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2007年9月2日開始。いつまで続けられるかな?
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私の講習会は一回限りというものがないので、何度か同じ人たちと交流を持てるのが良い処。
人間はとても複雑だから一回会ったくらいではお互いよく分からない。

何度か会って、言葉を聞き、考えている事や感じている事を聞かせてもらうと、その人の内面に何が起きているかわかるし、本当に出会えている感じがする。
この処忙し過ぎてもう倒れそうな感じなんだけれども
それでも参加者に励まされ、勇気をもらい、癒される事は多い。

ありがたいなあと思う。
人は、人と触れ合うだけで何かをもらっている。
生きているだけで、全ての人が誰かの役にたっているのだと確信している。


娘の為に借りてきた「名犬ラッシー」を夕ご飯食べながら観た。
思わず号泣。
どうして家族の中でこういう映画で泣くのは私だけなんだろうなあ。
ラッシーの家は貧乏で、お父さんが失業して生活できなくなってしまった。その時地元の公爵が、ラッシーを買い取りたいというので売ってしまう。ラッシーは公爵の屋敷から何度も何度も脱走して家に戻る。公爵はラッシーを800キロ離れた土地へ連れていってしまう。ラッシーはそこからも脱走し、ついに家に帰り着くのだ。
犬が飼い主の処に戻りたいという一途な思いだけで800キロも旅をするなんて泣けるじゃないか。
800キロっていえば、福岡からだと静岡の浜名湖あたりまで行ける。
そんな距離を帰巣本能だけで帰ってくるなんて、犬ってヤツは凄過ぎるし、愛し過ぎる。

ボロボロになってたどり着いたラッシーを、元の家族は手厚く看護するのだが、法的には公爵のものなのだ。お父さんは公爵に「元気になったらお返ししにいこうと思ってました」というセリフを言うのだが、私は「お父ちゃんそらあんまりやでーーー!!!」と鼻水をたらしながら大阪弁で突っこんでしまった(つっこみは何故か大阪弁が我が家風)。
お父ちゃんねえ、ラッシーがどんな思いで帰ってきたと思ってんの。
そこはやっぱり「このラッシーに免じて、うちに返していただけないでしょうか」とか言わないといかんのではないですか!?

結局公爵が、「この犬はワシの買った犬ではない。犬が800キロも歩いて帰ってくるはずがないだろう。こんな汚い野良犬でワシをだまそうったって、そうは行かんぞ」と粋な計らいをしてくれて、野良犬ことラッシーは無事に家族の元に戻るのだった。めでたし。

その後、ももがえらく可愛く見えた。
勝手にみんなで可愛がり始めて、ももは「??」
お腹を見せて転がってハッピーハッピー。

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あの世紀の天才にして 孤独な魂が 急逝のニュース。

あれからもう半月が過ぎようとしているのに 私は日に日に
寂しい。彼がもう この世界にはいないのだと感じる事が
とてもとても 悲しい。
彼の肉体が失われ あの華麗で圧倒的存在感のパフォーマン
スを二度と観る事ができないことも あの無邪気でピュアな
ほほ笑みを観る事ができないことも あの甘い声が新しい歌
を歌う事がないということも

Michael あなたがいないと世界は寂しい。

彼は勇気を奮って生き 人々の前に立ち続けた。
彼をバッシングするものが絶えないなか
彼は人種の問題、ジェンダーの問題、飢餓の問題、国境の問
題に目を向け 訴えた。

彼を守る立場のものはほとんどおらず 彼を支えようとする
熱狂的な世界中のファンの想いも 彼の充分な支えにはなら
なかった。

彼はおそらく 自分がこれほど世界から愛されていた事を理
解していなかっただろう。
自分が成し得た偉業の大きさを自覚出来ずにいただろう。

だからこそ彼は孤独だったし 苦しみぬいた。

死ぬつもりではなかったと声が聞こえる。
ただゆっくりと眠りたかっただけなのだと。
戸惑い彷徨う彼の魂をガイドするものが差し向けられる事
をただひたすら祈る。
どうか彼の魂に慈悲を。

彼は平安が欲しかったのだ。
魂を安らげる場所が欲しかったのだ。

Heal The World を聴くと 私は涙が止まらなくなる。

可哀相なMichael。
どうか安らかに。
そして捕われる事なく次の転生を無事に迎えるように。
8月6日が彼の49日だ。
彼の転生の為に祈りたい。

I love you Michael.
R.I.P

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バリー博士の福岡セミナーが終わり ほっとしている。

今回は久恒病院の原院長ご夫妻のお力添えで大変素晴らしい会場に
恵まれ、また集客もなんとかトントンになるくらいにうまくいったようだ。
経営をしていると、人事ながら収支がきちんと成立したのか心配になる。

