2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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今日は、仕事納め。
ええ、もう?という世間様の声が聞こえてきそうだが、これには我が家なりの事情がある。12月には、娘の誕生日という我が家の最大のイベントが控えているのである。
日頃ろくに休まず仕事している代りに 子どもと長期休暇を過ごせるように GWと夏と年末年始はまとめて休む事を決めている。
自分の休みを自分で決めることができる、自由業の特権はそれくらいだ。
自分の人生を自分の意志でデザインできなければ生きている意味が半減してしまう。どんなに貧乏でも我慢出来るけど、子どもと一緒に過ごす時間も持てない人生なんて 絶対に我慢出来ない。
年内の仕事が終わったので、ようやく室内を娘の誕生日&クリスマス仕様に飾り付ける。
今年の誕生日は、生まれて初めて、娘の学校のお友達を招待してのささやかなパーティを催すことになった。娘の友人達が集まり、娘と思い出のひとときを過ごしてくれる。娘にとって最高の一日になる事を願って、お友達を楽しくもてなしてあげたい。
私の親は、家に客が来ることを嫌っていた。だから私の子ども時代は普段でも誕生日のような特別な日でも、友人を家に誘うことはなかなか出来なかった。親はいつも働いていたし、家が子どものたまり場になって責任問題になる事を恐れていたのかも知れない。
でもその影響で私は友人と親しく付き合う機会を失ったと言えるだろう。
華やかなモールで天井を飾り付けると娘はすっかり感激している。
友人に歓迎の気持ちを伝える為にひとりづつお菓子袋を用意する。袋にいろんなお菓子を詰め合わせていく作業を娘にしてもらう。娘は上機嫌で「はやく誕生日にならないかなあ〜」とウキウキ気分を楽しんでいる。娘がこうして楽しげな姿を見せてくれる事が、私の悲惨な子ども時代を癒してくれている。夫の家はもっと変わっていて、家族の誕生日を祝ったことが一度もなかったそうだ。
だから我が家では子どもを中心にしたイベントは、大げさではなく人生上、とても重要な事と認識されている。
誕生日が過ぎればすぐにサンタクロースをお出迎えする用意に取りかかる。
我が家ではこうして毎年、12月の後半は大忙しで、仕事なんてしている場合ではなかったりするのだ。
子どもをダシにして親が幸福になっているのだけれど、ダシにされている本人も楽しければ問題ない…かな?
ええ、もう?という世間様の声が聞こえてきそうだが、これには我が家なりの事情がある。12月には、娘の誕生日という我が家の最大のイベントが控えているのである。
日頃ろくに休まず仕事している代りに 子どもと長期休暇を過ごせるように GWと夏と年末年始はまとめて休む事を決めている。
自分の休みを自分で決めることができる、自由業の特権はそれくらいだ。
自分の人生を自分の意志でデザインできなければ生きている意味が半減してしまう。どんなに貧乏でも我慢出来るけど、子どもと一緒に過ごす時間も持てない人生なんて 絶対に我慢出来ない。
年内の仕事が終わったので、ようやく室内を娘の誕生日&クリスマス仕様に飾り付ける。
今年の誕生日は、生まれて初めて、娘の学校のお友達を招待してのささやかなパーティを催すことになった。娘の友人達が集まり、娘と思い出のひとときを過ごしてくれる。娘にとって最高の一日になる事を願って、お友達を楽しくもてなしてあげたい。
私の親は、家に客が来ることを嫌っていた。だから私の子ども時代は普段でも誕生日のような特別な日でも、友人を家に誘うことはなかなか出来なかった。親はいつも働いていたし、家が子どものたまり場になって責任問題になる事を恐れていたのかも知れない。
でもその影響で私は友人と親しく付き合う機会を失ったと言えるだろう。
華やかなモールで天井を飾り付けると娘はすっかり感激している。
友人に歓迎の気持ちを伝える為にひとりづつお菓子袋を用意する。袋にいろんなお菓子を詰め合わせていく作業を娘にしてもらう。娘は上機嫌で「はやく誕生日にならないかなあ〜」とウキウキ気分を楽しんでいる。娘がこうして楽しげな姿を見せてくれる事が、私の悲惨な子ども時代を癒してくれている。夫の家はもっと変わっていて、家族の誕生日を祝ったことが一度もなかったそうだ。
だから我が家では子どもを中心にしたイベントは、大げさではなく人生上、とても重要な事と認識されている。
誕生日が過ぎればすぐにサンタクロースをお出迎えする用意に取りかかる。
我が家ではこうして毎年、12月の後半は大忙しで、仕事なんてしている場合ではなかったりするのだ。
子どもをダシにして親が幸福になっているのだけれど、ダシにされている本人も楽しければ問題ない…かな?
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人生の節目その2。
夫の障害の原因が、明らかになる予感。
夫が、昨日のニュース記事を閲覧していて「これ、ちょっと
読んで!」と私の部屋に飛び込んできた。珍しく少し興奮し
ているのでなにごとかと、やっていた事を中断して早速目を
通す。
MTBI(軽度性脳損傷)患者 国内で162人確認。
WHOが2004年に基準を定めた新しい病名、MTBIは、すで
に世界では救済が必要な病気として認定され対応が進んでい
る。交通事故や高所からの転落、落下物が頭に当たるなどし
て脳に損傷を受けた場合には、外傷性脳損傷(TBI)として
患者認定される。アメリカではTBI法というTBI患者を救済
・支援するための法律があり、03年一年に150万人がTBI
と診断される。そのうちの75%が、軽度性脳損傷(MTBI)
とされている。
一方、国内ではTBI患者は推定約30万人。その内MTBI患者
が何人居るのか、調査がなされていなかったし、救済も支援
もまだない。その事に気付き着手してくれた茨城の湖南病院
の石橋徹医師が、20都道府県で162人のMTBI患者を確認し
たのである。
さて、前置きが長くなったが、夫は2才の時に、2階から地
面に転落し、頭を強打するという事故に遭っている。脊髄液
に出血が混じって赤く染まっていたほど、脳に強い衝撃を受
け何らかの損傷があった事は明らかだ。
そして、彼の記憶障害、嗅覚や聴覚の障害の数々はMTBI患
者の症状とぴたりと一致する。
彼はついに、自分の障害の真の病名に行き着いたと感じたよ
うだ。まだMTBI患者の救済は、日本では始まっていない。
しかし、彼は明らかに人生のほぼすべてを、自らの症状故に
苦労し苦しみ続けてきた。救済を受けて当然の弱者である。
早めに診断を受け、病名を確定しておくべきだと思う。
記憶や意欲、注意力が低下する高次脳機能障害と嗅覚、聴覚
の身体的障害、明晰な思考力がありながら文章を読むことに
