2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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私はコーヒーも紅茶も大好きで、毎日何杯か飲む。
スタバにハマってから、引きたて、入れたてのエスプレッソがいかに美味しいかという事に目覚めてしまった。
これまで飲んでいたコーヒーは一体、ナンだったのだろう、私はコーヒーの味などろくに分からず飲んでいたのではないか、とさえ思った。
毎日スタバに通っても、月に一万円以内ですむのだが、出かけなくても飲めたらいいなあ、と思っていた。
ある日、ヨドバシカメラに事務用品を買い出しに言った時、何気なくエスプレッソマシーンのコーナーに迷い込んだ。見ると、様々な機種が並び、日曜日だったせいだろうか、実演試飲までしているではないか。エスプレッソは抽出の際に高圧をかけるのでマシンは結構ものものしく、普通のコーヒーメーカーよりずっとメンテナンスが面倒なのだ。ほとんどの場合、憧れでマシンを買って、メンテの面倒さに気を削がれてお蔵入り、というコースを辿る。
いろんなマシンを比較して、値段などつらつらみながら、「うーん、衝動買いするには高いなあ…」などと思いながら買うつもりなく眺めていると、「ご試飲されませんか?」という販売員の声がかかった。では遠慮なく、と頂く。
ふうん、いい香りだなあ、などと思いながら試飲。メンテの方法や豆のコストなどいろいろ訊ねる。
飲み終わって、別のマシンの説明書を読んでいると、また別のメーカーが試飲を勧めている。
何だかとても高級そうなイメージのマシン。販売員もヨドバシにいるのが不自然なほど、品の良い制服を着ている。高いんだろうなあ…と思いながら、試飲。
一口飲んで驚愕した。
これまで口にしたどんなコーヒーより美味しい。
ええ〜っこれなあに〜!?と心の中で叫んだ。
あまりにも美味しくて感動し、マシンの低価格に感動し、メンテナンスの簡単さに感激し、コストパフォーマンスに納得し、ついにこのマシンを拒絶する理由がなくなってしまった。
はい。衝動買いです。
一杯80円未満で、世界最高級の豆を使用し、バリスタが淹れるものとまったく同様の素晴らしいエスプレッソがご家庭で味わえる。
ここまで言ってるのでメーカーの名前を逆に言えなくなった(笑)。
宣伝になるので、どこのものか知りたい方は推理してみてください。
ヒントはスイスのメーカー、日本でも知らない人はいないでしょう。
多くの商品がお菓子コーナーに並んでいる有名な会社です。
どうしても知りたい人はメール下さい(笑)
スタバにハマってから、引きたて、入れたてのエスプレッソがいかに美味しいかという事に目覚めてしまった。
これまで飲んでいたコーヒーは一体、ナンだったのだろう、私はコーヒーの味などろくに分からず飲んでいたのではないか、とさえ思った。
毎日スタバに通っても、月に一万円以内ですむのだが、出かけなくても飲めたらいいなあ、と思っていた。
ある日、ヨドバシカメラに事務用品を買い出しに言った時、何気なくエスプレッソマシーンのコーナーに迷い込んだ。見ると、様々な機種が並び、日曜日だったせいだろうか、実演試飲までしているではないか。エスプレッソは抽出の際に高圧をかけるのでマシンは結構ものものしく、普通のコーヒーメーカーよりずっとメンテナンスが面倒なのだ。ほとんどの場合、憧れでマシンを買って、メンテの面倒さに気を削がれてお蔵入り、というコースを辿る。
いろんなマシンを比較して、値段などつらつらみながら、「うーん、衝動買いするには高いなあ…」などと思いながら買うつもりなく眺めていると、「ご試飲されませんか?」という販売員の声がかかった。では遠慮なく、と頂く。
ふうん、いい香りだなあ、などと思いながら試飲。メンテの方法や豆のコストなどいろいろ訊ねる。
飲み終わって、別のマシンの説明書を読んでいると、また別のメーカーが試飲を勧めている。
何だかとても高級そうなイメージのマシン。販売員もヨドバシにいるのが不自然なほど、品の良い制服を着ている。高いんだろうなあ…と思いながら、試飲。
一口飲んで驚愕した。
これまで口にしたどんなコーヒーより美味しい。
ええ〜っこれなあに〜!?と心の中で叫んだ。
あまりにも美味しくて感動し、マシンの低価格に感動し、メンテナンスの簡単さに感激し、コストパフォーマンスに納得し、ついにこのマシンを拒絶する理由がなくなってしまった。
はい。衝動買いです。
一杯80円未満で、世界最高級の豆を使用し、バリスタが淹れるものとまったく同様の素晴らしいエスプレッソがご家庭で味わえる。
ここまで言ってるのでメーカーの名前を逆に言えなくなった(笑)。
宣伝になるので、どこのものか知りたい方は推理してみてください。
ヒントはスイスのメーカー、日本でも知らない人はいないでしょう。
多くの商品がお菓子コーナーに並んでいる有名な会社です。
どうしても知りたい人はメール下さい(笑)
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兄の仮通夜が明けて、通夜の日に私と娘は一足先に福岡へ戻った。
私の仕事の予定が連日入っていた事と、娘の始業式があったからだ。
本当は火葬まで一緒に居たかったのだが、同時に亡くなった晩までで、私のする事は終わったという感じもしていた。
娘と新大阪駅に行き、小さな将棋のセットを買った。700系の新車両になりとても快適に変わっていた新幹線の中で、娘と一つのお弁当を分けて食べ、将棋をした。
博多に着いた頃、大阪では通夜で大勢の人が兄のもとに駆けつけていた。
大きな荷物を抱えてやっと家に帰り着き、娘の始業式のしたくに追われる。
翌日からまた早起きの日々が始まった。
クライエントさんの為の準備、セルフカウンセリングの為の準備、合間に子供のおやつや食事の準備、そしてカウンセリングやワークを実施すること…。
老犬の介護、粗相の始末、娘の宿題をみてあげること、本を読んでやること、連絡帳への回答…。
いつもやっている事だけれど、坂本が居ないとやはり一人でそのすべてをやる負担は大きい。
そして、カウンセリングやワークの最中はそれに集中していて他の事はまったく考えないのだけれども、家事や掃除などしているとふと何か、ぼーっとして手につかない状態に気づく。
人の死は、考えている以上に人の心にダメージを及ぼす。
いつも人にそう言っているけれど、今回は身をもって体験する。
特にOE(過度激動)を持つ私には、普通の人以上の何かが起きても不思議はない。
必要最低限の仕事以外は、何も増やしたくない、増やせない、という状態になっている事に気づく。
やがて兄の葬式が終わり、翌日まで家族と一緒に過ごした坂本が、深夜に戻ってきた。
翌朝、娘をバス停まで二人で送ってから、どこかでコーヒーを飲もうと坂本に持ちかけた。
二人でマクドに入って(スタバが良かったのに。ケチが一緒だとどうもランクが落ちるのだ。ブーブー)大阪の事をあれこれ話す。
話していて気づく。
私はつくづく、兄の人生が可哀想でならなかったのだ。
人の人生、人のした選択、それは誰にもどうしてやる事も出来ないのだけれど。
それでも、兄には幸せでいてほしかった。
もっともっと、幸せになって欲しかった。
何度も何度も、その言葉が繰り返される。
私は兄の人柄が好きだったし、もしもっとそばにいる事が出来たら、兄と語り合う事が出来たら、彼をもっと深く理解しもっと好きになっただろう。そして彼の安らぎにつながるようにと、いつも彼を慰めただろう。
今生で、彼に寄り添う機会がなかった事が本当に残念だった。
何だかいろんな事が手に付かないのは、この残念さを深い深い処で感じているからなのだと、ようやく分かった。
坂本は、兄が生まれ変わるとしたら、リスが一番似合っていると言った。
可笑しいけれど、確かにリスになった兄はとても幸福そうに思えた。
バリーさんによれば死の瞬間に、その魂の転生に立ちあった人とは来世での絆がとても深くなるのだそうだ。兄は私たちのそばにやってくるかも知れない。
私の仕事の予定が連日入っていた事と、娘の始業式があったからだ。
本当は火葬まで一緒に居たかったのだが、同時に亡くなった晩までで、私のする事は終わったという感じもしていた。
娘と新大阪駅に行き、小さな将棋のセットを買った。700系の新車両になりとても快適に変わっていた新幹線の中で、娘と一つのお弁当を分けて食べ、将棋をした。
博多に着いた頃、大阪では通夜で大勢の人が兄のもとに駆けつけていた。
