2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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今年ついに娘はサンタを信じない様子を見せています。
「今年のクリスマスプレゼントは何にするの?サンタにメールしないともらえなくなるよ」
毎年恒例のこのせりふに、今年はなんとも冷ややかな目。
あーあ…悲しい。
いつかはこの日が来ることを分かっていながらも、来ないでほしかった…。
でもこれもまた成長の証。
娘がもっともっと成長し世界中の大人の「子どもへの愛と希望の象徴」
こそがサンタクロースであることを理解したら、彼女の中にサンタは
復活するでしょう。
それをあと20年は待たないとなあ。
来年からしばらくはクリスマスのコンセプトを変更して大人仕様にしていこうかな。
いいですよ。今度は私は、孫をだますことに専念しますからね。
まだずいぶん先のことですが。
さて…娘も寝静まったし…最後のサンタクロースが、プレゼントを
枕元に置きに登場する時間です。
HoHoHo!
「今年のクリスマスプレゼントは何にするの?サンタにメールしないともらえなくなるよ」
毎年恒例のこのせりふに、今年はなんとも冷ややかな目。
あーあ…悲しい。
いつかはこの日が来ることを分かっていながらも、来ないでほしかった…。
でもこれもまた成長の証。
娘がもっともっと成長し世界中の大人の「子どもへの愛と希望の象徴」
こそがサンタクロースであることを理解したら、彼女の中にサンタは
復活するでしょう。
それをあと20年は待たないとなあ。
来年からしばらくはクリスマスのコンセプトを変更して大人仕様にしていこうかな。
いいですよ。今度は私は、孫をだますことに専念しますからね。
まだずいぶん先のことですが。
さて…娘も寝静まったし…最後のサンタクロースが、プレゼントを
枕元に置きに登場する時間です。
HoHoHo!
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娘が12歳になりました。
今日は娘が選んで、一番楽しく過ごせるお友達を呼んでのBDパーティ。
早朝から片付け、会場作り、料理、お出迎え…いやはや、本当に忙しい!!
すこし楽にしたいなと思って、料理とケーキのどちらかだけを手作りに
して、あとは買うか出前かと提案したら、娘が「両方手作りがいい」と
言うのでむむっと握りこぶしして「わかった!がんばる!」と請負いました。
パーティのホスト側ってほんとやることが多くて、朝7時からケーキを出した
13時30分まで、一度も座ることもご飯を食べることも出来ませんでした。
でも、娘と友達が楽しそうに歌ったり、絵を描いたり、ご飯を食べたりして
すごしている姿を見ると、本当にやってよかったなあと思います。
ケーキの土台は買ってきた手抜き手作りなんですが、毎年子どもたちの
評判はとてもいいです。ケーキを出すとみんな、「わあーすごい!」と歓声
を上げてくれます。もちろん、子どもなりに、気を使ってくれてる部分もある
のでしょうけれど。
今日ははじめてうちに来た娘の友達の一人が「そもそも誕生日にこうや
ってパーティやってくれることがうちにはない。ケーキ手作りしてもらった
こともない」と言って驚いていました。
今でもそういう家もあるんだなって、ちょっと私も驚きました。
娘は私立の小学校なので周りの子たちはみんなうちよりはるかにお金
持ちのはずです。小学生の子どもなら、規模の差はあれ、誕生会を家族
にしてもらうのはごく一般的だと思っていました。
ましてやお金もちのおうちの親御さんならお金も時間も十分あるのでは…
と思ってました。
それでも、子どもの誕生会をしない家もあるんですね。
私の子供のころ、親は共働きなので友達を家に招くことは皆無でした。
だから誕生日パーティを友達と過ごしたことはないですが、夜になると
親はケーキをホールで買ってきてくれて、ろうそくを灯して吹き消すセ
レモニーは毎年やってもらえていました。
夫の家も家族の誕生会を一度もしない家だったそうで、そのせいか
夫は家族の誕生日をまったく覚えていません。私にとって家族の誕生
日を知らない家族があることの方が驚きでしたが、本当に家庭によっ
ていろんなルールがあるんですね。
でも娘は私のやり方で、誕生日をすごした経験を持ったわけなので、
きっと自分の子どもには誕生日をやってあげるんでしょうね。
そんな未来を思い描くと、また楽しみです。
孫と誕生日パーティ、きっと楽しいだろうなあ。
誕生日って、一年に一度、自分が主人公気分になってもいい日ですよね。
裏方に徹して盛り上げる醍醐味っていうのも、娘がいてくれてこそ。
一年で一番忙しくて疲れる日だけれど、一番娘のために頑張れる日。
今年もいい誕生日でよかったね!
今日は娘が選んで、一番楽しく過ごせるお友達を呼んでのBDパーティ。
早朝から片付け、会場作り、料理、お出迎え…いやはや、本当に忙しい!!
すこし楽にしたいなと思って、料理とケーキのどちらかだけを手作りに
して、あとは買うか出前かと提案したら、娘が「両方手作りがいい」と
言うのでむむっと握りこぶしして「わかった!がんばる!」と請負いました。
パーティのホスト側ってほんとやることが多くて、朝7時からケーキを出した
13時30分まで、一度も座ることもご飯を食べることも出来ませんでした。
でも、娘と友達が楽しそうに歌ったり、絵を描いたり、ご飯を食べたりして
すごしている姿を見ると、本当にやってよかったなあと思います。
ケーキの土台は買ってきた手抜き手作りなんですが、毎年子どもたちの
評判はとてもいいです。ケーキを出すとみんな、「わあーすごい!」と歓声
を上げてくれます。もちろん、子どもなりに、気を使ってくれてる部分もある
のでしょうけれど。
今日ははじめてうちに来た娘の友達の一人が「そもそも誕生日にこうや
ってパーティやってくれることがうちにはない。ケーキ手作りしてもらった
こともない」と言って驚いていました。
今でもそういう家もあるんだなって、ちょっと私も驚きました。
娘は私立の小学校なので周りの子たちはみんなうちよりはるかにお金
持ちのはずです。小学生の子どもなら、規模の差はあれ、誕生会を家族
にしてもらうのはごく一般的だと思っていました。
ましてやお金もちのおうちの親御さんならお金も時間も十分あるのでは…
と思ってました。
それでも、子どもの誕生会をしない家もあるんですね。
私の子供のころ、親は共働きなので友達を家に招くことは皆無でした。
だから誕生日パーティを友達と過ごしたことはないですが、夜になると
親はケーキをホールで買ってきてくれて、ろうそくを灯して吹き消すセ
レモニーは毎年やってもらえていました。
夫の家も家族の誕生会を一度もしない家だったそうで、そのせいか
夫は家族の誕生日をまったく覚えていません。私にとって家族の誕生
日を知らない家族があることの方が驚きでしたが、本当に家庭によっ
ていろんなルールがあるんですね。
でも娘は私のやり方で、誕生日をすごした経験を持ったわけなので、
きっと自分の子どもには誕生日をやってあげるんでしょうね。
そんな未来を思い描くと、また楽しみです。
孫と誕生日パーティ、きっと楽しいだろうなあ。
誕生日って、一年に一度、自分が主人公気分になってもいい日ですよね。
裏方に徹して盛り上げる醍醐味っていうのも、娘がいてくれてこそ。
一年で一番忙しくて疲れる日だけれど、一番娘のために頑張れる日。
今年もいい誕生日でよかったね!