困難を伴う難読症(ディスレクシア)、学習障害(LD)のす
べてが、この軽度性脳損傷(MTBI)という一つの病名で説明
がついてしまった。
彼が昂ぶるのも無理はないだろう。
彼が事故に遭った当時、治療に当たった病院に、40年前の
カルテが残されているかどうか照会している。カルテは永久
保存義務がないので破棄されている可能性も高いが、問い合
わせるだけでもやってみなくては。
夫の障害の原因が、明らかになる予感。
夫が、昨日のニュース記事を閲覧していて「これ、ちょっと
読んで!」と私の部屋に飛び込んできた。珍しく少し興奮し
ているのでなにごとかと、やっていた事を中断して早速目を
通す。
MTBI(軽度性脳損傷)患者 国内で162人確認。
WHOが2004年に基準を定めた新しい病名、MTBIは、すで
に世界では救済が必要な病気として認定され対応が進んでい
る。交通事故や高所からの転落、落下物が頭に当たるなどし
て脳に損傷を受けた場合には、外傷性脳損傷(TBI)として
患者認定される。アメリカではTBI法というTBI患者を救済
・支援するための法律があり、03年一年に150万人がTBI
と診断される。そのうちの75%が、軽度性脳損傷(MTBI)
とされている。
一方、国内ではTBI患者は推定約30万人。その内MTBI患者
が何人居るのか、調査がなされていなかったし、救済も支援
もまだない。その事に気付き着手してくれた茨城の湖南病院
の石橋徹医師が、20都道府県で162人のMTBI患者を確認し
たのである。
さて、前置きが長くなったが、夫は2才の時に、2階から地
面に転落し、頭を強打するという事故に遭っている。脊髄液
に出血が混じって赤く染まっていたほど、脳に強い衝撃を受
け何らかの損傷があった事は明らかだ。
そして、彼の記憶障害、嗅覚や聴覚の障害の数々はMTBI患
者の症状とぴたりと一致する。
彼はついに、自分の障害の真の病名に行き着いたと感じたよ
うだ。まだMTBI患者の救済は、日本では始まっていない。
しかし、彼は明らかに人生のほぼすべてを、自らの症状故に
苦労し苦しみ続けてきた。救済を受けて当然の弱者である。
早めに診断を受け、病名を確定しておくべきだと思う。
記憶や意欲、注意力が低下する高次脳機能障害と嗅覚、聴覚
の身体的障害、明晰な思考力がありながら文章を読むことに
困難を伴う難読症(ディスレクシア)、学習障害(LD)のす
べてが、この軽度性脳損傷(MTBI)という一つの病名で説明
がついてしまった。
彼が昂ぶるのも無理はないだろう。
彼が事故に遭った当時、治療に当たった病院に、40年前の
カルテが残されているかどうか照会している。カルテは永久
保存義務がないので破棄されている可能性も高いが、問い合
わせるだけでもやってみなくては。
記事にコメントを下さっている方、いつもありがとう
ございます。
おそらくこのサイトの機能変更ではないかと思うので
すが、この1年ほどコメントを下さった分が表示され
ず、私にもコメントが来ていたことが分からない状態
でした。今日、深い階層のメンテナンスをしていて発
覚しました。
コメントが表示反映されない場合は、その状態になっ
ていると思いますので、もしお気づきでしたらメール
でお知らせ下さい。
inuzamurai2007¥yahoo.co.jp(¥を@に変えて下さいね)
です。
いつも皆さんの深い愛や、応援のお言葉ありがとうご
ざいます。私に感謝の言葉を下さる方、どうぞそのお
気持ちをご自分に向けて、「今日まで頑張った自分、
ありがとう。感謝する心を持つ自分でよかった。私は
喜ばしい存在だ」と思って下さいね。
私が講演や講座で講師を務められるのはすべてみなさ
んのお陰です。私はそのご恩返しでいっしょうけんめ
い務める事ができるのです。
私はいつも、みなさんの力の循環で生きています。
私からみなさんに流れる「何か良いもの」は私がみな
さんから与えられている良いものを循環の輪にのせて
いるに過ぎません。
誰もが、この循環の輪の一つなのです。
自分の使命を果たす時、この循環がもっとも美しい結
果を導き出します。
砂漠の砂の上に美しい風紋が描かれるように。
山の木々が山全体を美しく形作り彩るように。
水が海に向かって注ぎ天から帰ってくるように。
私はその輪のひとつ。
みなさんもその輪のひとつ。
誰もがかけがえのない大切な循環の中の存在です。
みなさんの為にこのブログを書いているのではなく自
分の中を常に明確に見つめるために書いています。
だから時には自分本位になってしまう記事もあります。
忍耐強く、このブログを見守って下さる事にも、感謝
します。
ひとりぼっちではないことは素晴らしいことですね。
過去の私の行ないをごめんなさい。
許して下さい。
皆さんの愛をありがとう。
地球の全ての生きとし生けるものを愛しています。
ございます。
おそらくこのサイトの機能変更ではないかと思うので
すが、この1年ほどコメントを下さった分が表示され
ず、私にもコメントが来ていたことが分からない状態
でした。今日、深い階層のメンテナンスをしていて発
覚しました。
コメントが表示反映されない場合は、その状態になっ
ていると思いますので、もしお気づきでしたらメール
でお知らせ下さい。
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です。
いつも皆さんの深い愛や、応援のお言葉ありがとうご
ざいます。私に感謝の言葉を下さる方、どうぞそのお
気持ちをご自分に向けて、「今日まで頑張った自分、
ありがとう。感謝する心を持つ自分でよかった。私は
喜ばしい存在だ」と思って下さいね。
私が講演や講座で講師を務められるのはすべてみなさ
んのお陰です。私はそのご恩返しでいっしょうけんめ
い務める事ができるのです。
私はいつも、みなさんの力の循環で生きています。
私からみなさんに流れる「何か良いもの」は私がみな
さんから与えられている良いものを循環の輪にのせて
いるに過ぎません。
誰もが、この循環の輪の一つなのです。
自分の使命を果たす時、この循環がもっとも美しい結
果を導き出します。
砂漠の砂の上に美しい風紋が描かれるように。
山の木々が山全体を美しく形作り彩るように。
水が海に向かって注ぎ天から帰ってくるように。
私はその輪のひとつ。
みなさんもその輪のひとつ。
誰もがかけがえのない大切な循環の中の存在です。
みなさんの為にこのブログを書いているのではなく自
分の中を常に明確に見つめるために書いています。
だから時には自分本位になってしまう記事もあります。
忍耐強く、このブログを見守って下さる事にも、感謝
します。
ひとりぼっちではないことは素晴らしいことですね。
過去の私の行ないをごめんなさい。
許して下さい。
皆さんの愛をありがとう。
