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信じられないような大震災に襲われ日本は大ダメージを負っている。

様々な産業にも影響が広く大きく影を落とし
多くの国民の生活が不安定になっている。

国のずさんな年金管理の問題もまだ未解決で
社会保障制度改革もどうなるのかわからない。

国の中ががたがたになっている隙を狙うかのように
北方領土、尖閣問題、竹島問題と3つの隣国にいいようにやられっぱなしである。

まさに歴史上、国が滅ぶときに起きたであろうことが
日本の上に降りかかっている。


日本という国は大戦に敗戦したときになくなり、
アメリカの州になっていてもおかしくはなかった。
ここまで日本という小国が存続したことの方が不思議なのかもしれない。

けれども独立国家である限り、本来この国の主権は日本人にのみあるものだ。
日本人がこの国の舵取りを行えないとき 国が滅びより力を持つ隣国から支配されるのは当然の流れなのだ。

本当に駄目なのか日本人。
奇跡をつむいで存続してきたこの国を守ることができるか。

日本人よどこへ行く。何を思う。

私はまだ諦めきれない。
この国のために何ができるのか 考え続ける。悩み続ける。

原発はいらないとか 年金を守れとか 一件一件、重要ではあるが。
それ以上に、主権を持つ国民として、この国をきちんと運営し守るという強い意志が、今の日本人には必要なのではないかと思っている。

要らない政治家を追い出そう。
必要な政治家を自分でよく選び当選させよう。
まずはそこからだろう。

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NHKの教育バラエティで「ドクターG」という番組があります。

私はこの番組のファンで録画してでも出来るだけ見ています。
研修医4人と指導医(ドクターG)で、再現ドラマを見て患者の病名を
推察していくというものです。

患者の病気を最初に診察することになる、「総合医」の育成過程を
見ることが出来るだけではなく、誰しも可能性があるいろんな病気
のことを勉強できるのです。

総合医は、問診と検査だけでその人の症状の原因を突き止めなく
てはなりません。問診でさまざまな可能性から本当の原因を絞り込
んでいくのですが、それがとても私の仕事に似ていて、わくわくしま
す。

患者自身の何気ない言葉の中にヒントがあり、また惑わされたりも
します。そういう謎解きのような面白さがあるのです。

普通の生活をしている、普通の人の中に本当はそれぞれのドラマ
があり、誰も同じ人生ということはないのです。
それが感じられることに、仕事でも、番組でも、面白さと興味深さが
あるように思うのです。

この番組ではドクターGの役割は毎回違うベテランのお医者さんが
登場しますし、研修医も本物の研修医が出てきます。
真剣勝負で症例検討会(カンファレンス)をしているのが、とっても
面白いですよ。

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私は子供のころから捨て犬でも捨て猫でも放っておくことが
出来なくて それこそ数え切れないほど、拾って家に連れて
帰りました。

必ず「元の場所に返してきなさい」とすごく叱られるのですが
また捨てるなんて出来なくて 泣きすがって全部自分で世話
するからと それこそ地面にひれ伏すようにして親を拝み倒し
てお願いしました。

それは その動物のためというよりは 自分のために文字とお
り必死だったんだと思います。

雨に濡れひもじい思いをし 誰も愛してくれず寂しくて鳴いていた
子犬や子猫の身になると やっと抱き上げてくれた子供が現れ
たことは 多分ほんのひと時でも安心したことだったでしょう。
その同じ子供の手で また寒くてひもじい場所に戻されるなんて
どれほど失望することか。そんな風に 動物の気持ちを想像する
と自分の心が耐えられなかったのです。

それは私が 寂しくて愛情に飢えていていつも心の中で泣いてい
た子供だったからだと思います。
お願い もう捨てないで。愛してよ。ここにいるよ。
子供時代の自分の心が そう言って泣き叫んでいたから
捨てられている動物が 強烈な鏡になっていたのだと思います。

今回 コナを助けることになって 改めて当時の自分と今の自分を
比較して感じることができました。
今の私は コナを自分の鏡にして哀れんだのではないのです。
私が助けなかったとしても コナにはコナの人生が待っていて
コナはそれを受け入れたことでしょう。
たとえそれが子犬を産む為の一生でも殺処分でも。
それが動物の持つ、そして人間にはない、潔さです。
けれど 私が関わることによって コナには違う人生の可能性が開
かれました。そして新しく増えた人生の可能性の方が よりコナには
幸せが多いことが明らかだったのです。

