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朝ご飯を、外で食べる人が増えているそうだ。

私が娘をバス停まで送った後に入るスタバでも、朝ご飯を食べている人が多い。斜め向かいのマクドにはひっきりなしに朝マックを買いに来る人が入っている。
家で食べるより、外で一人ほんのひととき、ゆっくり時間を過ごしたいという志向があるのだそうだ。

確かに、その気持ちは分からないではない。
けれど同時に、なんだか少し寂しい気がする。

一人暮らしならいざしらず、家族のいる人なら、朝食くらいは家族一同、顔を合わせて取ってはどうだろうか。
今日の予定は?とか、今日は晴れて良かったねとか、サラダ食べなさいとか、そういう何でもない会話を、家族と交わす事は大切ではないのだろうか。

家族と過ごす事が煩わしい、一人になりたい、と思うのは、家族がもはや自分の幸せの供給源ではなく、単なる重荷になっているという事ではないのだろうか。家でくつろぐことが出来ないから、人から干渉されない人混みのなかでかえってほっとしているのではないだろうか。

家がくつろぐ場所でないとしたら、いったい、どこへ帰ればいいのだろう。
暖かくて、心の底からほっと安心できて、優しさといたわりに満ちた自分の居場所がないとしたら、人はどうやって生きて行くのだろう。

家が安らぎの場でないとしたら、私は生きて行けないと思う。
あらゆるエネルギーが枯渇して、心は冷えて行き、優しさも忘れ、自分に対しても冷酷になり、そして生きる事に疲れ絶望してしまうだろう。

私は一つの物事から、二歩も三歩も先を考えてしまう癖がある。
たかが朝ご飯を外で食べる人が増えたというニュース一つで、こんな具合だ。

だから、私の日常は私の勝手なこだわりに満ちていると思う。
無自覚に何となくそうしている、という事があまりなく、大抵の事は考えた上でそうしている。いい加減にしている事は「適当にしよう」と決めて、つまり手を抜く事を決めて、そうしている。だからそういう私の適当な部分を人に指摘されたり非難されても、「ああ、そこはそうなんですよ。ごめんね」と、あまり改めるつもりがない。それが私をよく理解していない人の神経を逆なでしてしまう場合がある。私に怒る人の反応は、大抵「あんたは反省しないのか!」である。そういう人とは、私はあまり長く付きあえないようだ。

話を戻そう。
私なら、自分の家でくつろげないという現実は絶対に見過ごす事のできない重大問題だ。何しろ、自分の人生の質、さらに大げさに言えば生死に関わっている。だから、徹底的に解決を図る。

家で楽しく朝ご飯を食べられないのは何故か。
何がうまく行っていないのか。
妻や夫との会話が弾まないせいなのか。だとしたらそれは何故か。
家族が煩わしいのは何故か。仕事のしすぎだろうか。
自分に余裕が無くなっているからか。だとしたらそれは何故か。

せっかくの美しい朝日の中、自分にエネルギーを注入する為の美味しい食事を楽しめないのは何故なのだろうか。

それは放置できない問題ではないのだろうか。

自分の家は、完全な安全地帯でなければならない。
外でとる朝食で得られる以上のくつろぎとやすらぎを、家で得られるかどうかは、とても重要なバロメーターではないかと思う。


蛇足
朝食を用意したくない時、自分で自分にサービスするのが嫌な時、人にサービスしてもらいたい時、
私は外で朝食をとる。
でも一番好きなのは、夫や娘に用意してもらう朝食だ。

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春は桜が咲くころも素敵だけれど、暑くなったり寒くなったリを繰り返しながら徐々に初夏へ向けて季節が進んで行くと感じる頃が好きだ。

昨日は雨、そして今日は快晴。
たくさんのとんびが上空を舞っている。
きまって良く晴れた日のお昼前、家庭裁判所上空に、とんびが集まって集会をしている。

風はまだ冷たく、日差しは暖かい。
こんな春の日が大好きだ。
福岡には、風が吹く。
港に向かって開いているこの街の風は、横浜とよく似ている。

風の中に、海の匂いが混じっている。
この風が大好きだ。

早起きして、娘に朝ご飯とお弁当を作る毎日の中で、季節が確実に通り過ぎていく。
気づけば、もう4月も残り1週間。
早いなあ…。こうしてどんどん人生は飛ぶように過ぎて行く。