気づけばもう師走。
阿蘇から福岡に戻る途中の深夜に車が故障して、久留米で車が
煙吐いて立ち往生!!という修羅場が今年のお正月でした。
それからもう1年近く経ったなんて…!!
なんて速いんでしょうね。
今日はお休み。明日から26日まで休みなしでぶっ通しのお仕事
です。明日からのハードな日々に備えて今日はお昼寝でもしよう
かな。
27日から大掃除の予定。
今年の大掃除は本格的に力を入れて頑張る予定で、この1年
片付けられなかった別宅から引き取った荷物の山を処分。
整理できないものに囲まれて暮らすのはどうにも息が苦しいの
で、さっぱりなかったものと考えてほとんどを捨てるつもりです。
来客が一件でも入ると、家の片付けは出来ません。
来客スペースに荷物を広げないと、整理する作業場がないから
です。割り切って、お仕事は27日から一切お断りして作業日に
充てています。
こういうこと出来るのも、年末だけですね。
人生をリセットしたい気持ちです。
娘も中学生になる新しい年、いろんなことがまた待っているだ
ろうから。いろんなことを受け入れる隙間を作るためにも
心も荷物も、すっきり軽く、整理をつけて行きたいです。
最近、これまでお世話になった人たちにお礼を言っておかない
といけないなあと思うことがあります。
人間いつまで生きられるか誰にもわかりませんからね。
最善の死を迎えるためには こうしておけばよかった、というこ
とが出来るだけ少ないよう準備して行動しておくことが大事。
みなさん、これまで本当にありがとうございました。
これからも、マイペースに生きる私をよろしくお願いします。
阿蘇から福岡に戻る途中の深夜に車が故障して、久留米で車が
煙吐いて立ち往生!!という修羅場が今年のお正月でした。
それからもう1年近く経ったなんて…!!
なんて速いんでしょうね。
今日はお休み。明日から26日まで休みなしでぶっ通しのお仕事
です。明日からのハードな日々に備えて今日はお昼寝でもしよう
かな。
27日から大掃除の予定。
今年の大掃除は本格的に力を入れて頑張る予定で、この1年
片付けられなかった別宅から引き取った荷物の山を処分。
整理できないものに囲まれて暮らすのはどうにも息が苦しいの
で、さっぱりなかったものと考えてほとんどを捨てるつもりです。
来客が一件でも入ると、家の片付けは出来ません。
来客スペースに荷物を広げないと、整理する作業場がないから
です。割り切って、お仕事は27日から一切お断りして作業日に
充てています。
こういうこと出来るのも、年末だけですね。
人生をリセットしたい気持ちです。
娘も中学生になる新しい年、いろんなことがまた待っているだ
ろうから。いろんなことを受け入れる隙間を作るためにも
心も荷物も、すっきり軽く、整理をつけて行きたいです。
最近、これまでお世話になった人たちにお礼を言っておかない
といけないなあと思うことがあります。
人間いつまで生きられるか誰にもわかりませんからね。
最善の死を迎えるためには こうしておけばよかった、というこ
とが出来るだけ少ないよう準備して行動しておくことが大事。
みなさん、これまで本当にありがとうございました。
これからも、マイペースに生きる私をよろしくお願いします。
昨日学校で倒れた娘は 今日の朝はすっかり元気を取り戻し
ここ数日毎朝「学校行きたくない」と泣きべそかいていたのが
まるで嘘のように 元気にお弁当を持って
「行ってきます!!」と出かけていきました。
いや~ほんと体が丈夫な娘でありがたいことです。
学校から帰っても元気でげらげら笑ったり、大好きな遊びに夢中に
なったりして とても明るく過ごしています。
やっぱり、彼女の偏頭痛は、いつもストレスがたまって限界になる
と起きる発作のようです。
こうしてしばらく、暗くどんよりしたり、けらけら明るく過ごしたりする
波の大きな毎日を送るのかもしれません。
若いってそういうことかも。
私もそうだったしなあ。
我が家の二匹の大きな子犬たちは元気にじゃれあって 毎日大
騒ぎ。娘は二匹のお姉さんらしく ご飯を作ってあげたりボール投
げしてあげたり。
にぎやか第一の家族です。
一病息災で体長持ち。
泣いても怒っても、そのあとの快晴の空がきっとあるから。
大丈夫、大丈夫。
ここ数日毎朝「学校行きたくない」と泣きべそかいていたのが
まるで嘘のように 元気にお弁当を持って
「行ってきます!!」と出かけていきました。
いや~ほんと体が丈夫な娘でありがたいことです。
学校から帰っても元気でげらげら笑ったり、大好きな遊びに夢中に
なったりして とても明るく過ごしています。
やっぱり、彼女の偏頭痛は、いつもストレスがたまって限界になる
と起きる発作のようです。
こうしてしばらく、暗くどんよりしたり、けらけら明るく過ごしたりする
波の大きな毎日を送るのかもしれません。
若いってそういうことかも。
私もそうだったしなあ。
我が家の二匹の大きな子犬たちは元気にじゃれあって 毎日大
騒ぎ。娘は二匹のお姉さんらしく ご飯を作ってあげたりボール投
げしてあげたり。
にぎやか第一の家族です。
一病息災で体長持ち。
泣いても怒っても、そのあとの快晴の空がきっとあるから。
大丈夫、大丈夫。
子どもが急に具合が悪くなってしまうって 結構日常の事件。
仕事を遅刻したり早退したり休んだり出来るならまだしも
基本私の仕事は休めないし遅れることも早退もできないです。
おまけに佐賀へ出張していることも多いのでそんな時に重なると
どう頑張ってもすぐにはお迎えにいけません。
