2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
カレンダー
12 | 2025/01 | 02 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | |||
5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
プロフィール
HN:
MoonLeaf
性別:
女性
職業:
Peace Maker
自己紹介:
Member of MENSA International
最新記事
(10/03)
(10/29)
(09/30)
(09/27)
(09/25)
(09/22)
(09/16)
(09/14)
(09/14)
(09/13)
(09/13)
(09/04)
(08/24)
(08/20)
(08/18)
(08/12)
(07/30)
(07/27)
(07/22)
(07/02)
最古記事
(09/02)
(09/02)
(09/03)
(09/05)
(09/05)
(09/06)
(09/06)
(09/07)
(09/10)
(09/13)
(09/15)
(09/17)
(09/29)
(10/08)
(10/17)
(10/18)
(11/09)
(11/12)
(11/18)
(11/25)
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
アクセス解析
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
母からのどっさりマイケルグッズのお陰でマイケル漬けです。
「This is it」ツアーが、幻となった今、DVDとして観ること
ができるライブのツアーは「デンジャラスツアー」ですが、
そのブカレストでの公演のDVDを観ました。
この時、マイケルはまだ35。
なのにどうしてなんだろう…。
This is itのリハーサルの方がずっと動きの切れがあったと思
えてしまう。
ダンサーで、35と言えばもう円熟の頃。
50代のダンサーなんてあり得ない老人。
なのに、50才のマイケルの方が、35才のマイケルよりす
ごいって…。どういうことなんだ? 人間じゃない…?
明らかに、私の目には、50才のマイケルの方がすごいんです。
ともあれ、ブカレストでのデンジャラスツアー。
ヒットナンバーを次々歌うマイケルを観ていて、すごく解った
ような気持ちがしました。彼は、全部、自分の本当の気持ちを
歌っているんだということ。
すべての歌に、彼の人生が、結晶しているんだということ。
当然、ショーなので演出されているんだけれど、そこで彼は
「演じている」のではなく「演じる形の中で本心を晒している」
のだと思います。
泣きの演出も、「演出の中で本気で泣いている」と思います。
幼い頃から普通の暮らしが出来ず特別扱いだった。
マスコミに何度も心を折られ、くじけそうになった。
でも、愛を見いだし、自分も一人の人間だと歌った。
愛すること、愛されることを願った。
世界を救いたい、子供たちの未来を守りたい、だから誰かに任
せないで自分から何かやろうとした。
みんなここに集まれと呼びかけ、そして一人ひとり、自分で立
ち上がるんだと勇気づけたかった。
最後の2曲は、「ヒールザワールド」「マンインザミラー」。
本当にマイケルはそこにいる何万の一人ひとりに、訴えていた
し、彼らの魂を揺さぶって動かそうとしています。
勇気づける為に叫び、全身を投げ出しています。
その姿の中には、エンターテインメントを越えたメッセージが
確かにあったと感じるのです。
その、自分自身を投げ出し切った姿が、胸に迫るのです。
マイケルはよく両手を拡げ、胸を反らしたポーズをしますが、
あれほど自分のすべてを捧げようとする姿は他にあるだろうか
と思います。
全身から光のエネルギーが、ありったけ放出されているように
見えます。マイケルはこんなにも全身全霊で私たちを励まして
くれたんだと思うと、くじけている場合じゃない、と思います。
心の中の核が震え、見えない未来に向かって奮い立つのを感じます。
鏡の中の自分に言い聞かせるのです。彼の歌の通りに。
変わろう。
よい方に変わるんだ。
今日から。
たった今から。
自分を見つめ直し、もっと良い方向に変わろう。
マイケルは、このデンジャラスツアーの終り頃、後に嘘だったと
明らかになる少年への性的虐待疑惑の裁判を起こされ、それを皮
切りにスキャンダルにまみれていきます。
つまりこのブカレスト公演の記録は、マイケルがスキャンダルに
汚される前、無敵のスーパースターだった最高の時期の映像です。
DVD化されていませんが、パフォーマンスとして最高のものだっ
たのは、イギリスのウェンブリー公演とされています。
ちなみにThis is itは間違いなく、このツアーを遥かに越える、桁
違いの物凄いツアーになったはずです。
「This is it」ツアーが、幻となった今、DVDとして観ること
ができるライブのツアーは「デンジャラスツアー」ですが、
そのブカレストでの公演のDVDを観ました。
この時、マイケルはまだ35。
なのにどうしてなんだろう…。
This is itのリハーサルの方がずっと動きの切れがあったと思
えてしまう。
ダンサーで、35と言えばもう円熟の頃。
50代のダンサーなんてあり得ない老人。
なのに、50才のマイケルの方が、35才のマイケルよりす
ごいって…。どういうことなんだ? 人間じゃない…?
明らかに、私の目には、50才のマイケルの方がすごいんです。
ともあれ、ブカレストでのデンジャラスツアー。
ヒットナンバーを次々歌うマイケルを観ていて、すごく解った
ような気持ちがしました。彼は、全部、自分の本当の気持ちを
歌っているんだということ。
すべての歌に、彼の人生が、結晶しているんだということ。
当然、ショーなので演出されているんだけれど、そこで彼は
「演じている」のではなく「演じる形の中で本心を晒している」
のだと思います。
泣きの演出も、「演出の中で本気で泣いている」と思います。
幼い頃から普通の暮らしが出来ず特別扱いだった。
マスコミに何度も心を折られ、くじけそうになった。
でも、愛を見いだし、自分も一人の人間だと歌った。
愛すること、愛されることを願った。
世界を救いたい、子供たちの未来を守りたい、だから誰かに任
せないで自分から何かやろうとした。
みんなここに集まれと呼びかけ、そして一人ひとり、自分で立
ち上がるんだと勇気づけたかった。
最後の2曲は、「ヒールザワールド」「マンインザミラー」。
本当にマイケルはそこにいる何万の一人ひとりに、訴えていた
し、彼らの魂を揺さぶって動かそうとしています。
勇気づける為に叫び、全身を投げ出しています。
その姿の中には、エンターテインメントを越えたメッセージが
確かにあったと感じるのです。
その、自分自身を投げ出し切った姿が、胸に迫るのです。
マイケルはよく両手を拡げ、胸を反らしたポーズをしますが、
あれほど自分のすべてを捧げようとする姿は他にあるだろうか
と思います。
全身から光のエネルギーが、ありったけ放出されているように
見えます。マイケルはこんなにも全身全霊で私たちを励まして
くれたんだと思うと、くじけている場合じゃない、と思います。
心の中の核が震え、見えない未来に向かって奮い立つのを感じます。
鏡の中の自分に言い聞かせるのです。彼の歌の通りに。
変わろう。
よい方に変わるんだ。
今日から。
たった今から。
自分を見つめ直し、もっと良い方向に変わろう。
マイケルは、このデンジャラスツアーの終り頃、後に嘘だったと
明らかになる少年への性的虐待疑惑の裁判を起こされ、それを皮
切りにスキャンダルにまみれていきます。
つまりこのブカレスト公演の記録は、マイケルがスキャンダルに
汚される前、無敵のスーパースターだった最高の時期の映像です。
DVD化されていませんが、パフォーマンスとして最高のものだっ
たのは、イギリスのウェンブリー公演とされています。
ちなみにThis is itは間違いなく、このツアーを遥かに越える、桁
違いの物凄いツアーになったはずです。
PR
唐突に母から贈り物が届いた。
開けてみると、中にはマイケルジャクソンのDVDや本、CDがどっさりと…。
「私の最初で最後のプレゼントです」
とか書かれた手紙まで…。
おーい母〜 どうした?