私はあとどれくらい生きるんだろう。
毎日それを思わない日はない。
この人生、私が成すべき事で、まだ達成していない事は何なのだろう。

春の風が心地よい。
今死んでしまっても、この風に吹かれて幸せを感じるだろうと思う。

ある意味、毎日がありがたい。
毎日が新しい。
今日、人と出会い、一緒にワークし、その人の人生の石ころの一つになれたことが嬉しい。
子供が元気で、笑顔で学校から帰り、宿題をそばで見たり聞いたりする事は幸せだ。

毎日、毎日、命があることが本当に奇蹟だとおもう。
また春を越え、夏を迎えようとしている。


生きてるって いいなあ

それだけで いいなあ

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人が人を殺す、という事が恐ろしい。

殺人も、死刑も、もっと言えば中絶も、私にはとても恐ろしい。
人だけでなく、犬や猫が捕獲されてガス室で毎日殺されている事も恐ろしい。
命を一方的に、絶つという事が恐ろしい。


だから私は死刑は無くなって欲しいと思う。
殺人が無くなるように、と願うのと同じように、死刑も無くなるように、と願う。

身内が殺されたら、その犯人を殺したいと思うだろうか。
思うかも知れない。でもその犯人が死んだら、私はだれに、身内の命を無残に奪われた悲しみと怒りをぶつければいいのだろうか。
私だったら犯人にぶつけたい。死んで居なくなって欲しくない。

犯人に泣いて欲しい。
悪かったと思って欲しい。
こんなに責められて苦しいと思って欲しい。
そして、殺してすまなかったと、何度も何度も、思って欲しい。

その為には、生きていてもらわなければならない。


日本に、終身刑を。
一生、二度と社会に出る事のない、終身刑を作って欲しい。

そして、加害者と被害者遺族とが、直接話す事の出来る制度を確立して欲しい。
そうでなければ、被害者遺族も、加害者も、救われる事はない。

死んでしまった被害者は、救われる事がないのだから、加害者が一生ずっと責めを負うのは当然のことだ。だが加害者が死んでしまったら、罪を背負うものが居なくなる。被害者の無念は、どこへいくのだろうか。誰が彼らを慰めるのか。


終身刑を。
その生ある限り、償い続ける事ができるように。


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驕る(おごる)
 自分の能力・財産・権力など誇って他人を見下げたふるまいをする。我がまま勝手な振る舞いをする。


人間性の向上を求めるなら、「驕ること」を自戒し、厳しく排除しなければならない。
特に、自分が人に勝る部分があると自覚するなら尚の事だ。

先日、バリー師とお会いした際にいくつか質問をしたが、私の考えや感覚が優れており、前世でこのような「人間性に関する学び」をすでに繰り返している事は明確であろうとの示唆を受けた。「ゆえに、あなたはそれを誇りすぎて驕らないよう、自制しなければならない」という教示も同時に与えられた。

そこで、数日、驕りから自分を遠ざけるにはどうすればよいかを、深く考えてみた。

多くの場合、自分では自分が驕っているかどうかは気づきにくい。
自分の顔を自分では見る事ができないので、自分が人を見下した顔をしている事に気づくには、鏡をその瞬間のぞき込まない限り無理だ。
「鏡を手に取り、今自分がどんな顔をしているのか」を「見てみよう」という気持ちがなければ、自分が人を見下げた顔をしているかどうかを確認することはない。しかも、驕っているその時には、自分の顔を見てみようという気持ちが起こるかどうか、はなはだ怪しい。

そこでまず、重要なのは「人」という鏡を使うという事だろう。
つまり「あなたは驕っていないか?」という人の言葉を得た時には、その人は私が自分で見る事ができない私の顔をみてそう言っているのだから、私の判断より事実を言っている可能性がある、と考えようという事だ。
バリー師から「驕ってはならない」と言われた時、私の顔はその直前に「優秀である」と言われた喜びを浮かべていただろう。だからこそバリー師は私に「驕ってはならない」という教示を与えてくださったのだ。