今日も唐津に出張して講義の間に何件も電話が入っていました。
あわてて留守電を確認。
「お子様が2時間目から保健室でずっと吐いています。
すぐに迎えに来てください」
大変、すぐって言われても…
講義が終わるまでは帰れません。
「代わりにどなたかすぐに来られる方は…祖父母さまなど」
そんな頼りになる人が居ればいいですが 我が家は完全に孤立
している核家族です。
仕事は切り上げられず、今すぐ迎えにいくことは出来ない、それが
動かしがたい結論です。
大勢の人が時間をやりくりして集まってくれているのに、講師の私が
すっぽかすことは出来ません。こういう仕事の宿命です。
多分、親が危篤でも私は帰らないのではないかと思います。
仕事が終わってすぐに学校に電話すると「まだ来られませんか」と
保健室の先生の少々責めているように聞こえる声。
容体を聞くとずっと横になっていて、少し眠っては吐くということを
10回くらい繰り返しているとの事。
佐賀にいるのですぐにはいけないことを伝え、高速道路を飛ばして
帰りました。
学校に着いて保健室で顔を見ると、娘はほっと安心した様子です。
偏頭痛からくる吐き気で、家に帰って数時間眠るとすっかり元気に
なりました。
最近、学校に行きたくないというようになって、心配しているところでした。
毎朝、「学校行きたくない」とぐずぐず言います。
学校に行きたくないという度に、「じゃあ休む?」とたずねますが、
黙って出かけていくのです。
けれど昨日はついに涙をぼろぼろ流しながら家を出たので、心配していました。
何が嫌なのか、何日もかけて情報収集していますが、原因は一つではないようです。
精神的に限界が来たときに、体調不良を起こすのは安全弁です。
心の崩壊を防ぎ、命を守るために、その環境から逃げるもっとも有効な
手段を無意識に選びます。
娘の場合、それが偏頭痛の発作となって現れています。
偏頭痛発作を起こすこともまた、彼女にとって救いなのです。
学校から、クラスから逃れて、家に帰ってゆっくり休めること、親に優しく
ケアされることで娘の心は少し安らぎます。
元気がたまれば、嫌なこともある学校に、自分で立ち向かって行きます。
明日の様子を観察したいと思います。
人の嫌な部分がよく見えて、嫌いな人が増える時期です。
親の矛盾を見つけ、批判する時期です。
自分のことが嫌いになったり、人と比較して劣等感を育てたりする時期です。
これからが、一番難しい時期。
これからと中学生の3年間は、親子の試練。
仕事を遅刻したり早退したり休んだり出来るならまだしも
基本私の仕事は休めないし遅れることも早退もできないです。
おまけに佐賀へ出張していることも多いのでそんな時に重なると
どう頑張ってもすぐにはお迎えにいけません。
今日も唐津に出張して講義の間に何件も電話が入っていました。
あわてて留守電を確認。
「お子様が2時間目から保健室でずっと吐いています。
すぐに迎えに来てください」
大変、すぐって言われても…
講義が終わるまでは帰れません。
「代わりにどなたかすぐに来られる方は…祖父母さまなど」
そんな頼りになる人が居ればいいですが 我が家は完全に孤立
している核家族です。
仕事は切り上げられず、今すぐ迎えにいくことは出来ない、それが
動かしがたい結論です。
大勢の人が時間をやりくりして集まってくれているのに、講師の私が
すっぽかすことは出来ません。こういう仕事の宿命です。
多分、親が危篤でも私は帰らないのではないかと思います。
仕事が終わってすぐに学校に電話すると「まだ来られませんか」と
保健室の先生の少々責めているように聞こえる声。
容体を聞くとずっと横になっていて、少し眠っては吐くということを
10回くらい繰り返しているとの事。
佐賀にいるのですぐにはいけないことを伝え、高速道路を飛ばして
帰りました。
学校に着いて保健室で顔を見ると、娘はほっと安心した様子です。
偏頭痛からくる吐き気で、家に帰って数時間眠るとすっかり元気に
なりました。
最近、学校に行きたくないというようになって、心配しているところでした。
毎朝、「学校行きたくない」とぐずぐず言います。
学校に行きたくないという度に、「じゃあ休む?」とたずねますが、
黙って出かけていくのです。
けれど昨日はついに涙をぼろぼろ流しながら家を出たので、心配していました。
何が嫌なのか、何日もかけて情報収集していますが、原因は一つではないようです。
精神的に限界が来たときに、体調不良を起こすのは安全弁です。
心の崩壊を防ぎ、命を守るために、その環境から逃げるもっとも有効な
手段を無意識に選びます。
娘の場合、それが偏頭痛の発作となって現れています。
偏頭痛発作を起こすこともまた、彼女にとって救いなのです。
学校から、クラスから逃れて、家に帰ってゆっくり休めること、親に優しく
ケアされることで娘の心は少し安らぎます。
元気がたまれば、嫌なこともある学校に、自分で立ち向かって行きます。
明日の様子を観察したいと思います。
人の嫌な部分がよく見えて、嫌いな人が増える時期です。
親の矛盾を見つけ、批判する時期です。
自分のことが嫌いになったり、人と比較して劣等感を育てたりする時期です。
これからが、一番難しい時期。
これからと中学生の3年間は、親子の試練。
自分に対して完璧を求めないことって結構難しくて
あ、と気づくとよく自分を責めたり叱ったりしています。
ここが出来てない。
あそこがまだまだ駄目。
もっとこうしなくちゃ。
どうして楽ばかりするの?
