2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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ちょっと息抜きにブログを書きにきました。
会報の編集作業で徹夜2日目です。
今回は、いつも編集を担当してくれている方のご家族が倒れられ
たということで、私が引き受けることになりました。
徹夜しなければ出来ないほど難しいことなのか、と言えばそんな
コトはありません。
ただただ、私や坂本が凝り性なのです。
どうしても、元・開発者のプロ根性が出てしまうのです。
妥協がなかなか出来ず、手を加え続けてしまう。
職人ですから、どこまでも手にした人の満足を求めて、時間を忘
れて細かい作業に入り込んでしまう。
だってこれは、会員さんに届ける、大事なおたより。
MLにさえろくに投稿してこない、静かな会員さんが今、どんな気
持ちでいるのかわからない。もう会のことなんてその人にとって
はどうでもいいことで、日常には関わりない、興味を失ってしま
ったことかも知れないし、その正反対に、ココロの中でいつも思
い出しては暖かく応援してくれているのかもしれない。
その人がどんな状態かはわからないけれど、こちらからはいつも
暖かいものや感謝を届けたい。それが伝わる会報にしたい。
その一心で、時間も肩凝りも、そして眠ることも忘れてしまいます。
もしかしてやっぱり、私は誰とも組まないで一匹狼の方が合って
いるのかも知れないなあ…と改めて思ってしまいます。
私と坂本は、何年もの間、同じソフトを完成させる為に何十日、
何百日、夜中まで作業をした開発戦士です。だから同じペースで
仕事できているのです。そういう経験のない、普通の仕事しかし
らない人にこのペースは無理だろうと、つくづく思います。
もう少しで完成。
がんばろっと。
会報の編集作業で徹夜2日目です。
今回は、いつも編集を担当してくれている方のご家族が倒れられ
たということで、私が引き受けることになりました。
徹夜しなければ出来ないほど難しいことなのか、と言えばそんな
コトはありません。
ただただ、私や坂本が凝り性なのです。
どうしても、元・開発者のプロ根性が出てしまうのです。
妥協がなかなか出来ず、手を加え続けてしまう。
職人ですから、どこまでも手にした人の満足を求めて、時間を忘
れて細かい作業に入り込んでしまう。
だってこれは、会員さんに届ける、大事なおたより。
MLにさえろくに投稿してこない、静かな会員さんが今、どんな気
持ちでいるのかわからない。もう会のことなんてその人にとって
はどうでもいいことで、日常には関わりない、興味を失ってしま
ったことかも知れないし、その正反対に、ココロの中でいつも思
い出しては暖かく応援してくれているのかもしれない。
その人がどんな状態かはわからないけれど、こちらからはいつも
暖かいものや感謝を届けたい。それが伝わる会報にしたい。
その一心で、時間も肩凝りも、そして眠ることも忘れてしまいます。
もしかしてやっぱり、私は誰とも組まないで一匹狼の方が合って
いるのかも知れないなあ…と改めて思ってしまいます。
私と坂本は、何年もの間、同じソフトを完成させる為に何十日、
何百日、夜中まで作業をした開発戦士です。だから同じペースで
仕事できているのです。そういう経験のない、普通の仕事しかし
らない人にこのペースは無理だろうと、つくづく思います。
もう少しで完成。
がんばろっと。
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10年以上の説得を経て 夫がやっと病院で診断を受けることを承諾した。
九州大学病院に7月に予約を申し込んで、順番待ちで診察は9月。
九大はこれだから大変なんだ。
けれどようやく、初回の診察と、脳の検査がはじまった。
医療費はどうにもならない家計の中で、夫の親に少しだけ援助して
もらう。申し訳ないけれども、私ではなく夫のことだし、こんな時
くらい義母を頼ってもいいかも知れないと思った。
初診では神経内科の若いドクターが、親身な感じで1時間ほど話を
聞いてくれた。だれにも理解されなかった苦しみ、苦労、困難な事
を、疑わず拒絶せず聞いてもらえたことに、夫も私もほっとし、初
めて社会に理解してもらえたような気持ちがした。
まずは脳の機能的な問題がないかということで、神経内科的な検査
が続く。MRIや知能検査の予約をとり、これからしばらくは病院に
通う日々が続くだろう。
その次に精神科で発達障害や自閉などの検査をすることになるので
はないかと予測している。
夫は知能はかなり高い値を出すことは分かっている。
会話していれば分かる。決して知的な問題ではないのだ。
3時間半、待合室で夫の検査が終るのを待つ間、福岡の夫婦で、夫
が若年性認知症になられた方の闘病記を一冊読んだ。
NHKの取材で番組にもなったので知っている人も多いかも知れない。
私の思いと同じ言葉が、その本の中にいくつも綴られていた。
だれにも分かってもらえない苦労。終わりの無い障害との戦い。
その中で見いだす、「みんなありのままでいいんだ」という許しの
言葉。
夫が少しでも救われ、楽に生きて行けるように。
この受診が何かの始まりになりますように。
九州大学病院に7月に予約を申し込んで、順番待ちで診察は9月。
九大はこれだから大変なんだ。
けれどようやく、初回の診察と、脳の検査がはじまった。
医療費はどうにもならない家計の中で、夫の親に少しだけ援助して
もらう。申し訳ないけれども、私ではなく夫のことだし、こんな時
くらい義母を頼ってもいいかも知れないと思った。
初診では神経内科の若いドクターが、親身な感じで1時間ほど話を
聞いてくれた。だれにも理解されなかった苦しみ、苦労、困難な事
を、疑わず拒絶せず聞いてもらえたことに、夫も私もほっとし、初
めて社会に理解してもらえたような気持ちがした。
まずは脳の機能的な問題がないかということで、神経内科的な検査
が続く。MRIや知能検査の予約をとり、これからしばらくは病院に
通う日々が続くだろう。
その次に精神科で発達障害や自閉などの検査をすることになるので
はないかと予測している。
夫は知能はかなり高い値を出すことは分かっている。
会話していれば分かる。決して知的な問題ではないのだ。
3時間半、待合室で夫の検査が終るのを待つ間、福岡の夫婦で、夫
が若年性認知症になられた方の闘病記を一冊読んだ。
NHKの取材で番組にもなったので知っている人も多いかも知れない。
私の思いと同じ言葉が、その本の中にいくつも綴られていた。
だれにも分かってもらえない苦労。終わりの無い障害との戦い。
その中で見いだす、「みんなありのままでいいんだ」という許しの
言葉。
夫が少しでも救われ、楽に生きて行けるように。
この受診が何かの始まりになりますように。
金魚くんたちの住処、水槽の掃除にいそしむ。
バケツに6杯で満杯となる水槽で、かなりの量の水が入る。
よって、水換えは、バケツに5回ほど汲みだして、ベランダへとえっちらおっちら運ぶことになる。
まず「イヤーナニスンノー!!」と叫びつつ逃げ惑う金魚どもをいっぴきづつ網ですくって、一つ目のバケツに。(もちろん水入り)
