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被災者のみなさんが、一瞬にしてすべてのものを失って、本当に支援を必要としているのは充分分かる。そして、心を動かされた人々が寄付、募金をしているのも、よく分かる。

そして、私は、自分が被災者だったら…と想像する。


ある日突然に平穏な生活も持ち物も、家族も失う。
そして避難所で生き延びる。
いろんな人が支援物資だといって、その都度いろいろなものをくれる。
食べ物も配給される。
親切に歌を歌って励ましてくれたり、話を聞きにきてくれたりする。
次々に、自分の前に、気の毒そうな表情をした人が現れ、「今何が必要ですか」と訊ねる。

自分は無力なのだと感じる。
人の助けが無いと何も出来ない存在になったのだと、ひどく気落ちする。

ものを失い、愛するものを失い、思い出を失い、そして、自力で生きられる誇りを失いそうになる。

これから私は生きられるのだろうか。
こんなちっぽけな私に何が出来るのだろうか。

やがて仮設住宅に入れるようになる。
そこにもまた新しい親切な人がやってきて訊ねる。
「今困っていることはなんですか」

私は……




みなさんなら、どう答えますか?


私なら「仕事を下さい」と言うのではないかと思います。

もう、親切な人から、気の毒そうに優しい言葉で
「何が必要ですか」「何をあげればいいですか」と聞かれたくない。
自分でもう一度立ち上がりたい、自分で生きていると思えるような、
誇りある平穏な毎日が欲しい、と思うような気がします。

被災者の人には、寄付金以上に、仕事が必要なのではないですか?

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桜たちが 今まさに散らんと潔く花吹雪を見せてくれています。

毎年思うのですが、この花吹雪に潔さや儚さを感じる日本人の繊細さは
世界でも群を抜いているのではないでしょうか。

桜吹雪の中で目を閉じるのが大好きです。
その瞬間、千年以上も昔、同じように桜吹雪の中で目を閉じていた誰か
を感じるような気がするからです。
その人は何を想ったろうか。
私と同じように想ったろうか、と、時を越えて、その魂とコンタクトし
ているような気がするからです。

鮮やかに移り変わる季節を、日本人は愛で、そしてその無常をしみじみ
味わうのです。
日本人のメンタリティの中には、このような自然の風景と共に
「ずっと続く事は何もないのだ」という無常(常なるもの無し)の感覚
がしっかりと根付いています。
儚さを知るからこそ、盛りと咲き誇る桜の下で、その一瞬を愛で、酒を
酌み交わしたいという習わしが生まれたのでしょう。
これは仏教文化とも深いつながりがあるのではないかと思います。

