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2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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「やればできる!」「できないのはやらないからだ!」

…という声が聞こえてくる。
私はこの言葉が、とても嫌いだ。

この声が聞こえてくるのは、例えば、机の上を眺めていて、
散らかっているなあと気付いた時だ。
片づかないなあ…とため息をついているくらいならまだ調子の
いい方で、気分が落ち込む時には
「片づけをさぼっているのはお前がだらしないからだ」とか
「今、5分手を動かせばその分片づく」
という声が聞こえてくる。

この声のいいぶんは、いつも正論で正しい。
確かに、今、5分手を動かせば片づけられる。
「できないんじゃない。お前がやらないだけだ」と責める声。
そんな声が聞こえてくると、息が苦しくなる。
胃が締めつけられて吐き気がする。
眠れなくなる。死にたくなる。

最近、理事長としてちゃんとやれとプレッシャーがかかる事が
多くて、精神的な調子を崩すことが多くなっているからだろう
か、ちゃんとできない自分を責める声が大声で聞こえ始めてい
る。死にたくなることなど、ここ何年もなかったのに、最近は
理事の仕事で追い込まれるとよく死にたくなる。

私は、世間一般のちゃんとした人間であることを捨てたのだ。
だらしがないと言われていいと、覚悟したのだ。
なのにその生き方を否定される立場に居なければならないとい
うのは身を引き裂かれそうな苦しみを感じる。

「やればできる」
そうだろう。
だけど、できる事をなんでもやらないといけない訳じゃない。
出来るんだけど、やりたくない事だってある。今はやらないと
選択した上で手をつけない事もある。
やればできることを全部やらないといけないなら、私はすぐに
でも地雷の撤去や飢餓問題の為に海外にでも行かなければなら
ないし、舞鶴公園のホームレスにおにぎりを配らなければなら
ないだろう。

「出来ないのはやらないからだ」
そうかもしれない。
「やらないでいる」という事を選択しているのはいけない事だ
ろうか。目標値を達成できないのは、それを達成する動機が実
行する本人にない場合や、達成にいたるプロセスに実行者が同
意していない場合もあるのではないか。
または、本当に苦手で、助けを必要としている事もあるのでは
ないだろうか。
司法試験に受からないのは、勉強が足りないからだと断じる事
ができるだろうか。どんなに勉強しても、上位数%の合格圏に
入るだけの知的才能がない、というケースは一つもないのだろ
うか。

「やればできる」という言葉は、本来
「もしあなたが本当にやりたいなら、一生懸命やればきっと
できるよ」
という暖かい勇気づけの励ましの言葉だろう。

誰かがうまく、人を誘導し支配する為に、本来の意味とは違
う形でその言葉を使い始めたのだ。

言葉とは常にそういう側面がある。
優れたプレーズであるが故に、本来の意味とはまったく違う
意図で「利用」された言葉たちがたくさんある。
利用された言葉に翻弄され、苦しみもがく人を、大勢知って
いる。私はその人々と共にあり、その苦しみを救済する為に
全力で働いている。

私は、そのように利用された誤った言葉を正し、本当の精神
的自律と自由を獲得する為の活動に今生を捧げている人間だ。
その私が、「やるべきこと」を国や法律から縛られて生きる
のは無理なのではないか。

「責めることを徹底的に放棄する」という修業は何も外側に
目を向けずとも、自分自身の中にいくらでも材料があり、修
業の機会は事欠かない。

自分を責めることをやめ、人を責めることをやめると、おそ
らく誰でも一旦は、非常に無責任でだらしない人間になるだ
ろう。今の私の大部分はここのレベルだ。
責めないでいて、かつやるべきことを淡々と行えるようなレ
ベルに到達するまで、修業する時間が必要だろうと思う。
私はその段階を行きつ戻りつしている。理事長としての責務
は私に次のレベルに進むよう強力に促している。
これが自分の自然な速度にマッチしていないので非常に苦し
んでいる。

NPOに関わっている人や社会から、理事長として出来ていな
い部分を常に責めさいなまれていると感じてしまう。

いっそ団体など捨てるべきか。
世捨て人になるべきなのかもしれないと思う。
または僧になるべきなのかも。

堪えよ、時を待て、と涼やかな声がする。

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