2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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小城の講習会最終日。
やはり小城は遠い。
朝の6時半に出発し、夜の7時過ぎに戻る。
けれど今日でそれも最終日となった。
この3月はいろんなことが終った。
小城で出会った人々もまた、とても豊かな人々だった。
最初は居眠りをしたり、感想文に反問的な文面を綴っていた人が、心を開いて傾聴の必要性を理解してくれる瞬間を、私はこれまでにも何度も見てきた。
それは私にとって最高の瞬間のひとつだ。
一人の心が開かれていく、その美しい瞬間を目撃することは本当に恵まれている。
その瞬間は私には、まるで小さな小さな扉が、そっとほんのわずか開き、向こう側に真っ白な暖かい光が差していくように見える。心の中で、私は泣きそうな気持ちで、それを見つめている。どうか壊れないようにと祈りながら。
外見と、その人の中身は必ずしも一致しない。
私はそれを幾度となく、思い知らされてきた。
たくさんの人の心がそっとほんのわずか開いていた。
大きく開け放った人もいた。
その開き加減は一人ひとり違うけれど、開いた部分から、彼ら一人ひとりの笑顔が、素直ではにかんだ、笑顔がのぞいていた。
私は彼らの心の為に祈る。
どうかその温もりと光を信じてくれるようにと。
あなた方一人ひとりの中にある、いたわりや優しさに満ちた人間性の力を。
小城に、心優しい人たちがまた、26人生まれた。
どうか彼らにいつも、優しさが降り注ぎますように。
やはり小城は遠い。
朝の6時半に出発し、夜の7時過ぎに戻る。
けれど今日でそれも最終日となった。
この3月はいろんなことが終った。
小城で出会った人々もまた、とても豊かな人々だった。
最初は居眠りをしたり、感想文に反問的な文面を綴っていた人が、心を開いて傾聴の必要性を理解してくれる瞬間を、私はこれまでにも何度も見てきた。
それは私にとって最高の瞬間のひとつだ。
一人の心が開かれていく、その美しい瞬間を目撃することは本当に恵まれている。
その瞬間は私には、まるで小さな小さな扉が、そっとほんのわずか開き、向こう側に真っ白な暖かい光が差していくように見える。心の中で、私は泣きそうな気持ちで、それを見つめている。どうか壊れないようにと祈りながら。
外見と、その人の中身は必ずしも一致しない。
私はそれを幾度となく、思い知らされてきた。
たくさんの人の心がそっとほんのわずか開いていた。
大きく開け放った人もいた。
その開き加減は一人ひとり違うけれど、開いた部分から、彼ら一人ひとりの笑顔が、素直ではにかんだ、笑顔がのぞいていた。
私は彼らの心の為に祈る。
どうかその温もりと光を信じてくれるようにと。
あなた方一人ひとりの中にある、いたわりや優しさに満ちた人間性の力を。
小城に、心優しい人たちがまた、26人生まれた。
どうか彼らにいつも、優しさが降り注ぎますように。
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私は夫と不仲になったことはないのだけれど
最近、特に仲が良いと感じる。
夫と出会ったばかりの頃、私は恐怖の共依存人間で、夫の面倒をみることで自分の価値を保っていた大変心の病んだ状態だった。
その状態では健全な関係性など作れないのが当然なので、私は何度も彼と別れることを試みたが、結局一人になること怖さに、結婚したようなものだ。もちろん、当時は本気で「この人と幸せになろう」と思ったから結婚したのだけれど、本当の意味での安心も幸せもなく、数年間で私は消耗し切ってしまった。
カウンセリングに通い始めたのはその頃だったか。
会社を背負って孤軍奮闘していた私は、自分の気持ちを聴いてくれる人を必要としていた。友人たちにそれを頼むことは出来ず、私はカウンセラーを探した。
一時間ごとに8000円を払い、今思えば、「聞き役」を買ったのだった。
けれどお金と引き換えに得たその聞き役には、「つまらないことを聞いてもらっている」という罪悪感を持たずにすんだ。友人ならそうはいかない。彼らは善意で、私の話を聞いてくれるのだから。当時の私には、解決できる訳でもない悩みを、延々聞かせて気分をブルーにするなんて、申し訳なさ過ぎて友人にはとてもお願い出来そうになかった。
今でも、「だれにも話せなかった」という人に出会うたび、その気持ちが分かる気がする。
人に相談できない人というのは、自分の価値が人に比べて低いと感じている。
だから人の時間をとったり、手間をとったりすることや、助けてもらうことは自分に相応しくない、わがままだと感じるのだ。
今なら、信頼する人が私の力になってくれると言ってくれるなら、相談出来る気がする。
とにかく、私はそういう経緯でカウンセリングにいったためにカウンセラーから「あなたは夫に依存している」と指摘される羽目になった。
最初は「うっそー!!」であり、「依存してるというなら、夫が私に、でしょう。だって夫は一人では何もできない人ですよ。私がいなければ公園に寝泊まりしてるような人です」というのが私の主張だった。
でも、その実、私は夫に依存していたのだ。
そして、無自覚に、夫が私から自律できないように巧妙に仕組んでいた。
本当に、まったく無意識に。
私は、ある日その構図に気づいた。
人の人生を、自分が操ろうとしていたことに気づき、恐ろしくなった。
本気で、彼と別れようと思った。そして罪の償いに死んでしまおうとも思った。
彼から離れようとする私、でも戻ってしまう私は、本当に不安定だった。
よくもまあ、彼はそんな私の手を離さなかったものだと思う。
そうして、二人でとことん「自律とは何か」、「どう生きるべきなのか」を話し合った。
何度も、何年も。
私は生きることにもがき、毎日死ぬことを考えた。
依存型の人間にとって、依存対象を失うことは存在意義を失うことだ。
だから生きていくことが出来なくなる。
もがいた結果、私は自分の死ぬ日を決めた。半年後、自分の生まれた日。
そうすると、安心して毎日死ぬことを考えずに生きられるようになった。
どうせ死ぬことは決まったのだから、残りの日々、しておくべきことをしよう、と。
その頃、エサレン研究所の女王と言われる世界一流のファシリテーター、クリスティン・プライスに出会った。
偉大なクリス。
私は、生まれて初めて、他人の前で安心するという経験をした。
他者との関わり方は、自分自身との関わり方の鏡。
私はそのことを学びはじめた。
私は夫から自律した。
そして、本当に夫から離れる選択も自由なのだとわかった時、また数年を掛けて私はふたたび彼と生きる人生を選択し直した。
アスペルガー症候群と思われる特徴を持つ彼は、本当に助けを必要としていた。
本当に理解してくれる人を必要としていた。
私は、人生をこの人を助けることに使おうと決めた。
そして、自分の人生は、人を援助するためにあると理解した。
私が彼を助けるのは、他の多くの人を助けることの一部なのだ。
今でも彼のアスペルガーチックな言動にむかっ腹が立つことはあるけれど、全部許せる。
彼は嘘をつかない。
彼は人に悪意を抱かない。
人を助けない代りに、助けてもらえないことに一切文句を言わない。
彼は動物とも昆虫とも心を通わせてコミュニケーションする。
彼はハエ一匹、蚊一匹さえも殺さず、逃がしてやる。
誰も害さず、植物のように動かず、自分に火がついても払わず、生かされれば生き、攻められればやすやすと滅ぶ、そういう人だ。
私は、彼に出会ってから今日まで、少しも変わらずそういう彼の純粋さを愛している。
彼を支配しようとしなくなってから、私は自由勝手にしている彼を眺めているだけで幸せを感じる。
来世でも彼と結婚するかと聞かれればたぶん、しないけれど(それに彼はきっと私と結婚しなくても私の周りのどこかにいるだろう)たぶん、以前よりも本当に愛せるようになったのだと思う。
最近、特に仲が良いと感じる。