そういえば、11月の頭に会った時には、なんでもマイケルのThis is itは映画館に5回も行ったそうで、「生前には嘘ばかり報道されてマイケルが可哀相」と話していたなあ。
突然マイケルファンになってしまってマイケル熱にうなされたのだろうか。
MJのことは私も簡単に口に出せないほど大切なんだけど、母は昔からいろんなドラマや俳優に夢中になっては、娘と話題を共有しようとしてた。それが彼女にとってのコミュニケーションだったのだろう。話が合ったときには喜んでいたっけなあと思い出す。
意見が違ったときにはこっちが最悪の目にあうんだけれど。
マイケルの話題で盛り上がってあげるかな…。
彼女の誕生日だし。。
開けてみると、中にはマイケルジャクソンのDVDや本、CDがどっさりと…。
「私の最初で最後のプレゼントです」
とか書かれた手紙まで…。
おーい母〜 どうした?
そういえば、11月の頭に会った時には、なんでもマイケルのThis is itは映画館に5回も行ったそうで、「生前には嘘ばかり報道されてマイケルが可哀相」と話していたなあ。
突然マイケルファンになってしまってマイケル熱にうなされたのだろうか。
MJのことは私も簡単に口に出せないほど大切なんだけど、母は昔からいろんなドラマや俳優に夢中になっては、娘と話題を共有しようとしてた。それが彼女にとってのコミュニケーションだったのだろう。話が合ったときには喜んでいたっけなあと思い出す。
意見が違ったときにはこっちが最悪の目にあうんだけれど。
マイケルの話題で盛り上がってあげるかな…。
彼女の誕生日だし。。
10月末から11月頭にかけて、東京に行った。
なんだか、節約節約…って生活に飽きて、お金もないけど家計からつかみとって東京への夜行バスのチケットを衝動的に買った。いわゆる、節約疲れでプチ家出という愚行。
何日か居ないけど、よろしく!と家族を放り出して、夜行バスに乗り込んだ。
なんだか、馬鹿をしないともう、やり切れなかった。
いつもの自分がしないことをしたかった。
羽目を外したかった。
バスは発車し、流れる夜景の中をひた走る。
ついに関門海峡を越え、本州へ入った。
ああ、本州にまで来てしまった…となんだかほっとした。
日常から逃げ出せたような気持ち。
自分の生活圏を完全に脱した感じ。
やっと、私はたった一人の私に戻り、自由になれた気がした。
なにをしよう。どこへいこう。すべてが自由なのだ。
制約にとらわれず、自由に感じて、思考していい。
そう思えた時、うきうきと元気が胸の底から沸いてきた。
深夜バスの中、もとより、眠れるはずはなかった。
でも、自分がもし放浪者で、どこにも帰る場所を持たない旅人だとしたら、こんな状況でも眠れる分だけは眠ろうとするだろう。
そう思うと、案外、ぐっすり眠れないのも気持ち良かった。うとうと。うつらうつら。ふと周囲を見回す。そしてまたうとうと。繰り返す。
自由っていいな。
自由って。
朝、新宿に着き、あてもなく東京で4日。
のんびり過ごしました。
東大で仏教哲学と科学の接点をさぐるセミナーに出たり。
これは猛烈に楽しかった!
総研大の教授(生物)、学長補(物理)の講義は最高に面白かった。
20数年ぶりの井の頭公園はすっかり変わってた。
渋谷も随分様変わり。
クラヤミ食堂は仕事のアイデア満載。
高円寺付近を一日ぶらぶら。
また高速バスで福岡へ。
バイバイ、東京。
住みたい町ではないけど、懐かしかったよ。
次は娘と一緒に、ディズニーランドに行こう。
お金は無くなっちゃったけど、人生を進む元気は充電した。
旅は、タイミング。
今しかないという時は迷わず、勇気を出して進め!
自分のタイミングは、自分にしかわからないんだから!
なんだか、節約節約…って生活に飽きて、お金もないけど家計からつかみとって東京への夜行バスのチケットを衝動的に買った。いわゆる、節約疲れでプチ家出という愚行。
何日か居ないけど、よろしく!と家族を放り出して、夜行バスに乗り込んだ。
なんだか、馬鹿をしないともう、やり切れなかった。
いつもの自分がしないことをしたかった。
羽目を外したかった。
バスは発車し、流れる夜景の中をひた走る。
ついに関門海峡を越え、本州へ入った。
ああ、本州にまで来てしまった…となんだかほっとした。
日常から逃げ出せたような気持ち。
自分の生活圏を完全に脱した感じ。
やっと、私はたった一人の私に戻り、自由になれた気がした。
なにをしよう。どこへいこう。すべてが自由なのだ。
制約にとらわれず、自由に感じて、思考していい。
そう思えた時、うきうきと元気が胸の底から沸いてきた。
深夜バスの中、もとより、眠れるはずはなかった。
でも、自分がもし放浪者で、どこにも帰る場所を持たない旅人だとしたら、こんな状況でも眠れる分だけは眠ろうとするだろう。
そう思うと、案外、ぐっすり眠れないのも気持ち良かった。うとうと。うつらうつら。ふと周囲を見回す。そしてまたうとうと。繰り返す。
自由っていいな。
自由って。
朝、新宿に着き、あてもなく東京で4日。
のんびり過ごしました。
東大で仏教哲学と科学の接点をさぐるセミナーに出たり。
これは猛烈に楽しかった!
