさまざまなライフイベントを与えるのでしょうね。
辛く苦しいことを乗り越えた人間に、何を報酬として用意してくれているので
しょうか。天国だよ、なんて答えは私は聞きたくないですね。

だから私は、神様が与えてくれる報酬は当てにしません。
自分を幸せにするのは、自分。
ゲームと現実の決定的な違いは、そこにあります。
幸せを得たいとき、神頼みが必要ないというのは、ゲーム世界にはありえ
ませんから。


やっぱり現実は素敵ですね。
どんなにゲーム職人が真似ても、本物の世界の方がやっぱりすごいのです。

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