2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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先生の趣味は何ですか? と尋ねられ、はたと困った。
自分の趣味が何か、私はさっぱりわからない。
趣味と言えるほどハマっているもの…。
敢えてハマっているものと言えば仏教の勉強かなあと思うけれど、そう言うものを普通は趣味とは言わない。
「ご趣味は?」
「仏教を学ぶことです」
…暗過ぎる…。
顔にタテ線で汗がタラリ…となっている相手の姿が目に浮かぶ。
趣味というからには時間を確保してのんびりじっくりやっているものの事を指すのだろうから、すると本を読む時間はトイレに入っている間だけという私には、「趣味は読書」と言う資格はないかもしれない。普通、趣味は読書、と言う人は、図書館で頻繁に本を借りたりして、「昨日は太宰を読み返してみましたが、いやあれはやはり天才ですね…」というような会話が展開される。残念ながら私は「積ん読」派なのだった。文学も新書もビジネス本もファンタジーも推理ものも学術書も、ジャンル問わず読むのは大好きだが、読む時間が圧倒的に足りない。
趣味というのは、拘束されておらず、義務ではないものであり、自分の自由時間を使って、個人が好んで繰り返し行なうものを言うのだと思う。嗜好であり、反復を条件とする。
その条件で当てはまる自分の行動とは…うーん。。。。
自由時間にはいつも、世の中にあるものの改良案を無駄に考えたりしています。
何かを発明したりします。
世界にまだないものやアイデアを探して考えるのが趣味です。
まあ、いわば、「思考が趣味」ですかね。ふっ。
かっこよすぎる…。(汗
困ったなあ。人には言えないや。
いいや。カラオケって事にしておいてね。
自分の趣味が何か、私はさっぱりわからない。
趣味と言えるほどハマっているもの…。
敢えてハマっているものと言えば仏教の勉強かなあと思うけれど、そう言うものを普通は趣味とは言わない。
「ご趣味は?」
「仏教を学ぶことです」
…暗過ぎる…。
顔にタテ線で汗がタラリ…となっている相手の姿が目に浮かぶ。
趣味というからには時間を確保してのんびりじっくりやっているものの事を指すのだろうから、すると本を読む時間はトイレに入っている間だけという私には、「趣味は読書」と言う資格はないかもしれない。普通、趣味は読書、と言う人は、図書館で頻繁に本を借りたりして、「昨日は太宰を読み返してみましたが、いやあれはやはり天才ですね…」というような会話が展開される。残念ながら私は「積ん読」派なのだった。文学も新書もビジネス本もファンタジーも推理ものも学術書も、ジャンル問わず読むのは大好きだが、読む時間が圧倒的に足りない。
趣味というのは、拘束されておらず、義務ではないものであり、自分の自由時間を使って、個人が好んで繰り返し行なうものを言うのだと思う。嗜好であり、反復を条件とする。
その条件で当てはまる自分の行動とは…うーん。。。。
自由時間にはいつも、世の中にあるものの改良案を無駄に考えたりしています。
何かを発明したりします。
世界にまだないものやアイデアを探して考えるのが趣味です。
まあ、いわば、「思考が趣味」ですかね。ふっ。
かっこよすぎる…。(汗
困ったなあ。人には言えないや。
いいや。カラオケって事にしておいてね。
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鳥栖で傾聴ボランティアをしている人たちの支援の為のセミナーを行なった。
一人づつ、施設での経験をシェアしてくれる。
自分が老いて老人だけで暮らすホームに入ったなら、この人のようにほがらかで居られるのだろうか。それとも、あの人のように尊厳を傷つけられ、不満にくすぶり続けるのか。
そんなシェアをいくつもききながら、老いた人とは人間としての豊かな資源であると心から思う。
傾聴ボランティアが乗り越えなければならない難しい経験の一つが、相手から「何しにきた」「話すことなんてない」「もう帰って欲しい」という拒絶の言葉を言われてしまい、ショックを受ける場面だろう。
自分としては善意で向かったのに、相手が警戒し信頼してくれず、しかも努力したにも関わらず拒絶で終わってしまったときの失望感は、容易に想像出来る。
ある人は、その経験について「涙をこらえるのに精一杯でした」と正直に告白してくれた。
その場面を乗り越え、乗り越え、本物のボランティアになっていく。私の役目は、彼らが挫けてしまわないように励まし、力づけ、支えて行くことだ。
