2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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お盆休みで実家の両親の家に行った。
3泊したのだけれど 本当に実家という場所は気付きの宝庫である。
母の傍若無人な言葉や態度に ガラスの破片が突き刺さるような痛みを感じ心が凍りつくような感覚で感情が止まってしまう。
父と母の関係はまさにゲームの日々で 支配者と被支配者の役割を交代しながら、縛り縛られている苦しみにお互いを攻撃し合っている。
人は自分で自分の人生を変える事が出来るはずだけれど 人生のからくりに気付かない内はまるでそれ以外の方法はないとでも言うかのように同じ傷つけ合いを続けていく。
両親は私の年と同じ年月を共に過ごしてきたのに、いまだに同じゲームを続けている。40年以上も支配者のゲームを続けてきて、頭がおかしくならない方が不思議だと思う。
久しぶりに来た私たちの為にすき焼きをするという。
これがゲームの舞台装置の一つだという事はすぐに分かる。
今夜の食卓は悲しいゲームの舞台になるのだ。
すき焼きを作りながら母はさっそく投げやりな口調で「さあどうぞ。食べてちょうだい」と私たちに勧める。母の言葉に逆らうことは、直ちに激怒かその場の崩壊を意味する。私たちは母の不機嫌を見て見ぬふりをしながら大人しくすき焼きに箸を伸ばす。
「肉から食べるといいよ」と母。これは命令である。肉から食べないとさらに母は不機嫌になる。だから私たちは言われた通りに肉をつまむ。
母はすき焼きの鍋に白菜を投入しながら父に「白菜、買ってきたんだね」とジャブを繰り出す。買い物には父が行ったようだ。父が「ああ」とうなづくと「買い物リストに白菜は書いてなかったでしょうが。キャベツをいれようと思っていたのに」と母。要するに、余計なことをしたとなじっているのだ。「よう気がつきますね、おたくは。金も使って。」と父に強烈な嫌みを見舞う母。「はいどうもすみません」と父は苦々しげに謝る。母の前に苦虫をかみつぶしたような顔をしながらもひれ伏し服従の姿勢を見せる父は、この母の仕打ちに確実に恨みをつのらせている。だから毎日酒を飲み、タバコを吸う行為で母に思い知らせようとする。「俺がこんな風にダメな人間になっていくのはお前の仕打ちのせいだ」と。
こういう雰囲気の中、残りの家族(この日は私と夫と娘)はせっかくのご馳走も台なしで、とにかく機械的に口に運びつづけるしかない。私などは繊細過ぎて、不機嫌な母が同席するだけで食事の味がまったく分からないという事がしばしばだ。
やがて母が職場での愚痴を口にする。父はここぞとばかりにアドバイスの嵐で母に講釈を垂れる。さっきの仕返しという訳ではないが、今度は父が支配者になろうとしている訳である。母は、そんなアドバイス通りに振る舞う事なんて現実には出来ないのだと必死に抗弁している。父はそれでも母にアドバイスを続けるのでまるで議論のようになる。父の言っている提案は、母を助けてやろうという意志に溢れているのだが、母からすれば職場でのやるせなさを受容してもらえず、悲しみが募る。母は自分を理解してもらえないと感じるとすぐに自分が攻撃されているのだと勘違いをする癖がある。母は「もういい。もうあんたには話さない」と悔しげに口を閉ざした。父は「なんでわからないんだ、あんたのために言ってるのに」と憮然とする。
こうして父と母は、支配者と被支配者の役割を交代しあいながら、延々と40年以上支配者のゲームを繰り返しているのだ。
母は「うんざりだ」と言わんばかりに食事をかき込むようにして自分の食器を重ね、撤退の雰囲気だ。こういう時、母は周囲の人のほうがよほど「うんざり」と訴えたいほどの被害の中にいる事をまったく忘れているようで、自分だけが被害者だという態度をする。それがまた、周囲の怒りを買ってしまう。哀れでもあり、愚かしくもある母の器の小ささ。母は救済を必要としている。何故なら母には、本当にどう振る舞えばよいのかわからないのだ。