大きな荷物を抱えてやっと家に帰り着き、娘の始業式のしたくに追われる。
翌日からまた早起きの日々が始まった。
クライエントさんの為の準備、セルフカウンセリングの為の準備、合間に子供のおやつや食事の準備、そしてカウンセリングやワークを実施すること…。
老犬の介護、粗相の始末、娘の宿題をみてあげること、本を読んでやること、連絡帳への回答…。
いつもやっている事だけれど、坂本が居ないとやはり一人でそのすべてをやる負担は大きい。
そして、カウンセリングやワークの最中はそれに集中していて他の事はまったく考えないのだけれども、家事や掃除などしているとふと何か、ぼーっとして手につかない状態に気づく。
人の死は、考えている以上に人の心にダメージを及ぼす。
いつも人にそう言っているけれど、今回は身をもって体験する。
特にOE(過度激動)を持つ私には、普通の人以上の何かが起きても不思議はない。
必要最低限の仕事以外は、何も増やしたくない、増やせない、という状態になっている事に気づく。
やがて兄の葬式が終わり、翌日まで家族と一緒に過ごした坂本が、深夜に戻ってきた。
翌朝、娘をバス停まで二人で送ってから、どこかでコーヒーを飲もうと坂本に持ちかけた。
二人でマクドに入って(スタバが良かったのに。ケチが一緒だとどうもランクが落ちるのだ。ブーブー)大阪の事をあれこれ話す。
話していて気づく。
私はつくづく、兄の人生が可哀想でならなかったのだ。
人の人生、人のした選択、それは誰にもどうしてやる事も出来ないのだけれど。
それでも、兄には幸せでいてほしかった。
もっともっと、幸せになって欲しかった。
何度も何度も、その言葉が繰り返される。
私は兄の人柄が好きだったし、もしもっとそばにいる事が出来たら、兄と語り合う事が出来たら、彼をもっと深く理解しもっと好きになっただろう。そして彼の安らぎにつながるようにと、いつも彼を慰めただろう。
今生で、彼に寄り添う機会がなかった事が本当に残念だった。
何だかいろんな事が手に付かないのは、この残念さを深い深い処で感じているからなのだと、ようやく分かった。
坂本は、兄が生まれ変わるとしたら、リスが一番似合っていると言った。
可笑しいけれど、確かにリスになった兄はとても幸福そうに思えた。
バリーさんによれば死の瞬間に、その魂の転生に立ちあった人とは来世での絆がとても深くなるのだそうだ。兄は私たちのそばにやってくるかも知れない。
4日、ダラムサラからバリー博士が来日し、広島の西光寺でセミナーをするという絶好の機会に、何とかスケジュールを調整して駆けつけた。
会員さんの二人が、深夜の長距離バスで一緒に旅してくれた事は嬉しかった。
バリーさんと再会した瞬間、私がこうしてバリーさんにこの日会う事は、必然のように思った。私がそこへ加わる事が、あらかじめ設定されていたかのような調和を感じた。
西光寺の素晴らしい自然に囲まれ、一日目のセッションが終わった。宿へ向かい、夜行バスで疲れた体をやっと横たえて休憩した。福岡に置いてきた娘の事がきがかりで電話すると、夫の兄が会社で倒れ、危篤状態になったという。
夫は大阪の兄の処へ駆けつけるつもりはない様子だった。
私にすれば、実の兄が危篤というのに駆けつけないという話はあり得ない。
すぐに大阪へ向かうようにと説得するが、彼はなかなかうんと言わない。
一晩、とにかく考えるようにと言って、電話を切ったが、私の頭の中では、彼を、息のあるうちに兄の元へ連れて行かなければならないという使命で一杯だった。
とにかく広島と行ってもかなりの田舎で、電車がとても少ないので、すぐにその場で動く事が出来ない。時刻表を調べ、翌日のワークを昼まででキャンセルする事にした。
朝になり、夫に電話した。
「とにかくあなたが何を言おうが大阪には連れて行くから。そのつもりで準備をして待っていて」
アスペルガーの夫はこういう緊急事態に対応する柔軟性も社会常識もまったく持ち合わせていない。私が彼の行動を手配しなければ彼は自分から大阪に行くとは言い出さないのだ。
西光寺へ向かい、バリーさんと少し話す時間をもらった。
私がこのセッションの中で聞きたかった質問に答えてもらい、死に瀕した兄の為に、私が成すべき事は何かの教えを乞うた。
バリーさんと他の参加メンバー全員が、兄やショックを受けている家族の為に祈ってくれるという。
私は、彼らの祈りを兄に届ける媒体として、広島から大阪に向かった。
夫は「あなたは大阪にすぐに駆けつけるべきである」という私の強固な意志に動かされ、大阪に自力で向かうと言ってくれた。それで私は博多に戻らず、そのまま一足先に大阪へ向かった。
その道中も含め、可能な限り兄の為にトンレンの瞑想をした。
多くの人が兄の為に祈っている事を背中で受け取り、呼吸に変えて、兄に届けようと務めた。
大阪に到着し病室に駆けつけた。
兄の顔は脳からの出血で晴れ上がり、もはや面影はほとんど失われていた。
義母の元に駆け寄り、抱きしめると義母は私の腕にすがって涙を流した。
兄がもう助かる見込みのない状態にある事は、一目でわかった。
それでも義姉、義母、兄の妻は、奇蹟の回復を諦めようとしなかった。言葉をかけ続け、腕をさすり、手を握って、ベッドの傍らに立ち続けて、内部で出血の続く頭部を氷水で冷やしたタオルで冷やし続けた。義姉はすでに2晩、徹夜し、食事もほとんど取っていない状態で献身的な看護を続けていた。
兄の家族すべてが、嘆き、痛み、兄の死の現実に抵抗を続けていた。
私だけが、兄の死を受け入れていた。
死に逝く兄の魂が平安である事と、その来世への旅立ちがせめて今生より良いものになるようにと願い続けていた。
今そこで死に瀕した苦しみの中にある兄が、ほんの一呼吸だけでも安らぐようにと願い続け、彼の苦しみや死への恐怖を呼吸で受け取って、私の体を通じて安らぎに変えて呼吸で返す、という瞑想を続けていた。
やがて夫と娘が夜更けに到着した。これで兄の血族が全員揃った。
「頑張ってるね!大丈夫だよ!良くなってきてるよ!」「みんなそばにいるからね!大丈夫だよ!頑張って!」と励ます家族とは明らかに違う立場の私だった。だからこそ、静かに、家族の邪魔にならないように振る舞う事にも気遣った。生還を願う家族と、転生を見守ろうとする私ではあまりにも向き合い方が違う。家族にとって、私は兄の死を待つ存在にも思えるだろう。だから私は静かに、何も言わず兄の手を握り、夫とあまりにも似ているその指や、足の形を見ていた。そして彼の体を通じて、この人が私の愛する夫と血を分けた兄弟であることを深く感じていた。
やがて兄の自発呼吸はとまり、呼吸器による強制呼吸だけで心臓を支える状態になった。もしこの状態で容態が安定してしまえば、植物状態となる。
家族が一瞬、病室を離れた時にだけ、私は兄の耳元で涙を流しささやいた。
「お兄さん。次には、楽しむ事や休む事を覚える為の人生を送ってね。待ってます。またお会いしましょうね」
証券マンとして、最後まで張りつめた人生を送った兄だった。楽しむ事を知らず、自分を幸福にする事から背を向けて、ただただ周囲の人や社会の事、日本の事を考えて走り続けた企業戦士だった。
それを思うと、兄が哀れでならなかった。兄が元気なうちに、兄の心に寄り添う機会がなかった事が残念でたまらなかった。
翌日の午後3時18分、倒れてから丸4日後、兄の心臓は静かに止まった。
体の機能が、徐々に徐々に失われていくさまを、兄は示しながら死んだ。
亡くなる数時間前には、血圧は30という状態で、心拍の早さで下がった血圧を補うために懸命に生きていた。兄の心臓は、司令塔である脳を失っても、孤軍奮闘しながら、生命を最後まで支えようと働いた。そして、最後まで諦めず鼓動を続け、ついに力尽きて静かに止まった。
大阪で生まれ、全国を転々としながら、最後には大阪で死んだ。
オリンピックの年に生まれ、オリンピックの年に死んだ。
倒れた時刻とほぼ同じ時刻に、死んだ。
兄は、その日倒れる事など夢にも思わなかっただろう。
最後に取った昼食が、自分の生涯最後の食事になる事など思いもしなかっただろう。
朝出てきた家に、いつものように帰るつもりで出てきた事だろう。
通い慣れた道を、いつものように疲れた足取りで戻るつもりでいただろう。
けれども突然に、兄の人生は終わった。
仮通夜を家族と共に過ごし、私と娘は先に福岡に戻った。
通夜にも葬儀にも、職場から多くの人が駆けつけた。
突然に親しい同僚を失った彼らの、惜しむ声はいかばかりだっただろうか。
人の明日は、誰にもわからない。