ここで次に、私の心の中での吟味が始まる。
「驕ってなどいない」と直ちに反発したい気持ちがないか?
少しだがある。これはエゴである。
エゴを静め、与えられた教示を謙虚に受け取るより良い状態に、自らを整地しなければならない。

ここで、心理学が役に立つ。
「素直になれ」とやみくもに自分に課すのではなく「教示を受け入れる事は、自分の成長につながる、非常に価値ある事だ」と優しく教えてやる。
すると、自分の成長のためならば、素直に聞き入れようという自分が現れ、「驕っている部分があるかも知れません。よく探り、それを静めます」と静かな気持ちで頭を垂れている。


自分の中の驕りは、常に自分にとって死角にある。
自分では気づきにくい。
だからこそ、たゆまず吟味が必要だろうと思う。


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私が人を厳しく批判する事はない、と思っている人もいるかも知れないけれど、私の中にも批判精神はある。

私の中の批判精神が一番強く反応するのは、弱者の事を考えない強者に対してだ。

昨日、ゆめタウンに寄った。駐車場はどこも一杯で、停める場所を探して何台もの車が駐車場の中をぐるぐる廻っている状態だった。私たちは駐車場の通路でどこかが空くのを待って停車していた。私たちのすぐ後に居た白いワンボックス車が、すっと私たちを追い越し、障害者用駐車スペースの前に車を寄せた。小学校5年生くらいの女の子が降りてきて、一般車が停めないようわざわざ店側がかけていたチェーンを外した。白い車はそこへ堂々と駐車した。どう見ても、障害者ではない、一般車だったし、降りてきた人たちも健常者だった。

こういうモラルに欠けた行動には、私はかなり反応する。
障害者用スペースに、健常者が停めるというのは、私に言わせれば「恥知らず」だ。

健常者には、そこに車を停める「権利がない」のである。人のものを勝手に我がもの顔で使うのは恥知らず以外の何ものでもない。
入り口から近く、駐車スペースも広く作られている障害者用の駐車スペースは、特別な理由によって特別に確保されているものだ。そこへ、子供にチェーンを外させてまでして駐車するというのは本当に心から呆れる。しかも、障害者という、自分よりも弱者の権利を平気で犯し横取りして使おうというその神経が信じ難いと思う。

この車を運転していた女性は、自分が我が子に何を教えてしまっているのか、分かっているのだろうか。弱者など踏みにじれと、教えるつもりがあってそうしているならまだ分かる。
「人に優しく、思いやりのある子になって欲しい」などと思っているならお笑い草だ。

…と、このように、私は弱者を踏みにじるような安易な行動には、それが間接的であってさえ容赦のない部分がある。

私は自分の怒りをコントロールする事を自分に課し、誓っているので、この後、静かに自分の中で瞑想を行う。事実を調べよう、と思う。本当に彼らには、障害者用の場所を使ってでも急ぐ買い物があったのかも知れない。何か、事情があったのかも知れない、と思ってみる。
おそらくは、自分のしていることが、わかっていないだけなのだろう、と祈る。
その人が、自分のしている安易な行動に気づく日が来て、弱者への慈悲心に目覚めますようにと、祈る。

人の事は誰にも解らない。
なぜその人が、そんな行動をとったのか。その人に聞くまでは解らない。
恥知らず、と憤っていた自分の気持ちは静かになる。



幼い頃、私は近所のガキ大将のお腹に噛みついて、かなりひどいけがをさせた事があるらしい。
2〜3才ころの事で、自分では覚えていない。母親に連れられてその子とその子の親に謝りに行ったのだそうだ。もちろん私の母は平謝りだ。
自分より何才も年上の男の子だった。その子が小さい子や動物を虐めていたのに腹を立てて、その子に猛然と立ち向かったのだそうだ。
「噛みついて全然離さなかったっていうからね、あんたはよっぽど腹を立てたんだろうね。よくよくの事だったんだろう」
親が言うには、その手のケンカは結構頻繁だったそうだ。