何も話してくれなかった相手と1時間共に過ごすという体験から、何を学ぶべきなのか。簡単に傷つく自分のプライド、受け入れられ認められたいというエゴを乗り越え、何故分かってくれないのかという憤りを乗り越え、自分を拒絶した相手から何を学ぶのか。
相手の為にするつもりでやった事が、実は本当に自分の為になっているという事に気付いたとき、その人は本当のボランティアとして立っている。拒絶した時でさえ、相手となってくれた老人は、ボランティアの学びとなる有益な存在だ。その事に思い至ることが出来れば、涙は感謝に変わる。
ボランティアとは、人間の本質を耕し、深めて行く非常に有効な学びの場だと今日も思いを強くした。そして、その学びに向き合おうとするボランティアの人々を心から誇りに思い、敬意を感じる。
一人づつ、施設での経験をシェアしてくれる。
自分が老いて老人だけで暮らすホームに入ったなら、この人のようにほがらかで居られるのだろうか。それとも、あの人のように尊厳を傷つけられ、不満にくすぶり続けるのか。
そんなシェアをいくつもききながら、老いた人とは人間としての豊かな資源であると心から思う。
傾聴ボランティアが乗り越えなければならない難しい経験の一つが、相手から「何しにきた」「話すことなんてない」「もう帰って欲しい」という拒絶の言葉を言われてしまい、ショックを受ける場面だろう。
自分としては善意で向かったのに、相手が警戒し信頼してくれず、しかも努力したにも関わらず拒絶で終わってしまったときの失望感は、容易に想像出来る。
ある人は、その経験について「涙をこらえるのに精一杯でした」と正直に告白してくれた。
その場面を乗り越え、乗り越え、本物のボランティアになっていく。私の役目は、彼らが挫けてしまわないように励まし、力づけ、支えて行くことだ。
何も話してくれなかった相手と1時間共に過ごすという体験から、何を学ぶべきなのか。簡単に傷つく自分のプライド、受け入れられ認められたいというエゴを乗り越え、何故分かってくれないのかという憤りを乗り越え、自分を拒絶した相手から何を学ぶのか。
相手の為にするつもりでやった事が、実は本当に自分の為になっているという事に気付いたとき、その人は本当のボランティアとして立っている。拒絶した時でさえ、相手となってくれた老人は、ボランティアの学びとなる有益な存在だ。その事に思い至ることが出来れば、涙は感謝に変わる。
ボランティアとは、人間の本質を耕し、深めて行く非常に有効な学びの場だと今日も思いを強くした。そして、その学びに向き合おうとするボランティアの人々を心から誇りに思い、敬意を感じる。
武雄へ向け、予定通り朝6時半に出発。
雪は降っているものの、道路は凍結していなかった。若干いつもより交通量が多い。
だけどこのまま高速道路に乗れば、何とかたどり着けるだろう…と思いながら走っていると、携帯電話がなった。
「朝早くからすみません。雪がひどいのでお休みします」
という参加者からの電話。
つづいて
「風邪を引いたので今日はお休みします」
という二人目の電話。
ん〜…流れが悪い感じかなあ? と思っていると
「先生、今どこですか?大丈夫ですか?こちらは車があまり通らないので、完全にチェーンがないと走れませんよ。今日は本当に開催しますか?」
という三人目からの電話。
「もうすぐ高速にのる処です。お約束の日程なので、私はとにかく行きますね」と答えると「そうですか…わかりました、私も遅れますが行きます」との返事。
しかし、すぐにひどい渋滞に巻き込まれ、車がまったく動かなくなった。
渋滞の原因はやがてわかった。高速道路が、全面通行止めになっているのだった。
これはもう、開催時間に武雄までたどり着くのは不可能だと悟った。
すぐに休講の知らせを全参加者に電話しながら、車は福岡市内へ向けて引き返す。
突然に空き時間が出来た。
溜まっているライターの仕事をこなそう。
仕事をしながらも、突然降って湧いた余裕の時間に、何だか心が軽い。
雪は美しいな。
昔、飛騨を訪れた時のことを思い出す。
3mを越える大雪を見たのはあれが初めてだった。
神様がくれたこの余裕の時間が残っているうちに、早く車のタイヤを交換しよう。
雪は降っているものの、道路は凍結していなかった。若干いつもより交通量が多い。
だけどこのまま高速道路に乗れば、何とかたどり着けるだろう…と思いながら走っていると、携帯電話がなった。
「朝早くからすみません。雪がひどいのでお休みします」
という参加者からの電話。
つづいて
「風邪を引いたので今日はお休みします」
という二人目の電話。
ん〜…流れが悪い感じかなあ? と思っていると
「先生、今どこですか?大丈夫ですか?こちらは車があまり通らないので、完全にチェーンがないと走れませんよ。今日は本当に開催しますか?」
という三人目からの電話。