その本人でさえも。
私はいつも、明日死ぬとしても、という気持ちで生きている。
兄の死に際して、またその思いを深くした。
兄の冥福と幸福な来世への転生を心から願う。
会員さんの二人が、深夜の長距離バスで一緒に旅してくれた事は嬉しかった。
バリーさんと再会した瞬間、私がこうしてバリーさんにこの日会う事は、必然のように思った。私がそこへ加わる事が、あらかじめ設定されていたかのような調和を感じた。
西光寺の素晴らしい自然に囲まれ、一日目のセッションが終わった。宿へ向かい、夜行バスで疲れた体をやっと横たえて休憩した。福岡に置いてきた娘の事がきがかりで電話すると、夫の兄が会社で倒れ、危篤状態になったという。
夫は大阪の兄の処へ駆けつけるつもりはない様子だった。
私にすれば、実の兄が危篤というのに駆けつけないという話はあり得ない。
すぐに大阪へ向かうようにと説得するが、彼はなかなかうんと言わない。
一晩、とにかく考えるようにと言って、電話を切ったが、私の頭の中では、彼を、息のあるうちに兄の元へ連れて行かなければならないという使命で一杯だった。
とにかく広島と行ってもかなりの田舎で、電車がとても少ないので、すぐにその場で動く事が出来ない。時刻表を調べ、翌日のワークを昼まででキャンセルする事にした。
朝になり、夫に電話した。
「とにかくあなたが何を言おうが大阪には連れて行くから。そのつもりで準備をして待っていて」
アスペルガーの夫はこういう緊急事態に対応する柔軟性も社会常識もまったく持ち合わせていない。私が彼の行動を手配しなければ彼は自分から大阪に行くとは言い出さないのだ。
西光寺へ向かい、バリーさんと少し話す時間をもらった。
私がこのセッションの中で聞きたかった質問に答えてもらい、死に瀕した兄の為に、私が成すべき事は何かの教えを乞うた。
バリーさんと他の参加メンバー全員が、兄やショックを受けている家族の為に祈ってくれるという。
私は、彼らの祈りを兄に届ける媒体として、広島から大阪に向かった。
夫は「あなたは大阪にすぐに駆けつけるべきである」という私の強固な意志に動かされ、大阪に自力で向かうと言ってくれた。それで私は博多に戻らず、そのまま一足先に大阪へ向かった。
その道中も含め、可能な限り兄の為にトンレンの瞑想をした。
多くの人が兄の為に祈っている事を背中で受け取り、呼吸に変えて、兄に届けようと務めた。
大阪に到着し病室に駆けつけた。
兄の顔は脳からの出血で晴れ上がり、もはや面影はほとんど失われていた。
義母の元に駆け寄り、抱きしめると義母は私の腕にすがって涙を流した。
兄がもう助かる見込みのない状態にある事は、一目でわかった。
それでも義姉、義母、兄の妻は、奇蹟の回復を諦めようとしなかった。言葉をかけ続け、腕をさすり、手を握って、ベッドの傍らに立ち続けて、内部で出血の続く頭部を氷水で冷やしたタオルで冷やし続けた。義姉はすでに2晩、徹夜し、食事もほとんど取っていない状態で献身的な看護を続けていた。
兄の家族すべてが、嘆き、痛み、兄の死の現実に抵抗を続けていた。
私だけが、兄の死を受け入れていた。
死に逝く兄の魂が平安である事と、その来世への旅立ちがせめて今生より良いものになるようにと願い続けていた。
今そこで死に瀕した苦しみの中にある兄が、ほんの一呼吸だけでも安らぐようにと願い続け、彼の苦しみや死への恐怖を呼吸で受け取って、私の体を通じて安らぎに変えて呼吸で返す、という瞑想を続けていた。
やがて夫と娘が夜更けに到着した。これで兄の血族が全員揃った。
「頑張ってるね!大丈夫だよ!良くなってきてるよ!」「みんなそばにいるからね!大丈夫だよ!頑張って!」と励ます家族とは明らかに違う立場の私だった。だからこそ、静かに、家族の邪魔にならないように振る舞う事にも気遣った。生還を願う家族と、転生を見守ろうとする私ではあまりにも向き合い方が違う。家族にとって、私は兄の死を待つ存在にも思えるだろう。だから私は静かに、何も言わず兄の手を握り、夫とあまりにも似ているその指や、足の形を見ていた。そして彼の体を通じて、この人が私の愛する夫と血を分けた兄弟であることを深く感じていた。
やがて兄の自発呼吸はとまり、呼吸器による強制呼吸だけで心臓を支える状態になった。もしこの状態で容態が安定してしまえば、植物状態となる。
家族が一瞬、病室を離れた時にだけ、私は兄の耳元で涙を流しささやいた。
「お兄さん。次には、楽しむ事や休む事を覚える為の人生を送ってね。待ってます。またお会いしましょうね」
証券マンとして、最後まで張りつめた人生を送った兄だった。楽しむ事を知らず、自分を幸福にする事から背を向けて、ただただ周囲の人や社会の事、日本の事を考えて走り続けた企業戦士だった。
それを思うと、兄が哀れでならなかった。兄が元気なうちに、兄の心に寄り添う機会がなかった事が残念でたまらなかった。
翌日の午後3時18分、倒れてから丸4日後、兄の心臓は静かに止まった。
体の機能が、徐々に徐々に失われていくさまを、兄は示しながら死んだ。
亡くなる数時間前には、血圧は30という状態で、心拍の早さで下がった血圧を補うために懸命に生きていた。兄の心臓は、司令塔である脳を失っても、孤軍奮闘しながら、生命を最後まで支えようと働いた。そして、最後まで諦めず鼓動を続け、ついに力尽きて静かに止まった。
大阪で生まれ、全国を転々としながら、最後には大阪で死んだ。
オリンピックの年に生まれ、オリンピックの年に死んだ。
倒れた時刻とほぼ同じ時刻に、死んだ。
兄は、その日倒れる事など夢にも思わなかっただろう。
最後に取った昼食が、自分の生涯最後の食事になる事など思いもしなかっただろう。
朝出てきた家に、いつものように帰るつもりで出てきた事だろう。
通い慣れた道を、いつものように疲れた足取りで戻るつもりでいただろう。
けれども突然に、兄の人生は終わった。
仮通夜を家族と共に過ごし、私と娘は先に福岡に戻った。
通夜にも葬儀にも、職場から多くの人が駆けつけた。
突然に親しい同僚を失った彼らの、惜しむ声はいかばかりだっただろうか。
人の明日は、誰にもわからない。
その本人でさえも。
私はいつも、明日死ぬとしても、という気持ちで生きている。
兄の死に際して、またその思いを深くした。
兄の冥福と幸福な来世への転生を心から願う。
私は毎年、2月3月に体調を崩す事が多い。
面白い事に、四柱推命で見ると私の運勢が一年の内で一番落ちるのは2月と3月(寅月、卯月)なのだそうだ。寅と卯の時は私にとって凶の時期。寅年、卯年が来たらその2年はまさに要注意、12年に一度の最悪の時だ。再来年がその最悪の時期になるらしい。
占いと心理学は、実は結構仲が良い。
ユングは晩年、占いやオカルトを熱心に研究していた事で知られている。
クレッチマーは体格とその人の性格に相関性があるという研究結果をレポートした。
(やせ形で長身の人は神経質、太っている人は大らか、筋肉質ながっちり型は執着質などなど)
占いは命・卜・相(めい・ぼく・そう)の三種類に大別される。
命(四柱推命、星座占い、西洋占星術、算命学、九星気学など)
卜(易、タロット占い、ルーン占い、ダイス占い、水晶占いなど)
相(手相、人相、風水など)
私は、偶然性によって結果を予測する卜(ぼく)のものは術者を信用していない為、あまり興味を持たなかった。命(めい)の占いは、なかなか面白いなと思う。術者が誰であれ、結果は同じだからだ。相(ソウ)の占いはかなりどうでもいいと思っているし信用していない。手相に関しては自分の人生にシンクロして変化するそうなので、ちょっとだけ気にかけている。
特に、四柱推命は結構勉強してみた事があるのだが、自分のこれまでの人生の大きなイベントと、四柱推命での吉凶はシンクロしているものが多く、興味深いなと思う。
占いの結果が当たったとか外れたというのも、心理的な作用で影響される。
人は信じたいように信じてしまうので、結果の判断も客観的とは言えない。
私は科学者の目(覚めていて客観的な姿勢)で、占いの結果を観察しようと心がけている。
占いそのものもとても面白いと思うし、占いの結果で一喜一憂してしまう人の心も面白いと思うからだ。
2、3月は体調を崩す時期。
そう思っているから体調を崩してしまう事もあり得る。(マイナスのプラシーボ)
今年、インドから帰って気温差にやられたらしく風邪を引き、風邪から咳喘息に。
忙しくて咳喘息の治療に行けてないものだから1ヶ月引っ張っている。
あらかじめこの時期は運勢が悪いと分かっていれば、覚悟したり、よくない事を最小にしようとして注意する事もできる、というのが命(めい)の占いの効用だ。