総研大の教授(生物)、学長補(物理)の講義は最高に面白かった。
20数年ぶりの井の頭公園はすっかり変わってた。
渋谷も随分様変わり。
クラヤミ食堂は仕事のアイデア満載。
高円寺付近を一日ぶらぶら。
また高速バスで福岡へ。
バイバイ、東京。
住みたい町ではないけど、懐かしかったよ。
次は娘と一緒に、ディズニーランドに行こう。
お金は無くなっちゃったけど、人生を進む元気は充電した。
旅は、タイミング。
今しかないという時は迷わず、勇気を出して進め!
自分のタイミングは、自分にしかわからないんだから!
お久しぶりでーーす。
ずいぶんブログに書けませんでした。
書こうとするまえの状態、自分の中がくるくるいろんな思いで
混とんとしてる状態でした。
でも久しぶりによいしょ。
このページを開けることが出来ました。
大好きなみなさん、お元気ですか?
私はとても穏やかな毎日を送ってます。
私が大事に思っている方たちの顔が、一人ひとり、浮かんでは消えます。
ああ、なんか暖かい気持ち。
みんなが元気で、笑顔でいてくれることを願ってます。
ところで、昨日の夜、今朝、すごく寒〜い!!
もうストーブが欲しいくらいになってきました!!
こたつが欲しいと思ってるんですが…夫が猛反対。
部屋が汚くなる、生活態度がだらしなくなる、子供が入り浸るって…。
この理由は私も以前まったく同感だったのですが、
歳なんですかねー、こたつが恋しいな〜と気持ちが変わってきたのですよねえ。
毎年、冬になると軽い風邪を引いて、それがひきがねになって咳喘息が始まってしまうのですが。
。。
今年もやってしまってます。
現在 しっかり咳喘息。
日中はまだいいのですが、夜になるともう〜咳、咳、咳で息ができない〜なんて発作も起きます。
さすがに2日眠れなかった日のあと、しぶしぶ病院に行きました。
専門の薬にすがろうと。
この薬って、価格がすごく高いのですーー。
あう。医療費で家計直撃。
でもそれ以外はとても穏やかに毎日過ごしています。
起床して、朝ご飯とお弁当作り。
午前中はお掃除と洗濯。
犬と遊んで、お茶を飲みます。
ベランダの植物をお世話して、金魚の水槽を少しきれいにします。
あっという間にお昼を回り、トーストと紅茶。
合間に少々NPOの事務仕事。
アイロンかけと、娘の服の繕い仕事。
あら大変。銀行が閉まってしまう。
てくてく銀行に行って支払いとか手続きとか。
郵便局に手紙を出しに行ったり。
その帰り、スーパーに寄ってその日の分だけお買い物。
夕飯作りをのんびり、のんびり進めます。
「ただいまーー」と娘が帰って、「おかえり」とキッチンから答えます。
なんか、幸せ。お母さんぽい。
夕飯の支度に2時間くらいかけます。
こんなに時間をかけて料理するなんて、本当に初めてのことかも知れません。
いつも20分から30分以内で作ってましたから。
のんびり作るのに馴れてないので作り過ぎちゃいます(笑)
夫が帰ってきて、18時には夕食はじめ。
わーー。
サラリーマンの家庭の主婦みたいだ。。。。
たぶんこの生活もながくは続かないのですが、一生に一度、サラリーマン家庭の主婦をしてみたかった。憧れてました。自分の仕事のことなんて一つも考えない、ただ家庭の中の仕事と家族のことだけを考えて生活する主婦…。
けっこう満足です。
どんなものかわかりました。
主婦のみなさんが、「自分の時間がない」「自分の為の生きがいややりがいが欲しい」と言う気持ちも、よくわかりました。
毎日これが何十年も繰り返されたら 飽きる っていうのもよく解りました。
でも今は、私の人生でたぶん期間限定の主婦生活。
楽しんでみます。
のんびりお茶するのって ほんと素敵ですね。。。。
ずいぶんブログに書けませんでした。
書こうとするまえの状態、自分の中がくるくるいろんな思いで
混とんとしてる状態でした。
でも久しぶりによいしょ。
このページを開けることが出来ました。
大好きなみなさん、お元気ですか?
私はとても穏やかな毎日を送ってます。
私が大事に思っている方たちの顔が、一人ひとり、浮かんでは消えます。
ああ、なんか暖かい気持ち。
みんなが元気で、笑顔でいてくれることを願ってます。
ところで、昨日の夜、今朝、すごく寒〜い!!
もうストーブが欲しいくらいになってきました!!