休んでいないでさっさとやるべきことをしなさい。
仕事はいくらでもあるでしょう。
それで、そんな風に自分を追い込んでいることに気づくとすぐに
「その言い方はないよね。完璧になんて出来るはずもないのに」
と自分を弁護したり、責めている側の自分のスイッチを切るよう
にしたりします。
これを繰り返して、もう多分、10年くらい続けています。
少づつ、責めることを放棄するというトレーニングで、上手になっ
てきた気はしますが、癖なのでしょうか、やはり責める自分、完
璧を求める自分というのはそう簡単には居なくならないようです。
実際のところ、私はぜんぜん完璧ではなく、本当に手が行き届
かないことばかりで、駄目な部分の方が9割で、出来ていること
や人の役に立っていることの方は1割あるかないかという人間です。
ついこの間も、娘の制服のスカートのすそがほつれて下りてしまっ
て、わかっているのに縫ってやれず2週間もの間、安全ピンで仮留
めのまま過ごさせました。>ひどい。
寝る時間を削ればいいじゃない。
疲れているなんていくらでも言える言い訳だよ。
子供に恥をかかせて、それでも母親なの?
そんな声が聞こえました。
そんな風に自分を責めると、悲しくて、苦しくて、泣きたくなるし眠
れなくなります。
寝るのをやめて起き出してそれをやると、何かがとてつもなく消耗
して、体調も心もひどく不調になります(経験上)。
だから私は、「今はやらない。明日の仕事のために休むことを優
先する。無理をしない。自分に無理強いをしない。」と意志を強く
固めて、どんなに人(実際には自分)が責めるとしても、今はそれ
をしないのだという選択を守ります。
そうしないと、生きることが苦しくなるという事を、よく知っている
からです。ただ生きることが出来なくなると、死ぬことを考えるよ
うになってしまうことを良く知っているからです。
自分自身といつも闘っているような感じで、これはあまり調子が
よくない時の特徴です。
(ん?ということは今、ちょっと調子が悪いのかな?
そういえばちょっとした事件があったなあ。)
自分自身は完璧ではなく そして永遠に完璧にはなれないと
頭で分かっているのにそれを自分に対して要求し続けるという
のは、エゴですね。
自分はもっと上手にやれる、たくさんやれる、完璧になれると。
これが私の中に在る愚かさ。
神になることはないのに、神を目指す人間の愚かさそのものです。
神になれないことを120%分かっていて、
それでも近づきたいから努力・精進を続けていく…
というのと似てはいても、まったく質の違うものなのです。
身の程を知らねばなりません。
心を穏やかに、自分というものがいかほどのものか、目を閉じて
静かに見つめたい気持ちです。
等身大の自分自身を ありのままただ見つめること。
書いていて、なんだかすーっと気持ちが落ち着いてきました。
自分は、自分以上になる必要はないんです。
自分であることに精一杯なら、どんな不細工な人生でも、
それで許される…そう思います。
今日もまた 自分自身を精一杯。
9割だめで、1割役立つ そんな自分自身を。
あ、と気づくとよく自分を責めたり叱ったりしています。
ここが出来てない。
あそこがまだまだ駄目。
もっとこうしなくちゃ。
どうして楽ばかりするの?
休んでいないでさっさとやるべきことをしなさい。
仕事はいくらでもあるでしょう。
それで、そんな風に自分を追い込んでいることに気づくとすぐに
「その言い方はないよね。完璧になんて出来るはずもないのに」
と自分を弁護したり、責めている側の自分のスイッチを切るよう
にしたりします。
これを繰り返して、もう多分、10年くらい続けています。
少づつ、責めることを放棄するというトレーニングで、上手になっ
てきた気はしますが、癖なのでしょうか、やはり責める自分、完
璧を求める自分というのはそう簡単には居なくならないようです。
実際のところ、私はぜんぜん完璧ではなく、本当に手が行き届
かないことばかりで、駄目な部分の方が9割で、出来ていること
や人の役に立っていることの方は1割あるかないかという人間です。
ついこの間も、娘の制服のスカートのすそがほつれて下りてしまっ
て、わかっているのに縫ってやれず2週間もの間、安全ピンで仮留
めのまま過ごさせました。>ひどい。
寝る時間を削ればいいじゃない。
疲れているなんていくらでも言える言い訳だよ。
子供に恥をかかせて、それでも母親なの?
そんな声が聞こえました。
そんな風に自分を責めると、悲しくて、苦しくて、泣きたくなるし眠
れなくなります。
寝るのをやめて起き出してそれをやると、何かがとてつもなく消耗
して、体調も心もひどく不調になります(経験上)。
だから私は、「今はやらない。明日の仕事のために休むことを優
先する。無理をしない。自分に無理強いをしない。」と意志を強く
固めて、どんなに人(実際には自分)が責めるとしても、今はそれ
をしないのだという選択を守ります。
そうしないと、生きることが苦しくなるという事を、よく知っている
からです。ただ生きることが出来なくなると、死ぬことを考えるよ
うになってしまうことを良く知っているからです。
自分自身といつも闘っているような感じで、これはあまり調子が
よくない時の特徴です。
(ん?ということは今、ちょっと調子が悪いのかな?
そういえばちょっとした事件があったなあ。)
自分自身は完璧ではなく そして永遠に完璧にはなれないと
頭で分かっているのにそれを自分に対して要求し続けるという
のは、エゴですね。
自分はもっと上手にやれる、たくさんやれる、完璧になれると。
これが私の中に在る愚かさ。
神になることはないのに、神を目指す人間の愚かさそのものです。
神になれないことを120%分かっていて、
それでも近づきたいから努力・精進を続けていく…
というのと似てはいても、まったく質の違うものなのです。
身の程を知らねばなりません。
心を穏やかに、自分というものがいかほどのものか、目を閉じて
静かに見つめたい気持ちです。
等身大の自分自身を ありのままただ見つめること。
書いていて、なんだかすーっと気持ちが落ち着いてきました。
自分は、自分以上になる必要はないんです。
自分であることに精一杯なら、どんな不細工な人生でも、
それで許される…そう思います。
今日もまた 自分自身を精一杯。
9割だめで、1割役立つ そんな自分自身を。
無病息災 : 病気がなく健康であること。達者、元気でいること。
という言葉に類似して、
一病息災 : 一つくらい病気のある人の方が、体を大切にしてかえって長生きすること。
という言葉があります。
しみじみ自分のことみたいだなあと思います(笑)。
無病息災よりも一病息災の方が良いことが多いと思いますが、いか
がでしょうか?