「もうすぐ高速にのる処です。お約束の日程なので、私はとにかく行きますね」と答えると「そうですか…わかりました、私も遅れますが行きます」との返事。
しかし、すぐにひどい渋滞に巻き込まれ、車がまったく動かなくなった。
渋滞の原因はやがてわかった。高速道路が、全面通行止めになっているのだった。
これはもう、開催時間に武雄までたどり着くのは不可能だと悟った。
すぐに休講の知らせを全参加者に電話しながら、車は福岡市内へ向けて引き返す。
突然に空き時間が出来た。
溜まっているライターの仕事をこなそう。
仕事をしながらも、突然降って湧いた余裕の時間に、何だか心が軽い。
雪は美しいな。
昔、飛騨を訪れた時のことを思い出す。
3mを越える大雪を見たのはあれが初めてだった。
神様がくれたこの余裕の時間が残っているうちに、早く車のタイヤを交換しよう。
今夜から明日の朝は大雪になる、とテレビがかなり強調している。
明日は夜が明ける前から出発して、佐賀の武雄まで出張だ。
寒くない日でも相当寝る時間を削って出向くのだけど、明日は雪でさらに時間がかかる事を予想して、もっと早く出かけなければならないようだ。
早起きは得意だから何でもないんだけれども、
娘の事が気掛かりだ。何しろ、6時には両親とも家を出てしまうのだから、小学校3年生の娘がその後、一人で学校に出かけなければならない。朝ご飯やお弁当はもちろん用意しておくのだけれど、そういう問題ではなく、気持ちの問題がある。
娘にすれば、自分だけ置いて両親がまだ外が暗いうちに居なくなってしまうことがとても不安なのだと思う。前回は、学校で腹痛を起こして保健室で寝ていたそうだ。
娘は、自分が学校から帰ってきた時に、私たち両親が家にいないことを強烈に嫌がっている。誰もいない家というものに、本当に強い不安や寂しさを感じるようだ。
悪いことに、武雄に行く日は、朝、娘より早く家を出て、娘が学校から帰ってくる時間までに私の方が家にたどり着くことが出来ない。娘にとって最悪に不安な条件が揃ってしまう日なのである。
今夜は、何度も「明日、ぜったいにスリップとかしないでね。事故にならないでね」と言っていた。私たちが出張の時に事故で死んでしまうのではないかと思っているようだ。
そんな怖い想像をしてしまうくらい不安が強いのだろうと思う。
娘の不安に対して、何が出来るかは分からないけれど、気付いていることが大事なのだと思う。
もう一つの私の心配は、うちの車のコンディションの方だ。
昨年末に工場でしっかり整備してもらったので、車のコンディションは非常によいのだけれど、たった一つだけ予算オーバーで直せなかった個所がある。それはタイヤ。今、車に履かせているタイヤはかなり摩耗している。大雪だなんて、本当にスリップが怖い。
事故を起こさないことを祈りながら、注意深く向かおうと思う。
ふう…。雪かあ…。
明日は夜が明ける前から出発して、佐賀の武雄まで出張だ。
寒くない日でも相当寝る時間を削って出向くのだけど、明日は雪でさらに時間がかかる事を予想して、もっと早く出かけなければならないようだ。
早起きは得意だから何でもないんだけれども、
娘の事が気掛かりだ。何しろ、6時には両親とも家を出てしまうのだから、小学校3年生の娘がその後、一人で学校に出かけなければならない。朝ご飯やお弁当はもちろん用意しておくのだけれど、そういう問題ではなく、気持ちの問題がある。
娘にすれば、自分だけ置いて両親がまだ外が暗いうちに居なくなってしまうことがとても不安なのだと思う。前回は、学校で腹痛を起こして保健室で寝ていたそうだ。
娘は、自分が学校から帰ってきた時に、私たち両親が家にいないことを強烈に嫌がっている。誰もいない家というものに、本当に強い不安や寂しさを感じるようだ。
悪いことに、武雄に行く日は、朝、娘より早く家を出て、娘が学校から帰ってくる時間までに私の方が家にたどり着くことが出来ない。娘にとって最悪に不安な条件が揃ってしまう日なのである。
今夜は、何度も「明日、ぜったいにスリップとかしないでね。事故にならないでね」と言っていた。私たちが出張の時に事故で死んでしまうのではないかと思っているようだ。
そんな怖い想像をしてしまうくらい不安が強いのだろうと思う。
娘の不安に対して、何が出来るかは分からないけれど、気付いていることが大事なのだと思う。
もう一つの私の心配は、うちの車のコンディションの方だ。
昨年末に工場でしっかり整備してもらったので、車のコンディションは非常によいのだけれど、たった一つだけ予算オーバーで直せなかった個所がある。それはタイヤ。今、車に履かせているタイヤはかなり摩耗している。大雪だなんて、本当にスリップが怖い。
事故を起こさないことを祈りながら、注意深く向かおうと思う。
ふう…。雪かあ…。