自分で覚えているのは多分5才ごろの記憶で、おたまじゃくしを見に、近所の女の子と小川へ遊びにいった時の事だ。
小学校2、3年生の男の子が、小川で捕まえたおたまじゃくしを、アスファルトの道に次々にたたきつけて、何匹も何匹も殺していた。
その残酷な光景に、身の毛がよだった。殺されて行く無力なおたまじゃくしの苦しみが全身に流れ込んできて、私は「やめてやめて!殺さないで!」と叫んだ。彼らは面白がって次々におたまじゃくしを掴んでは道に力いっぱいたたきつけた。私が止めれば止めるほど、男の子たちは面白がった。私より一つ年上の近所の女の子は乱暴な年上の男の子たちに怯えて泣き始めた。私は全身の血が逆流するかと思うほど怒って、その子たちに体当たりをして行った。近所の子は、泣きじゃくりながら逃げ帰り、私は一人で数人の小学生を相手に全力で戦った。髪を引っ張られ、顔をひっぱたかれ、突き飛ばされ、それでも私は引かなかった。私までが逃げたら、おたまじゃくしがまた殺されてしまうからだ。
彼らは私の本気の抵抗に怖れをなし、おたまじゃくしを川に捨てて、逃げ帰って行った。
私は、大声で泣きながら、傷とあざだらけでとぼとぼ家に帰った。平気で生き物を殺す、自分より身体の大きな、年上の男の子たちが、ものすごく恐ろしかった。そして殺されたおたまじゃくしが可哀想で可哀想で、たまらなかった。

この時の、血が逆流するほどの怒り、という感覚を今でもはっきり覚えている。
怒りで身体が震える、というのは本当だ。
もっともそれ以来、あれほど強い怒りは一度も感じた事がない。
私の怒りは、どこか抑圧されているのかも知れないと思う。

もし、私が今、チベットにいて、目の前で無抵抗の僧侶が拷問されレイプされ殺されたら、私は自分がどんな行動を取るか、よく解っている。あの5歳の時と同じ事をするだろう。だから私は、チベットに行かない。おそらく生きて戻らないからだ。

私は、弱者が強者に踏みにじられているのを黙認できない。
必要な処に、必要な救いが届かない事が我慢できない。

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人には、「より良い自分でありたい」とか「自分の能力を存分に開花させたい」とか「自分の力を試したい、限界を知りたい」というような向上心が備わっている。これは有機体として、より健全であろうとする働きから来ているのだと思う。

だから大抵の人が、自分の苦手を克服したいと考えるのは自然な事なのだろう。

私には、いろんな苦手がある。

計算するのが苦手。
整理整頓するのが苦手。
地道な努力が苦手。
同じ事を繰り返すのが苦手。
じっとしているのが苦手。

そういう苦手な事には、ひとつひとつ、苦手になった原因がある。
そして、その原因がわからないことには、ただやみくもに克服しようとしてもそれはうまく行かない。無駄にストイックになるだけだからだ。

私は、計算するのが苦手なのだ。
苦手意識の話ではなく、事実としてどんな風に苦手かを話すと、
まず、暗算が必要な場面で、思考が停止する。出来るはずの簡単な二桁引く一桁が思考できなくなるのだ。単純に、175円の総菜に50円引きのシールが貼ってある時、それがいくらになるかの暗算などの場面だ。こんな事、誰にだって出来るはずの事だし、私だって今ならこれが出来ないほうがおかしいと思う。

だが、こんな計算が出来なくなる瞬間というのが、私にはあるのだ。
これは、「思考を放棄する」というやり方で、計算しようとする自分を妨害しているのだ。
計算しようとする自分と、計算させまいとする自分がいる、それが事実だ。
そして、計算させまいとする自分が大抵勝利を収めるので、結果的には「私は計算が苦手だ」となるのである。

この「思考を放棄して計算を妨害する自分」がいつ生まれ、どんな理由でそれをし始めたのかを探ると、面白いエピソードが出てきた。
小学校3年生の終わり頃、昼休みに音楽室でピアノを弾いている女の子が居た。とても上手だった。その子は、私がピアノを触りたくて音楽室の入り口に立っていると、ピアノを弾く手を止めて、「おいでよ」と笑顔で言ってくれた。自分から打ち解けて友達を作るのが苦手だった私にとって、「友達になろう」と言ってくれた彼女は、本当に素敵に思えた。4年生になり彼女と同じクラスになった。彼女は、公文式の家庭学習をしていたので、計算がめっぽう早かった。小テストの時などは、クラス一番は当然として先生より早く解き終わり、しかも全問正解というのが日常の、計算機のような少女だった。