私は子供のころからあまり丈夫ではなく、しかし重病でもないという、
なんとも中途半端な健康状況でした。
小学校のころ、学校で気分が悪くなって保健室で1時間寝てすごす
という思い出がたくさんあります。
保健室の天井の模様を眺めながら休んでいると、
音が響く静かな保健室に、体育館から体操の掛け声が聞こえてき
たり、どこかの教室が笑いでどっと沸いている声がかすかに届いた
りしました。
自分はどうしてみんなと一緒にいないのだろう。
今頃みんなが先生が言ったジョークや、友達のおふざけで笑ってい
るのかも知れない。そして、みんなはその思い出を共有しているの
に、私だけはその思い出を持っていないのだ。
同じ今この時だけど、一人一人が違う時間をすごして、違う経験を
しているのだ。
私は何をしているのだろう。
こんなところで横になって。
もう二度と帰らない、この一時間を、なぜ無為に横になって過ごし
ているのだろう。
明日死ぬとして、こんなことで私は自分の死を受け入れられるだ
ろうか。自分の人生はこれで良い、精一杯だったと胸を張れるだ
ろうか。
そんな事を、思っては保健室でこっそり泣いたりしていました。
多分、私だけではないと思うんですね。
体の弱い人は、そういう事を考えやすいのではないかと思います。
健康ではないから、体をいたわり、結局は長生きするわけです。
生きていることを当たり前だと思っていないから、日々を後悔しな
いようにしようと思うわけです。
死ぬことを知っているから、生きようとするわけです。
保健室のベッドで、天井を眺めながら思ったことは、私の生き方の
方向性にかなり影響していると思います。
で、最近一つまた病気が増えまして(笑)
もとから私は自分の体調をこまめにやってる方なのですが、
ますます、健康的に過ごしています。
とりあえず4キロ痩せました。ヤター!
体調は病気が見つかる前よりもずっと良いです。
まさに、一病息災。
病気ってまじめに健康を考えさせてくれます(笑)
このまま標準体重まで落とせるかなあ? ← 欲張り
(小2以降、標準体重だったことは一度もないのですが!!)
という言葉に類似して、
一病息災 : 一つくらい病気のある人の方が、体を大切にしてかえって長生きすること。
という言葉があります。
しみじみ自分のことみたいだなあと思います(笑)。
無病息災よりも一病息災の方が良いことが多いと思いますが、いか
がでしょうか?
私は子供のころからあまり丈夫ではなく、しかし重病でもないという、
なんとも中途半端な健康状況でした。
小学校のころ、学校で気分が悪くなって保健室で1時間寝てすごす
という思い出がたくさんあります。
保健室の天井の模様を眺めながら休んでいると、
音が響く静かな保健室に、体育館から体操の掛け声が聞こえてき
たり、どこかの教室が笑いでどっと沸いている声がかすかに届いた
りしました。
自分はどうしてみんなと一緒にいないのだろう。
今頃みんなが先生が言ったジョークや、友達のおふざけで笑ってい
るのかも知れない。そして、みんなはその思い出を共有しているの
に、私だけはその思い出を持っていないのだ。
同じ今この時だけど、一人一人が違う時間をすごして、違う経験を
しているのだ。
私は何をしているのだろう。
こんなところで横になって。
もう二度と帰らない、この一時間を、なぜ無為に横になって過ごし
ているのだろう。
明日死ぬとして、こんなことで私は自分の死を受け入れられるだ
ろうか。自分の人生はこれで良い、精一杯だったと胸を張れるだ
ろうか。
そんな事を、思っては保健室でこっそり泣いたりしていました。
多分、私だけではないと思うんですね。
体の弱い人は、そういう事を考えやすいのではないかと思います。
健康ではないから、体をいたわり、結局は長生きするわけです。
生きていることを当たり前だと思っていないから、日々を後悔しな
いようにしようと思うわけです。
死ぬことを知っているから、生きようとするわけです。
保健室のベッドで、天井を眺めながら思ったことは、私の生き方の
方向性にかなり影響していると思います。
で、最近一つまた病気が増えまして(笑)
もとから私は自分の体調をこまめにやってる方なのですが、
ますます、健康的に過ごしています。
とりあえず4キロ痩せました。ヤター!
体調は病気が見つかる前よりもずっと良いです。
まさに、一病息災。
病気ってまじめに健康を考えさせてくれます(笑)
このまま標準体重まで落とせるかなあ? ← 欲張り
(小2以降、標準体重だったことは一度もないのですが!!)
テンプレート変えてみました。気づいたらもう冬になっていたので(汗
娘が「嫌だなー」「嫌だなー」と連発するので何が嫌なのか聞いてみると。
体育の授業が持久走なんだそうです。
そう。あの苦しくてきつくて、自虐的な競技、持久走。
私は何を隠そう、この持久走というものが学校生活の中で一番嫌いでした。
「わかるわーーー!!持久走って嫌だよねーー!!」と共感しまくりです。
母に共感されてうれしかったのか、娘は本音を爆発させて、
近々行われる持久走記録会が憂鬱でたまらず、雨降れ!と黒魔術の
儀式でも行いたいくらいなんだとか。
大体何のためにあんなに長い距離走るのか?
