2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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小室哲哉が逮捕という大きなニュースで ワイドショーの芸能コーナーがにぎやかだ。
100億円の預金があった人が10年で資産ゼロどころが十数億の借金を負う、というのは、普通の生活者にとっては遠い世界の話かも知れない。
100億円、何に使えばたった十年で無くなるのか、想像がつかないという事が、話題になっているのかも知れない。
私は、小室哲哉をみていると可哀相にと思う。
自分の仕事が一件100万円単位、一曲あたれば数億になった人には、当然その規模のビジネス話がつきまとう。お金の感覚が、数千円から数万、そして飛躍的に数百万、数千万の単位にすり替わってしまうのだ。特に何かの事業をしていれば尚のこと、事業費の桁に慣れ大金を大金と思わなくなるのだ。自分にも覚えのある事だ。ビジネスベースでお金を捉えると、数百万ははした金になってしまう。ビジネスの現場では数百万で出来ることはごくわずかだからだ。小室哲也も同じ思いをしただろう。彼の場合だとレコーディング一回でそのくらいは使ってしまうだろう。
小室哲哉が、周辺の人に数十万、数百万の借金をして、そのまま踏み倒しになっているというのは、返すつもりがないのではなく、そのくらいの借金が小額に思えるほどのお金の額に取り囲まれていたという事を示しているのだ。
世界の何ヶ所かに専用のスタジオを持ち、高級な車を何台も持ち、贅沢に囲まれた日々で、彼は自分の世界が広がったと感じただろうか。
寝て、起きて、シャワーを浴び、食べて、トイレに行って、出かけて、買い物をして、帰る。
その全てにお金がかかるようになった。
だから多くを稼がなければならなくなった。
以前同様に稼げなくなった時、贅沢な世界から追い落されそうになった。
落ちればよかったのに、可哀相にも落ちたくなかった彼は、巨額なビジネスに夢を見続けてしまっただろう。そして益々巨額な借金が増えていく。
誰でもお金持ちになれば判ることだけれど、お金持ちにとっての数万円は、普通の人の数千円か数百円だ。ランチの予算は、普通の人は数百円からせいぜい3千円くらいまでだろう。これがお金持ちの人になると、ランチ予算でも1万円から5万円くらいになる。
そして世の中にあるどんなものでも私たちが普通に買っているあらゆるものは、一般売価の数倍から数十倍の価格で「お金持ち用」のものが存在する。
グラスを例にとってみる。
水を注ぐグラス一個、100円ショップでも手に入るものだが、お金持ち向けには、数万円のグラスが売られている。そして、お金持ちが行く店と、普通の人が行く店は完全に境界線があって、お互いの世界は干渉されない。
お金持ちは100円ショップには入らない。
お金のない人は、高級クリスタルガラスのショップには入らない。
お金持ちになると、数百円のランチのお店は、お店の存在そのものが目に入らなくなる。
お金がない人は、5千円以上のランチメニューしかない高級店には近寄らない。
使えるお金の量で、世の中は棲み分けがされている。それが事実である。
お金持ちになりたい人に、何故なりたいのかと訊くと返ってくる答えの一つは、「高級なお店に行けるようになり、高級なものを買えるようになるから」という。この答えが意味するのは、「これまで普通に利用しているお店や持ち物に加えて、より高級な店、より高級なものへと広がる」という期待だ。
しかし残念ながら現実はそうではない。
たくさんお金を持っていると、住む世界がひろがるのではなく、住む世界がスライドして変わるだけなのだ。
お金を使えるようになった人の多くは、それまで属していた普通の生活を捨ててしまい、別の世界へと住み替えてしまう。つまり、世界は広くなったのではなく、スライドしてお引っ越しをしただけに過ぎないのだ。堀江モンだって同じだ。
だから、お金持ちになってもその人の日常の生活は、根本的には何も変わらない。
眠って、食べて、風呂に入って、トイレに入って、出かけて、買い物して、帰ってくる。
同じ事をするのに、ただ安直に、かかるお金の規模が大きくなる。
それがお金持ちの生活だ。
お金持ちは、水を注いで飲む、という機能さえあればよいグラスに、数万円を使う。
何故だろうか? 皆さんはそこに疑問を持ち、何故か考えたことがあるだろうか?