それに対して私は、漢字の読み書きや言葉の意味、雑学の知識などが同年代の子たちに対して圧倒的に抜きんでていたので「国語辞典」「百科事典」などと呼ばれていた。同世代の子たちから訊ねられて答えられない事はほとんど何もなかった。そして親友の彼女は「計算機」「コンピューター」と呼ばれ、私たちは無敵のコンビだったのだ。

私は、自分が算数に打ち込むことは、親友の得意分野を壊す事になると感じた。
分数も小数点も方程式もすべて理解していたけれど、彼女以上の得点は取りたくなかった。
それで、この頃、私は算数を捨てた。

以来、私は数字を見ると「思考が止まる」という症状を起こすようになった。
それで、彼女が転校して、離れ離れになったあとも、ずっと数学は不得意なままだ。
中学も高校も、数学はまったくからっきしである。理解できないのではなく、「理解しても答えを出そうとしない」というブラックボックスが、心の中に存在しているのである。
私の数学の悲惨な成績を哀れに思って赤点による留年から救おうと、教えてくれる数学が得意な友人たちは、みな「どうしてこんなに理解できるのに点が取れないのか」と呆れていた。


私は、自分の中にあった「友人を失いたくない」という気持ちによって「自分の思考能力を停止させる」という事を「自分でしていた」と理解できた時、とても納得した。

計算できないのではなくて、計算しまいとしているのだと分かったので、「計算してもいいよ。自分の能力を存分に使っていい」と新たな許可を自分に与えるようにした。
すると、計算を拒否していた思考が、動くようになってきた。
今でも人並みとは行かない事もあるが、以前に比べてみれば飛躍的に暗算できるようになっている。


整理整頓が苦手、という事には別のエピソードが関係している。
まず、私の育った家庭環境の中では、両親とも朝から夜遅くまで共働きだったという事情で、家の中が整理整頓されていた事がまったくない。つまり整理整頓されている状態を経験していない。
だから、整理整頓するという感覚が、平均的な人よりもずっと低いのだ。
結婚して、一時期、夫の母と暮らしたり、夫の母の家によく出入りしたりして、母の生活スタイルに近く触れる機会があった。

友達の家に行くと、キレイに片づいているのに驚くが、私は「人が来る時だけ頑張って片づけているのだろう」と思っていた。自分を基準にするとそうなる(笑)。
しかし、母の暮らしぶりをみて、いつでも整理整頓されて片づいている中で暮らしているのだという事が本当に良く分かった。つまり生まれて初めて、モデルルームのようにキレイな状態を維持しつつ、暮らす事は可能なのだ、という事実を認識したのだ。

それから、私の中に、整理整頓のスキルの「芽」が生まれた。
「家がいつも片づいているなんて、夢物語」と思っていたのが「母はそうしている、それは可能な事なのだ」に認識が変わったからだ。

それと同時に、私の中で整理整頓を妨害する勢力がある事にも痛いほど気づくようになった。

それは私の中に取り込まれた、実の母の姿だ。
私が片づけようとする時、母の声がいつもする。
「そんな程度で、やった事にはならない」
「すぐちらかすくせに」
「いつも中途半端ね」
「あなたは飽きやすい駄目な子」

この声が聞こえてくると、私はまるで紙くずになったかのようにやる気を無くす。
前向きな気持ちはぺちゃんこに潰れ、自分が無価値で無意味な存在になったように感じる。

そうなった時につぎに母の声はこう言う。
「まったく汚い部屋ね」
「掃除も満足にできないの」
「ああ、汚い。みっともない」

この声に脅迫されるように、私は片づけようと重い体を動かし手を伸ばす。

すると次は
「ああ、その程度しか出来ないの」
「そんな程度じゃやった事にならない」

私は「じゃあどうすればいいんだ!」と叫び出しそうになるほど追い込まれて、頭を抱えて自分の存在を消したいとさえ思う。

これが、私が片づけや整理整頓が全く出来なかった頃の事実、その仕組みの全容だ。
今、この仕組みは私の中から撤廃されて、今は自分の思う分、思うだけの片づけが出来るようになっている。取り込まれた母の声を捨て、自分の中のやる気を決して傷つけないようにした。