夫と出会ったばかりの頃、私は恐怖の共依存人間で、夫の面倒をみることで自分の価値を保っていた大変心の病んだ状態だった。
その状態では健全な関係性など作れないのが当然なので、私は何度も彼と別れることを試みたが、結局一人になること怖さに、結婚したようなものだ。もちろん、当時は本気で「この人と幸せになろう」と思ったから結婚したのだけれど、本当の意味での安心も幸せもなく、数年間で私は消耗し切ってしまった。
カウンセリングに通い始めたのはその頃だったか。
会社を背負って孤軍奮闘していた私は、自分の気持ちを聴いてくれる人を必要としていた。友人たちにそれを頼むことは出来ず、私はカウンセラーを探した。
一時間ごとに8000円を払い、今思えば、「聞き役」を買ったのだった。
けれどお金と引き換えに得たその聞き役には、「つまらないことを聞いてもらっている」という罪悪感を持たずにすんだ。友人ならそうはいかない。彼らは善意で、私の話を聞いてくれるのだから。当時の私には、解決できる訳でもない悩みを、延々聞かせて気分をブルーにするなんて、申し訳なさ過ぎて友人にはとてもお願い出来そうになかった。
今でも、「だれにも話せなかった」という人に出会うたび、その気持ちが分かる気がする。
人に相談できない人というのは、自分の価値が人に比べて低いと感じている。
だから人の時間をとったり、手間をとったりすることや、助けてもらうことは自分に相応しくない、わがままだと感じるのだ。
今なら、信頼する人が私の力になってくれると言ってくれるなら、相談出来る気がする。
とにかく、私はそういう経緯でカウンセリングにいったためにカウンセラーから「あなたは夫に依存している」と指摘される羽目になった。
最初は「うっそー!!」であり、「依存してるというなら、夫が私に、でしょう。だって夫は一人では何もできない人ですよ。私がいなければ公園に寝泊まりしてるような人です」というのが私の主張だった。
でも、その実、私は夫に依存していたのだ。
そして、無自覚に、夫が私から自律できないように巧妙に仕組んでいた。
本当に、まったく無意識に。
私は、ある日その構図に気づいた。
人の人生を、自分が操ろうとしていたことに気づき、恐ろしくなった。
本気で、彼と別れようと思った。そして罪の償いに死んでしまおうとも思った。
彼から離れようとする私、でも戻ってしまう私は、本当に不安定だった。
よくもまあ、彼はそんな私の手を離さなかったものだと思う。
そうして、二人でとことん「自律とは何か」、「どう生きるべきなのか」を話し合った。
何度も、何年も。
私は生きることにもがき、毎日死ぬことを考えた。
依存型の人間にとって、依存対象を失うことは存在意義を失うことだ。
だから生きていくことが出来なくなる。
もがいた結果、私は自分の死ぬ日を決めた。半年後、自分の生まれた日。
そうすると、安心して毎日死ぬことを考えずに生きられるようになった。
どうせ死ぬことは決まったのだから、残りの日々、しておくべきことをしよう、と。
その頃、エサレン研究所の女王と言われる世界一流のファシリテーター、クリスティン・プライスに出会った。
偉大なクリス。
私は、生まれて初めて、他人の前で安心するという経験をした。
他者との関わり方は、自分自身との関わり方の鏡。
私はそのことを学びはじめた。
私は夫から自律した。
そして、本当に夫から離れる選択も自由なのだとわかった時、また数年を掛けて私はふたたび彼と生きる人生を選択し直した。
アスペルガー症候群と思われる特徴を持つ彼は、本当に助けを必要としていた。
本当に理解してくれる人を必要としていた。
私は、人生をこの人を助けることに使おうと決めた。
そして、自分の人生は、人を援助するためにあると理解した。
私が彼を助けるのは、他の多くの人を助けることの一部なのだ。
今でも彼のアスペルガーチックな言動にむかっ腹が立つことはあるけれど、全部許せる。
彼は嘘をつかない。
彼は人に悪意を抱かない。
人を助けない代りに、助けてもらえないことに一切文句を言わない。
彼は動物とも昆虫とも心を通わせてコミュニケーションする。
彼はハエ一匹、蚊一匹さえも殺さず、逃がしてやる。
誰も害さず、植物のように動かず、自分に火がついても払わず、生かされれば生き、攻められればやすやすと滅ぶ、そういう人だ。
私は、彼に出会ってから今日まで、少しも変わらずそういう彼の純粋さを愛している。
彼を支配しようとしなくなってから、私は自由勝手にしている彼を眺めているだけで幸せを感じる。
来世でも彼と結婚するかと聞かれればたぶん、しないけれど(それに彼はきっと私と結婚しなくても私の周りのどこかにいるだろう)たぶん、以前よりも本当に愛せるようになったのだと思う。
一年と期間を決めて行ったクラスが今日終った。
私にとって継続的に同じメンバーと関わるということは本当に覚悟が必要なことだった。それでも去年の春、その始めての試みに挑戦し、参加してくれた愛しいメンバー。
参加人数が減ってクラス維持がかなり困難になったが、約束の一年を守ろうと頑張った。
すると別の人が新しく増えたりして、人の流れにも助けられた。
何よりも参加者が一年のときを私とともに過ごそうと決めて、参加し続けてくれたことに深い深い感謝を感じる。
同時に、私は彼らの期待には応えきれていないことを実は痛感していた。
これまで、一度たりともグループワークで同じだったことはない。
全てのグループが違う要素、違うニーズを持ち、全ての瞬間が違う。
だからグループワークは難しいし、全員に充足感や満足を感じてもらうのは本当に奇跡的なことだと思う。
それでも、参加者を信頼してプロセスをたどる。
これまでに、グループワークでここまで不満足な感覚を持ったことは一度も無かった。
顔には出さないけれど、私は、そのことに、結構打ちひしがれている。
このクラスでの難しさは、場のムードの調整にあった。
参加者が日頃のつき合いを持つ、顔見知りであったことがワークを深めることを大変に困難にした。
私は毎回、それを解くことに傾注し、目標としていたけれど、突破は極めて困難だった。
自分と日頃から関係のある人というのは、ワークの場ではしがらみとなって防衛につながる。この種の防衛を解くのは本当に難しい。なにしろ、そこには日常生活という人生そのものがつながっているのだから。
言い訳はしない。
私の力不足だった。
それでも一年、通ってくれたメンバーに、心からお礼をいいたい。
おわびもしたいが、このおわびの意味を理解してもらえないだろう。
おわびをすれば誤解を与える。損をした感覚だけを持たせてしまうだろう。
本当は、一人ひとりの状態とニーズを分かっている。
しかし私に与えられた一年の期間に、そのニーズ全部を満たすことが出来なかった。
何も与えなかった訳ではないし、彼ら自身の力で見いだしたものがあることも確かだ。
毎回悩みながら、車を運転して現地へ向かった。
毎回反省会をしながら、帰りの道を走った。
伝えるべきことを、私は何故伝え切れないのだろうかと。
私はまだまだ、全然だめだ。
もっともっと、修行が必要だ。
相手のニーズが分かっていても満たすことが一年を掛けてもできないなんて。
つくづく、ふがいない。
特に気掛かりなのは、あと一歩で自分を信頼しはじめる、という入口でうろうろと迷っている人。
本当に、本当に、気掛かりだ。
あと一歩、もうすぐそこに明るい世界の入口があるのに。
彼女自身は、入口の前にたっていることすら気づいていないのだ。
私は彼女にそれを知らせるべきか。
それとも黙って時を待つべきか。
私は頭を抱えて悩んでいる。
だが私に与えられた期間は終ってしまったのだ。
祈る。
ただひたすらにこれからも、愛すべきメンバーの事を見守る。
また同じ輪を囲む機会が訪れることを願って祈る。
私が次のクラスを守ることが出来れば、彼らがまたこのグループワークを必要とした時に戻ってこられるだろう。私は場を守ろう。
ひとつの終わり。何事も、すべてのことは終っていく。
そして、全ての人に、また次の扉が目の前に来るのだろう。
私はここから、見守る。
開け、新しい扉!