金魚なしになった水槽から、水をくみ出す。できるだけ水槽内のごみを取るように頑張る。汚水でいっぱいになったバケツをベランダへ運び、植物にかけたりベランダの溝を掃除したりしながら排水。
これを5往復。
結構腰にキツイ。
汗が吹き出る。
正直いって、こんな作業中の私は誰にも見られたくないので、家に誰もいないときを見計らってやる。
水を抜いたら次は水槽のガラス面(内側)を磨き上げる。この作業を手を抜くとあっという間に藻にやられることがあるし、見栄え上ガラスが輝いていることは重要なので念入りに。
ホースをもってきて水を入れる。カルキ中和剤を投入。
水をためている間に、水のろ過器を洗う。つい熱中してしまい、はっと気づいて水槽に駆け寄ると、水面が水槽のふちスレスレ!!ぎゃーーーー!!と慌てて水を止め、ぎりぎりセーフ。(これを失敗することが時々ある。磨きの作業は時を忘れて熱中してしまうのだ)
バケツ一杯分、水を抜いて、ろ過器をセットし、金魚を戻す。
すでに汗でどろどろだし、体力的にもヘロヘロである。
こんな重労働だから、「ねえ、金魚の水、汚いよ。そろそろ換えたら」といわれてやるのは断固拒否である。自分から、金魚が可哀想だなあ、水槽がきれいなったら気分がいいだろうなあ、と思ったときにしかやらないのだ。
シャワーに入り、冷蔵庫から冷たいお茶をピッチャーについでがぶ飲み。
水槽を眺め、「きれいだなあ」と悦に入る。
全部、一人ぼっちの時にやってます。
追伸:
時々、うちの待合室の水槽が汚れていることがあります。
上記の理由で、タイミング的にやる気になれなかったのだとご理解くださいまし。
できるだけ、お客さんには気持ちよい水槽を見せてあげたいと、努力はしているんです。キレイじゃない水槽に出会った方、ごめんなさいね。
バケツに6杯で満杯となる水槽で、かなりの量の水が入る。
よって、水換えは、バケツに5回ほど汲みだして、ベランダへとえっちらおっちら運ぶことになる。
まず「イヤーナニスンノー!!」と叫びつつ逃げ惑う金魚どもをいっぴきづつ網ですくって、一つ目のバケツに。(もちろん水入り)
金魚なしになった水槽から、水をくみ出す。できるだけ水槽内のごみを取るように頑張る。汚水でいっぱいになったバケツをベランダへ運び、植物にかけたりベランダの溝を掃除したりしながら排水。
これを5往復。
結構腰にキツイ。
汗が吹き出る。
正直いって、こんな作業中の私は誰にも見られたくないので、家に誰もいないときを見計らってやる。
水を抜いたら次は水槽のガラス面(内側)を磨き上げる。この作業を手を抜くとあっという間に藻にやられることがあるし、見栄え上ガラスが輝いていることは重要なので念入りに。
ホースをもってきて水を入れる。カルキ中和剤を投入。
水をためている間に、水のろ過器を洗う。つい熱中してしまい、はっと気づいて水槽に駆け寄ると、水面が水槽のふちスレスレ!!ぎゃーーーー!!と慌てて水を止め、ぎりぎりセーフ。(これを失敗することが時々ある。磨きの作業は時を忘れて熱中してしまうのだ)
バケツ一杯分、水を抜いて、ろ過器をセットし、金魚を戻す。
すでに汗でどろどろだし、体力的にもヘロヘロである。
こんな重労働だから、「ねえ、金魚の水、汚いよ。そろそろ換えたら」といわれてやるのは断固拒否である。自分から、金魚が可哀想だなあ、水槽がきれいなったら気分がいいだろうなあ、と思ったときにしかやらないのだ。
シャワーに入り、冷蔵庫から冷たいお茶をピッチャーについでがぶ飲み。
水槽を眺め、「きれいだなあ」と悦に入る。
全部、一人ぼっちの時にやってます。
追伸:
時々、うちの待合室の水槽が汚れていることがあります。
上記の理由で、タイミング的にやる気になれなかったのだとご理解くださいまし。
できるだけ、お客さんには気持ちよい水槽を見せてあげたいと、努力はしているんです。キレイじゃない水槽に出会った方、ごめんなさいね。
うちの事務所では開設以来、熱帯魚を飼っていたのですが、福岡西方沖地震の時に、水槽ごと倒れて可愛がっていた魚が全滅してしまいました。
その時のショックで、しばらく魚を飼うことが出来なかったのですが、去年の夏に、娘が金魚すくいですくった金魚を飼うことになり、また水槽が復活しました。
今、一年たった金魚たちは、立派に大きくなっています。
ところで、私は実は、水生生物を飼うのがあまり好きではありません。
何故かというと、魚たちは今の体調が見てても分かりにくくて、しかもあっさりと死んでしまうからです。
例えば、同じ小動物でも、ハムスターなら、一方通行ながら私の方から「可愛いなあ」と思えるし、様子から元気か病気かわかるのですが、まず魚を「かわいいなあ」とは思いません。せいぜい、「エサを残したな。」とか「水が汚れたな。きれいにしてやるか」という程度です。
水の中に生きている生き物は、苦しそうなのか楽しそうなのか、わかりづらいとは思いませんか。
何しろ、ちょっとしたphの調整ミスで、ころりと死んでしまうのが恐ろしくてたまりません。
まあ、金魚はその点、丈夫なので比較的気軽に飼うことが出来るのですが。
数少ない例外の、積極的に飼いたいなと思う水生生物がいます。
私がかなり好きなのは、「ヤマトヌマエビ」という小さな川エビです。
しぐさがとにかく可愛くて好きです。ヌマエビは水槽内のコケや、魚の食べ残しのエサを掃除してくれるので、水質保持に一役買ってくれる、タンクメイトとして熱帯魚といっしょに飼う人が多いのですが、私は単純にこのヌマエビ一点飼育が大好きなのです。
けれどヌマエビは水質の変化にものすごく敏感で、phの変化に弱くて、水を換えたら全滅、ということもよく起こります。だから、死なれる事に弱い私としては、非常に気を使う生き物なのですが、何故か、何度悲しい思いをしても、機会があればヌマエビを飼いたくなります。今度こそ、といつも思ってしまうのです。
ヤマトヌマエビは、近年タンクメイトとしての需要が多いからか、ペットショップで売られるようになって、あっという間に自然界から数が激減しているというのです。そのせいでまた、価格がどんどん上がっています。最初に飼った頃は、一匹が60円くらいだったと思うのですが、最近は一匹180円くらいするのです。
ヤマトヌマエビを繁殖するのはとても難しくて、普通に水槽に飼っていても増えません。汽水という海水と川の水が混じる処でしか幼生が育たないのです。そのような環境を水槽で実現するのはほとんど知ろうとには無理。だから、ペットショップで売られているのは、おそらくほとんどがどこかの川から捕獲してきているのです。
「ママー!!今日ね、エビ見つけたよ!!」
昨日、娘が、ある場所にヌマエビが生息していると報告してくれました。
二人でそのポイントにいって、試しに網ですくうと、これがもう、いくらでも簡単に捕獲できてしまうのです。
とりあえず、10匹すくって帰りました。
ところが、水合わせ失敗。9匹が翌朝には死亡です。
娘はひどく落ち込みました(娘の手前、顔に出しませんが当然私も落ち込んでます)。
一匹だけ生き残ったので、別の水槽に避難させた処、そこでは無事に生きています。今の処。
娘は何としても飼育に成功したいらしく、再度捕獲に行くと言っています。
将来は…動物園の飼育員にでもなるのかなあ。。。
ヌマエビの幸せな生活環境を作れるか!?
