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心理学とそっくりな面があってとても相性の良い、仏教のお話。


仏教のもっとも重要な点は、「空(くう)」の理解にある。

これはしっかりした仏教の基礎的な知識を理解した上でないと、
とても乱暴に思える表現でしか語ることが出来ない。

「一般的に言う【私】は存在しない」
「【あれ】とか【それ】というものも存在しない」

つまり確固とした存在など、この世にはないということだ。
同じことを心理学でも考えている。
それは【認知】の仕組みに関する研究に表れている。

たとえば私たちが「椅子」というものを認知・認識するとき、
椅子とは何のことを差すのか?
(心理学では、人間がものごとを認識する仕組みを「認知システ
 ム」と呼び、詳しく研究してきた。)

椅子とは、四つの脚のある、人が座ることを目的とした家具の一
種である。
これが知識としての椅子のデータ。
この基礎知識があってこそ、人は視覚的情報からえたものが、椅
子に該当すると判断できるのだ。

素材や形、質感、頑丈さ、装飾など、見た目から得た情報と、自
分の知識情報を合致させた時にはじめてそれを「椅子」だと認識
する。

記憶され保管されている知識と外部情報の合致。
これが認知システムである。

しかしもしも、椅子が存在しない文化で育った人が、椅子を見た
ときにどう思うだろうか。

「木を組み合わせた工芸品や芸術品だ」と思うかも知れないし、
「変な形の薪だ」と思うかも知れない。
椅子の素材が石なら
「食卓の一種だ」と思うかも知れないし、「祭壇だ」と思うかも
知れない。

つまり その人の中に「椅子」の概念や基礎知識がない限り、そ
の人にとって「椅子」は「存在しない」のである。だがしかし、
物質としての椅子はそこに存在している。
概念としての椅子がないからといって、そこにあるそれが完全に
「存在し無い」という訳ではない。

「空(くう)」を理解する時には、このような認知の分解という
ような思考が必要になる。

確固たる「私」というものは存在しない。
しかし全くいないという訳ではない。

誰もが共通に認識している私という人物は、確固たる存在では
ないという意味で「存在しない」と言える。
しかし私がまったくいないという訳ではない。


たとえば、虹。
虹は、物質として虹というものが存在する訳ではない。
「虹」とは光の屈折現象に固有の名前を付けたものであって、
虹という存在がそこにある訳ではないのだ。
しかし、だからといって、虹はない、とは言えない。

これが「空(くう)」。

うーん、どうでしょう、分かります?

仏教の概念を誰にでも分かりやすく語れたら、
それだけでも何かの仕事になるのかもしれないと思う今日この頃。


蛇足:

今日、唐津の出張の帰り、2回も虹を見た。人生初。
しかも、2回目の虹は、虹のアーチの下を車で通過してしまったのだ。
虹のアーチをくぐるなんて、すごい経験!!
信じられますか?

なんだかものすごくいい事が起きそうな感じ。

娘は、「ももの49日だからじゃない?」と言ってました。
し、渋い。

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