現在の私は、それでも一般平均よりずっと片づけ事が下手だけれども、苦手だとは思わない。
人並みではないので、人に迷惑をかけるとは思うけれども、それでものんびり、自分の能力は育っていると感じる。ぼちぼち小物を自分なりに整理したり、部屋を一人で模様替えして持ち物を片づけたりするのは好きだし、頭の中に母の声が響かないのでとても快適だ。
やったらやった分、自分を褒めてあげられる。


苦手だと思っている事を無くすには、その事柄ごとに、本当の原因を、自分の中から本当に良く探る必要がある。
そして、そこさえうまくいけば、全ての人は「自分自身の全体性」として調和し、とても平安な気持ちで、自分の能力を伸ばす事が出来るのだ。

それはあなたにもできる事だ。
信じていい。



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インドやバリ島のトイレを経験すると、日本のトイレがいかに清潔でいかに快適かがつくづく身にしみる。

日本では、普通の家庭のトイレのレベルが、とてもハイクオリティなのだ。
さすがは、世界一清潔好きな国民、日本人である。

私が中学生になった時、我が家のトイレが簡易洋式に変わった。
同居する足の悪い祖母の為にトイレを洋式にする必要があったのだが、父親が和式でないと用が足せないと言い張って、簡易の洋式便座をかぶせる形で洋式にしたのだった。蛇足だが父は自分がトイレに入る時にはわざわざこの簡易便座をはずして和式に戻していた。しばらく一人そういう使い方で頑張っていたようだが、さすがに面倒くさいのか徐々に洋式トイレに慣れて行った。


トイレが変わった途端、トイレに本棚が設置された。
そこに漫画や落書き用ノートが置かれた。
家族中、トイレに入って、出てくるまでの時間が長くなった。
落書きノートには家族をもじったマンガが描かれていたり、有名なマンガのパロディが連載されたりして、家族のコミュニケーションに役立っていた。

そういう環境で育ったせいかと思っていたが、私はトイレで読書するのが好きだ。
若い頃、これはかなり恥ずかしい事かと思って誰にも言えずにいたのだが、大人になって、会社の仲間とトイレの話題になった時、意外に多くの人がトイレでくつろぎの時間を楽しんでいる事が分かった。中には休日はトイレで無意味に2時間以上過ごす、という人もいた。

思うに、これはトイレが個室だからという事だけではなく、日本のトイレがあまりひどい悪臭がせず清潔だからではないだろうか。日本の家庭のトイレはだいたい床に敷物がしてあって、トイレは冷たい感じがしない。日本の新しい家屋では、トイレも居住空間という雰囲気がある。

外国ではトイレはいかにも床に水を流しても大丈夫という作りになっていて、居住性は配慮されていない。シャワー設備と一緒の空間だったりする。水を床に流せるようにしているのがかえって、衛生的ではない感じになるのだ。水をざばざば流して掃除しないときれいにならない場所、と感じさせるのだ。

トイレで本を読んだり詩を書いたりするというのは、実務的な排泄の用を済ませるという事以上の役割をトイレに担わせているという事だ。究極の個室であるトイレは、誰にとっても本当にほっとできる空間なのかもしれない。


単純に排泄の用を足す場所としてのトイレを考えると、私はバリのトイレは最高だと思っている。

バリではトイレの脇に小さなシャワーが付いている。これがお尻を洗う為に付いている専用のシャワーなのだが、日本の自動水洗便座とは違って、自分の片手で好きなようにお尻に当てて、もう一方の手でお尻を洗うのだ。正式には右手でシャワーを持ち、左手で洗う。だからシャワーもたいていが、右側の側面に添えつけてある。
これが、慣れてしまうと自動のお尻洗い便座よりも遥かに気持ちが良い。

日本人は股間に手を触れる事にやたら抵抗感があるのだけれど、私なら個室の中での事なのだから、是非自分でしっかり洗いたいと思う。それに自分の体、それも重要なデリケートゾーンを清潔にするために自分の手以上の道具があるだろうか。
小型のシャワーを使うので、お尻をきれいにしたら自分の手もひとまず流して、キレイに出来る。
そのあと、洗面台でしっかり手洗いをすれば何の問題もない。