無常とは必ずしも「虚しさ」のような情感的なものとは限らず、
ただ自然のありのままをそのままに観察した結果の、冴え冴えとした
客観的な結論でもあります。

咲いた花が枯れぬことはない。
栄えたものが衰えぬことはない。
生まれたものが死なぬことはない。
始まったものが終わらぬことはない。

すべて、真実ではないでしょうか。
つまり、常なるもの一切無し。
この現実世界の、真理の一つだと私は思います。

だからこそ、苦しみにも終わりがあります。
困難にも終結があります。
私はそれを心から確信しているからこそ、希望を捨てません。

春がきて、深まった事を感じます。
止まっていたものは動き出し、うごめいていたものは静まります。

私たちの世界は、壮大な時を奏で続けている、シンフォニーです。
そして私たち一人一人は、その交響曲の中の、一つの音符です。

美しい世界。
美しい命たち。
苦しみも悲しみも 刹那の煌めき。

壮大な交響曲は まだまだ鳴り止みません。
悠久の時を 奏で続けています。
願わくばそのすべてが調和しますように。

私の一生が奏でる一瞬の音も、この美しい世界に調和しますように。

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実は私、毎日、毎日、いろんなことで涙を流します。

災害のニュースで泣くのはまあ当然だとして。

人間とは、心を遠くに飛ばして、ありとあらゆるものにアクセス
できる不思議な生き物だと思います。

娘の赤ちゃんの頃から今日までの成長を思えば
嬉しさと感動の涙があふれ、

餓えでガリガリになってしまっている子供たちを思えば
掻きむしられるもどかしさの涙が流れます。

優しく赤ちゃんを抱きしめ、満たされた笑顔の若いお母さんを思えば
幸福の涙が流れ、

今日にも殺されてしまう可哀相な捨て犬、捨て猫を思えば
憤りの涙があふれます。

毎日毎日、胸の詰まる思いをすれば、少しは慣れてくるものと思うのに
涙は涸れないものです。

わざわざ涙を流すようなことを考えなければいいのにと思う人もいるで
しょうが、私はそのような辛い思いをしてもまったく一向に、不幸せで
はないのです。

むしろ、心を開き、鍛えるためにわざわざしているような気もします。
そのやり方はいささか自虐的なような気もナルシスティックな気もしま
すが、私は日々、自分の想像力の限りを尽くして、世界中のあらゆる人々、
命を思う事にしています。

私は、無関心と戦っています。
この世には、知らない方が幸せに過ごせることも多いでしょう。

けれど知らなければ、知らない事は私とは無関係のままです。
無関係な事には私たちは関心を持てず、また知った事でも無関心を装って
自分の心を守ろうとする人は多いでしょう。

けれどもこの地球上で生きる限り、「自分に関係のないこと」などないの
です。
私がもしダイヤや、サファイアを持っていたら、それを採掘したとても貧
しい人がいる事を忘れないでしょう。

私は、人に宝石を持たないでくれとは言いません。
でもせめて、自分が持っている宝石に関わった人にも関心を持っていて下
さいと言いたいと思います。
私たちが知らなくても、関わっている事がたくさんあることを忘れないで、と。

私の実感では、涙はいくら流しても、涸れません。
涙が涸れるのは心が枯れたときなのかも知れません。

私は、このまま50歳をすぎても、60歳をすぎても、70歳をすぎても、
こんな風に泣くのでしょうか?
それとも、見える涙は流さず、凛とした老人になれるでしょうか?

私がこのような毎日を過ごした結果、どんな老人になるのか。

これは私の壮大な実験の一つです。

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台所で食器を洗っていたら、コップを洗う為のブラシがボキッと
折れてしまいました。

このブラシは、娘が生まれてから、哺乳瓶を洗う為に買ったものでした。
あれから10年と3ヶ月。
長い間、よく私たちの生活に役立ってくれました。
根元から折れたのだから、修理も出来ず、捨てる事になりましたが、
このブラシと共に、こうして生活をしてきた日々を思い出します。

ありがとうね。本当にお疲れさま。

アメリカに留学したとき、アメリカ人の友人から
「物にココロがあるように振る舞うのは、かなり奇妙に見える」と言わ
れました。
日本人てみんなそうなのか?とも訊ねられました。

日本人みんながそうなのかは知らないけれど、割と一般的な感覚なので
はないでしょうか。
長い間使って、愛着がわいたとき、それを無機質な物ではなく、「人」
のように有機的なものとして感じてしまうこと。

私などは、長く使われたものは友人のように感じています。

客観的にはたかがブラシなのかも知れませんが、そのブラシあってこそ
の思い出がたくさんあることも、ブラシのお陰で、と思ってしまいます。


折れてしまったブラシに手を合わせて、ちょっぴり泣きました。
おしまいの儀式。
お別れの儀式。


そうして、新しいブラシが、我が家に加わりました。
新しいブラシは、生まれたての赤ちゃんのようにピカピカの、ブルーです。

ようこそ。こんにちは。
一緒に生きて行こうね。

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引き続き、傾聴で心理的支援をする活動の準備作業をやっています。