自分の食器を手に立ち上がろうとした母が、突然「痛いっ」と小さく声を上げた。床板の一部が傷んでいて、指に木のとげが刺さったのだ。
夫が「天罰」とつぶやく。私が慌てて「しっ、やめて」と制する。
幸いというべきか、母には聞こえなかった。私たちは残りのご飯をかき込んで、早々に食卓を退散する。自分たちにあてがわれた部屋にこもり、ため息を連発する。
あれほど穏やかな夫が、母の態度、言動には腹に据えかねている。
夫は私の実家に行くことに耐えてくれているが、本当は私と同じで、実家はまったく安らぐことのない場所だ。夫は、人の意地悪や嫌み、ひがみ、などの態度を心から憎んでいる。人は人間として、そのような態度を厳に慎むべきだと魂に刻んで生きている人だ。
私は、夫を連れて実家に行くことも申し訳ないと思う。しかし、そうしなければ夫の実家での立場が悪くなり、母や父の嫌みのターゲットにされるだろう。そうなったらもっと彼が可哀相だと思い、機会には彼を伴っていく。
とにかく実家では気を使わない瞬間が存在しない。
寝ていても起きていても、母の機嫌、父の動向にセンサーを働かせなければならない。
私の伸び伸びとした本質は、この実家ではまったく表に出てくることが出来ない。
冷たい氷のおりの中に閉じこめられずたずたに傷ついて泣いている。母の口から発せられる不機嫌で無遠慮な言葉が、切れ味の鋭いガラスの破片となって全身に突き刺さっていて血を流し、ただただ泣いている。
私はその自分と、そのような振る舞いしか出来ない不幸な母の両方に、トンレンの瞑想を続ける。
以前とは私も もう違う。
もう両親がケンカしないようにと笑い顔を作らないし面白い事を言わない。
静かに状況を眺め 凍りついた心に気付きながらも それと共にいようとし静かに呼吸しながら暖めようと祈り続けている。どうやって共にいるか。それを祈り続ける。
私はゲームからは降りた。
けれど両親のゲームは続く。
何故彼らの業はこのように深いのかと哀れに思う。
本来 心優しく純粋な人々なのに。
そして私は 何故この両親から生まれたのかと心底考える。
実家は気付きの宝庫だ。
私は母の為に父の為に 早く本を書いて出版しなければならない。
3泊したのだけれど 本当に実家という場所は気付きの宝庫である。
母の傍若無人な言葉や態度に ガラスの破片が突き刺さるような痛みを感じ心が凍りつくような感覚で感情が止まってしまう。
父と母の関係はまさにゲームの日々で 支配者と被支配者の役割を交代しながら、縛り縛られている苦しみにお互いを攻撃し合っている。
人は自分で自分の人生を変える事が出来るはずだけれど 人生のからくりに気付かない内はまるでそれ以外の方法はないとでも言うかのように同じ傷つけ合いを続けていく。
両親は私の年と同じ年月を共に過ごしてきたのに、いまだに同じゲームを続けている。40年以上も支配者のゲームを続けてきて、頭がおかしくならない方が不思議だと思う。
久しぶりに来た私たちの為にすき焼きをするという。
これがゲームの舞台装置の一つだという事はすぐに分かる。
今夜の食卓は悲しいゲームの舞台になるのだ。
すき焼きを作りながら母はさっそく投げやりな口調で「さあどうぞ。食べてちょうだい」と私たちに勧める。母の言葉に逆らうことは、直ちに激怒かその場の崩壊を意味する。私たちは母の不機嫌を見て見ぬふりをしながら大人しくすき焼きに箸を伸ばす。
「肉から食べるといいよ」と母。これは命令である。肉から食べないとさらに母は不機嫌になる。だから私たちは言われた通りに肉をつまむ。
母はすき焼きの鍋に白菜を投入しながら父に「白菜、買ってきたんだね」とジャブを繰り出す。買い物には父が行ったようだ。父が「ああ」とうなづくと「買い物リストに白菜は書いてなかったでしょうが。キャベツをいれようと思っていたのに」と母。要するに、余計なことをしたとなじっているのだ。「よう気がつきますね、おたくは。金も使って。」と父に強烈な嫌みを見舞う母。「はいどうもすみません」と父は苦々しげに謝る。母の前に苦虫をかみつぶしたような顔をしながらもひれ伏し服従の姿勢を見せる父は、この母の仕打ちに確実に恨みをつのらせている。だから毎日酒を飲み、タバコを吸う行為で母に思い知らせようとする。「俺がこんな風にダメな人間になっていくのはお前の仕打ちのせいだ」と。