日本の自動お尻洗い便座は、ヨーロッパ式のビデから発想されたものだと思うが、ビデならば数百年前から貴婦人でも自分の手を使って洗うのが本当の使い方なのだから、やはり日本でも手を使って洗うのは間違っていないと思う。

トイレのショールームで、自動お尻洗い便座の正しい使い方を訊ねると、「自動で洗うという仕組みですから、お尻に水が当たるだけでいいのです」という。「自分でお尻を動かして、水の当たる部分を調整されても良いです」とも言う。トイレに座ってお尻を動かしている姿もなんだか滑稽極まるが、それより水が当たるだけでキレイになったとはあまり思えないのは私だけだろうか。メーカーなら責任を持って、本当は手で洗ってくださいというべき処だと思うが、日本でそれが受け入れられないと考えて、機械任せにしていいと言っているのではないだろうか。

日本人は世界で一番甘ったれで幼稚な国民だと思うけれど、それはメーカーの「なんでもお任せください」という姿勢によって育てられている側面もあるように思う。何でも機械任せ、人任せに慣れてしまうと、自分で出来る事まで出来なくなってしまう。面倒だと感じるようになってしまう。
ある意味、恐ろしい事だと思う。

さて、それはさておき。
トイレでのくつろぎは、なにものにも変え難いと思う今日この頃。
ただし家のトイレだからと油断して鍵をかけないと、娘には何の遠慮もなく開けられてしまう。
娘が小さかった頃、私がトイレに入ると泣いてしまったので鍵をかけないでいた習慣の名残だ。

ガチャ
「ママー、あのねー」
「……トイレのドアは開けちゃだめって言ってるでしょ」
「だってかぎかかってなかったもん」
「……今からうんこするわよ。臭いわよ」
「ギャーヤダー!!」
バタン

こういういつものやり取りになるので、そろそろ鍵をかけるようにしようと思う。
しかし下品だな(笑)

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動物はプレッシャーを感じない。
自分で自分を追い込んだりしない。
人間だけが、自分で自分に圧力をかけ、自分に今の等身以上のものを課し、自滅する。

動物は自殺しない。
自分で自分の首をしめたりしない。
人間だけが、自分で自分を傷つけ、追い込み、最後には殺してしまう。


この事から分かるのは、追い込まれて苦悩する時、その人は実に「人間」らしいという事だ。

悩んでもいいんだよ。
それはあなたがより良い自分を知っているからだ。
そこへ向かおうとしているからだ。
自分の成長を焦り、時間が一定の速度で進む以上に急ごうとするのは、
あなたが未来を見ているからだ。


まず悩んでいる自分を許してあげよう。
「本当に、一生懸命なんだね」と優しく肩を抱いてあげよう。
「本当に立派だ」と充分な敬意を払おう。

そして、悩んで辛そうな自分に、大きく深呼吸して新鮮な空気を届けてあげよう。
緑たちが作ってくれた、酸素と愛で一杯の空気を、胸一杯に届けてあげよう。

大丈夫。
あなたは地球に愛されている。
あなたは地球に許されている。
今のままのあなたで大丈夫。

思ったように出来なくてもいい。
周囲の期待に応えられなくてもいい。
それがあなたなんだから。
大丈夫。
そんなあなたを愛している人がいる。
そんなあなたを許す人がいる。

大気の中に散らばっている、きらきらした細かな結晶のような愛を、呼吸して体の中に集めよう。
その愛は全ての生き物が無償で受け取っていいもの。

そうして愛を受け取っている時、あなたはやっと未来から 今いる場所へ戻ってくるだろう。
それでいいよ。


さあ、等身大の自分で、体の中に受け取った愛の瞳から、今、目の前にあるものだけを見よう。
それは、あなたにも必ず出来ること。

人間らしいあなただから出来ること。

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父が夢に出てきた。

どこかの、海の見える岬に立つ、老人介護施設の庭で、父と一緒にいる夢だった。
日差しが暖かく、沖縄の石垣島の記憶とつながっている場所だった。

父は穏やかで、今より少し若い、40代の父だった。
体も健康で、引き締まった体つきで、よく働いていた時代の父がそこに穏やかに暮らしていた。
私は今と同じ私で、父と同じくらいの年齢だった。
そこに暮らしているのか、日常の何気ない会話をその日だまりの庭で話していた。