面白い事に、四柱推命で見ると私の運勢が一年の内で一番落ちるのは2月と3月(寅月、卯月)なのだそうだ。寅と卯の時は私にとって凶の時期。寅年、卯年が来たらその2年はまさに要注意、12年に一度の最悪の時だ。再来年がその最悪の時期になるらしい。
占いと心理学は、実は結構仲が良い。
ユングは晩年、占いやオカルトを熱心に研究していた事で知られている。
クレッチマーは体格とその人の性格に相関性があるという研究結果をレポートした。
(やせ形で長身の人は神経質、太っている人は大らか、筋肉質ながっちり型は執着質などなど)
占いは命・卜・相(めい・ぼく・そう)の三種類に大別される。
命(四柱推命、星座占い、西洋占星術、算命学、九星気学など)
卜(易、タロット占い、ルーン占い、ダイス占い、水晶占いなど)
相(手相、人相、風水など)
私は、偶然性によって結果を予測する卜(ぼく)のものは術者を信用していない為、あまり興味を持たなかった。命(めい)の占いは、なかなか面白いなと思う。術者が誰であれ、結果は同じだからだ。相(ソウ)の占いはかなりどうでもいいと思っているし信用していない。手相に関しては自分の人生にシンクロして変化するそうなので、ちょっとだけ気にかけている。
特に、四柱推命は結構勉強してみた事があるのだが、自分のこれまでの人生の大きなイベントと、四柱推命での吉凶はシンクロしているものが多く、興味深いなと思う。
占いの結果が当たったとか外れたというのも、心理的な作用で影響される。
人は信じたいように信じてしまうので、結果の判断も客観的とは言えない。
私は科学者の目(覚めていて客観的な姿勢)で、占いの結果を観察しようと心がけている。
占いそのものもとても面白いと思うし、占いの結果で一喜一憂してしまう人の心も面白いと思うからだ。
2、3月は体調を崩す時期。
そう思っているから体調を崩してしまう事もあり得る。(マイナスのプラシーボ)
今年、インドから帰って気温差にやられたらしく風邪を引き、風邪から咳喘息に。
忙しくて咳喘息の治療に行けてないものだから1ヶ月引っ張っている。
あらかじめこの時期は運勢が悪いと分かっていれば、覚悟したり、よくない事を最小にしようとして注意する事もできる、というのが命(めい)の占いの効用だ。
実家にいる19才の猫が 今日の夜 昇天した。
ボランティアの人たちが手伝いにきてくれていて 珍しく人が何人も仕事にいそしんでいるちょうどその時だった。
9月から調子が悪く それでも母が一生懸命看病して何とか生きている状態で
それでも 12月の初めに母が「年を越せるかわからない」と言った。
年末には出来るだけ急いで会いにいくからと言っていた。
それでも 間に合わなかった。
母が泣きながら電話して来た。
「今 死んじゃったから」
夕方仕事から帰った父が見ると、もう虫の息だったらしい。父は「もうすぐお母さんが帰ってくるからな。待っててやれよ」と猫に声を掛けた。母が仕事から帰るのを本当に待っていたのだろう。母が駆けつけるとすぐにすーっと息を引き取ったそうだ。
その猫は19年前 私が命を助けて育てた猫だった。
へその緒がついた状態でまだ羊水に濡れ、血がもついている状態の3匹の子猫だった。それを段ボールに入れて、雨の降る公園に捨てた人の気が知れない。私は犬だか猫だかネズミだかさえ解らないその赤ちゃん動物を見捨てることが出来ず、抱きかかえて家に走った。
冷たくて、もう死にそうだった。すぐにお湯に入れ体を暖めてマッサージすると、もじもじと動き、ミーというよりチーという音に近い声を上げて、「生きているよ」と主張した3匹。
それから寝ずの育児が始まった。生後10日を過ぎたころ、「賢(かしこ)」と名付けた1匹が風邪にかかり、看病の甲斐なく肺炎で死んだ。ものすごく苦しそうな最後だった。あんなに苦しんで、最後まで生きようと頑張ることが、果たして出来るだろうかと思うほどの苦しみようだった。かしこは私に「命の限り生きる勇気」を教えて、そして死んだ。
残りの2匹を助けようと、私も命がけになった。バイト先で居眠りをしてしまうほど、毎日睡眠不足で育児した。
19年生きたのは そうして育った猫だった。名前は康(すこや)。すこやかに育って欲しいという願いでつけた名前だった。いつもスコちゃんと呼ばれていた。犬のように言うことを聞き、名前を呼ぶと「にゃー」と返事をしながらやってきた。犬の散歩にいつもついてくる珍しい猫だった。夫が「こんなに意志疎通が出来る賢い猫は見たことがない」と言った。一緒に育ったもう1匹「清(きよら)」は熊本に引っ越ししてまもなく家出して居なくなった。
最後まで家に残り、家族として過ごした すこやは 私の大事な友達で かけがえのないぬくもりだった。
19年。
十分、長生きした。
猫の体を持っていたけれど、その中には 何百歳かの魂が宿っていた。
いつも思慮深い目をして 人間を優しく 時に厳しく見つめていたスコ。
私の首の上に寝そべり ごろごろと幸せのドラムを鳴らしていたスコ。
私の処に来てくれてありがとう。
甘えん坊でさびしがり屋の母さんを毎日慰めてくれてありがとう。
かしこやきよらにはもう会えたかな。
ジルやコロにも会った?
おじいちゃんにもよろしくね。
スコ。お前のいない家は 寒いよ。
お前の体の柔らかいぬくもりが大好きだった。
スコ。また会おうね。
ありがとう。また会おう。きっとまた。
お前がいなくなっても 私は生きてる。
最後に会えなくて ごめん。
クリスマスに天国に行くなんて お前はほんとにカッコいいヤツだ。
「いつか」がやってきたら その時は私を迎えにきてね。
スコ。約束だよ。
ボランティアの人たちが手伝いにきてくれていて 珍しく人が何人も仕事にいそしんでいるちょうどその時だった。
9月から調子が悪く それでも母が一生懸命看病して何とか生きている状態で
それでも 12月の初めに母が「年を越せるかわからない」と言った。
年末には出来るだけ急いで会いにいくからと言っていた。
それでも 間に合わなかった。
母が泣きながら電話して来た。
「今 死んじゃったから」
夕方仕事から帰った父が見ると、もう虫の息だったらしい。父は「もうすぐお母さんが帰ってくるからな。待っててやれよ」と猫に声を掛けた。母が仕事から帰るのを本当に待っていたのだろう。母が駆けつけるとすぐにすーっと息を引き取ったそうだ。
その猫は19年前 私が命を助けて育てた猫だった。
へその緒がついた状態でまだ羊水に濡れ、血がもついている状態の3匹の子猫だった。それを段ボールに入れて、雨の降る公園に捨てた人の気が知れない。私は犬だか猫だかネズミだかさえ解らないその赤ちゃん動物を見捨てることが出来ず、抱きかかえて家に走った。
冷たくて、もう死にそうだった。すぐにお湯に入れ体を暖めてマッサージすると、もじもじと動き、ミーというよりチーという音に近い声を上げて、「生きているよ」と主張した3匹。
それから寝ずの育児が始まった。生後10日を過ぎたころ、「賢(かしこ)」と名付けた1匹が風邪にかかり、看病の甲斐なく肺炎で死んだ。ものすごく苦しそうな最後だった。あんなに苦しんで、最後まで生きようと頑張ることが、果たして出来るだろうかと思うほどの苦しみようだった。かしこは私に「命の限り生きる勇気」を教えて、そして死んだ。
残りの2匹を助けようと、私も命がけになった。バイト先で居眠りをしてしまうほど、毎日睡眠不足で育児した。
19年生きたのは そうして育った猫だった。名前は康(すこや)。すこやかに育って欲しいという願いでつけた名前だった。いつもスコちゃんと呼ばれていた。犬のように言うことを聞き、名前を呼ぶと「にゃー」と返事をしながらやってきた。犬の散歩にいつもついてくる珍しい猫だった。夫が「こんなに意志疎通が出来る賢い猫は見たことがない」と言った。一緒に育ったもう1匹「清(きよら)」は熊本に引っ越ししてまもなく家出して居なくなった。
最後まで家に残り、家族として過ごした すこやは 私の大事な友達で かけがえのないぬくもりだった。
19年。
十分、長生きした。
猫の体を持っていたけれど、その中には 何百歳かの魂が宿っていた。
いつも思慮深い目をして 人間を優しく 時に厳しく見つめていたスコ。
私の首の上に寝そべり ごろごろと幸せのドラムを鳴らしていたスコ。
私の処に来てくれてありがとう。
甘えん坊でさびしがり屋の母さんを毎日慰めてくれてありがとう。
かしこやきよらにはもう会えたかな。
ジルやコロにも会った?