地球の全ての生きとし生けるものを愛しています。
人生の節目。
これまでも時々は 節目なのかなと感じる時があったけれど
今回ほどそれを明確に自覚出来ている感じがする事はなかった。
この数年、ゼロクリアが繰り返されて自分の人生を精練する
必要に迫られては乗り越えてきたけれど、その集大成が今だ。
おそらくこのあとは 私の人生に新しい時代がやってくる。
引越をする事になりそう。
事務所は小さなワンルームくらいにして、自宅は田舎へ移そ
うと思う。
ずっと焦がれていた土の上の暮らし。ビルの上ではなく、地
面の上で暮らそうと思う。都会には事務所だけを残して、小
さくても庭付きの古い戸建てに移ろう。
振り返ればこの二年、土のある暮らしに渇望感が常にあった。
だから丁度その時期からベランダ菜園を始めている。いつか
土のあるどこかに降りたい、と思い続けて来た。
人生は自分の心の中にあるイメージ通りになる、という法則
は本当だと私は思う。幸せになりたいと思っていても自分の
中にある自分のイメージが「でも結局は不幸になって泣いて
いる私」だったら、結末はいつもそんな風になる。10年前
の私はそういう不幸のダンスを踊っていた。
つまり自分の人生を変えたかったら今この瞬間を変える努力
をする事だ。幸せになりたければ今この瞬間にある幸せを絶
対に逃さないこと。そうすれば間違いなく幸せな結末に向か
ってどんどん転がって行く。
私が大手門の事務所を縮小し、住まいを田舎に移す事は、実
現したい人生図への一歩であり間違いない幸せへ向かう道だ。
目が覚めるたび ビルの中の中空であると感じては違和感が
張り付く。私はいつも地面に降りたくてたまらない。土の上
にくっついていたい。
イメージするのは小さな平屋の、質素な古い家。小さな庭が
あればそれでいい。土の上で暮らす事が、自分には本当に自
然な事、そして必要な事なのだ。
ただ問題なのは娘のこと。
通学距離がかるく数倍を超えることになるだろう。通学時間
が延びるという事は彼女の毎日に負担をかける。そして自宅
と事務所が別であるという事は、彼女が鍵っ子として寂しく
過ごす日が増えるという事を意味する。
その埋め合わせをどうやってするのか、プランをよく考えな
ければならない。
彼女が環境の変化に黙って適応しようとしているからと言っ
て、子どもはたくましいだなんてあぐらをかかないように。
これまでも時々は 節目なのかなと感じる時があったけれど
今回ほどそれを明確に自覚出来ている感じがする事はなかった。
この数年、ゼロクリアが繰り返されて自分の人生を精練する
必要に迫られては乗り越えてきたけれど、その集大成が今だ。
おそらくこのあとは 私の人生に新しい時代がやってくる。
引越をする事になりそう。
事務所は小さなワンルームくらいにして、自宅は田舎へ移そ
うと思う。
ずっと焦がれていた土の上の暮らし。ビルの上ではなく、地
面の上で暮らそうと思う。都会には事務所だけを残して、小
さくても庭付きの古い戸建てに移ろう。
振り返ればこの二年、土のある暮らしに渇望感が常にあった。
だから丁度その時期からベランダ菜園を始めている。いつか
土のあるどこかに降りたい、と思い続けて来た。
人生は自分の心の中にあるイメージ通りになる、という法則
は本当だと私は思う。幸せになりたいと思っていても自分の
中にある自分のイメージが「でも結局は不幸になって泣いて
いる私」だったら、結末はいつもそんな風になる。10年前
の私はそういう不幸のダンスを踊っていた。
つまり自分の人生を変えたかったら今この瞬間を変える努力
をする事だ。幸せになりたければ今この瞬間にある幸せを絶
対に逃さないこと。そうすれば間違いなく幸せな結末に向か
ってどんどん転がって行く。
私が大手門の事務所を縮小し、住まいを田舎に移す事は、実
現したい人生図への一歩であり間違いない幸せへ向かう道だ。
目が覚めるたび ビルの中の中空であると感じては違和感が
張り付く。私はいつも地面に降りたくてたまらない。土の上
にくっついていたい。
イメージするのは小さな平屋の、質素な古い家。小さな庭が
あればそれでいい。土の上で暮らす事が、自分には本当に自
然な事、そして必要な事なのだ。
ただ問題なのは娘のこと。
通学距離がかるく数倍を超えることになるだろう。通学時間
が延びるという事は彼女の毎日に負担をかける。そして自宅
と事務所が別であるという事は、彼女が鍵っ子として寂しく
過ごす日が増えるという事を意味する。
その埋め合わせをどうやってするのか、プランをよく考えな
ければならない。
彼女が環境の変化に黙って適応しようとしているからと言っ
て、子どもはたくましいだなんてあぐらをかかないように。
娘が高熱を出し、すわインフルエンザかと構えたが、単なる扁桃腺炎だった。
熱が高くても気分は悪くないらしく結構元気にしている。
もちろん食欲がなかったり、ため息をついている様子からだるそうではあるけれど、ぐったりしている感じではなくあまり心配いらないようだ。
熱も7度台になったり、そうかと思えば9度台になったり、一日のうちに変動している。
こんな時は食べられるものなら何でもいいから食べて、水分とって、寝るに限る。
同じく私も冬の冷たい空気で気管支がまずい事になっている。
毎年冬にはやってしまう、咳喘息のスタートだ。
夜中ずっと咳をしているものだから、胸筋が痛んで炎症を起こす。
そうなると一度の咳で激痛になるので、大変だ。
まだそこまで酷くなっていないので、何とか早めに回復させたい処だが。
こんな時に限っていつも講義の仕事がある。
受講者に、申し訳ないなあと思う。
明日は、熱がある娘をお留守番させて講義に出ねばならない。
可哀相でしかたないけれど、家族一丸となって、生き延びていかないと。
これが人生だ。
久しぶりにベランダの植物をきちんと手入れした。
枯れたトマト、キュウリ、夏の名残たちを抜いて片づけ、常緑の植物の土を替えて植え替えてあげた。ベランダをきれいにすると気持ちがさっぱりと落ち着いた。
冬。
動物は穴ごもり。
我が家も穴ごもり。
春をまって耐え忍ぶ季節。
熱が高くても気分は悪くないらしく結構元気にしている。
もちろん食欲がなかったり、ため息をついている様子からだるそうではあるけれど、ぐったりしている感じではなくあまり心配いらないようだ。
熱も7度台になったり、そうかと思えば9度台になったり、一日のうちに変動している。
こんな時は食べられるものなら何でもいいから食べて、水分とって、寝るに限る。
同じく私も冬の冷たい空気で気管支がまずい事になっている。
毎年冬にはやってしまう、咳喘息のスタートだ。
夜中ずっと咳をしているものだから、胸筋が痛んで炎症を起こす。
そうなると一度の咳で激痛になるので、大変だ。
まだそこまで酷くなっていないので、何とか早めに回復させたい処だが。
こんな時に限っていつも講義の仕事がある。