こたつが欲しいと思ってるんですが…夫が猛反対。
部屋が汚くなる、生活態度がだらしなくなる、子供が入り浸るって…。
この理由は私も以前まったく同感だったのですが、
歳なんですかねー、こたつが恋しいな〜と気持ちが変わってきたのですよねえ。
毎年、冬になると軽い風邪を引いて、それがひきがねになって咳喘息が始まってしまうのですが。
。。
今年もやってしまってます。
現在 しっかり咳喘息。
日中はまだいいのですが、夜になるともう〜咳、咳、咳で息ができない〜なんて発作も起きます。
さすがに2日眠れなかった日のあと、しぶしぶ病院に行きました。
専門の薬にすがろうと。
この薬って、価格がすごく高いのですーー。
あう。医療費で家計直撃。
でもそれ以外はとても穏やかに毎日過ごしています。
起床して、朝ご飯とお弁当作り。
午前中はお掃除と洗濯。
犬と遊んで、お茶を飲みます。
ベランダの植物をお世話して、金魚の水槽を少しきれいにします。
あっという間にお昼を回り、トーストと紅茶。
合間に少々NPOの事務仕事。
アイロンかけと、娘の服の繕い仕事。
あら大変。銀行が閉まってしまう。
てくてく銀行に行って支払いとか手続きとか。
郵便局に手紙を出しに行ったり。
その帰り、スーパーに寄ってその日の分だけお買い物。
夕飯作りをのんびり、のんびり進めます。
「ただいまーー」と娘が帰って、「おかえり」とキッチンから答えます。
なんか、幸せ。お母さんぽい。
夕飯の支度に2時間くらいかけます。
こんなに時間をかけて料理するなんて、本当に初めてのことかも知れません。
いつも20分から30分以内で作ってましたから。
のんびり作るのに馴れてないので作り過ぎちゃいます(笑)
夫が帰ってきて、18時には夕食はじめ。
わーー。
サラリーマンの家庭の主婦みたいだ。。。。
たぶんこの生活もながくは続かないのですが、一生に一度、サラリーマン家庭の主婦をしてみたかった。憧れてました。自分の仕事のことなんて一つも考えない、ただ家庭の中の仕事と家族のことだけを考えて生活する主婦…。
けっこう満足です。
どんなものかわかりました。
主婦のみなさんが、「自分の時間がない」「自分の為の生きがいややりがいが欲しい」と言う気持ちも、よくわかりました。
毎日これが何十年も繰り返されたら 飽きる っていうのもよく解りました。
でも今は、私の人生でたぶん期間限定の主婦生活。
楽しんでみます。
のんびりお茶するのって ほんと素敵ですね。。。。
自分にとって苦境がおとずれた時に
それが何か自分以外のものの力によると思うと
苦しさは何倍にもなってしまう。
特に、誰かのせいで自分が苦境に立たされたのだと思うと、
その苦しみは地獄の業火のようであろうと思う。
釈迦の教えの中にすべての苦は自分から生ずるという言葉がある。
この言葉を日頃よく思い出し 暇な時につらつらと考えている。
最近、カウンセリングも少ないし、講演の仕事もぼつぼつとしか
やらないので事実上私はとても暇である。
暇だ なんて言葉を使うのは、いったい何年ぶりなのだろうか。
おそらく最後に使ったのは高校生の頃だから26年ぶりくらい。
何故それ以来、暇じゃなくなったのかと言えば、私自身が私に休暇を許さなかったからだ。
暇だなんて言うことは許されていなかった。
やるべきことは常になにかあったし、仕事のこと、未来のためにしておくべきことはいつだって山のようにあったのだ。
ここ数年間は、常にNPOの為に仕事をしていた。
きりのない、そして終わりのない仕事。
家事が終わり、子供の手が離れるとすぐにパソコンの前に座り事務作業をしたり、これからの計画の為に必要なデザイン作業や講義に入れる資料作り、下調べ。
いつもいつも、仕事のことを考えていた。
正月休みに実家にいる時も、温泉に入っている時も。
それから、外国から来る講師たちの為に何が出来るかと考えたり、準備したり。泊まりがけのワークをいつやろうかとか。
最近、そのような仕事頭をオヤスミすることができる瞬間が多くなった。
常任の理事であるから、常に責任がある、という考えを自分からおろしてみたのだ。
私は、常任の理事を務めなくても、講師として働くことで十分に働いていると、認識を改めた。
事務作業などしなくても、私は十分にやっている。
これまで、私だけは特別に重い義務があるのだから自由に寝ることさえも許されずいつも仕事しなければいけないのだと思い込んでいたように思う。文句ではなく、事実として、他の理事だっていつもNPOの仕事を負担しているのではないのだ。私だけがいつでも仕事を負担しないといけないと、ずーーっと思い込んで来た。
現実を見たら、私も他の理事も、NPOから理事報酬としてのお金を受け取っていない。
他の理事に対して、「お金も受け取っていないのだから仕事を義務として引き受けないのは仕方ないな」と思っていたが、自分にだけはそれを適用していなかった。自分だけは他の人が放り出したり自己都合で出来ないと言った分まですべて、引き受けてどんなに苦しくてもやらなければならない存在なのだと思い込んでいたのだ。しかも、無償で、無限に。
どうして私だけがそんなに重い責任を負わなければならないのか?
ああ、ナンセンスなのだと、気付いた。
私だけが私生活をすべて投げ打って、死ぬ思いをしてやらなければいけないなんて、おかしいのだ。
馬鹿馬鹿しいほどに当たり前なのだけれど、目からうろことはこの事だ。
私の、このようなおかしな思い込みによって、うちのNPOのボランティアは動かないのだ、と思っている。私が、辛そうに仕事しているから、その側に人が来ないのだと。
私はどこかで、自分がこんなに仕事に追われ苦しんでいるのは、誰かのせいだと思っていなかっただろうか。そんなことを僅かでも思っているなら、それは当然、人に伝わる。
人が寄りつかないのは当然のことなのだ。
すべては自分から生ずるのだ。
私は、もっと自分に対しても公平に振る舞うべきだと気付いた。
やれる分を一生懸命誠実にやっていけばいい。楽しんで。
気楽に、人が見て楽しそうに見えるような具合に。
私は今、暇である。
その暇は、NPOにすべて捧げなければならないものではないのだ。
私の暇は、私の自由に使って良いはずなのだ。
呼吸をする自由を取り戻そう。力を蓄えよう。うたた寝をしよう。
笑顔でいられるように。健康でいられるように。
悲壮な生き方をやめるべきだ。
そうしたからといって、私は、困っている人のことを忘れたりはしない。
助けに行ける機会を、見逃したりはしないのだから。
それが私のライフワークなのだ。
焦らず長く続けられる分量を調節していこう。
ああ 久しぶりにクリスに会いたいな。
私の魂の産婆さん。
宮古島のエメラルド波の音を聴きたい。
石垣の風に吹かれたい。
何度でも、生まれ変わらせてくれる、あの沖縄の離島。
魂の故郷。
それが何か自分以外のものの力によると思うと
苦しさは何倍にもなってしまう。
特に、誰かのせいで自分が苦境に立たされたのだと思うと、
その苦しみは地獄の業火のようであろうと思う。
釈迦の教えの中にすべての苦は自分から生ずるという言葉がある。
この言葉を日頃よく思い出し 暇な時につらつらと考えている。
最近、カウンセリングも少ないし、講演の仕事もぼつぼつとしか
やらないので事実上私はとても暇である。
暇だ なんて言葉を使うのは、いったい何年ぶりなのだろうか。
おそらく最後に使ったのは高校生の頃だから26年ぶりくらい。
何故それ以来、暇じゃなくなったのかと言えば、私自身が私に休暇を許さなかったからだ。
暇だなんて言うことは許されていなかった。
やるべきことは常になにかあったし、仕事のこと、未来のためにしておくべきことはいつだって山のようにあったのだ。
ここ数年間は、常にNPOの為に仕事をしていた。
きりのない、そして終わりのない仕事。
家事が終わり、子供の手が離れるとすぐにパソコンの前に座り事務作業をしたり、これからの計画の為に必要なデザイン作業や講義に入れる資料作り、下調べ。
いつもいつも、仕事のことを考えていた。
正月休みに実家にいる時も、温泉に入っている時も。
それから、外国から来る講師たちの為に何が出来るかと考えたり、準備したり。泊まりがけのワークをいつやろうかとか。
最近、そのような仕事頭をオヤスミすることができる瞬間が多くなった。
常任の理事であるから、常に責任がある、という考えを自分からおろしてみたのだ。
私は、常任の理事を務めなくても、講師として働くことで十分に働いていると、認識を改めた。
事務作業などしなくても、私は十分にやっている。
これまで、私だけは特別に重い義務があるのだから自由に寝ることさえも許されずいつも仕事しなければいけないのだと思い込んでいたように思う。文句ではなく、事実として、他の理事だっていつもNPOの仕事を負担しているのではないのだ。私だけがいつでも仕事を負担しないといけないと、ずーーっと思い込んで来た。
現実を見たら、私も他の理事も、NPOから理事報酬としてのお金を受け取っていない。
他の理事に対して、「お金も受け取っていないのだから仕事を義務として引き受けないのは仕方ないな」と思っていたが、自分にだけはそれを適用していなかった。自分だけは他の人が放り出したり自己都合で出来ないと言った分まですべて、引き受けてどんなに苦しくてもやらなければならない存在なのだと思い込んでいたのだ。しかも、無償で、無限に。
どうして私だけがそんなに重い責任を負わなければならないのか?