秋のチャレンジがはじまります。
その時のショックで、しばらく魚を飼うことが出来なかったのですが、去年の夏に、娘が金魚すくいですくった金魚を飼うことになり、また水槽が復活しました。
今、一年たった金魚たちは、立派に大きくなっています。
ところで、私は実は、水生生物を飼うのがあまり好きではありません。
何故かというと、魚たちは今の体調が見てても分かりにくくて、しかもあっさりと死んでしまうからです。
例えば、同じ小動物でも、ハムスターなら、一方通行ながら私の方から「可愛いなあ」と思えるし、様子から元気か病気かわかるのですが、まず魚を「かわいいなあ」とは思いません。せいぜい、「エサを残したな。」とか「水が汚れたな。きれいにしてやるか」という程度です。
水の中に生きている生き物は、苦しそうなのか楽しそうなのか、わかりづらいとは思いませんか。
何しろ、ちょっとしたphの調整ミスで、ころりと死んでしまうのが恐ろしくてたまりません。
まあ、金魚はその点、丈夫なので比較的気軽に飼うことが出来るのですが。
数少ない例外の、積極的に飼いたいなと思う水生生物がいます。
私がかなり好きなのは、「ヤマトヌマエビ」という小さな川エビです。
しぐさがとにかく可愛くて好きです。ヌマエビは水槽内のコケや、魚の食べ残しのエサを掃除してくれるので、水質保持に一役買ってくれる、タンクメイトとして熱帯魚といっしょに飼う人が多いのですが、私は単純にこのヌマエビ一点飼育が大好きなのです。
けれどヌマエビは水質の変化にものすごく敏感で、phの変化に弱くて、水を換えたら全滅、ということもよく起こります。だから、死なれる事に弱い私としては、非常に気を使う生き物なのですが、何故か、何度悲しい思いをしても、機会があればヌマエビを飼いたくなります。今度こそ、といつも思ってしまうのです。
ヤマトヌマエビは、近年タンクメイトとしての需要が多いからか、ペットショップで売られるようになって、あっという間に自然界から数が激減しているというのです。そのせいでまた、価格がどんどん上がっています。最初に飼った頃は、一匹が60円くらいだったと思うのですが、最近は一匹180円くらいするのです。
ヤマトヌマエビを繁殖するのはとても難しくて、普通に水槽に飼っていても増えません。汽水という海水と川の水が混じる処でしか幼生が育たないのです。そのような環境を水槽で実現するのはほとんど知ろうとには無理。だから、ペットショップで売られているのは、おそらくほとんどがどこかの川から捕獲してきているのです。
「ママー!!今日ね、エビ見つけたよ!!」
昨日、娘が、ある場所にヌマエビが生息していると報告してくれました。
二人でそのポイントにいって、試しに網ですくうと、これがもう、いくらでも簡単に捕獲できてしまうのです。
とりあえず、10匹すくって帰りました。
ところが、水合わせ失敗。9匹が翌朝には死亡です。
娘はひどく落ち込みました(娘の手前、顔に出しませんが当然私も落ち込んでます)。
一匹だけ生き残ったので、別の水槽に避難させた処、そこでは無事に生きています。今の処。
娘は何としても飼育に成功したいらしく、再度捕獲に行くと言っています。
将来は…動物園の飼育員にでもなるのかなあ。。。
ヌマエビの幸せな生活環境を作れるか!?
秋のチャレンジがはじまります。
娘が虫取りに行きたいと言う。
この暑さのなか、私としては全然気乗りはしないけれども、
西公園に連れて行った。
「ママも捕まえて〜」
トンボやせみを追いかけてあみをふりまわす。
死にそうに暑いのですぐへばる。
子供は平気で汗をだらだら流しながら、走り回る。
そうだなあ。小学生のころはこの子のように、暑いことも
汗をかくことも気にせず、外で夏を楽しんだっけ。
公園の水道水が美味しいと感じてたし、木陰とも仲良しだ
った。
懐かしいあの夏の日々。
少しだけタイムスリップしたような感覚。
水筒に入れて行った、冷えたお茶が美味しくて、大きな水
筒なのにあっという間に二人で飲み干してしまう。
水で大きなハンカチをびしょびしょに濡らして、首にまく
と娘が「気持ち良い〜」と笑顔になった。
犬が暑さでへばっているのを見て、早めに切り上げて家に
戻る。少し様子がおかしいので犬の体温を測ると39.8度。
大変だ、熱中症になりかけている。
すぐにお風呂で水を浴びせ、クーラーをきかせた部屋で扇
風機に当て、氷まくらで冷やしてやる。動物は毛皮をきて
いる上に、汗をほとんどかかないので一度上がった体温を
下げるのが難しいのだ。人間の何倍も熱中症になりやすい
し、もし放置したら死んでしまう。
一時間ほどで熱が37度代の平熱に戻り一安心。
ああ、よかった。
娘は、夏休みの宿題の総仕上げ。カブトエビのことをまと
めた壁新聞を模造紙二枚をつなげて、制作している。私の
目から見ても、内容充実の、かなりの大作だ。
犬の様子が落ち着いたので、壁新聞を手伝う。娘の書いた
鉛筆の銭をマジックペンでなぞり、ついでに文字は整えつ
つ清書して行く。絵は娘の線のままで十二分に美しい。
この作業もまた懐かしい。
子供のころは同じことを二度書くのが面倒くさくて、大嫌
いだったこの作業。早く済ませたい気持ちから字や絵が雑
になっていったっけ。そして出来が理想の1割にも届かな
いことでさらにやる気を無くしたものだ。
毎日、数時間づつ、娘の壁新聞を丁寧に手伝う。
この作業も4日目だが、ずっと私が娘と一緒に作業を手伝
っている。大人の手が入っているのでそれはきれいな壁新
聞になりつつある。娘は私との共同作業がそうとうに嬉し
いらしくて、毎日「ママー、新聞やろー」と誘ってくる。
今日、やっと黒マジックでの清書の段階がすべて終わり、
色つけの作業に入った。
子供のころ、私が作りたかった壁新聞はこのくらいのクオ
リティだった。娘の壁新聞を眺めては、うっとりと満足感
に包まれてしまう。この新聞が教室の壁を飾り、級友たち
に見てもらえている様子を想像する。
一つ一つ、面倒で丁寧に出来なかった作業が、今はとても
丁寧にきれいに出来るようになっていることを感じる。
色鉛筆で色付けをしている時、時間を忘れてのんびりと鉛
筆を動かし、没頭していることに気付く。
娘の宿題なのに、私の子供時代の宿題が、今ようやく終わ
ろうとしているような、そんな感覚。
シャシャシャと鉛筆が紙の上を走る音が静かに響く。
静かな時。心の中の黒い部分が鮮やかな色鉛筆の色彩に変
わって行く。
そう。
あのころ、子供ながらに不本意だったのだ。
この作業を、雑にしか出来なかったこと。
光があまり入らない、暗くて暑い部屋で、ひとりぼっちで
宿題に取り組むことが嫌で、一生懸命壁新聞を作れなかっ
たことが。
もっと、きれいに、丁寧に作りたかったのに、どうしても
自分一人では理想を追いかけ続けることが出来なかった。
そんな自分が悔しかった。壁新聞をみるのも嫌だった。