が、終わりが見えません。
しかしいつまでも企画会議をしている訳にはいかない。

サイトにあげる情報を選定したり書いたり。
NPOの会報を作らないといけないし、県や法務局への届け出書類も作らなくちゃ。

この上なく地味な仕事が山のように目の前に積もっていて、企画に意識が集中できない、と泣き言を言いたくなりますが、だめだめ。そんな泣き言、誰も聞きたくないんだから。

そういう時は自分の頬に手を当てます。
そして優しいお父さんが言ってくれるようにささやきます。

いいんだよ、自分に出来る事を一つ一つ、半分づつ半分づつでもいいから。
それが自分の等身大。
精一杯やったなら、それでいいんだ。


ふと考えてみると、開発会社の頃、よくこうして連日先の見えない中で企画会議をしたっけ。
でもあの頃は、やることはそれだけでよかった。開発社員は、開発の事だけを考えていれば良かった。事務作業は事務員さんが全部やってくれていた。
お茶もコーヒーもいれてくれて、お弁当を注文してくれたり、電話を取ってくれたり、私たちは存分に会議室でぼろ切れになるまで幾晩も夜遅くまで頭を絞っていればよかったんだ。アイデアの収束が出来ず、出来たかと思えばまたゼロになる企画。砂で城を造ろうとしているかのような毎日は苦しくて、でも楽しくて。
そうして生み出した企画が認められ何億円の契約に結びついた時の喜び。
翌日からすぐに始まる実開発作業。昼夜を問わず、スケジュールをにらみながら今度は創意と工夫と努力のすべてを駆使しての開発が1年以上も続きます。

ああー…本当に恵まれていたんだなと思うのです。
そして、年単位で、忍耐強く一つのことに取り組む根性は、あの仕事の中でも培われてきました。

今、事務員さんはいないけど感謝すべき事は自分で気づくぶん、たくさん生まれるはず。
ないものを数えるのをやめて、まだ見えていない「あるもの」に気づこう。

福島も、青森も、岩手も、宮城も、茨城も、みんなやっと生き延びているだけで、まだまだ復興なんてしていない。
これから、仮設住宅に入り、そこから自立すべくいろんな場所へ移り住む。
その中に、津波が少なくて温暖な九州に移り住もうという人たちも必ずいるはず。

災害の被害者を傾聴するということが出来れば、おそらくありとあらゆる場面で傾聴能力を発揮できるのです。本物の、「傾聴カウンセラー」と呼んでも差し支えない実力がつくことでしょう。
育児に苦しむお母さん、孤独に苦しむお年寄り、親に相談できない子供たち、みんなをきく事ができるでしょう。
大丈夫、大丈夫、あなたと一緒にいるよと 優しく寄り添ってくれるでしょう。

社会を優しく支える手を たくさんたくさん生み出したい。
その為に 今私が差し出すすべての労力と時間に意味があります。

ないものを数えない。
あるものに気づこう。

娘がいちごのへたをとって、お皿に並べて出してくれるようになりました。
嬉しい〜。

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小泉さんが首相になって行った改革のせいで、貧富の差が広がったと言われているけれど、バブルの直後から日本の経済はすっかりおかしくなっていた。バブル末期だった私が社会に出たてのころは、23歳やそこらで、より高価なものを買い、金を使うことが「遊び」だった。けれど貧富の差はどんどん広がり、今日本の全世帯の4分の1が貯蓄の無い年収200万円以下の世帯となっている。

もうだいぶ前から日本は持たざるものと富裕層の二極化が進んでいたのだ。
戦後の総中流意識だけが残っていたので、自分が中流以下になったことを受け入れられなかった人は多いだろう。だから貧しい事を恥じていたし、「勝ち組、負け組」などという言葉が現れた。

本当は、この経済国家において勝ち組も負け組もないのだ。
みな経済の輪のなかの一部だし、自分が失敗したり劣っている為に貧しいのでもない。
劣等感を持っているなら、すぐに捨てよう。そんなものは何の助けにもならない。


そして、これだけ日本が弱り切っているこの場面で、地震と津波の大災害だ。
日本は決定的な大ダメージを受けた。

家も仕事も、何もかも失った人が、何万も生まれ、ゼロどころかマイナスからの復興に取り組む。
被災地だけではなく、全国の経済に影響があり、これから国民が一丸となって国の再建に取り組まなければならない。