ああ、ナンセンスなのだと、気付いた。
私だけが私生活をすべて投げ打って、死ぬ思いをしてやらなければいけないなんて、おかしいのだ。
馬鹿馬鹿しいほどに当たり前なのだけれど、目からうろことはこの事だ。
私の、このようなおかしな思い込みによって、うちのNPOのボランティアは動かないのだ、と思っている。私が、辛そうに仕事しているから、その側に人が来ないのだと。
私はどこかで、自分がこんなに仕事に追われ苦しんでいるのは、誰かのせいだと思っていなかっただろうか。そんなことを僅かでも思っているなら、それは当然、人に伝わる。
人が寄りつかないのは当然のことなのだ。
すべては自分から生ずるのだ。
私は、もっと自分に対しても公平に振る舞うべきだと気付いた。
やれる分を一生懸命誠実にやっていけばいい。楽しんで。
気楽に、人が見て楽しそうに見えるような具合に。
私は今、暇である。
その暇は、NPOにすべて捧げなければならないものではないのだ。
私の暇は、私の自由に使って良いはずなのだ。
呼吸をする自由を取り戻そう。力を蓄えよう。うたた寝をしよう。
笑顔でいられるように。健康でいられるように。
悲壮な生き方をやめるべきだ。
そうしたからといって、私は、困っている人のことを忘れたりはしない。
助けに行ける機会を、見逃したりはしないのだから。
それが私のライフワークなのだ。
焦らず長く続けられる分量を調節していこう。
ああ 久しぶりにクリスに会いたいな。
私の魂の産婆さん。
宮古島のエメラルド波の音を聴きたい。
石垣の風に吹かれたい。
何度でも、生まれ変わらせてくれる、あの沖縄の離島。
魂の故郷。
こんなにも人間という存在を愛しているのに
人付き合いは とんでもなく下手くそです。
動物との付き合いはものすごく得意なのですが。
それは私が 人間社会に適応しきれていないことを
示しています。
動物との付き合いと 人間との付き合いのどこに違
いがあるかと言えば ずばりそれは「裏」があるか
どうかです。
私は裏を読むことが極端に苦手で鈍感なのです。
小さい頃から、ずっと、人間が苦手です。
人間は自分の気持ちを隠します。自分の気持ちを大
げさに飾ります。
自分の気持ちを大きく表現したり小さく表現したり
加工します。
自分のことばかり気にしているくせに 人のことを
思ってのことだと嘘をつきます。その嘘は自分自身
さえも騙してしまうほど巧妙です。
動物には これらすべてがありません。
だから私は動物が大好きです。動物と一緒に居ると
素の自分で居られるし心から安らぎます。
人の中にも本当は 動物となにも変わらない、正直
で素直でまっすぐなその人そのものが居て 私はい
つもその部分を見ようとしています。そうでなけれ
ば、人間ほど嘘つきな動物とは付き合えないのです。
嘘つきは私自身も同じことで、本当につくづく人間
という存在はそのように出来ているのかも知れない
と思います。
歳を取り 年々 人の中の素直でまっすぐなその人
そのものが より見えるようになってきました。
そのおかげで 随分と人生を苦しむことも減ってき
ました。どんな意地悪な人のなかにも どんなキザ
な人のなかにも 柔らかく素直でまっすぐなその人
そのものがあることが分かってきました。
小学生のころ 担任の先生から言われた一言が胸に
突き刺さりました。
「人の悪いところばかり見ないで良いところを見な
さい」
人のあら探しばかりして お前は何と心の狭い、汚
い人間なのかと言われたように感じました。
(本当はそんなに酷い言い方をしていなかったのだ
と思いますが私はとても繊細な子供だったのです)
傷付いたのと同時に、私の中にその言葉はずっとず
っと残りました。人の嫌な部分を感じるたびに、自
分の心が狭いせいだと自分を責め、とても大きな劣
等感にとらわれました。
でも今は、違って聞こえます。
どんな人の中にも、良いところがある。
諦めず、それを見いだそうと努めよう。
幼い日、鋭い言葉として胸に突き刺さった担任の言
葉は、私の生き方の方向性を導く旗だったのだと思
います。
傷付いた私は 傷付きやすい人を傷つけないように
気をつけて生きることが出来ます。何事も悪いこと
ではないのですね。
人付き合いは とんでもなく下手くそです。
動物との付き合いはものすごく得意なのですが。
それは私が 人間社会に適応しきれていないことを
示しています。
動物との付き合いと 人間との付き合いのどこに違
いがあるかと言えば ずばりそれは「裏」があるか
どうかです。
私は裏を読むことが極端に苦手で鈍感なのです。
小さい頃から、ずっと、人間が苦手です。
人間は自分の気持ちを隠します。自分の気持ちを大
げさに飾ります。
自分の気持ちを大きく表現したり小さく表現したり
加工します。
自分のことばかり気にしているくせに 人のことを
思ってのことだと嘘をつきます。その嘘は自分自身
さえも騙してしまうほど巧妙です。
動物には これらすべてがありません。
だから私は動物が大好きです。動物と一緒に居ると
素の自分で居られるし心から安らぎます。
人の中にも本当は 動物となにも変わらない、正直
で素直でまっすぐなその人そのものが居て 私はい
つもその部分を見ようとしています。そうでなけれ
ば、人間ほど嘘つきな動物とは付き合えないのです。
嘘つきは私自身も同じことで、本当につくづく人間
という存在はそのように出来ているのかも知れない
と思います。
歳を取り 年々 人の中の素直でまっすぐなその人
そのものが より見えるようになってきました。
そのおかげで 随分と人生を苦しむことも減ってき
ました。どんな意地悪な人のなかにも どんなキザ
な人のなかにも 柔らかく素直でまっすぐなその人
そのものがあることが分かってきました。
小学生のころ 担任の先生から言われた一言が胸に