父親の子ども時代の夢は
「死ぬ前に一度だけでいいからバナナを腹いっぱい食べてみたい」
というものだったそうだ。
日本が経験した最後の戦争の末期に満州でうまれた父が過ごした子ども時代は、本当に食べることにも苦労する極貧の生活だっただろう。
バナナは当時の日本人にとって輸入されるたいへん高級な食べ物で、メロンよりもまだ高級だったそうだ。そんなバナナをお腹いっぱい食べてみたい、と思う子どもはまちがいなく腹を空かせた経験を何度もしているという事だろう。
そんな父が腹の底から恋焦がれた憧れのバナナが今、特売だと一房8本から10本ほどもついていて100円で手に入る。
こんなに安いと、バナナの味にも大抵の人が感動することはないと思うけれど、もしもバナナがたった1本で2000円くらいする高級なものだったら、と想像してみて欲しい。
そんな高級な1本のバナナをやっと手に入れて、口に入れるのだとしたら。
きっと誰もが、しっかりとバナナの味を味わうだろう。
その香りや、舌触りに感心し、これは確かに美味いものだと思うだろう。
実際、私の個人的な味覚感覚かも知れないけれど、
値段をまったく気にせずに、果物のおいしさだけで順位をつけたら、バナナは「酸味のない果物」の部門では間違いなく、かなり上位にくるのではないかと思う。
バナナをバターで焼いて、食べたことがあるだろうか。
もしやったことがなかったら、是非試してみて欲しい。
バターを溶かしたフライパンに皮をむいたバナナをそのままか、大きめにカットして、中火で焼き付ける。火が通るとバナナはとろりとした感じになっていく。好きな加減で火を止めて、皿に盛り、トーストの上に乗せて食べるもよし、アイスクリームに乗せてもよし、クレープに添えてもいい。もちろんそのまま食べてもよい。
私はまったくバナナ贔屓ではないが、このバナナのソテーは、味だけで考えると、本当に極上のご馳走級に美味しいものだと思う。バナナのデザートならどんな高級なコース料理の最後に出されても、おかしくない味だと思う。
そのバナナがこんなに安いというのは、まるで王女様が市民プールで泳いでいるようなものだなあと私はいつも思う。
「死ぬ前に一度だけでいいからバナナを腹いっぱい食べてみたい」
というものだったそうだ。
日本が経験した最後の戦争の末期に満州でうまれた父が過ごした子ども時代は、本当に食べることにも苦労する極貧の生活だっただろう。
バナナは当時の日本人にとって輸入されるたいへん高級な食べ物で、メロンよりもまだ高級だったそうだ。そんなバナナをお腹いっぱい食べてみたい、と思う子どもはまちがいなく腹を空かせた経験を何度もしているという事だろう。
そんな父が腹の底から恋焦がれた憧れのバナナが今、特売だと一房8本から10本ほどもついていて100円で手に入る。
こんなに安いと、バナナの味にも大抵の人が感動することはないと思うけれど、もしもバナナがたった1本で2000円くらいする高級なものだったら、と想像してみて欲しい。
そんな高級な1本のバナナをやっと手に入れて、口に入れるのだとしたら。
きっと誰もが、しっかりとバナナの味を味わうだろう。
その香りや、舌触りに感心し、これは確かに美味いものだと思うだろう。
実際、私の個人的な味覚感覚かも知れないけれど、
値段をまったく気にせずに、果物のおいしさだけで順位をつけたら、バナナは「酸味のない果物」の部門では間違いなく、かなり上位にくるのではないかと思う。
バナナをバターで焼いて、食べたことがあるだろうか。
もしやったことがなかったら、是非試してみて欲しい。
バターを溶かしたフライパンに皮をむいたバナナをそのままか、大きめにカットして、中火で焼き付ける。火が通るとバナナはとろりとした感じになっていく。好きな加減で火を止めて、皿に盛り、トーストの上に乗せて食べるもよし、アイスクリームに乗せてもよし、クレープに添えてもいい。もちろんそのまま食べてもよい。
私はまったくバナナ贔屓ではないが、このバナナのソテーは、味だけで考えると、本当に極上のご馳走級に美味しいものだと思う。バナナのデザートならどんな高級なコース料理の最後に出されても、おかしくない味だと思う。
そのバナナがこんなに安いというのは、まるで王女様が市民プールで泳いでいるようなものだなあと私はいつも思う。
また新しい年がやってきた。
12月31日と1月1日に、大きな違いはないのだけれど
人間は意味付けをしたがる存在で、自分で作り上げた概念の中で生きて行く。
新年という概念で「仕切り直し」をしたり「新しくはじまった」と感じたりすることで、自分にチャンスを与えることが出来るのだろう。世間では酷い不況で、住む場所も食べ物もままならないほど困窮している人が大勢生み出されている。日本の経済は、これからの数年間、もっともっと悪くなるだろう。その荒波を泳いで行くのだという覚悟が必要だ。