今日の1日が無事に終わることを、毎日毎日続けるのだ。
それで充分だ。
さあ、みんな、一生懸命働こう。どんな仕事もすべて、国を支えている。
自分の事だけでなく、周りの人の為にも少しだけ気もちを砕こう。

一度豊かになり、平和ぼけと言われた日本人は、再び、痛みの分かる国民になった。
みんなで、隣の人を励ましながら、励まされながら、一生懸命、日々を送ろう。
世界中の人と、手を取り合って生き抜こう。
日本を好きだといってくれる人々が世界中に大勢居る。
日本人はすてき、すごい、とほめてくれる人たちがたくさんいる。

頑張ろう、日本。たくましく生き残ろう。
私は、この時代に日本人として生まれてよかったと思っている。
命の使い道がはっきりすることは 本当にありがたい。
この国の為に、私は生きる。

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今回の、災害支援活動として、
「心理的援助の具体的方法」を学ぶセミナー or 講演を講師料無料で行う計画です。


今日はその内容や企画を持って行く場を検討する為に企画会議。
坂本とブレインストーミングをしました。
朝9時から夕7時までぶっ通し〜。

脳みそが沸騰しそうになりました。

市や県がこれを受け入れてくれたら本当に多くの方に受講してもらえると思うんだけどな。


みなさん、祈ってて下さい。
特に災害時の心理的支援というのは、素人状態でやってはいけないことなのです。
よかれと思っての言葉が、被災者、トラウマを抱えた人を追い込むリスク。
被災者が非常にデリケートな状態だけに、ちゃんと学んでもらわないと危ないのです。

善意が実を結ぶ為に。
これから心理的支援に動こうとする人は、優しい人に違いありません。
その優しい行為の結果は、お互いの笑顔に結びつかなければなりません。
優しさを動機とした行為だったのに、知識が足りない為に傷ついた被災者
をさらに深く傷つけるような結果だけは、避けなければなりません。

傷ついた人の側に寄り添うという崇高な行為。
絶対に成功してもらいたい。


緊急課題です。
被災者が疎開してくる前に、受け入れる側はしっかり学んで準備しておかなければ。
本当は被災地で活動したいけれど、あちらにはすでに専門家が入っているだろうと予測。

地方で出来る事の中で、最大限、私に出来る事、私だから出来る事を考えました。
お願いです。祈っててください。
私がこの時に、私に出来ることで精一杯使ってもらえるように!

神様
どうか私を使って下さい

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自分は愛されているという安心
自分は守られているという安心
自分にもできるという安心
自分は役に立てるという安心
自分は許されるという安心
自分はやり直せるという安心

人間は結局
安心さえあれば どうにだって生きて行ける。

安心とは何だろう。

私にとってそれは多分とても足りなかったもの。
幼い頃にもらいそびれて 私は安心がないまま大人になり
本当に生きているのが不思議なくらい苦しんだ。
安心のない人生は 地獄そのもの。

でも大人になってもその安心は補充できると知った。
親にねだることはもう二度としないと決めたその時から
私の心は健康になっていった。

自分の親が自分に与えてくれないのだという現実を
心の底から受け入れるのはとても苦しかったけど。
苦しい事を避けていたから私はよけいに苦しみ、
そのままでは生きられなかったのだ。

だからみんな。
苦しい事から逃げる必要はないんだと言いたいんだ。

苦しい事も覚悟を決めればいつか必ず終わる。
覚悟を決めないからいつまでも生殺しなんだ。
いっそ体と心を投げ出してみないか。
その苦しみの前に自分の全部を預けてみないか。

やってみればわかる。
苦しみは君を殺したりはしないのだ。
苦しみから逃れようとして君が君を殺すのだ。
だから 生きる覚悟と逃げない覚悟だけでいい。
どんな苦しみも必ず終わる。

