2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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娘はカソリックの小学校に通っているのでクリスマスの行事には気合いが入っている。キリスト教信者にとって、クリスマスは最大の重要イベントだからだ。
今日そのクリスマス会に行き、心洗われる思いで午前中鑑賞して過ごした。
年端も行かない幼い子供たちが、何十人もステージに上がり声を合わせて「天の神様に栄光!私たちにこんなにもお恵みくださる神様、ありがとうございます!」と力いっぱい言う姿を見ると、北朝鮮のようだなあとも思うし、そのまっすぐな瞳の曇りなき美しさに心打たれもする。
娘の表情をよく見たくて、ステージすぐ下の最前列の席に陣取り、全ての出し物をしっかり見てきた。自分の娘だけでなく、壇上の子供たちの一生懸命な姿に、もう何をみても感動して泣けてしかたがない。
娘と一緒に帰る時、「クラスの子から『○○ちゃん(娘の名)のお母さん泣いてたね〜』って言われたよ。ママめっちゃ泣いてたでしょう」といわれた。娘は涙もろいママを恥ずかしく思っただろうか。私は子供の演じる出し物にはめっぽう弱くて、何を見てもけなげで泣けてしまう。
こんなに一生懸命に…とその小さな体で精いっぱい頑張っている純粋な姿に感動して胸が一杯になってしまうのだ。
子供たちは自分に与えられた役割を本当に一生懸命頑張っていたなと思う。その姿を見ることができ、一生懸命な声を聴けて、クリスマス会は本当に行って良かったと思えた。
そして、信仰というものに触れるきっかけを与えてくれるカソリックの学校に娘が行ってくれてありがたいとつくづく思う。自分が信仰している宗教でなくとも、信仰の現場に身を置くと、自分のより善いものを使うという機会が与えられる。そして子供たちが指導に素直にしたがって、神様を愛し、友達を助け、愛をもって生きようとする姿には本当に希望を見るし、胸を打たれる。子供たちが書いた、「神様への手紙」という小さな文章がパンフレットの裏表紙にいくつか載っていた。
「かみさま、世界には私たちに当たり前に与えられているものがなにも与えられていない人々がいます。どうか彼らのために私たちに何ができるか教えてください」「かみさま、私のおじいちゃまとおばあちゃまは、毎年クリスマス会に見に来ることを楽しみしていました。今年は二人とも入院して来ることが出来ません。おじいちゃまとおばあちゃまに聞こえるように、大きな声が出るように助けてください」
どの手紙も純粋な愛に充ち満ちて、私はそれに触れてぼろぼろと泣けてしまう。
私は人間には信仰は必要だと思っている。
それは特定の宗教でなくてもいいかもしれないが、自分の中の善いものを活性化する具体的なきっかけや方法として、信仰を持つことは非常に効率的であると思う。もしも、自分の心を美しく保ちたい、いつも善なるものや美なるものをみつめ、自分の心や世界が良くなることを信じて強くありたいと願うなら、最低でも100年以上歴史ある何かの宗教に入ることをお勧めする。
私も13〜18の頃、修道院に行こうかとかなり本気で考えていた。
世俗から隔絶された世界で神様の事だけを求め、心を鍛えていくことが出来れば、それは世俗で垢にまみれて生きるよりよほど楽だろうと思えたのだった。
実際のところ、今、多くの人の心と向き合い、自分を救う為のより良い方法がありますよと知らせる仕事をしているが、この仕事そのものが深い信仰を持つ修道女の信仰生活に似ていると思う。
クリスマスは本当のクリスチャンのものであって、世俗の人には無関係なはずだが、世俗の人が愛を語らう機会としてクリスマスを都合よく利用している事を、キリストは多分許しているだろう。
今日そのクリスマス会に行き、心洗われる思いで午前中鑑賞して過ごした。
年端も行かない幼い子供たちが、何十人もステージに上がり声を合わせて「天の神様に栄光!私たちにこんなにもお恵みくださる神様、ありがとうございます!」と力いっぱい言う姿を見ると、北朝鮮のようだなあとも思うし、そのまっすぐな瞳の曇りなき美しさに心打たれもする。
娘の表情をよく見たくて、ステージすぐ下の最前列の席に陣取り、全ての出し物をしっかり見てきた。自分の娘だけでなく、壇上の子供たちの一生懸命な姿に、もう何をみても感動して泣けてしかたがない。
娘と一緒に帰る時、「クラスの子から『○○ちゃん(娘の名)のお母さん泣いてたね〜』って言われたよ。ママめっちゃ泣いてたでしょう」といわれた。娘は涙もろいママを恥ずかしく思っただろうか。私は子供の演じる出し物にはめっぽう弱くて、何を見てもけなげで泣けてしまう。
こんなに一生懸命に…とその小さな体で精いっぱい頑張っている純粋な姿に感動して胸が一杯になってしまうのだ。
子供たちは自分に与えられた役割を本当に一生懸命頑張っていたなと思う。その姿を見ることができ、一生懸命な声を聴けて、クリスマス会は本当に行って良かったと思えた。
そして、信仰というものに触れるきっかけを与えてくれるカソリックの学校に娘が行ってくれてありがたいとつくづく思う。自分が信仰している宗教でなくとも、信仰の現場に身を置くと、自分のより善いものを使うという機会が与えられる。そして子供たちが指導に素直にしたがって、神様を愛し、友達を助け、愛をもって生きようとする姿には本当に希望を見るし、胸を打たれる。子供たちが書いた、「神様への手紙」という小さな文章がパンフレットの裏表紙にいくつか載っていた。
「かみさま、世界には私たちに当たり前に与えられているものがなにも与えられていない人々がいます。どうか彼らのために私たちに何ができるか教えてください」「かみさま、私のおじいちゃまとおばあちゃまは、毎年クリスマス会に見に来ることを楽しみしていました。今年は二人とも入院して来ることが出来ません。おじいちゃまとおばあちゃまに聞こえるように、大きな声が出るように助けてください」
どの手紙も純粋な愛に充ち満ちて、私はそれに触れてぼろぼろと泣けてしまう。
私は人間には信仰は必要だと思っている。
それは特定の宗教でなくてもいいかもしれないが、自分の中の善いものを活性化する具体的なきっかけや方法として、信仰を持つことは非常に効率的であると思う。もしも、自分の心を美しく保ちたい、いつも善なるものや美なるものをみつめ、自分の心や世界が良くなることを信じて強くありたいと願うなら、最低でも100年以上歴史ある何かの宗教に入ることをお勧めする。
私も13〜18の頃、修道院に行こうかとかなり本気で考えていた。
世俗から隔絶された世界で神様の事だけを求め、心を鍛えていくことが出来れば、それは世俗で垢にまみれて生きるよりよほど楽だろうと思えたのだった。
実際のところ、今、多くの人の心と向き合い、自分を救う為のより良い方法がありますよと知らせる仕事をしているが、この仕事そのものが深い信仰を持つ修道女の信仰生活に似ていると思う。
クリスマスは本当のクリスチャンのものであって、世俗の人には無関係なはずだが、世俗の人が愛を語らう機会としてクリスマスを都合よく利用している事を、キリストは多分許しているだろう。
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