だからこそ、新年のこの時に、「何があっても生き抜いていこう」という気もちを強くしておこうと思う。泳ぐ時には泳いでいる本人が「泳ぎきるぞ」という意志を持っていることが何よりも大切だ。
山を登る時にも、本人が「頂上にたどりつくぞ」という意志を持って歩いている事がなにより大切だ。本人が「誰かどうにかしてくれないかな」と思っていると、助けようとしても役に立たない。
私は、どんなに大変な一年になろうとも、絶対にあきらめないで歩き続ける。
家族と一緒に、社会の人々と一緒に。
どんな苦難があっても、絶対にあきらめないで、この時代を生き抜こう。
今年の抱負。
とにかく、仕事しようと思う。
与えられるものはすべて、天の采配だと信じる。
12月31日と1月1日に、大きな違いはないのだけれど
人間は意味付けをしたがる存在で、自分で作り上げた概念の中で生きて行く。
新年という概念で「仕切り直し」をしたり「新しくはじまった」と感じたりすることで、自分にチャンスを与えることが出来るのだろう。世間では酷い不況で、住む場所も食べ物もままならないほど困窮している人が大勢生み出されている。日本の経済は、これからの数年間、もっともっと悪くなるだろう。その荒波を泳いで行くのだという覚悟が必要だ。
だからこそ、新年のこの時に、「何があっても生き抜いていこう」という気もちを強くしておこうと思う。泳ぐ時には泳いでいる本人が「泳ぎきるぞ」という意志を持っていることが何よりも大切だ。
山を登る時にも、本人が「頂上にたどりつくぞ」という意志を持って歩いている事がなにより大切だ。本人が「誰かどうにかしてくれないかな」と思っていると、助けようとしても役に立たない。
私は、どんなに大変な一年になろうとも、絶対にあきらめないで歩き続ける。
家族と一緒に、社会の人々と一緒に。
どんな苦難があっても、絶対にあきらめないで、この時代を生き抜こう。
今年の抱負。
とにかく、仕事しようと思う。
与えられるものはすべて、天の采配だと信じる。
私は、昔から年賀状も暑中見舞いもまったく書かない性質である。
それは、「出す人」と「出さない人」を選別することができないからだ。
もし年賀、暑中のあいさつが、その人との絆を大切に思っている事を示す為なら、私は出会う人のすべてに出さなければならないと感じる。
私には、「どうでもいい人」がいない。
だから、「出さない人」を決められない。
出さないことを決められないのだったら、全員に出せばいいのかもしれないが、新しく出会う人は年間に100人以上多い年はそれ以上いる。
それでいっそ、誰にも出さないという事を貫いている。
また、子どもが出来て以来、生活に追われてすぎていて、そういう事に手が回らないという事実もある。
私が誰かに年賀状を出すことがあるとすれば、それは本当に、よくよくの事であり、その人にお礼を言うべき恩義を非常に強く感じている特別な人だという事である。
そして、出さない人をどうでもいいと扱っているのではなく、むしろ全員に出すだけの手が回らないだけの事なのだ。
世の中には、年賀状が元旦に届かなかっただけで相手を恨む人がいるそうだ。
「こいつはちゃんと25日までに俺に年賀状を書かなかったんだ」
正月3日を過ぎて届く年賀状には「俺からの年賀状が届いたから、仕方なくお返しに出したのか」と怒るそうだ。
お・そ・ろ・し・い。背筋がぞーーっとする。
年賀状の配達日時に、その人との関係を投影するとは、日頃、どういう了見で人間関係を結んでいるのだろうか。そういう人とは私は決してうまくいかないのだろう。というより、そういう人は私と仮に出会っても、早々に「恩知らずの礼儀知らず」とあきれ果てて去って行ってくれることだろう。
それでちょうどうまく行っているのかも知れない。
話を元に戻そう。
とにかく、この20年、そういう挨拶状や儀礼をして来なかったので、実際に恩義のある人々のひんしゅくを買っただろう。私は、建前や、形式的社交儀礼が本当に出来ないかたわの人間なので、ひんしゅくを買ってしまうことは避けられない。悲しい事であるので、今後は少しづつでも恩義を感じている事を行動で表明出来るようにならなければならないと思う。それもまた修めて行くべき修業である。最近はまた、新たな課題に取り組むだけの余裕が生まれてきている。
よし、頑張ろう。
まだまだ、本当に、未熟者だのう。
だがしかし、成長できる余地があるというのは嬉しいことだ。
人間として生を受けて 良かった。
それは、「出す人」と「出さない人」を選別することができないからだ。
もし年賀、暑中のあいさつが、その人との絆を大切に思っている事を示す為なら、私は出会う人のすべてに出さなければならないと感じる。