コナは比較してこっちがいいと選んだりしません。知らないからです。
どっちの人生を与えられても恨まず、その時を精一杯幸せに生きよ
うと努力し続けるはずです。
その健気な生き方であるからこそ より幸せの多い人生に乗せてや
りたいと思ったのです。


虐待された動物や捨てられた動物を引き取って里親を探すという
ことをしている人を見ると、その人の心の中にも何かしら愛されな
いことの飢えや怒りや悲しみがあるのではないかと思ってしまいます。

でもそういう人の中に、数は少ないですが、本当に芯から慈悲心
で行動している人がいることを感じます。
ああ、この人は違うんだなと、感じるのです。
私はそういう人にこそ感銘を受けます。


慈悲心というのは本当に自分に損も得もない、自分というものを
介在させない状態で沸き起こる相手へのいたわりや優しさのこと
です。

たとえば水に落ちた虫に気づいて それを見捨てておかず水から
出してやるというようなことです。
虫を助けても見殺しても自分にはなにも変わりはないけれど
ただ 可哀想だ と助ける気持ち それが純粋な慈悲心です。

誰の中にも慈悲心はあると仏教では説いています。


私は自分の中にあった飢えや怒りや悲しみがすいぶん静まった今
やっと自分の中にある純粋な慈悲心に向き合えるようになりました。

ただ 可哀想 なのであり
ただ より幸せであれ と願うことが多くなりました。
そこには「私」は存在しません。

自分がたまたまそこに行き当たって 助けられるものならば
助ければよい。 単純にそう思います。

虫を殺してしまうことはあるし
食べるために生き物を殺してしまうけれど
助けられるときには 助ければよい。
単純に そう思うのです。

今の自分は コナを助けられるのだから
助ければよい。 単純に、そう思うのです。

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家族に限らず、自分と関係する命は、前世で何かのかかわりがあって、
それが縁起(ご縁)として今生でも出会っていると言いますが
私は特に犬との出会いでそれを感じます。


実はとても不思議な出会いで、またまた子犬が増えることになりました。
5月生まれのラブラドールの子犬です。
ルルが12月生まれなので、約5ヶ月ちがいの姉妹になりました。


この子には、頭に原因不明のコブがあって、いずれ治るのか、それとも
悪性の腫瘍になるのか、わからないのです。

細かい経緯は省きますが、ふらりと立ち寄ったペットショップで
売り物にならない子犬として出会いました。兄弟犬は元気で、
8万円で売られていました。

ラブの子犬がペットショップにいることは少ないので、私がケースに入れら
れている兄弟犬を眺めていると店長さんが話しかけてきたので、
我が家の犬歴など話していました。
すると、店長さんが「実はもう一匹、いるんです」と訳あり子犬のことを
話し始めたのです。

どうして店長さんが私にその売り物にならない子犬のことを話す気に
なったのかわからないですが、とにかく聞いてしまったのです。

「病気なのでもちろん無理にはお願いできませんが」と前置きして
「この子のために可愛がってくれる家族を見つけてやりたくて」と
店長さんは話してくれました。頭の診断結果や、レントゲン写真なども
見せてくれました。
診察をしたのは、チャム、もも、ルルと我が家のワンコたちのかかりつけ
の獣医さんでした。

その日は家に帰り、ネットで同じような症例がないか調べるけれど、
とにかく珍しい症例らしくほとんど情報はありませんでした。
2件だけ見つけた獣医さんのブログでは、同じような症例の犬が
4回も手術してやっと完治したとか、3回の手術をするも予後不明とか、
やっと掲載されていました。
いずれにしろ、いい感じの情報はないのです。

獣医さんに電話して、「先日診察された、コブのある子犬のことですけど」
と話を聞きました。とにかく珍しい症例で初めてみたとのこと。
この先どうなるかぜんぜん予想できない。
悪性化したら頭だからすぐ死んでしまうかもしれない。
大学病院に診せたほうがいいとも言われました。