受講者に、申し訳ないなあと思う。
明日は、熱がある娘をお留守番させて講義に出ねばならない。
可哀相でしかたないけれど、家族一丸となって、生き延びていかないと。
これが人生だ。
久しぶりにベランダの植物をきちんと手入れした。
枯れたトマト、キュウリ、夏の名残たちを抜いて片づけ、常緑の植物の土を替えて植え替えてあげた。ベランダをきれいにすると気持ちがさっぱりと落ち着いた。
冬。
動物は穴ごもり。
我が家も穴ごもり。
春をまって耐え忍ぶ季節。
チベット僧のバリー博士と一緒に、長崎へ旅行させてもらった。
わずかな時間を使って、バリー博士は長崎をどうしても訪れたいと言った。
私はそれに同行させていただく光栄に預かった。
道中の電車の中で、仏教の「空」という概念についていくつか質問をした。
例えば数学者が難しい数式を解こうとし、それに没頭し、集中する時にも、「空」の体験が起きるとバリー博士は説明した。
自分自身の事も、どこにいるのかも、何をしているのかも忘れ、数式を解くことに集中しきった時、彼は「数式そのもの」または「数式解読そのもの」になる。それが一種の、「空(くう)」という状態であると。
私は似たような状態にしばしば陥る。
スタバで深い集中状態になる時。
ワークルームで瞑想をする時。
自分自身は消えてしまう。
どこにいるかも忘れてしまう。
何をしているという目的感も失われ
ただただ、今その瞬間の「そのもの」になる経験。
時にそれは「海」そのもの。
時にそれは「星」そのもの。
時にそれは「岩」そのもの。
時にそれは「絶望」そのもの。
それが空(くう)という状態の経験の一部だという。
では、その、数式を解いていた科学者の脳の中では、いったい何が起きているのか。
私の疑問はそこだった。
「ふむ…興味深い質問だね」とバリーさんはあごに手を添えて、少し考えてから答えた。
まず第一に、瞑想を10年以上訓練して、空の状態に自分の意志で入ることが出来る修行僧の頭に脳波計を取り付け、その状態の脳波をモニターした結果について。
脳波は、通常α(アルファ)波、β(ベータ)波、θ(シータ)波が測定されるが、その状態で観察される特殊な波形をγ(ガンマ)波という。
結果その1は、深い瞑想の際には、通常の脳波とは著しく異なる激しいγ波の波形が、観察される事。
結果その2は、そのγ波が脳の全域において同時に発生する事。
脳科学者、神経科学者らがその現象に驚愕するという。
普通、脳は全域が同時に激しく活動したりはしない。
深い瞑想の状態は脳波も静かになるかと思いきや、その逆で激しい活動状態になっている。しかもそこに活動を制御する主役、指揮者は居ない。全ての部位は互いに勝手に活躍しつつ、しかもそれでいてハーモニーが保たれている。指揮者のいないオーケストラのような状態だという。
その時、瞑想者は 非常に幸福な経験をしているという。
言葉にし難い、至福の経験。
完全であり、満たされており、全能である経験。
そして実際に、この状態に自分の意志で入ることが出来る人は、超能力を発揮することが少なくない。(遠くのものが見える、聞こえる、感じられる、未来、過去を知ることが出来る、他者の思考や記憶を読み取れる、など。)
脳科学者も、神経科学者も、その状態の意味がまったくわからないのだそうだ。
依然として、謎の多い脳の働きだが、この特殊な瞑想状態の脳は、明らかに修業によって誰にでも起きるようになるというから、非常に興味をもたれて研究されている分野だそうだ。
人間の可能性。
瞑想を続けることは、その可能性を無限に広げる事にまっすぐ通じているのかも知れない。
わずかな時間を使って、バリー博士は長崎をどうしても訪れたいと言った。
私はそれに同行させていただく光栄に預かった。
道中の電車の中で、仏教の「空」という概念についていくつか質問をした。
例えば数学者が難しい数式を解こうとし、それに没頭し、集中する時にも、「空」の体験が起きるとバリー博士は説明した。
自分自身の事も、どこにいるのかも、何をしているのかも忘れ、数式を解くことに集中しきった時、彼は「数式そのもの」または「数式解読そのもの」になる。それが一種の、「空(くう)」という状態であると。
私は似たような状態にしばしば陥る。
スタバで深い集中状態になる時。
ワークルームで瞑想をする時。
自分自身は消えてしまう。
どこにいるかも忘れてしまう。
何をしているという目的感も失われ
ただただ、今その瞬間の「そのもの」になる経験。
時にそれは「海」そのもの。
時にそれは「星」そのもの。
時にそれは「岩」そのもの。
時にそれは「絶望」そのもの。
それが空(くう)という状態の経験の一部だという。
では、その、数式を解いていた科学者の脳の中では、いったい何が起きているのか。
私の疑問はそこだった。
「ふむ…興味深い質問だね」とバリーさんはあごに手を添えて、少し考えてから答えた。
まず第一に、瞑想を10年以上訓練して、空の状態に自分の意志で入ることが出来る修行僧の頭に脳波計を取り付け、その状態の脳波をモニターした結果について。
脳波は、通常α(アルファ)波、β(ベータ)波、θ(シータ)波が測定されるが、その状態で観察される特殊な波形をγ(ガンマ)波という。
結果その1は、深い瞑想の際には、通常の脳波とは著しく異なる激しいγ波の波形が、観察される事。
結果その2は、そのγ波が脳の全域において同時に発生する事。
脳科学者、神経科学者らがその現象に驚愕するという。
普通、脳は全域が同時に激しく活動したりはしない。
深い瞑想の状態は脳波も静かになるかと思いきや、その逆で激しい活動状態になっている。しかもそこに活動を制御する主役、指揮者は居ない。全ての部位は互いに勝手に活躍しつつ、しかもそれでいてハーモニーが保たれている。指揮者のいないオーケストラのような状態だという。
その時、瞑想者は 非常に幸福な経験をしているという。
言葉にし難い、至福の経験。
完全であり、満たされており、全能である経験。
そして実際に、この状態に自分の意志で入ることが出来る人は、超能力を発揮することが少なくない。(遠くのものが見える、聞こえる、感じられる、未来、過去を知ることが出来る、他者の思考や記憶を読み取れる、など。)
脳科学者も、神経科学者も、その状態の意味がまったくわからないのだそうだ。
依然として、謎の多い脳の働きだが、この特殊な瞑想状態の脳は、明らかに修業によって誰にでも起きるようになるというから、非常に興味をもたれて研究されている分野だそうだ。
人間の可能性。
瞑想を続けることは、その可能性を無限に広げる事にまっすぐ通じているのかも知れない。
マイケルジャクソンの「That's it」が公開期間延長決定となった。
全世界のマイケルファンが観ているのは当然だとしても、これま
でマイケルに興味の無かった人や、50代、60代、それ以上の
人たちが観にきているのだそうだ。