私には、「どうでもいい人」がいない。
だから、「出さない人」を決められない。
出さないことを決められないのだったら、全員に出せばいいのかもしれないが、新しく出会う人は年間に100人以上多い年はそれ以上いる。
それでいっそ、誰にも出さないという事を貫いている。
また、子どもが出来て以来、生活に追われてすぎていて、そういう事に手が回らないという事実もある。
私が誰かに年賀状を出すことがあるとすれば、それは本当に、よくよくの事であり、その人にお礼を言うべき恩義を非常に強く感じている特別な人だという事である。
そして、出さない人をどうでもいいと扱っているのではなく、むしろ全員に出すだけの手が回らないだけの事なのだ。
世の中には、年賀状が元旦に届かなかっただけで相手を恨む人がいるそうだ。
「こいつはちゃんと25日までに俺に年賀状を書かなかったんだ」
正月3日を過ぎて届く年賀状には「俺からの年賀状が届いたから、仕方なくお返しに出したのか」と怒るそうだ。
お・そ・ろ・し・い。背筋がぞーーっとする。
年賀状の配達日時に、その人との関係を投影するとは、日頃、どういう了見で人間関係を結んでいるのだろうか。そういう人とは私は決してうまくいかないのだろう。というより、そういう人は私と仮に出会っても、早々に「恩知らずの礼儀知らず」とあきれ果てて去って行ってくれることだろう。
それでちょうどうまく行っているのかも知れない。
話を元に戻そう。
とにかく、この20年、そういう挨拶状や儀礼をして来なかったので、実際に恩義のある人々のひんしゅくを買っただろう。私は、建前や、形式的社交儀礼が本当に出来ないかたわの人間なので、ひんしゅくを買ってしまうことは避けられない。悲しい事であるので、今後は少しづつでも恩義を感じている事を行動で表明出来るようにならなければならないと思う。それもまた修めて行くべき修業である。最近はまた、新たな課題に取り組むだけの余裕が生まれてきている。
よし、頑張ろう。
まだまだ、本当に、未熟者だのう。
だがしかし、成長できる余地があるというのは嬉しいことだ。
人間として生を受けて 良かった。
母が ひどいめまいで倒れたと聞いたのが11月半ば。
メニエールなのか、脳の病気なのか、はっきりとは分からないけれど、とにかく天井がぐるぐる回って起き上がることもできないという。病院に行ったがやはり原因はまだ不明というので、寝ているしかないらしい。
2週間ほどで症状が徐々に落ち着いたが、復帰するには早過ぎると思うタイミングで、母はおそるおそる仕事に復帰した。介護老人ホームのキッチンで働いている母は、老人たちの食事を賄う責任感で、それ以上休めないようだ。自分のほうが看護を必要としているのに、老人たちの事や同僚の負担を心配してしまう処は、本当に日本人だなあと思う。
日本人という国民はどうしてこんなに自己犠牲を払うことを当然としているのだろうか。
年末年始も、3日しか休めないというけれど、そんな激務だからストレスで倒れてしまうのだろうに、働かずにはいられない母を不憫に思う。
「今年はお正月らしいことは何も出来ないから、こっちに来ても仕方ないよ」と電話してきた。
むしろろくなもてなしが何も出来ないから、娘夫婦や孫には来て欲しくないのだろうと思う。泊まりに行けば布団を出したり、ストーブを用意したり、何かと気を使うのだろう。
一日だけ、日帰りで顔を見にいくだけにしようと思う。
食事を作って、出来る部分で掃除などして、様子を見て、相手の負担にならないように帰ってこよう。
老いて行く両親。
やがて介護が必要になるだろう。
その時に支えられるだけの、準備をしておけるだろうか。
現実はゆっくりと、しかし確実に変化を続けている。
メニエールなのか、脳の病気なのか、はっきりとは分からないけれど、とにかく天井がぐるぐる回って起き上がることもできないという。病院に行ったがやはり原因はまだ不明というので、寝ているしかないらしい。
2週間ほどで症状が徐々に落ち着いたが、復帰するには早過ぎると思うタイミングで、母はおそるおそる仕事に復帰した。介護老人ホームのキッチンで働いている母は、老人たちの食事を賄う責任感で、それ以上休めないようだ。自分のほうが看護を必要としているのに、老人たちの事や同僚の負担を心配してしまう処は、本当に日本人だなあと思う。
日本人という国民はどうしてこんなに自己犠牲を払うことを当然としているのだろうか。
年末年始も、3日しか休めないというけれど、そんな激務だからストレスで倒れてしまうのだろうに、働かずにはいられない母を不憫に思う。
「今年はお正月らしいことは何も出来ないから、こっちに来ても仕方ないよ」と電話してきた。