親に見ていて欲しかった。助言が欲しかった。
優しく、手伝って欲しかった。一緒に何かを作る時間を
たくさん持ちたかった。
そんな子供時代の私の思いが、ここにきて、娘のお陰で
溶けて行くような。暑い夏の風に溶けてしまうような。
そんな夏。
小学生時代の夏休み。
キラキラの夏。
娘に感謝。いい夏を、ありがとう。
この暑さのなか、私としては全然気乗りはしないけれども、
西公園に連れて行った。
「ママも捕まえて〜」
トンボやせみを追いかけてあみをふりまわす。
死にそうに暑いのですぐへばる。
子供は平気で汗をだらだら流しながら、走り回る。
そうだなあ。小学生のころはこの子のように、暑いことも
汗をかくことも気にせず、外で夏を楽しんだっけ。
公園の水道水が美味しいと感じてたし、木陰とも仲良しだ
った。
懐かしいあの夏の日々。
少しだけタイムスリップしたような感覚。
水筒に入れて行った、冷えたお茶が美味しくて、大きな水
筒なのにあっという間に二人で飲み干してしまう。
水で大きなハンカチをびしょびしょに濡らして、首にまく
と娘が「気持ち良い〜」と笑顔になった。
犬が暑さでへばっているのを見て、早めに切り上げて家に
戻る。少し様子がおかしいので犬の体温を測ると39.8度。
大変だ、熱中症になりかけている。
すぐにお風呂で水を浴びせ、クーラーをきかせた部屋で扇
風機に当て、氷まくらで冷やしてやる。動物は毛皮をきて
いる上に、汗をほとんどかかないので一度上がった体温を
下げるのが難しいのだ。人間の何倍も熱中症になりやすい
し、もし放置したら死んでしまう。
一時間ほどで熱が37度代の平熱に戻り一安心。
ああ、よかった。
娘は、夏休みの宿題の総仕上げ。カブトエビのことをまと
めた壁新聞を模造紙二枚をつなげて、制作している。私の
目から見ても、内容充実の、かなりの大作だ。
犬の様子が落ち着いたので、壁新聞を手伝う。娘の書いた
鉛筆の銭をマジックペンでなぞり、ついでに文字は整えつ
つ清書して行く。絵は娘の線のままで十二分に美しい。
この作業もまた懐かしい。
子供のころは同じことを二度書くのが面倒くさくて、大嫌
いだったこの作業。早く済ませたい気持ちから字や絵が雑
になっていったっけ。そして出来が理想の1割にも届かな
いことでさらにやる気を無くしたものだ。
毎日、数時間づつ、娘の壁新聞を丁寧に手伝う。
この作業も4日目だが、ずっと私が娘と一緒に作業を手伝
っている。大人の手が入っているのでそれはきれいな壁新
聞になりつつある。娘は私との共同作業がそうとうに嬉し
いらしくて、毎日「ママー、新聞やろー」と誘ってくる。
今日、やっと黒マジックでの清書の段階がすべて終わり、
色つけの作業に入った。
子供のころ、私が作りたかった壁新聞はこのくらいのクオ
リティだった。娘の壁新聞を眺めては、うっとりと満足感
に包まれてしまう。この新聞が教室の壁を飾り、級友たち
に見てもらえている様子を想像する。
一つ一つ、面倒で丁寧に出来なかった作業が、今はとても
丁寧にきれいに出来るようになっていることを感じる。
色鉛筆で色付けをしている時、時間を忘れてのんびりと鉛
筆を動かし、没頭していることに気付く。
娘の宿題なのに、私の子供時代の宿題が、今ようやく終わ
ろうとしているような、そんな感覚。
シャシャシャと鉛筆が紙の上を走る音が静かに響く。
静かな時。心の中の黒い部分が鮮やかな色鉛筆の色彩に変
わって行く。
そう。
あのころ、子供ながらに不本意だったのだ。
この作業を、雑にしか出来なかったこと。
光があまり入らない、暗くて暑い部屋で、ひとりぼっちで
宿題に取り組むことが嫌で、一生懸命壁新聞を作れなかっ
たことが。
もっと、きれいに、丁寧に作りたかったのに、どうしても
自分一人では理想を追いかけ続けることが出来なかった。
そんな自分が悔しかった。壁新聞をみるのも嫌だった。
親に見ていて欲しかった。助言が欲しかった。
優しく、手伝って欲しかった。一緒に何かを作る時間を
たくさん持ちたかった。
そんな子供時代の私の思いが、ここにきて、娘のお陰で
溶けて行くような。暑い夏の風に溶けてしまうような。
そんな夏。
小学生時代の夏休み。
キラキラの夏。
娘に感謝。いい夏を、ありがとう。
娘の夏休みの自由研究でカブトエビを一緒に調べている。
カブトガニなら知っていたけどカブトエビは知らなかった。
1センチくらいの小さな生き物で、古代から何億年もの間、姿を変えていない不思議な生き物。田んぼにいる。黄砂と一緒に中国からも卵の状態で飛んでくる。
カブトエビの飼育セットを買って、ふ化に挑戦したがこれがとても難しく、上手く行かない。
久山のYさんにカブトエビが久山にいないか訊ねて、いるらしいという情報を得たので、今日出かけてみた。
せっかく久山に来たので、ということでまずは川遊び。
1時間くらいだったが、犬も娘も、夏の水遊びを堪能していた。
Yさんと合流し、さっそく今年たくさんカブトエビがみられたという地域へ行ってみたが、残念ながら生きたカブトエビはみることが出来なかった。
田んぼは田植えからしばらく苗を生長させた後、一度水を抜いてしまって、苗の根を強く張らせる過程があるのだそうだが、この時、おとなのカブトエビは全滅する。その代りに卵を残して死ぬ。この卵が、地面が渇いて行くのと同時に、乾燥する。カブトエビの卵は、一度乾燥した後で再度水に浸かるとふ化するという不思議な仕組みになっているそうだ。だから、今年たくさんのカブトエビがみられたというこの田んぼには、きっとカブトエビの卵がたくさんあるはずなのだが、ふ化させるのは条件がいろいろとあるらしく難しい。
しかし取り合えず、せっかくなのでこの田んぼの土と水を少しだけいただいて帰ってきた。
わざわざ案内役をしてくれたYさんに大感謝。
娘はカブトエビに未練があるものの、ザリガニを見つけて捕ったり、トンボを捕まえたりしてそれなりに楽しんでいた。
久しぶりに田んぼに行ったなあ。子供のころは田んぼに入って、お百姓さんに怒られたりしたっけ。おたまじゃくしを捕ったりして遊んだなあ。
今では、カエルもめっきり数が減っているのだそうだ。今日の田んぼでも、カエルは1匹しかみなかった。環境のことを考えるだけではなく、こうして環境に触れることは大事だなとあらためて思う。
3時間くらい炎天下に居た訳だが、帰ったらとっても疲れてしまっているのに気付いた。全身に力が入らない感じでぐったりする(熱中症ではないのでご安心を)。日に焼けるほど暑い日中の活動が体には大きな負担になるんだなと実感して、年をとったなあと思う。子供のころは何時間でも毎日外で遊んでいて、疲れたなんて気付いたこともなかった。もっとも、子供のころの夏はもう少し暑さも優しかったのだと思うが。あの頃は福岡で35度の気温なんて聞いたこともなかった。
大人はやはり子供と同じという訳にはいかない。日陰を探して、足を水で冷やしながら見守るくらいが丁度いいのだろう。今日は子供と同じペースで、無理をしてしまった。