あれだけのスーパースターがコンサート直前に死んでしまったの
だから、その話題性から注目されても当然だろう。
けれどもし、まだ観ていないなら、是非観て欲しい。
最初から最後まで、私の頬に涙がつたわないシーンはなかった。
マイケルが、どんなに一生懸命に生きていたのかが、本当に伝わ
ってくる。彼が生きている間、マスコミは容赦なく彼を追いかけ
まわし、整形を繰り返し、奇行に走るといって、バッシングした。
死んでしまってから、マスコミのバッシングは手のひらを返した
ように、彼の偉業を讚える内容にすり替わっている。マスコミは
本当に厚顔無恥の恥知らずだ。
今回のフィルム「That's it」は、最後のコンサートのリハーサル
風景を、マイケルの個人的な記録として撮影していたものから編
集した映像だ。リハーサルなので当然マイケルは「合わせ」程度
に、力を抜いて歌い踊っている。つまり、「流している」状態で
あって全力ではない。
それでも尚、世界中から選りすぐられたトップダンサー群の中に
燦然と光り輝く彼のものすごさが分かる。
衣装も着ていない。彼はルーズな私服で、ダンサーたちのダンス
に合わせているだけなのに圧倒的存在感に胸が押しつぶされそう
になる。あれで「合わせ」なのか。あれで。
彼は本当に、もはや誰も到達することの出来ない領域にあった
人類最高のエンターテイナーだった。
その能力の高さ故に、彼の個人としての人生は完全に壊れていた。
彼は5才の頃から、アイドルとして絶大な人気を誇った。けれど
もその代償は、彼が独りぼっちで背負うには大き過ぎた。
彼自身、語っている。
「僕には完全に子ども時代がなかった。クリスマスも、バースデ
ーパーティも、子供たちが普通にもつべき楽しみのすべては僕か
ら奪い去られていた。代りに与えられたのはハードワークと、苦
しみだった」
彼はとても優しい人だった。
見れば分かる。彼は孤独な人だった。
愛したがっていた。愛されたがっていた。
「僕はみんなとおんなじだよ。簡単に傷つくし、バツの悪い思い
もするんだ」
ファンはそんなマイケルを知っていた。
シャイで、子供っぽい、純粋なマイケル。
いつも傷ついて、泣いていたマイケル。
その彼が、ステージでは圧倒的な絶対神になる。
激しい痛みを抱えた彼が、世界を、地球を、子供たちを救おうと
歌う。全力で踊り、笑顔で、美しい歌声で愛を発信し続ける。
だからこそファンはマイケルが好きだったのだ。
あのプライベートフィルム「That's it」を観ればわかる。
マイケルはステージにいるとき「音楽そのもの」になる。
人ではなく、その呼吸、その動き、その声、その存在全てが、
「音楽そのもの」になる。彼は人の形をとった「メッセージ」そ
のものになり、だからこそその伝達力の強さにその場にいるすべ
ての人が圧倒される。
彼を見て、その歌を聴いて、何も感じずにいられる人間はいない。
彼は芸術そのものであり、音楽そのものだった。
そういう風にしか生きられない存在だったのだ。
彼の圧倒的な才能が、彼の個人としての幸せを奪ってしまったの
かもしれない。
この地上で、彼は決して幸せではなかった。
それでも50年の人生のうち45年を、地上にいる人類全ての為
に捧げ、力尽きて帰っていった。
地球を救おう、子供たちを救おうと、最後まで歌い続けた。
私が、マイケルを美化し過ぎていると思う人もいるだろう。
彼が完全無欠の人間だったとは思わない。彼が普通の人間として
生きることを、その才能や周囲が許さなかっただけのことだ。
マスコミを含め、世界中が、そして彼の家族さえも、彼を一人の
人間として静かに生きさせてやろうとはしなかったのだ。
彼の生き辛さと、大きな孤独には 私は共鳴せずにはいられない。
彼をわかってあげて欲しかった。
あんなに苛めないでほしかった。
「音楽そのもの」になれる人間は本当に数少ない。
目撃せよ。絶対的才能とはこの事であると。
全世界のマイケルファンが観ているのは当然だとしても、これま
でマイケルに興味の無かった人や、50代、60代、それ以上の
人たちが観にきているのだそうだ。
あれだけのスーパースターがコンサート直前に死んでしまったの
だから、その話題性から注目されても当然だろう。
けれどもし、まだ観ていないなら、是非観て欲しい。
最初から最後まで、私の頬に涙がつたわないシーンはなかった。
マイケルが、どんなに一生懸命に生きていたのかが、本当に伝わ
ってくる。彼が生きている間、マスコミは容赦なく彼を追いかけ
まわし、整形を繰り返し、奇行に走るといって、バッシングした。
死んでしまってから、マスコミのバッシングは手のひらを返した
ように、彼の偉業を讚える内容にすり替わっている。マスコミは
本当に厚顔無恥の恥知らずだ。
今回のフィルム「That's it」は、最後のコンサートのリハーサル
風景を、マイケルの個人的な記録として撮影していたものから編
集した映像だ。リハーサルなので当然マイケルは「合わせ」程度
に、力を抜いて歌い踊っている。つまり、「流している」状態で
あって全力ではない。
それでも尚、世界中から選りすぐられたトップダンサー群の中に
燦然と光り輝く彼のものすごさが分かる。
衣装も着ていない。彼はルーズな私服で、ダンサーたちのダンス
に合わせているだけなのに圧倒的存在感に胸が押しつぶされそう
になる。あれで「合わせ」なのか。あれで。
彼は本当に、もはや誰も到達することの出来ない領域にあった
人類最高のエンターテイナーだった。
その能力の高さ故に、彼の個人としての人生は完全に壊れていた。
彼は5才の頃から、アイドルとして絶大な人気を誇った。けれど
もその代償は、彼が独りぼっちで背負うには大き過ぎた。
彼自身、語っている。
「僕には完全に子ども時代がなかった。クリスマスも、バースデ
ーパーティも、子供たちが普通にもつべき楽しみのすべては僕か
ら奪い去られていた。代りに与えられたのはハードワークと、苦
しみだった」
彼はとても優しい人だった。
見れば分かる。彼は孤独な人だった。
愛したがっていた。愛されたがっていた。
「僕はみんなとおんなじだよ。簡単に傷つくし、バツの悪い思い
もするんだ」
ファンはそんなマイケルを知っていた。
シャイで、子供っぽい、純粋なマイケル。
いつも傷ついて、泣いていたマイケル。
その彼が、ステージでは圧倒的な絶対神になる。
激しい痛みを抱えた彼が、世界を、地球を、子供たちを救おうと
歌う。全力で踊り、笑顔で、美しい歌声で愛を発信し続ける。
だからこそファンはマイケルが好きだったのだ。
あのプライベートフィルム「That's it」を観ればわかる。
マイケルはステージにいるとき「音楽そのもの」になる。
人ではなく、その呼吸、その動き、その声、その存在全てが、
「音楽そのもの」になる。彼は人の形をとった「メッセージ」そ