私にとって継続的に同じメンバーと関わるということは本当に覚悟が必要なことだった。それでも去年の春、その始めての試みに挑戦し、参加してくれた愛しいメンバー。
参加人数が減ってクラス維持がかなり困難になったが、約束の一年を守ろうと頑張った。
すると別の人が新しく増えたりして、人の流れにも助けられた。
何よりも参加者が一年のときを私とともに過ごそうと決めて、参加し続けてくれたことに深い深い感謝を感じる。
同時に、私は彼らの期待には応えきれていないことを実は痛感していた。
これまで、一度たりともグループワークで同じだったことはない。
全てのグループが違う要素、違うニーズを持ち、全ての瞬間が違う。
だからグループワークは難しいし、全員に充足感や満足を感じてもらうのは本当に奇跡的なことだと思う。
それでも、参加者を信頼してプロセスをたどる。
これまでに、グループワークでここまで不満足な感覚を持ったことは一度も無かった。
顔には出さないけれど、私は、そのことに、結構打ちひしがれている。
このクラスでの難しさは、場のムードの調整にあった。
参加者が日頃のつき合いを持つ、顔見知りであったことがワークを深めることを大変に困難にした。
私は毎回、それを解くことに傾注し、目標としていたけれど、突破は極めて困難だった。
自分と日頃から関係のある人というのは、ワークの場ではしがらみとなって防衛につながる。この種の防衛を解くのは本当に難しい。なにしろ、そこには日常生活という人生そのものがつながっているのだから。
言い訳はしない。
私の力不足だった。
それでも一年、通ってくれたメンバーに、心からお礼をいいたい。
おわびもしたいが、このおわびの意味を理解してもらえないだろう。
おわびをすれば誤解を与える。損をした感覚だけを持たせてしまうだろう。
本当は、一人ひとりの状態とニーズを分かっている。
しかし私に与えられた一年の期間に、そのニーズ全部を満たすことが出来なかった。
何も与えなかった訳ではないし、彼ら自身の力で見いだしたものがあることも確かだ。
毎回悩みながら、車を運転して現地へ向かった。
毎回反省会をしながら、帰りの道を走った。
伝えるべきことを、私は何故伝え切れないのだろうかと。
私はまだまだ、全然だめだ。
もっともっと、修行が必要だ。
相手のニーズが分かっていても満たすことが一年を掛けてもできないなんて。
つくづく、ふがいない。
特に気掛かりなのは、あと一歩で自分を信頼しはじめる、という入口でうろうろと迷っている人。
本当に、本当に、気掛かりだ。
あと一歩、もうすぐそこに明るい世界の入口があるのに。
彼女自身は、入口の前にたっていることすら気づいていないのだ。
私は彼女にそれを知らせるべきか。
それとも黙って時を待つべきか。
私は頭を抱えて悩んでいる。
だが私に与えられた期間は終ってしまったのだ。
祈る。
ただひたすらにこれからも、愛すべきメンバーの事を見守る。
また同じ輪を囲む機会が訪れることを願って祈る。
私が次のクラスを守ることが出来れば、彼らがまたこのグループワークを必要とした時に戻ってこられるだろう。私は場を守ろう。
ひとつの終わり。何事も、すべてのことは終っていく。
そして、全ての人に、また次の扉が目の前に来るのだろう。
私はここから、見守る。
開け、新しい扉!
一日のうち、出来るだけ被災者のことを思いながら過ごそうとしていると
これはとてつもなく、罪悪感との対決であると気づく。
美味しいものを食べるとき 被災者は限られたものを限られた分だけしか
食べられないのだと思い出す。
あれが食べたい、これが飲みたいというささやかな願いさえも口にしない
で我慢しているのだろう。
そう思うと、ごく当たり前に食材を手にして、好きな献立を作り、好きな
だけ食べられる自分の贅沢さとのギャップがあまりにも大きくて、
「ごめんなさい、ごめんなさい」という気持ちが湧いてくる。
暖かいお風呂に入ると、いまだあの津波の日から一度もお風呂に入れない
まま雪の降る寒い土地で我慢している人の体の辛さを思う。
そして「ごめんなさい、ごめんなさい」と思ってしまう。
この罪悪感と、どうやって向き合うべきなのだろうか。
「ごめんなさい」と言っている罪悪感いっぱいの自分をよく感じてみる。
ごめんなさい、という言葉の中身をもっともっと詳細に、感じてみる。
ごめんなさい、私があなたよりいい思いをしているなんて。
あなたがそんなに辛いのに、私だけがこんないい思いをしている。
ごめんなさい、あなたに私の分を持っていけなくて。
私が先に幸せになるべきじゃないのに。
あなたより先に私にいいことがあるなんて 本来許されていないはずなのに。
いけないことをしています。これは間違いです。
私が先に楽をして幸せになるなんて間違いなんです。
私はあなたより後で あなたに与えられた残りを与えられるべきなのです。
ごめんなさい。間違いなのです。どうか怒らないで下さい。
私は出来ればこのよいことを辞退してあなたにお譲りしたい。
そうすれば、私は恐れる必要もなく、安心していられるのです。
私を怒らないで下さい。私からこの幸せを持っていっていいですから。
………なんてことだろう。
私は自分の価値を、生まれつき人より低い者であると思っている部分があ
って、それが罪悪感の根なのだ。
つまり、罪悪感とは、相手への愛情や純粋な善意から生まれるのではなく、
自分の価値を引き下げられ、それを自分自身が受け入れた結果生み出すものなのだ。
そして、私は自分によいことがあれば、相手がそれに腹を立てると思って
いる部分があるのだ。つまり、相手への信頼が根本的に傷ついている。
人は私の幸せに腹を立てるかもしれないと、私は疑っているのだ。
これはどういうことか。
つまり私のこれまでの人生のどこか、おそらくは幼い頃に、私にとっての
幸せが他者には面白くないことだったという経験をしているのだ。
相手からどういう手段でかはわからないが、傷つけられたに違いない。
だから私は相手が怒ることを恐れて、自分の幸せを先に差し出そうとする。
これはまるきり、弱者というよりも奴隷の態度だ。
私は罪悪感と向き合う。
このような時に罪悪感を感じるのは、誤った感じ方だ。
その罪悪感は根本から間違った感覚であることを、自分自身に再教育する。
それは、「幸せな私」を娘に置き換えることで簡単に実現する。
遠くにいる娘が幸せでいて、私が不幸でいることに、娘が罪悪感を抱いて
いたら、私は娘にこう伝えたい。
おまえに起こる幸せがなんであれ、
それが小さいものであれ大きなものであれ、私は心から喜ぶだろう。
たとえ私が泥にまみれて、不幸な時に、遠いおまえが遊び歌い、清い泉で
泳いでいたとしても。
私はおまえにそのような幸せがあることを、自分の不幸の中で喜び、
そして自分の不幸が慰められるのを感じるだろう。
そのように私はおまえを愛している。