「夜 眠る時 今日は意味のある一日だった と思いながら眠る毎日」

今回のセミナーの中でバリーさんの言葉の中で1番心に残った言葉だった。
私の毎日はこのようになっているだろうか。
私が毎晩思うのは残念ながら
「私は役に立てているだろうか?これでいいのだろうか?」ということばかりだ。
仏教にもチベット語にも「罪悪感」という言葉はないのだが、バリーさんも「私のせいでうまくいかないのではないか、と考えるのは自分、自分、自分、自分を拡大して感じるという意味でエゴである」とおっしゃっていた。
だから「これでいいのか?」と思う一方で心のどこかから「お前に出来る以上の事は出来ない。今日やれた事がお前のそのままなのだ」という声も聞こえてくる。

そう。
本当に、私が出来る事は私に出来る事以上であるはずがない。

私が声かけしてこのセミナーに誘った人たちからは「本当に来て良かった」とお礼を言われた。バリーさんの「人間としての質の高さ」に触れていただけて幸せだ。

ダライラマ法王のセミナーに参加する為にインドまでいくという不思議な導きで旅した時、私は法王様のお話を聞いていて自分の人生に深く納得する衝撃的なものがあった。
それは「菩薩行」についてのお話だった。
慈悲の心に目覚め、自分の為ではなく全ての命の平安を願って生きる段階を菩薩行という。

仏陀も、転生の中でこの菩薩行の人生を何度となく送っているというお話だった。
私の今生は、菩薩行を送るべく導かれていたのだと悟った。
それが分かった時、これまでの人生の苦しみの意味が一瞬にしてすべて理解出来た気がした。

法王様は「慈悲心(菩提心)に帰依するという誓約の儀式」を執り行ってくださり、私は心と体を石の床に投げ出してそれを誓った。

日本に帰り、バリーさんと再会した。バリーさんに慈悲心に帰依し修業の人生を進んでいますと告白し、祝福を受けた。
そして今年もバリーさんと再会した。こんな事を言うと人は笑うだろうけれど、バリーさんと私は、前世のどこかでおそらく非常に親しい関係にあったと信じる。今回大きな援助を下さった原医師は、バリーさんと兄弟だったと信じているそうだ。

今回も、たくさんの方がバリーさんを囲んで話を聞いた。

その最終日、帰る直前に、いつも傾聴講習会を手伝ってくれるSさんからこう言われた。
「この間先生の傾聴講座でお話を聞いていて思ったんですけど、今日のバリーさんの菩薩としての生き方のお話と、とても共通していて、同じ感じがします」
そう。実は私はそれを形を変えて多くの人に話している。
仏教の心は、日本人にはもともととても馴染む。そもそも慈悲の心は、わざわざ仏教だという必要もなく、私たちが人間として生まれたからには自然に備わっているものだ。だからそれを活性化する為に私は、最善のチューニングをして、多くの人の耳に聞こえる周波数を選んで話をしている。

菩薩としての考え方、生き方の提示、提案。
それが私の人生を意味あるものにするだろう。

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100円ショップは事務用品から生活雑貨まで
ちょくちょくお世話になっているお店だ。

何を買う訳でもなくブラブラ見るだけでも
自分の時間を好きに使っている気がして嬉しい。

先日もぼーっと商品を見ていると 後ろから子供の声でなにやらボソボソときこえてきた。
どうやら私に何か声をかけているらしく、振り向くと小学1年生の黄色い帽子を被った男の子がいた。
「ん?」と聞き返すと
「(ボソボソ)」聴き取れず。
「何?どした?」
「…いね。でぶいね。」
「は?」
「デブいね」

どうやら私の体形の事を言っているらしい。
やぶから棒に、初対面の子供から体形の事を言われるとは思っていなかったので面食らったが、まあ子供なので笑って「そう?」と返した。周りの大人たちは気まずそうにきこえない振りをしている。
「なんでそんなにデブいと?デブすぎるやん」
…まあ、そうね。事実だね。
「うーん、そうやねえ。なんでやろ」
その子はハタと思いついた、というように
「赤ちゃん入ってる?入ってるやろ?」と私のお腹を触る。
「はずれー。赤ちゃん入ってないよ」
ショックを受けたような顔で「うそ。絶対入ってるやろ」
「はいってないんだよーん」
「じゃあなんでそんなにでっかくなったと?」