明日から仕事がちょっと立て込んでいる。
生きるためにも、社会貢献の為にも仕事しなくては。
鳥栖、唐津、福岡。病弱児教育研究会講演の準備。セミナーへの参加。
そのすき間に、子供と夏の遊びができてよかった。
また隙をみつけて、川に、プールに、山にと真夏を楽しんで、遊びたい。
遊ぶと、仕事への意欲も出てくるから、やっぱり遊ぶことが大事。
カブトガニなら知っていたけどカブトエビは知らなかった。
1センチくらいの小さな生き物で、古代から何億年もの間、姿を変えていない不思議な生き物。田んぼにいる。黄砂と一緒に中国からも卵の状態で飛んでくる。
カブトエビの飼育セットを買って、ふ化に挑戦したがこれがとても難しく、上手く行かない。
久山のYさんにカブトエビが久山にいないか訊ねて、いるらしいという情報を得たので、今日出かけてみた。
せっかく久山に来たので、ということでまずは川遊び。
1時間くらいだったが、犬も娘も、夏の水遊びを堪能していた。
Yさんと合流し、さっそく今年たくさんカブトエビがみられたという地域へ行ってみたが、残念ながら生きたカブトエビはみることが出来なかった。
田んぼは田植えからしばらく苗を生長させた後、一度水を抜いてしまって、苗の根を強く張らせる過程があるのだそうだが、この時、おとなのカブトエビは全滅する。その代りに卵を残して死ぬ。この卵が、地面が渇いて行くのと同時に、乾燥する。カブトエビの卵は、一度乾燥した後で再度水に浸かるとふ化するという不思議な仕組みになっているそうだ。だから、今年たくさんのカブトエビがみられたというこの田んぼには、きっとカブトエビの卵がたくさんあるはずなのだが、ふ化させるのは条件がいろいろとあるらしく難しい。
しかし取り合えず、せっかくなのでこの田んぼの土と水を少しだけいただいて帰ってきた。
わざわざ案内役をしてくれたYさんに大感謝。
娘はカブトエビに未練があるものの、ザリガニを見つけて捕ったり、トンボを捕まえたりしてそれなりに楽しんでいた。
久しぶりに田んぼに行ったなあ。子供のころは田んぼに入って、お百姓さんに怒られたりしたっけ。おたまじゃくしを捕ったりして遊んだなあ。
今では、カエルもめっきり数が減っているのだそうだ。今日の田んぼでも、カエルは1匹しかみなかった。環境のことを考えるだけではなく、こうして環境に触れることは大事だなとあらためて思う。
3時間くらい炎天下に居た訳だが、帰ったらとっても疲れてしまっているのに気付いた。全身に力が入らない感じでぐったりする(熱中症ではないのでご安心を)。日に焼けるほど暑い日中の活動が体には大きな負担になるんだなと実感して、年をとったなあと思う。子供のころは何時間でも毎日外で遊んでいて、疲れたなんて気付いたこともなかった。もっとも、子供のころの夏はもう少し暑さも優しかったのだと思うが。あの頃は福岡で35度の気温なんて聞いたこともなかった。
大人はやはり子供と同じという訳にはいかない。日陰を探して、足を水で冷やしながら見守るくらいが丁度いいのだろう。今日は子供と同じペースで、無理をしてしまった。
明日から仕事がちょっと立て込んでいる。
生きるためにも、社会貢献の為にも仕事しなくては。
鳥栖、唐津、福岡。病弱児教育研究会講演の準備。セミナーへの参加。
そのすき間に、子供と夏の遊びができてよかった。
また隙をみつけて、川に、プールに、山にと真夏を楽しんで、遊びたい。
遊ぶと、仕事への意欲も出てくるから、やっぱり遊ぶことが大事。
このブログのタイトルは 「私はまるごと全部の自分で生きる」と英語で書いているのだけれど、実際そういう表現が英語にあるかどうかは知らない。
それに「自分の全部で生きる」という言葉にまったくピンとこない人もたくさんいるのだろう。
自分の全部で生きるってどういうことか、私にも以前はまったくピンと来なかった。
だからゲシュタルトの概念を学んだ時にも、最初はわかったようなわからないような、実感を伴わないものだった。
クリスのワークに初めて行った時にも、ワークに馴れるのに必死だった始めの2日間は、自分が頭だけで生きてきたことは分かるけれど、全体の自分と繋がるというのは実感できずもやもやとしていた。3日目の早朝のサウンディングメディテーションの最中、私は唐突に自分の体が自分の家なのだと分かった。魂の家、それが体。だから所属すべき場所を探して寂しがることはないのだと分かった。
それからさらに3、4年後、今存在しているもののすべてが自分と関係があるのだという感覚、実感が唐突に生まれて、とても驚いた。ワークの場所、長野県の女神山ライフセンター。研修室の天井を眺めていて、その梁に使われている木材も、釘の一つ一つも、全部今この瞬間、自分と関わりがあると強く感じられたのだ。それはそれまでの人生にはまったくなかった新しい感覚だった。
自分の全部で生きている人はどんな人か。
よく笑い、よく泣き、踊り、歌い、働き、よく食べ、よく働き、よく眠る。
よく考え、沈黙し、話す。
いつもその人らしさを失わず、くったくがなく、人を警戒させない。
私の中で今結ばれたそういう人のイメージ。そういう人でありたい。
よく笑う人には憧れる。
私は笑うことが上手に出来ない。
私の育った家庭では笑うとその後必ず悲しいことが起きていたから。
無防備にくったくなく笑うことを 生きている間に取り戻したいと願っている。
それに「自分の全部で生きる」という言葉にまったくピンとこない人もたくさんいるのだろう。
自分の全部で生きるってどういうことか、私にも以前はまったくピンと来なかった。
だからゲシュタルトの概念を学んだ時にも、最初はわかったようなわからないような、実感を伴わないものだった。
クリスのワークに初めて行った時にも、ワークに馴れるのに必死だった始めの2日間は、自分が頭だけで生きてきたことは分かるけれど、全体の自分と繋がるというのは実感できずもやもやとしていた。3日目の早朝のサウンディングメディテーションの最中、私は唐突に自分の体が自分の家なのだと分かった。魂の家、それが体。だから所属すべき場所を探して寂しがることはないのだと分かった。
それからさらに3、4年後、今存在しているもののすべてが自分と関係があるのだという感覚、実感が唐突に生まれて、とても驚いた。ワークの場所、長野県の女神山ライフセンター。研修室の天井を眺めていて、その梁に使われている木材も、釘の一つ一つも、全部今この瞬間、自分と関わりがあると強く感じられたのだ。それはそれまでの人生にはまったくなかった新しい感覚だった。
自分の全部で生きている人はどんな人か。
よく笑い、よく泣き、踊り、歌い、働き、よく食べ、よく働き、よく眠る。
よく考え、沈黙し、話す。
いつもその人らしさを失わず、くったくがなく、人を警戒させない。
私の中で今結ばれたそういう人のイメージ。そういう人でありたい。
