忍者ブログ
Admin / Write / Res
2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
カレンダー
09 2024/10 11
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
MoonLeaf
性別:
女性
職業:
Peace Maker
自己紹介:
Member of MENSA International
最新CM
[04/21 ボーズ]
ブログ内検索
アーカイブ
バーコード
フリーエリア
忍者アド
カウンター
アクセス解析
[620]  [619]  [618]  [616]  [615]  [614]  [613]  [612]  [611]  [610]  [609
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

今は心理の専門家みたいなことしていますが
以前私はゲーム職人でした。
ゲーム製作に関することならほぼ何でも知っています。

ゲームって、「面白い!楽しい!」って思わせるために作るんですが
実はこの「面白さ、楽しさ」を与えることは実に、緻密な計算が必要なのです。

たとえば、弾で敵を打ち落とすシューティングゲームというジャンルのゲーム
がありますが、反射神経の鈍い人や、ゲームに慣れていない人にとっては
とっても難しくて、すぐに敵の弾に当たってやられてしまいます。
だから、初心者はすぐに「もっと簡単に作ってくれればいいのに。そうしたら
自分にも遊べる」って考えます。

ゲームの難易度を易しくするのは、作り手にとって本当に簡単なことなんです。
敵を弱くすればいい。
自分を強く(弾に当たってもダメージをうけないように)すればいい。

じゃあ試しに、自分に弾があたっても、ぜんぜんダメージを受けないように
(いわゆる無敵状態)にしたらどうなると思いますか?
または自分の打つ弾は無制限で、しかもものすごく強力だったら?
敵がすんごく弱くて、自分が体当たりしただけでやっつけることができるんだったら?


実はそんなゲームは、本当に、すごくつまらないんですよ。

最初だけ、「やった!」って思います。成功体験の快感が起こります。
でもこの成功は実に簡単に実現する「安易な成功」なんですね。
だからあっという間に感覚の麻痺が起こります。
つまり、「いつでも倒せる敵を倒しても、面白くない」んです。

実は、人間が「面白い、楽しい」と思うことは、必ず何らかの制約を受けた
結果、努力したり工夫したり知恵をしぼったりしたときにだけ実現できるこ
となのです。

なかなか倒せない敵になんどもやられて、それでもチャレンジしていったら
ついに今日、倒せた。操作が上手になって、倒せるようになった。
その成功体験の快感が、ゲームにおける「面白さ」の核なのです。

つまり、簡単にしすぎると、ゲームはつまらない。
わざと簡単じゃないように作ります。(ある程度、ですが)
そして、最初の敵を倒せるようになったユーザー(ゲーム業界では
ゲームを遊んでくれている人をユーザーまたはプレイヤーと呼びます)が
飽きないように、次の楽しみを用意します。
つまりまた試練が用意されているのです。
さらに強い敵が現れたり、自分の弾に限りがあったり。

これって、人生と同じだということに気づきませんか?

最初からお金がうなるほどあると、ものを手に入れることは当たり前で、
快感ではありません。でもごく普通の家庭に育てば、子供の時代には
お金は自由にはなりません。
持っていたとしても、お年玉やお小遣いを貯めて手にする、「制約つき」
のものです。
だからこそ、一生懸命お金を貯めて、ついに自力で買い物をしたときの
喜びがあるのです。

人間は苦労するのがいやだと口では言いますが、本当に苦労がないと
「退屈だ、つまらない」と言い出します。だから人間は適度に苦労するよ
う、様々な制約があったほうがより幸福になれるのです。

貧乏だという制約があるからこそ、それを努力や創意工夫で克服する
喜びがあります。
命に限りがあるからこそ、生きることの喜びがあるのです。

私は現実の人生というゲームをとても楽しんでいます。

ゲーム職人は、人間観察力の豊かな人でないと務まりません。

ゲーム職人は、ゲーム世界のすべてを無から作り出す、その世界の
「神」と言える存在です。神としての視点とは、その世界に入ってきた
「人間(ユーザー)」の心理を可能な限り読みきり、「面白さ、楽しさ、感
動」へ向けて誘導するためのありとあらゆる仕掛けを用意するということです。

本当に心から言えることですが、非常に楽しく、とってもやりがいのある仕事でした。
自分にはとても向いている仕事だったと言えると思います。

そして、これはいみじくも、人間心理の専門家への入り口だったのですね。


今でもゲームを遊ぶと、その世界の「神(作り手)」を感じます。
ゲームの中に決して顔を出すことはありませんが、その神(作り手)の意思は
ゲーム世界の端々に、常に満ち溢れていて感じ取ることが出来ます。
それもまた、現実の世界と同じような気がします。

もっとも、ゲーム世界の神は、よく間抜けなことをしていて
「考え足らず!」と罵声を浴びせてしまいますが(笑)

現実の神の意思は神秘で、読みきれませんねえ。
さすが本物、です。

だからこそ、本当の人生の謎や試練には、取り組むべき価値があるのです。

拍手[2回]

PR
この記事にコメントする
Name
Title
Color
Mail
URL
Comment
Password   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
secret (管理人にのみ表示)
Copyright ©  I realize it when I through it All Rights Reserved.
* material by Pearl Box   * Template by tsukika

忍者ブログ [PR]