だから私は死ぬ事もそう怖くないのだ。
どんなに痛くてもたぶんそう長くは続かないから。

そして死ぬ事がそう怖くないから
生きる事がいとおしい。

今しかない一瞬が
宇宙の星の一つのように
確かで
輝くものに思える。

君の笑顔も君の涙も
君の全部がいとおしい。

側に居るよ。
私は君の側に居る為に生きている。

すべての君が
君が君が君が君が君が君が
自分は一人でも大丈夫なんだと理解するために。

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(以下は、被災者向けではなく、被災していない人向けです。)

日本の報道は、かなりマイルドな映像しか流さないのだけれど、
それでも繰り返し津波のシーンや被害地の惨状の映像は見ない方がよいです。
特に繊細な方はご注意を。

ショッキングな映像を繰り返し見ると、その映像は実際に体験したのと
同じことと脳内で処理されます。そのため強い不安、大きな恐れ、深い
悲しみなどが、まるで被災した人と同じように起きえます。
繊細な方はこのショック状態から回復が難しくなってしまいPTSDになる
場合があります。

子供も繊細なので注意してあげてください。
一日一度は笑わせるように心掛け、大人が冗談を言うなど楽しい雰囲気に
心掛けたり笑顔を見せてあげてください。
子供が笑わなくなったり、表情が乏しくなったり隅っこでじっとしていた
りしたら、必ず気にかけて、心のケアに努めてください。抱きしめたり、
優しくしてあげたり、目を見て笑いかけてあげたりしてください。

PTSDになると、不眠、フラッシュバック、不安発作などに襲われるよう
になります。
そうなる前に、心のケアに努めてください。
きれいな景色や花、お気に入りのアロマ、暖かいお風呂、やわらかい肌触
りの服や毛布、笑顔の絵や写真を飾る事などが助けになります。
涙が出たらそのまま流して下さい。
そして、「怖い事は終わった、今目の前ではすべてが安全で大丈夫」と
声に出して言ってみて下さい。


ショックを受けると、脳内ではアドレナリンが分泌され、興奮状態になり
ます。そのため不安や感情の高ぶり、イライラなどが起こります。そして
この状態のときには、冷静な判断ができず、断片的な情報で思い込んでし
まったりします。落ち着いて、よく考える時間を自分に与えて下さい。
一度考えて決めた事も、時間を置いてもう一度考えてみて、決断しましょう。
買い占めなども、この状態から引き起こされている事象です。


私はもとからOE持ちなので、そういう映像を見るとかなり激しく動揺し、
感情もとても高ぶるのですが、幼い頃からそうなので自然と対処法を身に
付けているようで、そのまま落ち込み続けるとか、寝込むような事は最近
はありません。(子供の頃は入院することもありました)
近年では瞑想によってさらにセルフコントロール力が上がっているので、
涙を流しながらもひどい有様を直視することが出来るようになっています。
日常は淡々と、力強く送っています。

瞑想は心の訓練法として、何千年も前から行われてきました。
確かに効果があると確信しています。
もし日頃心が落ち着かない方はぜひ、瞑想をお勧めします。

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20日、春休みになるや否や、娘は祖父母のいる阿蘇へと
一人旅立って行った。

毎度彼女の自立心には感嘆せざるを得ない。
小学校1年の頃からこうなのだから、確かにもうあまり心
配するような事はないのだが、一週間以上経ったのに彼女は
一向に帰ってくるそぶりを見せない。

自然豊かな阿蘇で、毎日従兄弟と楽しく遊んでいるらしい。
何日も前に、電話してきて「ママ、今のこっちの天気なんだ
と思う?雪が降ってるんだよー!」と短い報告をした後、ぱ
ったりと何の音沙汰もない。

数日間一度も電話してこないなんて、彼女にとって両親とは
一体どういう存在なのか。

というか私が寂しいーーー!

まあ、便りのないのはよい便りということなのだろう。
いつ帰ってくるのかなあ。我が家には確か娘がいたはず…
夫と二人、犬が子供代わりだった頃にすっかり戻ってしまって、
老後もこんなふうなんだろうねと二人で話している。

まあ…
彼女がハッピーならば、それでいいか。

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