それは、お金の使い道がないと、お金持ちになった意味がないからだ。
お金持ちになっても、高級なものが用意されていなかったらどうしよう。
もしもお金持ちになったら行きたいと思っているあらゆるお店が、存在しないような国に住んでいたら、お金持ちになる意味はどこにあるだろうか?
ほら、困ると思いませんか?
つまり、多くの人は、お金の使い道があると思っているから、お金持ちになりたいのだ。
幸いというべきか、日本にはお金持ちが大勢居るので、お金持ち用のお店も商品も、じつにたくさんある。だから多くの人は、お金の使い道があると信じているので、お金持ちになりたいのだ。
私は、自分という個人に生活にお金の使い道が多くないと判っている。
グラスは100円もので十分だし、食べ物も高級である必要はない。
毎日フォアグラを食べ続けたら飽きるし、自分がフォアグラになってしまう。
だから、お金持ちになりたいと思っていない。
使い道がないのだから、お金持ちになる意味がない。
無駄に大金持ちになっても、自分の世界は広くならない。
世界はスライドし、その世界にしがみつきたいと思ってしまった途端に、多くを稼がなければならなくなる。
ビートたけしと島田洋七が対談している時に、お金についてじつにうまいことを言った。
「うなぎ食べたいなって時に、うなぎ屋に入って、並が1000円くらいだ。特上は3000円くらいだろ。なら、普通の人の3倍くらいのお金があれば十分贅沢出来るな。普通の人の3倍くらいが丁度良いや。」
名言である。
お金持ちを目指すなら、平均年収の3倍くらい。それくらいが丁度よい。
私には、100円のグラスでも十分である。
100億円の預金があった人が10年で資産ゼロどころが十数億の借金を負う、というのは、普通の生活者にとっては遠い世界の話かも知れない。
100億円、何に使えばたった十年で無くなるのか、想像がつかないという事が、話題になっているのかも知れない。
私は、小室哲哉をみていると可哀相にと思う。
自分の仕事が一件100万円単位、一曲あたれば数億になった人には、当然その規模のビジネス話がつきまとう。お金の感覚が、数千円から数万、そして飛躍的に数百万、数千万の単位にすり替わってしまうのだ。特に何かの事業をしていれば尚のこと、事業費の桁に慣れ大金を大金と思わなくなるのだ。自分にも覚えのある事だ。ビジネスベースでお金を捉えると、数百万ははした金になってしまう。ビジネスの現場では数百万で出来ることはごくわずかだからだ。小室哲也も同じ思いをしただろう。彼の場合だとレコーディング一回でそのくらいは使ってしまうだろう。
小室哲哉が、周辺の人に数十万、数百万の借金をして、そのまま踏み倒しになっているというのは、返すつもりがないのではなく、そのくらいの借金が小額に思えるほどのお金の額に取り囲まれていたという事を示しているのだ。
世界の何ヶ所かに専用のスタジオを持ち、高級な車を何台も持ち、贅沢に囲まれた日々で、彼は自分の世界が広がったと感じただろうか。
寝て、起きて、シャワーを浴び、食べて、トイレに行って、出かけて、買い物をして、帰る。
その全てにお金がかかるようになった。
だから多くを稼がなければならなくなった。
以前同様に稼げなくなった時、贅沢な世界から追い落されそうになった。
落ちればよかったのに、可哀相にも落ちたくなかった彼は、巨額なビジネスに夢を見続けてしまっただろう。そして益々巨額な借金が増えていく。
誰でもお金持ちになれば判ることだけれど、お金持ちにとっての数万円は、普通の人の数千円か数百円だ。ランチの予算は、普通の人は数百円からせいぜい3千円くらいまでだろう。これがお金持ちの人になると、ランチ予算でも1万円から5万円くらいになる。