むしろろくなもてなしが何も出来ないから、娘夫婦や孫には来て欲しくないのだろうと思う。泊まりに行けば布団を出したり、ストーブを用意したり、何かと気を使うのだろう。
一日だけ、日帰りで顔を見にいくだけにしようと思う。
食事を作って、出来る部分で掃除などして、様子を見て、相手の負担にならないように帰ってこよう。
老いて行く両親。
やがて介護が必要になるだろう。
その時に支えられるだけの、準備をしておけるだろうか。
現実はゆっくりと、しかし確実に変化を続けている。
自分の人生にありったけの勇気をもって立ち向かったクライエントの事を記録しておきたい。
丸一日スケジュールが埋まっている、と思ったら関東からのクライエントのブリーフセラピー(短期集中療法)が入っていた。
私は自分の仕事のスケジュール管理をすべて坂本に任せているのでほとんど前日まで予定を知らない。ずぼらだからでも偉ぶっているからでもなく、秘書である坂本にスケジュールを任せることで仕事に向きあう意欲や能力が均一に高いレベルで維持されるのである。講演など特別な準備が必要なことを除き、当日の事だけに全力を注ぐ。それが私の仕事の質の管理に役立つ。
飛行機でわざわざここまで来てまた飛行機で帰って行くクライエントには、それだけの価値を提供出来ていますように、と願う。私にとってクライエントがどこから来ているかはほとんど重要ではないけれど、クライエントの方はそうではないだろう。わざわざ遠くへお金も時間も余分にかけて行くからには、それだけの効果を期待し、それが期待通りに与えられる事を信頼しているからこそ来てくれるのだろう。
そのような信頼を裏切るような事だけはしてはいけないという神聖な気持ちになる。
近いから気合いが足りないという事はないけれど、やはり遠くからくるクライエントの自分への向きあい方の真剣さはものすごいものを感じる。問題の深さも、今現在の困難さも大きい。
こういうクライエントはほぼ例外なく、子ども時代に苛酷な経験をしている。その人がどれほど孤独に生きていたか、子ども時代にどれほど苦しんだのか、その痛みを感じては涙が溢れてくる。クライエントの前で本人より大げさに泣く訳にも行かないので表現しないが、心の中では突っ伏して泣きたいほどのその人の痛みを味わっている。
子ども時代、親の言う事に従うことだけが安全を保障される事だった。命令のない時に自分で感じたり、考えたりすると「余計なことをするな」「お前は指示された時にすぐ動けるように、いつでも待機していろ」と教えられ、それを完全に受け入れたクライエントも大人になった今では、社会から「自分で考えろ」「少しは言われた以上の事をしようと思わないのか」「その年で指示待ちではもう通用しない。辞めてもらうよ」と追いつめられている。
黙って、命令された通りにすればよかったはずだった。命令がない時には待機モードで、自分の楽しみもなにもなくただ突っ立って待っていればそれが「自分の存在のしかたの正解」のはずだった。期待していたのは「こうしていればいつか、大人たちが自分を守ってくれる。褒めてくれる」という事。だがそんなクライエントが、数十年も待ち続けてきた「そうしていれば認められ保護されること」など二度と叶わないと思い知る瞬間。
私はその瞬間に立ち会う。
「自分の人生をここまでわかってくれる大人はどこにも居ない」という事実を受け入れることは、子ども時代との完全な決別を意味する。それがどんなに苦しいことか、私にも覚えがある。
ここまでの人生の全てをかけて犠牲にした報酬が得られないと思い知る瞬間。
それは絶望と怒りに変わる。裏切られたと感じる。
クライエントは頭を抱え、ある人は涙に暮れ、突っ伏して泣く。
泣くことすらできないほど自分を硬く守っている人もいる。
しかし一滴の涙も流さないその氷のような表情の奥に、血を吐くような絶叫があることを私は感じる。
無表情のクライエントに駆け寄り、抱きしめて支える。
それでもクライエントは私にすがることすら出来ず立ち尽くす。
どうしていいかわからない。どうしていいかわからない。
その心の声が伝わってくる。もし一滴でも涙を流せば心が壊れてしまう。
だから凍りつき、立ち尽くしている。
真っ暗な中にいる、とクライエントは言う。
こんなに真っ暗なのに、どっちへ進めばいい?、とつぶやく。
光をみつけて、と私は応じる。
光のある方へ、暖かさのある方へ、あなたの感覚の全てを駆使してそれを探して進め、と私は告げる。
夜明けの方へ進みたい、とクライエントがつぶやく。
では東を目指して歩き続けて、と私は応える。
明けない夜はないと頭で分かっていても、真っ暗闇の中をたった一人で歩くのはどんなに心細いだろう。だから私は、暗やみの中のクライエントにたいまつを用意する。地図を与える。暖かい飲み物の入った水筒を。その人の代りに進む方向を決断することは出来ないけれど与えられるものは何でも与える。諦めないで。どうか人生を諦めないで。