ふふふふ。シュールだなあ…。
100均で子供に何故そんなに太っているのか、そのお腹に何が入っているのかとまっすぐに問い詰められるシーンだよ。

その子は納得が行かないと言わんばかりの態度で「なんでやろ?」と言いながら離れて行った。次の通路で、今度は学生服の中学生に、「なんで中学生なのにそんなに背が低いと?」とやっている。
その中学生は「●●小か?一年坊主やね。まあ、がんばれよ」と
その子の帽子頭をぽんぽんと軽く叩き、先輩らしく振る舞おうとしている。
小学生は「なんで?」と繰り返している。中学生は、その子に
逃げたと思われないように余裕がある事をアピールしつつ、その場を去っていった。

この小学生は、多分、発達障害だ。
人の気持ちを想像する能力が低いので、相手が戸惑うような
率直過ぎる質問を躊躇なく投げ掛ける。
まっすぐな質問をするまっすぐな子供で、私はそういう子が本当に大好きだ。しかもこの子はまだ、相手にきつく怒られたりした経験がないのだろう。だからまだ心を折られた事が無く、まっすぐに質問をしてくるのだ。
とても可愛い。傷のない、無垢な魂に触れた。

可哀相に、これから苦労するね。頑張れよ。
めげるなよ。君には君のいい処がいっぱいあるんだからね。

その子の背中に、そんな思いを投げ掛けた。

ああ、こんな子たちに のんびりと、社会に適応する為の技を教える教室が出来たらいいなあ。

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6月21日は環境イベントとして 夜8時に消灯し代りにロウソクを灯そうという催しが全国一斉に行われた。

日頃から夜はロウソクで過ごす事が多いけれど 昨夜はいつもより周囲のマンションの灯も心なしか少なかったような気がする。昨夜のイベントで5万世帯の家に供給される1日分の電力を節電できた事になるのだそうだ。
こんなイベントをきっかけに いつも明るくして過ごしているけれど夜なのだから普段からもう少し暗くていいのではないか と考えてくれる人が多くなるといいのだけれど。

日本の小話や落語などでも ロウソクの炎は 一人の命にたとえられる。
小さく揺らめく なんとなくはかなげで頼りない、しかし優しい色の炎を見つめていると 思わず消えてしまわないようにと両の手で包んで守りたいような気持ちになる。

チャムの遺影にも一つ ロウソクを灯した。
部屋には3つの炎が灯され ゆらゆらと部屋全体に陰を作る。
窓を開けていると風が強くて ぶら下げてあるウィンドウベルがキラキラとひっきりなしに涼しい音を奏でる。
チャムの命日が近づいているからか 最近よくチャムの事を考えている。
なんとなくロウソクの炎を眺めていたら 全部消えるまで起きていてしまった。
午前3時過ぎ。

今年はまだ蛍を見ていないなあ。
まだ居るだろうか。行けそうだったら思いきって水源に見に行ってみよう。

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ベランダ菜園のきゅうりの収穫本数をカウントしているのだけれど
まだ5本しか取れていない上に、次に収穫できそうな実がならない。

花が雄花ばかりどんどん咲いていて、雌花が一つも咲かないのが理
由だ。どうしてなんだろう?と不思議に思ってネットで調べると気
温が低いと雄花ばかりになってしまうのだそうだ。もう少し夏らし
く暑くなると雌花がどんどん咲くようになって、きゅうりもどんど
ん成るらしい。
やっぱりきゅうりは夏野菜なんだなあ。

トマトも実をつけ始めた。
トマトは実が出来てから収穫までの待ち時間が、キュウリの何倍も
長い。キュウリは「あ、これ実になりそうだなあ」と気付いてから
収穫まで1週間もかからないけれど トマトは一ヶ月経ってもまだ
収穫出来ない。
そう思うとトマトも結構食べるまでに手間暇がかかっている訳で、
売り物のトマトが案外高いのは仕方ないような気がする。
スーパーで「トマトって高いなあ」と文句を言っているけれど育て
てみれば値段の理由もけっこう納得出来る。

イチゴは苗そのものがどんどん成長し、花が付く枝が太くたくまし
くなってきた。それと同時に花の数も増え、出来るイチゴの粒が、
売り物と変わらない立派なものになった。たった3株のイチゴの苗
だからそんなにたくさん食べられる訳じゃないけど、時々一粒のイ
チゴを取り立ての状態で ほお張る事が出来る幸せは、なんとも言
えない。
イチゴはもっぱら娘が食べるのだけれど、本当に嬉しそうにしている。

仕事がどんなに忙しくても こうしてベランダ菜園にいると里山の
側に暮らしているのと同じ質の大気が体の中に流れてきて 本当に
癒される。
この処、仕事は連日、朝8時半から夜の9時半くらいまでかかって
いる。だからそれから夕ご飯を食べおえて娘を寝かせて家事をこな
し ほっと一息つけるのはいつも深夜1時、2時だけれども深夜の
ベランダ菜園で星や月を眺め 夜風にあたるのも悪くない。