動物の大学病院というのは、このあたりで一番近いのは山口大学の
獣医学部付属病院のことです。とにかく治療費が馬鹿高くつく病院です。

「心配しなくても、治ると思いますよ」という言葉を聞きたかったのに。

今は頭のコブ以外は、ほんとに元気な元気な子犬なのですが。



《わざわざ、病気の子犬を飼うの??》

と夫には散々反対されましたが、私には 出会ってしまったこの子を
見捨てることができませんでした。

《治療費が本当に払えるの? いくらかかるかわからないんだよ?》

とお金のことでも反対されました。

《ももが死んだあとあんなに酷く落ち込んでいたじゃない。》

《その子が病気で苦しむときに、耐えられるの?》

とも言われました。


もちろん、全部大変な問題です。

だけど ただ 見捨てることができなかったんです。

その子は うちが引き取らなければ 多分殺処分、よくて一生
繁殖用の台犬として出産し続ける人生を送ります。
それくらいなら、うちが引き取ってルルと一緒に暮らしたほうが
この子の幸せは増えるんじゃない?
せっかく生まれてきたんだから、 ちょっとでも幸せの多い家に
暮らしたほうがいいんじゃない?

健康な子犬をもらっても、その子が同じ病気になったら、
やっぱり同じお金の問題も、気持ちの問題もあるよね。
だから最初から病気でも同じこと。
肝心なのは この子が私に縁のある命なのかどうか。
この子は私に出会ったのだから うちに来ることの方が自然
なんじゃないかなあ。


最後に夫は 《お手上げだ》 とあきらめてくれました。
いつも私の馬鹿な行動に 付き合わせて悪いなあと思うけれど

幸せもきっと増えるからさ。それだけは保証できるから。


今、子犬は ルルととてもいいコンビで、毎日どたばた元気一杯に
遊んでいます。

名前は KONANE コーナネ。通称 コナちゃん:ココちゃん
ハワイ語で「輝く月」という名前です。

コブがあったって、幸せならいいんだよ!
ドンマイ!

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昨夜、夕食後に突然ルルが苦しみ始めて

キューンキューンと苦しそうな鳴き声をあげました。

これはただ事ではないと、家族一同騒然として大慌て。

夜間の救急動物病院に予約して車にルルを乗せました。

ルルは車に弱くすぐに酔って吐いてしまうことはわかっていたのですが、

痛がっているのはどうも体の中だということだけははっきりしていたので

内臓関係だったらもう獣医に診せる以外方法はないです。


車に乗せて1,2分でよだれが大量にでてきて、30分もすると案の定、

晩御飯をすべてリバースです。


これだと、吐いたのが車酔いなのか内蔵の問題なのか、獣医に判断が

付かず、余分に検査や処置が増えてしまうため、しばらく動物病院の

近くの公園に車を停めて、様子を見ることにしました。

暗い車内で吐いたものを調べると(汚くてごめんなさいね)