私がどのように不幸だったとしても、私はおまえの幸せを喜ぶ。
だから安心して、美味しいものをおたべ。
暖かい寝床でゆっくり眠るのだよ。
清潔な服をきて、元気に歩いておいき。
もしも遠く離れたおまえが不幸で、泣き暮らしているのなら、冷たい
泥の中にいる私の不幸はさらに大きくなるだろう。
だから覚えておいで。
おまえが元気で幸せにいてくれることは、私の不幸を減らすのだ。
安心して、幸せでいておくれ。
おまえが幸せでいるならば、世界の幸せの量をおまえは一人分増やし
ているのだから。
おまえが誰かと一緒に幸せを分かち合うならば、世界の幸せの量を
もっと増やすだろう。
だからおまえができる限り幸せでいることは正しいことなのだ。
そして、おまえが自分よりも不幸な人々のことを忘れず、その人の為
に祈りながら暮らすなら、私はおまえを誇りに思うだろう。
おまえの心が豊かで優しく、そして誰かの苦しみを心においておける
ほど強いことを、心から誇りに思うだろう。
おまえの心に、一片の曇りも、罪悪感もないことを願っているよ。
だから、安心して幸せでおいで。
そうして罪悪感を鎮めた時、被災者の辛さに悲しむ気持ちが静かに座
っているのを感じる。
その気持ちで手を合わせ、どうか少しでも癒されますようにと祈って安
らかな呼吸を差し出す。
罪悪感をほどく実践の日々を、過ごしています。
これはとてつもなく、罪悪感との対決であると気づく。
美味しいものを食べるとき 被災者は限られたものを限られた分だけしか
食べられないのだと思い出す。
あれが食べたい、これが飲みたいというささやかな願いさえも口にしない
で我慢しているのだろう。
そう思うと、ごく当たり前に食材を手にして、好きな献立を作り、好きな
だけ食べられる自分の贅沢さとのギャップがあまりにも大きくて、
「ごめんなさい、ごめんなさい」という気持ちが湧いてくる。
暖かいお風呂に入ると、いまだあの津波の日から一度もお風呂に入れない
まま雪の降る寒い土地で我慢している人の体の辛さを思う。
そして「ごめんなさい、ごめんなさい」と思ってしまう。
この罪悪感と、どうやって向き合うべきなのだろうか。
「ごめんなさい」と言っている罪悪感いっぱいの自分をよく感じてみる。
ごめんなさい、という言葉の中身をもっともっと詳細に、感じてみる。
ごめんなさい、私があなたよりいい思いをしているなんて。
あなたがそんなに辛いのに、私だけがこんないい思いをしている。
ごめんなさい、あなたに私の分を持っていけなくて。
私が先に幸せになるべきじゃないのに。
あなたより先に私にいいことがあるなんて 本来許されていないはずなのに。
いけないことをしています。これは間違いです。
私が先に楽をして幸せになるなんて間違いなんです。
私はあなたより後で あなたに与えられた残りを与えられるべきなのです。
ごめんなさい。間違いなのです。どうか怒らないで下さい。
私は出来ればこのよいことを辞退してあなたにお譲りしたい。
そうすれば、私は恐れる必要もなく、安心していられるのです。
私を怒らないで下さい。私からこの幸せを持っていっていいですから。
………なんてことだろう。
私は自分の価値を、生まれつき人より低い者であると思っている部分があ
って、それが罪悪感の根なのだ。
つまり、罪悪感とは、相手への愛情や純粋な善意から生まれるのではなく、
自分の価値を引き下げられ、それを自分自身が受け入れた結果生み出すものなのだ。
そして、私は自分によいことがあれば、相手がそれに腹を立てると思って
いる部分があるのだ。つまり、相手への信頼が根本的に傷ついている。
人は私の幸せに腹を立てるかもしれないと、私は疑っているのだ。
これはどういうことか。
つまり私のこれまでの人生のどこか、おそらくは幼い頃に、私にとっての
幸せが他者には面白くないことだったという経験をしているのだ。
相手からどういう手段でかはわからないが、傷つけられたに違いない。
だから私は相手が怒ることを恐れて、自分の幸せを先に差し出そうとする。
これはまるきり、弱者というよりも奴隷の態度だ。
私は罪悪感と向き合う。
このような時に罪悪感を感じるのは、誤った感じ方だ。
その罪悪感は根本から間違った感覚であることを、自分自身に再教育する。
それは、「幸せな私」を娘に置き換えることで簡単に実現する。
遠くにいる娘が幸せでいて、私が不幸でいることに、娘が罪悪感を抱いて
いたら、私は娘にこう伝えたい。
おまえに起こる幸せがなんであれ、
それが小さいものであれ大きなものであれ、私は心から喜ぶだろう。
たとえ私が泥にまみれて、不幸な時に、遠いおまえが遊び歌い、清い泉で
泳いでいたとしても。
私はおまえにそのような幸せがあることを、自分の不幸の中で喜び、
そして自分の不幸が慰められるのを感じるだろう。
そのように私はおまえを愛している。
私がどのように不幸だったとしても、私はおまえの幸せを喜ぶ。
だから安心して、美味しいものをおたべ。
暖かい寝床でゆっくり眠るのだよ。
清潔な服をきて、元気に歩いておいき。
もしも遠く離れたおまえが不幸で、泣き暮らしているのなら、冷たい
泥の中にいる私の不幸はさらに大きくなるだろう。
だから覚えておいで。
おまえが元気で幸せにいてくれることは、私の不幸を減らすのだ。
安心して、幸せでいておくれ。
おまえが幸せでいるならば、世界の幸せの量をおまえは一人分増やし
ているのだから。
おまえが誰かと一緒に幸せを分かち合うならば、世界の幸せの量を
もっと増やすだろう。
だからおまえができる限り幸せでいることは正しいことなのだ。
そして、おまえが自分よりも不幸な人々のことを忘れず、その人の為
に祈りながら暮らすなら、私はおまえを誇りに思うだろう。
おまえの心が豊かで優しく、そして誰かの苦しみを心においておける
ほど強いことを、心から誇りに思うだろう。
おまえの心に、一片の曇りも、罪悪感もないことを願っているよ。
だから、安心して幸せでおいで。
そうして罪悪感を鎮めた時、被災者の辛さに悲しむ気持ちが静かに座
っているのを感じる。
その気持ちで手を合わせ、どうか少しでも癒されますようにと祈って安
らかな呼吸を差し出す。
罪悪感をほどく実践の日々を、過ごしています。
一人ひとりが、できることをやろう。
ぐっすりと眠り、美味しいものを食べ、出来るだけ幸せな気持ちを感じよう。
自分が被災していないことに罪悪感を感じて自分のエネルギーを減らすよりも
被災していないことに感謝して 救いが必要な人たちを思って力を送ろう。
小さな募金、節電、それも本当に価値ある行動の一つだ。
でもそれよりも 祈って欲しい。
罪悪感なしに、彼らの苦難を思い、それが安らぎに変わる事を願って祈って欲しい。
彼らの忍耐に敬意を表し、苦しみを取り去りたいと願い続けて欲しい。
トンレン瞑想というチベット伝統の瞑想呼吸法がある。