涼しければダラムサラで見た月とヒマラヤから吹き下ろす風を思い
出す。暑ければ宮古島や石垣島のあの大気とどこまでも続くコーラ
ルブルーの暖かな海を思い出す。

朝は5時に目が覚める。(お年寄りみたいだなあ)
だから睡眠時間は平均でも3時間から4時間くらいだ。
明け方暗いうちに起きて太陽が昇って 1番の光を浴びるのが好き。
その時間にもベランダ菜園にいることが多い。

朝一番の太陽は いつも勇気をくれる。
緑たちはその勇気を胸に 素直に光に手を伸ばし自分を成長させよ
うと精一杯の命の営みを活発に開始する。
その姿をみるのが好きだ。水をあげ、土の様子を見て世話をしささ
やかながら緑たちのサポートをするこのひとときは ありがとうの
気持ちで一杯だ。

何に対して感謝しているのか あいまいなのだけれど
ただ「ありがとう」という言葉がたくさん湧いてくる。

そしていつも 風。
風が吹き渡って 何かを運び そして連れて行く。
いつも風の吹く この福岡の街が大好きだ。

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自律を獲得し それを維持しつづける人生にしようと努力している。

全てのことを何かのせいにしないで 自分で責任を背負うこと。

どうすれば自分をより幸せに出来るのか、それだけを純粋に考えて行動する。
それと同時に、人や社会との調和も実現すること。

誰かの期待に応えることが 自分の幸せにならない場合には
その人の期待よりも 自分の人生を選ぶこと。

誰かを失望させるのは残念だけれど 誰かの喜びの為に自分が不幸であるというのは偽善なのだから所詮は長続きしない。
失望させる誰かに詫びつつ、その人の心に平安が一日も早く戻るようにと願いながら その人の元を去ることも必要な時があるだろう。

私はつくづく 人とべったり付き合う事ができない人間だなと思う。
若い頃は 何とか平凡に みんながしているように友達とわいわい出来ればいいなと思ったりもしたが それはそもそも素質として与えられていない。
人のそばに ずっといると必ず息が出来なくなってくる。
私がそばにいられるのは その人が私を適当に放し飼いにしてくれる時だけだ。

どこか人里を離れ庵を結ぼう。それが私の人生にはまことに相応しいと思える。
私に会いたい人がいれば 訪ねてくれるだろう。
私が会いたくなったなら 人里に下りてその人を訪ねていこう。
本当にそれでいい。

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朝 娘を起こすと 飛び起きてきて
「ママ! お誕生日だね!」と
私のお腹にぎゅーーっと抱きついてくれた。

うわーー。なーーんて可愛らしいこと!

母さん熊のふかふかお腹に 子グマが顔を埋めているよ
うな格好になって 日常のメルヘン。

自分の誕生日なんて忘れてしまうような妙齢になった私
だけれども娘は私よりも誕生日というイベントにワクワ
クしながら学校に行った。

不思議な事があった。
朝の講習会に、何年ぶりかでボランティアに来てくれた
Mさんが、私に手作りのストラップをプレゼントしてく
れた。
「先生をイメージして作りました!」と渡されたのは、
ローズクォーツやアベンチュリンなどがあしらわれた天
然石のストラップ。

誕生日プレゼントだとは言われなかったから、たぶん、
誕生日だからではなくて、久しぶりに会う私の為に作っ
てくださったのだろう。
相手も、私も意図しないのに、誕生日の日にプレゼント
してもらった事になる。

ほんとに不思議だねー、とストラップを眺めながら、家
に帰ると宅配の人がピンポンと玄関チャイムを鳴らした。

3月に愛媛に就職した別のMちゃんからの、愛媛銘菓の
贈り物だった。手紙が入っていて、彼女が元気に、彼女
のペースで伸びやかに過ごしている様子と、私への感謝
が綴られていた。
これも、お互いに意図せず(多分)誕生日に届いた素敵
なプレゼントだった。

家族以外の人からもおめでとうの言葉をもらった。

ボランティアの人たちに、自分の誕生日だとは言わなか
ったけれど、それは彼女達が私に心からおめでとうの愛
をくれることを確信しているからだ。もらおうとしなく
ても、充分もらえているから、私の口から、誕生日だと
いう言葉が出てこなかったのだ。

なんだか、とっても不思議だ。
今の私は、人から与えられるものを素直に受け取り、そ
れを喜ぶ事が出来る。
昔の私は、こんな時、かえって居心地が悪くなったもの
だ。相手に申し訳なく、何もお返し出来ない事に罪悪感
を感じ、ブルーな気分になったり。

今、こうして恵まれる愛を受け取れる自分だからこそ、
相手にまっすぐに感謝することが出来る。

みんな、ありがとう。
誕生日って 自分のための記念日なんだね。
私の記念日を たくさんの愛で暖めてくれて、ありがとう。
私はたくさんの人の愛に包まれて、生きています。

ここ数日、忙しいけれど、絶好調です!


