2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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仲の良い友人から仕事を頼まれると 少し困ること。
相手の喜ぶ顔も見たいし、仕事もしたい。
相手を喜ばせたい、助けてあげたいと思う私は 無償の気持ち。
仕事をさせてもらいたいと思う私は 自分の力で生きる糧を得たい気持ち。
喜んで、でもプロとして引き受けますと答えるのだけど、内心、日頃よりも少々複雑。相手と自分の距離が近いからだ。
そんな関係で仕事を依頼されていた友人が、「これとこれもやってくれる?」とメールしてきた。それはもちろん、できる事なんだけれど、それをやるとなったら、フルに取りかかって3日はかかる。彼女が忙しくて、自分でやる余裕がないから私に頼んでいる事もわかっている。友人としては、快く引き受けてあげたい。そうすれば彼女は「助かったー」と喜んでくれる。けれど、3日もかかると解っている作業を、奉仕できるほど時間も経済的にも余裕がない。自分の力で生きる糧を得たい私が「3日の無償労働は困る。その3日は、他の仕事さえできなくなるのだから実質的には損失」と言う。
そこで困りながら、調整。
「その作業はもちろんできるけれど、かなり時間もかかるので、追加の料金を考えてもらえるかしら。そうしたら責任を持って、ベストの成果を提出します。もし予算の都合でその余裕はないなら、そちらでその部分はやってもらって、続きの作業は約束通りやります。与えられた仕事を一生懸命やりますので、そちらの判断をお願いします」という主旨のメールをした。
するとすぐに、「予算ないので、こちらでやります」という短いメールが帰ってきた。
もともとメールは嫌いだけれど、短い、用件だけの文面のメールは特に苦手だ。相手の表情が本当にわからない。
彼女の期待に応えられなかった、という悲しい気持ち、後悔のような苦々しい気持ちが胸を刺す。ここは私の弱点だ。人の依頼を断る時にはいつもこれを感じる。
もう一人の自分が「大丈夫、間違っていない」と言う。3日の無償労働をするような状況ではないはず、と。
わかってる、わかってる。
だけどそれでももう一人の私は悲しい。
頑張ってやってあげればよかったんじゃないか?彼女は今とても忙しい。少し私が無理をすれば、助けてあげられたんじゃないのか?彼女は、私なら引き受けてくれると信頼して頼んできたのかも知れないのに。予算もなく困っているからただでやってくれと言えなかっただけなのかも知れないのに。そう言われたら、断れたか?いや多分、断れなかったはずだ。何故、もう少し彼女の事を考えてあげられなかったの?
期待に応えられず悲しむ私は、やがて自分の行動を責めはじめてしまう。
でもこんな時、呼吸を思い出す。
ひと呼吸づつ、自分の内側や思考に閉じこもるのをやめて、外側に気付きをむける。
気温、空気の流れ、道路を走る車の音。今自分がどこにいるのかをしっかり確認して、思考の世界と今いる場所の両方に足を一本づつのせている事を確認する。
そして、自分さえ犠牲になれば、自分が奉仕さえすれば、物事をうまく行かせられるという自分のエゴ(自我)に気付き、それを優しく抱きしめる。
自分の等身大をよく見てご覧。
お前は万能ではないのだよ。
今のお前には一日は24時間しかなく、
今のお前の手は二本、足も二本しかない。
自分に出来る事をよく見てご覧。
何もかもをうまくやることなど出来はしない。
お前に出来るのは、お前が一生懸命にやれる分、一人分だけなのだ。
不都合を見つけてはそこに駆け出すのをお待ち。
お前は人の世話をする事ばかりを教わってきて、
自分の世話をする事をあまり学んでいないのだ。
少し待って、自分を幸せにする事からはじめるのだよ。
そうすればお前は、きっと今よりももっと周りの人を助けられる。
さあ、自分の等身大をよく見てご覧。
そんな言葉が、言葉にならないメッセージが聞こえてくる。
今こうして言葉に翻訳しているのは私の頭脳がやっているのだけれど、この言葉のもとのメッセージは言葉ではない形で私の魂に届いている。
静かに呼吸し、思考と内側と外側のすべてにアクセスしているとこういうメッセージが届き、私を救ってくれる。そのメッセージには一切の批判がなく ただただ大きな抱擁がある。ちっぽけな私を本当にわかってくれていると感じる。そしてちっぽけな私を抱き、間違いのない光の方へ導くために私にこれを伝えてくれる。
友人にメールした。
「了解。そちらの指示をまちます。サービスしてあげられなくてごめん。最善になるように祈ります。」
大丈夫。友人も、少しは期待がはずれてがっかりして、もしかしたら少しの間、私に怒ったかも知れないけど、最後にはちゃんと解ってくれる。だって彼女は、私が友人と認めた、私の友人なのだから、そういう人に違いない。
今の自分に、彼女の依頼に応え3日の損失を被る余裕はないのだ。それが等身大の自分だし、今の現実の状況。
無理をすればなんとかなる、だなんて、思考が暴走している。
私が無理をすれば彼女を救えるだなんて、エゴ(自我)が肥大化した間違った考えだ。
私を導くものに感謝。
ただひたすらに感謝。