相手の苦しみを思いながら息を吸い込み、自分の体の中でその苦しみを安らぎに変換して息を吐く。
もちろんイメージだけれども、その瞑想をすることで彼らを遠くからサポートしていると思ってほしい。
物理的には直接関われなくても、少なくとも精神的には彼らと共にありつづける事が出来る。
何をするにも、出来るだけ思い出せる時に、彼らのことを思いながら生活したい。
美味しいものを食べる時に彼らにもこのような幸せが一日も早く来るようにと願って手を合わせる。
暖かい布団で眠りにつく時 彼らにも早く落ち着ける安全で暖かな家が与えられるようにと願う。
寒い場所で耐えている人にどうか一日も早く十分な燃料が届くようにと願う。
彼らのことを忘れなければ無駄な買い物はしないし、節約することも何の苦でもないと思える。
今の自分の生活に感謝できるものが次々に見つかる。
頑張ろう日本。
どんなダメージからも必ず立ち上がる。
ぐっすりと眠り、美味しいものを食べ、出来るだけ幸せな気持ちを感じよう。
自分が被災していないことに罪悪感を感じて自分のエネルギーを減らすよりも
被災していないことに感謝して 救いが必要な人たちを思って力を送ろう。
小さな募金、節電、それも本当に価値ある行動の一つだ。
でもそれよりも 祈って欲しい。
罪悪感なしに、彼らの苦難を思い、それが安らぎに変わる事を願って祈って欲しい。
彼らの忍耐に敬意を表し、苦しみを取り去りたいと願い続けて欲しい。
トンレン瞑想というチベット伝統の瞑想呼吸法がある。
相手の苦しみを思いながら息を吸い込み、自分の体の中でその苦しみを安らぎに変換して息を吐く。
もちろんイメージだけれども、その瞑想をすることで彼らを遠くからサポートしていると思ってほしい。
物理的には直接関われなくても、少なくとも精神的には彼らと共にありつづける事が出来る。
何をするにも、出来るだけ思い出せる時に、彼らのことを思いながら生活したい。
美味しいものを食べる時に彼らにもこのような幸せが一日も早く来るようにと願って手を合わせる。
暖かい布団で眠りにつく時 彼らにも早く落ち着ける安全で暖かな家が与えられるようにと願う。
寒い場所で耐えている人にどうか一日も早く十分な燃料が届くようにと願う。
彼らのことを忘れなければ無駄な買い物はしないし、節約することも何の苦でもないと思える。
今の自分の生活に感謝できるものが次々に見つかる。
頑張ろう日本。
どんなダメージからも必ず立ち上がる。
東京で買いだめ、買い占めが起こっていると報道。
これは一時的な不安に基づく防衛行動だ。
大きな揺れを繰り返し経験して、都民はみんなすっかりビクビクしている。
それはそうだろう。夜にも余震が毎晩あって、眠るに眠れないという。
ニュースで繰り返し、飢えに苦しんでいる被災地が映る。
彼らの為に胸を痛め、気の毒に思うのと同時に、もし自分たちがこうなったら…と恐れる。
その気持ちが買い物に行った時に働く。
「非常食を備えておこう」と自然に思う。
そして、商品が売れて棚が空に近づいていたら、「ああ、なくなってしまう。みんなが買っているんだ。私も今の内に」と棚に残っている分を余計に買ってしまう。
買いだめ、買い占め、駄目だよね。
そう分かっているのに、棚にあったカップラーメンを、もう一つだけ買う。
いつもなら一つなのに、二つ買ってしまう。
単純に、計算してみて欲しい。
いつも一つだったのを二つにするだけの事。
一人が二個買うだけの事。
しかしそれは、必要量が倍になった瞬間なのだ。
一人が、一つ余計に買うだけで、必要量は二倍になってしまうのだ。
レジの前でもう一度カゴの中身をチェックしてみて欲しい。
「本当に、今必要なものだけかな?」
「棚に戻せるものはないかな?」
いつも通りの生活と、プラスアルファの心遣いが必要とされている。
思いやりを行動に変えて、棚に戻そう。
不要なものを、棚に戻そう。
大丈夫、私たちは一日二日飢えたって、ちゃんと耐えられる。
今、これ以上飢えたら死んでしまう被災地の人を思って、物資をここで余らせて欲しい。
普段の生活が送れないほど我慢する必要はない。
棚に戻しても大丈夫なだけ、戻して欲しい。
これは一時的な不安に基づく防衛行動だ。
大きな揺れを繰り返し経験して、都民はみんなすっかりビクビクしている。
それはそうだろう。夜にも余震が毎晩あって、眠るに眠れないという。
ニュースで繰り返し、飢えに苦しんでいる被災地が映る。
彼らの為に胸を痛め、気の毒に思うのと同時に、もし自分たちがこうなったら…と恐れる。
その気持ちが買い物に行った時に働く。
「非常食を備えておこう」と自然に思う。
そして、商品が売れて棚が空に近づいていたら、「ああ、なくなってしまう。みんなが買っているんだ。私も今の内に」と棚に残っている分を余計に買ってしまう。
買いだめ、買い占め、駄目だよね。
そう分かっているのに、棚にあったカップラーメンを、もう一つだけ買う。
いつもなら一つなのに、二つ買ってしまう。
単純に、計算してみて欲しい。
いつも一つだったのを二つにするだけの事。
一人が二個買うだけの事。
しかしそれは、必要量が倍になった瞬間なのだ。
一人が、一つ余計に買うだけで、必要量は二倍になってしまうのだ。
レジの前でもう一度カゴの中身をチェックしてみて欲しい。
「本当に、今必要なものだけかな?」
「棚に戻せるものはないかな?」
いつも通りの生活と、プラスアルファの心遣いが必要とされている。
思いやりを行動に変えて、棚に戻そう。
不要なものを、棚に戻そう。
大丈夫、私たちは一日二日飢えたって、ちゃんと耐えられる。
今、これ以上飢えたら死んでしまう被災地の人を思って、物資をここで余らせて欲しい。
普段の生活が送れないほど我慢する必要はない。
棚に戻しても大丈夫なだけ、戻して欲しい。
近代史上、東洋の奇跡と言われた戦後復興を遂げた日本。
いま、最大の試練を迎えている。
もとより国家税収が40兆円に対して800兆以上の赤字を抱える超赤字国となり、経済破綻直前のカウントダウンが進んでいた処に、政治は混乱し首相は次々変わり、予算案さえまともに通過しない事態だった。
その状態の日本に、一部地域が壊滅する規模の世界最大の地震とそれに続く恐るべき破壊力の津波が襲った。
首都東京も無傷ではなく、関東地域も電力供給を制限しなければ対応できないほどのダメージを受けている。
原子力発電所はメルトダウンの危機を回避できるかどうかの瀬戸際にあり、国民はみな息をつめてその報道を見つめている。
だがこの瞬間も。
誰かが電力を確保しようと雪の吹雪く外で作業をしている。
原子力発電所を制御しようと命がけで放射能汚染のリスクのなか戦っている。
消えそうになっている命を救おうと治療にあたっている。
寒さに震える被災者を励まし、避難所を守っている。
救援物資を一刻も早く届けようと、車を走らせている。