体を鍛える方法ならもっと楽しいダンスとか、ほかにも方法はあるんじゃ
ないのか?という主張にも、一理あります。
嫌だというのはよく分かったので、ひとしきり聞いた後、
(持久走に限らず、辛くて嫌なことがあった時に、嫌だ嫌だと言ってるだけ
じゃ適応できているとは言えないよなあ)と考えました。
自分だって、学生時代は嫌だ嫌だと言っているばかりで、少しも適応でき
ていなかったのですが、娘にはそれよりマシであってほしいという親の欲。
我が家では、トイレの中に交換日記が置いてあり、用を足すついでに、
その時のささいな気持ちを気軽に書いて、家族がそれにコメントを自由に
付け足すということが出来るようにしています。
いろいろ口で話せていますが、口で言うのとは別に、文章で伝える言葉
にはまた違ったニュアンスと、力があるように思います。
「ママが思うにはね…
持久走っていうのは、持久力を育てるために、するんじゃないのかな。
持久力って、”自分の意志で自分を動かし続ける力”のことだと思うんだ。
仕事って、辛いことや我慢しなきゃいけないことがたくさんあるんだけど、
それでも”やり続けよう”って意志の力だけで進むしかないときがあるよ。
持久走は、きついし苦しいよね。
だけど走り続けているのは自分の脚を動かし続ける自分自身の意志。
歩けばいいし、やめればいいのに、自分で、自分の足を動かして走り
続けているよね。だらだらするのも、あと一歩、もう少し早くって思うの
も自分の自由。誰も自分の足を動かしてくれない。
自分の足を動かすのは意志の力。
順位なんかどうだっていい、動かし続けられた意志の力がすごい、
ってことなんだと思う。
意志の力があれば、きっと大人になっても何かをやり遂げられるよね」
そう交換日記に書きました。数日前のことです。
そして今日。
娘は今日、持久走記録会で、昨年の記録を4秒、上回って、完走しました。
「適当にだらだら走ってやる」なんて言っていたけど、応援に行った夫の
感想では「とっても一生懸命頑張っていたよ」ということ。
頑張ってくれてうれしい。
頑張った娘のために、晩御飯を少しだけ豪華にしました。
大好物の、鶏スープです。
寒い夜は、温かいスープがいいよね。
娘が「嫌だなー」「嫌だなー」と連発するので何が嫌なのか聞いてみると。
体育の授業が持久走なんだそうです。
そう。あの苦しくてきつくて、自虐的な競技、持久走。
私は何を隠そう、この持久走というものが学校生活の中で一番嫌いでした。
「わかるわーーー!!持久走って嫌だよねーー!!」と共感しまくりです。
母に共感されてうれしかったのか、娘は本音を爆発させて、
近々行われる持久走記録会が憂鬱でたまらず、雨降れ!と黒魔術の
儀式でも行いたいくらいなんだとか。
大体何のためにあんなに長い距離走るのか?
体を鍛える方法ならもっと楽しいダンスとか、ほかにも方法はあるんじゃ
ないのか?という主張にも、一理あります。
嫌だというのはよく分かったので、ひとしきり聞いた後、
(持久走に限らず、辛くて嫌なことがあった時に、嫌だ嫌だと言ってるだけ
じゃ適応できているとは言えないよなあ)と考えました。
自分だって、学生時代は嫌だ嫌だと言っているばかりで、少しも適応でき
ていなかったのですが、娘にはそれよりマシであってほしいという親の欲。
我が家では、トイレの中に交換日記が置いてあり、用を足すついでに、
その時のささいな気持ちを気軽に書いて、家族がそれにコメントを自由に
付け足すということが出来るようにしています。
いろいろ口で話せていますが、口で言うのとは別に、文章で伝える言葉
にはまた違ったニュアンスと、力があるように思います。
「ママが思うにはね…
持久走っていうのは、持久力を育てるために、するんじゃないのかな。
持久力って、”自分の意志で自分を動かし続ける力”のことだと思うんだ。
仕事って、辛いことや我慢しなきゃいけないことがたくさんあるんだけど、
それでも”やり続けよう”って意志の力だけで進むしかないときがあるよ。
持久走は、きついし苦しいよね。
だけど走り続けているのは自分の脚を動かし続ける自分自身の意志。
歩けばいいし、やめればいいのに、自分で、自分の足を動かして走り
続けているよね。だらだらするのも、あと一歩、もう少し早くって思うの
も自分の自由。誰も自分の足を動かしてくれない。
自分の足を動かすのは意志の力。
順位なんかどうだっていい、動かし続けられた意志の力がすごい、
ってことなんだと思う。
意志の力があれば、きっと大人になっても何かをやり遂げられるよね」
そう交換日記に書きました。数日前のことです。
そして今日。
娘は今日、持久走記録会で、昨年の記録を4秒、上回って、完走しました。
「適当にだらだら走ってやる」なんて言っていたけど、応援に行った夫の
感想では「とっても一生懸命頑張っていたよ」ということ。
頑張ってくれてうれしい。
頑張った娘のために、晩御飯を少しだけ豪華にしました。
大好物の、鶏スープです。
寒い夜は、温かいスープがいいよね。
今日はみやき町の仕事の最終回でした。
一ヶ月前に出会った方々と、今回でいったんお別れです。
立場上、私は彼らの講師なのですが、ここで出会った方々の言葉、感想、笑顔、うなづき、そういった一つ一つが、私に何かを伝えてくれていました。そこにいるお一人お一人が、私の先生のような、そんな気持ちを感じていました。
最後に、多くの方から「ぜひまたみやき町に来てください」とお声をかけていただき、どうしてこんなに優しい人が多いのだろうと、本当に暖かい気持ちになります。
人の中にもともと宿っている、優しさや思いやりが発揮されると、同時に相手を敬い丁寧に接する礼儀正しさが表面に立ち上り、その人の振る舞いを実に美しくするのです。私はその姿を何百人もの人々の中に見てきました。
私は彼ら一人一人の生徒だと、そう感じます。
出会いがあり、別れがある。そのことを認識したとき、私たちは相手への敬意を思い出します。もしかしたら、今日お別れした方の中に、私がもう一生お目にかかることのない人がいるかも知れません。そう思うと、一人一人との出会いの、この奇跡のようなひと時を、出来るだけ良い時間にしたいと、自然に思わずには居られません。
人は出来るだけ早くから、自分の命が限られた時間なのだと、実感すべきではないかと思います。一度でも自分が死んでいなくなることを間近に感じたなら、今生きているこのひと時の美しさ、貴重さを、嫌でも思い出すからです。
人生は永劫続くものではありません。
ひと時の夢のようにはかなく、終わりのあるもの。
あなたとの出会い、今この瞬間。
二度と戻らずかけがえのない、永遠の中の一瞬なのです。
ありがとうございますという言葉でしか、あらわすことが出来ない、この美しいひと時を共有してくれる人がこれからもたくさん、居ますように。