おじいちゃんにもよろしくね。
スコ。お前のいない家は 寒いよ。
お前の体の柔らかいぬくもりが大好きだった。
スコ。また会おうね。
ありがとう。また会おう。きっとまた。
お前がいなくなっても 私は生きてる。
最後に会えなくて ごめん。
クリスマスに天国に行くなんて お前はほんとにカッコいいヤツだ。
「いつか」がやってきたら その時は私を迎えにきてね。
スコ。約束だよ。
昨日は娘の誕生日だった。
7年前のその日、40時間以上の陣痛に苦しんでようやく彼女が生まれた事を思い出す。
帝王切開だったので2週間入院して家に帰る時 自分の腕の中に小さな赤ちゃんを抱いて帰るのは本当に不思議な感覚だった。「いいんだろうか?こんな価値あるものを私が連れて帰ったりしてもいいんだろうか?」とずっと思っていた。
毎年 彼女の誕生日にはいろいろな事をするけれど 今年は本人のリクエスト通りに全部希望を叶えるという事にした。
最初のリクエストは「映画館で映画を見る」こと。
それから「お昼はMKレストランの桃アンマンを食べ放題すること」「ケーキを作ること」「夕ご飯はカニ」
ネットで調べて昨日封切り初日の「ルイスと未来泥棒」の初回上映分、一番いい席を確保した。
朝、娘は自分で起きて私を起こしに来た。私のベッドに潜り込んできて「もう7才」と言ったので冷たい娘を布団の中で抱きしめて暖めながらハッピーバースデーを歌った。
しばらく一日の計画についてあれこれ話して、朝一番の10時の回に映画を予約しているので急いで出かける支度にかかった。ホークスタウンの映画館に行くのは初めてだが朝一の回にしては結構人がたくさんいた。
当然、最大サイズのポップコーンを購入し館内へ。食べ切れないことは分かっているがイベントを盛り上げるアイテムとして欠かせない。
予想もしていなかったことだが、「ルイスと未来泥棒」は近年のディズニー作品の中では間違いなく最高の作品だった。シナリオの完成度は高く、無駄のない練られたセリフとストーリー構成、絵の表現ともに、ディズニーアニメらしい伸びやかな明るさに満ちて、感動出来る作品だった。孤児ルイスの苦悩と家族が欲しいという強い願いが明るい表現に彩られたストーリーラインにどっしりした重みを持たせている。苦悩を抱えるルイスに共感出来るシーンは数多く、後半以降のエンドシーンへ向けてのルイスの表情表現は素晴らしかった。もちろんビデオを借りて、家でみるのではなく映画館で見る事よる感動効果も大きかったと思うが、これはもう一度映画館に行ってみたいと思うほど好きになれた作品だった。娘も楽しんでいたようだが、親の方が感涙に顏をびちょびちょにして出てきた。
そのままトイザらスへ行き、あれこれ見て、ジェンガを購入。夜みんなでやろうと言うと娘は嬉しそうにはしゃいだ。欲しがっていたシールを買ってあげた。
ドームでふわふわイベントをやっていたのでお腹を空かせるためにも行ってみた。
入場料を払って中に入ると広い球場内にたくさんのふわふわが設置されている。それぞれに別途有料で300円から500円かかる。そして遊べる時間はたった5分。非常にあこぎなシステムである。でも誕生日は一年に一度のサラブレーションだ。好きなものを選んで自由に遊ばせてあげる。
セグウェイの乗車体験コーナーがあった。18才以上しか載れないので大人向けだ。夫をこれに乗せてあげた。私ものろうかと思っていたが、その分のお金を娘にプレゼントしてもうひとつふわふわで遊ばせた。たくさん暴れて疲れた娘はそろそろ眠そうな顏になった。
急いでお昼ご飯を食べさせないと寝てしまう。
予定通り 姪浜のMKレストランに連れていくと娘はいつも以上にもりもり自発的に食べてくれた。しゃぶしゃぶをひとしきり食べた後で大好きな桃アンマンを8つも食べてくれた。
お腹一杯になって、サニーに寄ってケーキの材料を購入。
娘はケーキのデコレーション作業がやりたいので、今回は100円くらいの安い山崎ロールケーキを2本買う。これに好きなようにデコレーションさせてあげることに。飾り用のいちごがまた泣けるほど高いのだが、これも毎年必要経費とあきらめて購入する。
ジェンガで数時間遊んで、ケーキのデコレーションを始める。
ロールケーキを輪切りにし、いちごを1/2、1/4、スライスといろいろな切り方で用意する。
ホイップした生クリームと刻んだクルミも用意。
材料としてこれらを与えると娘は 工作や積み木をするように楽しんで何かの作品を作り上げる。
でき上がったのはケーキのお城だった。
ロウソクを7本立てて、部屋を暗くして、親子三人でハッピーバースデーを歌った。
眠くて眠くて、でも頑張って起きている娘に急いでカニを山盛りにして出し、まだ消化が済まない親は娘が好きなだけ食べるのを見守る。「もういいや」と娘がギブアップして、満足そうな顏をした。
ケーキを一つ食べると、娘はもう座ったままで眠っている。
声を掛けるとうがいをして、ベッドに潜り込み「今日は良いことが一杯だった」と満足げに眠った。
誕生日は年に一度のサラブレーション。
最高の一日にするのが当たり前だ。
私は娘に甘い。
一人っ子らしく親の愛情を一身に受けるのは、彼女が私の娘に生まれたからには当然のことだと思う。
7年前のその日、40時間以上の陣痛に苦しんでようやく彼女が生まれた事を思い出す。
帝王切開だったので2週間入院して家に帰る時 自分の腕の中に小さな赤ちゃんを抱いて帰るのは本当に不思議な感覚だった。「いいんだろうか?こんな価値あるものを私が連れて帰ったりしてもいいんだろうか?」とずっと思っていた。
毎年 彼女の誕生日にはいろいろな事をするけれど 今年は本人のリクエスト通りに全部希望を叶えるという事にした。
最初のリクエストは「映画館で映画を見る」こと。
それから「お昼はMKレストランの桃アンマンを食べ放題すること」「ケーキを作ること」「夕ご飯はカニ」
ネットで調べて昨日封切り初日の「ルイスと未来泥棒」の初回上映分、一番いい席を確保した。
朝、娘は自分で起きて私を起こしに来た。私のベッドに潜り込んできて「もう7才」と言ったので冷たい娘を布団の中で抱きしめて暖めながらハッピーバースデーを歌った。
しばらく一日の計画についてあれこれ話して、朝一番の10時の回に映画を予約しているので急いで出かける支度にかかった。ホークスタウンの映画館に行くのは初めてだが朝一の回にしては結構人がたくさんいた。
当然、最大サイズのポップコーンを購入し館内へ。食べ切れないことは分かっているがイベントを盛り上げるアイテムとして欠かせない。
予想もしていなかったことだが、「ルイスと未来泥棒」は近年のディズニー作品の中では間違いなく最高の作品だった。シナリオの完成度は高く、無駄のない練られたセリフとストーリー構成、絵の表現ともに、ディズニーアニメらしい伸びやかな明るさに満ちて、感動出来る作品だった。孤児ルイスの苦悩と家族が欲しいという強い願いが明るい表現に彩られたストーリーラインにどっしりした重みを持たせている。苦悩を抱えるルイスに共感出来るシーンは数多く、後半以降のエンドシーンへ向けてのルイスの表情表現は素晴らしかった。もちろんビデオを借りて、家でみるのではなく映画館で見る事よる感動効果も大きかったと思うが、これはもう一度映画館に行ってみたいと思うほど好きになれた作品だった。娘も楽しんでいたようだが、親の方が感涙に顏をびちょびちょにして出てきた。
そのままトイザらスへ行き、あれこれ見て、ジェンガを購入。夜みんなでやろうと言うと娘は嬉しそうにはしゃいだ。欲しがっていたシールを買ってあげた。
ドームでふわふわイベントをやっていたのでお腹を空かせるためにも行ってみた。
入場料を払って中に入ると広い球場内にたくさんのふわふわが設置されている。それぞれに別途有料で300円から500円かかる。そして遊べる時間はたった5分。非常にあこぎなシステムである。でも誕生日は一年に一度のサラブレーションだ。好きなものを選んで自由に遊ばせてあげる。
セグウェイの乗車体験コーナーがあった。18才以上しか載れないので大人向けだ。夫をこれに乗せてあげた。私ものろうかと思っていたが、その分のお金を娘にプレゼントしてもうひとつふわふわで遊ばせた。たくさん暴れて疲れた娘はそろそろ眠そうな顏になった。
急いでお昼ご飯を食べさせないと寝てしまう。
予定通り 姪浜のMKレストランに連れていくと娘はいつも以上にもりもり自発的に食べてくれた。しゃぶしゃぶをひとしきり食べた後で大好きな桃アンマンを8つも食べてくれた。
お腹一杯になって、サニーに寄ってケーキの材料を購入。
娘はケーキのデコレーション作業がやりたいので、今回は100円くらいの安い山崎ロールケーキを2本買う。これに好きなようにデコレーションさせてあげることに。飾り用のいちごがまた泣けるほど高いのだが、これも毎年必要経費とあきらめて購入する。