体を温めるものを振舞おうと炊き出しをしている。
家を失い、家族の安否が分からず、涙にくれる人の肩を抱いている。
腐臭と寒さの中で生存者を探し、亡くなった人を見つけようとしている。
避難所に居ながら、「今、何が必要ですか」という記者の問いかけに「私はもう充分ですから、どうか他の人を助けてあげて」と涙する母親。
床に商品が散乱したコンビニで、黙って商品を拾い、レジで支払いをしようとする客。
家に一刻も早く帰りたいだろうに、停電したコンビニの中で黙々と従業員としての務めを続けるアルバイト店員。
お菓子をもってレジに並び、少し考えて、レジ横の募金箱にお金を入れて、商品棚にお菓子を返し何も買わずに帰っていった小学生。
何時間も動かなかった電車の車内で、妊婦に席を譲る老人。
世界中が、この事態の中での日本人の振る舞いに感動している。
これほどの災害時にも無法化せず、略奪も一件も起こらない。
冷静で、忍耐強く耐える日本人の姿が、世界中に感動と尊敬の念を起こしている。
この国はどうなってしまうのか…私はこの災害の直前まで絶望しそうな気持ちでいた。
けれど今、確信している。
日本は必ずもう一度立ち上がる。
そして、以前よりも素晴らしい国にする。
どんな苦難の時にも、自分以外の人のための献身をごく自然に当たり前のこととして行えるこの日本人の高潔さを見たとき、私は、自分が日本人であることを忘れて、心から誇らしく感じた。
チベットの友人は、「日本人はすべて、潜在的仏教徒である」と言っていた。仏教の教える全ての命に対する慈悲心は、私達日本国民の血の中に流れている。
私達は、今、本当に心を開かれている。
今苦しんでいる人の苦しみが終わり、喜びや平安があるようにと、みなが他者の為に心から願っている。日本がかつてこれほど祈りの気持ちに満ちた時があったろうか。
無関心の鎧を捨て、今日本中の心が開かれてひとつになっている。
日本人のこの気高き振る舞いを見た世界の人々は、我々に学びたいと思っている。国の産業がどのようなダメージを受けるとしても、日本人は必ず国を再建できる。
本物の苦難のとき、歴史はヒーローを生み出す。
今、我執を捨てて懸命に献身している一人一人が、無名のヒーローなのだ。
そしてやがて、その代表者として歴史に名を残す人が現れる。
国を率いる人材が、生み出されるだろう。
希望を捨てない。
頑張るぞ、日本。
いま、最大の試練を迎えている。
もとより国家税収が40兆円に対して800兆以上の赤字を抱える超赤字国となり、経済破綻直前のカウントダウンが進んでいた処に、政治は混乱し首相は次々変わり、予算案さえまともに通過しない事態だった。
その状態の日本に、一部地域が壊滅する規模の世界最大の地震とそれに続く恐るべき破壊力の津波が襲った。
首都東京も無傷ではなく、関東地域も電力供給を制限しなければ対応できないほどのダメージを受けている。
原子力発電所はメルトダウンの危機を回避できるかどうかの瀬戸際にあり、国民はみな息をつめてその報道を見つめている。
だがこの瞬間も。
誰かが電力を確保しようと雪の吹雪く外で作業をしている。
原子力発電所を制御しようと命がけで放射能汚染のリスクのなか戦っている。
消えそうになっている命を救おうと治療にあたっている。
寒さに震える被災者を励まし、避難所を守っている。
救援物資を一刻も早く届けようと、車を走らせている。
体を温めるものを振舞おうと炊き出しをしている。
家を失い、家族の安否が分からず、涙にくれる人の肩を抱いている。
腐臭と寒さの中で生存者を探し、亡くなった人を見つけようとしている。
避難所に居ながら、「今、何が必要ですか」という記者の問いかけに「私はもう充分ですから、どうか他の人を助けてあげて」と涙する母親。
床に商品が散乱したコンビニで、黙って商品を拾い、レジで支払いをしようとする客。
家に一刻も早く帰りたいだろうに、停電したコンビニの中で黙々と従業員としての務めを続けるアルバイト店員。
お菓子をもってレジに並び、少し考えて、レジ横の募金箱にお金を入れて、商品棚にお菓子を返し何も買わずに帰っていった小学生。
何時間も動かなかった電車の車内で、妊婦に席を譲る老人。
世界中が、この事態の中での日本人の振る舞いに感動している。
これほどの災害時にも無法化せず、略奪も一件も起こらない。
冷静で、忍耐強く耐える日本人の姿が、世界中に感動と尊敬の念を起こしている。
この国はどうなってしまうのか…私はこの災害の直前まで絶望しそうな気持ちでいた。
けれど今、確信している。
日本は必ずもう一度立ち上がる。
そして、以前よりも素晴らしい国にする。
どんな苦難の時にも、自分以外の人のための献身をごく自然に当たり前のこととして行えるこの日本人の高潔さを見たとき、私は、自分が日本人であることを忘れて、心から誇らしく感じた。
チベットの友人は、「日本人はすべて、潜在的仏教徒である」と言っていた。仏教の教える全ての命に対する慈悲心は、私達日本国民の血の中に流れている。
私達は、今、本当に心を開かれている。
今苦しんでいる人の苦しみが終わり、喜びや平安があるようにと、みなが他者の為に心から願っている。日本がかつてこれほど祈りの気持ちに満ちた時があったろうか。
無関心の鎧を捨て、今日本中の心が開かれてひとつになっている。
日本人のこの気高き振る舞いを見た世界の人々は、我々に学びたいと思っている。国の産業がどのようなダメージを受けるとしても、日本人は必ず国を再建できる。
本物の苦難のとき、歴史はヒーローを生み出す。
今、我執を捨てて懸命に献身している一人一人が、無名のヒーローなのだ。
そしてやがて、その代表者として歴史に名を残す人が現れる。
国を率いる人材が、生み出されるだろう。
希望を捨てない。
頑張るぞ、日本。
このような大きな精神的なショックによって起こるストレス反応。
イライラする
眠れない
すぐに目が覚める
涙が出る
食欲がない
怒りっぽくなる
不安でビクビクする
怖い夢ばかり見る
現実感がない
感情が感じられない
正常な心だからこそ、正常にストレスに反応してこのような状態になるのだということを覚えておいて欲しい。何か自分がおかしくなっているのではなく、このような反応をとることで私たちは生き延びてきたのだ。
上記のようなストレス反応から、次第に時を経て回復していく。
しかし、何らかの理由でうまく回復軌道に乗れなかった場合には、以下のような症状が現れる。
何もする気になれない
何をしても同じことだと感じる
人生は虚しいと感じる
一日中涙が止まらない
嬉しい、楽しいと思えない
うまく笑えない
死にたい
消えたい
何故自分が生きているのかと感じる
パニックになりそうになる、パニックを起こす
こうなると、時に任せて放置するのは、精神的疾患になるリスクを放置するのと同じ。たいへん危険だ。すぐに心のケアを積極的に行なうべきである。