そして世の中にあるどんなものでも私たちが普通に買っているあらゆるものは、一般売価の数倍から数十倍の価格で「お金持ち用」のものが存在する。
グラスを例にとってみる。
水を注ぐグラス一個、100円ショップでも手に入るものだが、お金持ち向けには、数万円のグラスが売られている。そして、お金持ちが行く店と、普通の人が行く店は完全に境界線があって、お互いの世界は干渉されない。
お金持ちは100円ショップには入らない。
お金のない人は、高級クリスタルガラスのショップには入らない。
お金持ちになると、数百円のランチのお店は、お店の存在そのものが目に入らなくなる。
お金がない人は、5千円以上のランチメニューしかない高級店には近寄らない。
使えるお金の量で、世の中は棲み分けがされている。それが事実である。
お金持ちになりたい人に、何故なりたいのかと訊くと返ってくる答えの一つは、「高級なお店に行けるようになり、高級なものを買えるようになるから」という。この答えが意味するのは、「これまで普通に利用しているお店や持ち物に加えて、より高級な店、より高級なものへと広がる」という期待だ。
しかし残念ながら現実はそうではない。
たくさんお金を持っていると、住む世界がひろがるのではなく、住む世界がスライドして変わるだけなのだ。
お金を使えるようになった人の多くは、それまで属していた普通の生活を捨ててしまい、別の世界へと住み替えてしまう。つまり、世界は広くなったのではなく、スライドしてお引っ越しをしただけに過ぎないのだ。堀江モンだって同じだ。
だから、お金持ちになってもその人の日常の生活は、根本的には何も変わらない。
眠って、食べて、風呂に入って、トイレに入って、出かけて、買い物して、帰ってくる。
同じ事をするのに、ただ安直に、かかるお金の規模が大きくなる。
それがお金持ちの生活だ。
お金持ちは、水を注いで飲む、という機能さえあればよいグラスに、数万円を使う。
何故だろうか? 皆さんはそこに疑問を持ち、何故か考えたことがあるだろうか?
それは、お金の使い道がないと、お金持ちになった意味がないからだ。
お金持ちになっても、高級なものが用意されていなかったらどうしよう。
もしもお金持ちになったら行きたいと思っているあらゆるお店が、存在しないような国に住んでいたら、お金持ちになる意味はどこにあるだろうか?
ほら、困ると思いませんか?
つまり、多くの人は、お金の使い道があると思っているから、お金持ちになりたいのだ。
幸いというべきか、日本にはお金持ちが大勢居るので、お金持ち用のお店も商品も、じつにたくさんある。だから多くの人は、お金の使い道があると信じているので、お金持ちになりたいのだ。
私は、自分という個人に生活にお金の使い道が多くないと判っている。
グラスは100円もので十分だし、食べ物も高級である必要はない。
毎日フォアグラを食べ続けたら飽きるし、自分がフォアグラになってしまう。
だから、お金持ちになりたいと思っていない。
使い道がないのだから、お金持ちになる意味がない。
無駄に大金持ちになっても、自分の世界は広くならない。
世界はスライドし、その世界にしがみつきたいと思ってしまった途端に、多くを稼がなければならなくなる。
ビートたけしと島田洋七が対談している時に、お金についてじつにうまいことを言った。
「うなぎ食べたいなって時に、うなぎ屋に入って、並が1000円くらいだ。特上は3000円くらいだろ。なら、普通の人の3倍くらいのお金があれば十分贅沢出来るな。普通の人の3倍くらいが丁度良いや。」
名言である。
お金持ちを目指すなら、平均年収の3倍くらい。それくらいが丁度よい。
私には、100円のグラスでも十分である。
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