一ヶ月前に出会った方々と、今回でいったんお別れです。
立場上、私は彼らの講師なのですが、ここで出会った方々の言葉、感想、笑顔、うなづき、そういった一つ一つが、私に何かを伝えてくれていました。そこにいるお一人お一人が、私の先生のような、そんな気持ちを感じていました。
最後に、多くの方から「ぜひまたみやき町に来てください」とお声をかけていただき、どうしてこんなに優しい人が多いのだろうと、本当に暖かい気持ちになります。
人の中にもともと宿っている、優しさや思いやりが発揮されると、同時に相手を敬い丁寧に接する礼儀正しさが表面に立ち上り、その人の振る舞いを実に美しくするのです。私はその姿を何百人もの人々の中に見てきました。
私は彼ら一人一人の生徒だと、そう感じます。
出会いがあり、別れがある。そのことを認識したとき、私たちは相手への敬意を思い出します。もしかしたら、今日お別れした方の中に、私がもう一生お目にかかることのない人がいるかも知れません。そう思うと、一人一人との出会いの、この奇跡のようなひと時を、出来るだけ良い時間にしたいと、自然に思わずには居られません。
人は出来るだけ早くから、自分の命が限られた時間なのだと、実感すべきではないかと思います。一度でも自分が死んでいなくなることを間近に感じたなら、今生きているこのひと時の美しさ、貴重さを、嫌でも思い出すからです。
人生は永劫続くものではありません。
ひと時の夢のようにはかなく、終わりのあるもの。
あなたとの出会い、今この瞬間。
二度と戻らずかけがえのない、永遠の中の一瞬なのです。
ありがとうございますという言葉でしか、あらわすことが出来ない、この美しいひと時を共有してくれる人がこれからもたくさん、居ますように。
子供のころ、石ノ森章太郎の「サイボーグ009」にハマりました。
私も暗い少女時代だったせいでしょうか。暗い定めを背負った主人公たちに共感しまくり。人類のために傷つきながら戦い続けているにも関わらず、誰からもその存在を認められていないという自己犠牲の姿に共感しまくり。
石ノ森の作品にはいつもどこか哲学的な問いかけが感じられて、そういう世界感にも魅惑されて。
幼いころから難しいことを考える子だった私にとって、本当に本当に大好きな作品だったのです。
先日、家族で映画館に行ったら、予告編でサイボーグ009の新作が作られていることを知りました。その予告編を見て、鳥肌が立ちました。「これはすごい出来かも…!」という予感です。
今日、やっともろもろの用件が片付き、隙を縫うように家族でTジョイ博多に参じてまいりました。
感想…。。。。
もうね。
私の中では、ここ数年内に見た映画の中で一番、評価の高い作品です。
3DCGアニメの作品の中では、群を抜いた完成度。画面の完成度、センスのよさ。
ここはやはり、リアニメーションと公式ページで言われている手法が効果を上げたと言っていいでしょう。
端から端まで、ギャグ(笑い)に逃げず、緊張感を保ってシリアスなストーリー攻めで魅せてくれました。キャラクターデザインも、現代的に洗練されていながら、原作の魅力を失わず、本当に素晴らしい。
こんなストイックな作品は、日本アニメ界の中でも久々かも知れません。
石ノ森原作へのリスペクトに溢れ、観客に媚びず、人類を救うという使命をまっすぐに描いた1時間50分。潔し!
制作者として、こういう具合に端から端まで「ウケ」に逃げず、ストイックなまま完成させるのって本当に至難の業です。ピュアな制作者が一番苦しむ部分かも知れません。なにしろこれで商売を成功させなければ次の作品を作らせてもらえないんですから。折れずにこのストイックさを貫けたのは、石ノ森作品へのリスペクトがとても強くあったからだと思います。いいぞ神山監督とIG!大好きだー!
まったくもって蛇足ですが
ちなみにエヴァンゲリオンがこの対極にあります。
くだらない受け狙いばかりで、制作者の精神的な卑屈さ、脆弱さ、観客との馴れ合いや甘えがそのまんま作品に表れています。売れれば何でもいい、というのが透けます。
話を戻して、と。
「彼の声」(神?)に導かれ、人類の驕りを戒めるため、一度世界を破滅させることが正しいと信じる人間によってさまざまなテロが起こるという設定。これは現在の世界におきている現実でもあります。
今回、この脅威に立ち向かうサイボーグたちは「人間は救うべき価値のある存在なのか?それとも愚かさは如何ともしがたく、一度人類を滅亡させてもう一度最初から世界をやり直すほうがよいのか?」というテーマとも向き合っているわけです。
特に主人公の島村ジョーは、世界のために戦う使命を負った00ナンバーのサイボーグでありながら、自分自身も彼(神?)の声を聞き、テロをもくろんでしまったという立場にあり、「彼の声」とは何か?という謎を追うことと共に、ジョーは人間を救うのか滅ぼすのか?ということがストーリーの縦の糸となっています。
案の定、謎解きは結局あいまいなのです。しかし、こういうテーマには「こうだったんだ!」という答えを用意すると観客が考える余地がなくなり、作品の魅力が損なわれます。だからこれでいいと思います。何が正しいのか分からない、それが人間のおかれている状況の複雑さ、現実だからです。
が、そういうテーマの難しさはさておいても、一つ一つのシーンが、とにかく息を呑む迫力と美しさです。カメラ、シーン割り、音楽と音響。本当に素晴らしい。鳥肌立ちまくり、心臓バクバクで涙ぐみまくりです。
日本アニメ万歳!
本当にかっこいいアニメ!!
最近の日本アニメは、エヴァに限らず、ウケばかりを考えたあざといものばかりが目立っていました。萌え系の絵柄のものなどは特にそうです。
でも、今日、こういう作品を作ることが出来る現場が、まだ日本にはあったんだとわかり、私は本当にうれしくなりました。
個人的には100点満点ではないけど(ラストが余計な語りが多すぎ)、作品としては私の心の中の棚のナンバーワン作品の位置に収まっています。ラストまでは完璧。文句つけようがない素晴らしさ。
配役も大変よかったですね。アニメ声の声優は芝居が大げさでリアリティがありませんが、今回のジョー役:宮野真守(みやのまもる)さんは大変好感の持てる演技でした。芝居がアニメ業界に染まっておらず、大変自然でした。抑制の効いたジョーの心理描写と、クライマックスシーンの演技へのダイナミクスが見事で、見ているこちらも自然に感情を揺さぶられました。ブラボー。
音楽も素晴らしかった。この音楽と音響がなければ、これだけの緊張感とテンポを維持できません。非常にコンセプトを理解した見事な仕事をされたと思いました。どれだけ大変だったか、想像できます。
この作品、何かの世界的な賞をもらって当然というレベルだと思います。
日本が世界に誇るアニメ文化、ここに健在です。
神山監督、ありがとう!