突き刺さりました。
「人の悪いところばかり見ないで良いところを見な
さい」
人のあら探しばかりして お前は何と心の狭い、汚
い人間なのかと言われたように感じました。
(本当はそんなに酷い言い方をしていなかったのだ
と思いますが私はとても繊細な子供だったのです)
傷付いたのと同時に、私の中にその言葉はずっとず
っと残りました。人の嫌な部分を感じるたびに、自
分の心が狭いせいだと自分を責め、とても大きな劣
等感にとらわれました。
でも今は、違って聞こえます。
どんな人の中にも、良いところがある。
諦めず、それを見いだそうと努めよう。
幼い日、鋭い言葉として胸に突き刺さった担任の言
葉は、私の生き方の方向性を導く旗だったのだと思
います。
傷付いた私は 傷付きやすい人を傷つけないように
気をつけて生きることが出来ます。何事も悪いこと
ではないのですね。
今朝、忙しく娘と夫のお弁当を作っていたら、夫が洗面所で私を呼んでいる。
一番忙しい時間になんだよぅ。卵焼きが焦げてもしらないぞぉ。
と思いながら洗面所に行くと天井から水が滴り落ちている。
ここは7階建てマンションの5階。
外は晴れているし、雨漏りではない。
つまり6階の水が、落ちてきているのだった。
水漏れは一年前にもあったので、二度目だ。
すぐに大家さんに電話。
実は6階に住んでいるのは大家さんなのだ。
「あらまあ、ほんと?ごめんなさいね!今洗濯してるのよ。
その水だわね。すぐ業者に電話するから…」
と対応してくれたのでやれやれと大急ぎでお弁当作りに戻る。
「ママ、遅刻するよ〜」「はいはい、ごめんごめん」
何とか滑り込みセーフでお弁当を手渡し、娘と夫を送り出す。
さて。
洗面所に戻って、状態をよくみると、家具にしっかり水がかかってい
て、水を吸った木が膨張してしまっている。うーーん。。。。
そのままにする訳にはいかないので、とりあえず家具を動かして、
水が落ちてこない場所へとずらす。
修理の人が来た時にも、この方がよく天井が見えるだろう。
…と思って待っていたのだけれど、結局今日は、大家さんから何の
連絡もなかった。
きっとショック受けてるんだろうな。
お金のない時に、お金がかかる修理。
オーナーという立場も本当に楽じゃないものだ。
その心痛や心労は、痛いほどわかる。
明日、うちは水漏れは我慢できるよ、と言いに行こうと思う。
すぐに直さなくてもいいと言ってあげることくらいしか、大家さんの
為に出来ることはない。
一番忙しい時間になんだよぅ。卵焼きが焦げてもしらないぞぉ。
と思いながら洗面所に行くと天井から水が滴り落ちている。
ここは7階建てマンションの5階。
外は晴れているし、雨漏りではない。
つまり6階の水が、落ちてきているのだった。
水漏れは一年前にもあったので、二度目だ。
すぐに大家さんに電話。
実は6階に住んでいるのは大家さんなのだ。
「あらまあ、ほんと?ごめんなさいね!今洗濯してるのよ。
その水だわね。すぐ業者に電話するから…」
と対応してくれたのでやれやれと大急ぎでお弁当作りに戻る。
「ママ、遅刻するよ〜」「はいはい、ごめんごめん」
何とか滑り込みセーフでお弁当を手渡し、娘と夫を送り出す。
さて。
洗面所に戻って、状態をよくみると、家具にしっかり水がかかってい
て、水を吸った木が膨張してしまっている。うーーん。。。。
そのままにする訳にはいかないので、とりあえず家具を動かして、
水が落ちてこない場所へとずらす。
修理の人が来た時にも、この方がよく天井が見えるだろう。
…と思って待っていたのだけれど、結局今日は、大家さんから何の
連絡もなかった。
きっとショック受けてるんだろうな。
お金のない時に、お金がかかる修理。
オーナーという立場も本当に楽じゃないものだ。
その心痛や心労は、痛いほどわかる。
明日、うちは水漏れは我慢できるよ、と言いに行こうと思う。
すぐに直さなくてもいいと言ってあげることくらいしか、大家さんの
為に出来ることはない。
人間にしかないと言われている、他者への深い思いやりや感謝の念。
それをいつも目覚めた状態にしておくことが出来れば
私たちはどれだけ人生を楽に出来るだろうか。
仏陀は結局の処、それを生涯人に説いてまわったのだと思う。
仏教徒にならなくてもいいから、人への思いやりと感謝の念を取り
戻せればいいのだ。それは人の為ではなく、自分自身の人生を救う
ことになるのだから。
こんな不況で、クライエントの数はめっきり減ったけれども、不況
も関係なく、にっちもさっちも行かなくなった人はやはりいるよう
で、カウンセリングもゼロにはならない。
「私は治るんでしょうか」
自分の苦しみに終わりはあるのかと、渦中の人は不安に思う。
誰だってそうだ。私だってお産の時にはあまりの苦しみに「お産っ
て、ちゃんとおわるんだよね!?」と自問したものだ。
そういう時には、すぐ側にいる、平静な人の言葉が欲しい。
「大丈夫、ちゃんと終る」と平静に言って欲しいものだ。
だから私もクライエントに言う。
「必ず治ります」
そしてそれは本当だ。
どんなものにも終わりがある。すべてのことは変化する。
私が確信するまでもなく、それは自然の摂理であり真実なのだ。
「私はどうしてこう駄目なのだろう。私はなぜ運が悪いのだろう」
こんな風に自分にばかり意識が向いている人には外への気付きを増
すように促す。
「人はどうして意地悪なのか。あの人は何故あんなに酷いことをす
るのか。」
こんな風に他者にばかり意識が向いている人には、人ではなく自分
がどうするかに気付いてもらうよう促す。
人を見ろと言ったり自分を見ろと言ったり、私の言うことは相手に
よって正反対だ。けれどそれがその人に必要なことなのだ。
自分の言葉が一貫していないようでこれでいいのかと思ったことも
あるけれど、なんと、釈迦も相手によって全然違うことを話してい