ジェンガで数時間遊んで、ケーキのデコレーションを始める。
ロールケーキを輪切りにし、いちごを1/2、1/4、スライスといろいろな切り方で用意する。
ホイップした生クリームと刻んだクルミも用意。
材料としてこれらを与えると娘は 工作や積み木をするように楽しんで何かの作品を作り上げる。
でき上がったのはケーキのお城だった。
ロウソクを7本立てて、部屋を暗くして、親子三人でハッピーバースデーを歌った。
眠くて眠くて、でも頑張って起きている娘に急いでカニを山盛りにして出し、まだ消化が済まない親は娘が好きなだけ食べるのを見守る。「もういいや」と娘がギブアップして、満足そうな顏をした。
ケーキを一つ食べると、娘はもう座ったままで眠っている。
声を掛けるとうがいをして、ベッドに潜り込み「今日は良いことが一杯だった」と満足げに眠った。
誕生日は年に一度のサラブレーション。
最高の一日にするのが当たり前だ。
私は娘に甘い。
一人っ子らしく親の愛情を一身に受けるのは、彼女が私の娘に生まれたからには当然のことだと思う。
娘はカソリックの小学校に通っているのでクリスマスの行事には気合いが入っている。キリスト教信者にとって、クリスマスは最大の重要イベントだからだ。
今日そのクリスマス会に行き、心洗われる思いで午前中鑑賞して過ごした。
年端も行かない幼い子供たちが、何十人もステージに上がり声を合わせて「天の神様に栄光!私たちにこんなにもお恵みくださる神様、ありがとうございます!」と力いっぱい言う姿を見ると、北朝鮮のようだなあとも思うし、そのまっすぐな瞳の曇りなき美しさに心打たれもする。
娘の表情をよく見たくて、ステージすぐ下の最前列の席に陣取り、全ての出し物をしっかり見てきた。自分の娘だけでなく、壇上の子供たちの一生懸命な姿に、もう何をみても感動して泣けてしかたがない。
娘と一緒に帰る時、「クラスの子から『○○ちゃん(娘の名)のお母さん泣いてたね〜』って言われたよ。ママめっちゃ泣いてたでしょう」といわれた。娘は涙もろいママを恥ずかしく思っただろうか。私は子供の演じる出し物にはめっぽう弱くて、何を見てもけなげで泣けてしまう。
こんなに一生懸命に…とその小さな体で精いっぱい頑張っている純粋な姿に感動して胸が一杯になってしまうのだ。
子供たちは自分に与えられた役割を本当に一生懸命頑張っていたなと思う。その姿を見ることができ、一生懸命な声を聴けて、クリスマス会は本当に行って良かったと思えた。
そして、信仰というものに触れるきっかけを与えてくれるカソリックの学校に娘が行ってくれてありがたいとつくづく思う。自分が信仰している宗教でなくとも、信仰の現場に身を置くと、自分のより善いものを使うという機会が与えられる。そして子供たちが指導に素直にしたがって、神様を愛し、友達を助け、愛をもって生きようとする姿には本当に希望を見るし、胸を打たれる。子供たちが書いた、「神様への手紙」という小さな文章がパンフレットの裏表紙にいくつか載っていた。
「かみさま、世界には私たちに当たり前に与えられているものがなにも与えられていない人々がいます。どうか彼らのために私たちに何ができるか教えてください」「かみさま、私のおじいちゃまとおばあちゃまは、毎年クリスマス会に見に来ることを楽しみしていました。今年は二人とも入院して来ることが出来ません。おじいちゃまとおばあちゃまに聞こえるように、大きな声が出るように助けてください」
どの手紙も純粋な愛に充ち満ちて、私はそれに触れてぼろぼろと泣けてしまう。
私は人間には信仰は必要だと思っている。
それは特定の宗教でなくてもいいかもしれないが、自分の中の善いものを活性化する具体的なきっかけや方法として、信仰を持つことは非常に効率的であると思う。もしも、自分の心を美しく保ちたい、いつも善なるものや美なるものをみつめ、自分の心や世界が良くなることを信じて強くありたいと願うなら、最低でも100年以上歴史ある何かの宗教に入ることをお勧めする。
私も13〜18の頃、修道院に行こうかとかなり本気で考えていた。
世俗から隔絶された世界で神様の事だけを求め、心を鍛えていくことが出来れば、それは世俗で垢にまみれて生きるよりよほど楽だろうと思えたのだった。
実際のところ、今、多くの人の心と向き合い、自分を救う為のより良い方法がありますよと知らせる仕事をしているが、この仕事そのものが深い信仰を持つ修道女の信仰生活に似ていると思う。
クリスマスは本当のクリスチャンのものであって、世俗の人には無関係なはずだが、世俗の人が愛を語らう機会としてクリスマスを都合よく利用している事を、キリストは多分許しているだろう。
今日そのクリスマス会に行き、心洗われる思いで午前中鑑賞して過ごした。
年端も行かない幼い子供たちが、何十人もステージに上がり声を合わせて「天の神様に栄光!私たちにこんなにもお恵みくださる神様、ありがとうございます!」と力いっぱい言う姿を見ると、北朝鮮のようだなあとも思うし、そのまっすぐな瞳の曇りなき美しさに心打たれもする。
娘の表情をよく見たくて、ステージすぐ下の最前列の席に陣取り、全ての出し物をしっかり見てきた。自分の娘だけでなく、壇上の子供たちの一生懸命な姿に、もう何をみても感動して泣けてしかたがない。
娘と一緒に帰る時、「クラスの子から『○○ちゃん(娘の名)のお母さん泣いてたね〜』って言われたよ。ママめっちゃ泣いてたでしょう」といわれた。娘は涙もろいママを恥ずかしく思っただろうか。私は子供の演じる出し物にはめっぽう弱くて、何を見てもけなげで泣けてしまう。
こんなに一生懸命に…とその小さな体で精いっぱい頑張っている純粋な姿に感動して胸が一杯になってしまうのだ。
子供たちは自分に与えられた役割を本当に一生懸命頑張っていたなと思う。その姿を見ることができ、一生懸命な声を聴けて、クリスマス会は本当に行って良かったと思えた。
そして、信仰というものに触れるきっかけを与えてくれるカソリックの学校に娘が行ってくれてありがたいとつくづく思う。自分が信仰している宗教でなくとも、信仰の現場に身を置くと、自分のより善いものを使うという機会が与えられる。そして子供たちが指導に素直にしたがって、神様を愛し、友達を助け、愛をもって生きようとする姿には本当に希望を見るし、胸を打たれる。子供たちが書いた、「神様への手紙」という小さな文章がパンフレットの裏表紙にいくつか載っていた。
「かみさま、世界には私たちに当たり前に与えられているものがなにも与えられていない人々がいます。どうか彼らのために私たちに何ができるか教えてください」「かみさま、私のおじいちゃまとおばあちゃまは、毎年クリスマス会に見に来ることを楽しみしていました。今年は二人とも入院して来ることが出来ません。おじいちゃまとおばあちゃまに聞こえるように、大きな声が出るように助けてください」
どの手紙も純粋な愛に充ち満ちて、私はそれに触れてぼろぼろと泣けてしまう。
私は人間には信仰は必要だと思っている。
それは特定の宗教でなくてもいいかもしれないが、自分の中の善いものを活性化する具体的なきっかけや方法として、信仰を持つことは非常に効率的であると思う。もしも、自分の心を美しく保ちたい、いつも善なるものや美なるものをみつめ、自分の心や世界が良くなることを信じて強くありたいと願うなら、最低でも100年以上歴史ある何かの宗教に入ることをお勧めする。
私も13〜18の頃、修道院に行こうかとかなり本気で考えていた。
世俗から隔絶された世界で神様の事だけを求め、心を鍛えていくことが出来れば、それは世俗で垢にまみれて生きるよりよほど楽だろうと思えたのだった。
実際のところ、今、多くの人の心と向き合い、自分を救う為のより良い方法がありますよと知らせる仕事をしているが、この仕事そのものが深い信仰を持つ修道女の信仰生活に似ていると思う。
クリスマスは本当のクリスチャンのものであって、世俗の人には無関係なはずだが、世俗の人が愛を語らう機会としてクリスマスを都合よく利用している事を、キリストは多分許しているだろう。
何だか何度も目が覚めて、眠れない。
こういう時には寝ようとするのをあきらめる。
うまく行かないことを行かせようとすると 自分の中で摩擦が起きて 新たな苦しみを作り出すことのほうが多い。だから、こういう時には 「私は眠くなるまで寝ようとしない」と決めてベッドを這い出す。
夜に考え事をするのは たいていネガティブな結論に転げ落ちるので好きではない。
実際、眠れない事だってうまく行っていないわけで、気分は何となくハナッから
ブルーである。ちょっとため息モードで起きてきて、さあ なにしよう?