よく笑う人には憧れる。
私は笑うことが上手に出来ない。
私の育った家庭では笑うとその後必ず悲しいことが起きていたから。
無防備にくったくなく笑うことを 生きている間に取り戻したいと願っている。
頭で思っているだけのことと
言葉にして口に出したことは
実際の作用・効果が違う。
これを大昔の日本では「言霊」と言ったのだと思う。
もう嫌だなあ…と思っているだけの状態と
「もう嫌だなあ」と口に出した状態は 自分の反応に差や違いがあることに気付くだろう。
そこで。
気にしなければいいんだ、と思っていることは本当に口に出して「これはもう気にしない!」と言ってみる。「気にしない、気にしない」と何度か言うと本当に気にならなくなっていくことも少なくない。
自分をごまかすのとは違う。本当に自分がそうしようと決めたことだけを口にする。
そうしたほうがいいとか、そうするべきだという「考え」は口にしても苦しくなるばかりなので、重要なのは「本当に自己一致して自分でこうすると決めたこと」を口に出すことだ。
そう。ここで重要なのは自己一致。
内面の自分と口に出す自分が自己一致していると、その言葉は現実を引き寄せる。
これが多分、世の中で流行っている「引き寄せの法則」だ。
時々、言葉にするとかえって台なしになる感じがする微妙で繊細な感じというのがある。そういうものも声で表現してみると面白い。言葉にはならないのでむぎゅううーーとかはにゃああーーとかガゴオオ〜などという妙な鳴き声になったりもするのだけれど、恥を捨てればなんとも言い難い感じを表現できる。
自分の感じていることをそのままに、恥を捨てて表現できると、それはすごく輝きを増して力強いものになる。自分をしっかり手にしている感じ。
それから自分がして欲しいこと、言って欲しいことをしっかり言葉にするということもこれに通じている気がする。
洗濯物は、いつも私が家族の洗濯物を畳んで、一人ひとりの分づつ山にしてあげる。しまうのはそれぞれ自分の服の山を自分で引出にしまうというのが我が家のルールなのだが、夫はよくせっかく畳んだ服をしまわずにぐちゃぐちゃにしてしまう。犬がいるので床に置きっ放しにすると犬が蹴ったりしてすぐぐちゃぐちゃになり、しかも夫はそれを気にせず数日放置したりするものだから犬の毛まみれになったりする。私にすればきちんとたたんである洗濯物をぐちゃぐちゃにするなんてあり得ない破壊行為だ。それをみると自分の努力が全部台なしにされたような気がして、とってもがっかりするのだが、昨日、たたんだ洗濯物を手渡しながら夫に「いつも洗濯してたたんでくれてありがとう、と言って欲しいなあ」と言ってみた。すると「いつも洗濯してたたんでくれてありがとう〜」と言って引出にしまいにいってくれた。
自己一致している言葉は「言霊」になり「現実を引き寄せる」。
言葉(声の表現)は他者にも作用する。
だから自分の中を綺麗にしておかないと人を傷つけてしまうことにもなる。
心無い言葉、くせになっている汚い言葉、雑で粗い言葉。
自分の中に綺麗なものをいつも見つけておけば 言葉も自然と綺麗になっていく。
声を出し 言葉を紡ぎ 表情や動きでの表現も 全部使ってこそ人間。
思いや考えだけでなく、全部で生きるように努めると 現実をもっともっとたくましく生きて行ける気がする。
言葉にして口に出したことは
実際の作用・効果が違う。
これを大昔の日本では「言霊」と言ったのだと思う。
もう嫌だなあ…と思っているだけの状態と
「もう嫌だなあ」と口に出した状態は 自分の反応に差や違いがあることに気付くだろう。
そこで。
気にしなければいいんだ、と思っていることは本当に口に出して「これはもう気にしない!」と言ってみる。「気にしない、気にしない」と何度か言うと本当に気にならなくなっていくことも少なくない。
自分をごまかすのとは違う。本当に自分がそうしようと決めたことだけを口にする。
そうしたほうがいいとか、そうするべきだという「考え」は口にしても苦しくなるばかりなので、重要なのは「本当に自己一致して自分でこうすると決めたこと」を口に出すことだ。
そう。ここで重要なのは自己一致。
内面の自分と口に出す自分が自己一致していると、その言葉は現実を引き寄せる。
これが多分、世の中で流行っている「引き寄せの法則」だ。
時々、言葉にするとかえって台なしになる感じがする微妙で繊細な感じというのがある。そういうものも声で表現してみると面白い。言葉にはならないのでむぎゅううーーとかはにゃああーーとかガゴオオ〜などという妙な鳴き声になったりもするのだけれど、恥を捨てればなんとも言い難い感じを表現できる。
自分の感じていることをそのままに、恥を捨てて表現できると、それはすごく輝きを増して力強いものになる。自分をしっかり手にしている感じ。
それから自分がして欲しいこと、言って欲しいことをしっかり言葉にするということもこれに通じている気がする。
洗濯物は、いつも私が家族の洗濯物を畳んで、一人ひとりの分づつ山にしてあげる。しまうのはそれぞれ自分の服の山を自分で引出にしまうというのが我が家のルールなのだが、夫はよくせっかく畳んだ服をしまわずにぐちゃぐちゃにしてしまう。犬がいるので床に置きっ放しにすると犬が蹴ったりしてすぐぐちゃぐちゃになり、しかも夫はそれを気にせず数日放置したりするものだから犬の毛まみれになったりする。私にすればきちんとたたんである洗濯物をぐちゃぐちゃにするなんてあり得ない破壊行為だ。それをみると自分の努力が全部台なしにされたような気がして、とってもがっかりするのだが、昨日、たたんだ洗濯物を手渡しながら夫に「いつも洗濯してたたんでくれてありがとう、と言って欲しいなあ」と言ってみた。すると「いつも洗濯してたたんでくれてありがとう〜」と言って引出にしまいにいってくれた。
自己一致している言葉は「言霊」になり「現実を引き寄せる」。
言葉(声の表現)は他者にも作用する。
だから自分の中を綺麗にしておかないと人を傷つけてしまうことにもなる。
心無い言葉、くせになっている汚い言葉、雑で粗い言葉。
自分の中に綺麗なものをいつも見つけておけば 言葉も自然と綺麗になっていく。
声を出し 言葉を紡ぎ 表情や動きでの表現も 全部使ってこそ人間。
思いや考えだけでなく、全部で生きるように努めると 現実をもっともっとたくましく生きて行ける気がする。
長崎で被爆し、今もお元気でいらっしゃる女性が、私の処に心理学を学びに来て下さっている。とても熱心な方で、自由になるとは言えないお身体で、福岡市南区から、唐津市まででも講座の開催地を追いかけて、受講して下さっている。
何故そこまで熱心に通ってこられているのかと言えば、ご高齢でもう持ち時間が少ないことをご本人が自覚されているからだ。命のあるうちに、学びたいことを、精一杯学びたい、そんな思いがひしひしと感じられる。