たと聞いた。
それは相手によって、知識もその時の知力のレベルも、経験したこ
とも違うからだという。一切知という、全知全能の能力を持ってい
たと言われる釈迦にとって、その人の現状は手に取るようにわかっ
たはずで、その時のその人に一番役に立つ言葉を紡いで導いていた
のだろう。釈迦にとって、後に残る自分の言葉の整合性はどうでも
よかったのではないだろうか。
自分に対する人の評価より 目の前の人の幸福を。
そんな気持ちだけは、お釈迦さまと共通していると想えば、何とな
く安心する。
それをいつも目覚めた状態にしておくことが出来れば
私たちはどれだけ人生を楽に出来るだろうか。
仏陀は結局の処、それを生涯人に説いてまわったのだと思う。
仏教徒にならなくてもいいから、人への思いやりと感謝の念を取り
戻せればいいのだ。それは人の為ではなく、自分自身の人生を救う
ことになるのだから。
こんな不況で、クライエントの数はめっきり減ったけれども、不況
も関係なく、にっちもさっちも行かなくなった人はやはりいるよう
で、カウンセリングもゼロにはならない。
「私は治るんでしょうか」
自分の苦しみに終わりはあるのかと、渦中の人は不安に思う。
誰だってそうだ。私だってお産の時にはあまりの苦しみに「お産っ
て、ちゃんとおわるんだよね!?」と自問したものだ。
そういう時には、すぐ側にいる、平静な人の言葉が欲しい。
「大丈夫、ちゃんと終る」と平静に言って欲しいものだ。
だから私もクライエントに言う。
「必ず治ります」
そしてそれは本当だ。
どんなものにも終わりがある。すべてのことは変化する。
私が確信するまでもなく、それは自然の摂理であり真実なのだ。
「私はどうしてこう駄目なのだろう。私はなぜ運が悪いのだろう」
こんな風に自分にばかり意識が向いている人には外への気付きを増
すように促す。
「人はどうして意地悪なのか。あの人は何故あんなに酷いことをす
るのか。」
こんな風に他者にばかり意識が向いている人には、人ではなく自分
がどうするかに気付いてもらうよう促す。
人を見ろと言ったり自分を見ろと言ったり、私の言うことは相手に
よって正反対だ。けれどそれがその人に必要なことなのだ。
自分の言葉が一貫していないようでこれでいいのかと思ったことも
あるけれど、なんと、釈迦も相手によって全然違うことを話してい
たと聞いた。
それは相手によって、知識もその時の知力のレベルも、経験したこ
とも違うからだという。一切知という、全知全能の能力を持ってい
たと言われる釈迦にとって、その人の現状は手に取るようにわかっ
たはずで、その時のその人に一番役に立つ言葉を紡いで導いていた
のだろう。釈迦にとって、後に残る自分の言葉の整合性はどうでも
よかったのではないだろうか。
自分に対する人の評価より 目の前の人の幸福を。
そんな気持ちだけは、お釈迦さまと共通していると想えば、何とな
く安心する。
月が変わり、年末まで3ヶ月。
契約書に従い、大家さんに退去予告をしに行った。
予想に反して、大家さんに思いっきり引き留められてしまった。
「どうせ貸すならあなたがいいわ。お願い、考え直して。家賃なら
下げてもいい」
大家さんにも事情があるのだろう。
なにせ、ここの家賃は平均的収入の人には払えないほど高額だ。
従って、入れている敷金もかなり大金だ。
私たちが退去すれば、大家さんは預かっている敷金のうち全額では
ないにしろ、かなりまとまったお金を用意して返さなければならな
いのだ。
そして古さが目立ってきたこのビルに、高額の家賃を払って住宅と
して入居する人はそう居ない。
同じ高額な家賃なら、最新式のタワーマンションに住めるのだから。
現に別の階は長いこと借り手が付いていない。大家さんもこの不況
で大ピンチに陥っているのだ。私たちが出て行ったら、家賃収入が
まったくなくなってしまう。家賃を下げてでも残って欲しいという
のは、そういう切実な事情が透けて見えるのだ。
そうかと言って、来年も続けてここの家賃を払い続けられるかと考
えると、見通しは暗い。滞納などということになってしまたら、か
えって大家さんに迷惑をかけてしまう。
まあだがしかし。
引き留める条件に家賃引き下げを提示して下さっている。
その額が出ないことには検討も出来ない。
待つしかないだろう。
流動的で、行く先が見えない現実。
けれど波乗りしつづける。
大家さんに、不動産屋を紹介してあげた。以前から知っている不動
産屋で、訳あり物件や古い物件、くせのある物件ばかりを扱う変わ
った不動産屋さんだ。古いことや事情があることを承知の上で、借
り手にアピールしてくれる。この不動産屋なら、このビルの空き部
屋を埋めてくれるはずだ。
大家さんにその事を話すと、大喜びですぐに電話すると言った。
大家さんの懐具合が良くなると、私たちを引き留める動機は無くな
ってしまうかもしれず、自分には不利なことをしたのかも知れない
が、困っている人に知っている情報を教えてあげない方が気持ちが
悪い。どうせ一旦は出て行く覚悟をしたのだから、大家さんがどう
気が変わろうともいい、と思っている。
大家さんが経済的危機から脱してくれれば、自分がそうでなくても
嬉しいことだ。こんな不況の時には、誰からでもいい、助かる人か
ら助かるべきなのだ。
すべてのことは流動的に。
大丈夫。生きていけるはずだ。
契約書に従い、大家さんに退去予告をしに行った。
予想に反して、大家さんに思いっきり引き留められてしまった。
「どうせ貸すならあなたがいいわ。お願い、考え直して。家賃なら
下げてもいい」
大家さんにも事情があるのだろう。
なにせ、ここの家賃は平均的収入の人には払えないほど高額だ。
従って、入れている敷金もかなり大金だ。
私たちが退去すれば、大家さんは預かっている敷金のうち全額では