考え事は、今は却下。
それで、戯れにIQテストなど。
http://www.iqtest.dk/main.swf
このテストはかなり信頼性の高いものだそうだ。英語が読めなくても大丈夫。テストの内容は国籍や教育レベルに関係なくその人の生涯変わらないIQを測定するよう設計されている。
平均が100なので110あれば十分優秀だ。
問題を解き始めると理論脳が活発に動き始め、血液がそっちに重点的に回される
ためか、感情脳がすーっと落ち着いていくのが分かる。
不快な感じも不安な感じも全部消えていく。
そして論理的な思考、純粋に知能を活動させる楽しさに没頭していく。
分からない問題に突き当たるのも好きだ。
解けない問題はない、という信念をもってあきらめずその問題を眺める。
目を閉じて考え続ける。するとその問題の解法がまるで天から何か降りてきたよ
うにすーっと見える事がある。この時の降りてくる何かは、ひらめきであって、
この類いの問題はひらめかない限り絶対に一生解けないようになっている。
その瞬間、あ、そっか。そうかそうか!と脳はとても気持ち良くなる。
いわゆる、「アハ体験」の究極版である。
子供の頃は、こうして「分からないことにじっくり取り組む」という姿勢が出来
なかった。大人になるというのは実際、本当にいろいろな事が育つのだなあとし
みじみ思う。
私は趣味として、こういう問題を解くことそのものが好きだ。
で、こういう遊びをして満足したので寝ようかなと思いながら一度パソコンを閉
じた。真っ暗な部屋の中、犬も子供もぐっすり眠っている。
ふと今の気分を書き記しておきたくなってこのブログを書くことにした。
自分の能力を活かして生きていくというのは どういう事だろうと思う。
今日、夫がネットで評判の米を玄米で仕入れてきて、それを精米したいと言い出
した。二人で精米所を探して城南区を彷徨う。
彼が油山のふもとに、コイン精米所が一件あるはずだという。
その場所に行こうという事で出発。
でも出発してから、彼がろくにそこの場所を特定せずに車を走らせていることに
気づく。
その場所は、3日前に彼がネットで探し当てた時に私に地図を一瞬見せてくれた
のだが、その時点では私は別にそこへ行くつもりはなかったので、「ふーん」と
3秒だけ何の意識もせず画面を眺めたに過ぎなかった。
「ちょっと、これは無理だよ。情報が少なすぎる。出直そうよ」
車の助手席で、私は彼が自分で地図を印刷するなり覚えてくるなりしなかった事
をなじる。でも彼は駄目もとでと、油山のふもと付近をぐるぐる走り続ける。
どうしても今日精米して、今晩、この米を食べたいらしい。
やれやれ、と、しかたなく、彼の為に精米所探しに協力することにする。
闇雲にぐるぐる走ったからといって見つかるようなものじゃない。
スーパーや郵便局を探すのとは訳がちがう。
こういうレアなものを探すには探す手順というものがある。
3日前、3秒見ただけの画像。
数少ない彼の持つ情報。
それらを合わせて、目的の精米所にたどり着いた。
多分、私が協力しなければ彼は絶対にここを見つけられなかっただろう。
これも自分の持つ能力を活かして生きることの一つの例だ。
私は今、たまたまカウンセラーという仕事をしているが そもそも、この仕
事も出来るからやっているだけだ。他にも出来る仕事はたくさんあるだろう。
だいたいに置いて、仕事で頼まれてやれない事の方が限られているのではな
いかと思うくらい、私はどんな仕事でもこなす自信がある。
けれども、出来ることと続けられることは別々の能力だ。
ほとんど何にでも興味を示すかわりに何でもすぐ飽きる事が特徴のこの私が、
今もこの仕事を続けてきたのはやはり好きだからなんだろうと思う。
仕事には飽きるけれど、人には飽きない。
人の心はみんな、一人ひとり違うからだ。
他に私はこれからの人生の中でどんな事を仕事にするんだろうか。
海外に行って支援活動に身を投じるのもいいなと思う。
どこかの離島で宿泊施設か食堂なんかをやるのもいいなと思う。
何かの国家資格を取って(学校に行き直すのは嫌なので多分学歴不要の弁護
士などになるだろうけど)それを活かすのもいいなと思うし。
これは自分がやるしかないんじゃないか、と思うようなことに出会ったら、
私はその世界に飛び込むような気がする。しかもその世界に永住する気はま
ったくない。
私は生まれながらにして 定住しない人間のようだ。
ずっとどこかを移り続けていく。
大きく言ってみれば、この地球全体が、自分の生涯の遊び場のような感じを
もっている。私は多分、死ぬまで何かをして遊んでいるだろう。
私自身は留まらないという性質だけれども、私が作ったものは出来るだけ存
続させてあげたいという気持ちはとてもたくさん持っている。
たとえば、今やっているNPOは私が居なくなっても活動を続けていくように
育てて行きたいと思う。私が居なくても誰かが代りになれるようにと思う。
喫茶店をオープンしたら、その喫茶店に私が毎日居なくても、そこは経営的
に成り立つように仕組み作りをして、後は誰かが働く場になればいいと思う。
私は多分、大金を手にしたらその金を元手にして出来るだけ大勢の人が何か
を得る事のできる仕組み(事業)を興すだろう。
そして私が手放しになってもその仕組みの中で人々が働く場を得、サービス
を得ていくようになる事を前提に仕組みを作るだろう。私の権利はその仕組
みの中で上がる純利益の数パーセントで十分だという気持ちだ。
簡単に言えば、利益を出せる店を10店舗作って、そこの純利からわずかづ
つもらえればそれだけで生きていけるだけの最低のお金は集まるからだ。
私はそういう仕組みづくりで生きていけるし、仕組みの中で生きていけるだ
けの報酬を得る人たちも生まれる。
私が一人で生きていくのはそう難しいことじゃない。
だから独り立ち出来ない状態の家族を生かして支えるのは私の役目なんだろ
うと思う。
私にとって仕組み作りを考えるのはそう難しいことじゃない。
だから他の人にも生きていくチャンス、活躍できる場をたくさん作ってあげ
たい。
あとは私に大金のチャンスがあるかどうか、だなあと思っている。
宝くじ、当たらないかなあ。
とりあえずそうねえ、一億あれば結構、楽しめるんだけど。
こういう時には寝ようとするのをあきらめる。
うまく行かないことを行かせようとすると 自分の中で摩擦が起きて 新たな苦しみを作り出すことのほうが多い。だから、こういう時には 「私は眠くなるまで寝ようとしない」と決めてベッドを這い出す。
夜に考え事をするのは たいていネガティブな結論に転げ落ちるので好きではない。
実際、眠れない事だってうまく行っていないわけで、気分は何となくハナッから
ブルーである。ちょっとため息モードで起きてきて、さあ なにしよう?
考え事は、今は却下。
それで、戯れにIQテストなど。
http://www.iqtest.dk/main.swf
このテストはかなり信頼性の高いものだそうだ。英語が読めなくても大丈夫。テストの内容は国籍や教育レベルに関係なくその人の生涯変わらないIQを測定するよう設計されている。
平均が100なので110あれば十分優秀だ。
問題を解き始めると理論脳が活発に動き始め、血液がそっちに重点的に回される
ためか、感情脳がすーっと落ち着いていくのが分かる。
不快な感じも不安な感じも全部消えていく。
そして論理的な思考、純粋に知能を活動させる楽しさに没頭していく。
分からない問題に突き当たるのも好きだ。
解けない問題はない、という信念をもってあきらめずその問題を眺める。
目を閉じて考え続ける。するとその問題の解法がまるで天から何か降りてきたよ
うにすーっと見える事がある。この時の降りてくる何かは、ひらめきであって、
この類いの問題はひらめかない限り絶対に一生解けないようになっている。
その瞬間、あ、そっか。そうかそうか!と脳はとても気持ち良くなる。
いわゆる、「アハ体験」の究極版である。
子供の頃は、こうして「分からないことにじっくり取り組む」という姿勢が出来
なかった。大人になるというのは実際、本当にいろいろな事が育つのだなあとし
みじみ思う。
私は趣味として、こういう問題を解くことそのものが好きだ。
で、こういう遊びをして満足したので寝ようかなと思いながら一度パソコンを閉
じた。真っ暗な部屋の中、犬も子供もぐっすり眠っている。
ふと今の気分を書き記しておきたくなってこのブログを書くことにした。
自分の能力を活かして生きていくというのは どういう事だろうと思う。
今日、夫がネットで評判の米を玄米で仕入れてきて、それを精米したいと言い出
した。二人で精米所を探して城南区を彷徨う。
彼が油山のふもとに、コイン精米所が一件あるはずだという。
その場所に行こうという事で出発。
でも出発してから、彼がろくにそこの場所を特定せずに車を走らせていることに
気づく。
その場所は、3日前に彼がネットで探し当てた時に私に地図を一瞬見せてくれた
のだが、その時点では私は別にそこへ行くつもりはなかったので、「ふーん」と
3秒だけ何の意識もせず画面を眺めたに過ぎなかった。
「ちょっと、これは無理だよ。情報が少なすぎる。出直そうよ」
車の助手席で、私は彼が自分で地図を印刷するなり覚えてくるなりしなかった事
をなじる。でも彼は駄目もとでと、油山のふもと付近をぐるぐる走り続ける。
どうしても今日精米して、今晩、この米を食べたいらしい。
やれやれ、と、しかたなく、彼の為に精米所探しに協力することにする。