受講者に分け隔てをすることは無いけれど、そのような命がけの真剣な方が私の講義を受ける為に追いかけてこられるのであれば、自然、こちらも精一杯応じたいという気持ちになるのが当然というものだ。唐津での授業では、いつも一番遠いその方が、一番先に教室に現れた。そして唐津での最終回、私はその方に自分の車に同乗してもらって、途中まで一緒に帰った。唐津から福岡まで帰る道すがら、のんびりといろいろな事を話した。
その方の目には、現代の人々には信念が失われているように見えること。それは、信仰心を失ったためではないかとその方はおっしゃっていた。長崎の方なのだから、カソリックのクリスチャンなのだろう。人の心には、人としての道を示す為の、教えが必要だというお言葉に、深くうなづいた。
原爆の体験を、語り残さなければならないと思いつつも、気が重く、口も重くなるという。それでも、覚悟を決めて、そろそろ語りはじめなければと、その方は何度もおっしゃっていた。今、その方はメンタルヨガクラスに毎月熱心に通っておられる。彼女の存在が、クラス全体に人生の深みと希望をいつももたらしてくれる。福岡クラスはいつも私の苦労なく、やわらかでしなやかで、新鮮な疑問と探求心に満ちている。
平和とは何だろう。
自分にとっての平和はなんだろう。
私にとっては 無防備でいられる凪の心。
家族に対して ただ穏やかな心でいられる瞬間。
目を閉じて 世界中の子供たち 悲しみの中にある人々のために ただ祈ることのできる瞬間。
嬉しいとか 幸せとか 私にとっては 少し平和とは違う。
私にとって平和とは ただ広がる水平線。果てしない地平線。
誰とも争わず 誰とも戦わず 自分ですらない地球そのものになる感覚。
けれど 平和はかげろうのように 僅かな空気の揺らぎ一つでかき消えてしまうもの。
清浄な水でも たった一滴の毒で毒水に変わってしまうように。
心無いとげのある言葉や振る舞い 悪意のひとかけらで消え去ってしまうはかないもの。
私は もっともっと 強い平和を自分の内側に創り出せる存在になりたい。
どんな逆風にも 批難にも 揺るぎない平和を。
長崎や広島の人々がもつ 平和への願いは それと似ている気がする。
長崎の原爆の中 生き延びたその方と会う度に そんな平和を心に思い起こさせていただいている。
この方と共に学ぶことのできる 限られた機会。
もっと多くの人たちが この輪に加わってくれればどんなに素晴らしいだろう。
私はそうなるようにと 祈り続けている。
何故そこまで熱心に通ってこられているのかと言えば、ご高齢でもう持ち時間が少ないことをご本人が自覚されているからだ。命のあるうちに、学びたいことを、精一杯学びたい、そんな思いがひしひしと感じられる。
受講者に分け隔てをすることは無いけれど、そのような命がけの真剣な方が私の講義を受ける為に追いかけてこられるのであれば、自然、こちらも精一杯応じたいという気持ちになるのが当然というものだ。唐津での授業では、いつも一番遠いその方が、一番先に教室に現れた。そして唐津での最終回、私はその方に自分の車に同乗してもらって、途中まで一緒に帰った。唐津から福岡まで帰る道すがら、のんびりといろいろな事を話した。
その方の目には、現代の人々には信念が失われているように見えること。それは、信仰心を失ったためではないかとその方はおっしゃっていた。長崎の方なのだから、カソリックのクリスチャンなのだろう。人の心には、人としての道を示す為の、教えが必要だというお言葉に、深くうなづいた。
原爆の体験を、語り残さなければならないと思いつつも、気が重く、口も重くなるという。それでも、覚悟を決めて、そろそろ語りはじめなければと、その方は何度もおっしゃっていた。今、その方はメンタルヨガクラスに毎月熱心に通っておられる。彼女の存在が、クラス全体に人生の深みと希望をいつももたらしてくれる。福岡クラスはいつも私の苦労なく、やわらかでしなやかで、新鮮な疑問と探求心に満ちている。
平和とは何だろう。
自分にとっての平和はなんだろう。
私にとっては 無防備でいられる凪の心。
家族に対して ただ穏やかな心でいられる瞬間。
目を閉じて 世界中の子供たち 悲しみの中にある人々のために ただ祈ることのできる瞬間。
嬉しいとか 幸せとか 私にとっては 少し平和とは違う。
私にとって平和とは ただ広がる水平線。果てしない地平線。
誰とも争わず 誰とも戦わず 自分ですらない地球そのものになる感覚。
けれど 平和はかげろうのように 僅かな空気の揺らぎ一つでかき消えてしまうもの。
清浄な水でも たった一滴の毒で毒水に変わってしまうように。
心無いとげのある言葉や振る舞い 悪意のひとかけらで消え去ってしまうはかないもの。
私は もっともっと 強い平和を自分の内側に創り出せる存在になりたい。
どんな逆風にも 批難にも 揺るぎない平和を。
長崎や広島の人々がもつ 平和への願いは それと似ている気がする。
長崎の原爆の中 生き延びたその方と会う度に そんな平和を心に思い起こさせていただいている。
この方と共に学ぶことのできる 限られた機会。
もっと多くの人たちが この輪に加わってくれればどんなに素晴らしいだろう。
私はそうなるようにと 祈り続けている。
やわらちゃんとして一世を風靡して、国民的スターアスリートとなった彼女が、大変な努力家で柔道家としての実績も実に素晴らしいことは、誰もが知っている。
田村で金、谷でも金、ママでも金と有言実行した度胸と、それを現実にするために影にあった猛烈な努力は想像に難くない。実際、本当に、超人的だと思う。
そんな彼女だから、政治家と柔道家と母親の三つのわらじを履いて、誰もが無理だと思ったことを成し遂げてしまうのかもしれない、とも思わなくもない。そうだったらほんとうに凄いし、そんな超人的な伝説となるであろう人物と同じ時代を生きるのであれば是非、彼女の偉業達成を見届けたい、という気持ちにもなる。
けれど 今テレビに出ている彼女の顔をみて、これはやはり不可能だと思う。
頬はこけ、すっかり痩せてしまっている。世界トップのアスリートなのだから、体力はおそらく常人離れしているだろう。けれどその彼女があのげっそりとした顔である。
彼女は、これまでも誰も為し得なかった、不可能と思われることを何度も成し遂げた。
今回も、そうなるのだろうか。いや。今回は彼女が体験したことのない難しさだ。
それは、「支持されていない」という負のエネルギーが彼女に浴びせられていることだ。
彼女はこれまでほとんど、全国民から愛され、応援されるという正のエネルギーの中に生きてきた。それはもちろん、ほとんどのアスリートにとって「期待される」という地獄のプレッシャーなのだが、彼女は「あなたなら出来る」「あなたにぜひそれを実現して欲しい」という正のエネルギーを力に替えてきた。多くの人の期待を背負って、自分からも「金を目指す」と公言してはばからず、堂々とその期待を肩に乗せて試合に臨むその姿に、誰もが感動したのだ。