その中に、私が今朝ゴミ箱に捨てた古くなった台拭きが。

犬って若いうちは何でも口に入れて食べてしまうんですが、ルルが

ゴミ箱漁りをしていたとは。

体が大きくなったので、チャムやもものようなつもりで油断してしまいました。

チャムやももはもうごみ箱漁りはしなくなっていましたから。


多分これが原因だろうということで、病院には行かず引き返し、

帰りの車の中でもまたよだれだらだら。

ルルは十分大変な思いをしたと思いますが、怪我の功名か、車酔いで

吐き戻したおかげで元気になりました。

異物を飲み込んだ場合、病院に連れて行くと最悪は開腹手術になるのです。


一晩私のベッドで寝かせて様子を見ましたが、今朝はもうすっかり

元のルルになって。

おなか減ったよ、朝ごはんまだ?  と私を起こしてくれました。


ああ、よかった。 大事にならず。

神様仏様、ご先祖様、チャムちゃんももちゃん、ありがとうございます。


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古い友人がうちにやってきて楽しく食事しました。

以前の会社で働いてくれていた人で、入社時は19歳の一番若い人でした。

そんな彼も、今では立派に、責任者として福岡空港に勤めています。

私が会社をたたむと決めたときに、一番才能を惜しんで、別の会社に

推薦しようと思っていた人でした。

彼は東京に出ることは選びませんでしたが、私は彼なら東京のしかる

べき出版社に勤めれば間違いなく一流のデザイナーになれると思って

いました。いや、今でもそう思っています。

彼は息をするように絵を描きます。

そしてその画力は本当に、なぜこのことでお金を稼いでいないのか不思議だと

誰もが思うほどの力を持っています。

今、彼は絵を描くこととはぜんぜん関係ない仕事についていますが、

私は今でも彼の才能をこのまま埋もれさせるのは惜しいと本当に思います。


気さくな性格で、年の差はありますが、今では私と坂本の親友と呼べるほど

親しい人です。家族のように思っています。


この人と話をしていると、またいつか一緒に仕事ができたら本当に素敵だな

あと思ってしまいます。ものを創作すること、仕事を自分たちで作り出していく

こと、それだけで毎日が埋め尽くされていたあの日々は大変だけど本当に楽

しかった。

またそんな日がきて、彼と一緒に仕事できたらなあ…とぼんやり夢見てしまいます。



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ルルちゃんはまだ生後7ヶ月ですがすっかり一人前の大きさになりました。

ルルの最近の決め技のことを書きます。



私が寝ていると、ルルはすぐにベッドにあがってくるのですが、

エアコンを入れていても28度か29度設定のため毛皮仕様のルルには

暑いらしく、ハアハア息を切らせて、ベッドの上で移動を繰り返します。

私の横でドタっと横になったかと思うと ハアハア行って起き上がり、

足元でドタっと横になります。

体温で温まっていない場所を探して移動するんですね。

散々あちこち移動を繰り返して、一番最後に、私の頭の所に来てドサっ。

どうやら、私の髪の毛がひんやりするんでしょうね。

そして、私の頭にあごを乗せて、眠るんです。

時には私のおでこにあごをのせて寝ます。

私が側臥位(横寝)になっているときにこれをされると

ちょうどルルのあごやのどで 耳をふさがれた格好になります。

髪の毛をしっかり踏み敷かれているので動けないし、

なにしろ頭や耳の上に 犬の顎とのどが乗っかっているのですから。



なんと言いますか…幸せなんです。

幸せで動けない。

犬の寝息が大音量で直接頭の中に響いていて

柔らかくてあったかい毛皮で頭を包まれている感じが

ルルの絶大な信頼の証拠のようで。


これを「ルルの耳ホールド」と名づけました。

決め技です。これをやられたらもう、動けません。



最高に幸せな決め技に乾杯です。

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小さいころ…そうたぶん、6歳ごろだったと思います。

母に 「お父さんはね、男の子がほしかったのよ」と言われたことがありました。

私には結構ショックなことで、「私が女の子でお父さんはがっかりしたんだな」と思いました。そして、自分では気づかなかったけど、私はいつも、男の子のようだねと言われていました。スカートより、半ズボンで、冬でも裸足、元気で気が強い子、そういう子を演じていました。母の好みで髪の毛はいつもショートカットでした。

小学校の6年生ごろまで、男の子と間違えられることが多かったです。
本当は、フリルがいっぱいついた、女の子っぽい服が好きだったけど、いつもTシャツに半ズボンでした。おしゃれをしたいなんて、もう口に出すこともできない感じでした。

そのせいでしょうか。

私は大人になっても、自分が女性であることに何となく違和感を持っていました。
女って馬鹿みたい。女なんてつまらない。女は損だ。女同士のおしゃべりって本当に意味がない。
男だったら足を開いて座ってもしかられない。男だったら夜に出歩いてもかまわない。男だったら立ちションができる。男だったら人生を仕事だけに絞って生きられる。男だったら…。

そんな風に思っていました。
仕事人間だったころは、本気で「奥さんがほしい」と思っていました。
家に帰ったら、ご飯ができてて、お風呂が用意してあって、きれいに片付いた部屋でのんびりできて…。そんなことを実現してくれる奥さんがいたらどんなに仕事がバリバリできるだろうかと…。

思えば、これって完全に男性の「女は家政婦」という発想ですよね。
しかも奥さんがいたら仕事ができる…という発想が…。
いや今でも少しあるんですよね…とほほ。
○○がこうなら、もっと仕事できるのに!!という発想…。
どんだけ仕事が好きなんだか。ははは。

今なら「家政婦さん雇えばいいや」と思いますが、当時は「奥さんがほしい」ってほんとに思ってました。女性に失礼な発想です、ほんと。これは無自覚な女性蔑視だと思います。