まず自分がストレス反応を起こしていると分かったら、出来るだけ人に話を聴いてもらう。自分の思いを正直に話しても否定せず受け止めてくれる安全な相手に、積極的に話すこと。
これは最良かつ最大の薬となる。
もし自分が人の話を聴いてあげられる余裕がある時には、積極的に聴いてあげて欲しい。
今、被災した人だけではなく、すべての日本に住む人々がショックを受けて何らかのストレス反応を抱えている。
現地でボランティア受け入れの体制が整ったら、傾聴のボランティアは大きな力を発揮できる。
ただ傍らに居続けることが、支えも基盤も失った人を勇気づける。
現地に行かないとしても、ショックを受けているすべての人を対象と心得て、折りに触れ受け止め続け、社会全体の回復に寄与することが出来る。
今こそ、「聴く力」を発揮する時なのだ。
頑張るぞ、日本。
あきらめない、日本。
イライラする
眠れない
すぐに目が覚める
涙が出る
食欲がない
怒りっぽくなる
不安でビクビクする
怖い夢ばかり見る
現実感がない
感情が感じられない
正常な心だからこそ、正常にストレスに反応してこのような状態になるのだということを覚えておいて欲しい。何か自分がおかしくなっているのではなく、このような反応をとることで私たちは生き延びてきたのだ。
上記のようなストレス反応から、次第に時を経て回復していく。
しかし、何らかの理由でうまく回復軌道に乗れなかった場合には、以下のような症状が現れる。
何もする気になれない
何をしても同じことだと感じる
人生は虚しいと感じる
一日中涙が止まらない
嬉しい、楽しいと思えない
うまく笑えない
死にたい
消えたい
何故自分が生きているのかと感じる
パニックになりそうになる、パニックを起こす
こうなると、時に任せて放置するのは、精神的疾患になるリスクを放置するのと同じ。たいへん危険だ。すぐに心のケアを積極的に行なうべきである。
まず自分がストレス反応を起こしていると分かったら、出来るだけ人に話を聴いてもらう。自分の思いを正直に話しても否定せず受け止めてくれる安全な相手に、積極的に話すこと。
これは最良かつ最大の薬となる。
もし自分が人の話を聴いてあげられる余裕がある時には、積極的に聴いてあげて欲しい。
今、被災した人だけではなく、すべての日本に住む人々がショックを受けて何らかのストレス反応を抱えている。
現地でボランティア受け入れの体制が整ったら、傾聴のボランティアは大きな力を発揮できる。
ただ傍らに居続けることが、支えも基盤も失った人を勇気づける。
現地に行かないとしても、ショックを受けているすべての人を対象と心得て、折りに触れ受け止め続け、社会全体の回復に寄与することが出来る。
今こそ、「聴く力」を発揮する時なのだ。
頑張るぞ、日本。
あきらめない、日本。
報道が被災地に入り、生々しい現地の様子、そして被災者の言葉が伝わりはじめた。
涙なしに見ることも出来ない。
けれど見続け、聴き続ける。
今苦しみの中にある人々のことをしっかりと見つめ続ける。
一番苦しいのは被災者だ。その苦しみを共にする。
昨夜、娘を寝かせて、真っ暗な部屋で一人ベッドに横になっていたら 何故かふいに、本当に大勢の人々が一度に死んでしまったという感覚が 厳然たる現実として 体中に押し寄せてきた。
押さえることも出来ず、ただただ泣いた。
小さい頃から、時々、そういうことがある。
周りに人がいる時には 決してそういう風にはならないのだけど、一人で暗い場所で安心した時に 唐突に何かが流れ込んでくる。
自分ではどうしようもなく、ただ声をあげて泣いていると
今度は 唐突に 避難している人々の悲しみや、寒さ、ひもじさ、絶望、不安、恐れ、そういったものが 余りにも生々しく感じられた。
しかも、これほどの苦しみのなか、泣くことさえ出来ずにいる人がいるのだと 告げられた気がした。
泣くことさえできない人の代りに 泣いた。
それでもどこかで、よろけてはいけない、しっかり立つんだという意志が私を強く支えていた。
ももが私の顔をなめてくれた。
暖かい体を私に押し付けて、私の脇で眠ってくれた。
こんな優しさに満ちた温もりが、被災地の方にもありますように。
がんばろう、みんな。
命ある限り あきらめない。
この時代に生まれたからには 精一杯この日本を支える。
涙なしに見ることも出来ない。
けれど見続け、聴き続ける。
今苦しみの中にある人々のことをしっかりと見つめ続ける。
一番苦しいのは被災者だ。その苦しみを共にする。
昨夜、娘を寝かせて、真っ暗な部屋で一人ベッドに横になっていたら 何故かふいに、本当に大勢の人々が一度に死んでしまったという感覚が 厳然たる現実として 体中に押し寄せてきた。
押さえることも出来ず、ただただ泣いた。
小さい頃から、時々、そういうことがある。
周りに人がいる時には 決してそういう風にはならないのだけど、一人で暗い場所で安心した時に 唐突に何かが流れ込んでくる。
自分ではどうしようもなく、ただ声をあげて泣いていると
今度は 唐突に 避難している人々の悲しみや、寒さ、ひもじさ、絶望、不安、恐れ、そういったものが 余りにも生々しく感じられた。
しかも、これほどの苦しみのなか、泣くことさえ出来ずにいる人がいるのだと 告げられた気がした。
泣くことさえできない人の代りに 泣いた。
それでもどこかで、よろけてはいけない、しっかり立つんだという意志が私を強く支えていた。
ももが私の顔をなめてくれた。
暖かい体を私に押し付けて、私の脇で眠ってくれた。
こんな優しさに満ちた温もりが、被災地の方にもありますように。
がんばろう、みんな。
命ある限り あきらめない。
この時代に生まれたからには 精一杯この日本を支える。
福岡で暮らす私たちにはほとんど何の変化もない日常が保たれている。
だがテレビでは一切普段の番組が中止され、一日中緊急の情報を伝え続けていることからも、この未曾有の大地震が現実であることを知らせている。
こんな時、大丈夫な地域の私たちは何をすべきなのか。
地震の翌日に講義で会った参加者はみなひどく動揺していた。身内が関東にいる人。東北にいる人もいた。心配のあまり、寝ていないという。私も同様で、徹夜で報道を見守りながらトンレンの瞑想を続けていた。
講義で会った40名余りの人々にも、以下に書いた事と同じ話をした。感想文には、「とても有り難かったです」と綴られていた。
こんな時には、誰もがショックを受け、何をしたらいいのかと右往左往する。
少し想像してみてほしい。
一瞬のうちに、日常の暮らしを奪われ、家を、家族を失い、寒さと不安と飢えの中にいる人々のことを。かれらは人生の基盤といえるものを失い、到底自分は大丈夫とは思えない状況にある。
もしも自分が、それほどに心細い状態になったとしたら、どんな人に側に居て欲しいだろうか。その人にどんな風であって欲しいだろうか?