のものになり、だからこそその伝達力の強さにその場にいるすべ
ての人が圧倒される。
彼を見て、その歌を聴いて、何も感じずにいられる人間はいない。
彼は芸術そのものであり、音楽そのものだった。
そういう風にしか生きられない存在だったのだ。
彼の圧倒的な才能が、彼の個人としての幸せを奪ってしまったの
かもしれない。
この地上で、彼は決して幸せではなかった。
それでも50年の人生のうち45年を、地上にいる人類全ての為
に捧げ、力尽きて帰っていった。
地球を救おう、子供たちを救おうと、最後まで歌い続けた。
私が、マイケルを美化し過ぎていると思う人もいるだろう。
彼が完全無欠の人間だったとは思わない。彼が普通の人間として
生きることを、その才能や周囲が許さなかっただけのことだ。
マスコミを含め、世界中が、そして彼の家族さえも、彼を一人の
人間として静かに生きさせてやろうとはしなかったのだ。
彼の生き辛さと、大きな孤独には 私は共鳴せずにはいられない。
彼をわかってあげて欲しかった。
あんなに苛めないでほしかった。
「音楽そのもの」になれる人間は本当に数少ない。
目撃せよ。絶対的才能とはこの事であると。
娘がときどき 「ねえママ〜 わたしをかまって〜」と言う。
私のベッドに来て潜り込み、「自分のベッドで寝なさい」と言っても
布団をかぶって出てこない。布団の中から甘えて笑う声がする。
「だってかまってほしいんだもん〜」
娘がかまってほしい、と素直に言うことのできる関係でよかったと思う。
私は母にそれを一度もいった事がない。
伝えようとしたことも一度もない。
だから私は 幼い頃から 生き直しを決意する30代までずっと
母に甘えることができないまま 愛情に飢えて凍りついて生きていた。
ただ母が気付いてくれるのを じっと立ち尽くして待っていた。
母が気付いてこちらを向いて笑ってくれるのを。
長い長い間 待ったけれども それは一度も起こらなかった。
私にとって 自分の言葉で自分を語ることや 相手に自分の気持ちや
願いを語ることは ものすごく恐ろしく、しかも難しい事だ。
けれどそれを出来るようになることが自分の成長には欠かせないとわ
かり、一生懸命に 大事な人だとおもう相手にだけは伝えようとして
きた。
今でも 夫にでさえ 自分の正直な気持ちを話そうとすると言葉より
先に涙が溢れて 言葉になるときには搾り出すような声になってしま
う事もある。
気持ちを言う為には ビルの上から飛び降りるほどの覚悟が必要な時
さえもある。
夫が私を 決して拒絶したり無視したりしないと分かっていてもなお。
人に自分の思いを伝える事は その人への、私に出来る精一杯の誠意
だし、同時に 深く傷つくかもしれないリスクを背負った恐ろしい行
為なのだ。
私と同じように 自分の思いを口に出来ず 凍りついている人たちは
たくさんいる。だから私は彼らにワークという安全な場を提供し続け
ている。自分の思いを口に出すための 安全な練習場所が必要だから
だ。
大事な人だと認識しているから 私の正直な思いを話す。
その人が 私の言葉に なんの反応も示さない時 私の中の深い傷が
血を噴き出して 痛みに変わる。
こんなに いっしょうけんめい てをさしだしたのに。
こんなに こわいことを がんばったのに。
わたしは このひとが だいすきなのに。
このひとは わたしをむしするんだ。
わたしのことも わたしのくるしみも このひとには どうでもいい
ことなんだ。
そう言って泣いているのは 私の中の 小学4年生くらいの私。
凍りついた冷凍庫のような場所で うずくまって泣いている。
自分の中にそういう深い深い傷があることを 鮮明に見る事ができる
ようになって 私はずいぶん強くなった。
あなたの傷を知っている。
あなたの嘆きを聴いている。
あなたがどんなに頑張ったか ちゃんと知っている。
そのメッセージを届けることが出来るようになったからだ。
何才になっても 傷つくことはあるけれど
そのケアを人にしてもらおうとは もう思わない。
相手を責めようとも思いつかない。
相手から反応がないことを 無視したのだ と言うのは 事実に解釈
が加わっている。仏教的な考え方ではこれが誤った考えだという事に
なる。誤った考え、誤ったものの見方が、誤った解釈を生む。
事実は 相手がわたしの行動や言葉やなげかけに 反応を返さないと
いうことだけだ。それ以外はすべて私の頭が生み出したもので 正確
には事実ではないのだ。
反応がない という事の理由は 無視している 以外にもたくさんあ
り得る。伝わっていない・どう返せばいいのかわからない・返そうと
準備中・考えがあって黙っている・etcetc
たくさんの可能性があるのだし 私には所詮相手のことはわからない。
だから私は 自分がどんなに傷ついても あなたのせいで傷ついたと
は言わない。あなたが悪いから私が傷ついたとも言わない。
けれどそれでも 私が大事にしたい事がある。
大好きな人からはかまってもらいたいものだ。
心を開いた人からは 優しく触れて欲しいものだ。
そういう事を 基本的に理解出来ている人とだけ 心の付き合いをす
べきだろう。
娘が ベッドに潜り込んでくる。
ママ、私をかまって と笑う。
この幸せを 得られただけでも 私の人生の格闘は実っている。
私は娘の こんな正直な訴えを無視出来ない。
どんなに忙しくても応えてやりたいと思う。
それが 人間として生きる上で 人間らしさの源である 愛だと感
じる。愛を与え合う関係を 全ての人と結びたい。
それを理解し 実践しようとする人たちと手を繋いで生きたい。
私のベッドに来て潜り込み、「自分のベッドで寝なさい」と言っても
布団をかぶって出てこない。布団の中から甘えて笑う声がする。
「だってかまってほしいんだもん〜」
娘がかまってほしい、と素直に言うことのできる関係でよかったと思う。
私は母にそれを一度もいった事がない。
伝えようとしたことも一度もない。
だから私は 幼い頃から 生き直しを決意する30代までずっと
母に甘えることができないまま 愛情に飢えて凍りついて生きていた。
ただ母が気付いてくれるのを じっと立ち尽くして待っていた。
母が気付いてこちらを向いて笑ってくれるのを。
長い長い間 待ったけれども それは一度も起こらなかった。
私にとって 自分の言葉で自分を語ることや 相手に自分の気持ちや
願いを語ることは ものすごく恐ろしく、しかも難しい事だ。
けれどそれを出来るようになることが自分の成長には欠かせないとわ
かり、一生懸命に 大事な人だとおもう相手にだけは伝えようとして
きた。
今でも 夫にでさえ 自分の正直な気持ちを話そうとすると言葉より
先に涙が溢れて 言葉になるときには搾り出すような声になってしま
う事もある。
気持ちを言う為には ビルの上から飛び降りるほどの覚悟が必要な時
さえもある。
夫が私を 決して拒絶したり無視したりしないと分かっていてもなお。