この人の苦しみを知っているのはこの世界で、今この瞬間は私だけだ。
それがわかっているから 私はこの仕事を簡単に辞める訳にはいかない。
丸一日スケジュールが埋まっている、と思ったら関東からのクライエントのブリーフセラピー(短期集中療法)が入っていた。
私は自分の仕事のスケジュール管理をすべて坂本に任せているのでほとんど前日まで予定を知らない。ずぼらだからでも偉ぶっているからでもなく、秘書である坂本にスケジュールを任せることで仕事に向きあう意欲や能力が均一に高いレベルで維持されるのである。講演など特別な準備が必要なことを除き、当日の事だけに全力を注ぐ。それが私の仕事の質の管理に役立つ。
飛行機でわざわざここまで来てまた飛行機で帰って行くクライエントには、それだけの価値を提供出来ていますように、と願う。私にとってクライエントがどこから来ているかはほとんど重要ではないけれど、クライエントの方はそうではないだろう。わざわざ遠くへお金も時間も余分にかけて行くからには、それだけの効果を期待し、それが期待通りに与えられる事を信頼しているからこそ来てくれるのだろう。
そのような信頼を裏切るような事だけはしてはいけないという神聖な気持ちになる。
近いから気合いが足りないという事はないけれど、やはり遠くからくるクライエントの自分への向きあい方の真剣さはものすごいものを感じる。問題の深さも、今現在の困難さも大きい。
こういうクライエントはほぼ例外なく、子ども時代に苛酷な経験をしている。その人がどれほど孤独に生きていたか、子ども時代にどれほど苦しんだのか、その痛みを感じては涙が溢れてくる。クライエントの前で本人より大げさに泣く訳にも行かないので表現しないが、心の中では突っ伏して泣きたいほどのその人の痛みを味わっている。
子ども時代、親の言う事に従うことだけが安全を保障される事だった。命令のない時に自分で感じたり、考えたりすると「余計なことをするな」「お前は指示された時にすぐ動けるように、いつでも待機していろ」と教えられ、それを完全に受け入れたクライエントも大人になった今では、社会から「自分で考えろ」「少しは言われた以上の事をしようと思わないのか」「その年で指示待ちではもう通用しない。辞めてもらうよ」と追いつめられている。
黙って、命令された通りにすればよかったはずだった。命令がない時には待機モードで、自分の楽しみもなにもなくただ突っ立って待っていればそれが「自分の存在のしかたの正解」のはずだった。期待していたのは「こうしていればいつか、大人たちが自分を守ってくれる。褒めてくれる」という事。だがそんなクライエントが、数十年も待ち続けてきた「そうしていれば認められ保護されること」など二度と叶わないと思い知る瞬間。
私はその瞬間に立ち会う。
「自分の人生をここまでわかってくれる大人はどこにも居ない」という事実を受け入れることは、子ども時代との完全な決別を意味する。それがどんなに苦しいことか、私にも覚えがある。
ここまでの人生の全てをかけて犠牲にした報酬が得られないと思い知る瞬間。
それは絶望と怒りに変わる。裏切られたと感じる。
クライエントは頭を抱え、ある人は涙に暮れ、突っ伏して泣く。
泣くことすらできないほど自分を硬く守っている人もいる。
しかし一滴の涙も流さないその氷のような表情の奥に、血を吐くような絶叫があることを私は感じる。
無表情のクライエントに駆け寄り、抱きしめて支える。
それでもクライエントは私にすがることすら出来ず立ち尽くす。
どうしていいかわからない。どうしていいかわからない。
その心の声が伝わってくる。もし一滴でも涙を流せば心が壊れてしまう。
だから凍りつき、立ち尽くしている。
真っ暗な中にいる、とクライエントは言う。
こんなに真っ暗なのに、どっちへ進めばいい?、とつぶやく。
光をみつけて、と私は応じる。
光のある方へ、暖かさのある方へ、あなたの感覚の全てを駆使してそれを探して進め、と私は告げる。
夜明けの方へ進みたい、とクライエントがつぶやく。
では東を目指して歩き続けて、と私は応える。
明けない夜はないと頭で分かっていても、真っ暗闇の中をたった一人で歩くのはどんなに心細いだろう。だから私は、暗やみの中のクライエントにたいまつを用意する。地図を与える。暖かい飲み物の入った水筒を。その人の代りに進む方向を決断することは出来ないけれど与えられるものは何でも与える。諦めないで。どうか人生を諦めないで。
この人の苦しみを知っているのはこの世界で、今この瞬間は私だけだ。
それがわかっているから 私はこの仕事を簡単に辞める訳にはいかない。