私なら、とても心細くて、悲しくて、寒くて、恐ろしくて、たまらないほど不安な時には、しっかり足を踏ん張って堂々と立っている人に側に居て欲しい。大丈夫だ、私がいると言ってくれる人に、側に居て欲しい。お前の悲しみをどれほど聞いても、どれほど見ても、私は決して揺らがない、おまえの側でしっかりと立っていると言って欲しい。
だから、災難を免れている私たちの役割は、まず第一にそのように力強く日常を送り続けていくことにあるのだ。慌てるのをやめ、支えを失った人の支えであるために、足をしっかり踏みしめ、自分の日常の生活をしっかりと守るのだ。家族と仲良く暮らし、よく食べ、眠り、健康的に暮らし続けるのだ。
それが、基盤を失った人の基盤になるという役目だ。
こっちは大丈夫。
元気だ。
君を支えられる。
そう伝える為に、自分の生活を守ろう。
そして、混乱し、恐れ、悲しみ、痛み、苦しんでいる人々のことを見守り続ける。どんな悲惨な事実にも、ふらつかないように。
これからもっともっと、悲惨な情報が伝わってくる。
しっかり足を踏ん張れ。
彼らの杖になる時なのだから。
しっかり目を開け。
分かるだろうか。日本は今、経済危機、政治不安、そして未曾有の災害によって、国の存亡をかけた危機的状況にある。今こそ、私たちは母国を守る時なのだ。
このことが、私たちすべての心を開き、結び、未来を拓くきずなになることをただひたすらに祈る。
海外の人々の支援の申し出に心から感謝する。
歴史上、日本は外国に助けられたことはない。
これまでアジアの国々の為に大戦を戦い、戦後には多くの発展途上国の為に金をだし援助してきた世界第三位の強国、と思われてきた日本が、援助を受けるのははじめての事だ。
日本という国が始めて経験する、亡国級の危機であることを、よく感じるべき時なのだ。
日本はもはや強国ではない。
そして、日本は決して見捨てられてはいない。
一人ひとりという単位でも、国と国という単位でも、私たちはすべて心を開き、本当のきずなを結ぶ時がきたのだ。
同じ国民として、すべての被災者の方々の気持ちを受け止め続ける。出来ることは何かと考え、行動しつづける。そして共に立ち上がり、もう一度新しい未来を作る。
岩手と東京にいる身内と、ようやく連絡がついた。
家の被害はあっても、みな元気だった。ありがたい。
呼吸を忘れず、目を開き、耳を澄まそう。
大丈夫、命ある限り、何かができるのだ。
だがテレビでは一切普段の番組が中止され、一日中緊急の情報を伝え続けていることからも、この未曾有の大地震が現実であることを知らせている。
こんな時、大丈夫な地域の私たちは何をすべきなのか。
地震の翌日に講義で会った参加者はみなひどく動揺していた。身内が関東にいる人。東北にいる人もいた。心配のあまり、寝ていないという。私も同様で、徹夜で報道を見守りながらトンレンの瞑想を続けていた。
講義で会った40名余りの人々にも、以下に書いた事と同じ話をした。感想文には、「とても有り難かったです」と綴られていた。
こんな時には、誰もがショックを受け、何をしたらいいのかと右往左往する。
少し想像してみてほしい。
一瞬のうちに、日常の暮らしを奪われ、家を、家族を失い、寒さと不安と飢えの中にいる人々のことを。かれらは人生の基盤といえるものを失い、到底自分は大丈夫とは思えない状況にある。
もしも自分が、それほどに心細い状態になったとしたら、どんな人に側に居て欲しいだろうか。その人にどんな風であって欲しいだろうか?
私なら、とても心細くて、悲しくて、寒くて、恐ろしくて、たまらないほど不安な時には、しっかり足を踏ん張って堂々と立っている人に側に居て欲しい。大丈夫だ、私がいると言ってくれる人に、側に居て欲しい。お前の悲しみをどれほど聞いても、どれほど見ても、私は決して揺らがない、おまえの側でしっかりと立っていると言って欲しい。
だから、災難を免れている私たちの役割は、まず第一にそのように力強く日常を送り続けていくことにあるのだ。慌てるのをやめ、支えを失った人の支えであるために、足をしっかり踏みしめ、自分の日常の生活をしっかりと守るのだ。家族と仲良く暮らし、よく食べ、眠り、健康的に暮らし続けるのだ。
それが、基盤を失った人の基盤になるという役目だ。
こっちは大丈夫。
元気だ。
君を支えられる。
そう伝える為に、自分の生活を守ろう。
そして、混乱し、恐れ、悲しみ、痛み、苦しんでいる人々のことを見守り続ける。どんな悲惨な事実にも、ふらつかないように。
これからもっともっと、悲惨な情報が伝わってくる。
しっかり足を踏ん張れ。
彼らの杖になる時なのだから。
しっかり目を開け。
分かるだろうか。日本は今、経済危機、政治不安、そして未曾有の災害によって、国の存亡をかけた危機的状況にある。今こそ、私たちは母国を守る時なのだ。
このことが、私たちすべての心を開き、結び、未来を拓くきずなになることをただひたすらに祈る。
海外の人々の支援の申し出に心から感謝する。
歴史上、日本は外国に助けられたことはない。
これまでアジアの国々の為に大戦を戦い、戦後には多くの発展途上国の為に金をだし援助してきた世界第三位の強国、と思われてきた日本が、援助を受けるのははじめての事だ。
日本という国が始めて経験する、亡国級の危機であることを、よく感じるべき時なのだ。
日本はもはや強国ではない。
そして、日本は決して見捨てられてはいない。
一人ひとりという単位でも、国と国という単位でも、私たちはすべて心を開き、本当のきずなを結ぶ時がきたのだ。
同じ国民として、すべての被災者の方々の気持ちを受け止め続ける。出来ることは何かと考え、行動しつづける。そして共に立ち上がり、もう一度新しい未来を作る。
岩手と東京にいる身内と、ようやく連絡がついた。
家の被害はあっても、みな元気だった。ありがたい。
呼吸を忘れず、目を開き、耳を澄まそう。
大丈夫、命ある限り、何かができるのだ。