人に自分の思いを伝える事は その人への、私に出来る精一杯の誠意
だし、同時に 深く傷つくかもしれないリスクを背負った恐ろしい行
為なのだ。
私と同じように 自分の思いを口に出来ず 凍りついている人たちは
たくさんいる。だから私は彼らにワークという安全な場を提供し続け
ている。自分の思いを口に出すための 安全な練習場所が必要だから
だ。
大事な人だと認識しているから 私の正直な思いを話す。
その人が 私の言葉に なんの反応も示さない時 私の中の深い傷が
血を噴き出して 痛みに変わる。
こんなに いっしょうけんめい てをさしだしたのに。
こんなに こわいことを がんばったのに。
わたしは このひとが だいすきなのに。
このひとは わたしをむしするんだ。
わたしのことも わたしのくるしみも このひとには どうでもいい
ことなんだ。
そう言って泣いているのは 私の中の 小学4年生くらいの私。
凍りついた冷凍庫のような場所で うずくまって泣いている。
自分の中にそういう深い深い傷があることを 鮮明に見る事ができる
ようになって 私はずいぶん強くなった。
あなたの傷を知っている。
あなたの嘆きを聴いている。
あなたがどんなに頑張ったか ちゃんと知っている。
そのメッセージを届けることが出来るようになったからだ。
何才になっても 傷つくことはあるけれど
そのケアを人にしてもらおうとは もう思わない。
相手を責めようとも思いつかない。
相手から反応がないことを 無視したのだ と言うのは 事実に解釈
が加わっている。仏教的な考え方ではこれが誤った考えだという事に
なる。誤った考え、誤ったものの見方が、誤った解釈を生む。
事実は 相手がわたしの行動や言葉やなげかけに 反応を返さないと
いうことだけだ。それ以外はすべて私の頭が生み出したもので 正確
には事実ではないのだ。
反応がない という事の理由は 無視している 以外にもたくさんあ
り得る。伝わっていない・どう返せばいいのかわからない・返そうと
準備中・考えがあって黙っている・etcetc
たくさんの可能性があるのだし 私には所詮相手のことはわからない。
だから私は 自分がどんなに傷ついても あなたのせいで傷ついたと
は言わない。あなたが悪いから私が傷ついたとも言わない。
けれどそれでも 私が大事にしたい事がある。
大好きな人からはかまってもらいたいものだ。
心を開いた人からは 優しく触れて欲しいものだ。
そういう事を 基本的に理解出来ている人とだけ 心の付き合いをす
べきだろう。
娘が ベッドに潜り込んでくる。
ママ、私をかまって と笑う。
この幸せを 得られただけでも 私の人生の格闘は実っている。
私は娘の こんな正直な訴えを無視出来ない。
どんなに忙しくても応えてやりたいと思う。
それが 人間として生きる上で 人間らしさの源である 愛だと感
じる。愛を与え合う関係を 全ての人と結びたい。
それを理解し 実践しようとする人たちと手を繋いで生きたい。
意外に 平静だ。
状況はかなりひどいと思うのだけれども。
やはり客観的な評価として 私はずいぶん ストレス状態に
対しての耐性が上がっている。
以前ならとても耐えられず自分を失っていただろうが、今は
人生最大に苛酷なこの時にも、いろいろな幸せや笑顔のほこ
ろびを見いだすことが出来る。傷ついた自分の心を抱きしめ
たり、怒りを押さえ込まず上手にあやしてやることも出来る
ようになっているようだ。
瞑想や仏教を学ぶこと、そしてる受講者の「生きる」「自分
自身を見捨てない」という真摯な気持ちに触れることが、私
を常に勇気づける。
どんなひどい目に遭っても 決して自分を変える必要はない。
私は変わらない。
何故ならこれが私。
残念ながら人の言う事や状況に一切影響されることのない揺
るぎない私。
どんなに運命に翻弄されても 幾多の不運に見舞われても
何人もの人に裏切られても 傷つけられても
私は彼らをいささかも憎まない。
憎む必要はない。
彼らの傷つける私はいない。
私はそもそも空であり過ぎ去っていくもの。
感情はまぼろし。すべては消えていく。
目の前の出来事がどれほど苛酷だとしても 自分の中
をすべて塗りつぶすことはない。
いかなる事もすべては一瞬のことで消えていく。
雲一つない 大空のような景色が 拡がる心。
広大であり 静かで 冷たい ヒマラヤの高原。
状況はかなりひどいと思うのだけれども。
やはり客観的な評価として 私はずいぶん ストレス状態に
対しての耐性が上がっている。
以前ならとても耐えられず自分を失っていただろうが、今は
人生最大に苛酷なこの時にも、いろいろな幸せや笑顔のほこ
ろびを見いだすことが出来る。傷ついた自分の心を抱きしめ
たり、怒りを押さえ込まず上手にあやしてやることも出来る
ようになっているようだ。
瞑想や仏教を学ぶこと、そしてる受講者の「生きる」「自分
自身を見捨てない」という真摯な気持ちに触れることが、私
を常に勇気づける。
どんなひどい目に遭っても 決して自分を変える必要はない。
私は変わらない。
何故ならこれが私。
残念ながら人の言う事や状況に一切影響されることのない揺
るぎない私。
どんなに運命に翻弄されても 幾多の不運に見舞われても
何人もの人に裏切られても 傷つけられても
私は彼らをいささかも憎まない。
憎む必要はない。
彼らの傷つける私はいない。
私はそもそも空であり過ぎ去っていくもの。
感情はまぼろし。すべては消えていく。
目の前の出来事がどれほど苛酷だとしても 自分の中
をすべて塗りつぶすことはない。
いかなる事もすべては一瞬のことで消えていく。
雲一つない 大空のような景色が 拡がる心。
広大であり 静かで 冷たい ヒマラヤの高原。
10月半ば、日曜日の深夜というか明け方近く、ものすごく苦しい夢
で目が覚めた。
誰かに、お腹を下にした形で、床に叩き付けられて、胸部と腹部を強
打する夢。それも何度も何度も叩き付けられて、あまりの痛みで体が
硬直して息が出来ない。
夢の中で必死に体を起こしたら、実際にベッドの中で体を起こしてい
て、目が覚めた。
けれど夢の中で腹部を強打した痛みが、続いている。
あまりの痛みで息もままならない。
この痛みは、消化器の炎症の痛みでも、腸の動きの異常による痛みで
もなかった。私は胆嚢を切除する手術を受けて以降、日常的に下痢を
する体質なのでそういう消化がうまく出来ない類いの腹痛には馴れっ
こである。
しかし、そういう痛みとはまったく質の違う痛みだった。
声も出せない。息も出来ない。
這うようにして、トイレにいく。
腹部が筋生防御でカチカチになっている事に気付く。
まずい。これはかなり重症だ。
まったく我慢出来る種類の痛みではなく、このままだと死ぬのではと
いう可能性が頭をかすめた。
トイレを出て(そもそも何しにトイレに行ったのか不明。本能?)