彼女は、女性だけれど本当に男前な心の持ち主なのだ。
これは柔道家として非常に優れた素質を備えていることを示している。
しかし今回はまったく違う。
多くの人が、彼女の二足のわらじ発言に反発し、心配し、負のエネルギーを向けている。
マスコミの扱い方、報じ方も、まさにそうである。これがどんなにその人の力を削ぐか、私は非常にわかる。誰も彼女が二足のわらじを履けると信じない。そして望んでいない。彼女には純粋にアスリートであって欲しいと望み、または純粋に政治家であって欲しいと望んでいる。
彼女が普通に買い物にでもでかければ、あれだけ顔が知られている人のこと、「頑張って」と声をかける人も多いだろう。しかし「政治に専念しなさいよ」と言う人や「柔道だけでいいんじゃない?」と言う人にも確実に遭遇する。有名になるということは、静かで平穏な生活が不可能になるということだ。それだけでも辛いことなのに、自分の選んだ道に反対する人が行く先々にいることを痛感する。それは心を病んでもおかしくないほど、苦しいことに違いない。男前な彼女は、そうしたネガティブな声からも逃げないだろう。そしてより強い風をその身に受けてしまう。
これは本当に、大変なことだ。
自分の志を貫くとき、周囲の支持があるのと、周囲に反対されているのでは、成功率はおのずと大きく違う。それが、マスメディアを通じて全国民規模であると感じさせられる彼女の、精神的負担はいかばかりか。それがあの頬のこけた顔に現れている。
あれだけ顔が細くなるということは、間違いなく5キロ以上、おそらくは7キロほどあるいはそれ以上、体重が減少しているのではないかと思う。それは選挙運動の過酷さだけではないはずだ。
彼女は、これからバッシングやネガティブキャンペーンの猛烈な逆風の嵐のなかを進む。
それは彼女の体験したことのない感覚の連続だろう。
彼女の男前な心が、どうか守られるようにと思う。
私も彼女にマイナスの風を吹かせてしまう一人だ。
これから政治家として彼女は、政界では自分の思うようにはならないことを幾度も思い知る。そして一番得意だった柔道でも、思うような練習が出来ず、成績が上がらず、苦渋を舐める。真面目な彼女は、その姿を隠すことも出来ず、マスコミにいいように書かれて話題のネタにされてしまうだろう。だから彼女には任期の間、柔道を休むという選択しか開かれないと思っている。そして一期で政治家を辞めるか、政治家を選んで柔道の現役を辞めるかを決めるだろう。
けれど今日、痛々しい彼女の姿を見て、せめて静かに見守ろうと決めた。
彼女は、間違いなく24時間、彼女の人生を戦っている。
田村で金、谷でも金、ママでも金と有言実行した度胸と、それを現実にするために影にあった猛烈な努力は想像に難くない。実際、本当に、超人的だと思う。
そんな彼女だから、政治家と柔道家と母親の三つのわらじを履いて、誰もが無理だと思ったことを成し遂げてしまうのかもしれない、とも思わなくもない。そうだったらほんとうに凄いし、そんな超人的な伝説となるであろう人物と同じ時代を生きるのであれば是非、彼女の偉業達成を見届けたい、という気持ちにもなる。
けれど 今テレビに出ている彼女の顔をみて、これはやはり不可能だと思う。
頬はこけ、すっかり痩せてしまっている。世界トップのアスリートなのだから、体力はおそらく常人離れしているだろう。けれどその彼女があのげっそりとした顔である。
彼女は、これまでも誰も為し得なかった、不可能と思われることを何度も成し遂げた。
今回も、そうなるのだろうか。いや。今回は彼女が体験したことのない難しさだ。
それは、「支持されていない」という負のエネルギーが彼女に浴びせられていることだ。
彼女はこれまでほとんど、全国民から愛され、応援されるという正のエネルギーの中に生きてきた。それはもちろん、ほとんどのアスリートにとって「期待される」という地獄のプレッシャーなのだが、彼女は「あなたなら出来る」「あなたにぜひそれを実現して欲しい」という正のエネルギーを力に替えてきた。多くの人の期待を背負って、自分からも「金を目指す」と公言してはばからず、堂々とその期待を肩に乗せて試合に臨むその姿に、誰もが感動したのだ。
彼女は、女性だけれど本当に男前な心の持ち主なのだ。
これは柔道家として非常に優れた素質を備えていることを示している。
しかし今回はまったく違う。
多くの人が、彼女の二足のわらじ発言に反発し、心配し、負のエネルギーを向けている。
マスコミの扱い方、報じ方も、まさにそうである。これがどんなにその人の力を削ぐか、私は非常にわかる。誰も彼女が二足のわらじを履けると信じない。そして望んでいない。彼女には純粋にアスリートであって欲しいと望み、または純粋に政治家であって欲しいと望んでいる。
彼女が普通に買い物にでもでかければ、あれだけ顔が知られている人のこと、「頑張って」と声をかける人も多いだろう。しかし「政治に専念しなさいよ」と言う人や「柔道だけでいいんじゃない?」と言う人にも確実に遭遇する。有名になるということは、静かで平穏な生活が不可能になるということだ。それだけでも辛いことなのに、自分の選んだ道に反対する人が行く先々にいることを痛感する。それは心を病んでもおかしくないほど、苦しいことに違いない。男前な彼女は、そうしたネガティブな声からも逃げないだろう。そしてより強い風をその身に受けてしまう。
これは本当に、大変なことだ。
自分の志を貫くとき、周囲の支持があるのと、周囲に反対されているのでは、成功率はおのずと大きく違う。それが、マスメディアを通じて全国民規模であると感じさせられる彼女の、精神的負担はいかばかりか。それがあの頬のこけた顔に現れている。
あれだけ顔が細くなるということは、間違いなく5キロ以上、おそらくは7キロほどあるいはそれ以上、体重が減少しているのではないかと思う。それは選挙運動の過酷さだけではないはずだ。
彼女は、これからバッシングやネガティブキャンペーンの猛烈な逆風の嵐のなかを進む。
それは彼女の体験したことのない感覚の連続だろう。
彼女の男前な心が、どうか守られるようにと思う。
私も彼女にマイナスの風を吹かせてしまう一人だ。
これから政治家として彼女は、政界では自分の思うようにはならないことを幾度も思い知る。そして一番得意だった柔道でも、思うような練習が出来ず、成績が上がらず、苦渋を舐める。真面目な彼女は、その姿を隠すことも出来ず、マスコミにいいように書かれて話題のネタにされてしまうだろう。だから彼女には任期の間、柔道を休むという選択しか開かれないと思っている。そして一期で政治家を辞めるか、政治家を選んで柔道の現役を辞めるかを決めるだろう。
けれど今日、痛々しい彼女の姿を見て、せめて静かに見守ろうと決めた。
彼女は、間違いなく24時間、彼女の人生を戦っている。