闇雲にぐるぐる走ったからといって見つかるようなものじゃない。
スーパーや郵便局を探すのとは訳がちがう。
こういうレアなものを探すには探す手順というものがある。
3日前、3秒見ただけの画像。
数少ない彼の持つ情報。
それらを合わせて、目的の精米所にたどり着いた。
多分、私が協力しなければ彼は絶対にここを見つけられなかっただろう。
これも自分の持つ能力を活かして生きることの一つの例だ。
私は今、たまたまカウンセラーという仕事をしているが そもそも、この仕
事も出来るからやっているだけだ。他にも出来る仕事はたくさんあるだろう。
だいたいに置いて、仕事で頼まれてやれない事の方が限られているのではな
いかと思うくらい、私はどんな仕事でもこなす自信がある。
けれども、出来ることと続けられることは別々の能力だ。
ほとんど何にでも興味を示すかわりに何でもすぐ飽きる事が特徴のこの私が、
今もこの仕事を続けてきたのはやはり好きだからなんだろうと思う。
仕事には飽きるけれど、人には飽きない。
人の心はみんな、一人ひとり違うからだ。
他に私はこれからの人生の中でどんな事を仕事にするんだろうか。
海外に行って支援活動に身を投じるのもいいなと思う。
どこかの離島で宿泊施設か食堂なんかをやるのもいいなと思う。
何かの国家資格を取って(学校に行き直すのは嫌なので多分学歴不要の弁護
士などになるだろうけど)それを活かすのもいいなと思うし。
これは自分がやるしかないんじゃないか、と思うようなことに出会ったら、
私はその世界に飛び込むような気がする。しかもその世界に永住する気はま
ったくない。
私は生まれながらにして 定住しない人間のようだ。
ずっとどこかを移り続けていく。
大きく言ってみれば、この地球全体が、自分の生涯の遊び場のような感じを
もっている。私は多分、死ぬまで何かをして遊んでいるだろう。
私自身は留まらないという性質だけれども、私が作ったものは出来るだけ存
続させてあげたいという気持ちはとてもたくさん持っている。
たとえば、今やっているNPOは私が居なくなっても活動を続けていくように
育てて行きたいと思う。私が居なくても誰かが代りになれるようにと思う。
喫茶店をオープンしたら、その喫茶店に私が毎日居なくても、そこは経営的
に成り立つように仕組み作りをして、後は誰かが働く場になればいいと思う。
私は多分、大金を手にしたらその金を元手にして出来るだけ大勢の人が何か
を得る事のできる仕組み(事業)を興すだろう。
そして私が手放しになってもその仕組みの中で人々が働く場を得、サービス
を得ていくようになる事を前提に仕組みを作るだろう。私の権利はその仕組
みの中で上がる純利益の数パーセントで十分だという気持ちだ。
簡単に言えば、利益を出せる店を10店舗作って、そこの純利からわずかづ
つもらえればそれだけで生きていけるだけの最低のお金は集まるからだ。
私はそういう仕組みづくりで生きていけるし、仕組みの中で生きていけるだ
けの報酬を得る人たちも生まれる。
私が一人で生きていくのはそう難しいことじゃない。
だから独り立ち出来ない状態の家族を生かして支えるのは私の役目なんだろ
うと思う。
私にとって仕組み作りを考えるのはそう難しいことじゃない。
だから他の人にも生きていくチャンス、活躍できる場をたくさん作ってあげ
たい。
あとは私に大金のチャンスがあるかどうか、だなあと思っている。
宝くじ、当たらないかなあ。
とりあえずそうねえ、一億あれば結構、楽しめるんだけど。
ずいぶん前からカウンセリングに通っていたクライエントの一人からメールが届いた。
久しぶりに見るその名前に 過去のワークの数々 その人の顔が一瞬で思い出される。
今は関東に移り住み なんと結婚したという嬉しい知らせが その便りにはつづられていた。
私は すべてのクライエントとの最初の出会いを記憶している。その人が来所した時の言葉 表情 声を記憶している。私は服装には頓着しないほうなので服は覚えていないが、意識すれば多分その日来ていた服も、天気や時間も覚えていられると思う。
彼女が初めてきたときに 彼女は何から話せばいいのかと少し困った様子で重い口を開きかねる様子だった。「何から話してもいいですよ」と私が声を掛けると「生きてるのがもうしんどい」と言った。
実に人生に行き詰まり 癒えぬ傷を抱えたまま放浪し 疲れ果てていた彼女だった。
ここに来るまでにどれほどに彷徨ったことだろうか。その時の彼女はとにかくぼろぼろだった。そして人を信じることに格別に用心しなければならない程、人の間で何度も傷つけられていた。いつどこで自殺という手段で自分の苦痛に終止符を打つという事に転がり落ちてもおかしくないほど、命の瀬戸際にいるとわかった。
彼女の深い深い傷が癒える為には 彼女が自身を愛することを開始する必要があった。その場凌ぎのばんそうこうなどすぐに剥がれてしまう。外から暖めてもすぐに冷めはじめてしまう。彼女の内側に自分自身を暖め癒すものが目覚めない限り 深い傷からの回復はあり得ない。自分を愛する為には 彼女の中で小さく丸くなっている光の部分に目覚めてもらう必要があった。彼女の智慧 彼女の愛 彼女の喜びはすべてその部分から生まれてくる光なのだ。
美味しくて暖かいスープを飲んだ時 冷えきった体が内側から優しく そして力強く温まっていくように。
彼女の ワーク中の笑顔をはっきりと思い出せる。そこには彼女が日頃使いこなせないで苦労している 彼女自身の光が溢れていた。
誰の中にも そうした光が必ず存在している。ここに来る人たちはそれを使うことをためらい 怖れ 傷ついているためにどこかにしまい込み そして生きるエネルギーの供給源にアクセスできなくなって 弱った状態になっている。
そんな最悪の状態だった彼女が 今も生きて居てくれる。
幸せをあきらめず、生きて居てくれる。
それだけで十分だ。ありがとうと心から言いたくなる。
出会った人、特にクライエントはみな 私の心の一部になっている。その誰が死んでしまっても私は決して無事ではすまないのだ。二度と会うことがないとしても 彼らの幸せを私は願い続けるだろう。
何があっても生きてさえ居れば 何かに出会う事が出来る。
素晴らしいもの 美しいもの 力強いもの 優しいもの により多く出会うように 自分自身の全てを使って 生きていけるようにと 願い続ける。
美味しく暖かいスープを 召し上がれ。
まずいかもしれないとか 下心があるのかとか 疑うことをやめて
自分自身を救うことに何の躊躇もないあなたであれ と願う。
久しぶりに見るその名前に 過去のワークの数々 その人の顔が一瞬で思い出される。
今は関東に移り住み なんと結婚したという嬉しい知らせが その便りにはつづられていた。
私は すべてのクライエントとの最初の出会いを記憶している。その人が来所した時の言葉 表情 声を記憶している。私は服装には頓着しないほうなので服は覚えていないが、意識すれば多分その日来ていた服も、天気や時間も覚えていられると思う。
彼女が初めてきたときに 彼女は何から話せばいいのかと少し困った様子で重い口を開きかねる様子だった。「何から話してもいいですよ」と私が声を掛けると「生きてるのがもうしんどい」と言った。
実に人生に行き詰まり 癒えぬ傷を抱えたまま放浪し 疲れ果てていた彼女だった。
ここに来るまでにどれほどに彷徨ったことだろうか。その時の彼女はとにかくぼろぼろだった。そして人を信じることに格別に用心しなければならない程、人の間で何度も傷つけられていた。いつどこで自殺という手段で自分の苦痛に終止符を打つという事に転がり落ちてもおかしくないほど、命の瀬戸際にいるとわかった。
彼女の深い深い傷が癒える為には 彼女が自身を愛することを開始する必要があった。その場凌ぎのばんそうこうなどすぐに剥がれてしまう。外から暖めてもすぐに冷めはじめてしまう。彼女の内側に自分自身を暖め癒すものが目覚めない限り 深い傷からの回復はあり得ない。自分を愛する為には 彼女の中で小さく丸くなっている光の部分に目覚めてもらう必要があった。彼女の智慧 彼女の愛 彼女の喜びはすべてその部分から生まれてくる光なのだ。
美味しくて暖かいスープを飲んだ時 冷えきった体が内側から優しく そして力強く温まっていくように。
彼女の ワーク中の笑顔をはっきりと思い出せる。そこには彼女が日頃使いこなせないで苦労している 彼女自身の光が溢れていた。
誰の中にも そうした光が必ず存在している。ここに来る人たちはそれを使うことをためらい 怖れ 傷ついているためにどこかにしまい込み そして生きるエネルギーの供給源にアクセスできなくなって 弱った状態になっている。
そんな最悪の状態だった彼女が 今も生きて居てくれる。
幸せをあきらめず、生きて居てくれる。
それだけで十分だ。ありがとうと心から言いたくなる。
出会った人、特にクライエントはみな 私の心の一部になっている。その誰が死んでしまっても私は決して無事ではすまないのだ。二度と会うことがないとしても 彼らの幸せを私は願い続けるだろう。
何があっても生きてさえ居れば 何かに出会う事が出来る。
素晴らしいもの 美しいもの 力強いもの 優しいもの により多く出会うように 自分自身の全てを使って 生きていけるようにと 願い続ける。
美味しく暖かいスープを 召し上がれ。
まずいかもしれないとか 下心があるのかとか 疑うことをやめて
自分自身を救うことに何の躊躇もないあなたであれ と願う。