起こすのは悪いと思ったが緊急事態なのでやむなく夫に声をかける。
一声呼んだだけなのに、ただならぬ声色だったのか、夫が飛び起きて
きた。それきり動けなくて床に倒れてしまった。
普通なら救急車を呼ぶだろう。
そして多分、この症状だとERに運び込まれスムーズに行っても検査す
る事も多く、診察や治療や待ち時間が非常に長い。
悪くすれば入院となるだろう。
しかし残念ながら病院に行くお金はない。
水を飲んだり、背中をたたいてもらったり、梅干しを食べたりしなが
らしばらくすると、激痛が引いていった。
痛みの種類から推測するに、おそらく胆石の再発だと思われる。
胆嚢はないので、胆管内に結石が詰まったのではないかと思う。
たまたま、今回は運良く詰まりかかった石が、うまく腸に流れていっ
たのだろう。
思えば、これと同じ種類の痛みは6年前〜4年前に胆嚢結石と診断さ
れるまで、2年間ほど何度も経験した。
もちろんこんなに七転八倒するほど強い痛みではなかったものの、痛
さの種類は同じ。胸やけの感覚を圧縮して強くした感じ。体の中の圧
が異常に高まっている感じ。内蔵が破裂しそうな感じ。
我慢するには辛過ぎる痛みが毎朝、毎夕のように襲っていた。
胆嚢を切除する事になった時には、やはり七転八倒でこれはどうも今
から死ぬのだなと覚悟するほどの激痛で、夫がERに担ぎ込んでくれた。
そのまま入院、翌日手術となったのだった。
今回、それ以上の痛みであったにも関わらず、運良く症状は治まった。
しかし体からの強い警告には違いない。
何故体の中に石が出来るのかを体に聞けば、それはストレスだと明確
に答える。以前の結石は育児と仕事の両立が思うように出来ないスト
レスだった。育児と仕事の両立は、毎日が体力的にもギリギリだった。
今回は、何かと振り返ると、確かにこの数ヶ月、絶え間なく理事長職
故のストレスがかかり続けていた。コンサルタントの人が入ってから
毎回理事会では精神的に追い込まれ続けている。信頼していた理事は
何故か非常に冷淡に私を突き放し、”あなたの気持ちの面倒は見ません
よ”とメッセージしている。それでも彼女が理事として留まっているの
には意味がある事もわかってはいるが、私は彼女を理事としてではな
く人間として受け入れた。信頼が深かっただけに、彼女の振るまいに
は、傷ついている。
そして同時に講師の仕事は休み無く、しかも給料がろくに出ない為に
生活苦のストレスも自覚している以上にかかっているだろう。
今もまた過去と同じように二つの事が両立出来ない為のストレスだ。
今は、休養が必要だと悟った。
しかし講師の仕事は休むことは出来ない。
せめて事務職や理事職の負担を軽くしなければ。
数日間出来るだけ休むことを心がけた。
理事に「倒れた・理事長としての仕事を休む」とメールした時も、
「来週から復帰する・心配をかけた」とメールした時にも、何の返事
もなかった。
そんなパートナーシップってあるのだろうか。同僚が倒れたら「大丈
夫か、ゆっくり休んでくれ。こっちのことは大丈夫だ」と言葉をかけ
るのはごく普通のことではなかったのか。同僚が病休から復帰したら
「もういいのか。しばらくは無理をするなよ」と暖かく迎えるもので
はないのか。
人間としての私には何の関心もないと言われているようで心が凍りつ
く思いもするが、それにも耐えて、このNPOを支えなければならない。
私も必死なのだが、同じく彼女も必死なのだろうか。
だから私の事などかまう手間などわずかも掛けられないのかも知れな
い。余裕のない時にも周りの人を気遣うことの出来る人間でありたい
と思う。彼女は私と会話することを拒絶しているので何を思っている
のか聴けない事が残念だが、少なくとも私の反面教師になってくれて
いる。
彼女がどんな振るまいで私を傷つけるとしても 理事として留まりこ
の団体の仕事をしようとしている事は事実だ。
で目が覚めた。
誰かに、お腹を下にした形で、床に叩き付けられて、胸部と腹部を強
打する夢。それも何度も何度も叩き付けられて、あまりの痛みで体が
硬直して息が出来ない。
夢の中で必死に体を起こしたら、実際にベッドの中で体を起こしてい
て、目が覚めた。
けれど夢の中で腹部を強打した痛みが、続いている。
あまりの痛みで息もままならない。
この痛みは、消化器の炎症の痛みでも、腸の動きの異常による痛みで
もなかった。私は胆嚢を切除する手術を受けて以降、日常的に下痢を
する体質なのでそういう消化がうまく出来ない類いの腹痛には馴れっ
こである。
しかし、そういう痛みとはまったく質の違う痛みだった。
声も出せない。息も出来ない。
這うようにして、トイレにいく。
腹部が筋生防御でカチカチになっている事に気付く。
まずい。これはかなり重症だ。
まったく我慢出来る種類の痛みではなく、このままだと死ぬのではと
いう可能性が頭をかすめた。
トイレを出て(そもそも何しにトイレに行ったのか不明。本能?)
起こすのは悪いと思ったが緊急事態なのでやむなく夫に声をかける。
一声呼んだだけなのに、ただならぬ声色だったのか、夫が飛び起きて
きた。それきり動けなくて床に倒れてしまった。
普通なら救急車を呼ぶだろう。
そして多分、この症状だとERに運び込まれスムーズに行っても検査す
る事も多く、診察や治療や待ち時間が非常に長い。
悪くすれば入院となるだろう。
しかし残念ながら病院に行くお金はない。
水を飲んだり、背中をたたいてもらったり、梅干しを食べたりしなが
らしばらくすると、激痛が引いていった。
痛みの種類から推測するに、おそらく胆石の再発だと思われる。
胆嚢はないので、胆管内に結石が詰まったのではないかと思う。
たまたま、今回は運良く詰まりかかった石が、うまく腸に流れていっ
たのだろう。
思えば、これと同じ種類の痛みは6年前〜4年前に胆嚢結石と診断さ
れるまで、2年間ほど何度も経験した。
もちろんこんなに七転八倒するほど強い痛みではなかったものの、痛
さの種類は同じ。胸やけの感覚を圧縮して強くした感じ。体の中の圧
が異常に高まっている感じ。内蔵が破裂しそうな感じ。
我慢するには辛過ぎる痛みが毎朝、毎夕のように襲っていた。
胆嚢を切除する事になった時には、やはり七転八倒でこれはどうも今
から死ぬのだなと覚悟するほどの激痛で、夫がERに担ぎ込んでくれた。
そのまま入院、翌日手術となったのだった。
今回、それ以上の痛みであったにも関わらず、運良く症状は治まった。
しかし体からの強い警告には違いない。
何故体の中に石が出来るのかを体に聞けば、それはストレスだと明確
に答える。以前の結石は育児と仕事の両立が思うように出来ないスト
レスだった。育児と仕事の両立は、毎日が体力的にもギリギリだった。
今回は、何かと振り返ると、確かにこの数ヶ月、絶え間なく理事長職
故のストレスがかかり続けていた。コンサルタントの人が入ってから
毎回理事会では精神的に追い込まれ続けている。信頼していた理事は
何故か非常に冷淡に私を突き放し、”あなたの気持ちの面倒は見ません
よ”とメッセージしている。それでも彼女が理事として留まっているの
には意味がある事もわかってはいるが、私は彼女を理事としてではな
く人間として受け入れた。信頼が深かっただけに、彼女の振るまいに
は、傷ついている。
そして同時に講師の仕事は休み無く、しかも給料がろくに出ない為に
生活苦のストレスも自覚している以上にかかっているだろう。
今もまた過去と同じように二つの事が両立出来ない為のストレスだ。
今は、休養が必要だと悟った。
しかし講師の仕事は休むことは出来ない。
せめて事務職や理事職の負担を軽くしなければ。
数日間出来るだけ休むことを心がけた。
理事に「倒れた・理事長としての仕事を休む」とメールした時も、
「来週から復帰する・心配をかけた」とメールした時にも、何の返事
もなかった。
そんなパートナーシップってあるのだろうか。同僚が倒れたら「大丈
夫か、ゆっくり休んでくれ。こっちのことは大丈夫だ」と言葉をかけ
るのはごく普通のことではなかったのか。同僚が病休から復帰したら
「もういいのか。しばらくは無理をするなよ」と暖かく迎えるもので
はないのか。
人間としての私には何の関心もないと言われているようで心が凍りつ
く思いもするが、それにも耐えて、このNPOを支えなければならない。
私も必死なのだが、同じく彼女も必死なのだろうか。
だから私の事などかまう手間などわずかも掛けられないのかも知れな
い。余裕のない時にも周りの人を気遣うことの出来る人間でありたい
と思う。彼女は私と会話することを拒絶しているので何を思っている
のか聴けない事が残念だが、少なくとも私の反面教師になってくれて
いる。
彼女がどんな振るまいで私を傷つけるとしても 理事として留まりこ
の団体の仕事をしようとしている事は事実だ。