たった6ヶ月でこれを作ったなんて信じられないけれど、本当にありがとう。
スタッフがきっと本当に優秀だったんだろうな。
PS。
ちなみに今気づきましたが、この神山監督は、私が以前一押ししていた作品、「精霊の守り人」のアニメ版の監督でした。さすがだね!
私も暗い少女時代だったせいでしょうか。暗い定めを背負った主人公たちに共感しまくり。人類のために傷つきながら戦い続けているにも関わらず、誰からもその存在を認められていないという自己犠牲の姿に共感しまくり。
石ノ森の作品にはいつもどこか哲学的な問いかけが感じられて、そういう世界感にも魅惑されて。
幼いころから難しいことを考える子だった私にとって、本当に本当に大好きな作品だったのです。
先日、家族で映画館に行ったら、予告編でサイボーグ009の新作が作られていることを知りました。その予告編を見て、鳥肌が立ちました。「これはすごい出来かも…!」という予感です。
今日、やっともろもろの用件が片付き、隙を縫うように家族でTジョイ博多に参じてまいりました。
感想…。。。。
もうね。
私の中では、ここ数年内に見た映画の中で一番、評価の高い作品です。
3DCGアニメの作品の中では、群を抜いた完成度。画面の完成度、センスのよさ。
ここはやはり、リアニメーションと公式ページで言われている手法が効果を上げたと言っていいでしょう。
端から端まで、ギャグ(笑い)に逃げず、緊張感を保ってシリアスなストーリー攻めで魅せてくれました。キャラクターデザインも、現代的に洗練されていながら、原作の魅力を失わず、本当に素晴らしい。
こんなストイックな作品は、日本アニメ界の中でも久々かも知れません。
石ノ森原作へのリスペクトに溢れ、観客に媚びず、人類を救うという使命をまっすぐに描いた1時間50分。潔し!
制作者として、こういう具合に端から端まで「ウケ」に逃げず、ストイックなまま完成させるのって本当に至難の業です。ピュアな制作者が一番苦しむ部分かも知れません。なにしろこれで商売を成功させなければ次の作品を作らせてもらえないんですから。折れずにこのストイックさを貫けたのは、石ノ森作品へのリスペクトがとても強くあったからだと思います。いいぞ神山監督とIG!大好きだー!
まったくもって蛇足ですが
ちなみにエヴァンゲリオンがこの対極にあります。
くだらない受け狙いばかりで、制作者の精神的な卑屈さ、脆弱さ、観客との馴れ合いや甘えがそのまんま作品に表れています。売れれば何でもいい、というのが透けます。
話を戻して、と。
「彼の声」(神?)に導かれ、人類の驕りを戒めるため、一度世界を破滅させることが正しいと信じる人間によってさまざまなテロが起こるという設定。これは現在の世界におきている現実でもあります。
今回、この脅威に立ち向かうサイボーグたちは「人間は救うべき価値のある存在なのか?それとも愚かさは如何ともしがたく、一度人類を滅亡させてもう一度最初から世界をやり直すほうがよいのか?」というテーマとも向き合っているわけです。
特に主人公の島村ジョーは、世界のために戦う使命を負った00ナンバーのサイボーグでありながら、自分自身も彼(神?)の声を聞き、テロをもくろんでしまったという立場にあり、「彼の声」とは何か?という謎を追うことと共に、ジョーは人間を救うのか滅ぼすのか?ということがストーリーの縦の糸となっています。
案の定、謎解きは結局あいまいなのです。しかし、こういうテーマには「こうだったんだ!」という答えを用意すると観客が考える余地がなくなり、作品の魅力が損なわれます。だからこれでいいと思います。何が正しいのか分からない、それが人間のおかれている状況の複雑さ、現実だからです。
が、そういうテーマの難しさはさておいても、一つ一つのシーンが、とにかく息を呑む迫力と美しさです。カメラ、シーン割り、音楽と音響。本当に素晴らしい。鳥肌立ちまくり、心臓バクバクで涙ぐみまくりです。
日本アニメ万歳!
本当にかっこいいアニメ!!
最近の日本アニメは、エヴァに限らず、ウケばかりを考えたあざといものばかりが目立っていました。萌え系の絵柄のものなどは特にそうです。
でも、今日、こういう作品を作ることが出来る現場が、まだ日本にはあったんだとわかり、私は本当にうれしくなりました。
個人的には100点満点ではないけど(ラストが余計な語りが多すぎ)、作品としては私の心の中の棚のナンバーワン作品の位置に収まっています。ラストまでは完璧。文句つけようがない素晴らしさ。
配役も大変よかったですね。アニメ声の声優は芝居が大げさでリアリティがありませんが、今回のジョー役:宮野真守(みやのまもる)さんは大変好感の持てる演技でした。芝居がアニメ業界に染まっておらず、大変自然でした。抑制の効いたジョーの心理描写と、クライマックスシーンの演技へのダイナミクスが見事で、見ているこちらも自然に感情を揺さぶられました。ブラボー。
音楽も素晴らしかった。この音楽と音響がなければ、これだけの緊張感とテンポを維持できません。非常にコンセプトを理解した見事な仕事をされたと思いました。どれだけ大変だったか、想像できます。
この作品、何かの世界的な賞をもらって当然というレベルだと思います。
日本が世界に誇るアニメ文化、ここに健在です。
神山監督、ありがとう!
たった6ヶ月でこれを作ったなんて信じられないけれど、本当にありがとう。
スタッフがきっと本当に優秀だったんだろうな。
PS。
ちなみに今気づきましたが、この神山監督は、私が以前一押ししていた作品、「精霊の守り人」のアニメ版の監督でした。さすがだね!