こういう雰囲気の中、残りの家族(この日は私と夫と娘)はせっかくのご馳走も台なしで、とにかく機械的に口に運びつづけるしかない。私などは繊細過ぎて、不機嫌な母が同席するだけで食事の味がまったく分からないという事がしばしばだ。
やがて母が職場での愚痴を口にする。父はここぞとばかりにアドバイスの嵐で母に講釈を垂れる。さっきの仕返しという訳ではないが、今度は父が支配者になろうとしている訳である。母は、そんなアドバイス通りに振る舞う事なんて現実には出来ないのだと必死に抗弁している。父はそれでも母にアドバイスを続けるのでまるで議論のようになる。父の言っている提案は、母を助けてやろうという意志に溢れているのだが、母からすれば職場でのやるせなさを受容してもらえず、悲しみが募る。母は自分を理解してもらえないと感じるとすぐに自分が攻撃されているのだと勘違いをする癖がある。母は「もういい。もうあんたには話さない」と悔しげに口を閉ざした。父は「なんでわからないんだ、あんたのために言ってるのに」と憮然とする。
こうして父と母は、支配者と被支配者の役割を交代しあいながら、延々と40年以上支配者のゲームを繰り返しているのだ。
母は「うんざりだ」と言わんばかりに食事をかき込むようにして自分の食器を重ね、撤退の雰囲気だ。こういう時、母は周囲の人のほうがよほど「うんざり」と訴えたいほどの被害の中にいる事をまったく忘れているようで、自分だけが被害者だという態度をする。それがまた、周囲の怒りを買ってしまう。哀れでもあり、愚かしくもある母の器の小ささ。母は救済を必要としている。何故なら母には、本当にどう振る舞えばよいのかわからないのだ。
自分の食器を手に立ち上がろうとした母が、突然「痛いっ」と小さく声を上げた。床板の一部が傷んでいて、指に木のとげが刺さったのだ。
夫が「天罰」とつぶやく。私が慌てて「しっ、やめて」と制する。
幸いというべきか、母には聞こえなかった。私たちは残りのご飯をかき込んで、早々に食卓を退散する。自分たちにあてがわれた部屋にこもり、ため息を連発する。
あれほど穏やかな夫が、母の態度、言動には腹に据えかねている。
夫は私の実家に行くことに耐えてくれているが、本当は私と同じで、実家はまったく安らぐことのない場所だ。夫は、人の意地悪や嫌み、ひがみ、などの態度を心から憎んでいる。人は人間として、そのような態度を厳に慎むべきだと魂に刻んで生きている人だ。
私は、夫を連れて実家に行くことも申し訳ないと思う。しかし、そうしなければ夫の実家での立場が悪くなり、母や父の嫌みのターゲットにされるだろう。そうなったらもっと彼が可哀相だと思い、機会には彼を伴っていく。
とにかく実家では気を使わない瞬間が存在しない。
寝ていても起きていても、母の機嫌、父の動向にセンサーを働かせなければならない。
私の伸び伸びとした本質は、この実家ではまったく表に出てくることが出来ない。
冷たい氷のおりの中に閉じこめられずたずたに傷ついて泣いている。母の口から発せられる不機嫌で無遠慮な言葉が、切れ味の鋭いガラスの破片となって全身に突き刺さっていて血を流し、ただただ泣いている。
私はその自分と、そのような振る舞いしか出来ない不幸な母の両方に、トンレンの瞑想を続ける。
以前とは私も もう違う。
もう両親がケンカしないようにと笑い顔を作らないし面白い事を言わない。
静かに状況を眺め 凍りついた心に気付きながらも それと共にいようとし静かに呼吸しながら暖めようと祈り続けている。どうやって共にいるか。それを祈り続ける。
私はゲームからは降りた。
けれど両親のゲームは続く。
何故彼らの業はこのように深いのかと哀れに思う。
本来 心優しく純粋な人々なのに。
そして私は 何故この両親から生まれたのかと心底考える。
実家は気付きの宝庫だ。
私は母の為に父の為に 早く本を書いて出版しなければならない。
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