ないにしろ、かなりまとまったお金を用意して返さなければならな
いのだ。
そして古さが目立ってきたこのビルに、高額の家賃を払って住宅と
して入居する人はそう居ない。
同じ高額な家賃なら、最新式のタワーマンションに住めるのだから。
現に別の階は長いこと借り手が付いていない。大家さんもこの不況
で大ピンチに陥っているのだ。私たちが出て行ったら、家賃収入が
まったくなくなってしまう。家賃を下げてでも残って欲しいという
のは、そういう切実な事情が透けて見えるのだ。
そうかと言って、来年も続けてここの家賃を払い続けられるかと考
えると、見通しは暗い。滞納などということになってしまたら、か
えって大家さんに迷惑をかけてしまう。
まあだがしかし。
引き留める条件に家賃引き下げを提示して下さっている。
その額が出ないことには検討も出来ない。
待つしかないだろう。
流動的で、行く先が見えない現実。
けれど波乗りしつづける。
大家さんに、不動産屋を紹介してあげた。以前から知っている不動
産屋で、訳あり物件や古い物件、くせのある物件ばかりを扱う変わ
った不動産屋さんだ。古いことや事情があることを承知の上で、借
り手にアピールしてくれる。この不動産屋なら、このビルの空き部
屋を埋めてくれるはずだ。
大家さんにその事を話すと、大喜びですぐに電話すると言った。
大家さんの懐具合が良くなると、私たちを引き留める動機は無くな
ってしまうかもしれず、自分には不利なことをしたのかも知れない
が、困っている人に知っている情報を教えてあげない方が気持ちが
悪い。どうせ一旦は出て行く覚悟をしたのだから、大家さんがどう
気が変わろうともいい、と思っている。
大家さんが経済的危機から脱してくれれば、自分がそうでなくても
嬉しいことだ。こんな不況の時には、誰からでもいい、助かる人か
ら助かるべきなのだ。
すべてのことは流動的に。
大丈夫。生きていけるはずだ。
事務所の賃貸契約が年末に切れる。
たぶん更新はできないのではないかと思う。
大家さんにはずいぶんとよくして頂いた。
大型犬の飼育を許して下さった。
不況に襲われた時には家賃を下げて下さった。
これ以上甘えさせて頂くことは申し訳ない。
さて…。
これからどうしようか。
長年やってきたので事務所の荷物も随分多いし
どこにも行くあてもない…。
何もかも捨てて
何もかもやめて
ゼロから再スタート…ということさえも可能性の一つに
考えなければならない。
生きて行かなければならないからね。
守ってきたもの…続けてきたもの…
それを考えると そうそう軽率に動く訳にもいかないのだけれど
慎重に 慎重に 残された時間 考えてみよう。
意外と悲しい気分にならないというのは 年を重ねたせいだろう。
若い頃なら悔しさに地団駄を踏んだはずだ。
しかし今は知っている。
自分の力だけでどうにもならないことも多いということを。
それは自分の身の丈が分かった、ということでもあり、人生の
現実に打ちのめされずただ見つめるだけの落ち着きが備わった
ということかもしれない。
数百万の価値のある機材を捨てざるを得なかった時にも。
数千万の価値のある権利物をむざむざと人に盗られた時にも。
地団駄を踏んできたけれど。
今は我が家の全財産を奪って行った人にさして腹も立たない。
所詮、金は金に過ぎない。
悪事を働いたものは金を得た代りに魂を汚してしまったことだろう。
人知を超えて因果の法は働くだろう。
人にも金にも物にも 執着しない。
人生はすべて夢のようなもの。
その中でつかむ真実の為に 最善を尽くすのみ。
大切なものを見失わなければ どう生きてもいいはずだ。
何を失うとしても
悪事を働かない人間である方が 私には大事なことだ。
良いことを行う人間であろうとする方が 大切なことだ。
私は祖父に そのように教わった。
祖父の魂を受け継ぐものとして 生きようと思う。
たぶん更新はできないのではないかと思う。
大家さんにはずいぶんとよくして頂いた。
大型犬の飼育を許して下さった。
不況に襲われた時には家賃を下げて下さった。
これ以上甘えさせて頂くことは申し訳ない。
さて…。
これからどうしようか。
長年やってきたので事務所の荷物も随分多いし
どこにも行くあてもない…。
何もかも捨てて
何もかもやめて
ゼロから再スタート…ということさえも可能性の一つに
考えなければならない。
生きて行かなければならないからね。
守ってきたもの…続けてきたもの…
それを考えると そうそう軽率に動く訳にもいかないのだけれど
慎重に 慎重に 残された時間 考えてみよう。
意外と悲しい気分にならないというのは 年を重ねたせいだろう。
若い頃なら悔しさに地団駄を踏んだはずだ。
しかし今は知っている。
自分の力だけでどうにもならないことも多いということを。
それは自分の身の丈が分かった、ということでもあり、人生の
現実に打ちのめされずただ見つめるだけの落ち着きが備わった
ということかもしれない。
数百万の価値のある機材を捨てざるを得なかった時にも。
数千万の価値のある権利物をむざむざと人に盗られた時にも。
地団駄を踏んできたけれど。
今は我が家の全財産を奪って行った人にさして腹も立たない。
所詮、金は金に過ぎない。
悪事を働いたものは金を得た代りに魂を汚してしまったことだろう。
人知を超えて因果の法は働くだろう。
人にも金にも物にも 執着しない。
人生はすべて夢のようなもの。
その中でつかむ真実の為に 最善を尽くすのみ。
大切なものを見失わなければ どう生きてもいいはずだ。
何を失うとしても
悪事を働かない人間である方が 私には大事なことだ。
良いことを行う人間であろうとする方が 大切なことだ。
私は祖父に そのように教わった。
祖父の魂を受け継ぐものとして 生きようと思う。