真っ赤なハイビスカスが咲いていた。
波が崖にぶつかって砕ける音が聞こえていた。
常に私の大好きな海風が吹いていた。

目が覚めて、私は父と対等に話したい事があると気づいた。
穏やかな父なら、その心に届く話が出来るような気がした。


現実の父は、夢の中の父の年齢より20才以上年を取っている。
そしてその20数年を、自分を痛めつけるようにお酒を飲んで過ごした。
私は、父の心に長年、孤独という毒が溜まっている事を知っている。
それを酒でごまかしている事も。

父は、本当はとても穏やかで優しく、むしろ気の小さな人間なのに、
幼い頃から与えられた教育は彼に「男らしさ」を激しく求める。
それが父の人格をゆがめているのを私は知っている。

作られた男らしさや父親らしさなど、父の生来の優しさに比べたら、何程の価値があろうか。
私は父の本当の純粋な優しさを知っている。

酒を飲んだ父の、人格が壊れた様を見るのは辛い。
その優しさが壊れるのを見るのは本当に悲しい。


父の本当の心に、愛している事を伝えたい。
父が、無条件に愛される価値のある人間である事を、彼が生きている間に、知らせたい。

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新しいお財布を探している。

なかなかこれ、というものに出会えない。
今使っている財布は、2年前に買ったものだけれど、これを買った当時には本当にお米を買うにも勇気がいるほどの極貧状態だった。その中で数千円の財布を買うというのは、実に無駄遣いだと言われそうだ。今どき、100円ショップでも財布は売っているのだから、その40倍の値段の財布というのは、確かに贅沢品だったに違いない。
しかし、実際には、この財布というアイテムへの投資は本当に極貧を救ってくれた。

「お気に入り」はその存在そのものが、気分を良くしてくれる。
極貧の中、このお財布は私の日々のお金の管理を楽しいものにしてくれた。
いくつかの仕切りに分かれていて、私はそれぞれの仕切りを「第一財布」「第二財布」「第三財布」と名付けていた。第一財布には食費光熱費などの生活必需品の出費用のお金が入っている。第二財布は、ささやかなレジャー、娘とちょっと寄り道をしておやつを買う時などのココロの潤いに使うお金が入っている。第三財布は緊急用でまず普段は手を付けないお金が入っている。
一つの財布の中に、3つの財布が入っているような状態で、それぞれ使い道を明確に分ける事で、貧しくとも貧しいなりに楽しく生活する事が出来た。
身分よりも高い財布を持つ、という事は、財布を大切に扱う事につながった。そしてその中には当時の生活のすべてを支えるわずかなわずかな全財産がしまわれていて、そのお金を大切に心を込めて管理する事につながった。

夫は、食品の買い物の時に私が「それは買っても使わないで腐らせるよ」「それよりこっちが安いから」と厳しく金額を管理しているのに、突然「ここでご飯食べて帰ろう」と外食する事に矛盾を感じていたようだが、それは財布が別だからこそ出来る事だった。気持ちまで貧しさに負けてしまうと、わずか300円のたこやきが買えなくなる。100円のお茶一本が買えなくなる。そしてますます貧しさに追い込まれた気分になって不幸になってしまう。
どんなに貧乏でも、楽しくいること。自由を手にする事。それが私の信条で、この財布はそのことにとても役立ってくれたのだった。

古くなったので、そろそろ「お気に入り」の代替りの頃だ。
それでこのところ、新しい財布を探している。

私は、ブランドにはまったく興味がない。
質の良いものや、機能が高いものにはおおいに興味がある。
たまたま質が良く、機能が高いものがブランド物だった、という事はあるが、積極的に「このブランドが好き」と思って買う事はまったくない。
ブランドものの財布も、もしかして高機能かもと思って見てみるが、機能はさほどでもない。私の機能に対する要求が高すぎて、こだわりすぎなのだと思うが、それでも妥協せず探す。

そうやって手にしたものは、私の相棒になって、私の幸せ作りを手伝ってくれるからだ。

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