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数年前に積ん読図書(つんどくとしょ)として購入したものの読む時間がなかなか無くて順番待ちだった本、邦題「孤独〜自己への回帰〜」という本をやっと今、少しづつ読んでいる。
原題は「The Schoole Of Genius」 天才の学舎とでも訳したい処だ。

この本に書かれている考察は、私にとって実に救いに満ちている。

フロイトが、約100年前に登場して、「健全な人間とは他者との交流に喜びを見いだしそのような人生を送るもの」と論じた。以来、人付き合いが苦手だったり、異性との付き合いに縁遠く、孤独がちな人間はイコール未熟であり、異常または、十分に発達していない不健全な人間であると見られるようになった。

そのフロイト以降の風潮に対して、この本の著者アンソニー・ストーは、「孤独な時間によって人は完全な思考の中に没入でき、しかもそれは限りなくその人の本質的なものに触れる唯一の方法である」と反論している。
これまでの歴史上の天才と言われる、輝ける功績を残した優れた人物の多くが、自分一人で過ごす時間を実に好んでおり、必ずしも他者との交流で満たされることがなかったということを研究した結果を述べている。

現代の私たちは、すっかり「対人関係不全イコール未熟」と思い込まされていないだろうか。
一人遊びの好きな子供を、何か発達障害ではないかとすぐに疑い、人と付き合えない子だったらどうしようと恐れてしまう。集団から離れて、読書や創作を好み、静かに一人で過ごす人を「暗い」「変わりもの」と呼ぶ。母親同士の交流に交われないとしたら自分はすなわち未熟なのだと怖れ、必要以上に神経を逆立ててしまう。

例えば家族を失って落ち込んでいる人が、その気持ちを抑えて会社に復帰し黙って痛みを押し隠していようとすることは賞讃され、一人世間を避けて悲しみに暮れることは不健全であるとする。

けれども、この本でストーは臨床心理の現場で、セラピーがいかなる方法で心の傷を回復させるかにも言及し、私たちは自分自身の内側の世界に閉じこもり、それをしっかり感じきるために外界の影響を避ける必要があるのだと代弁してくれている。

また、創作的な活動には、必ずその初期段階に、一人考え込み、創造の源となる様々な断片を収集するための孤独な期間が存在すると語っている。人は、一人でしか出来ない作業がある。そしてより創造的な人々は、より孤独な時間が必要なのだと。

私が幼い頃から人生のほとんどを孤独に過ごしてきたことを、ストーの論は肯定してくれている。
交わろうと努力もした。しかし本質的に、私の考えていることに付き合ってくれる人も、また付き合えるだけの同等の思考力を持つ人も、存在しなかった。私にとって、自分の世界を理解して共有してくれる他者はただの一人も見つけられなかった。
他者と交わるということは、私にはかなり足枷をはめられた苦痛な作業でもあったのだ。

人と交わることが無くとも、それは個性の一つとも言って差し支えない堂々としたものだし、さらに言えば、すべての人にとって孤独は必要なものだともストーは述べている。孤独な時間を持たない人というのは自分の本質に触れる機会を持たない人ということであり、むしろ、その人の精神性の成長を妨げているというのだ。

私は、この説に賛成する。
娘を見ていても、彼女が自分の感情を処理し考えをまとめる為には彼女を一人にしてやる必要があるということがわかっている。叱られた時も、失敗した時も、彼女はいつも一人自分のベッドの上で感情を爆発させ、毛布にくるまって好きなだけ閉じこもり、誰の干渉も受けない状態で自分の心のケアをしている。そして自分なりに収まりが付いた時に、ベッドから降りてくる。
私たち大人は、彼女に何もなかったかのようにそっと自然に接する。彼女がまとめた結論がどのようなものか質問しなくても、話したいなら自分から話しはじめるし、まだそっとしておいて欲しい時にはさらに数日の時間をかけて彼女は自分をケアしている。親のぬくもりが必要な時にはハグをリクエストしてくるし、言葉の支援が必要な時には愚痴を聞かせてくれる。

彼女を一人にして、まったく干渉せず、しかしすぐ側で彼女の叫びを聞き続けながら家事をしているという状態を、彼女は完全に受け入れている。一度、その状況があまりにも不憫に思えて、声をかけると彼女は私にとても邪魔だと言った。あっちへ行って、一人にしておいて欲しいと言ったのだった。

ストーは、著書の中で「母親から完全な保護と安全を感じている子供は、その母親の側で一人遊びをする」と書いている。「安全があるからこそ、安心の中で一人で居る」と。その時の「一人引きこもる状態=孤独」が、その子供の内側の世界を大きく育てているのだと。


孤独は 天才の学舎。自己へ回帰する唯一の方法。

これを読んで深く納得し、どこかで安心したということは、私自身も「孤独な人間は不健全」という考えに汚染されていたという訳だ。

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