私はこのメッセージを翻訳する事の出来る人間として、働かなければならない。
それが私の使命。
相手の喜ぶ顔も見たいし、仕事もしたい。
相手を喜ばせたい、助けてあげたいと思う私は 無償の気持ち。
仕事をさせてもらいたいと思う私は 自分の力で生きる糧を得たい気持ち。
喜んで、でもプロとして引き受けますと答えるのだけど、内心、日頃よりも少々複雑。相手と自分の距離が近いからだ。
そんな関係で仕事を依頼されていた友人が、「これとこれもやってくれる?」とメールしてきた。それはもちろん、できる事なんだけれど、それをやるとなったら、フルに取りかかって3日はかかる。彼女が忙しくて、自分でやる余裕がないから私に頼んでいる事もわかっている。友人としては、快く引き受けてあげたい。そうすれば彼女は「助かったー」と喜んでくれる。けれど、3日もかかると解っている作業を、奉仕できるほど時間も経済的にも余裕がない。自分の力で生きる糧を得たい私が「3日の無償労働は困る。その3日は、他の仕事さえできなくなるのだから実質的には損失」と言う。
そこで困りながら、調整。
「その作業はもちろんできるけれど、かなり時間もかかるので、追加の料金を考えてもらえるかしら。そうしたら責任を持って、ベストの成果を提出します。もし予算の都合でその余裕はないなら、そちらでその部分はやってもらって、続きの作業は約束通りやります。与えられた仕事を一生懸命やりますので、そちらの判断をお願いします」という主旨のメールをした。
するとすぐに、「予算ないので、こちらでやります」という短いメールが帰ってきた。
もともとメールは嫌いだけれど、短い、用件だけの文面のメールは特に苦手だ。相手の表情が本当にわからない。
彼女の期待に応えられなかった、という悲しい気持ち、後悔のような苦々しい気持ちが胸を刺す。ここは私の弱点だ。人の依頼を断る時にはいつもこれを感じる。
もう一人の自分が「大丈夫、間違っていない」と言う。3日の無償労働をするような状況ではないはず、と。
わかってる、わかってる。
だけどそれでももう一人の私は悲しい。
頑張ってやってあげればよかったんじゃないか?彼女は今とても忙しい。少し私が無理をすれば、助けてあげられたんじゃないのか?彼女は、私なら引き受けてくれると信頼して頼んできたのかも知れないのに。予算もなく困っているからただでやってくれと言えなかっただけなのかも知れないのに。そう言われたら、断れたか?いや多分、断れなかったはずだ。何故、もう少し彼女の事を考えてあげられなかったの?
期待に応えられず悲しむ私は、やがて自分の行動を責めはじめてしまう。
でもこんな時、呼吸を思い出す。
ひと呼吸づつ、自分の内側や思考に閉じこもるのをやめて、外側に気付きをむける。
気温、空気の流れ、道路を走る車の音。今自分がどこにいるのかをしっかり確認して、思考の世界と今いる場所の両方に足を一本づつのせている事を確認する。
そして、自分さえ犠牲になれば、自分が奉仕さえすれば、物事をうまく行かせられるという自分のエゴ(自我)に気付き、それを優しく抱きしめる。
自分の等身大をよく見てご覧。
お前は万能ではないのだよ。
今のお前には一日は24時間しかなく、
今のお前の手は二本、足も二本しかない。
自分に出来る事をよく見てご覧。
何もかもをうまくやることなど出来はしない。
お前に出来るのは、お前が一生懸命にやれる分、一人分だけなのだ。
不都合を見つけてはそこに駆け出すのをお待ち。
お前は人の世話をする事ばかりを教わってきて、
自分の世話をする事をあまり学んでいないのだ。
少し待って、自分を幸せにする事からはじめるのだよ。
そうすればお前は、きっと今よりももっと周りの人を助けられる。
さあ、自分の等身大をよく見てご覧。
そんな言葉が、言葉にならないメッセージが聞こえてくる。
今こうして言葉に翻訳しているのは私の頭脳がやっているのだけれど、この言葉のもとのメッセージは言葉ではない形で私の魂に届いている。
静かに呼吸し、思考と内側と外側のすべてにアクセスしているとこういうメッセージが届き、私を救ってくれる。そのメッセージには一切の批判がなく ただただ大きな抱擁がある。ちっぽけな私を本当にわかってくれていると感じる。そしてちっぽけな私を抱き、間違いのない光の方へ導くために私にこれを伝えてくれる。
友人にメールした。
「了解。そちらの指示をまちます。サービスしてあげられなくてごめん。最善になるように祈ります。」
大丈夫。友人も、少しは期待がはずれてがっかりして、もしかしたら少しの間、私に怒ったかも知れないけど、最後にはちゃんと解ってくれる。だって彼女は、私が友人と認めた、私の友人なのだから、そういう人に違いない。
今の自分に、彼女の依頼に応え3日の損失を被る余裕はないのだ。それが等身大の自分だし、今の現実の状況。
無理をすればなんとかなる、だなんて、思考が暴走している。
私が無理をすれば彼女を救えるだなんて、エゴ(自我)が肥大化した間違った考えだ。
私を導くものに感謝。
ただひたすらに感謝。
私はこのメッセージを翻訳する事の出来る人間として、働かなければならない。
それが私の使命。
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