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かつてないほど講座が立て込んでいるので
とても喉を消耗しています。

しかもかなりノリノリで話しているので声にもテンションが
かかっていて喉の負担が相当大きいらしく 声帯麻痺が起き
たり軽く裂けたりしています。

よって大好きな歌を自粛中。
とにかく講義時間外は黙っている事にして喉を温存です。

ふーー。
マイクを使う事も考えないとマズイな。

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娘の運動会に 熊本から母が駆けつけてくれた。
母がうちに泊まると言ったのは、いったい何年ぶりなのだろう。

母の相手をしていると 本当に私は無口になる。
母の話をただ黙って聞いていることしか出来ない。
私なりに思うこともあるけれど それを言うと確実に母は不機嫌になる。
私は 母の機嫌が悪くならないと分かっている事だけを時々 あいづち代わりにつぶやくだけだ。

別に 聴く事には慣れているから 何時間黙っていても苦痛ではない。
私が黙っていて、時々あいづちを打つと母は上機嫌だ。
けれども 母は私の事を何一つ理解していないのを感じる。


お母さん。私にもね 私の考えがあるの。
私がそう考えるのは そう考えるだけの理由があるの。
お母さんとは違う経験をしているの。

時々 私は母にこれを静かに告げるのだけれど すると母は決まってひどく不機嫌になる。
母の意見や考えと違う事を言うと「なんでそう思う訳?」とネガティヴキャンペーンが展開され、最後は決まって「ああそう!じゃあ好きにすれば」と捨てぜりふを吐かれる。

お母さん。
どうして「ああ、お前はそう感じるんだね」「お前はそんな風に思うのね」と言ってくれないの。
どうして私の考えや感じ方を そっとそこに置いておけないの。
お母さんは同じになってくれなくていいのよ。
ただ、違うままそこに置いててくれれば それだけでも充分に尊重されたと思えるのに。

お母さんは相手を脅しているのよ。
相手を変えようとし それが出来ないと分かると投げ捨てる。
そんな風にされたら とても悲しい。とても傷つく。
お母さんのしていることは相手に 【私の思う通りに思わないなら お前なんかいらない】と解釈されてしまうよ。


運動会の最中 母にそんな事を言った。
母は 「じゃあ私はあんたたちの都合のいいような事だけ言って、都合よく付き合えばいいって言うのね」と私をにらみつけて言った。
母の目に怒りと深い悲しみが浮かんでいた。
母は、人間関係に絶望している。誰も自分を理解してくれないと、心の底で嘆き悲しんでいる。
私は静かに「そんな事言わないよ」と言った。
「ただお母さんとお母さんの周りの人がみんな悲しまないようになって欲しいだけ」と。

母はぷいとそっぽを向き やがて涙をみせまいとして 立ち上がり運動会の父兄で混み合う人の中に一人消えていった。

母はどうすればいいのか分からないのだ。
自分が娘を苦しめてしまう事も、苦しめてきた事も分かっている。だけどどうすればいいのかわからない。娘の言う事が解らない。私はただ責められて、どうすればいい、と、感じているのだ。

そんな苦しみの中にいる母のことを私は静かに見送った。
これは母の人生のプロセスだ。
母はここを通過しようとしているのだ。
母自身が、もうそんな問題はどうでもいいと言うなら私も何も言わない。
けれど母は、自分の人生をもっとよくしたいと願って父との関係も、子供との関係も、懸命に努力している。だからこそ「これこそがポイント」という処を指し示した。

けれど母にはどうすればいいか分からない。
問題は見えたが、それでどうすればいいのかが、どうしてもわからないのだ。
こうして話す言葉では無理だ。そう思った。
母が傾聴の講習会にでも来てくれればいいのだが。
無論そんな事はあり得ない。



やはり 本を 書こう。
私は 母を救う為にも 本を書かなければならない。

人が何故 こうも「聴いてもらう」ことに飢えるのかを。
どうすれば 相手と共にいる事ができるのかを。
たくさんの人の為にも そして救われず苦しんでいる母の為にも。

私は本を書かなければならない。

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