それと同時に、私は男性でありたがっていたんだと思います。


紆余曲折あり…。
子供を産むことになって私は本気で、自分が女性である人生を受け入れたような気がします。
子供って偉大ですね。そして師です。女性としての人生は悪くない、というよりすごく素敵。この子を産めてよかった。私は今の年になってやっと、女性というものを愛しんでいます。だから今ならガールズトークに花を咲かせることもできるというものです。

今なら、男は子供を産むことができないから、働くのだというのは、なんだかズシーンと納得できます。産むことができるものなら、産みたいのかもしれませんね、男性だって。

子供はもう産むことはないと思いますが、一人産めただけで、本当に人生の賜物でした。

ありがとう、娘。
同時に、私なんかが母でごめんね。
欠点いっぱいの母だけど、君を一番愛してる。
何があっても君が好き。

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またくだらない内容で申し訳ないのですが…

「花のズボラ飯(はなのずぼらめし)」というまんがを読みました。

これも以前から気になっていたものの、完結していないので保留になっていたまんがです。

読む漫画がなくなってしまったのでつい手を出してしまいました。



夫単身赴任中で、一人暮らしをする花ちゃん30歳の、

ずぼらでキュートな日々の食べ物の話です。

この漫画、以前からOLさんを中心に人気爆発しているらしいのですが、

その理由がわかりました。


とにかく花ちゃんがかわいい。そして共感できる。

私の中にも花ちゃんがいるんだなあって思いました。

いつも明るく、等身大で背伸びしない花ちゃんの、日々の暮らしが

可愛らしくて、いろんなことに喜びを見出す「生き上手」ぶりが、

そうそう、可愛い動物を見ているような感じなのです。

花ちゃんを心の中に住まわせていたら、必ずハッピーに暮らせるなと思いました。

私が男なら、ほんと奥さんにしたい女性です。



ずぼら上等です。

きちんきちんとしているよりも

ずぼらでも毎日を生き生きと喜んでいるほうがずっと素敵。

2巻まで読むと、それなりにストーリーが見えてきて、それもまた

見守りたい気持ちになります。

花ちゃんはきっと読者みんなに愛されているんですね。


気軽に手をとっていただければ、必ずハッピーを分けてもらえる、

そんなまんがでした。


ぜひぜひ、どうぞ。

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悪いことをしてしまうことって誰でもあるけれど

本当に悪いことばかり、たくさん続けてしまうようになると

悪人と呼ばれてもしかたないなと思います。


特に、相手が傷つくとわかっていて、ひどいことを言ったりしたりすること。

故意に相手を傷つけてやろう、とすること。

それを改めず 繰り返す人は悪人だと思います。


「あの人は性格が悪い」と表現する人もいますが、私は悪いことを続ける

「悪人」だと思ってしまいます。


ここでの重要な線引きは 「故意に(わざと)」ということです。

自分で意識せず、相手を傷つけることは誰にでもあります。

それは改めたほうがよいことかもしれませんが、故意でない場合、罪は軽いと思います。

子供が、相手の気持ちを考えず自分の意見を率直に言うことを、悪だとはいえません。

それと同じです。

幼さ、未熟さは悪ではありません。


でも、相手が傷つくだろうとわかっていて その言葉を使い、

その行いをするなら、それは「悪」ではないでしょうか。



相手のことを 想像する習慣こそが 成長の証です。

そして、相手を大切にすることと、自分を大切にすることの

バランスが取れることが、成熟の証です。


自分が大切な存在なら 相手も大切な存在なのだと



でも私も まだまだです。

相手のことを思う深さが足りなかったり

自分のことを大事にすることができなかったり

逆に自分のしたいことばかり重視して 相手を想像することを忘れたり

できるとき、できないとき、いろいろです。

日々、一回、一回のことだから 努力を続けていこう、と思います。

誰にも知られることのない努力ですけれど…

でも自分の中では とてもやりがいのある努力です。



それから 少し変化したこと…。

最近の私は 悪を許せないと思う気持ちが強くなっています。

詐欺なんかは 本当に、特に許せないですね。

あと、子供に守るつもりのない約束をする大人…。大嫌い。



そう、昨日買ったスイカ、今までに感じたことのない繊細な

歯ごたえと口どけで、感動しました。うまい!うますぎる!!

スイカさえこんなに奥深いのだから、人間の奥深さはまだまだ、

知りえていないことがあるでしょうね~。

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